スポンサードリンク 田山花袋「蒲団」本文41〜58/全58(vol,58最終回) : 1分読むだけ文学通
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2021年02月13日

田山花袋「蒲団」本文41〜58/全58(vol,58最終回) 

★「蒲団」41〜58(58:最終章)・・・http://14highschool.jugem.jp/?eid=2537


一旦、最下部へスクロールしてから、

お楽しみ下さいね。りんごりんごスイカ

イエ―――――――――――イ!!!!
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「蒲団」VOL,58  最終回。

さびしい生活、荒涼たる生活は再び時雄の家に音信(おとず)れた。子供を持て余して喧(やかま)しく叱る細君の声が耳について、不愉快な感を時雄に与えた。
生活は三年前の旧(むかし)の轍(わだち=車の車輪の跡=昔の状態)にかえったのである。

五日目に芳子から手紙が来た。いつもの人懐かしい言文一致でなく、礼儀正しい候文で、
「昨夜恙(つつが)なく帰宅致し候儘(まま)御安心被下度(くだされたく)、此の度(たび)はまことに御忙しき折柄種々御心配ばかり相懸け候うて申訳も無之(これなく)、幾重にも御詫び申上候、御前に御高恩をも謝し奉り、御詫(おわび)も致し度候いしが、兎角(とかく)は胸迫りて最後の会合すら辞(いな)み候心、お察し被下度候、新橋にての別離、硝子戸の前に立ち候毎に、茶色の帽子うつり候ようの心地致し、今猶(なお)まざまざと御姿見るのに候、山北辺より雪降り候うて、湛井(たたい)よりの山道十五里、悲しきことのみ思い出で、かの一茶が『これがまアつひの住家(すみか)か雪五寸』の名句痛切に身にしみ申候、父よりいずれ御礼の文奉り度存居(ぞんじおり)候えども今日は町の市日(いちび)にて手引き難く、乍失礼(しつれいながら)私より宜敷(よろしく)御礼申上候、まだまだ御目汚し度きこと沢山に有之候えども激しく胸騒ぎ致し候まま今日はこれにて筆擱(お)き申し候」
と書いてあった。


時雄は雪の深い十五里の山道と雪に埋もれた山中の田舎町とを思い遣(や)った。別れた後、そのままにして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り、微(かす)かに残ったその人の面影を偲ぼうと思ったのである。

武蔵野の寒い風の盛んに吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るような音が凄まじく聞こえた。別れた日のように東の窓の雨戸を一枚明けると、光線は流るるように射し込んだ。



机、本箱、罎(びん)、紅皿(べにざら)、依然として元のままで、恋しい人はいつもの様に学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机の抽斗(ひきだし)を明けてみた。

古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫くして立ち上がって襖(ふすま)を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引きで送るばかりに絡(から)げてあって、その向こうに、芳子が常に用いていた蒲団、萌黄(もえぎ)唐草(からくさ)の敷蒲団と、綿の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。

時雄はそれを引き出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着(よぎ)の襟の天鵞絨(びろうど)の際立って汚れているのに顔を押し附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。


性欲と悲哀と絶望とが忽(たちま)ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
薄暗い一室、戸外には風が吹き暴(あ)れていた。



                         完

引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,57

混雑また混雑、群衆また群衆、行く人送る人の心は皆空(そら)になって、天井に響く物音が更に旅客の胸に反響した。悲哀(かなしみ)と喜悦(よろこび)と好奇心とが停車場の至る処に巴渦(うず)を巻いていた。一刻ごとに集まり来る人の群、殊に六時の神戸急行は
乗客が多く、二等室も時の間に肩摩轂撃(けんまこくげき=大通りが馬車や人込みで大混乱する様子。)の光景となった。


時雄は二階の壺屋からサンドウィッチを二箱買って芳子に渡した。切符と入場切符も買った。手荷物のチッキも貰った。今は時刻を待つばかりである。
この群衆の中に、もしや田中の姿が見えはせぬかと三人皆思った。けれどその姿は見えなかった。


ベルが鳴った。群衆はぞろぞろと改札口に集まった。一刻も早く乗り込もうとする心が燃えて、苛立って、その混雑は一通りでなかった。三人はその間を辛うじて抜けて、広いプラットホオムに出た。そして最も近い二等室に入った。後ろからも続々と人が入って来た。長い旅を寝て行こうとする商人もあった。


呉(くれ)あたりに帰ろうとする軍人の左官もあった。大阪言葉を露骨に、蝶々と雑話に耽る女連もあった。父親は白い毛布を長々と敷いて、傍に小さい鞄を置いて、芳子と相並んで腰を掛けた。電気の光が社内に差渡って、芳子の白い顔がまるで浮彫のように見えた。


