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2021年02月16日

「現代日本の開花」講演本文 11/18

夏目漱石「現代日本の開花」明治44,8月和歌山講演 VOL,11/18





積極的活力の発現のほうから見ても、この波動は同じことで、早い話が今までは敷島か何か吹かして我慢しておったのに、隣の男が旨そうにエジプト煙草を喫(の)んでいると、やっぱりそっちが喫みたくなる。



また喫んで見れば、そのほうが旨いに違いない。



しまいには敷島などを吹かすものは人間の数へ入らないような気がして、どうしてもエジプトへ喫み移らなければならぬという競争が起こってくる。



通俗のことばであれば人間が贅沢になる。



道学者は倫理的の立場から始終奢侈(しゃし=ぜいたく)を戒めている。



結構には違いないが、自然の大勢に反した訓戒であるからいつでも駄目に終わるということは昔から今日まで人間がどのくらい贅沢になったか、考えてみればわかる話である。



かく積極消極両方面の競争が激しくなるのが開花の趨勢(すうせい=状況)だとすれば、我々は長い時日のうちに種々様々の工夫を凝(こら)し、知恵を絞ってようやく今日まで発展してきたようなものの、生活の吾人の内生に与える心理的苦痛から論ずれば、今も五十年前も百年前も、苦しさ加減の程度は別に変わりが無いかも知れないと思うのです。





それだからして、このくらいの労力を節減する器械が整った今日でも、生存の苦痛は存外切(せつ)なもので、あるいは非常という形容詞を冠(かぶ)らしても然(しか)るべき程度かも知れない。





これほど労力を節減出来る時代に生まれても、その忝(かたじ)けなさが頭に応えなかったり、これほど娯楽の種類や範囲が拡大されても、全くその有難みが分からなかったりする以上は、苦痛の上に非常という字を附加(ふか=加える)しても好いかも知れません。



これが階下の生んだ一大パラドックスだと私は考えるのであります。



これから日本の開花に移るのですが、果たして一般的の開花がそんなものであるならば、日本の開花も開花の一種だから、宜(よ)かろうじゃないかで、この講義は済んでしまうわけであります。



がそこに一種特別な事情があって、日本の開花はそういかない。



何故そうは行かないか。



それを説明するのが、今日の講演の主眼である。



と申すと、玄関を上がって、ようやく茶の間あたりへ来た気がして驚くでしょう。



しかしそう長くはありません。



奥行きは存外短い講演です。



やってる方だって、長いのは疲れますから、出来るだけ労力節約の法則に従って、早く切り上げる積りですから、もう少し辛抱して聴いて下さい。







引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊行




「現代日本の開花」講演本文 12/18

夏目漱石「現代日本の開花」明治44,8月和歌山講演 VOL,12/18








それで現代の日本の開花は、前に述べた一般の開花とどこが違うのかというのが問題です。



もし一言にしてこの問題を決しようとするならば、私はこう断じたい、西洋の開花(すなはち一般の開花)は内発的であって、日本の現代の開花は外発的である。



ここに内発的というのは、内から自然に出て発展するという意味で、ちょうど花が開くように、おのずから蕾が破れて、花弁が外に向かうのをいい、また外発的とは、外からおっかぶさった他の力でやむを得ず一種の形式を取るのを指した積りなのです。





もう一口説明しますと、西洋の開花は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉を付けた以後の日本の開花は、大分勝手が違います。



勿論どこの国だって、隣づきあいがある以上は、その影響を受けるのがもちろんのことだから、吾が日本といえども、昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展したわけではない。



ある時は三韓またある時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して、大体の上から一瞥(いちべつ)してみると、まあ比較的内発的の開花で進んできたといえましょう。



少なくとも、鎖港排外の空気で二百年も麻酔した揚句、突然西洋文化の刺激に跳ね上がったくらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったというのが適当でしょう。



日本の開花は、あの時から急激に曲折し始めたのであります。



また曲折しなければならないほどの衝撃をうけたのであります。



これを別の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開してきたのが、急に自己本位の能力を失って、外から無理押しに押されて、否応なしにそのいう通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。



それが一時ではない。



四五十年前に一押し押されたなりじっと持ち応(こた)えているなんて楽な刺激ではない。



時々に押され、刻々に押されて今日に至ったばかりでなく、向後何年の間か、または恐らく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在出来ないのだから、外発的というより他に仕方がない。



その理由は無論明白な話で、前申し上げた開花の定義に立ち戻って述べるならば、吾々が四五十年前始めて打(ぶ)つかった、またいまでも接触を避けるわけに行かないかの西洋の開花というものは、我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開花で、また吾々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開花である。





引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊行


「現代日本の開花」講演本文 13/18

夏目漱石「現代日本の開花」明治44, 8月和歌山講演 VOL,13/18





粗末な説明ではあるが、つまり吾々が内発的に展開して十の複雑の程度に開花を漕ぎつけた折も折、図らざる天の一方から急に二十三十の複雑の程度に進んだ開花が現れて、俄然として吾らに打って懸かったのである。



この圧迫によって吾人は止むを得ず不自然な発展を余儀なくされるのであるから、今の日本の開花は地道にのそりのそりと歩くのでなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んでいくのである。





開花のあらゆる階段を段々に踏んで、通る余裕を持たないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである。



足の地面に触れる所は、十尺を通過するうちに僅か一尺くらいなもので、他の九尺は通らないのと一般である。



私の外発的という意味は、これでほぼ御了解になったろうと思います。



そういう外発的の開花が、心理的にどんな影響を吾人に与うるかというと、ちょっと変なものになります。



心理学の講演でもないのに、難しいことを申し上げるのもいかがと存じますが、必要の箇所だけをごく簡易に述べて、再び本題に戻る積りでありますから、しばらくご辛抱を願います。



我々の心は絶え間なく動いている。



あなた方は今私の講演を聴いておいでになる。



私は今あなた方を前において、何か言っている。



双方ともにこういう自覚がある。



それにお互いの心は動いている。



働いている。



これを意識というのであります。



この意識の一部分、時に積もれば一分間位のところを、絶え間なく動いている大きな意識から切り取って調べてみると、やっぱり動いている。



その動き方は、別に私が発明したわけでも何でもない、ただ西洋の学者が書物に書いた通りをもっともと思うから紹介するだけでありますが、すべて一分間の意識にせよ、三十秒間の意識にせよ、その内容が明瞭に心に映ずる点から言えば、のべつ同程度の強さを有して時間の経過に頓着無く、あたかも一つ所にこびり付いたように固定したものではない。



必ず動く。



動くにつれて、明らかな点と暗い点が出来る。



その高低を、線で示せば平たい直線では無理なので、やはり幾分か勾配のついた弧線、すなはち弓形の曲線で示さなければならなくなる。



引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊行






「現代日本の開花」講演本文 14/18

夏目漱石「現代日本の開花」明治44, 8月和歌山講演 VOL,14/18





こんなに説明すると、かえって込み入って、難しくなるかもしれませんが、学者は分かったことを分かりにくく言うもんで、素人は分からないことを分かったように呑み込んだ顔をするものだから、非難は五分五分である。



今言った弧線とか曲線とかいうことを、もそっと砕いてお話しすると、物をちょっと見るのにも、見てこれがなんであるかということが、ハッキリ分かるには、ある時間を要するので、すなはち意識が下の方から一定の時間を経て、頂点へ上って来てハッキリして、ああこれだなと思う時がくる。





それをなお見詰めていると、今度は視覚が鈍くなって、多少ぼんやりしはじめるのだから、一旦上の方へ向いた意識の芳香が、又下を向いて暗くなりかける。



これは実験して御覧になると分かる。



実験と云っても、機械などは要らない。



頭の中がそうなっているんだから、ただ試しさえすれば気が付くのです。



本を読むにしても、AというコトバとBという言葉とそれからCという言葉が順々に並んでいれば、この三つの言葉を順々に理解していくのが当たり前だから、明らかに頭に移る時はBはまだ意識に上らない。



bが意識の舞台に上り始める時には、もうAの方は薄ぼんやりして、識域(しきいき)の方に近づいて来る。



BからCへ移るときはこれと同じ所作を繰り返すに過ぎないのだから、いくら列を長くしても同じことであります。



これは極めて短時間の意識を学者が解剖して吾々に示した者でありますが、この解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社会の集合意識にも、それからまた一日一月もしくは一年ないし十年の間の意識にも応用の利く解剖で、その特色は多人数になったって、長時間にわたったって、一向変わりはないことと私は信じているのであります。





喩(たと)えて見れば、あなた方と云う多人数の団体が、今ここで私の講演を聴いておいでになる。聴いていない方もあるかも知れないが、まア聴いているとする。



そうするとその個人でない集合体のあなたがたの意識の上には、今私の講演の内容が明らかに入る。



と同時に、この講演に来る前、あなた方が経験された事、すなわち途中で雨が降り出して着物が濡れたとか、また蒸し暑くて途中が難儀であったとかいう意識は、講演の方が心を奪うにつれて、だんだん不明瞭不確実になってくる。



またこの講演が終わって、場外に出て、涼しい風に吹かれでもすれば、あゝ好い心持だという意識に心を占領されてしまって、講演の方はピッタリ忘れてしまう。



私から云えば、全く有り難くない話だが、事実だから已(や)むを得ないのである。



私の講演は行往座我共に覚えていらっしゃいといっても、心理作用に反した注文なら、誰も承知する者はありません。



これと同じように、あなたがたというやはり一個の団体の意識の内容を検して(けんして=調べて)みると、たとい一か月に渡ろうが、一年に渡ろうが、一か月には一か月を括(くく)るべき炳乎(へいこ=はっきりした事)たる意識が在り、また一年には一年を纏めるに足る意識があって、それからそれへと順次に消長しているものと私は断定するのであります。





吾々も過去を顧みて見ると、中学時代とか大学時代とか皆特別の名のつく時代で、その時代時代の意識がまとまっております。



日本人総体の集合意識は、過去四五年前には日露戦争の意識だけになり切っておりました。



その後、日英同盟の意識で占領された時代もあります。





引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊行

「現代日本の開花」講演本文 15/18

夏目漱石「現代日本の開花」明治44, 8月和歌山講演 VOL,15/18





かく推論の結果、心理学者の解剖を拡張して、集合の意識やまた長時間の意識の上に応用して考えてみますと、人間活力の発展の経路たる開花というものの動くラインもまた波動を描いて、弧線をいくつもいくつも繋ぎ合わせて、進んでいくと云わなければなりません。



無論、描かれる波の数は無限無数で、その一波一波の長短も高低も千差万別で有りましょうが、やはり甲の波が乙の波を呼び出し、乙の波がまた丙の波を誘い出して順次に推移しなければならない。



一言にしていえば、開花の推移はどうしても内発的でなければ嘘だと申し上げたいのであります。



ちょっとした話が、私は今ここで演説をしている。



するとそれをお聞きになる貴方方の方からいえば、始めの十分間くらいは、私が何を主眼にいうか能(よ)くわからない、二十分位になって、ようやく筋道が付いて、三十分目くらいには、ようやく脂がのって、少しはちょっと面白くなり、四十分目にはまたぼんやりし出し、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠伸(あくび)が出る。



とそう私の想像通り行くか行かないか分かりませんが、もしそうだと言うならば、私が無理にここで二時間も三時間もしゃべっては、あなた方の心理作用に反して、我を張ると同じことで、決して成功は出来ない。



なぜかと云えば、この講演がその場合あなた方の自然に逆らった外発的のものになるからであります。



いくら咽喉をしぼり、声を嗄(か)らして怒鳴ってみたって、あなた方はもう私の講演の要求の度を経過したのだから、不可(いけ)ません。



あなた方は、講演よりも茶菓子が食いたくなったり、酒が飲みたくなったり、氷水が欲しくなったりする。



その方が内発的だから、自然の推移で無理のない所なのである。



これだけ説明して置いて、現代日本の開花に後戻りをしたら大抵大丈夫でしょう。



日本の開花は自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み、乙の波が丙の波を押し出すように、内発的に進んでいるかと云うのが、当面の問題なのですが、残念ながらそう行っていないので困るのです。



行っていないというのは、さきほども申した通り、活力節約活力消耗二代方面において、ちょうど複雑の程度二十を有しておった所へ、俄然(がぜん)外部の圧迫で三十代まで飛びつかなければならなくなったのですから、あたかも天狗にさらわれた男のように、無我夢中で飛びついて行くのです。



その経路は殆ど自覚していないくらいのものです。



元々開花が甲の波から乙の波に移るのは、、既に甲は飽いていたたまれないから内部欲求の必要上ずるりと新しい一波を開展するので、甲の波の好所も悪所も酸いも甘いも嘗(な)め尽くした上に、ようやく一生面を開いたと言って宜(よろ)しい。



従って、従来経験し尽くした甲の波には衣を脱いだ蛇と同様、未練もなければ残り惜しい心持もしない。



のみならず、新たに移った乙の波に揉まれながら、毫(ごう=少し)も借り着をして世間体を繕っているという感が起こらない。





引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊行


「現代日本の開花」講演本文 16/18

夏目漱石「現代日本の開花」明治44, 8月和歌山講演 VOL,16/18





ところが日本の現代の開花を支配している波は、西洋の潮流で、その波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新しい波が寄せる度に、自分がその中で居候をして気兼ねをしているような気持になる。



新しい波はとにかく、いましがたようやくの想いで脱却した古い波の特質やら、真相やらもわきまえるひまのないうちにもう棄てなければならなくなってしまった。





食膳に向かって、皿の数を味わい尽くすどころか、元来どんな御馳走が出たか、ハッキリと眼に映じないまえに、もう膳を引いて、新しいのを並べられたと同じ事であります。



こういう開花の影響を受ける国民はどこかに空虚の感が無ければなりません。



またどこかに不満と不安の念を抱かなければなりません。それをあたかもこの開花が内発的でもあるかのごとき顔をして、得意である人のあるのは宜しくない。



それはよほどハイカラです、宜しくない。



虚偽である。



軽薄でもある。



自分はまだ煙草を喫っても、さも旨そうな風をしたら生意気でしょう。



それを敢えてしなければ立ち行かない日本人は、随分悲惨な国民といわなければならない。



開花の名は下せないかもしれないが、西洋人と日本人の社交を見てもちょっと気が付くでしょう。



西洋人と光彩をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。



交際しなくても宜いといえばそれまであるが、情けないかな交際しなければいられないのが日本人の現状でありましょう。



而(しか)して強いものと交際すれば、どうしても己を棄てて先方の習慣に従わなければならなくなる。



吾々があの人はフォークの持ちようも知らないとか、ナイフの持ちようも心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、ただ西洋人がわれわれより強いからである。



われわれの方が強ければ、彼方(あっち)に此方(こっち)の真似をさせて、主客の位置を易(か)えるのは、容易のことである。



がそういかないから此方(こっち)で先方の真似をする。



しかも自然天然に発展してきた風俗を急に変えるわけにはいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるよりほかに仕方がない。



自然と内に発酵して醸された礼式でないから、取って付けたようではなはだ見苦しい。



これは開花じゃない、開花の一端とも言えない程の些細(ささい)なことであるが、そういう些細なことにいたるまで、我々の遣っている事は内発的でない、外発的である。



これを一言にして言えば、現代日本の開花は、皮相上滑りの開花であるという事に帰着するのである。



無論一から十まで何から何までとは言わない。



複雑な問題に対して、そう過激の言葉は慎まなければ悪いが、我々の開花の一部分、あるいは大部分は、いくら己惚(うぬぼ)れて見ても上滑りと評するより仕方がない。



しかしそれが悪いからお止(よ)しなさいと言うのでは無い。



事実已(や)むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないというのです。





引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊行

「現代日本の開花」講演本文 17/18



夏目漱石「現代日本の開花」明治44, 8月和歌山講演 VOL,17/18





それでは子供が背(せな)に負われて大人と一緒に歩くような真似をやめて、地道に発展の順序を尽くして進むことは、どうしても出来まいかという相談が出るかも知れない。



そういうご相談が出れば、私は無いことも無いとお答えをする。



が西洋で百年かかってようやく今日に発展した開花を、日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚のそしりを免(まぬか)れるように、誰が見ても内発的であると認めるような推移をやろうとすれば、これまたゆゆ式結果に陥るのであります。



百年の経験を十年で上滑りもせず、やり遂げようとするならば、年限が十分一に縮まるだけわが活力は十倍に増さなければならんのは算術の初歩を心得た者でさえ容易(たやす)く首肯するところである。



これは学問を例にお話をするのが一番早わかりである。



西洋の新しい説などを生噛りにして、法螺を吹くのは論外として、本当に自分が研究を積んで、甲の説から乙の説に移り、また乙から丙に進んで、毫も流行を追うの陋態(ろうたい=恥)無く、またことさらに新奇を衒うの虚栄心無く、全く自然の順序階級を内発的に経て、しかも彼等西洋人が百年もかかってようやく到達し得た分化の極端に、我々が維新後、四五十年の教育の力で達したと仮定する。



体力能力共に吾らよりも旺盛な西洋人が百年の歳月を費やしたものを、いかに先駆の国難を勘定に入れないにした所で、僅かその半ばに足らぬ歳月で、明明知に通過し終えるとしたならば、吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇りうると同時に、一敗また起(た)つ能わざるの神経衰弱にかかって、気息奄々(きそくえんえん)として、今や路傍に呻吟(しんぎん)しつつあるは必然の結果として正(まさ)に起こるべき現象でありましょう。



現に少し落ち着いて考えて見ると、大学の教授を十年間一生懸命にやったら、大抵の者は、神経衰弱に罹りがちじゃないでしょうか。



ピンピンしているのは、皆嘘の学者だと申しては語弊があるが、まあどちらかと云えば、神経衰弱に罹る方が当たり前のように思われます。



学者を例に引いたのは、単に分かり易いためで、理屈は開花のどの方面へも応用が出来る積りです。



すでに開花というものが、いかに進歩しても、案外その開花の賜物として、我々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からイライラしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変わりはなさそうであることは、前お話した通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に依って、吾人の開花が機械的に変化を余儀なくされるために、ただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏ん張るために、神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。







引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊行




「現代日本の開花」講演本文 18/18


夏目漱石「現代日本の開花」明治44, 8月和歌山講演 VOL,18/18





私の結論はそれだけに過ぎない。



ああなさいとか、こうしなければならぬとかいうのではない。



どうすることも出来ない、実に困ったと嘆息するだけで、極めて悲観的の結論であります。



こんな結論にはかえって到達しない方が幸いであったのでしょう。



真というものは、知らないうちは知りたいけれども、知ってからはかえってアア知らない方が宜(よ)かったと思うことが時々あります。



モーパッサンの小説に、ある男が内縁の妻に嫌気がさした所から、置手紙か何かして、妻を置き去りにしたまま、友人の家へ行って隠れていたという話があります。





すると女の方では大変怒ってとうとう男の所在(ありか)を捜し当てて、怒鳴りこみましたので、男は手切れ金を出して、手を切る談判を始めると、女はその金を床(ゆか)の上に叩きつけて、こんなものが欲しくて来たのではない、もし本当にあなたが私を捨てる気ならば、私は死んでしまう、そこにある(三階か四階の)窓から飛び降りて死んでしまうと言った。



男は平気な顔を装って、どうぞといわぬばかりに女を窓の方へ誘う所作をした。



すると女はいきなり駆けて行って、窓から飛び降りた。



死にはしなかったが、生まれも付かぬ不具になってしまいました。



男もこれほど女の赤心(せきしん=真心)が、眼の前へ証拠立てられる以上、普通の軽薄な売女(ばいた)同様の観をなして、女の貞操を今まで疑っていたのを後悔したものと見えて、再び元の夫婦に立ち帰って、病妻の看護に身を委(ゆだ)ねたというのが、モーパッサンの小説の筋ですが、男の疑いも好い加減な程度で留めて置けば、これほどの大事には至らなかったかもしれないが、そうすれば彼の懐疑は、一生徹底的に解ける日は来なかったでしょう。



またここまで押して見れば、女の真心が明らかになるにはなるが、取り返しのつかない残酷な結果に陥った後から回顧して見れば、やっぱり真実懸価(かけね)のない(=大袈裟でない)実相(じっそう=物事の本当の価値ある姿)は分からなくても好いから、女を片輪にさせずにおきたかったでありましょう。





日本の現代開花の真相もこの話と同様で、分からないうちこそ研究もしてみたいが、こう露骨にその性質が分かって見ると、かえって分からない昔の方が幸福であるという気にもなります。





とにかく私の解剖した事が、本当の所だとすれば、我々は日本の将来というものについて、どうしても避寒したくなるのであります。



外国人に対して、乃公(おれ)の国には富士山あるというような馬鹿は今日は余りいわないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。



中々気楽な見方をすれば出来るものだと思います。



ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前(ぜん)申した通り私には名案も何も無い。



ただ出来るだけ神経衰弱に罹(かか)らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うより外に仕方が無い。



苦い真実を臆面(おくめん)無く諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとい一時間たりとも不快の念を与えたのは、重々お詫びを申し上げますが、また私の述べ来った所も、また相当の論拠と応分の思索から出た生真面目の意見であるという点にも、御同情になって、悪い所は大目に見て頂きたいのであります。



《 明治四十四年八月、和歌山において述 》


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,53


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,53

こう云う傲慢な、わがままな根性は、前から彼女にあったのであるか、或いは私が甘やかしすぎた結果なのか、いずれにしても日を経るにしたがってそれがだんだん昂じて来つつあることは明らかでした。

いや、実は昂じて来たのではなく、十五六の時分にはそれを子供らしい愛嬌として見逃していたのが、大きくなってもやまないので、次第に私の手に余るようになったのかも知れません。

どんなにだだを捏ねても、叱言を言えば素直に聴いたものでしたが、もうこの頃では少し気に食わないことがあると、すぐにむうっと膨れ返る。

それでもしくしく泣いたりされればまだ時には私がいかに厳しくしかりつけても涙一滴こぼさないで、小憎らしいほど空とぼけたり、例の鋭い上目を使って、まるで狙いをつける様に一直線に私を見据える。

若し実際に動物電気というものが在るなら、ナオミの目にはきっと多量にそれが含まれているのだろうと、私はいつもそう感じました。

何故ならその眼は女のものとは思われない程、炯々(けいけい)として強く凄まじく、おまけに一種底の知れない深い魅力を湛えているので、グッと一息に睨(ね)められると、折々ぞっとするようなことがあったからです。



■■第七話■■

その時分、私の胸には失望と愛慕と、互いに矛盾した二つのものが交(かわ)る交(が)わる鬩(せめ)ぎ合っていました。


引用書籍
谷崎潤一郎「痴人の愛」
角川文庫刊


次回に続く。





















三国志演義朗読第56回vol,5(ラストvol,9)


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三国志演義朗読第56回vol,5(ラストvol,9)

https://youtu.be/MY3x4fLCh_s

2021年02月15日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,52


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,52

「さあ、ナオミちゃん、この風呂敷に身の周りの物は入れてあるから、これを持って今夜浅草へ帰っておくれ。
就いては、ここに二十圓ある。少ないけれど当座の小遣いに取ってお置き。

いずれ後からキッパリと話はつけるし、荷物は明日にでも送り届けてあげるから。
え?ナオミちゃん、どうしたんだよ、なぜ黙っているんだよ・・・・・・」

そう言われると、きかぬ気のようでもそこは流石に子供でした。
容易ならない私の剣幕にナオミはいささか怯んだ形で、今更後悔した様に殊勝らしく項を垂れ、小さくなってしまうのでした。

「お前も中々強情だけれど、僕にしたって言ったん行と言い出したら、決してそのままにゃ済まさないよ。悪いと思ったら謝まるがよし、それが嫌ならかえっておくれ。・・・・・・さ、どっちにするんだよ、早く極めたらいいじゃないか。謝まるのかい?それとも浅草へ帰るのかい?」

すると彼女は首を振って「いやいや」をします。
「じゃ、帰りたくないのかい?」

「うん」というように、今度は顎で頷いて見せます。
「じゃ、謝まると言うのかい?」

「うん」
と、また同じように頷きます。

「それなら堪忍して上げるから、ちゃんと手を衝いて謝まるがいい」

で、仕方がなしにナオミは机へ両手を衝いて、それでもまだどこか人を馬鹿にしたような風つきをしながら、不精ッたらしく、横っちょを向いてお辞儀をします。


引用書籍
谷崎潤一郎「痴人の愛」
角川文庫刊


次回に続く。






































三国志演義朗読第56回vol,4(ラストvol,9)


