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2021年02月16日

「現代日本の開花」講演本文 3/18

夏目漱石「現代日本の開花」明治44,8月和歌山講演 VOL,3/18





それについては少し学究めきますが、日本とかいう現代とか特別な形容詞に束縛されない一般の開花から出立して、その性質を調べる必要があると考えます。



お互いに開花という言葉を使っておって、日に何遍も繰り返しているけれども、果たして開花とはどんなものだと煎じ詰めて聞き糺(ただ)されて見ると、今まで互いに了解し得たとばかり考えていた言葉の意味が存外喰い違っていたり、あるいはもってのほかに漠然と曖昧であったりするのはよくあることだから、私は先ず開花の定義から極めて懸かりたいのです。



もっとも定義を下すについては、よほど気を付けないと、飛んでもないことになる。



これを難しく言いますと、定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工のように硬張ってしまう。



複雑な特性を簡単にまとめる学者の手際と脳力とには敬服しながらも、一方においてその迂闊(うかつ)を惜しまなければならないようなことが、彼らの下した定義を見ると、よくあります。





その弊所を極く分かりやすく一口にお話すれば、生きたものをわざと四角四面の棺の中へ入れて、殊更に融通が利かないようにするからである。





もっとも幾何学などで中心から円周に至る距離が、ことごとく等しいものを円というというような定義はあれで差し支えない、定義の便宜があって、弊害のない結構なものですが、これは実世間に存在する円いものを説明するといわんよりむしろ理想的に頭の中にある円というものをかく約束上取り決めたまでであるから、古往今来変わりっこないので、どこまでもこの定義一本で押して行かれる。



その他四角だろうが三角だろうが、幾何的に存在している限りは、それぞれの定義で一旦纏めたら決して動かす必要もないかもしれないが、不幸にして現実世の中にある円とか四角とか三角とかいうもので、過去現在未来を通じて動かないものは甚だ少ない。



ことにそれ自身に、活動力を具(そな)えて存在するものには、変化消長がどこまでも付き纏っている。



今日の四角は明日の三角にならないとも限らないし、明日の三角がまたいつ円く崩れ出さないともいえない。



要するに幾何学のように定義があってその定義から物を拵(こしら)えだしたのでなくって、物があってその物を説明するために定義を作るとなると、勢いその物の変化を見越してその意味を含ましたものでなければ、いわゆる杓子定規(しゃくしじょうぎ)とかで一向気の利かない定義になってしまいます。





引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊


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