父親は窓際に来て、幾度も好意のほどを謝し、後に残ることに就いて、万事を嘱(しょく)した。時雄は茶色の中折帽、七子(ななこ)の三紋(みつもん)の羽織という扮装(いでたち)で、窓際に立ち尽くしていた。
発射の時間は刻々に迫った。


時雄は二人のこの旅を思い、芳子の将来のことを思った。その身と芳子とは尽きざる縁(えにし)があるように思われる。妻が無ければ、無論自分は芳子を貰ったに相違ない。芳子もまた喜んで自分の妻になったであろう。


理想の生活、文学的の生活、耐え難き創作の煩悶をも慰めてくれるだろう。今の荒涼たる胸をも救ってくれる事が出来るだろう。
「何故、もう少し早く生まれなかったでしょう、私も奥様時分に生まれていれば面白かったでしょうに・・・・・・」と妻に言った芳子の言葉を思い出した。


この芳子を妻にするような運命は永久その身に来ぬであろうか。この父親を自分の舅(しゅうと)と呼びような時は来ぬだろうか。人生は長い、運命は奇(く)しき力を持っている。処女でないということが、一度節操を破ったということが、却って、年多く子供ある自分の妻たることを容易ならしむる条件となるかもしれぬ。


運命、人生、曽て芳子に教えたツルゲネーフの「プニンとバブリン」が時雄の胸に上った。露西亜の卓(すぐ)れた作家の描いた人生の意味が今更のように胸を撲(う)った。

時雄の後に、一群の見送人が居た。その蔭に、柱の傍に、いつ来たか、一箇の古い中折帽を冠(かぶ)った男が立っていた。芳子はこれを認めて胸を轟(とどろ)かした。父親は不快な感を抱いた。けれど、空想に耽って立ち尽くした時雄は、その後にその男が居るのを夢にも知らなかった。

車掌は八社の笛を吹いた。
汽車は動き出した。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,56


時雄も胸を衝(つ)いた。師としての恩情と責任とを果たしたかと烈しく反省した。かれも泣きたいほど侘しくなった。光線の暗い一室、行李(こうり)や書籍の散逸せる中に、恋せる女の帰国の涙、これを慰むる言葉も無かった。

午後三時、車が三台来た。玄関に出した行李、支那鞄、信玄袋を車夫は運んで車に乗せた。芳子は栗梅の被布(ひる)を着て、白いリボンを髪に挿して、眼を泣き腫らしていた。送って出た細君の手を堅く握って、
「奥さん、左様なら・・・・・・私、またきっと来てよ、きっと来てよ、来ないでおきはしないわ。」

「本当にね、又出ていらっしゃいよ。一年位したら、きっとね。」
と、細君も堅く手を握りかえした。その眼には涙が溢れた。女心の弱く、同情の念はその小さい胸に漲(みなぎ)り渡ったのである。


冬の日のやや薄寒き牛込の屋敷町、最先(まっさき)に父親、次に芳子、次に時雄という順序で車は走り出した。細君と下婢とは名残を惜しんでその車の後影を見送っていた。その後に隣の細君がこの俄(にわ)かの出立を何事かと思って見ていた。猶その後の小路の曲り角に、茶色の帽子を被った男が立っていた。芳子は二度、三度まで振り返った。

車が麹町(こうじまち)の通りを日比谷へ向かう時、時雄の胸に、今の女学生ということが浮かんだ。前に行く車上の芳子、高い二百三高地巻、白いリボン、やや猫背勝なる姿、こういう形をして、こういう事情の下に、荷物と共に父に伴(つ)れられて帰国する女学生はさぞ多いことであろう。


芳子、あの意志の強い芳子でさえこうした運命を得た。教育家の喧(やかま)しく女子問題を言うのも無理はない。時雄は父親の苦痛と芳子の涙とその身の荒涼たる生活とを思った。路行く人の中にはこの荷物を満載して、父親と中年の男子に保護されて行く花の如き女学生を意味ありげに見送るものもあった。

京橋の旅館に着いて、荷物を纏(まと)め、会計を済ました。この家は三年前、芳子が始めて父に伴(つ9れられて出京した時泊った旅館で、時雄は此処に二人を訪問したことがあった。


三人はその時と今とを胸に比較して感慨多端であったが、しかも互いに避けて面(おもて)にあらわさなかった。五時には新橋の停車場に行って、二等待合室に入った。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,55