(^_-)-☆アスカミチル
お晩です光るハート
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カップ日本茶バースデーケーキ食パンラーメンおにぎり
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三国志演義朗読第56回vol,4(ラストvol,9)

https://youtu.be/hDrVjhCzcOk

2021年02月14日

押絵と旅する男 本文全32章



(^_-)-☆アスカミチル
オッス光るハート
「御来場、ごっつあんです!!」

降順(新しい記事が下にあるスタイルね。(●^o^●)」
一度、最下段頁へスクロール(下がる)してから、
順番にお楽しみくださいねん。

ラーメン食パンお銚子&杯小顔マナーモードジュエリーダイヤキスマーク




「押絵と旅する男」本文32(最終回)紹介!!
 江戸川乱歩作 光文社文庫刊

引 用
底本
【江戸川乱歩全集第五巻】
「押絵と旅する男」
 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊

初出
【新青年】 博文館 昭和4年刊


老人は暗然として押絵の中の老人を見やっていたが、やがて、ふと気が付いた様に、

「アア、飛んだ長話を致しました。併(しか)し、あなたは分かって下さいましたでしょうね。ほかの人達の様に、私を気違いだとは仰いませんでしょうね。アア、それで私も放し甲斐が在ったと申すものですよ。



どれ、兄さんたちもくたびれたでしょう、それに、あなた方を前に置いて、あんな話をしましたので、さぞかし恥ずかしがっておいででしょう。では、今やすませてあげますよ。」



と云いながら、押絵の額を、ソッと黒い風呂敷に包むのであった。その刹那、私の気のせいであったのか、押絵の人形たちの顔が、少し崩れて、一寸恥ずかしそうに、唇の隅で、私に挨拶の微笑を送った様に見えたのである。





老人はそれきり黙り込んでしまった。私も黙っていた。汽車は藍も変わらず、ゴトンゴトンと鈍い音を立てて、闇の中を走っていた。十分ばかりそうしていると、車輪の音がのろくなって、窓の外にチラチラと、二つ三つの燈火(あじかり)が見え、汽車は、どことも知れぬ山間の小駅に停車した。



駅員がたった一人、ぽっつりと、プラットフォームに立っているのが見えた。

「ではお先へ、私は一晩ここの親戚へ泊まりますので。」



老人は額の包みを抱えてヒョイと立上り、そんな挨拶を遺して、車の外へ出て行ったが、窓から見ていると、細長い老人の後姿は(それが何と押絵の老人そのままの姿であったが)簡略な柵の所で、駅員に切符を渡したかと見ると、そのまま、背後の闇の中へ溶け込む様に消えて行ったのである。





                                        以 上


「押絵と旅する男」本文31紹介
2020.02.15 Saturday14:55
「押絵と旅する男」本文 紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



引 用

底本

【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊







その後、父は東京の商売をたたみ、富山近くの故郷へ引っ込みましたので、それにつれて、私もずっとそこへ住んでおりますが、あれからもう三十年の余りになりますので、久々で兄にも変わった東京が見せてやりたいと思いましてね、こうして兄と一緒に旅をしているわけでございますよ。



ところが、あなた、悲しいことには、娘の方は、いくら生きているとはいえ、元々人の拵(こしら)えたものですから、年を取るということが在りませんけれど、兄の方は、押絵になっても、それは無理矢理に形を変えたまでで、根が寿命のある人間の事ですから、私たちと同じように年を取って参ります。





御覧くださいまし、二十五歳の美少年で在った兄が、もうあの様に白髪になって、顔には醜い皺が寄ってしまいました。



兄の身にとっては、どんなにか悲しいことでございましょう。相手の娘はいつまでも若くて美しいのに、自分ばかりが汚く老け込んで行くのですもの。恐ろしいことです。



兄は悲しげな顔をしております。数年以前から、いつもあんな苦しそうな顔をしております。それを思うと、私は兄が気の毒でしようがないのでございますよ。」









                                     以 上








         

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「押絵と旅する男」本文30紹介
2020.02.15 Saturday14:55
「押絵と旅する男」本文 紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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底本

【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊







「あの人たちは、人間は押絵なんぞになるものじゃないとおもいこんでいたのですよ。

でも、押絵になった証拠にハ、その後兄の姿が、ふっつりと、この世から見えなくなってしまったじゃありませんか。



それをも、あの人たちは、家出したのだ何ぞと、まるで見当違いな当て推量をしているのですよ。おかしいですね。結局、私は何と云われても構わず、母にお金をねだって、とうとうその覗き絵を手に入れ、それを持って、箱根から鎌倉の方へ旅をしました。それはね、兄に新婚旅行が射せてやりたかったからですよ。



こうして汽車に乗っておりますと、その時の事を思い出してなりません。やっぱり、今日の様に、近衛を窓に立てかけて、兄や兄の恋人に、外の景色を見せてやったのですからね。



兄はどんなにか幸せでございましたろう。娘の方でも、兄のこれほどの真心を、どうしていやの思いましょう。二人は本当の新婚者の様に、恥ずかしそうに顔を赤らめながら、お互いの肌と肌とを触れ合って、さもむつまじく、尽きぬ睦言を語り合った者でございますよ。





                                以 上






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「押絵と旅する男」本文29紹介
2020.02.15 Saturday14:54
「押絵と旅する男」本文29紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊







ところが、長い間探し疲れて、喪との覗き屋の前へ戻って参った時でした。

私はハタとあることに気が付いたのです。と申すのは、兄は押絵の娘に恋い焦がれた余り、魔性の遠眼鏡の力を借りて、自分の身体を押絵の娘と同じくらいの大きさに縮めて、ソッと押絵の世界へ忍び込んだのではあるまいかということでした。



そこで、私はまだ店を片付けないでいた覗き屋に頼みまして、吉祥寺の場を見せて貰いましたが、なんとあなた、案の定、兄は押絵になって、カンテラの光の中で、吉三(きちざ)の代わりに、嬉しそうな顔をして、お七を抱きしめていたではありませんか。



でもね、私は悲しいとは思いませんで、そうして本望を達した、兄の幸せが、涙の出るほどうれしかったものですよ。

私はその絵をどんなに高くてもよいから、必ず私に譲ってくれと、覗き屋に堅い約束をして、(妙なことに、小姓の吉三の代わりに洋服姿の兄が坐っているのを、覗き屋は少しも気がつかない様子でした。)



家へ飛んで帰って、一部始終を母に告げました所、父も母も、何を云うのだ。お前は気が違ったのじゃないかと申して、何といっても取り上げてくれません。おかしいじゃありませんか。ハハハハハハ。」



老人は、そこで、さもさも滑稽だと言わぬばかりに笑い出した。そして、変なことには、私もまた、老人に同感して、一緒になって、ゲラゲラとわらったのである。







                                          以 上





   

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「押絵と旅する男」本文28紹介
2020.02.15 Saturday14:54
「押絵と旅する男」本文28紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊









逆さに覗くのですから、二三間向うに立っている兄の姿が、二尺くらいに小さくなって、小さいだけに、ハッキリと、闇の中に浮き出して見えるのです。



外の景色は何も映らないで、小さくなった兄の洋服姿だけが、鏡の真ん中に、チンと立っているのです。それが、多分兄が後じさりに歩いて行ったのでしょう。見る見る小さくなって、とうとう一尺位の、人形くらいの可愛い姿になってしまいました。



そして、その姿が、ツーッと宙に浮いたかと見ると、アッと思う間に、闇の中へ溶け込んでしまったのでございます。



私は怖くなって、(こんなことを申すと、年甲斐もないと思召しましょうが、その時は、本当にゾッと、怖さが身に沁みたものですよ。)いきなり眼鏡を外して、「兄さん」と呼んで、兄のみえなくなった方へ走り出しました。



ですが、どうしたわけか、いくら探しても探しても、兄の姿が見えません。時間から申しても、遠くへ行ったはずはないのに、どこを訪ねてもわかりません。なんと、あなた、こうして私の兄は、それっきり、この世から姿を消してしまったのでございますよ・・・・・・それ以来というもの、私は一層遠眼鏡という魔性の器械を恐れる様になりました。



殊にも、このどこの国の船長ともわからぬ、異人の持ち物であった遠眼鏡が、特別嫌でして、外の眼鏡は知らず、この眼鏡だけは、どんなことがあっても、逆さに見てはならぬ。逆さに覗くと凶事が起こると、固く信じているのでございます。あなたがさっき、これを逆さにお持ち為すった時、私が慌ててお止め申したわけが、お分かりでございましょう。





                             以 上







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「押絵と旅する男」本文27紹介
2020.02.15 Saturday14:53
「押絵と旅する男」本文27紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





そして、耳の底にドロドロと太鼓の鳴っているような音が聞こえているのですよ。その中で、兄は、じっと遠くの方を見据えて、いつまでもいちまでも、ったち尽くして居りました。その間が、たっぷり一時間は在った様に思われます。



もうすっかり暮れ切って、遠くの玉乗りの花瓦斯が、チロチロと美しく輝きだした時分に、兄はハッと目が覚めたように、突然私の腕をつかんで、



『アア、良いことを思い付いた。お前、お頼みだから、この遠眼鏡を逆さにして、大きなガラス玉の方を目に当てて、そこから私を見ておくれでないか。』



と、変なことを云いだしました。

『何故です。』

って尋ねても、

『まあいいから、そうしてお呉れな。』

と申して聞かないのでございます。



一体私は生まれつき眼鏡類を、余り好みませんので、遠眼鏡にしろ、顕微鏡にしろ、遠い所の物が、目の前へ飛びついて来たり、小さな虫けらが、けだものみたいに大きくなる、お化けじみた作用が薄気味悪いのですよ。



で、兄の秘蔵の遠眼鏡も、余り覗いたことが無く、覗いたことが少ないだけに、余計それが魔性の器械に思われたものです。

しかも日が暮れて、人顔もさだかに見えぬ、うすら寂しい観音堂の裏で、遠眼鏡をさかさにして、兄を覗くなんて、吉外じみても居ますれば、薄気味悪くもありましたが、兄が立って頼むものですから、仕方なく云われた通りにして覗いたのですよ。





                                       

                                        以 上


































         
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「押絵と旅する男」本文26紹介
2020.02.14 Friday12:49
「押絵と旅する男」本文 紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





アア、あの

『膝でつっらついて、目で知らせ』

という変な節回しが、耳についているようでございます。覗き絵の人物は押絵になっておりましたが、その道の名人の作であったのでしょうね。



お七の顔の生き生きとして綺麗であったこと。私の目にさえ本当に生きているように見えたのですから、兄があんなことを申したのも、全く無理はありません。



兄が申しますには、

『仮令(たとい)この娘さんが、拵えものの押絵だとわかっても、私はどうもあきらめられない。

悲しいことだがあきらめられない。たった一度でいい、私もあの吉三(きちざ)の様な、押絵の中の男になって、この娘さんと話がしてみたい。』



と云って、ぼんやりと、そこに突っ立ったまま、動こうともしないのでございます。

考えて見ますとその覗きからくりの絵が、光線を取るために上の方が開けてあるので、それが斜めに十二階の頂上からも見えた者に違いありません。



その時分には、もう日が暮れかけて、一足もまばらになり、覗きの前にも、ニ三人のおかっぱの子が、未練らしく立ち去り兼ねて、うろうろしているばかりでした。昼間からどんより曇っていたのが、日暮れには、今にも一雨来そうに、雲が下って来て、一層抑えつけられるような、気でも狂うのじゃないかと思う様な、いやな天候になって居りました。



                                     

                                        以 上










































         
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「押絵と旅する男」本文25紹介
2020.02.14 Friday12:47
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 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





兄の気の迷いだとは思いましたが、しおれかえっている様子が、あまり気の毒だものですから、気休めに、その辺の掛茶屋などを尋ね回ってみましたけれども、そんな娘さんの影も形もありません。



探している間に、兄と別れ別れになってしまいましたが、掛茶屋を一巡して、暫くたって元の松の木の下へ戻って参りますとね、そこには色々な露天に並んで、一軒の覗きからくり屋が、ピシャンピシャンと鞭の音を立てて、商売をして居りましたが、見ますと、その覗きの眼鏡を、兄が中腰になって、一生懸命覗いていたじゃございませんか。



『兄さん何をしていらっしゃる』

と云って、肩を叩きますと、ビックリして振り向きましたが、その時の兄の顔を、私は今だに忘れることが出来ませんよ。



何と申せばよろしいか、夢を見ているようなとでも申しますか、顔の筋がたるんでしまって、遠い所を見ている目つきになって、私に話す声さえも、変にうつろに聞こえたのでございます。



そして、

『お前、私たちが探していた娘さんはこの中にいるよ。』

と申すのです。



そう云われたものですから、私は急いでおあしを払って、覗きの眼鏡を覗いて見ますと、それは八百屋お七の覗きからくりでした。丁度吉祥寺の書院で、お七が吉三(きちざ)にしなだれかかっている絵が出て居りました。忘れもしません。



からくり屋の夫婦者は、しわがれ声を合せて、鞭で拍子を取りながら、

『膝でつっらついて、目で知らせ』

と申す文句を歌っている所でした。

                     以 上



    








         
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「押絵と旅する男」本文24紹介
2020.02.14 Friday12:45
「押絵と旅する男」本文 紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊







お話したのでは分かりますまいが、本当に絵の様で、又何かの前兆の様で、私は何とも云えない怪しい気持ちになったものでした。



何であろうと、急いで下を覗いて見ますと、どうかしたはずみで、風船やが粗相をして、ゴム風船を、一度に空へ飛ばしたものと分かりましたが、その時分は、ゴム風船そのものが、今よりはずっと珍しゅござんしたから正体が分かっても、私はまだ妙な気持ちがして居ったものですよ。



妙なもので、それがきっかけになったと云う訳でもありますまいが、ちょうどその時、兄は非常に興奮した様子で、青白い顔をポッと赤らめ、息をはずませて、私の方へやって参り、いきなり私の手をとって、



『さあ行こう。早く行かぬと間に合わぬ。』

と申して、グングン私を引っ張るのでございます。



引っ張られて、塔の石段を駆け下りながら、訳を尋ねますと、いつかの娘さんがみつかったらしいので、青畳を布いた広い座敷に座っていたから、これから行っても大丈夫元の所にいると申すのでございます。



兄が見当をつけた場所と云うのは、観音堂の裏手の、大きな松の木が目印で、そこに広い座敷が在ったと申すのですが、さて、二人で其処へ行って、探して見ましても、松の木はちゃんとありますけれど、その近所にハ、家らしい家もなく、まるで狐につままれたような案配なのですよ。





                                      以 上
















































         
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「押絵と旅する男」本文23紹介
2020.02.14 Friday12:44
「押絵と旅する男」本文23紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





云うまでもなく、兄はそんなご飯もろくろく食べられない様な、衰えた体を引き摺って、又その娘が観音様の境内を通りかかることもあろうかと空頼みから、毎日毎日、勤めの様に、十二階に昇っては、眼鏡を覗いていたわけでございます。

恋というものは、不思議なものでございますね。



兄は私に打ち明けてしまうと、又熱病闇の様に眼鏡を覗き始めましたっけが、私は兄の気持ちにすっかり同情いたしましてね、千に一つも希の無い、ムダな探しものですけれど、およしなさいと留め立てする気も起こらず、餘の事に涙ぐんで、兄の後姿をじっと眺めていたものですよ。



するとその時・・・・・・

ア、私はあの怪しくも美しかった光景を、忘れることが出来ません。三十年以上も昔の事ですけれど、こうして目を塞ぎますと、その夢の様な色取りが、まざまざと浮かんでくるほどでございます。



殺気も申しました通り、兄の後ろに立っていますと、見えるものは、空ばかりで、モヤモヤとした、群雲の中に、兄のほっそりとした洋服姿が、絵のように浮き上がって、群雲の方で動いているのを、兄の体が宙に漂うかと見誤るばかりでございました。



がそこへ、突然、花火でも打ち上げたように、白っぽい大空の中を、赤や青や紫の無数の玉が、先を争って、フワリフワリと昇って行ったのでございます。





                            以 上





































         
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「押絵と旅する男」本文22紹介
2020.02.14 Friday12:42
「押絵と旅する男」本文22紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





仲々打ち明けませんでしたが、私が繰り返し繰り返し頼むものですから、兄も根負けをしたとみえまして、とうとう一か月来の胸の内を私に話してくれました。



ところが、その兄の煩悶の原因と申すものが、これがまた誠に変てこれんな事柄だったのでございますよ。

兄が申しますには、一月ばかり前に、十二階へ昇りまして、この遠眼鏡で観音様の境内を眺めて居りました時、日とゴミの間に、チラッと、一人の娘の顔を見たのだそうでございます。



その娘がそれはもう何とも云えない、この世のものとも思えない、美しい人で、日頃女には冷淡で在った兄も、その遠眼鏡の中の娘だけには、ゾッと寒けがしたほども、すっかり心を惑わされてしまったと申しますよ。



その時兄は、一目見ただけで、びっくりして、遠眼鏡を外してしまったものですから、もう一度見ようと思って、同じ見当を夢中になって探した相ですが、どうしてもその娘の顔にぶっつかりません。



遠眼鏡では近くは見えても実際は遠方の事ですし、沢山の人ごみの中ですから、一度見えたからと云って、二度目に探し出せると決まったものではございませんからね。



それからと申すもの、兄はこの眼鏡の中の美しい娘が忘れられず、極々内気な人でしたから、古風な恋煩いを始めたのでございます。



今のお人はお笑いなさるかもしれませんが、その頃の人間は、誠におっとりしたものでして、生きずりに一目見た女を恋して、わずらいついた男なども多かった時代でございますからね。

 





                               以 上































         
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「押絵と旅する男」本文21紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.13 Thursday10:17
「押絵と旅する男」本文21紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





頂上には、十人余りの見物が一塊になっておっかな相な顔をして、ボソボソ小声で囁きながら、品川の海の方を眺めて居りましたが、兄はと見ると、それとは離れた場所に、一人ぼっちで、遠眼鏡を目に当てて、しきりと浅草の境内を眺めまわして居りました。



それを後ろから見ますと、白っぽくどんよりどんよりした雲ばかりの中に、兄の天鵞絨の洋服姿が、くっきりと浮かび上がって、下の方のゴチャゴチャしたものが何も見えぬものですから、兄だということは分かっておりましても、何だか西洋の油絵の中の人物みたいな気持がして、神々しい様で、言葉をかけるのもはばかられたほどでございましたっけ。



でも、母の言いつけを思い出しますと、そうもしていられませんので、私は兄の後ろに近づいて、

『兄さん何をみていらっしゃいます。』

と声をかけたのでございます。



兄はビクッとして、振り向きましたが、気まずい顔をして何も言いません。

私は、

『兄さんの此の頃のご様子には、御父さんも御母さんも大変心配して、いらっしゃいます。

毎日毎日どこへお出かけなさるのかと、不思議に思っておりましたら、兄さんはこんな所へ来ていらしったのでございますね。



どうかその訳を云って下しまし。日頃仲良しの私だけでも打ち明けてくださいまし。』

と、近くに人の居ないのを幸いに、その塔の上で、兄をかき口説いたものですよ。





                                       以 上




















































         
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「押絵と旅する男」本文20紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.13 Thursday10:16
「押絵と旅する男」本文20紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

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【新青年】 博文館 昭和4年刊







それに日清戦争の当時ですから、その頃は珍しかった、戦争の油絵が、一方の壁にずっと懸け並べてあります。まるで狼みたいな、おっそろしい顔をして、吠えながら、突貫している日本兵や、剣付鉄砲に脇腹をえぐられ、吹き出す血のりを両手で押さえて、顔や唇を紫色にしてもがいている支那兵、ちょんぎられた辮髪の頭が、風船玉のように空高く飛び上がっている所や、何とも言えない毒々しい、血みどろの油絵が、窓からの薄暗い光線で、テラテラと光っているのでございますよ。



その間を、陰気な石の段々が、蝸牛の殻みたいに、上へ上へと際限もなく続いて居ります。

本当に変てこれんな気持ちでしたよ。



頂上は八角形の欄干丈(だ)けで、壁のない、見晴らしの廊下になっていましてね、そこへたどりつくと、俄かにパッと明るくなって、今までの薄暗い道中が長うござんした丈けに、びっくりしてしまいます。



雲が手の届きそうな低い所に在って、見渡すと、東京中の屋根がごみみたいに、ゴチャゴチャしていて、品川のお台場が、盆席のように見えて居ります。



目まいがしそうなのを我慢して、下を覗きますと、観音様の御堂だってずっと低い所に在りますし、小屋掛けの見世物が、おもちゃの様で、歩いている人間が、頭と足ばかりに見えるのです。





                              以 上







































         
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「押絵と旅する男」本文19紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.13 Thursday10:15
「押絵と旅する男」本文19紹介

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「押絵と旅する男」

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【新青年】 博文館 昭和4年刊





よござんすか。しますとね。兄は上野行きの馬車鉄道を待ちあわせてひょいとそれに乗り込んでしまったのです。当今の電車と違って、次の車に乗って後を付けると云う訳には行きません。



何しろ車台が少のうござんすからね。私は仕方がないので母親にもらったお小遣いを奮発して、人力車に乗りました。



人力車だって、少し威勢のいい挽き子なれば馬車鉄道を見失わない様に、あとをつけるなんぞ、訳なかったもんでございますよ。



兄が馬車鉄道を降りると、私も人力車を降りて、又テクテクと跡を付ける。そうして、行きついたところが、何と浅草の観音様じゃございませんか。



兄は仲店から、お堂の前を素通りして、お堂裏の見世物小屋の間を、人並みをかき分けるようにして、さっき申し上げた十二階の前まで来ますと、石の門を入って、お金を払って「凌雲閣」という額の上った入り口から、塔の中へすがたを消したじゃあございませんか。



まさか兄がこんなところへ、毎日毎日通っていようとは、夢にも存じませんので、私は呆れてしまいましたよ。子供心にね、私はその時まだ二十にもなってませんでしたので、兄はこの十二階の化け物に魅入られたんじゃないかなんて、変なことを考えたものですよ。



私は十二階へは、父親に連れられて、一度昇ったったきりで、その後逝ったことはありませんので、なんだか気味が悪いように思いましたが、兄が昇って行くものですから、仕方がないので、私も、一回くらい遅れて、あの薄暗い石の段々を昇って行きました。



窓も大きくございませんし、煉瓦の壁が厚うござんすので、穴倉のように冷え冷えと致しましてね。







                          以 上


























































         
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「押絵と旅する男」本文18紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.13 Thursday10:15
「押絵と旅する男」本文18紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





どんな風かと申しますと、兄はご飯もろくろく食べないで、家内の者とも口を利かず、考え事ばかりしている。体はやせてしまい、顔は肺病やみの様に土気色で、目ばかりギョロギョロさせている。



もっとも普段から顔色のいい方じゃあござんせんでしたがね。それが一倍青ざめて、沈んでいるのですから、本当に気の毒なさまでした。



その癖ね、そんなでいて、毎日欠かさず、まるで勤めにでも出る様に、おひるッから、日暮れ時分まで、フラフラとどっかへ出かけるんです。



どこへ行くのかって聞いてみても、、ちっとも云いません。母親が心配して、兄の塞(ふさ)いでいる訳を、手を変え品を変え尋ねても、少しも打ち明けません。そんなことが一か月も続いたのですよ。



あんまり心配なものだから、私はある日、兄が一体どこへ出かけるのかと、ソッとあとをつけました。そうするように母親が私に頼むもんですからね。



兄はその日も、ちょうど今日の様などんよりとした、厭な比でござんしたが、お昼過ぎから、そのころ兄の工夫で仕立てさせた、当時としては飛び切りハイカラな、黒天鵞絨(くろびろーど)の洋服を着ましてね、この遠眼鏡を肩から下げ、ヒョロヒョロと、日本橋通りの馬車鉄道の方へ歩いて行くのです。



私は兄に気取られぬ様に、付いて行ったわけですよ。





                             以 上












































         
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「押絵と旅する男」本文17紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.13 Thursday10:14
「押絵と旅する男」本文17紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



