2021年02月16日
「現代日本の開花」講演本文 14/18
夏目漱石「現代日本の開花」明治44, 8月和歌山講演 VOL,14/18
こんなに説明すると、かえって込み入って、難しくなるかもしれませんが、学者は分かったことを分かりにくく言うもんで、素人は分からないことを分かったように呑み込んだ顔をするものだから、非難は五分五分である。
今言った弧線とか曲線とかいうことを、もそっと砕いてお話しすると、物をちょっと見るのにも、見てこれがなんであるかということが、ハッキリ分かるには、ある時間を要するので、すなはち意識が下の方から一定の時間を経て、頂点へ上って来てハッキリして、ああこれだなと思う時がくる。
それをなお見詰めていると、今度は視覚が鈍くなって、多少ぼんやりしはじめるのだから、一旦上の方へ向いた意識の芳香が、又下を向いて暗くなりかける。
これは実験して御覧になると分かる。
実験と云っても、機械などは要らない。
頭の中がそうなっているんだから、ただ試しさえすれば気が付くのです。
本を読むにしても、AというコトバとBという言葉とそれからCという言葉が順々に並んでいれば、この三つの言葉を順々に理解していくのが当たり前だから、明らかに頭に移る時はBはまだ意識に上らない。
bが意識の舞台に上り始める時には、もうAの方は薄ぼんやりして、識域(しきいき)の方に近づいて来る。
BからCへ移るときはこれと同じ所作を繰り返すに過ぎないのだから、いくら列を長くしても同じことであります。
これは極めて短時間の意識を学者が解剖して吾々に示した者でありますが、この解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社会の集合意識にも、それからまた一日一月もしくは一年ないし十年の間の意識にも応用の利く解剖で、その特色は多人数になったって、長時間にわたったって、一向変わりはないことと私は信じているのであります。
喩(たと)えて見れば、あなた方と云う多人数の団体が、今ここで私の講演を聴いておいでになる。聴いていない方もあるかも知れないが、まア聴いているとする。
そうするとその個人でない集合体のあなたがたの意識の上には、今私の講演の内容が明らかに入る。
と同時に、この講演に来る前、あなた方が経験された事、すなわち途中で雨が降り出して着物が濡れたとか、また蒸し暑くて途中が難儀であったとかいう意識は、講演の方が心を奪うにつれて、だんだん不明瞭不確実になってくる。
またこの講演が終わって、場外に出て、涼しい風に吹かれでもすれば、あゝ好い心持だという意識に心を占領されてしまって、講演の方はピッタリ忘れてしまう。
私から云えば、全く有り難くない話だが、事実だから已(や)むを得ないのである。
私の講演は行往座我共に覚えていらっしゃいといっても、心理作用に反した注文なら、誰も承知する者はありません。
これと同じように、あなたがたというやはり一個の団体の意識の内容を検して(けんして=調べて)みると、たとい一か月に渡ろうが、一年に渡ろうが、一か月には一か月を括(くく)るべき炳乎(へいこ=はっきりした事)たる意識が在り、また一年には一年を纏めるに足る意識があって、それからそれへと順次に消長しているものと私は断定するのであります。
吾々も過去を顧みて見ると、中学時代とか大学時代とか皆特別の名のつく時代で、その時代時代の意識がまとまっております。
日本人総体の集合意識は、過去四五年前には日露戦争の意識だけになり切っておりました。
その後、日英同盟の意識で占領された時代もあります。
引用書籍
夏目漱石「現代日本の開花」
講談社学術文庫刊行
こんなに説明すると、かえって込み入って、難しくなるかもしれませんが、学者は分かったことを分かりにくく言うもんで、素人は分からないことを分かったように呑み込んだ顔をするものだから、非難は五分五分である。
今言った弧線とか曲線とかいうことを、もそっと砕いてお話しすると、物をちょっと見るのにも、見てこれがなんであるかということが、ハッキリ分かるには、ある時間を要するので、すなはち意識が下の方から一定の時間を経て、頂点へ上って来てハッキリして、ああこれだなと思う時がくる。
それをなお見詰めていると、今度は視覚が鈍くなって、多少ぼんやりしはじめるのだから、一旦上の方へ向いた意識の芳香が、又下を向いて暗くなりかける。
これは実験して御覧になると分かる。
実験と云っても、機械などは要らない。
頭の中がそうなっているんだから、ただ試しさえすれば気が付くのです。
本を読むにしても、AというコトバとBという言葉とそれからCという言葉が順々に並んでいれば、この三つの言葉を順々に理解していくのが当たり前だから、明らかに頭に移る時はBはまだ意識に上らない。
bが意識の舞台に上り始める時には、もうAの方は薄ぼんやりして、識域(しきいき)の方に近づいて来る。
BからCへ移るときはこれと同じ所作を繰り返すに過ぎないのだから、いくら列を長くしても同じことであります。
これは極めて短時間の意識を学者が解剖して吾々に示した者でありますが、この解剖は個人の一分間の意識のみならず、一般社会の集合意識にも、それからまた一日一月もしくは一年ないし十年の間の意識にも応用の利く解剖で、その特色は多人数になったって、長時間にわたったって、一向変わりはないことと私は信じているのであります。
喩(たと)えて見れば、あなた方と云う多人数の団体が、今ここで私の講演を聴いておいでになる。聴いていない方もあるかも知れないが、まア聴いているとする。
そうするとその個人でない集合体のあなたがたの意識の上には、今私の講演の内容が明らかに入る。
と同時に、この講演に来る前、あなた方が経験された事、すなわち途中で雨が降り出して着物が濡れたとか、また蒸し暑くて途中が難儀であったとかいう意識は、講演の方が心を奪うにつれて、だんだん不明瞭不確実になってくる。
またこの講演が終わって、場外に出て、涼しい風に吹かれでもすれば、あゝ好い心持だという意識に心を占領されてしまって、講演の方はピッタリ忘れてしまう。
私から云えば、全く有り難くない話だが、事実だから已(や)むを得ないのである。
私の講演は行往座我共に覚えていらっしゃいといっても、心理作用に反した注文なら、誰も承知する者はありません。
これと同じように、あなたがたというやはり一個の団体の意識の内容を検して(けんして=調べて)みると、たとい一か月に渡ろうが、一年に渡ろうが、一か月には一か月を括(くく)るべき炳乎(へいこ=はっきりした事)たる意識が在り、また一年には一年を纏めるに足る意識があって、それからそれへと順次に消長しているものと私は断定するのであります。
吾々も過去を顧みて見ると、中学時代とか大学時代とか皆特別の名のつく時代で、その時代時代の意識がまとまっております。
日本人総体の集合意識は、過去四五年前には日露戦争の意識だけになり切っておりました。
その後、日英同盟の意識で占領された時代もあります。
引用書籍
夏目漱石「現代日本の開花」
講談社学術文庫刊行
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