田中は翌朝時雄を訪(おとの)うた。かれは大勢の既に定まったのを知らずに、己の事情の帰国に適せぬことを縷々(るる)として説こうとした。霊肉共に許した恋人の例(なら)いとして、いかようにしても離れまいとするのである。

時雄の顔には得意の色が上(のぼ)った。
「いや、もうその問題は決着したです。芳子が一部始終をすっかり話した。君等は僕を欺いていたということが解った。大変な神聖な恋でしたナ。」

田中の顔は俄かに変わった。羞恥の念と激昂(げっこう)の情と絶望の悶えとがその胸を衝(つ)いた。彼は言うところを知らなかった。

「もう止むを得んです。」と時雄は言葉を続(つ)いで、「僕はこの恋に関係することが出来ません。いや、もう厭です。芳子を父親の監督に移したです。」

男は黙って坐っていた。蒼いその>顔には肉の戦慄が歴々(ありあり)と見えた。不図、急に、辞儀をして、こうしてはいられぬといいう態度で、此処(ここ)を出て行った。


午前十時頃、父親は芳子を伴うて来た。愈々(いよいよ)今夜六時の神戸急行で帰国するので、大体の荷物は後から送って貰うとして、手廻りの物だけ纏(まと)めて行こうというのであった。芳子は自分の二階に上って、そのまま荷物の整理に取懸かった。


時雄の胸は激してはおったが、以前よりは軽快であった。二百余里の山川を隔てて、もうその美しい表情をも見ることが出来なくなると思うと、言うに言われぬ侘しさを感ずるが、その恋せる女を競争者の手から父親の手に移したことは尠(すくな)くとも愉快であった。


で、時雄は父親と寧ろ快活に種々なる物語に耽った。父親は田舎の紳士によく見るような書画道楽、雪舟、応挙、容斎の絵画、山陽、竹田(ちくでん)、海屋(かいおく)、茶山(さざん)の書を愛し、その名幅を無数に蔵していた。話は自(おのずか)らそれに移った。平凡なる書画物語はこの一室に一時栄えた。


田中が来て、時雄に逢いたいと言った。八畳と六畳との中じきりを閉めて、八畳で逢った。父親は六畳に居た。芳子は二階の一室に居た。

「御帰国になるんでしょうか。」
「え、どうせ、帰るんでしょう。」
「芳さんも一緒に。」
「それはそうでしょう。」

「何時(いつ)ですか。お話し下されますまいか。」
「どうも今の場合、お話することは出来ませんナ。」
「それでは一寸(ちょっと)でも・・・・・・芳さんに逢わせて頂く訳には参りますまいか。」

「それは駄目でしょう。」
「では、お父様は何方(どちら)へお泊りですか、一寸番地をうかがいたいですが。」
「それも僕には教えて好いか悪いか解らんですから。」

取り付く島がない。田中は黙って暫し坐っていたが、そのまま辞儀をして去った。
昼飯の膳がやがて八畳に並んだ。これがお別れだと云うので、細君は殊に注意して酒肴を揃えた。時雄も別れのしるしに、三人相並んで会食しようとしたのである。けれど芳子はどうしても食べたくないという。

細君が説(とき)勧めても来ない。時雄は自身二階に上った。
東の窓を一枚明けたばかり、暗い一室には本やら、雑誌やら、着物やら、帯やら、罎(びん)やら、行李(こうり)やら、支那鞄やらが足の踏み場も無い程に散らばっていて、塵埃(ほこり)の香が夥(おびただ)しく鼻を衝く中に、芳子は眼を泣腫して荷物の整理をしていた。

三年前、青春の希望湧くがごとき心を抱いて東京に出て来た時のさまに比べて、何等の悲惨、何等の暗黒であろう。すぐれた作品一つ得ず、こうして田舎に帰る運命かと思うと、堪らなく悲しくならずにはいられまい。

「折角支度したから、食ったらどうです。もう暫くは一緒に飯も食べられんから。」
「先生・・・・・・」
と、芳子は泣き出した。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,54

芳子は午飯(ひるめし)も夕飯も食べたくないとて食わない。陰鬱な気が一家に満ちた。細君は夫の機嫌の悪いのと、芳子の煩悶しているのに胸を痛めて、どうしたことかと思った。

昨日の話の模様では、万事円満におさまりそうであったのに・・・・・・・。細君は一椀なりと召し上がらなくては、お腹が空いて為方(しかた)があるまいと、それをすすめに二階へ行った。