引 用

底本

【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊





だが、不思議なことに、私はそれを少しもおかしいとは感じなかった。

私たちはその瞬間、自然の法則を超越した、我々の世界とどこかで食い違っている処の、別の世界に住んでいたらしいのである。



「あなたは十二階へおのぼりなさったことがおありですか。アア、おありなさらない。それは残念ですね。あれはいったいどこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない、変てこれんな代物でございましたよ。



表面はイタリーの技師バルトンと申すものが設計したことになっていましたがね。まあ考えて御覧なさい。その頃の浅草公園と云えば、名物が蜘蛛男の見世物、娘剣舞に、玉乗り、源水の独楽回しに、覗きからくりなどで、精々変わった所が、お富士様の作り物に、メーズと云って、八陣隠れ杉の見世物位でございましたからね。



そこへあなた、ニョキニョキと、まあ飛んでもない高い煉瓦造りの塔が出来ちまったんですから、おどろくじゃござんせんか。



高さが四十六間と申しますから、半町の余りで、八角形の頂上が、唐人の帽子みたいに、とんがっていて、ちょっと高台へ昇りさえすれば、東京中どこからでも、その赤いお化けが見られたものです。



今も申す通り、明治二十八年の春、兄がこの遠眼鏡を手に入れて間もない頃でした。兄の身に妙なことが起こって参りました。親父何ぞ、兄め気でも違うのじゃないかって、ひどく心配しておりましたが、私もね、お察しでしょうが、馬鹿に兄思いでしてね、兄の変てこれんなそぶりが、心配で心配でたまらなかったものです。





                                        以 上
































         
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「押絵と旅する男」本文16紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.12 Wednesday10:48
「押絵と旅する男」本文16紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



引 用

底本

【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊





「是非伺いたいものですね。」

私は、普通の生きた人間の身の上話を出も催促するように、獄何でもない事の様に、老人をうながしたのである。



すると、老人は顔の皺を、さも嬉しそうに歪めて、

「アア、あなたは、やっぱり聴いて下さいますね。」

と云いながら、さて、次のような世にも不思議な物語を始めたのであった。



「それはもう、一生涯の大事件ですから、よく記憶しておりますが、明治二十八年の四月の、兄があんなに(と云って彼は押絵の老人を指さした)なりましたのが、二十七日の夕方のことでござりました。



当時、私も兄も、まだ部屋住みで、住まいは日本橋通三丁目でして、親父が呉服商を営んで居りましたがね。何でも浅草の十二回が出来て、間もなくの事でございましたよ。だもんですから、兄なんぞは、毎日のようにあの凌雲閣(りょううんかく)へ登って喜んでいたものです。



と申しますのが、兄は妙に異国物が好きで、新しがり屋でござんしたからね。この遠眼鏡にしろ、やっぱりそれで、兄が外国船の船長の持ち物だったという奴を、横浜の支那人町の、変てこな道具屋の店先で、めっけて来ましてね。



当時にしちゃア、随分高いお金を払ったと申して居りましたっけ。」

老人は「兄が」と云うたびに、まるでそこにその人が坐ってでもいる様に、押絵の老人の方に目をやったり、指さしたりした。

老人は彼の記憶に在る本当の兄と、その白髪の老人とを、混同して、押絵が生きて彼の話を聞いてでもいるような、すぐ側に第三者を意識したような話し方をした。





                                           

                                         以 上











(^_^メ)アスカね📯📯📯📯📯

















         
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「押絵と旅する男」本文15紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.12 Wednesday10:47
「押絵と旅する男」本文15紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊







「私の頭が、どうかしている様です。いやに蒸しますね。」

私は照れ隠しみたいな挨拶をした。すると老人は、猫背になって、顔をぐっと私の方へ近寄せ、膝の上で細長い指を合図でもする様に、ヘラヘラと動かしながら、低い低いささやき越えになって、



「あれらは生きて居りましたろう。」

と云った。そして、さも一大事を打ち明けると云った調子で、一層猫背になって、ギラギラした目を真ん丸に見開いて、私の顔を穴のあくほど見詰めながら、こんなことをささやくのであった。



「あなたは、あれらの、本当の身の上話を聞きたいとは思召しませんかね。」

私は汽車の動揺と、車輪の響きのために、老人の低い、つぶやくような声を、聴き間違えたのではないかと思った。

「身の上話と仰いましたか。」



「身の上話でございますよ。」

老人はやっぱり低い声で答えた。

「殊に、一方の、白髪の老人の身の上話を出ございますよ。」

「若い時分からのですか。」



私も、その晩は、何故か妙に調子はずれな物の云い方をした。

「ハイ、あれが二十五歳の時のお話でございますよ。」





                                     以 上










































         
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「押絵と旅する男」本文14紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.12 Wednesday10:47
「押絵と旅する男」本文14紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊





私は一通り、女の全身を、双眼鏡の先で、嘗めまわしてから、その娘がしなだれかかっている、幸せな白髪男の方へ眼鏡を転じた。



老人も双眼鏡の中で生きていたことは同じであったが、見た所四十ほども年の違う、若い女の肩に手を回して、さも幸福そうな形で在りながら、妙なことには、レンズ一杯の大きさに写った、彼の皺の多い顔が、その何百本の皺の底で、いぶかしく苦悶の相を現わしているのである。



それは、老人の顔がレンズのために眼前一尺の近さに、異様に大きく迫っていたからでもあったであろうが、見詰めていればいる程、ゾッと怖くなるような、悲痛と恐怖との混じり合った一種異様の表情で在った。



それを見ると、私はうなされたような気分になって、双眼鏡をのぞいていることが、耐えがたく感じられたので、思わず、目を離して、キョロキョロと辺りを見回した。



すると、それはやっぱり寂しい夜の汽車の中であって、押絵の額も、それをささげた老人の姿も、もとのままで、窓の外は真っ暗だし、単調な車輪の響きも、変わりなく聞こえていた。悪夢から覚めた気持であった。



「あなた様は、不思議そうな顔をしておいでなさいますね。」

老人は額を、元の窓の所へ立てかけて、席に着くと、私にもその向こう側に座るように、手真似をしながら、私の顔を見詰めて、こんなことを云った。







                                         以 上
























         
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「押絵と旅する男」本文13紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.12 Wednesday10:46
「押絵と旅する男」本文13紹介

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「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊







蜑(あま)の裸身(はだかみ)が、底の方に或る時は、青い水の層の複雑な動揺のため、に、その身体が、まるで海藻の様に、不自然にクネクネと曲がり、輪郭もぼやけて、白っぽいお化けみたいに見えているが、それが、つうッと浮き上がって来るにしたがって、水の層の青さが段々に薄くなり、形がハッキリして来て、ポッカリと水上に首を出すと、その瞬間、ハッと目が覚めたように、水中の白いお化けが、忽ち人間の正体を現すのである。



丁度それと同じで、押絵の娘は、双眼鏡の中で、私の前に姿を現し、実物大の、一人の生きた娘として、蠢(うごめ)き始めたのである。十九世紀の古風なプリズム双眼鏡の玉の向う側には、全く私たちの思いも及ばぬ世界があって、そこに結綿(ゆいわた)の色娘と、古風な洋服の白髪男とが、奇怪な生活を営んでいる。



覗いては悪いものを、私は今魔法使いに覗かされているのだ。と云った様な形容のできない変てこな気持ちで、しかし私は憑(つ)かれた様にその不可思議な世界に見入ってしまった。



娘は動いていたわけではないが、その全身の感じが、肉眼で見た時とは、ガラリと変わって、生気に満ち、青白い顔が矢や桃色に上記氏、胸は脈打ち(実際私は心臓の鼓動さえ聞いた。)肉体からは縮緬(ちりめん)の衣裳を通して、むしむしと、若い女の生気が蒸発しているように思われた。







                                           以 上


























         
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「押絵と旅する男」本文12紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.11 Tuesday10:14


「押絵と旅する男」本文12紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





私は珍しさに、暫くその双眼鏡をひねくり廻していたが、やがて、それを覗くために、両手で目の前に持って行った時である。



突然、実に突然、老人が悲鳴に近い叫び声を立てたので、私は危うく眼鏡を取り落とす所であった。

「いけません。いけません。それはさかさですよ。さかさにのぞいてはいけません。いけません。」



老人は、真っ青になって、目を真ん丸に見開いて、しきりと手を振っていた。双眼鏡を逆に覗くことが、何故それほど大変なのか、私は老人の異様な挙動を理解することが出来なかった。



「成る程、成る程、さかさでしたっけ。」

私は双眼鏡をのぞくことに気を取られていたので、この老人の不審な表情を、さして気にも留めず、眼鏡を正しい方向に持ち直すと、急いでそれを目に当てて押絵の人物を覗いたのである。



焦点が合って行くにしたがって、二つの円形の視野が、徐々に一つに重なり、ボンヤリとした虹の様なものが、段々ハッキリして来ると、びっくりするほど大きな娘の胸から上が、それが全世界ででもあるように、私の眼界一杯に広がった。



あんなふうな物の現れ方を、私は後にも先にも見た事が無いので、読む人に分からせるのが難儀なのだが、それに近い感じを思い出してみると、たとえば、船の上から、海に潜った蜑(あま)の、ある瞬間の姿に似ていたとでも形容すべきであろうか。





                                      以  上
















































         
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「押絵と旅する男」本文11紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.11 Tuesday10:13
「押絵と旅する男」本文11紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊





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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





私の表情に驚きの色を見て取ったからか、老人は、いと頼もし気な口調で、殆ど叫ぶように、

「アア、あなたは分かって下さるかもしれません。」



と云いながら、肩から下げていた、黒川のケースを、丁寧に鍵で開いて、その中から、いとも古風な双眼鏡を取り出してそれを私の方へ差し出すのであった。



「コレ、この遠眼鏡で一度ご覧くださいませ。イエ、そこからでは近すぎます。

失礼ですが、もう少しあちらの方から。左様丁度その辺がようございましょう。」



誠に異様な頼みではあったけれど、私は限りなく好奇心のとりことなって、老人の云うがままに、席を立って額から五六歩遠ざかった。



老人は私の見やすいように、両手で額を持って、電燈にかざしてくれた。今から思うと、実に変てこな、気違いめいた光景に相違なかったのである。



遠眼鏡と云うのは、恐らくニ三十年も以前の舶来品であろうか、私たちが子供の時分、良くメガネ屋の看板で見かけたような、異様な形のプリズム双眼鏡であったが、それが手擦れの為に、黒い覆皮がはげて、所々真鍮の生地が現われているという、持ち主の洋服と同様に、いかにも古風な、物懐かしい品物で在った。





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「押絵と旅する男」本文10紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.11 Tuesday10:12
「押絵と旅する男」本文10紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊





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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





洋服には正しい縫い目があり、適当な場所に粟粒程の釦(ぼたん)までつけてあるし、娘の乳のふくらみと云い、腿のあたりの艶(なま)めいた曲線と云い、こぼれた緋縮緬(ひちりめん)、チラと見える肌の色、指には貝殻の様な爪が生えていた。



虫眼鏡で覗いて見たら、毛穴や産毛までちゃんと拵(こしら)えてあるのではないかと思われたほどである。



私は押絵と云えば、羽子板の役者の似顔の細工しかみたことが無かったが、そして、羽子板の細工にも、随分精巧なものもあるのだけれど、この押絵は、そんなものとは、まるで比較にもならぬほど、巧緻(こうち)を極めていたのである。



恐らくその道の名人の手になったものであろうか。だが、それが私の所謂(いわゆる)「奇妙」な点ではなかった。



額全体が余程古いものらしく、背景の泥絵具は所々剥げ落ちていたし、娘の緋鹿の子も、老人の天鵞絨(びろうど)も、見る影もなく色あせていたけれど、剥げ落ち色あせたなりに、名状しがたき毒々しさを保ち、ギラギラと、見る者の眼底に焼き付くような生気を持っていたことも、不思議と云えば不思議であった。だが、私の「奇妙」という意味はそれでもない。



それは、強いて云うならば、押絵の人物が二つとも、生きていたことである。



文楽の人形芝居で、一日の演技の内に、たった一度か二度、それもほんの一瞬間、名人の使っている人形が、ふと神の息吹をかけられでもしたように、本当に生きていることが在るものだが、この押絵の人物は、その生きた瞬間の人形を、命の逃げ出す隙を与えず、咄嗟(とっさ)の間に、そのまま板に張り付けたという感じで、永遠に生きながらえているかと見えたのである。







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「押絵と旅する男」本文9紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.11 Tuesday10:11


「押絵と旅する男」本文9紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊







左手の前方には、墨黒々と不細工な書院風の窓が描かれ、同じ色の文机が、その傍に角度を無視した描き方で据えてあった。

それらの背景は、あの絵馬札の絵の独特な画風に似ていたと云えば、良く分かるであろう



その背景の中に、一尺位の丈の二人の人物が浮き出していた。浮き出していたと云うのは、その人物だけが押絵細工で出来ていたからである。



黒天鵞絨(くろびろうど)の古風な洋服を着た白髪の老人が、窮屈そうに坐っていると、(不思議なことには、その容貌が、髪の色を除くと、額の持ち主の老人にそのままなばかりか、着ている洋服の仕立て方までそっくりであった。)緋鹿の子の振り袖に、黒繻子の帯の映りの良い十七ハの、水のたれる様な結綿の美少女が、何とも言えぬ嬌愁を含んで、その老人の洋服の膝にしなだれかかっている、謂わば芝居の濡れ場に類する画面で在った。



洋服の老人と色娘の対照と、甚だ異様であったことは云うまでもないが、だが私が「奇妙」に感じたというのはその事ではない。

背景の粗雑に引き換えて、押絵の細工の精巧なことは驚くばかりであった。



顔の部分は、白絹は凹凸(おうとつ)を作って、細い皺まで一つ一つ現わしてあったし、娘の髪は、本当の毛髪を一本一本植え付けて、人間の髪を結うように結ってあり、老人の頭は、これも多分本物の白髪を、丹念に植えたものに相違なかった。





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「押絵と旅する男」本文8紹介江戸川乱歩作 光文社文庫刊
2020.02.10 Monday20:14
「押絵と旅する男」本文8紹介

 江戸川乱歩作 光文社文庫刊





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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊







「これが御覧になりたいのでございましょう。」

私が黙っているので、彼はもう一度同じことを繰り返した。



「見せて下さいますか。」

私は相手の調子に引き込まれて、つい変なことを云ってしまった。

私は決してその荷物を見たい為に席を立ったわけではなかったのだけれど。



「喜んでお見せいたしますよ。わたくしは、さっきから考えていたのでございますよ。あなたはきっとこれを見にお出でなさるだろうとね。」



男は―――寧(むし)ろ老人と云った方がふさわしいのだが―――そう云いながら、長い指で、起用に大風呂敷をほどいて、その額みたいなものを、今度は表を向けて、窓の方へ立てかけたのである。



私は一目チラッと、その表面を見ると、思わず目を閉じた。何故であったか、その理由は今でも分からないのだが、何となくそうしなければならない感じがして、数秒の間目を塞いでいた。



再び目をあいた時、私の前に、嘗て見た事の無いような、奇妙なものが在った。と云って、私はその「奇妙」な点をハッキリと説明する言葉を持たぬのだが。



額には歌舞伎芝居の御殿の背景みたいに、いくつもの部屋を打ち抜いて、極度の遠近法で、青畳と格子天井が遥か向うの方まで続いているような光景が、藍を主とした泥絵具で毒々しく塗りつけて在った。





                                        以 上






















         
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「押絵と旅する男」本文7紹介 江戸川乱歩作・光文社文庫刊
2020.02.10 Monday12:59
「押絵と旅する男」本文7紹介

 江戸川乱歩作 2005光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊





私は、四十歳にも六十歳にも見える、西洋の魔術師のような風采のその男が、段々怖くなってきた。

怖さというものは、外にまぎれる事柄の無い場合には、無限に大きく、身体じゅう一杯に広がって行くものである。



私は遂には、産毛の先までも怖さが充ちて、たまらなくなって、突然立ち上がると、向うの隅のその男の方へツカツカと歩いて行った。その男がいとわしく、恐ろしければこそ、私はその男に近づいて行ったのであった。



私は彼と向き合ったクッションへ、そっと腰を卸し、近寄れば一層異様に見える彼の皺だらけの白い顔を、私自身が妖怪ででもあるような一種不可思議な、転倒した気持で、眼を細く息を殺して、じっとのぞき込んだものである。



男は私が自分の席を立った時から、ずっと目で私を迎えるようにしていたが、そうして私が彼の顔をのぞき込むと、待ち受けていたように、顎で傍らの例の扁平な荷物を指示し、何の前置きもなく、さもそれが当然の挨拶ででもあるように、

「これでございますか。」

と云った。その口調が、あまり当たり前で在ったので、私は却って、ギョッとしたほどであった。





                                   以 上



















         
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「押絵と旅する男」本文6紹介 江戸川乱歩作・光文社文庫刊
2020.02.10 Monday12:57
「押絵と旅する男」本文紹介6

 江戸川乱歩作 2005光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊







彼は丁寧に荷物を包み終わると、ひょいと私の方に顔を向けたが、ちょうど私の方でも熱心に相手の動作を眺めていた時であったから、二人の視線がガッチリとぶつかってしまった。



すると、彼は何か恥ずかしそうに唇の端を曲げて、かすかに笑って見せるのであった。

私も思わず首を動かして挨拶を返した。



それから、小駅をニ三通過する間、私たちはお互いの隅に座ったまま、遠くから、時々視線を交えては、気まづくそっぽを向くことを、繰り返していた。



外は全く暗闇になっていた。窓ガラスに顔を押し付けてのぞいて見ても、時たま沖の漁船の舷燈が遠く遠くポッツリと浮かんでいるほかには、全くなんの光も無かった。



果てしの無い暗闇の中に、私たちの細長い車室だけが、たった一つの世界のように、いつまでもいつまでも、ガタンガタンと動いて行った。



そのほの暗い車室の中に、私たち二人だけを取り残して、全世界が、あらゆる生き物が、跡形もなく消え失せてしまった感じであった。



私たちの二等車には、度の駅からも一人の乗客もなかったし、列車ボーイや車掌も一度も姿を見せなかった。そういうことも、今になって考えて見ると、甚だ奇怪に感じられるのである。





                               以  上

















































         
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「押絵と旅する男」本文紹介5・江戸川乱歩作 2005光文社文庫刊
2020.02.10 Monday12:51
「押絵と旅する男」本文紹介4

 江戸川乱歩作 2005光文社文庫刊



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



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【新青年】 博文館 昭和4年刊







一度風呂敷に包んであったものを、態々取り出して、そんな風に外へ向けて立てかけたものとしか考えられなかった。それに、彼が再び包むときにチラと見たところによると、額の表面に描かれた極彩色の絵が、妙に生々しく、何となく世の常ならず見えた事であった。



私は改めてこの変てこな荷物の持ち主を観察した。そして、持ち主その人が、荷物の異様さにもまして、一段と異様であったことに驚かされた。



彼は非常に古風な我々の父親の若い時分の色あせた写真でしか見る事の出来ない様な、襟の狭い、肩のすぼけた、黒の背広服を着ていたが、併しそれが背が高くて、足の長い彼に、妙にしっくりと合って、甚だ粋にさえ見えたのである。



顔は細面で、両目が少しギラギラし過ぎていたほかは、一体に良く整っていて、スマートな感じであった。

そして、きれいに分けた頭髪が、豊かに黒々と光っているので、一見四十前後で在ったが、良く注意して見ると、顔中に夥しい皺が在って、ひととびに六十過ぎに見えぬことも無かった。



この黒々とした頭髪と、色白の顔面を縦横にきざんだ彼との対照が、始めてそれに気づいた時、私をはっとさせたほども、非常に不気味な感じを与えた。







                                         以  上






































         
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「押絵と旅する男」本文紹介4・江戸川乱歩作 2005光文社文庫刊押絵と旅する男」
2020.02.09 Sunday19:17


「押絵と旅する男」本文紹介4

 江戸川乱歩作 2005光文社文庫刊押絵と旅する男」



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【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊







不思議な偶然であろうか、あの辺の汽車はいつでもそうなのか、私の乗った二等車は、教会堂のようにガランとしていて、私の外にたった一人の先客が、向うの隅のクッションに蹲(うずくま)っているばかりであった。



汽車は寂しい海岸の、けわしい崖や砂浜の上を、単調な機械の音を響かせて、果てしもなく走っている。沼の様な海上の靄の奥深く、黒血の色の夕焼けが、ボンヤリと感じられた。



異様に大きく見える白帆が、その中を、夢のように滑っていた。少しも風のない、むしむしする日であったから、所々開かれた汽車の窓から、進行につれて忍び込むそよ風も、幽霊のように尻キレとんぼで在った。



沢山の短いトンネルと雪除けの柱の列が、広漠たる灰色の空と海とを、縞目に区切って通り過ぎた。

親知らずの断崖を通過するころ、車内の電燈と空の明るさとが同じに感じられた程、夕闇が迫って来た。



丁度その時分、向うの隅のたった一人の同乗者が、突然立ち上がって、クッションの上に大きな黒繻子(くろじゅす)の風呂敷を拡げ、窓に立てかけてあった、二尺に三尺ほどの、扁平な荷物を、その中へ包み始めた。



それが私に何とやら奇妙な感じを与えたのである。その扁平なものは、多分額に相違ないのだが、それの表側の方を、何か特別の意味でもあるらしく、窓ガラスに向けて立てかけてあった。





                                        以  上




























         
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「押絵と旅する男」本文紹介3・江戸川乱歩作 2005光文社文庫刊押絵と旅する男」
2020.02.09 Sunday13:48
「押絵と旅する男」本文紹介3



引 用

底本

【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊







それは、妙な形の黒雲に似ていたけれど、黒雲なればその所在がハッキリ分かっているのに反し、蜃気楼は、不思議にも、それと見る者との距離が非常に曖昧なのだ。



遠くの海上に漂う大入道の様でもあり、ともすれば、眼前一尺に迫る異形の靄かと見え、はては、見る者の角膜の表面に、ポッツリと浮かんだ、一点の曇りのようにさえ感じられた。

この距離の曖昧さが、蜃気楼に、想像以上の不気味な気違いめいた感じを与えるのだ。



曖昧な形の、真っ黒な巨大な三角形が、塔のように積み重なって行ったり、瞬く間にくずれたり、横に伸びて長い汽車のように走ったり、それが幾つかにくずれ、立ち並ぶ檜の梢と見えたり、じっと動かぬ様でいながら、いつとはなく、全く違った形に化けて行った。



蜃気楼の魔力が、人間を気違いにするものであったなら、恐らく私は、少なくとも帰り道の汽車の中までは、その魔力をのがれることが出来なかったであろう。二時間の余も立ち尽くして、大空の妖異を眺めていた私は、その夕方魚津を立って、汽車の中に一夜を過ごすまで、全く日常と異なった気持ちでいた事は、確かである。



若しかしたら、それは通り魔のように、人間の心を掠め侵すところの、一時的狂気のたぐいででもあったであろうか。

魚津の駅から上野への汽車に乗ったのは、夕方の六時ころであった。




「押絵と旅する男」本文紹介2



引 用

底本

【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊







私はその時、生まれて初めて蜃気楼と云う物を見た。蛤の息の中に美しい竜宮城の浮かんでいる、あの古風な絵を想像していた私は、本物の蜃気楼を見て、脂汗のにじむような、恐怖に近い驚きに撃たれた。



魚津の浜の松並木に豆粒のような人間がウジャウジャと集まって、息を殺して、眼界一杯の大空と海面とを眺めていた。私はあんな静かな、唖のように黙っている海を見た事が無い。





日本海は荒海と思い込んでいた私には、それもひどく意外であった。その海は、灰色で、小波一つ無く、無限の彼方まで打ち続く沼かと思われた。そして、太平洋の海のように、水平線は無くて、海と空とは、同じ灰色に溶け合い、厚さの知れぬ靄(もや)に覆い尽くされた感じだった。



空だとばかり思っていた、上部の靄の中を、案外にもそこが海面で在って、フワフワと幽霊の様な、大きな白帆が滑って行ったりした。蜃気楼とは、乳色のフィルムの表面に墨汁をたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、途方もなく巨大な映画にして、大空に映し出したようなものであった。



