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2021年02月16日

「現代日本の開花」講演本文 11/18

夏目漱石「現代日本の開花」明治44,8月和歌山講演 VOL,11/18





積極的活力の発現のほうから見ても、この波動は同じことで、早い話が今までは敷島か何か吹かして我慢しておったのに、隣の男が旨そうにエジプト煙草を喫(の)んでいると、やっぱりそっちが喫みたくなる。



また喫んで見れば、そのほうが旨いに違いない。



しまいには敷島などを吹かすものは人間の数へ入らないような気がして、どうしてもエジプトへ喫み移らなければならぬという競争が起こってくる。



通俗のことばであれば人間が贅沢になる。



道学者は倫理的の立場から始終奢侈(しゃし=ぜいたく)を戒めている。



結構には違いないが、自然の大勢に反した訓戒であるからいつでも駄目に終わるということは昔から今日まで人間がどのくらい贅沢になったか、考えてみればわかる話である。



かく積極消極両方面の競争が激しくなるのが開花の趨勢(すうせい=状況)だとすれば、我々は長い時日のうちに種々様々の工夫を凝(こら)し、知恵を絞ってようやく今日まで発展してきたようなものの、生活の吾人の内生に与える心理的苦痛から論ずれば、今も五十年前も百年前も、苦しさ加減の程度は別に変わりが無いかも知れないと思うのです。





それだからして、このくらいの労力を節減する器械が整った今日でも、生存の苦痛は存外切(せつ)なもので、あるいは非常という形容詞を冠(かぶ)らしても然(しか)るべき程度かも知れない。





これほど労力を節減出来る時代に生まれても、その忝(かたじ)けなさが頭に応えなかったり、これほど娯楽の種類や範囲が拡大されても、全くその有難みが分からなかったりする以上は、苦痛の上に非常という字を附加(ふか=加える)しても好いかも知れません。



これが階下の生んだ一大パラドックスだと私は考えるのであります。



これから日本の開花に移るのですが、果たして一般的の開花がそんなものであるならば、日本の開花も開花の一種だから、宜(よ)かろうじゃないかで、この講義は済んでしまうわけであります。



がそこに一種特別な事情があって、日本の開花はそういかない。



何故そうは行かないか。



それを説明するのが、今日の講演の主眼である。



と申すと、玄関を上がって、ようやく茶の間あたりへ来た気がして驚くでしょう。



しかしそう長くはありません。



奥行きは存外短い講演です。



やってる方だって、長いのは疲れますから、出来るだけ労力節約の法則に従って、早く切り上げる積りですから、もう少し辛抱して聴いて下さい。







引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊行




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