時雄はわびしい薄暮を苦い顔をして酒を飲んでいた。やがて細君が下りて来た。どうしていたと時雄は聞くと、薄暗い室に洋燈(ランプ)もつけず、書きかけた手紙を机に置いて打伏(うっぷ)していたとの話。手紙?誰に遣る手紙?時雄は激した。そんな手紙を書いたって駄目だと宣告しようと思って、足音高く二階に上った。


「先生、後生ですから。」
と祈るような声が聞こえた。机の上に打伏したままである。「先生、後生ですから、もう、少し待って下さい。手紙に書いて、さし上げますから。」
時雄は二階を下りた。


暫くして下女は細君に命ぜられて、二階に洋燈を点けに行ったが、下りて来る時、一通の手紙を持って来て、時雄に渡した。時雄は渇したる心を以て読んだ。

先生、
私は堕落女学生です。私は先生のご厚意を利用して、先生を欺きました。その罪はいくらお詫びしても許されませぬほど大きいと思います。先生、どうか弱いものと思ってお憐み下さい。先生に教えて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行っておりませんでした。

矢張私は旧派の女、新しい思想を行う勇気を持っておりませんでした。私は田中に相談しまして、どんなことがあってもこの事ばかりは人に打ち明けまい。過ぎたことは為方が無いが、これからは清浄な恋を続けようと約束したのです。

けれど、先生、先生の御煩悶が皆な私の至らない為であると思いますと、じっとしてはいられません。今日は終日そのことで胸を痛めました。どうか先生、この憐れなる女をお憐み下さいまし。


先生にお縋り申す他、私には道が無いので御座います。

                   芳子

  先 生 おもと


時雄は今更に地の底にこの身を沈めらるるかと思った。手紙を持って立ち上がった。その激した心みは、芳子がこの懺悔を敢えてした理由、総てを打ち明けて縋ろうとした態度を解釈する余裕が無かった。

二階の梯子をけたたましく踏み鳴らして上って、芳子の打伏している机の傍に厳然として坐った。
「こうなっては、もう為方がない。私はもうどうすることも出来ぬ。この手紙はあなたに返す、この事に就いては、誓って何人にも沈黙を守る。


とにかく、あなたが師として私を信頼した態度は新しい日本の女として恥ずかしくない。けれどこうなっては、あなたが国に帰るのが至当だ。今夜、これから直ぐ父親の処へ行きましょう。そして一部始終を話して、早速、国に帰るようにした方が好い。」


で、飯を食い了(おわ)るとすぐ、支度をして家を出た。芳子の胸にさまざまの不服、不平、悲哀が溢れたであろうが、しかも時雄の厳かなる命令に背くわけには行かなかった。

市ヶ谷から電車に乗った。二人相並んで席をとったが、しかも一語をも言葉を交えなかった。山下門で下りて、京橋の旅館に行くと、父親は都合よく在宅していた。一部始終、父親は特に怒りもしなかった。


唯同行して帰国するのをなるべく避けたいらしかったが、しかもそれより他に路は無かった。芳子は泣きも笑いもせず、唯、運命の奇しきに呆(あき)るるという風であった。

時雄は捨てた積りで芳子を自分に任せることは出来ぬかと言ったが、父親は当人が親を捨ててもというならばいざ知らず、普通の状態に於いては無論許そうとは為(し)なかった。芳子もまた親を捨ててまでも、帰国を拒むほどの決心が附いておらなかった。

で、時雄は芳子を父親に預けて帰宅した。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,53


時雄の胸に、ふと二人の関係に就いての疑問が起こった。男の烈しい主張と芳子を己(おの)が所有とする権利があるような態度とは、時雄にこの疑問を起こさしむるの動機となったのである。

「で、二人の間の関係をどう御観察なすったです。」
時雄は父親に問うた。
「そうですな。関係があると思わんけりゃなりますまい。」

「今の際、確かめておく必要があると思うですが、芳子さんに、嵯峨行きの弁解をさせましょうか。今度の恋は嵯峨行きの後に初めて感じたことだと言うてましたから、その証拠になる手紙があるでしょうから。」

「まア、其処までせんでも・・・・・・」
父親は関係を信じつつもその事実となるのを恐れるらしい。
運悪く其処に芳子は茶を運んで来た。

時雄は呼び留めて、その証拠になる手紙があるだろう、その身の潔白を証する為に、その前後の手紙を見せ給えと迫った。これを聞いた芳子の顔は俄かに赤くなった。さも困ったという風がありありとして、顔と態度とに顕れた。