遥かな能登半島の森林が、喰い違った大気の変形レンズを通して、すぐ目の前の大空に、焦点のよく合わぬ顕微鏡の下の黒い虫みたいに、曖昧に、しかも馬鹿馬鹿しく拡大されて、見る物の頭上におしかぶさってくるのであった。





                                以  上


























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「押絵と旅する男」本文紹介・江戸川乱歩作comments(0)-
          
「押絵と旅する男」本文紹介1・江戸川乱歩作 2005光文社文庫刊
2020.02.08 Saturday20:38
「押絵と旅する男」本文紹介1

 

江戸川乱歩作 2005光文社文庫刊



この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかったならば、あの押絵と旅をしていた男こそ狂人であったに相違ない。



だが、夢が時として、どこかこの世界と喰い違った別の世界を、チラリと覗かせてくれる様に、又狂人が、我々の全く感じ得ぬ物事を見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那、この世の視野の外にある、別の世界の一隅を、ふと隙見したのであったかもしれない。





いつもと知れぬ、ある薄曇った日のことである。その時、私は態々(わざわざ)魚津へ蜃気楼を見に出かけた帰り道であった。



私がこの話をすると、時々、お前は魚津なんかへ行ったことはないじゃないかと、親しい友人に突っ込まれることがある。



そう云われてみると、私は何時(いつ)の何日に魚津へ行ったのだと、ハッキリ証拠を示すことが出来ぬ。それではやっぱり夢であったのか。だが私は嘗(かっ)て、あのように濃厚な色彩を持った夢を見た事が無い。



夢の中の景色は、映画と同じに、全く色彩を伴わぬものであるのに、あの折の汽車の中の景色だけは、それもあの毒々しい押絵の画面が中心になって、紫と臙脂(えんじ)の勝った色彩で、まるで蛇の眼の瞳孔のように、生々しく私の記憶に焼き付いている。着色映画の夢というのがあるのであろうか。





引用資料



底本

【江戸川乱歩全集第五巻】

「押絵と旅する男」

 2005(平成17)1/20 光文社文庫刊



初出

【新青年】 博文館 昭和4年刊




























「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,51


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,51



そして激しく鉛筆を叩きつけて、その帳面をナオミの前に突き返すと、ナオミは固く唇を結んで、真っ青になって、上目遣いに、じ―ッと鋭く私の眉間をねめつけました。



と、何と思ったか彼女はいきなり帳面を鷲掴みにして、ピリピリに引き裂いて、ぽんと床の上に投げ出したきり、再び物凄い眸を据えて私の顔を穴の開くほど睨(ね)めるのです。



「何するんだ!」

一瞬間、その猛獣のような気配に壓(お)されて、アッケに取られていた私は、暫くたってからそう言いました。



「お前は僕に反抗する気か。学問なんかどうでもいいと思っているのか。一生懸命に勉強するの、偉い女になると言ったのは、ありゃ一体どうしたんだ。どういうつもりで帳面を破ったんだ。



さ、謝れ、謝らなけりゃ承知しないぞ!もう今日限りこの家を出て行ってくれ!」

しかしナオミは、まだ強情に押し黙ったまま、その真っ青な顔の口元に、一種泣くような薄笑いを浮かべているだけでした。



「よし!謝らなけりゃそれでいいから、今すぐここを出て行ってくれ!さ、出て行けと言ったら!」

そのくらいにして見せないととても彼女を威嚇(おど)かす事は出来まいと思ったので、ついと私は立ち上がって、脱ぎ捨ててある彼女の着替えを二三枚、手早く圓(まろ)めて風呂敷に包み、二階の部屋から紙入れを持ってきて十圓札を二枚取り出し、それを彼女に突きつけながら言いました。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊




次回に続く。



























三国志演義朗読第56回vol,3(ラストvol,9)


(^_-)-☆アスカミチル

ご来場ごっつあんっすーーー
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おもろかったら、
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頼んだよ〜〜〜んんんん






三国志演義朗読第56回vol,3(ラストvol,9)

https://youtu.be/UW3cTKBob_k























2021年02月13日

田山花袋「蒲団」本文41〜58/全58(vol,58最終回) 

★「蒲団」41〜58(58:最終章)・・・http://14highschool.jugem.jp/?eid=2537


一旦、最下部へスクロールしてから、

お楽しみ下さいね。りんごりんごスイカ

イエ―――――――――――イ!!!!
きらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきら
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「蒲団」VOL,58  最終回。

さびしい生活、荒涼たる生活は再び時雄の家に音信(おとず)れた。子供を持て余して喧(やかま)しく叱る細君の声が耳について、不愉快な感を時雄に与えた。
生活は三年前の旧(むかし)の轍(わだち=車の車輪の跡=昔の状態)にかえったのである。

五日目に芳子から手紙が来た。いつもの人懐かしい言文一致でなく、礼儀正しい候文で、
「昨夜恙(つつが)なく帰宅致し候儘(まま)御安心被下度(くだされたく)、此の度(たび)はまことに御忙しき折柄種々御心配ばかり相懸け候うて申訳も無之(これなく)、幾重にも御詫び申上候、御前に御高恩をも謝し奉り、御詫(おわび)も致し度候いしが、兎角(とかく)は胸迫りて最後の会合すら辞(いな)み候心、お察し被下度候、新橋にての別離、硝子戸の前に立ち候毎に、茶色の帽子うつり候ようの心地致し、今猶(なお)まざまざと御姿見るのに候、山北辺より雪降り候うて、湛井(たたい)よりの山道十五里、悲しきことのみ思い出で、かの一茶が『これがまアつひの住家(すみか)か雪五寸』の名句痛切に身にしみ申候、父よりいずれ御礼の文奉り度存居(ぞんじおり)候えども今日は町の市日(いちび)にて手引き難く、乍失礼(しつれいながら)私より宜敷(よろしく)御礼申上候、まだまだ御目汚し度きこと沢山に有之候えども激しく胸騒ぎ致し候まま今日はこれにて筆擱(お)き申し候」
と書いてあった。


時雄は雪の深い十五里の山道と雪に埋もれた山中の田舎町とを思い遣(や)った。別れた後、そのままにして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り、微(かす)かに残ったその人の面影を偲ぼうと思ったのである。

武蔵野の寒い風の盛んに吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るような音が凄まじく聞こえた。別れた日のように東の窓の雨戸を一枚明けると、光線は流るるように射し込んだ。



机、本箱、罎(びん)、紅皿(べにざら)、依然として元のままで、恋しい人はいつもの様に学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机の抽斗(ひきだし)を明けてみた。

古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫くして立ち上がって襖(ふすま)を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引きで送るばかりに絡(から)げてあって、その向こうに、芳子が常に用いていた蒲団、萌黄(もえぎ)唐草(からくさ)の敷蒲団と、綿の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。

時雄はそれを引き出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着(よぎ)の襟の天鵞絨(びろうど)の際立って汚れているのに顔を押し附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。


性欲と悲哀と絶望とが忽(たちま)ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
薄暗い一室、戸外には風が吹き暴(あ)れていた。



                         完

引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,57

混雑また混雑、群衆また群衆、行く人送る人の心は皆空(そら)になって、天井に響く物音が更に旅客の胸に反響した。悲哀(かなしみ)と喜悦(よろこび)と好奇心とが停車場の至る処に巴渦(うず)を巻いていた。一刻ごとに集まり来る人の群、殊に六時の神戸急行は
乗客が多く、二等室も時の間に肩摩轂撃(けんまこくげき=大通りが馬車や人込みで大混乱する様子。)の光景となった。


時雄は二階の壺屋からサンドウィッチを二箱買って芳子に渡した。切符と入場切符も買った。手荷物のチッキも貰った。今は時刻を待つばかりである。
この群衆の中に、もしや田中の姿が見えはせぬかと三人皆思った。けれどその姿は見えなかった。


ベルが鳴った。群衆はぞろぞろと改札口に集まった。一刻も早く乗り込もうとする心が燃えて、苛立って、その混雑は一通りでなかった。三人はその間を辛うじて抜けて、広いプラットホオムに出た。そして最も近い二等室に入った。後ろからも続々と人が入って来た。長い旅を寝て行こうとする商人もあった。


呉(くれ)あたりに帰ろうとする軍人の左官もあった。大阪言葉を露骨に、蝶々と雑話に耽る女連もあった。父親は白い毛布を長々と敷いて、傍に小さい鞄を置いて、芳子と相並んで腰を掛けた。電気の光が社内に差渡って、芳子の白い顔がまるで浮彫のように見えた。


父親は窓際に来て、幾度も好意のほどを謝し、後に残ることに就いて、万事を嘱(しょく)した。時雄は茶色の中折帽、七子(ななこ)の三紋(みつもん)の羽織という扮装(いでたち)で、窓際に立ち尽くしていた。
発射の時間は刻々に迫った。


時雄は二人のこの旅を思い、芳子の将来のことを思った。その身と芳子とは尽きざる縁(えにし)があるように思われる。妻が無ければ、無論自分は芳子を貰ったに相違ない。芳子もまた喜んで自分の妻になったであろう。


理想の生活、文学的の生活、耐え難き創作の煩悶をも慰めてくれるだろう。今の荒涼たる胸をも救ってくれる事が出来るだろう。
「何故、もう少し早く生まれなかったでしょう、私も奥様時分に生まれていれば面白かったでしょうに・・・・・・」と妻に言った芳子の言葉を思い出した。


この芳子を妻にするような運命は永久その身に来ぬであろうか。この父親を自分の舅(しゅうと)と呼びような時は来ぬだろうか。人生は長い、運命は奇(く)しき力を持っている。処女でないということが、一度節操を破ったということが、却って、年多く子供ある自分の妻たることを容易ならしむる条件となるかもしれぬ。


運命、人生、曽て芳子に教えたツルゲネーフの「プニンとバブリン」が時雄の胸に上った。露西亜の卓(すぐ)れた作家の描いた人生の意味が今更のように胸を撲(う)った。

時雄の後に、一群の見送人が居た。その蔭に、柱の傍に、いつ来たか、一箇の古い中折帽を冠(かぶ)った男が立っていた。芳子はこれを認めて胸を轟(とどろ)かした。父親は不快な感を抱いた。けれど、空想に耽って立ち尽くした時雄は、その後にその男が居るのを夢にも知らなかった。

車掌は八社の笛を吹いた。
汽車は動き出した。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,56


時雄も胸を衝(つ)いた。師としての恩情と責任とを果たしたかと烈しく反省した。かれも泣きたいほど侘しくなった。光線の暗い一室、行李(こうり)や書籍の散逸せる中に、恋せる女の帰国の涙、これを慰むる言葉も無かった。

午後三時、車が三台来た。玄関に出した行李、支那鞄、信玄袋を車夫は運んで車に乗せた。芳子は栗梅の被布(ひる)を着て、白いリボンを髪に挿して、眼を泣き腫らしていた。送って出た細君の手を堅く握って、
「奥さん、左様なら・・・・・・私、またきっと来てよ、きっと来てよ、来ないでおきはしないわ。」

「本当にね、又出ていらっしゃいよ。一年位したら、きっとね。」
と、細君も堅く手を握りかえした。その眼には涙が溢れた。女心の弱く、同情の念はその小さい胸に漲(みなぎ)り渡ったのである。


冬の日のやや薄寒き牛込の屋敷町、最先(まっさき)に父親、次に芳子、次に時雄という順序で車は走り出した。細君と下婢とは名残を惜しんでその車の後影を見送っていた。その後に隣の細君がこの俄(にわ)かの出立を何事かと思って見ていた。猶その後の小路の曲り角に、茶色の帽子を被った男が立っていた。芳子は二度、三度まで振り返った。

車が麹町(こうじまち)の通りを日比谷へ向かう時、時雄の胸に、今の女学生ということが浮かんだ。前に行く車上の芳子、高い二百三高地巻、白いリボン、やや猫背勝なる姿、こういう形をして、こういう事情の下に、荷物と共に父に伴(つ)れられて帰国する女学生はさぞ多いことであろう。


芳子、あの意志の強い芳子でさえこうした運命を得た。教育家の喧(やかま)しく女子問題を言うのも無理はない。時雄は父親の苦痛と芳子の涙とその身の荒涼たる生活とを思った。路行く人の中にはこの荷物を満載して、父親と中年の男子に保護されて行く花の如き女学生を意味ありげに見送るものもあった。

京橋の旅館に着いて、荷物を纏(まと)め、会計を済ました。この家は三年前、芳子が始めて父に伴(つ9れられて出京した時泊った旅館で、時雄は此処に二人を訪問したことがあった。


三人はその時と今とを胸に比較して感慨多端であったが、しかも互いに避けて面(おもて)にあらわさなかった。五時には新橋の停車場に行って、二等待合室に入った。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,55


田中は翌朝時雄を訪(おとの)うた。かれは大勢の既に定まったのを知らずに、己の事情の帰国に適せぬことを縷々(るる)として説こうとした。霊肉共に許した恋人の例(なら)いとして、いかようにしても離れまいとするのである。

時雄の顔には得意の色が上(のぼ)った。
「いや、もうその問題は決着したです。芳子が一部始終をすっかり話した。君等は僕を欺いていたということが解った。大変な神聖な恋でしたナ。」

田中の顔は俄かに変わった。羞恥の念と激昂(げっこう)の情と絶望の悶えとがその胸を衝(つ)いた。彼は言うところを知らなかった。

「もう止むを得んです。」と時雄は言葉を続(つ)いで、「僕はこの恋に関係することが出来ません。いや、もう厭です。芳子を父親の監督に移したです。」

男は黙って坐っていた。蒼いその>顔には肉の戦慄が歴々(ありあり)と見えた。不図、急に、辞儀をして、こうしてはいられぬといいう態度で、此処(ここ)を出て行った。


午前十時頃、父親は芳子を伴うて来た。愈々(いよいよ)今夜六時の神戸急行で帰国するので、大体の荷物は後から送って貰うとして、手廻りの物だけ纏(まと)めて行こうというのであった。芳子は自分の二階に上って、そのまま荷物の整理に取懸かった。


時雄の胸は激してはおったが、以前よりは軽快であった。二百余里の山川を隔てて、もうその美しい表情をも見ることが出来なくなると思うと、言うに言われぬ侘しさを感ずるが、その恋せる女を競争者の手から父親の手に移したことは尠(すくな)くとも愉快であった。


で、時雄は父親と寧ろ快活に種々なる物語に耽った。父親は田舎の紳士によく見るような書画道楽、雪舟、応挙、容斎の絵画、山陽、竹田(ちくでん)、海屋(かいおく)、茶山(さざん)の書を愛し、その名幅を無数に蔵していた。話は自(おのずか)らそれに移った。平凡なる書画物語はこの一室に一時栄えた。


田中が来て、時雄に逢いたいと言った。八畳と六畳との中じきりを閉めて、八畳で逢った。父親は六畳に居た。芳子は二階の一室に居た。

「御帰国になるんでしょうか。」
「え、どうせ、帰るんでしょう。」
「芳さんも一緒に。」
「それはそうでしょう。」

「何時(いつ)ですか。お話し下されますまいか。」
「どうも今の場合、お話することは出来ませんナ。」
「それでは一寸(ちょっと)でも・・・・・・芳さんに逢わせて頂く訳には参りますまいか。」

「それは駄目でしょう。」
「では、お父様は何方(どちら)へお泊りですか、一寸番地をうかがいたいですが。」
「それも僕には教えて好いか悪いか解らんですから。」

取り付く島がない。田中は黙って暫し坐っていたが、そのまま辞儀をして去った。
昼飯の膳がやがて八畳に並んだ。これがお別れだと云うので、細君は殊に注意して酒肴を揃えた。時雄も別れのしるしに、三人相並んで会食しようとしたのである。けれど芳子はどうしても食べたくないという。

細君が説(とき)勧めても来ない。時雄は自身二階に上った。
東の窓を一枚明けたばかり、暗い一室には本やら、雑誌やら、着物やら、帯やら、罎(びん)やら、行李(こうり)やら、支那鞄やらが足の踏み場も無い程に散らばっていて、塵埃(ほこり)の香が夥(おびただ)しく鼻を衝く中に、芳子は眼を泣腫して荷物の整理をしていた。

三年前、青春の希望湧くがごとき心を抱いて東京に出て来た時のさまに比べて、何等の悲惨、何等の暗黒であろう。すぐれた作品一つ得ず、こうして田舎に帰る運命かと思うと、堪らなく悲しくならずにはいられまい。

「折角支度したから、食ったらどうです。もう暫くは一緒に飯も食べられんから。」
「先生・・・・・・」
と、芳子は泣き出した。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,54

芳子は午飯(ひるめし)も夕飯も食べたくないとて食わない。陰鬱な気が一家に満ちた。細君は夫の機嫌の悪いのと、芳子の煩悶しているのに胸を痛めて、どうしたことかと思った。

昨日の話の模様では、万事円満におさまりそうであったのに・・・・・・・。細君は一椀なりと召し上がらなくては、お腹が空いて為方(しかた)があるまいと、それをすすめに二階へ行った。

時雄はわびしい薄暮を苦い顔をして酒を飲んでいた。やがて細君が下りて来た。どうしていたと時雄は聞くと、薄暗い室に洋燈(ランプ)もつけず、書きかけた手紙を机に置いて打伏(うっぷ)していたとの話。手紙?誰に遣る手紙?時雄は激した。そんな手紙を書いたって駄目だと宣告しようと思って、足音高く二階に上った。


「先生、後生ですから。」
と祈るような声が聞こえた。机の上に打伏したままである。「先生、後生ですから、もう、少し待って下さい。手紙に書いて、さし上げますから。」
時雄は二階を下りた。


暫くして下女は細君に命ぜられて、二階に洋燈を点けに行ったが、下りて来る時、一通の手紙を持って来て、時雄に渡した。時雄は渇したる心を以て読んだ。

先生、
私は堕落女学生です。私は先生のご厚意を利用して、先生を欺きました。その罪はいくらお詫びしても許されませぬほど大きいと思います。先生、どうか弱いものと思ってお憐み下さい。先生に教えて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行っておりませんでした。

矢張私は旧派の女、新しい思想を行う勇気を持っておりませんでした。私は田中に相談しまして、どんなことがあってもこの事ばかりは人に打ち明けまい。過ぎたことは為方が無いが、これからは清浄な恋を続けようと約束したのです。

けれど、先生、先生の御煩悶が皆な私の至らない為であると思いますと、じっとしてはいられません。今日は終日そのことで胸を痛めました。どうか先生、この憐れなる女をお憐み下さいまし。


先生にお縋り申す他、私には道が無いので御座います。

                   芳子

  先 生 おもと


時雄は今更に地の底にこの身を沈めらるるかと思った。手紙を持って立ち上がった。その激した心みは、芳子がこの懺悔を敢えてした理由、総てを打ち明けて縋ろうとした態度を解釈する余裕が無かった。

二階の梯子をけたたましく踏み鳴らして上って、芳子の打伏している机の傍に厳然として坐った。
「こうなっては、もう為方がない。私はもうどうすることも出来ぬ。この手紙はあなたに返す、この事に就いては、誓って何人にも沈黙を守る。


とにかく、あなたが師として私を信頼した態度は新しい日本の女として恥ずかしくない。けれどこうなっては、あなたが国に帰るのが至当だ。今夜、これから直ぐ父親の処へ行きましょう。そして一部始終を話して、早速、国に帰るようにした方が好い。」


で、飯を食い了(おわ)るとすぐ、支度をして家を出た。芳子の胸にさまざまの不服、不平、悲哀が溢れたであろうが、しかも時雄の厳かなる命令に背くわけには行かなかった。

市ヶ谷から電車に乗った。二人相並んで席をとったが、しかも一語をも言葉を交えなかった。山下門で下りて、京橋の旅館に行くと、父親は都合よく在宅していた。一部始終、父親は特に怒りもしなかった。


唯同行して帰国するのをなるべく避けたいらしかったが、しかもそれより他に路は無かった。芳子は泣きも笑いもせず、唯、運命の奇しきに呆(あき)るるという風であった。

時雄は捨てた積りで芳子を自分に任せることは出来ぬかと言ったが、父親は当人が親を捨ててもというならばいざ知らず、普通の状態に於いては無論許そうとは為(し)なかった。芳子もまた親を捨ててまでも、帰国を拒むほどの決心が附いておらなかった。

で、時雄は芳子を父親に預けて帰宅した。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,53


時雄の胸に、ふと二人の関係に就いての疑問が起こった。男の烈しい主張と芳子を己(おの)が所有とする権利があるような態度とは、時雄にこの疑問を起こさしむるの動機となったのである。

「で、二人の間の関係をどう御観察なすったです。」
時雄は父親に問うた。
「そうですな。関係があると思わんけりゃなりますまい。」

「今の際、確かめておく必要があると思うですが、芳子さんに、嵯峨行きの弁解をさせましょうか。今度の恋は嵯峨行きの後に初めて感じたことだと言うてましたから、その証拠になる手紙があるでしょうから。」

「まア、其処までせんでも・・・・・・」
父親は関係を信じつつもその事実となるのを恐れるらしい。
運悪く其処に芳子は茶を運んで来た。

時雄は呼び留めて、その証拠になる手紙があるだろう、その身の潔白を証する為に、その前後の手紙を見せ給えと迫った。これを聞いた芳子の顔は俄かに赤くなった。さも困ったという風がありありとして、顔と態度とに顕れた。


「あの頃の手紙はこの間皆な焼いて了(しま)いましたから。」
その声は低かった。
「焼いた?」
「ええ。」
芳子は顔を垂れた。

「焼いた?そんなことは無いでしょう。」
芳子の顔は愈々(いよいよ)赤くなった。時雄は激さざるを得なかった。
事実は恐ろしい力で彼の胸を刺した。


時雄は立って厠に行った。胸は苛々して、頭脳(あたま)は幻惑するように感じた。欺かれたという念が烈しく心頭を衝(つ)いて起こった。厠を出ると、其処に、障子の外に、芳子はおどおどした様子で立っている。
「先生、本当に、私は焼いて了(しま)ったのですから。」
「うそをお言いなさい。」と、時雄は叱るように言って、障子を烈しく閉めて室内に入った。


父親は夕飯の馳走になって旅館に帰った。時雄のその夜の煩悶は非常であった。欺かれたと思うと、豪(ごう)が煮えて為方(しかた)がない。否、芳子の霊と肉、その全部を一書生に奪われながら、とにかくその恋に就いて真面目に尽くしたかと思うと腹が立つ。


その位なら、あの男に身を任せていた位なら、何もその処女の節操を尊ぶには当たらなかった。
自分も大胆に手を出して、性欲の満足を買えば良かった。こう思うと、今まで上天の境に置いた美しい芳子は、売女(ばいじょ)か何ぞのように思われて、その体は愚か、美しい態度も表情も卑しむ気になった。


で、その夜は悶え悶えて殆ど眠られなかった。様々の感情が黒雲のように胸を通った。その胸に手をあてて時雄は考えた。いっそこうしてくれようかと思うた。どうせ、男に身を任せて汚れているのだ。このままこうして、男を京都に帰して、その弱点を利用して、自分の自由にしようかと思った。


と、種々(いろいろ)なことが頭脳(あたま)に浮かぶ。芳子がその二階に泊まって寝ていた時、もし自分がこっそりその二階に登って行って、遣瀬(やるせ)なき恋を語ったらどうであろう。危座(きざ)して自分を諫(いさ)めるかも知れぬ。


声を立てて人を呼ぶかも知れぬ。それとも又せつない自分の情を汲んで犠牲になってくれるかもしれぬ。さて犠牲になったとして、翌朝はどうであろう、明らかな日光を見ては、さすがに顔を合わせるにも忍びぬに相違ない。

その時、モウパッサンの『父』という短編を思い出した。ことに少女が男に身を任せて後、烈しく泣いたことの書いてあるのを痛切に感じたが、それを又今思い出した。かと思うと、この暗い想像に抵抗する力が他の一方から出て、盛んにそれと争った。


で、煩悶又煩悶、懊悩又懊悩、寝返りを幾度と打って二時、三時の時計の音をも聞いた。芳子も煩悶したに相違なかった。朝起きた時には蒼い顔をしていた。朝飯をも一椀で止した。

