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2021年02月16日

「現代日本の開花」講演本文 12/18

夏目漱石「現代日本の開花」明治44,8月和歌山講演 VOL,12/18








それで現代の日本の開花は、前に述べた一般の開花とどこが違うのかというのが問題です。



もし一言にしてこの問題を決しようとするならば、私はこう断じたい、西洋の開花(すなはち一般の開花)は内発的であって、日本の現代の開花は外発的である。



ここに内発的というのは、内から自然に出て発展するという意味で、ちょうど花が開くように、おのずから蕾が破れて、花弁が外に向かうのをいい、また外発的とは、外からおっかぶさった他の力でやむを得ず一種の形式を取るのを指した積りなのです。





もう一口説明しますと、西洋の開花は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉を付けた以後の日本の開花は、大分勝手が違います。



勿論どこの国だって、隣づきあいがある以上は、その影響を受けるのがもちろんのことだから、吾が日本といえども、昔からそう超然としてただ自分だけの活力で発展したわけではない。



ある時は三韓またある時は支那という風に大分外国の文化にかぶれた時代もあるでしょうが、長い月日を前後ぶっ通しに計算して、大体の上から一瞥(いちべつ)してみると、まあ比較的内発的の開花で進んできたといえましょう。



少なくとも、鎖港排外の空気で二百年も麻酔した揚句、突然西洋文化の刺激に跳ね上がったくらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったというのが適当でしょう。



日本の開花は、あの時から急激に曲折し始めたのであります。



また曲折しなければならないほどの衝撃をうけたのであります。



これを別の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開してきたのが、急に自己本位の能力を失って、外から無理押しに押されて、否応なしにそのいう通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。



それが一時ではない。



四五十年前に一押し押されたなりじっと持ち応(こた)えているなんて楽な刺激ではない。



時々に押され、刻々に押されて今日に至ったばかりでなく、向後何年の間か、または恐らく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在出来ないのだから、外発的というより他に仕方がない。



その理由は無論明白な話で、前申し上げた開花の定義に立ち戻って述べるならば、吾々が四五十年前始めて打(ぶ)つかった、またいまでも接触を避けるわけに行かないかの西洋の開花というものは、我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開花で、また吾々よりも数十倍娯楽道楽の方面に積極的に活力を使用し得る方法を具備した開花である。





引用書籍

夏目漱石「現代日本の開花」

講談社学術文庫刊行


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