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2021年02月16日

「現代日本の開花」講演本文 17/18



夏目漱石「現代日本の開花」明治44, 8月和歌山講演 VOL,17/18





それでは子供が背(せな)に負われて大人と一緒に歩くような真似をやめて、地道に発展の順序を尽くして進むことは、どうしても出来まいかという相談が出るかも知れない。



そういうご相談が出れば、私は無いことも無いとお答えをする。



が西洋で百年かかってようやく今日に発展した開花を、日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚のそしりを免(まぬか)れるように、誰が見ても内発的であると認めるような推移をやろうとすれば、これまたゆゆ式結果に陥るのであります。



百年の経験を十年で上滑りもせず、やり遂げようとするならば、年限が十分一に縮まるだけわが活力は十倍に増さなければならんのは算術の初歩を心得た者でさえ容易(たやす)く首肯するところである。



これは学問を例にお話をするのが一番早わかりである。



西洋の新しい説などを生噛りにして、法螺を吹くのは論外として、本当に自分が研究を積んで、甲の説から乙の説に移り、また乙から丙に進んで、毫も流行を追うの陋態(ろうたい=恥)無く、またことさらに新奇を衒うの虚栄心無く、全く自然の順序階級を内発的に経て、しかも彼等西洋人が百年もかかってようやく到達し得た分化の極端に、我々が維新後、四五十年の教育の力で達したと仮定する。



体力能力共に吾らよりも旺盛な西洋人が百年の歳月を費やしたものを、いかに先駆の国難を勘定に入れないにした所で、僅かその半ばに足らぬ歳月で、明明知に通過し終えるとしたならば、吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇りうると同時に、一敗また起(た)つ能わざるの神経衰弱にかかって、気息奄々(きそくえんえん)として、今や路傍に呻吟(しんぎん)しつつあるは必然の結果として正(まさ)に起こるべき現象でありましょう。



現に少し落ち着いて考えて見ると、大学の教授を十年間一生懸命にやったら、大抵の者は、神経衰弱に罹りがちじゃないでしょうか。



ピンピンしているのは、皆嘘の学者だと申しては語弊があるが、まあどちらかと云えば、神経衰弱に罹る方が当たり前のように思われます。



学者を例に引いたのは、単に分かり易いためで、理屈は開花のどの方面へも応用が出来る積りです。



すでに開花というものが、いかに進歩しても、案外その開花の賜物として、我々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からイライラしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変わりはなさそうであることは、前お話した通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に依って、吾人の開花が機械的に変化を余儀なくされるために、ただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏ん張るために、神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。







引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊行




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