なるたけ時雄の顔に逢うのを避けている様子であった。芳子の煩悶はその秘密を知られたというよりも、それを隠しておいた非を悟った煩悶であったらしい。

午後にちょっと出て来たいと言ったが、社へも行かずに家に居た時雄はそれを許さなかった。一日はかくて過ぎた。田中から何等の返事もなかった。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


光るハート

「蒲団」VOL,52


「あれほどお父さんが解っていらっしゃる。」と時雄は父親の言葉を受けて、「三年、君が為に待つ。君を信用するに足りる三年の時日を君に与えると言われたのは、実にこの上ない恩恵(めぐみ)でしょう。

人の娘を誘惑するような奴には真面目に話をする必要がないといって、このまま芳子をつれて帰られても、君は一言も恨むせきはないのですのに、三年待とう、君の真心の見えるまでは、芳子を他に嫁(かたず)けるようなことはすまいと言う。

実に恩恵ある言葉だ。許可すると言ったより一層恩義が深い。君はこれが解らんですか。」
田中は低頭(うつむ)いて顔をしかめると思ったら、涙がはらはらとその頬(ほお)を伝った。
一座は水を打ったように静かになった。


田中は溢れ出ずる涙を手の拳(こぶし)で拭(ぬぐ)った。時雄は今ぞ時と、
「どうです、返事を為(し)給え。」

「私などはどうなっても好うおます。田舎に埋もれても構わんどす!」
また涙を拭(ぬぐ)った。

「それではいかん。そう反抗的に言ったって為方(しかた)がない。腹の底を打ち明けて、互いに不満足のないようにしようとする為めのこの会合です。君は達(た)って、田舎に帰るのが厭だとならば、芳子を国に帰すばかりです。」

「二人一緒に東京に居ることは出来んですか?」
「それは出来ん。監督上出来ん。二人の将来の為めにも出来ん。」
「それでは田舎に埋もれてもようおます!」


「いいえ、私が帰ります。」と芳子も涙に声を震わして、「私は女・・・・・・女です・・・・・・貴方さえ成功して下されば、私は田舎に埋もれても構やしません、私が帰ります。」


一座はまた沈黙に落ちた。
暫くしてから、時雄は調子を改めて、

「それにしても、君はっどうして京都に帰れんのです。神戸の恩人に一部始終を話して、今までの不心得を謝して、同志社に戻ったら好いじゃありませんか。芳子さんが文学志願だから、君も文学家にならんければならんというようなことはない。宗教家として、神学者として、牧師として大いに立ったなら好いでしょう。」


「宗教家にはもうとてもようなりまへん。人に向かって教えを説くような豪(えら)い人間ではないでおますで。・・・・・・それに、残念ですのは、三月(みつき)の間苦労しまして、実は漸くある親友の世話で、衣食の道が開けましたで、・・・・・・田舎に埋もれるには忍びまへんで。」


三人は猶(なお)語った。話は遂に一小段落を告げた。田中は今夜親友に相談して、明日か明後日までに確乎(かっこ)たる返事を齎(もたらそ)うと言って、一先ず帰った。時計はもう午後四時、冬の日は暮近く、今まで室(へや)の一隅に照っていた日影もいつか消えて了(しま)った。


一室は父親と時雄と二人になった。
「どうも煮えきらない男ですわい。」と父親はそれとなく言った。
「どうも形式的で、甚だ要領を得んです。もう少し打ち明けて、ざっくばらんに話してくれると好いですけれど・・・・・・」

「どうも中国の人間はそうは行かんですけえ、人物が小さくって、小細工で、すぐ人の股(また)を潜(くぐ)ろうとするですわい。関東から東北の人はまるで違うんですがナア。悪いのは悪い、好いのは好いと、真情を吐露して了(しま)うけえ、好いですけどもナ。どうもいかん。小細工で、小理屈で、めそめそ泣きおった・・・・・・」

「どうもそういうところがありますナ。」
「見ていさっしゃい、明日きっと快諾しゃあせんけい、何のかのと理屈をつけて、帰るまいとするけえ。」



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊





「蒲団」VOL,51


恋する二人。殊に男にとっては、この分離派甚だ辛いらしかった。男は宗教的資格を全く失ったということ、帰るべく家をも国をも持たぬということ、二三月来飄零(ひょうれい)の結果漸く東京に前途の光明を認め始めたのに、それを捨てて去るに忍びぬということなぞを楯として、頻りに帰国の不可能を主張した。


父親は懇懇として説いた。
「今更京都に帰れないという、それは帰れないに違いない。けれど今の場合である。愛する女子ならその女子の為に犠牲になれぬということはあるまいじゃ。

京都に帰れないから田舎に帰る。帰れば自分の目的が達せられぬというが、其処を言うのじゃ。
其処を犠牲になっても好かろうと言うのじゃ。」


田中は黙して下を向いた。容易に諾しそうにも無い。
先ほどから黙って聞いていた時雄は、男が余りに頑固なのに、急に声を励(はげま)して、「君、僕は先程から聞いていたが、あれほどに言うお父さんの言葉が解らんですか。


お父さんは、君の罪をも問わず、破廉恥をも問わず、将来もし縁があったら、この恋愛を承諾せぬではない。君もまだ年が若い、芳子さんも今修行最中である。

だから二人は今暫くこの恋愛問題を未解決の中(うち)にそのままにしておいて、そしてその行末を見ようと言うのが解らんですか。

今の場合、二人はどうしても一緒にはおかれぬ。何方(どっち)かこの東京を去らなくってはならん。この東京を去るということに就いては、君が先ず去るのが至当だ。何故かと謂えば、君は芳子の後を追うて来たのだから。」


「よう解っております。」と田中は答えた。「私が万事悪いのでございますから、私が一番に去らなければなりません。先生は今、この恋愛を承諾して下されぬではないと仰ったが、お父様の先程のお言葉では、まだ満足されぬような訳でして・・・・・・」


「どういう意味です。」
と時雄は反問した。
「本当に約束せぬというのが不満だと言うのですじゃろう。」と、父親は言葉を入れて、

「けれど、これは先程もよく話した筈じゃけえ。今の場合、許可、不許可という事は出来ぬじゃ。
独立することも出来ぬ修行中の身で、二人一緒にこの世の中に立って行こうと言やるは、どうも不信用じゃ。


だから私は今三四年はお互いに勉強するが好いじゃと思う。真面目ならば、こうまで言った話は解らんけりゃならん。私が一時を瞞着(まんちゃく)して、芳を他(よそ)に嫁(かたづ)けるとか言うのやなら、それは不満足じゃろう。

けれど私は神に誓って言う、先生を前に置いて言う、三年は芳を私から進んで嫁にやるようなことはせんじゃ。人の世はエホバの思召(おぼしめし)次第、罪の多い人間はその力ある審判(さばき)を待つより他(ほか)に為方(しかた)が無いけえ、私は芳は君に進ずるとまでは言うことは出来ん。


今の心が許さんけえ、今度のことは、神の思召に適っていないと思うけえ。
三年経って、神の思召に適うかどうか、それは今から予言は出来んが、君の心が、真実真面目で誠実であったなら、必ず神の思召に適うことと思うじゃ。」



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,50


「それにしても、結局はどうしましょう?芳子さんを伴(つ)れてお帰りになりますか。」
「されば・・・・・・なるたけは連れて帰りたくないと思いますがナ。村に娘を伴(つ)れて突然帰ると、どうも際立って面白くありません。

私も妻も種々村の慈善事業や名誉職などを遣っておりますけえ、今度のことなどがぱっとしますと、非常に困る場合もあるです・・・・・・。で、私は、娘は猶お世話になりたいと存じておりますじゃが・・・・・・」



「それが好いですな。」
と時雄は言った。
二人の間柄に就いての談話も一二あった。時雄は京都嵯峨の事情、その以後の経過を話、二人の間には神聖の霊のみ成り立っていて、汚い関係は無いであろうと言った。

父親はそれを聴いて点頭(うなず)きはしたが、「でもまア、その方の関係もあるものとして見なければなりますまい。」と言った。

父親の胸には今更娘に就いての悔恨の情が多かった。田舎ものの虚栄心の為めに神戸女学院のような、ハイカラな学校に入れて、その寄宿舎生活を行わせたことや、娘の切なる希望を容(い)れて小説を学ぶべく東京に出したことや、多病の為めに言うがままにして余り検束を加えなかったことや、いろいろなことがむらむらと胸に浮かんだ。

一時間後にはわざわざ迎いに遣った田中がこの室に来ていた。芳子もその傍に庇髪を垂れて談話を聞いていた。父親の眼に映じた田中は元より気に入った人物ではなかった。

その白縞の袴を着け、紺がすりの羽織を着た書生姿は、軽蔑の念と憎悪の念とをその胸に漲らしめた。その所有物を奪った憎むべき男という感は、曽つて時雄がその下宿でこの男を見た時の感と甚だよく似ていた。



田中は袴の襞(ひだ)を正して、しゃんと坐ったまま、多く二尺先位の畳をのみ見ていた。服従という態度よりも反抗という態度が歴々(ありあり)としていた。どうも少し固くなり過ぎて、芳子を自分の自由にする或る権利を持っているという風に見えていた。

談話は真面目に且つ烈しかった。父親はその破廉恥を敢えて正面から攻めはしないが、おりおり苦い皮肉をその言葉の中に交えた。初めは時雄が口を切ったが、中頃から重(おも)に父親と田中とが語った。


父親は県会議員をした人だけあって、言葉の抑揚頓挫が中々巧みであった。演説に慣れた田中も時々沈黙させられた。二人の恋の許可不許可も問題に上ったが、それは今研究すべき題目でないとして却(しりぞ)けられ、当面の京都帰還問題が論ぜられた。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,49


「今度来ます時に・・・・・・」と父親は傍に坐っている時雄に語った。「佐野と御殿場でしたかナ、汽車に故障がありましてナ、二時間ほど待ちました。機関が破裂しましてナ。」
「それは・・・・・・」

「全速力で進行している中に、凄まじい音がしたと思いましたけえ、汽車が夥しく傾斜してだらだらと進行
しましてナ、何事かと思いました。機関が破裂して火夫が二人とか即死した・・・・・・」
「それは危険でしたナ。」

「沼津から機関車を持って来てつけるまで二時間も待ちましたけえ、その間もナ、思いまして・・・・・・これの為にこうして東京に来ている途中、もしもの事があったら、芳(と今度は娘の方を見て)お前も兄弟に申し訳が無かろうと思ったじゃわ。」



芳子は頭を垂れて黙っていた。
「それは危険でした。それでも別にお怪我もなくって結構でした。」
「え、まア。」

父親と時雄は暫くその機関破裂のことに就いて語り合った。不図(ふと)、芳子は、
「お父様、家では皆な変ることは御座いません?」
「うむ、皆な達者じゃ。」

「母さんも・・・・・・」
「うむ、今度も私が忙しいけえナ、母に来て貰うように言うてじゃったが、矢張、私の方が好いじゃろうと思って・・・・・・」
「兄さんも達者?」
「うむ、あれもこの頃は少し落ち附いている。」

かれこれする中に、昼飯の膳が出た。芳子は自分の室に戻った。食事を終わって、茶を飲みながら、時雄は前からのその問題を語り続(つ)いだ。
「で、貴方はどうしても不賛成?」


「賛成しようにもしまいにも、まだ問題になりおりませんけえ。今、仮に許して、二人一緒にするに致しても、男が二十二で、同志社の三年生では・・・・・・」
「それは、そうですが、人物をご覧の上、将来の約束でも・・・・・・」


「いや約束などと、そんあことは致しますまい。私は人物を見たわけでありませんけえ、よく知りませんけどナ、女学生の上京の途次を要して途中に泊まらせたり、年来の恩ある神戸協会の恩人を一朝にして捨て去ったりするような男ですけえ、とても話にはならぬと思いますじゃ。

この間、芳から母へよこした手紙に、その男が苦しんでおるじゃで、どうかご察し下すって、私の学費を少なくしても好いから、早稲田に通う位の金を出してくれと書いてありましたげな、何かそういう計画で芳がだまされておるんではないですかな。」


「そんなことは無いでしょうと思うのですが。」
「どうも怪しいことがあるのです。芳子と約束が出来て、すぐ宗教が厭になって文学が好きになったと言うのも可笑(おか)しし、その後をすぐ追って出て来て、貴方などの御説諭も聞かずに、衣食に苦しんでまでもこの東京に居るなども意味がありそうですわい。」


「それは恋の惑溺であるかも知れませんから善意に解釈することもできますが。」
それにしても許可するのせぬのとは問題になりませんけえ、結婚の約束は大きなことでして・・・・・・。

それにはその者の身分も調べて、此方(こっち)の身分との釣合も考えなければなりませんし、血統を調べなければなりません。それに人物が第一です。貴方のご覧になるところでは、秀才だとか仰ってですが・・・・・・」

「いや、そう言うわけでも無かったです。」
「一体、人物はどういう・・・・・・」
「それは却(かえ)って母さんなどが御存知だと言うことですが。」

「何アに、須磨の日曜学校で一,二度会ったことがある位、妻もよく知らんそうですけえ。何でも神戸では多少秀才とか言われた男で、芳は女学院に居る頃から知っておるのでしょうがナ。説教や祈祷などを遣らせると、大人も及ばぬような巧いことを遣りおったそうですけえ。」


「それで話が演説調になるのだ、形式的になるのだ、あの厭な上目を使うのは、祈祷をする時の表情だ。」と時雄は心の中に合点(がてん)した。あの厭な表情で若い女を迷わせるのだなと続いて思って厭な気がした。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,48


二人同棲して後の倦怠、疲労、冷酷を自己の経験に照らしてみた。そして一たび男子に身を任せて後の女子の境遇の憐れむべきを思い遣った。自然の最奥に秘める暗黒なる力に対する厭世の情は今彼の胸をむらむらとして襲った。


真面目なる解決を施さねばならぬという気になった。今までの自分の行為(おこない)の甚だ不自然で不真面目であるのに思いついた。時雄はその夜、備中の山中にある芳子の父母に寄する手紙を熱心に書いた。芳子の手紙をその中に巻き込んで、二人の近況を詳しく記し、最後に、

父たる貴下と師たる小生と当事者たる二人と相対して、此(こ)の問題を真面目に議すべき時節到来せ  りと存候、貴下は父としての主張あるべく、芳子は芳子としての自由あるべく、小生また師としての意見有之候、御多忙の際には有之候えども、是非是非御出京下され度(たく)、幾重にも希望仕候。



と書いて筆を結んだ。封筒に収めて備中国新見町(にいみまち)横山兵蔵様と書いて、傍に置いて、じっとそれを見入った。この一通が運命の手だと思った。思い切って婢(おんな)を呼んで渡した。


一日二日、時雄はその手紙の備中の山中に運ばれて行くさまを想像した。四面山で囲まれた小さな田舎町、その中央にある大きな白壁造、そこに郵便脚夫が配達すると、店に居た男がそれを奥へ持って行く。丈(たけ)の高い、髭(ひげ)のある主人がそれを読む、運命の力は一国毎に迫って来た。


十日に時雄は東京に帰った。
その翌日、備中から返事があって、二三日の中(うち)に父親が出発すると報じて来た。
芳子も田中も今の際、寧ろそれを希望しているらしく、別にこれと云って驚いた様子も無かった。


父親が東京に着いて、先ず京橋に宿を取って、牛込の時雄の宅を訪問したのは十六日の午前十一時頃であった。丁度日曜で、時雄は宅に居た。父親はフロックコートを着て、中高帽を冠8かぶ)って、長途の旅行に疲れたという風であった。


芳子はその日、医師へ行っていた。三日ほど前から風邪を引いて、熱が少しあった。頭痛がすると言っていた。間もなく帰って来たが、裏口から何の気なしに見ると、細君が、「芳子さん、芳子さん、大変よ、お父さんが来てよ。」

「お父さん。」
と芳子もさすがにはっとした。
そのまま二階に上ったが下りて来ない。


奥で、「芳子は?」と呼ぶので、細君が下から呼んでみたが返事がない。登って行って見ると、
芳子は机の上にうっぷしている。
「芳子さん・」
返事が無い。


傍に行って又呼ぶと、芳子は青い神経性の顔を擡(もた)げた。
「奥で呼んでいますよ。」
「でもね、奥さん、私はどうして父に逢われるでしょう。」
泣いているのだ。


「だッて、父様に久し振りじゃありませんか。どうせ逢わないわけには行かんのですん¥もの。何アにそんな心配をすることはありませんよ、大丈夫ですよ。」
「だッて、奥さん。」
「本当に大丈夫ですから、しっかりなさいよ、よくあなたの心を父様にお話しなさいよ。本当に大丈夫ですよ。」

芳子は遂に父親の前に出た。髭多く、威厳のある中に何処(どこ)となく優しいところのある懐かしい顔を見ると、芳子は涙の漲(みなぎ)るのを禁(とど)め得なかった。旧式は頑固な爺(おやじ)、若いものの心などの解らぬ爺、それでもこの父は優しい父であった。

母親は万事に気が附いて、よく面倒を見てくれたけれど、なぜか芳子には母よりもこの父の方が好かった。その身の今の窮迫を訴え、泣いてこの恋のまじめなのを訴えたら父親もよもや動かされぬことはあるまいと思った。


「芳子、暫くじゃったのう・・・・・・体は大丈夫かの?」
「お父さま・・・・・・」芳子は後を言い得なかった。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,47


時雄が芳子の歓心を得る為めに取った「温情の保護者」としての立場を考えた。備中の父親に寄せた手紙、その手紙には、極力二人の恋を庇保(ひほ)して、どうしてもこの恋を許して貰うわねばならぬという趣旨であった。

時雄は父母の到底これを承知せぬことを知っていた。寧ろ父母の極力反対することを希望していた。父母は果たして極力反対して来た。言うことを聞かぬなら勘当するとまで言ってきた。


二人はまさに受くべき恋の報酬を受けた。時雄は芳子のために飽くまで弁明し、汚れた目的の為めに行われたる恋でないことを言い、父母の中一人、是非出京してこの問題を解決して貰いたいと言い送った。

けれど故郷の父母は、監督なる時雄がそういう主張であるのと、到底その口から許可することが出来ぬのとで、上京しても無駄であると云って出て来なかった。

時雄は今、芳子の手紙について考えた。
二人の状態は最早一刻も猶予すべからざるものとなっている。時雄の監督を離れて二人一緒に暮らしたいという大胆な言葉、その言葉の中には警戒すべき分子ぼ多いのを思った。


いや、既に一歩を進めているかも知れぬと思った。又一面にはこれほどその為に尽力しているのに、その行為を無にして、こういう決心をするとは義理知らず、勝手にするが好いとまで激した。


時雄は胸の轟を静める為め、月朧なる利根川の堤の上を散歩した。月が暈(かさ)を帯びた夜は冬ながらやや暖かく、土手下の家々の窓には平和な燈火が静かに輝いていた。川の上には薄い靄(もや)が懸かって、おりおり通る船の艫(ろ)の音がギイと聞こえる。


下流でおーいと渡しを呼ぶものがある。舟橋を渡る車の音がとどろに響いてそして又一時静かになる。時雄は土手を鮎きながら種々のことを考えた。

芳子のことよりは一層痛切に自己の家庭のさびしさということが胸を往来した。三十五、六歳の男女の最も味うべき生活の苦痛、事業に対する煩悩、性欲より起こる不満足等が凄まじい力でその胸を圧迫した。


芳子はかれの為めに平凡なる生活の花でもあり又糧(かて)でもあった。芳子の美しい力に由って、荒野んの如き胸に花咲き、錆び果てた鐘は再び鳴ろうとした。芳子の為めに、復活の活気は新しく鼓吹された。であるのに再び寂寞荒涼たる以前の平凡なる生活にかえらなければならぬとは・・・・・・。不平よりも、嫉妬よりも、熱い熱い涙がかれの頰を伝った。

彼は真面目に芳子の恋とその一生とを考えた。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,46


時雄は常に苛々(いらいら)していた。書かなければならぬ原稿が幾種もある。書肆からも催促される。金も欲しい。けれどどうしても筆を執って文を綴るような沈着(おちつ)いた心の状態にはなれなかった。強いて試みてみることがあっても、考が纏(まとま)らない。本を読んでも二頁も続けて読む気にならない。


二人の恋の温かさを見る度(たび)に、胸を燃やして、罪もない細君に当たり散らして酒を飲んだ。晩餐の菜が気に入らぬと云って、お膳を蹴飛ばした。夜は十二時過ぎに酔って帰って来ることもあった。





芳子はこの乱暴な不調子な時雄の行為に尠(すく)なからず心を痛めて、「私がいりいろご心配を懸けるもんですからね、私が悪いんですよ。」と詫びるように細君に言った。

芳子はなるたけ手紙の往復を人に見せぬようにし、訪問も三度に一度は学校を休んでこっそり行くようにした。時雄はそれに気が附いて
一層懊悩の度を増した。


野は秋も暮れて木枯らしの風が立った。裏の森の銀杏樹(いちょう)も黄葉(もみじ)して夕の空を美しく彩った。垣根道には反りかえった落葉ががさがさと転がって行く。鵙(もず)の鳴き声がけたたましく聞こえる。若い二人の恋が愈々(いよいよ)人目に余るようになったのはこの頃であった。


時雄は監督上見るに見かねて、芳子を説勧(ときすす)めて、この一部始終を故郷の父母に報ぜしめた。そして時雄もこの恋に関しての長い手紙を芳子の父に寄せた。




この場合にも時雄は芳子の感謝の情を十分にかち得るように勉めた。時雄は心を欺いて、悲壮なる犠牲と称して、この「恋の温情なる保護者」となった。
備中の山中から数通の手紙が来た。



その翌月の一月には、時雄は地理の用事で、上武の境なる利根河畔に出張していた。彼は昨年の年末からこの地に来ているので、家のこと、芳子のことが殊に心配になる。


さりとて公務を如何(いかん)ともすることが出来なかった。正月になって二日にちょっと帰京したが、その時は次男が歯を病んで、妻と芳子とが頻りにそれを介抱していた。

妻に聞くと、芳子の恋は更に惑溺の度を加えた様子。大晦日の晩に、田中が生活のたつきを得ず、下宿に帰ることも出来ずに、終夜運転の電車に一夜を過ごしたということ、余り頻繁(ひんぱん)に二人が往来するので、それをそれとなしに注意して芳子と口争いをしたということ、その他種々のことを聞いた。



困ったことだと思った。一晩泊まって再び利根の河畔に戻った。今は(一月)五日の夜であった。茫(ぼう)とした空に月が暈(かさ)を帯びて、その光が川の中央にきらきらと金を砕いていた。

時雄は机の上に一通の封書を展(ひら)いて、深くそのことを考えていた。その手紙は今少し前、旅館の下女が置いて行った芳子の筆である。


先生、
まことに、申し訳が御座いません。先生の同情ある御恩は決して一生経っても忘るることでなく、今もそのお心を思うと、涙が滴(こぼ)るるのです。

父母はあの通りです。先生があのように仰(おっ)しゃって下すっても、旧風(むかしふう)の頑固(かたくな)で、私共の心を汲んでくれようとも致しませず、泣いて訴えましたけれど、許してくれません。

母の手紙を見れば泣かずにはおられませんけれど、少しは私の心も汲んでくれても好いと思います。恋とはこう苦しいものかと今つくづく思い当たりました。

先生、私は決心致しました。聖書にも女は親に離れて夫に従うと御座います通り、私は田中に従おうと存じます。田中は未だに生活のたつきを得ませず、準備した金は既に尽き、昨年の暮れは、うらぶれの悲しい生活を送ったので御座います。



私はもう見ているに忍びません。国からの補助を受けませんでも、私等は私等二人で出来るまでこの世に生きてみようと思います。

先生にご心配を懸けるのは、まことに済みません。監督上、ご心配なさるのも御尤もです。けれど折角先生があのように私等の為めに国の父母をお説き下すったにも係らず、父母は唯無意味に怒ってばかりいて、取り合ってくれませんのは、余りと申せば無慈悲です、勘当されても為方(しかた)が御座いません。

堕落堕落と申して、殆ど歯(よわい)せんうばかりに申しておりますが、私達の恋はそんなに不真面目なもので御座いましょうか。

それに、家の門地門地と申しますが、私は恋を父母の都合によって致すような旧式の女でないことは先生もお許し下さるでしょう。


先生、
私は決心致しました。昨日、上野図書館で女の見習生が入用だという広告がありましたから、応じてみようと思います。二人して一生懸命に働きましたら、まさかに餓(う)えるようなことも御座いますまい。

先生のお家にこうして居ますればこそ、先生にも奥様にも御心配を懸けて済まぬので御座います。どうか先生、私の決心をお許し下さい。


                                       芳子

     先 生 おんもとへ


恋の力は遂に二人を深い惑溺の淵に沈めたのである。時雄はもうこうしてはおかれぬと思った。




引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,45


細君は猶(なお)語り継いだ。「そして随分長く高い声で話していましたよ。議論みたいなことも言って、芳子さんもなかなか負けない様子でした。」

「そしていつ帰った?」
「もう少し以前(さっき)」
「芳子は居るか。」

「いいえ、路(みち)が分からないから、一緒に其処(そこ)まで送って来るッて出懸(でか)けて行ったんですよ。」
時雄は曇らせた。

夕飯を食っていると、裏口から芳子が帰って来た。急いで走って来たと覚(おぼ)しくせいせい息を切っている。
「何処までいらしった?」

と細君が問うと、
「神楽坂まで」と答えたが、いつもする「おかえりなさいまし。」を時雄に向って言って、そのままばたばたと二階へ上った。すぐ下りて来るかと思うに、なかなか下りて来ない。

「芳子さん、芳子さん。」と三度ほど細君が呼ぶと、「はアーい。」という長い返事が聞こえて、矢張り下りて来ない。

お鶴が迎いに行って漸く二階を下りて来たが、準備した夕飯の膳を他所(よそ)に、柱に近く、斜(はす)に坐った。
「ご飯は?」

「もう食べたくないの、腹(おなか9が一杯で。」
「余りおさつを召上がった故(せい)でしょう。」
「あら、まア、酷い奥さん。いいわ、奥さん。」
と睨む真似をする。

細君は笑って、
「芳子さん、何だか変ね。」
「何故?」と長く引っ張る。

「何故も無いわ。」
「いいことよ、奥さん。」
と又睨んだ。

時雄は黙ってこの嬌態に対していた。胸の騒ぐのは無論である。不快の情はひしと押し寄せて来た。芳子はちらと時雄の顔を覗ったが、その不機嫌なのが一目で解った。

で、すぐ態度を改めて、
「先生、今日田中が参りましてね。」
「そうだってね。」


「お目にかかってお礼を申し上げなければならんのですけれども、又改めて上がりますからッて・・・・・・よろしく申し上げて・・・・・・」
「そうか。」
と言ったが、そのままふいと立って書斎に入ってしまった。

その恋人が東京に居ては、仮令(たとい)自分が芳子をその二階に置いて監督しても、時雄は心を安んずる暇はなかった。
二人の相逢うことを妨げることは絶対に不可能である。

手紙は無論差留めることは出来ぬし、「今日ちょっと田中に寄って参りますから、一時間遅くなります。」と公然と断って行くのをどうこう言う訳には行かなかった。

またその男が訪問して来るのを非常に不快に思うけれど、今更それを謝絶することも出来なかった。
時雄はいつの間にか、この二人からその恋に対しての「温情の保護者」として認められて了(しま)った。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL、44


芳子は低頭(うつむ)いて聞いていた。
時雄は興に乗じて、
「そして一体、どうして生活しようというのです?」

「少しは準備もして来たんでしょう、一月位は好いでしょうけれど・・・・・・」
「何か旨い口でもあると好いけれど。」と時雄は言った。

「実は先生に御縋(すが)り申して、誰も知ってるものがないのに出て参りましたのですから、大層失望しましたのですけれど。」
「だッて余り突飛だ。一昨日逢ってもそう思ったが、どうもあれでも困るね。」
と時雄は笑った。

「どうか又御心配下さるように・・・・・・この上御心配かけては申訳がありませんけれど」と芳子は縋るようにして顔を赤らめた。

「心配せん方が好い、どうかなるよ。」
芳子が出て行った後、時雄は急に険しい難しい顔に成った。「自分に・・・・・・自分に、この恋の世話が出来るだろうか。」と独りで胸に反問した。

「若い鳥は若い鳥でなくては駄目だ。自分等はもうこの若い鳥を引く美しい羽を持っていない。」こう思うと、言うに言われぬ寂しさがひしと胸を襲った。

「妻と子、家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供の為めに生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂寞たらざるを得るか。」時雄はじっと洋燈(らんぷ)を見た。
机の上にはモウパッサンの「死よりも強し」が開かれていた。

二、三日経って後、時雄は例刻に社から帰って火鉢の前に坐ると、細君が小声で、
「今日来てよ。」
「誰が。」

「二階の・・・・・・そら芳子さんの好い人。」
細君は笑った。
「そうか・・・・・・」

「今日一時頃、御免なさいと玄関に来た人があるですから、私が出て見ると、顔の丸い、絣(かすり)の羽織を着た、白縞(しろしま)の袴(はかま)を穿(は)いた書生さんが居るじゃありませんか。

また、原稿でも持って来た書生さんかと思ったら、横山さんは此方(こちら)においでですかと言うじゃありませんか。

はて、不思議だと思ったけれど、名を聞きますと、田中・・・・・・。はア、それでその人だナと思ったんですよ。厭な人ねえ、あんな書生さんを恋人にしないたッて、いくらも好いのがあるでしょうに。
芳子さんは余程物好きね。あれじゃとても望みはありませんよ。」


「それでどうした?」
「芳子さんは嬉しいんでしょうけど、何だか極まりが悪そうでしたよ。私がお茶を持って行って上げると、芳子さんは机の前に坐っている。

その前にその人が居て、今まで何か話していたのを急に止して黙ってしまった。私は変だからすぐ下りて来たですがね、・・・・・・何だか変ね、・・・・・・今の若い人はよくああいうことが出来てね、私のその頃には男に見られるのすら恥ずかしくって恥ずかしくって為方(しかた)がなかったものですのに・・・・・・」

「時代が違うからナ。」
「いくら時代が違っても、余り新派過ぎると思いましたよ。堕落書生と同じですからね。そりゃうわべが似ているだけで、心はそんなことはないでしょうけれど、何だか変ですよ。」

「そんなことはどうでも好い。それでどうした?」
「お鶴(下)が行って上げると言うのに、好いと言って、御自分で出かけて、餅菓子と焼芋を買って来て、御馳走してよ。・・・・・・お鶴も笑っていましたよ。お湯をさしに上ると、二人でお旨(い)しそうにおさつを食べているところでしたッて・・・・・・」
時雄も笑わざるを得なかった。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,43



麹町三番町通りの安旅人宿(はたご)、三方壁で仕切られた暑い室(へや)に初めて相対した時、先ず彼の身に迫ったのは、基督教に養われた、いやに取り澄ました、年に似合わぬ老聖菜、厭な不愉快なたいどであった。

京都訛の言葉、色の白い顔、やさしいところはいくらかはあるが、多い青年の中からこうした男を特に選んだ芳子の気が知れなかった。

殊に時雄が最も厭に感じたのは、天真流露という率直なところが微塵もなく、自己の罪悪にも弱点にも種々(いろいろ)の理由を強いてつけて、これを弁解しようとする形式的態度であった。

とは言え、実を言えば、時雄の激しい頭脳(あたま)には、それがすぐ直覚的に明らかに映ったと云うではなく、座敷の隅に置かれた小さい旅鞄や憐れにもしおたれた白地の浴衣(ゆかた)などを見ると、青年空想の昔が思い出されて、こうした恋の為め、煩悶もし、懊悩もしているかと思って、憐憫の情も起こらぬではなかった。

この暑い一室に相対して、趺坐をもかかず、二人は少なくとも一時間以上語った。話は遂に要領を得なかった。「先ず今一度考え直して見給え。」くらいが最後で、時雄は別れて帰途に就いた。

何だか馬鹿らしいような気がした。愚なる行為をしたように感じられて、自ら(みずから=自分から)その身を嘲笑した。

心にもないお世辞をも言い、自分の胸の底の秘密を蔽(おお)う為めには、二人の恋の温情なる保護者となろうとまで言ったことを思い出した。

安翻訳の仕事を周旋して貰う為め、某氏に紹介の労を執ろうと言ったことをも思い出した。そして自分ながら自分の意気地なく好人物なのを罵った。

時雄は幾度か考えた。寧ろ国に報知して遣ろうか、と。けれどそれを報知するに、どういう態度を以てしようかというのが大問題であった。

二人の恋の関鍵(かぎ)を自(みずか)ら握っていると信じるだけそれだけ時雄は責任を重く感じた。
その身の不当の嫉妬、不正の恋情の為めに、その愛する女の熱烈なる恋を犠牲にするには忍びぬと共に、自(みずか)ら言った「温情なる保護者」として、道徳家の如く、身を処するにも堪えなかった。また一方にはこの事が国に知れて芳子が父母の為めに伴われて帰国するようになるのを恐れた。


芳子が時雄の書斎へ来て、頭を垂れ、声を低うして、その希望を述べたのはその翌日の夜であった。如何に説いても男は帰らぬ。さりとて国へ報知すれば、父母の許さぬのは知れたこと、時宜(じぎ=ほどよいころあい。)に由れば忽ち迎いに来(こ)ぬ(=来てしまう、の意味。)とも限らぬ。

男も折角ああして出て来たことでもあり二人の間も世の中の男女の恋のように浅く思い浅く恋した訳でもないから、決して汚れた行為などはなく、惑溺するようなことは誓って為(し)ない。

文学は難しい道、小説を書いて一家を成そうとするのは田中のようなものには出来ぬかも知れねど、同じく将来を進むなら、共に好む道に携わりたい。

どうか暫(しばら)くこのままにして東京に置いてくれとの頼み。時雄はこの余儀なき頼みをすげなく却(しりぞ)けることは出来なかった。時雄は京都嵯峨に於ける女の行為にその節操を疑ってはいるが、一方には又その弁解をも信じて、この若い二人の間にはまだそんなことはあるまいと思っていた。

自分の青年の経験に照らしてみても、神聖なる霊の恋は成り立っても肉の恋は決してそう容易に実行されるものではない。

で、時雄は惑溺せぬものならば、暫くこのままにしておいて好いと言って、そして縷々として霊の恋愛、肉の恋愛、恋愛と人生との関係、教育ある新しい女の当(まさ)に守るべきことは、寧(むし)ろ女子の独立を保護する為であるということ、一度肉を男子に許せば女子の自由が全く敗れるということ、西洋の新しい婦人も是非ともそうならなければならぬということなど主(おも)なる教訓の題目であったが、殊に新派の女子ということに就(つ)いて痛切に語った。



引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,42


一日置いて今夜の六時に新橋に着くという電報があった。芳子はまごまごしていた。けれどよるひとり若い女を出して遣る訳に行かぬので、新橋へ迎えに行くことは許さなかった。

翌日は逢って達(た)って諫(いさ)めてどうしても京都に還らせるようにすると言って、芳子はその恋人の許(もと)を訪(と)うた。その男は停車場前のつるやという旅館(はたご)に宿っているのである。

時雄が社から帰った時には、まだとても帰るまいと思った芳子が既にその笑顔を玄関にあらわしていた。聞くと田中は既にこうして出て来た以上、どうしても京都には帰らぬとのことだ。

で、芳子は殆(ほとん)ど喧嘩をするまでに争ったが、矢張り断(だん)として可(き)かぬ。先生を頼りにして出京したのではあるが、そう聞けば、なるほど御尤(ごもっと)もである。監督上都合の悪いというのもよく解りました。

けれど今更帰れませぬから、自分で如何ようにしても自活の道を求めて目的地に進むより他(ほか)はないとまで言ったそうだ。時雄は不快を感じた。

時雄は一時は勝手にしろと思った。放っておけとも思った。けれど圏内の一員たるかれにどうして全く風馬牛(ふうばぎゅう)たることを得ようぞ。

芳子はその後二三日訪問した形跡もなく、学校の時間には正確に帰って来るが、学校に行くと称して恋人の許に寄りはせぬかと思うと、胸は疑惑と嫉妬とに燃えた。

時雄は懊悩した。その心は日に幾遍となく変った。ある時は全く犠牲になって二人の為に尽くそうと思った。ある時はこの一部始終を国に報じて一挙に破壊して了(しま)おうかと思った。けれどこの何(いず)れをも敢てすることの出来ぬのが今の心の状態であった。

細君が、ふと、時雄に耳語(じご)した。
「あなた、二階では、これよ。」と針で着物を縫う真似をして、小声で、「きっと・・・・・・上げるんでしょう。紺絣(こんがすり)の書斎羽織!白い木綿の長い紐も買ってありますよ。」

「本当か?」
「え。」
と細君は笑った。
時雄は笑うどころではなかった。

芳子が今日は先生少し遅くなりますからと顔を赤くして言った。「彼処(あすこ)に行くのか。」と問うと、
「いいえ!一寸(ちょっと)友達の処に用があって寄って来ますから。」

その夕暮、時雄は思い切って、芳子の恋人の下宿を訪問した。
「まことに、先生にはよう申し訳がありまえんのやけれど・・・・・・」

長い演説調の雄弁で、形式的の申訳をした後、田中という中背(ちゅうぜい)の、少し肥えた、色の白い男が祈祷をする時のような
眼色をして、さも同情を求めるように言った。

時雄は熱していた。「然し、君、解ったら、そうしたら好いじゃありませんか。僕は君等の将来を思って言うのです。芳子は僕の弟子です。僕の責任として、芳子に廃学させるには忍びん。

君が東京にどうしてもいると言うなら、芳子を国に帰すか、この関係を父母に打ち明けて許可を乞(こ)うか、二つの中一つを選ばんければならん。

君は君の愛する女を君の為に山の中に埋もらせるほどエゴイスチックな人間じゃありますまい。
君は宗教に従事することが今度の事件の為に厭になったと謂うが、それは一種の考えで、君は忍んで、京都に居りさえすれば、万事円満に、二人の間柄も将来希望があるのですから。」

「よう解っております・・・・・・」
「けれど出来んですか。」
「どうも済みませんけど・・・・・・制服も帽子も売ってしもうたで、今更帰るにも帰れまえんという次第で・・・・・・」

「それじゃ芳子を国に帰すですか。」
かれは黙っている。
「国に言って遣りましょうか。」
矢張り黙っていた。

「私の東京に参りましたのは、そういうことには寧ろ関係しない積りでおます。別段ことらに居りましても、二人の間にはどうという・・・・・・」

「それは君はそう言うでしょう。けれど、それでは私は監督は出来ん。恋はいつ惑溺するかも解らん。」
「私はそないなことは無いつもりですけどナ。」

「だから困るのです。」
こういう会話、要領を得ない会話を繰り返して長く相対した。時雄は将来の希望という点、男子の犠牲という点、事件の進行という点からいろいろさまざまに帰国を勧めた。

時雄の眼に映じた田中秀夫は、想像したような一箇秀麗な丈夫(じょうふ)でもなく天才肌の人とも見えなかった。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊





「蒲団」VOL,41



空想から空想、その空想はいつか長い手紙となって京都に行った。京都からも殆ど隔日のように厚い厚い封書が届いた。

書いても書いても尽くされぬ二人の情、余りその文通の頻繁なのに時雄は芳子の不在を窺(うかが)って、監督という口実の下にその良心を抑えて、こっそり机の抽斗(ひきだし)や文箱(ふばこ)やらをさがした。

捜し出した二三通の男の手紙を走り読みに読んだ。恋人のするような甘ったるい言葉は至る処に満ちていた。
けれど時雄はそれ以上にある秘密を捜し出そうと苦心した。

接吻の痕(あと)、性欲の痕が何処かに顕(あら)われておりはせぬか。神聖なる恋以上に二人の間は進歩しておりはせぬか、けれど手紙にも解らぬのは恋のまことの消息であった。
一か月は過ぎた。

ところが、ある日、時雄は芳子に宛てた一通の端書を受け取った。英語で書いてある端書であった。何気なく読むと、一月ほどの生活費は準備して行く、あとは東京で衣食の職業が見つかるかどうかという意味、京都田中としてあった。

時雄は胸を轟かした。平和は一時にして破れた。晩餐後、芳子はその事を問われたのである。
芳子は困ったという風で、「先生、本当に困って了(しま)ったんですの。田中が東京へ出てくると言うのですもの、私は二度、三度まで止めて遣ったんですけれど、何だか、宗教に従事して、虚偽に生活してることが、今度の動機で、すっかり厭になって了(しま)ったとか何とかで、どうしても東京に出て来るッて言うんですよ。」

「東京に来て、何をするつもりなんだ?」
「文学を遣りたいと・・・・・・」
「文学?文学ッて、何だ。小説を書こうと言うのか?」
「え、そうでしょう・・・・・・」


「馬鹿な!」
と時雄は一喝した。
「本当に困って了(しま)うんですの。」
「貴女(あなた)はそんなことを勧めたんじゃないか。」

「いいえ。」と烈しく首を振って、「私はそんなこと・・・・・・私は今の場合困るから、せめて同志社だけでも卒業してくれッて、この間初めに申して来た時に達(た)って止めて遣ったんですけれど・・・・・・もうすっかり独断でそうして了(しま)ったんですッて。今更取り返しがつかぬようになって了(しま)ったんですって。」


「どうして?」
「神戸の信者で、神戸の教会のた為(た)めに、田中に学資を出してくれている神津(こうづ)という人があるのですの。

その人に、田中が宗教は自分には出来ぬから、将来文学で立とうと思う。どうか東京に出してくれと言って遣ったんですの。すると大層怒って、それならもう構わぬ、勝手にしろと言われて、すっかり支度をしてしまったんですって、本当に困って了(しま)いますの。」


「馬鹿な!」
と言ったが、「今一度留めて遣んなさい。小説で立とうなんて思ったって、とても駄目だ、全く空想だ、空想の極端だ。


それに、田中が此方(こっち)に出て来ていては、貴嬢(あなた)の監督上、私が非常に困る。貴嬢の世話も出来んようになるから、厳しく止めて遣んなさい!」


芳子は愈々(いよいよ)困ったという風で、「止めてはやりますけれど、手紙が行き違いになるかもしれませんから。」

「行き違い?それじゃもう来るのか」
時雄は目を瞠(みは)った。


「今来た手紙に、もう手紙をよこしてくれても行き違いになるからと言ってよこしたんですから。」
「今来た手紙ッて、さっきの端書の又後に来たのか。」
芳子は点頭(うなず)いた。

「困ったね。だから若い空想家は駄目だと言うんだ。」
平和は再び攪乱(かきみだ)さるることとなった。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊行

田山花袋「蒲団」本文34〜40/全58

★「蒲団 34〜40・・・http://14highschool.jugem.jp/?eid=2538


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「蒲団」VOL,40

で、芳子は師を信頼した。時期が来て、父母にこの恋を告ぐる時、旧思想と衝突するようなことがあっても、この恵深い師の承認を得さえすれば、それで沢山だとまで思った。

九月は十月になった。さびしい風が裏の森を鳴らして、空の色は深く碧(あお)く、日の光は透き通った空気に差し渡って、夕の影が濃くあたりを隈どるようになった。

取り残した芋の葉に雨は終日降り頻(しき)って、八百屋の店には松茸が並べられた。垣の虫の声は露に衰えて、庭の桐の葉も脆(もろ)くも落ちた。

午前の中の一時間、九時より十時までをツルゲネーフの小説の解釈、芳子は師のかがやく眼の下に、机に斜(はす)に坐って、「オン、ゼ、イブ」の長い長い物語に耳を傾けた。

エレネの感情に烈しく意志の強い性格と、その悲しい悲壮なる末路とは如何(いか)にかの女を動かしたか。芳子はエレネの恋物語を自分に引くらべて、その身小説の中に置いた。

恋の運命、恋すべき人に恋する機会がなく、思いも懸けぬ人にその一生を託した運命、実際芳子の当時の心情そのままであった。

須磨の浜で、ゆくりなく受け取った百合の花の一葉の葉書、それがこうした運命になろうとは夢にも思い知らなかったのである。

雨の森、闇の森、月の森に向かって、芳子はさまざまにその事を思った。京都の夜汽車、嵯峨の月、膳所(ぜぜ)に遊んだ時には、湖水に夕日が美しく射渡って、旅館の中庭に、萩(はぎ)が絵のように咲き乱れていた。

その二日の遊は実に夢のようであったと思った。続いてまだその人を恋せぬ前のこと、須磨の海水浴、故郷の山の中の月、病気にならぬ以前、殊(こと)にその時の煩悶を考えると、頬(ほお)がおのずから赧(あか)くなった。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊





「蒲団」VOL,39


男からは国府津(こうづ)の消印で帰途に就(つ)いたという端書が着いて翌日三番町の姉の家から届けて来た。居間の二階には芳子が居て、呼べば直ぐ返事をして下りて来る。

食事には三度三度膳を並べて団欒(だんらん)して食う。夜は明るい洋燈(らんぷ)を取り巻いて、賑わしく面白く語り合う。

靴下は編んでくれる。美しい笑顔を絶えず見せる。時雄は芳子を全く占領して、とにかく安心もし満足もした。細君も芳子に恋人があるのを知ってから、危険の念、不安の念を全く去った。

芳子は恋人に別れるのが辛かった。成ろうことなら一緒に東京に居て、時々顔をも見、言葉をも交えたかった。けれど今の際それは出来難いことと知っていた。

二年、三年、男が同志社を卒業するまでは、たまさかの雁の音信(おとずれ)をたよりに、一心不乱に勉強しなければならぬと思った。
で、午後からは、以前の如く麹町の某英学塾に通い、時雄も小石川の社に通った。

時雄は夜などおりおり芳子を自分の書斎に呼んで、文学の話、小説の話、それから恋の話をすることがある。
そして芳子の為めにその将来の注意を与えた。

その時の態度は公平で、率直で、同情に富んでいて、決して泥酔して厠に寝たり、地上に横たわったりした人とは思われない。

さればと言って、時雄はわざとそういう態度にするのではない。女に対(むか)っている刹那(せつな)、その愛した女の歓心を得るには、いかなる犠牲も甚だ高価に過ぎなかった。

引用書籍田山花袋「蒲団」新潮社刊









「蒲団」VOL,38


午後二時頃には一室が一先ず整頓した。
「どうです、此処も居心地は悪くないでしょう。」時雄は得意そうに笑って、
「此処に居て、まア緩(ゆっ)くり勉強するです。本当に実際問題に触れてつまらなく苦労したって為方(しかた)がないですからねえ。」

「え・・・・・・」と芳子は頭を垂れた。
「後で詳しく聞きましょうが、今の中(うち)は二人共じっとして勉強していなくては、為方がないですからね。」

「え・・・・・・」と言って、芳子は顔を挙げて、「それで先生、私達もそう思って、今はお互いに勉強して、将来に希望を持って、親の親の許諾(ゆるし)をも得たいと存じておりますの!」

「それが好いです。今、余り騒ぐと、人にも親にも誤解されて了(しま)って、折角の真面目な希望も遂げられなくなりますから。


「ですから、ね、先生、私は一心になって勉強しようと思いますの。田中もそう申しておりました。それから、先生に是非お目にかかってお礼を申し上げなければ済まないと申しておりましたけれど、・・・・・・よく申し上げてくれッて・・・・・・」

「いや・・・・・・」
時雄は芳子の言葉の中に、「私共」と複数を遣(つか)うのと、もう公然許嫁(いいなずけ)の約束でもしたかのように言うのとを不快に思った。

まだ、十九か二十の妙齢の処女が、こうした言葉を口にするのを怪しんだ。時雄は時代の推移(おしうつ)ったのを今更のように感じた。

当世の女学生気質のいかに自分等の恋した時代の処女気質と異なっているかを思った。勿論、この女学生気質を時雄は主義の上、趣味の上から喜んで見ていたのは事実である。

昔のような教育を受けては、到底今の明治の男子の妻としては立って行かれぬ。女子も立たねばならぬ、意志の力を十分に養わねばならぬとは彼の持論である。

この持論を彼は芳子に向かっても少なからず鼓吹した。けれどこの新派のハイカラの実行を見てはさすがに眉を顰(ひそ)めずにはいられなかった。

引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊




「蒲団」VOL,37


佐内坂を登り了(おわ)ると、人通りが少なくなった。時雄はふと振り返って、「それでどうしたの?」と突如として訊(たず)ねた。

「え?」
反問した芳子は顔を曇らせた。
「昨日の話さ、まだ居るのかね。」

「今夜の六時の急行で帰ります。」
「それじゃ送って行かなくってはいけないじゃないか。」
「いいえ、もう好いんですの。」

これで話は途絶えて、二人は黙って歩いた。
矢来町の時雄の宅、今まで物置にしておいた二階の三畳と六畳、これを綺麗に掃除して、芳子の住居(すまい)とした。

久しく物置・・・子供の遊び場にしておいたので、塵埃(ちり)が山のように積もっていたが、箒をかけ雑巾をかけ、雨のしみの附いた破れた障子を貼り更(か)えると、こうも変るものかと思われるほど明るくなって、裏の酒井の墓の大樹の繁茂(しげり)が心地良き翠(みどり)をその一室に漲(みなぎ)らした。

燐家の葡萄棚、打ち捨てて手を入れようともせぬ庭の雑草の中に美人草の美しく交わって咲いているのも今更に目につく。

時雄はさる画家の描いた朝顔の幅(ふく)を選んで床に懸け、懸花瓶(けんかびん)には遅れ咲きの薔薇の花を挿した。

昼頃に荷物が着いて、大きな支那鞄(しなかばん)、柳行李(やなぎごうり)、信玄袋(しんげんぶくろ=底が広い布製の大きな手下げ袋)、本箱、机、夜具、これを二階に運ぶのはなかなか骨が折れる。

時雄はこの手伝いに一日社を休むべく余儀なくされたのである。机を南の窓の下、本箱をその左に、上に鏡やら紅皿やら罎(びん)やらを順序良く並べた。

押入れの一方には支那鞄、柳行李、更紗(さらさ)の蒲団夜具の一組を一方にいれようとした時、女の移香(うつりが)が鼻を撲(う)ったので、時雄は変な気になった。




引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊





「蒲団」VOL,36


無論、その胸には一種の圧迫を感じたに相違ないけれど、芳子の心にしては、絶対に信頼して、今回の恋のことにも全心を挙げて同情してくれた師の家に行って住むことは別に甚だしい苦痛でも無かった。

寧ろ以前からこの昔風の家に同居しているのを不快に思って、出来るならば、初めのように先生の家にと願っていたのであるから、今の場合でなければ、かえって大いに喜んだのであろうに・・・・・・

時雄は一刻も早くその恋人のことを聞糺(ただ)したかった。今、その男は何処いる?何時(いつ)京都に帰るか?これは時雄にとっては実に重大な問題であった。

けれど何も知らぬ姉の前で、打ち明けて問う訳にも行かぬので、この夜は露ほどもそのことを口に出さなかった。一座は平凡な物語に更けた。

今夜にもと時雄の言い出したのを、だって、もう十二時だ、明日にした方が宜(よ)かろうとの姉の注意。
で、時雄は一人で牛込へ帰ろうとしたが、どうも不安心で為方(しかた)がないような気がしたので、夜の更けたのを口実に、姉の家へ泊って、明朝早く一緒に行くことにした。

芳子は八畳に、時雄は六畳に姉と床を並べて寝た。やがて姉の小さい鼾(いびき)が聞こえた。時計は一時をカンと鳴った。

八畳では寝付かれぬと覚(おぼ)しく、おりおり高い長大息(ためいき)の気勢(けはい)がする。甲武の貨物列車が凄まじい地響きを立てて、この深夜を独り通る。時雄も久しく寝られなかった。

翌朝時雄は芳子を自宅に伴った。二人になるより早く、時雄は昨日の消息を知ろうと思ったけれど、芳子が低頭勝(うつむきがち)に悄然(しょうぜん)として後について来るのを見ると、何となく可哀そうになって、胸に苛々(いらいら)する思を畳みながら、黙して歩いた。




引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊




「蒲団」VOL,35


「大変遅くなって・・・・・・」と言って、座敷と居間との間の閾(しきい)の処に来て、半ば坐って、ちらりと電光のように時雄の顔色を窺ったが、すぐ紫の袱紗(ふくさ)に何か包んだものを出して、黙って姉の方に押し遣(や)った。


「何ですか・・・・・・お土産?いつもお気の毒ね。」
「いいえ、私も召し上がるんですもの。」
と芳子は快活に言った。

そして次の間へ行こうとしたのを、無理に洋燈(らんぷ)の明るい眩しい居間の片隅に坐らせた。美しい姿、当世流の庇髪、(ひさしがみ)、派手なネルにオリイヴ色の夏帯を形よく緊(し)めて、少し斜に坐った艶(あで)やかさ。

時雄はその姿と相対して、一種状すべからざる満足を胸に感じ、今までの煩悶と苦痛とを半ば忘れて了った。
有力な敵があっても、その恋人をだに占領すれば、それで心の安まるのは恋する者の常態である。


「大変に遅くなって了(しま)って・・・・・・」
いかにも遣る瀬無いというように微かに弁解した。

「中野に散歩に行ったッて?」
時雄は突如として問うた。

「ええ・・・・・・」芳子は時雄の顔色をまたちらと見た。
姉は茶を淹(い)れる。土産の包みを開くと、姉の好きなシュウクリーム。これはマアお旨(い)しいと姉の声。で、暫く一座はそれに気を取られた。



小時(しばらく)してから、芳子が、
「先生、私の帰るのを待っていて下さったの?」
「ええ、ええ、一時間半位待ったのよ。」
と姉が傍(そば)から言った。

で、その話が出て、都合さえよくば今夜からでも、荷物は後からでも好いから、一緒に伴(つ)れて行く積りで来たということを話した。芳子は下を向いて、点頭(うなず)いて聞いていた。




引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,34


「どうもハイカラ過ぎて困る。」と時雄は言ったが、時計の針の既に十時半の処を指すのを見て、
「それにしてもどうしたんだろう。若い身空で、こう遅くまで一人で出て歩くと言うのは?」

「もう帰って来ますよ。」
「こんなことは幾度もあるんですか。」

「いいえ、滅多にありはしませんよ。夏の夜だから、まだ宵の口位に思って歩いているんですよ。」
姉は話しながら裁縫(しごと)の針を止めぬのである。前に公孫樹の大きい裁物板が据えられて、彩絹(きぬ)の裁切(たちきれ)や糸や鋏が順序なく四面に乱れている。

女物の美しい色に、洋燈(らんぷ)の光が明かに照り渡った。九月中旬の夜は更けて、稍々(やや)肌寒く、裏の土手下を甲武の貨物汽車がすさまじい地響を立てて通る。


下駄の音がする度に、今度こそは!と待渡ったが、十一時が打って間もなく、小きざみな、軽い後歯(あとば)の音が静かな夜を軽く響いて来た。

「今度のこそ、芳子さんですよ。」
と姉は言った。

果たしてその足音が家の入口の前に留って、がらがらと格子が開く。
「芳子さん?」
「ええ。」
と艶(あで)やかな声がする。

玄関から丈の高い庇髪の美しい姿がすっと入ってきたが、
「あら、まア、先生!」
と声を立てた。その声には驚愕(おどろき)と当惑の調子が十分に籠(こも)っていた。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊

田山花袋「蒲団」本文23〜33/全58


★「蒲団」23〜33・・・http://14highschool.jugem.jp/?eid=2535

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蒲団33

時雄は家に入った。
奥の六畳に通るや否、
「芳さんはどうしました?」

その答えより何より、姉は時雄の着物に夥しく泥の着いているのに驚いて、
「まア、どうしたんです、時雄さん。」

明らかな洋燈(ランプ)の光で見ると、なるほど、白地の浴衣に、肩、膝、腰の嫌いなく、夥しい泥痕!
「何アに、其処でちょっと転んだものだから。」

「だッて、肩まで粘(つ)いているじゃありませんか。また、酔っぱらったんでしょう。」
「何アに・・・・・・」
と時雄は強いて笑ってまぎらした。

さて時を移さず、
「芳さん、何処に行ったんです。」
「今朝、ちょっと中野の方にお友達と散歩に行って来ると行って出たきりですがね、もう帰って来るでしょう。何か用?」


「え、少し・・・・・・」と言って、「昨日は帰りは遅かったですか。」
「いいえ、お友達を迎えに行くんだって、四時過ぎに出かけて、八時ごろに帰って来ましたよ。」

時雄の顔を見て、
「どうかしたのですの?」
「何アに・・・・・・けれどねえ姉さん。」と時雄の声は改まった。「実は姉さんにおまかせしておいても、この間の京都のようなことが又あると困るですから、芳子を私の家において、十分監督しようと思うんですがね。」

「そう、それは好(い)いですよ。本当に、芳子さんにもね・・・・・・何処と悪いことのない、発明な、利口な、今の世には珍しい方ですけれど、一つ悪いことがあってね、男の友達と平気で夜歩いたりなんかするんですからね。

それさえ止すと好いんだけれどとよく言うのですの。すると芳子さんはまたお母さんの旧弊がはじまったって、笑っているんだもの。

いつかなぞも余り男と一緒に歩いたり何かするものだから、角(かど)の交番でね、不審にしてね、角袖巡査が家の前に立っていたことがあったと云いますよ。それはそんなことは無いんだから、構いはしませんけどもね・・・・・・」

「それはいつのことです?」
「去年の暮でしたかね。」



引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,32


「矛盾でもなんでも為方(しかた)がない、その矛盾、その無節操、これが事実だから為方がない、事実!事実!」
と時雄は胸の中に繰り返した。

時雄は耐え難い自然の力の圧迫に圧せられたものpのように、再び傍のロハ台に長い身を横たえた。ふと見ると、赤銅のような色をした光芒(ひかり)の無い大きい月が、お濠(ほり)の松の上に音もなく昇っていた。

その色、その状(かたち)、その姿がいかにも侘びしい。その侘しさがその身の今の侘しさによく適っていると時雄は思って、また耐え難い哀愁がその胸に漲り渡った。

酔いは既に醒めた。夜露は置き始めた。
土手三番町の家の前に来た。

覗いてみたが、芳子の室に燈火の光が見えぬ。まだ帰って来ぬとみえる。時雄の胸はまた燃えた。この夜、この暗い夜に恋しい男と二人!何をしているか解らぬ。

こういう常識を欠いた行為を敢えてして、神聖なる恋とは何事?汚れたる行為の無いのを弁明するとは何事?

すぐ家に入ろうとしたが、まだ当人が帰っておらぬのに上がっても為方が無いと思って、その前を真直(まっす)ぐに通り抜けた。
女とすれ違うたびに、芳子ではないかと顔を覗きつつ歩いた。

土手の上、松の木陰、街道の曲がり角、往来の人に怪しまるるまで、彼方此方(あっちこっち)を徘徊した。もう九時、十時に近い。いかに夏の夜であるからと言って、そう遠くまで出歩いている筈が無い。もう帰ったに相違ないと思って、引き返して姉の家に行ったが、矢張りまだ帰っていない。

引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,31


悲しい、実に痛切に悲しい。この悲哀は華やかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の最奥に秘(ひそ)んでいるある大きな悲哀だ。

行く水の流れ、咲く花の凋落(ちょうらく)、この自然の底に蟠(わだかま)れる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほど儚(はかな)い情けないものはない。



汪然(おうぜん)として涙は時雄の髭面を伝った。
ふとある事が胸に上った。時雄は立ち上がって歩き出した。もう全く夜になった。

境内の処々に立てられたガラス燈は光を放って、その表面の常夜灯という三字がはっきり見える。この常夜燈という三字、これを見てかれは胸を衝(つ)いた。この三字をかれは曽(かつ)て深い懊悩を以て見たことはないだろうか。

 今の細君が大きい桃割れに結って、このすぐ下の家に娘で居た時、渠(かれ)はその微かな琴の音(ね)の髣髴(ほうふつ)をだに得たいと思ってよくこの八幡の高台に登った。

 かの女を得なければ寧(いっ)そ南洋の植民地に漂白しようというほどの熱烈な心を抱いて、華表(とりい)、長い石段、社殿、俳句の懸け行燈8かけあんどん)、この常夜燈の三字にはよく見入って物を思ったものだ。

その下には依然たる家屋、電車の轟(とどろき)こそおりおり寂寞を破って通るが、その妻の実家の窓には昔と同じように、明らかに燈の光が輝いていた。何たる節操なき心ぞ、僅(わず)かに八年の年月を閲(けみ)した【意味=年月が経った。】ばかりであるのに、こうも変わろうとはだれが思おう。

その桃割姿を丸髷姿にして、楽しく暮らしたその生活がどうしてこういう荒涼たる生活に変わって、どうしてこういう新しい恋をかんずるようになったか。時雄は我ながら時の力の恐ろしいのを痛切に胸に覚えた。
けれどその胸にある現在の事実は不思議にも何等の動揺をも受けなかった。

引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊





「蒲団」VOL,30

氷屋の暖簾が涼しそうに夕風になびく。時雄はこの夏の夜景をおぼろげに目には見ながら、電信柱に突き当たって倒れそうにしたり、浅い溝に落ちて膝頭をついたり、職工体(てい)の男に、「酔払奴(よっぱらいめ)!しっかり歩け!」と罵られたりした。

急に自ら思いついたらしく、坂の上から右に折れて、市ヶ谷八幡の境内へと入った。境内には人の影もなく寂寞(ひっそり)としていた。
大きい古い欅(けやき)の樹と松の樹とが覆いかぶさって、左の隅に珊瑚樹の大きいのが茂っていた。

処々の常夜灯はそろそろ光を放ち始めた。時雄はいかにしても苦しいので、突如(いきなり)その珊瑚樹の蔭に身をかくして、その根元の地上に身を横たえた。

興奮した心の状態、奔放な情と悲哀の快感とは、極端までその力を発展して、一方痛切に嫉妬の念に駆られながら、一方冷淡に自己の状態を客観した。


初めて恋するような熱烈な情はなかった。盲目にその運命に従うと謂うよりは、寧ろ冷ややかにその運命を批判した。熱い主観の情と冷たい客観の批判とがより合わせた糸のように固く結び付けられて、一種異様の心の状態を呈した。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊







蒲団VOL,29


夏の日はもう暮れかかっていた。矢来(やらい=町の名前)の酒井の森には烏の声が喧しく聞こえる。どの家でも夕飯が済んで、門口に若い娘の白い顔も見える。ボールを投げている少年もある。官吏らしい泥鰌髭の髭の紳士が庇髪の若い細君を連れて、神楽坂に散歩に出かけるのにも幾組か邂逅(でっくわ)した。

時雄は激昂した身体とに烈しく漂わされて、四辺(あたり)に見ゆるものが皆別の世界のもののように思われた。両側の家も動くよう、地も脚の下に陥るよう、天も頭の上に覆いかぶさるように感じた。

元からさほど強い酒量でないのに、無闇にぐいぐいとあおったので、一時に酔いが発したのであろう。ふと露西亜の賤民の酒に酔って路傍に倒れて寝ているのを思い出した。

そしてある友人と露西亜の人間はこれだから豪(えら)い、惑溺するなら飽くまで惑溺せんければ駄目だと言ったことを思い出した。
馬鹿な!恋に子弟の別があって堪るものかと口へ出して言った。

中根坂を上って、士官学校の裏門から佐内坂の上まで来た頃は、日はもうとっぷりと暮れた。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,28 


時雄は頻(しき)りに酒を呷(あお)った。酒でなければこの鬱を遣る(終える、の意味)に堪えぬといわぬばかりに。三本目に、
妻は心配して、

「この頃はどうか為(し)ましたね。」
「何故?」
「酔ってばかりいるじゃありませんか。」
「酔うということがどうかしたのか。」
「そうでしょう、何か気に懸ることがあるからでしょう。芳子さんのことなどはどうでも好いじゃありませんか。」
「馬鹿!」

と時雄は一喝した。
細君はそれにも懲りずに、
「だって、余り飲んでは毒ですよ、もう好い加減になさい、また手水場(ちょうずば)にでも入って寝ると、貴郎(あなた)は大きいから、私と、お鶴(下女)の手ぐらいではどうにもなりゃしませんからさ。」
「まア、好いからもう一本。」

で、もう一本を半分位飲んだ。もう酔いは余程回ったらしい。顔の色は赤銅色に染まって目が少しく据わっていた。急に立ち上がって、
「おい、帯を出せ。」

「何処へいらっしゃる。」
「三番町まで行ってくる。」
「姉の処?」
「うむ。」
「およしなさいよ、危ないから。」

「何アに大丈夫だ、人の娘を預かって監督せずに投遣りにしてはおかれん。男がこの東京に来て一緒に歩いたり何かしているのを見ぬ振りをしてはおかれん。

田川(姉の家の姓)に預けておいても不安心だから、今日、行って、早かったら、芳子を家に連れて来る。二階を掃除しておけ。」
「家に置くんですか。」
「勿論。」

細君は容易に帯と着物とを出そうともせぬので、
「よし、よし、着物を出さんのなら、これで好い。」と、白地の単衣(ひとえ)に唐縮緬(とうちりめん)の汚れたへこ帯、帽子も被らずに、そのままに急いで戸外へ出た。「今出しますから・・・・・・本当に困って了(しま)う。」という細君の声が後に聞こえた。

引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社








「蒲団」VOL,27


佐内坂を登り了(おわ)ると、人通りが少なくなった。時雄はふと振り返って、「それでどうしたの?」と突如として訊(たず)ねた。

「え?」
反問した芳子は顔を曇らせた。
「昨日の話さ、まだ居るのかね。」

「今夜の六時の急行で帰ります。」
「それじゃ送って行かなくってはいけないじゃないか。」
「いいえ、もう好いんですの。」

これで話は途絶えて、二人は黙って歩いた。
矢来町の時雄の宅、今まで物置にしておいた二階の三畳と六畳、これを綺麗に掃除して、芳子の住居(すまい)とした。

久しく物置・・・子供の遊び場にしておいたので、塵埃(ちり)が山のように積もっていたが、箒をかけ雑巾をかけ、雨のしみの附いた破れた障子を貼り更(か)えると、こうも変るものかと思われるほど明るくなって、裏の酒井の墓の大樹の繁茂(しげり)が心地良き翠(みどり)をその一室に漲(みなぎ)らした。

燐家の葡萄棚、打ち捨てて手を入れようともせぬ庭の雑草の中に美人草の美しく交わって咲いているのも今更に目につく。

時雄はさる画家の描いた朝顔の幅(ふく)を選んで床に懸け、懸花瓶(けんかびん)には遅れ咲きの薔薇の花を挿した。

昼頃に荷物が着いて、大きな支那鞄(しなかばん)、柳行李(やなぎごうり)、信玄袋(しんげんぶくろ=底が広い布製の大きな手下げ袋)、本箱、机、夜具、これを二階に運ぶのはなかなか骨が折れる。

時雄はこの手伝いに一日社を休むべく余儀なくされたのである。机を南の窓の下、本箱をその左に、上に鏡やら紅皿やら罎(びん)やらを順序良く並べた。

押入れの一方には支那鞄、柳行李、更紗(さらさ)の蒲団夜具の一組を一方にいれようとした時、女の移香(うつりが)が鼻を撲(う)ったので、時雄は変な気になった。




引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊










「蒲団」VOL,26

その田中という二十一の青年が現にこの東京に来ている。芳子が迎えに行った。何をしたかわからん。この間言ったこともまるで虚言(うそ)かもしれぬ。

この夏期の休暇に須磨で落ち合った時から出来ていて、京都での行為もその欲を満たす為め、今度も恋しさに堪えかねて女の後を追って上京したのかも知れん。

手を握ったろう。胸と胸とが相触れたろう。人が見ていぬ旅籠屋の二階、何を為ているか解らぬ。汚れる汚れぬのも刹那の間だ。こう思うと時雄は堪らなくなった。

「監督者の責任にも関する!」と腹の中で絶叫した。こうしてはおかれぬ、こういう自由を精神の定まらぬ女に与えておくことは出来ん。監督せんければならん、保護せんけりゃならん。私共は熱情もあるが理性がある!私共とは何だ!何故私とは書かぬ、何故複数を用いた?

時雄の胸は嵐のように乱れた。着いたのは昨日の六時、姉の家へ行って聞き糺(ただ)せば昨夜何時頃に帰ったか解るが、今日はどうした、今はどうしている?


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊







「蒲団」VOL,25


田中は私の余りに狼狽した手紙に非常に驚いたとみえまして、十分覚悟をして、万一破壊の暁にはと言った風なことも決心して参りましたので御座います。万一の時にはあの時嵯峨に一緒に参った友人を証人にして、二人の間が決して汚れた関係の無いことを弁明し、別れて後互いに感じた二人の恋愛をも打ち明けて、先生に御すがり申して郷里の父母の方へも逐一言って頂こうと決心して参りましたそうです。

けれどこの間の私の無謀で郷里の父母の感情を破っている矢先、どうしてそんなことを申して遣わされましょう。今はしばらく沈黙して、お互いに希望を持って、専心勉学に志し、いつか折を見て、・・・或いは五年、十年の後かもしれません。打ち明けて願う方が得策だと存じまして、そういうことにいたしました。

せんせいのお話をも一切話して聞かせました。で、用事が済んだ上は、帰した方が好いのですけれど、非常に疲れている様子を見ましては、さすがに直ちに引き返すようにとも申しかねました。

  
(私の弱いのをお許し下さいまし。)勉学中、実際問題に触れてはならぬとの先生の御教訓は身に染みて守るつもりではございますが、一先(ひとまず)、旅籠屋に落ち着かせまして、折角出てきたものですから、一日くらいは見物しておいでなさいと、つい申して了(しま)いました。

どうか先生、お許し下さいまし。私共も激しい感情の中に、理性も御座いますから、京都でしたような、仮にも常識を外れた、他人から誤解されるようなことは致しません。誓って、決して致しません。末ながら奥様にも宜しく申し上げてくださいまし。

                                             芳子
  先生  御もと


この一通の手紙を読んでいる中、さまざまの感情が時雄の胸を火のように燃えて通った。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊



蒲団VOL,24


門をあけて入ると、細君が迎えに出た。残暑の日はまだ暑く、洋服の下襦袢がびっしょり汗にぬれている。
それを糊のついた白地の単衣(ひとえ)に着替えて、茶の間の火鉢の前に座ると、細君はふと思い付いたように、箪笥の上の一封の手紙を取り出し、

「芳子さんから」
と言って渡した。
急いで封を切った。巻紙の厚いのを見ても、その事件に関しての用事に相違ない。時雄は熱心に読み下した。
言文一致で、すらすらとこのうえない達筆。

先生
実はご相談に上がりたいと存じましたが、余り急でしたものでしたから、独断で実行いたしました。
昨日四時に田中から電報が参りまして、六時に新橋の停車場に着くということですもの、私はどんなに驚きましたかしれません。

何事も無いのに出て来るような、そんな軽率な男でないと信じておりますだけに、一層甚だしく気を揉みました。先生、許して下さい。私はその時刻に迎えに参りましたのです。

逢って聞きますと、私の一部始終を書いた手紙を見て、非常に心配して、もしこの事があった為め万一郷里に連れて帰られるようなことがあっては、自分が済まぬと言うので、学費をも捨てて上京して、先生にすっかりお打ち明け申して、お詫びも申し上げ、お情けにもすがって、万事円満に参るようにと、そういう目的で急に出て参ったとのことでございます。

それから、私は先生にお話し申した一部始終、先生のお情け深い言葉、将来までも私等二人の神聖な真面目な恋の証人とも保護者ともなって下さるということを話しましたところ、非常に先生の御情に感激しまして、感謝の涙に暮れました次第で御座います。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊




蒲団VOL,23

この力の為めに支配されるのを常に口惜しく思っているのではあるが、それでもいつか負けて了(しま)う。これが為め彼はいつも運命の圏外に立って、苦しい味を嘗(な)めさせられるが、世間からは正しい人、信頼するに足る人と信じられている。

三日間の苦しい煩悶、これでとにかく彼はその前途を見た。二人の間の関係は一段落を告げた。これからは、師としての責任を尽くして、わが愛する女の幸福の為めを謀るばかりだ。

これはつらい、けれどつらいのが人生(ライフ)だ!
と思いながら帰って来た。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊

田山花袋「蒲団」本文13〜22/全58


★「蒲団」13〜22・・・http://14highschool.jugem.jp/?eid=2534

(^_-)-☆アスカミチル
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蒲団VOL,22

君が門辺(かどべ)をさまよふは

巷(ちまた)の塵(ちり)を吹き立つる

嵐のみとやおぼすらん。

その嵐よりいやあれに

その塵よりも乱れたる

恋のかばねを暁の



歌を半ばにして、細君の被(か)けた蒲団を着たまま、すっくと立上って、座敷のほうへ小山のごとく動いて行った。

何処へ?何処へいらっしゃるんです?と細君は気が気でなくその後を追って行ったが、それにも関(かま)わず、
蒲団をきたまま、厠(かわや)の中へ入ろうとした。

細君は慌てて、
「貴郎(あなた)、貴郎、酔っぱらってはいやですよ。そこは手水場(ちょうずば)ですよ。」
いきなり蒲団を後から引いたので、蒲団は厠の入口で細君の手に残った。

時雄はふらふらと危く小便をしていたが、それがすむと、いきなりどうと厠の中に寝てしまった。
細君が汚がって頻りに揺すったり何かしたが、時雄は動こうとも立とうとも為ない。そうかと云って眠ったのではなく、赤土のような顔に大きい鋭い目を明(あ)いて、戸外(おもて)に降りしきる雨をじっと見ていた。

時雄は例刻をてくてくと牛込矢来町の自宅に帰って来た。
彼は三日間、その苦悶と戦った。

彼は性として惑溺(わくでき)することが出来ぬ或る一種の力を有(も)っていた。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊




蒲団VOL,21

寂寥(さびしさ)に堪えず、午(ひる)から酒を飲むと言い出した。細君の支度の為ようが遅いのでぶつぶつ言っていたが、膳に載せられた肴がまずいので、遂に癇癪(かんしゃく)を起して、自棄(やけ)に酒を飲んだ。

一本、二本と徳利の数は重なって、時雄は時の間(ま)に泥の如く酔った。細君に対する不満ももう言わなくなった。
徳利に酒が無くなると、只、酒、酒というばかりだ。

そしてこれをぐいぐいと呷(あお)る。気の弱い下女はどうしたことかと呆れて見ておった。男の子の五歳になるのを始めはしきりに可愛がって抱いたり撫でたり接吻したりしていたが、どうしたはずみでか泣き出したのに腹を立てて、ピシャピシャとソノ尻を乱打したので、三人の子供は怖がって、遠巻きにして、平生(ふだん)に似もやらぬ父親の赤く酔った顔を不思議そうに見ていた。

一升近く飲んでそのまま其処に酔い倒れて、お膳のとんぼ返りを打つのにも頓着しなかったが、やがて不思議なだらだらした節で、十年も前にはやった幼稚な新体詩を歌いだした。

引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊




 蒲団VOL,20

時雄は悶えた、思い乱れた。妬みと惜しみと悔恨(くやみ)との念が一緒になって旋風のように頭脳(あたま)の中を回転した。師としての道義の念もこれに交じって、益々炎を盛んにした。わが愛する女の幸福の為めという犠牲の念も加わった。で、夕暮の膳の上の酒は夥しく量を加えて、泥鴨(あひる)の如く酔って寝た。

あくる日は日曜日の雨、裏の森にざんざん降って、時雄の為めには一倍に侘びしい。欅(けやき)の古樹に降りかかる雨の脚(あし)、それが実に長く、限りない空から限りなく降っているとしか思われない。時雄は読書する勇気も無い、筆を執る勇気もない。

もう秋で冷え冷えと背中の冷たい籐椅子に身を横たえつつ、雨の長い脚を見ながら、今回の事件からその身の半生のことを考えた。
彼の経験にはこういう経験が幾度もあった。一歩の相違で運命の唯中に入ることができずに、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶、その苦しい味をかれは常に味わった。

文学の側でもそうだ、社会の側でもそうだ。恋、恋、恋、今になってもこんな消極的な運命に漂わされているかと思うと、その身の意気地なしと運命のつたないことがひしひしと胸に迫った。ツルゲーネフのいわゆるSuper fluous man ! だと思って、その主人公の儚(はかな)い一生を胸に繰返した。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊




蒲団 VOL,19


芳子は師の前にその恋の神聖なるを神懸けて誓った。故郷の親たちは、学生の身で、ひそかに男と嵯峨に遊んだのは、既にその精神の堕落であると云ったが、決してそんな汚れた行為はない。

互いに恋を自覚したのは、寧ろ京都で別れてからで、東京に帰って来てみると、男から熱烈なる手紙が来ていた。それで始めて将来の約束をしたような次第で、決して罪を犯したようなことは無いと女は涙を流して言った。

時雄は胸に至大の犠牲を感じながらも、その二人の所謂(いわゆる)神聖なる恋の爲めに力を尽くすべく余儀なくされた。
時雄は悶えざるを得なかった。わが愛するものを奪われたということは甚だしくその心を暗くした。

元より進んでその女弟子を自分の恋人にする考は無い。そういう明らかな定まった考があれば前に既に二度までも近寄ってきた機会を掴むに於いて敢えて躊躇(ちゅうちょ)するところは無い筈だ。

けれどその愛する女弟子、淋しい生活に美しい色彩を添え、限りなき力を添えてくれた芳子を、突然人の奪い去るに任すに忍びようか。機会を二度まで掴むことは躊躇したが、三度来る機会、四度来る機会を待って、新たなる運命と新たなる生活を作りたいとはかれの心の底の微(かす)かなる願であった。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊




「蒲団」VOL,18

四月に入ってから、芳子は多病で蒼白い顔をして神経過敏に陥っていた。シュウソカリを余程多量に服してもどうも眠られぬとて困っていた。

絶えざる欲望と生殖の力とは年頃の女を誘うのに躊躇(ちゅうちょ)しない。芳子は多く薬に親しんでいた。
四月末に帰国、九月に上京、そして今回(こんど)の事件が起った。

今回の事件とは他でもない。芳子は恋人を得た。そして上京の途次、
恋人と相携えて京都嵯峨(さが)に遊んだ。

その遊んだ二日の日数が出発と着京との時日に符号せぬので、東京と備中(広島県)との間に手紙の往復があって、詰問した結果は恋愛、神聖なる恋愛、二人は決して罪を犯してはおらぬが、将来は如何にしてもこの恋を遂げたいとの切なる願望(ねがい)。

時雄は芳子の師として、この恋の証人として一面月下氷人(げっかひょうじん)の役目を余儀なくされたのであった。
芳子の恋人は同志社の学生、神戸協会の秀才、田中秀夫、年二十一。

引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊




蒲団17



この機会がこの一年の間に少なくとも二度近寄ったと時雄は自分だけで思った。

一度は芳子が厚い封書を寄せて、自分の不束(ふつつか)なこと、先生の厚恩に報ゆることが出来ぬから自分は故郷に帰って農夫の妻になって田舎に埋れてしまおうということを涙交じりに書いた時、

一度は或る夜芳子が一人で留守番をしているところへゆくりなく時雄が行って訪問した時、この二度だ。



初めの時は時雄はその手紙の意味を明らかに了解した。その返事をいかに書くべきかに就いて一夜眠らずに懊悩(おうのう)した。
穏やかに眠れる妻の顔、それを幾度か窺(うかが)って自己の良心のいかに麻痺せるかを自ら責めた。そしてあくる朝送った手紙は、厳呼(げんこ)たる師としての態度であった。




二度目はそれから二月ほど経(た)った春の夜、ゆくりなく時雄が訪問すると、芳子は白粉(おしろい)をつけて、美しい顔をして、火鉢の前にぽつねんとしていた。

「どうしたの。」と訊(き)くと、
「お留守番ですの。」
「姉は何処(どこ)へ行った?」
「四谷に買い物に。」
と言って、じっと時雄の顔を見る。

いかにも艶かしい。時雄はこの力ある一瞥(いちべつ)に意気地なく胸を躍らした。
二言三言(ふたことみこと)普通のことを語り合ったが、その平凡なる物語が更に平凡でないことを互いに思い知ったらしかった。

この時、今十五分も一緒に話し合ったならば、どうなったであろうか。女の表情の眼は輝き、言葉は艶(なま)めき、態度がいかにも尋常(よのつね)でなかった。

「今夜は大変綺麗にしてますね?」
男は態(わざ)と軽く出た。
「え、先程、湯に入りましたのよ。」
「大変に白粉が白いから。」
「あらまア先生!」と言って、笑って体を斜(はす)に嬌態(きょうたい)を呈した。

時雄はすぐ帰った。まア好いでしょうと芳子はたって留めたが、どうしても帰ると言うので、名残り惜しげに月の夜を其処(そこ)まで送って来た。その白い顔には確かにある深い神秘が籠(こ)められてあった。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊











「蒲団」16

芳子と時雄との関係は単に師弟の間柄としては余りに親密であった。この二人の様子を観察したある第三者の女の一人が妻に向かって、
「芳子さんが来てから時雄さんの様子はまるで変りましたよ。二人で話しているところを見ると、魂は二人ともあくがれ渡っているようで、それは本当に油断がなりませんよ。」と言った。

他(はた)から見れば、無論そう見えたに相違なかった。けれど二人は果たしてそう親密であったか、どうか。

若い女の浮かれがちな心、浮かれるかと思えばすぐ沈む。些細なことにも胸を動かし、つまらぬことにも心を痛める。恋でもない、恋でなくも無いというようなやさしい態度、時雄は絶えず思い惑った。

道義の力、習俗の力、機会一度至ればこれを破るのは帛(きぬ)を裂くよりも容易だ。唯(ただ)、容易に来らぬはこれを破るに至る機会である。

引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊



「蒲団」15

「女子ももう自覚せんければいかん。昔の女のように依頼心を持っていては駄目だ。ズウデルマンのマグダの言った通り、父の手からすぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。
日本の新しい婦人としては、自ら考えて自ら行うようにしなければいかん。」

こう言っては、イプセンのノラの話や、ツルゲーネフのエレネの話や、露西亜(ろしあ)、独逸(どいつ)あたりの婦人の意志と感情と共に富んでいることを話し、さて、
「けれど自覚と云うのは、自省ということをも含んでおるですからな。無暗に意志や自我を振り回しては困るですよ。自分の遣ったことには自分が全責任を帯びる覚悟がなくては。」

芳子にはこの時雄の教訓が何より意味があるように聞こえて、渇仰の念が愈々(いよいよ)加わった。基督教の教訓より自由でそして権威があるように考えられた。

芳子は女学生としては身装(みなり)が派手過ぎた。黄金(きん)の指輪をはめて、流行をおった美しい帯をしめて、すっきりとした立ち姿は、路傍の人目を惹(ひ)くに十分であった。

美しい顔と云うよりは表情のある顔、非常に美しい時もあれば何だか醜い時もあった。眼に光があってそれが非常によく働いた。

四五年前までの女は感情を顕(あら)わすのに極めて単純で、怒った溶(かたち)とか笑った溶とか、三種、四種位しかその感情を表すことが出来なかったが、今では情を巧みに顔に表わす女が多くなった。

芳子もその一人であると時雄は常に思った。




「蒲団」14

麹町土手三番町の一角には、女学生もそうハイカラなのが沢山居ない。それに、市ヶ谷見附の彼方(あちら)には時雄の細君の里の家があるのだが、この付近は殊に昔風の商家の娘が多い。で、少なくとも芳子の神戸仕込のハイカラはあたりの人の目を聳(そばだ)たしめた。時雄は姉の言葉として、妻から常に次のようなことを聞かされる。

「芳子さんにも困ったものですねと姉が今日も言っていましたよ、男の友達が来るのは良いけれど、夜など一緒に二七(不動)に出かけて、遅くまでかえって来ないことがあるんですって。そりゃ芳子さんはそんなことは無いのに決まっているけれど、世間の口が喧(やかま)しくって仕方がないと言っていました。」

これを聞くと時雄は決まって芳子の肩を持つので、
「お前たちのような旧式の人間には芳子の遣ることなどは判(わか)りゃあせんよ。男女が二人で歩いたり話したりすれば、すぐあやしいとか変だとか思うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ、今では女も自覚しているから、為ようと思うことは勝手にするさ。」
この議論を時雄はまた得意になって芳子にも説法した。

引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊



「蒲団」13

その寓していた家は麹町の土手三番町、甲武(こうぶ)の電車の通る土手際で、芳子の書斎はその家での客座敷、八畳の一間、前に往来の頻繁な道路があって、がやがやと往来の人やら子供やらで喧(やかま)しい。

時雄の書斎にある西洋本箱を小さくしたような本箱が一閑張の机の傍にあって、その上には鏡と、紅皿と、白粉の罎(びん)と、今一つシュウソカリウムの入った大きな罎がある。

これは神経過敏で、頭痛(あたま)が痛くって為方(しかた)が無い時に飲むのだという。本箱には紅葉(こうよう)全集、近松世話浄瑠璃(せわじょうるり)、英語の教科書、ことに新しく買ったツルゲーネフ全集が際立って目に附く。

で、未来の閨秀(けいしゅう)作家は学校から帰って来ると、机に向かって文を書くというよりは、寧(むし)ろ多く手紙を書くので、男の友達も随分多い。男文字の手紙も随分来る。中にも高等師範の学生に一人、早稲田大学の学生に一人、それが時々遊びに来たことがあったそうだ。

引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊







田山花袋「蒲団」本文4〜12/全58

★「蒲団」4〜12・・・http://14highschool.jugem.jp/?eid=2533


「蒲団」C 

こうならぬ前に、この戯曲をかの女の日課として教えて遣ろうかと思ったことがあった。ヨハンネス・フォケラートの心事と悲哀とを教えて遣りたかった。

この戯曲を渠(かれ)が読んだのは、今から三年前、まだかの女のこの世にあることをも夢にも知らなかった頃であったが、その頃から渠は寂しい人であった。

敢えてヨハンネスにその身を比そうとは為(し)なかったが、アンナのような女がもしあったなら、そういう悲劇(トラジデイ)ニ陥るのは当然だとしみじみ同情した。今はそのヨハンネスにさえなれぬ身だと思って長歎した。


さすがに「寂しき人々」をかの女に教えなかったが、ツルゲーネフの「ファースト」という短編を教えたことがあった。

洋燈(ランプ)の光明かなる四畳半の書斎、かの女の若々しい心は色彩ある恋物語に憧れ渡って、表情ある眼は更に深い深い意味を以(もっ)て輝きわたった。

ハイカラな庇髪(ひさしがみ)、櫛(くし)、リボン、洋灯の光線がその半身を照らして、一巻の書籍に顔を近く寄せると、言うに言われぬ香水のかおり・・・・・書中の主人公が昔の恋人に「ファースト」を読んで聞かせる段を講釈する時には、男の声も烈しく戦(ふる)えた。

「けれど、もう駄目だ!」
と、渠(かれ)は再び頭髪(かみ)をむしった。


引用書籍
「蒲団」田山花袋著、新潮社刊












『蒲団』D


渠(かれ)はその頃この女に逢うのをその日その日の唯一の楽(たの)みとして、その女に就いていろいろな空想を逞(たくましゅ)うした。恋が成り立って、神楽坂あたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらどう・・・・・・。細君に知れずに、二人近郊を散歩したらどう・・・・・・。

いや、それどころではない、そのとき、細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女をいれるとしてどうであろう。・・・・・・平気で後妻に入れることが出来るだろうかどうかなどと考えて歩いた。



引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊

「蒲団」E


神戸の女学院の生徒で、生れは備中(びっちゅう)の新見町(にいみまち)で、渠の著作の信奉者で、名を横山芳子という女から崇拝の情を以て充(み)たされた一通の手紙を受け取ったのはその頃であった。

竹中古城と謂(い)えば、美文的小説を書いて、多少世間に聞こえておったので、地方からくる崇拝者渇迎者(かつごうしゃ)の手紙はこれまでにもずいぶん多かった。

やれ文章を直してくれの、弟子にしてくれのと一々取り合ってはいられなかった。だからその女の手紙を受け取っても、別に返事を出そうとまでその好奇心は募らなかった。けれど同じ人の熱心なる手紙を三通貰っては、さすがの時雄も注意をせずにはいられなかった。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊

「蒲団」F


歳は十九だそうだが、手紙の文句から推(お)して、その表情の巧みなのは驚くべきほどで、いかなることがあっても先生の門下生になって、一生文学に従事したいとの切なる願望(のぞみ)。文字は走り書きのすらすらした字で、余程ハイカラの女らしい。

返事を書いたのは、例の工場の二階の室で、その日は毎日の課業の地理を二枚書いて止(よ)して、長い数尺に余る手紙を芳子に送った。

その手紙には女として文学に携わることの不心得、女は生理的に母たるの義務を尽くさなければならぬ理由、処女にして文学者たるの危険などを縷々(るる)として説いて、幾らか罵倒(ばとう)的の文字をも陳(なら)べて、これならもう愛想(あいそ)をつかして断念(あきら)めて了(しま)うであろうと時雄は思って微笑した。

そして本箱の中から岡山県の地図を探して、阿哲郡(あてつぐん)新見町の所在を研究した。山陽線から高梁川(たかはしがわ)の谷を遡って奥十数里、こんな山の中にもこんなハイカラの女があるかと思うと、それでも何となくなつかしく、時雄はその附近の地形やら山やらを仔細(しさい)に見た。

で、これで返事をよこすまいと思ったら、それどころか、四日目には更に厚い封書が届いて、紫インキで、青い罫(けい)の入った西洋紙に横に細字で三枚、どうか将来見捨てずに弟子にしてくれという意味が返す返すも書いてあって、父母に願って許可を得たならば、東京に出て、然るべき学校に入って、完全に忠実に文学を学んでみたいとのことであった。

時雄は女の志に感ぜずにはいられなかった。東京でさえ、女学校を卒業したものでさえ、文学の価値(ねうち)などはわからぬものなのに、何もかもよく知っているらしい手紙の文句、早速(さっそく)返事を出して子弟の関係を結んだ。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊




「蒲団」G


それからたびたびの手紙と文章、文章はまだ幼稚な点はあるが、癖のない、すらすらした、将来発達の見込みは十分にあると、時雄は思った。で一度は一度より段々互いの気質が知れて、時雄はその手紙の来ることを待つようになった。

ある時などは写真を送れと言って遣ろうと思って、手紙の隅に小さく書いて、そしてまたこれを黒々と塗って了(しま)った。女性には容色(きりょう)というものが是非必要である。容色の悪い女はいくら才があっても、男が相手に為(し)ない。時雄も内々胸の中で、どうせ文学をやろうというような女だから、不容色(びきりょう)に相違ないと思った。

けれどなるべくは見られる位の女であって欲しいと思った。
芳子が父母に許可(ゆるし)を得て、父に伴(つ)れられて、時雄の門を訪(おとの)うたのは翌年の二月で、丁度時雄の三番目の男の子の生まれた七夜の日であった。

座敷の隣の室は細君の産褥(さんじょく)で、細君は手伝いに来ている姉から若い女門下生の美しい容色であることを聞いて少なからず懊悩した。姉もああいう若い美しい女を弟子にして、どうする気だろうと心配した。

時雄は芳子と父とを並べて、縷々(るる)として文学者の境遇と目的とを語り、女の結婚問題に就(つ)いて予(あらかじ)め父親の説を叩いた。(叩く=辞典・・・ここでは、芳子の父親に、芳子の将来をどう考えているかを聞く意味。)


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊



「蒲団」H


芳子の家は新見町でも第三とは下らぬ豪家で、父も母も厳格なる基督教信者(クリスチャン)、母は殊にすぐれた信者で、曽(かつ)ては同志社女学校に学んだこともあるという。

総領の兄は英国に洋行して、帰朝後は某官立学校の教授となっている。芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処でハイカラな女学校生活を送った。

基督教の女学校は他の女学校に比して、文学に対してすべて自由だ。その頃こそ「魔風恋愛」や「金色夜叉」などを読んではならんとの規定も出ていたが、文部省で干渉しない以前は、教場でさえなくば何を読んでも差し支えなかった。

学校に付属した教会、そこで祈祷の尊いこと、クリスマスの晩の面白いこと、理想を養うということの味をも知って、人間の卑しいことを隠して美しいことを標榜するという群(むれ)の仲間となった。

母のひざ元が恋しいとか、故郷(ふるさと)が懐かしいとか言うことは、来た当座こそ切実に辛くも感じたが、やがては全く忘れて、女学生の寄宿生活をこの上なく面白く思うようになった。

美味しい南瓜を食べさせないといっては、お鉢の飯に醤油をかけて賄方(まかないかた・・・給仕当番の女学生)をいじめたり、舎監のひねくれた老婦の顔色を見て、陰陽(かげひなた)に物を言ったりする女学生の群の中に入っていては、
家庭に養われた少女のように、単純に物を見ることがどうして出来よう。

美しいこと、理想を養うこと、虚栄心の高いこと、
こういう傾向をいつとになくうけて、芳子は明治の女学生の長所と短所とを遺憾なく備えていた。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊

「蒲団」I

少なくとも時雄の孤独なる生活はこれによって破られた。


昔の恋人・・・・・今の細君。曽(かつ)ては恋人には相違なかったが、今は時勢が移り変わった。四五年来の女子教育の勃興、女子大学の設立、庇髪(ひさしがみ)、海老茶袴(えびちゃばかま)、男と並んで歩くのをはにかむようなものは一人も無くなった。

この世の中に、旧式の丸髷(まるまげ)、泥鴨(あひる)のような歩き振、温順と貞節とより他に何物をも有せぬ細君に甘んじていることは時雄には何よりも情けなかった。

路(みち)を行けば、美しい今様(いまよう)の細君を連れての睦まじい散歩、友を訪(おとな)えば夫の席に出て流暢に会話を賑(にぎや)かす若い細君、ましてその身が骨を折って書いた小説を読もうでもなく、夫の苦悶煩悶には全く風馬牛(ふうばぎゅう)で、子供さえ満足に育てれば好いという自分の細君に対すると、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。

これが、この孤独が、芳子によって破られた。ハイカラな新式な美しい女門下生が、先生!先生!と世にも豪い人のように渇仰して来るのに胸を動かさずに誰がおれようか。

最初の一月ほどは時雄の家に仮寓(かぐう)していた。
華(はな)やかな声、艶(あで)やかな姿、
今までの孤独な淋しいかれの生活に、何等の対照!


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊




「蒲団」J

産褥から出たばかりの細君を助けて、靴下を編む、襟巻を編む、着物を縫う、子供を遊ばせるという生き生きした態度、
時雄は新婚当初に帰ったような気がして、家門近く来ると、そそるように胸が動いた。

門をあけると、玄関にはその美しい笑顔、色彩に富んだ姿、
夜も今までは子供とともに細君がいぎたなく眠ってしまって、六畳の室(へや)に徒(いたずら)に明らかな洋燈(ランプ)も、却(かえ)って侘しさを増すの種であったが、今は如何に夜更けてかえって来ても、羊燈の下には白い手が巧みに編物の針を動かして、膝の上に色ある毛糸の丸い玉!賑やかな笑い声が牛込の奥の小柴垣の中に充(み)ちた。

けれど一月ならずして時雄はこの愛すべき女弟子をその家に置く事の不可能なのを悟った。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊

「蒲団」K

従順なる家妻は敢えてその事に不服をも唱えず、それらしい様子も見せなかったが、しかもその気色(きしょく)は次第に悪くなった。限りなき笑い声の中に限りなき不安の情が充ち渡った。妻の里方の親戚間などには現に一問題として講究されつつあることを知った。

時雄は色々に煩悶した後、細君の姉の家(軍人の未亡人で恩給と裁縫とで暮らしている姉の家に寄寓させて、其処(そこ)から麹町(こうじまち)の某女塾に通学させることにした。

それから今回の事件まで一年半の年月が経過した。
その間二度芳子は故郷を省(せい)した(=帰省した事)。短編小説を五種、長編小説を一種、その他美文、新体詩を数十篇作った。

某女塾では、英語は優等の出来で、時雄の選択で、ツルゲネーフの全集を丸善から買った。初めは、暑中休暇に帰省、二度目は、神経衰弱で、時々癪(しゃく)のような痙攣(けいれん)を起こすので、暫(しば)し故山の静かな処に帰って休養するほうが好いという医師の勧めにしたがったのである。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊
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