「あの頃の手紙はこの間皆な焼いて了(しま)いましたから。」
その声は低かった。
「焼いた?」
「ええ。」
芳子は顔を垂れた。

「焼いた?そんなことは無いでしょう。」
芳子の顔は愈々(いよいよ)赤くなった。時雄は激さざるを得なかった。
事実は恐ろしい力で彼の胸を刺した。


時雄は立って厠に行った。胸は苛々して、頭脳(あたま)は幻惑するように感じた。欺かれたという念が烈しく心頭を衝(つ)いて起こった。厠を出ると、其処に、障子の外に、芳子はおどおどした様子で立っている。
「先生、本当に、私は焼いて了(しま)ったのですから。」
「うそをお言いなさい。」と、時雄は叱るように言って、障子を烈しく閉めて室内に入った。


父親は夕飯の馳走になって旅館に帰った。時雄のその夜の煩悶は非常であった。欺かれたと思うと、豪(ごう)が煮えて為方(しかた)がない。否、芳子の霊と肉、その全部を一書生に奪われながら、とにかくその恋に就いて真面目に尽くしたかと思うと腹が立つ。


その位なら、あの男に身を任せていた位なら、何もその処女の節操を尊ぶには当たらなかった。
自分も大胆に手を出して、性欲の満足を買えば良かった。こう思うと、今まで上天の境に置いた美しい芳子は、売女(ばいじょ)か何ぞのように思われて、その体は愚か、美しい態度も表情も卑しむ気になった。


で、その夜は悶え悶えて殆ど眠られなかった。様々の感情が黒雲のように胸を通った。その胸に手をあてて時雄は考えた。いっそこうしてくれようかと思うた。どうせ、男に身を任せて汚れているのだ。このままこうして、男を京都に帰して、その弱点を利用して、自分の自由にしようかと思った。


と、種々(いろいろ)なことが頭脳(あたま)に浮かぶ。芳子がその二階に泊まって寝ていた時、もし自分がこっそりその二階に登って行って、遣瀬(やるせ)なき恋を語ったらどうであろう。危座(きざ)して自分を諫(いさ)めるかも知れぬ。


声を立てて人を呼ぶかも知れぬ。それとも又せつない自分の情を汲んで犠牲になってくれるかもしれぬ。さて犠牲になったとして、翌朝はどうであろう、明らかな日光を見ては、さすがに顔を合わせるにも忍びぬに相違ない。

その時、モウパッサンの『父』という短編を思い出した。ことに少女が男に身を任せて後、烈しく泣いたことの書いてあるのを痛切に感じたが、それを又今思い出した。かと思うと、この暗い想像に抵抗する力が他の一方から出て、盛んにそれと争った。


で、煩悶又煩悶、懊悩又懊悩、寝返りを幾度と打って二時、三時の時計の音をも聞いた。芳子も煩悶したに相違なかった。朝起きた時には蒼い顔をしていた。朝飯をも一椀で止した。

なるたけ時雄の顔に逢うのを避けている様子であった。芳子の煩悶はその秘密を知られたというよりも、それを隠しておいた非を悟った煩悶であったらしい。

午後にちょっと出て来たいと言ったが、社へも行かずに家に居た時雄はそれを許さなかった。一日はかくて過ぎた。田中から何等の返事もなかった。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


光るハート

「蒲団」VOL,52


「あれほどお父さんが解っていらっしゃる。」と時雄は父親の言葉を受けて、「三年、君が為に待つ。君を信用するに足りる三年の時日を君に与えると言われたのは、実にこの上ない恩恵(めぐみ)でしょう。

人の娘を誘惑するような奴には真面目に話をする必要がないといって、このまま芳子をつれて帰られても、君は一言も恨むせきはないのですのに、三年待とう、君の真心の見えるまでは、芳子を他に嫁(かたず)けるようなことはすまいと言う。

実に恩恵ある言葉だ。許可すると言ったより一層恩義が深い。君はこれが解らんですか。」
田中は低頭(うつむ)いて顔をしかめると思ったら、涙がはらはらとその頬(ほお)を伝った。
一座は水を打ったように静かになった。


田中は溢れ出ずる涙を手の拳(こぶし)で拭(ぬぐ)った。時雄は今ぞ時と、
「どうです、返事を為(し)給え。」

「私などはどうなっても好うおます。田舎に埋もれても構わんどす!」
また涙を拭(ぬぐ)った。

「それではいかん。そう反抗的に言ったって為方(しかた)がない。腹の底を打ち明けて、互いに不満足のないようにしようとする為めのこの会合です。君は達(た)って、田舎に帰るのが厭だとならば、芳子を国に帰すばかりです。」

「二人一緒に東京に居ることは出来んですか?」
「それは出来ん。監督上出来ん。二人の将来の為めにも出来ん。」
「それでは田舎に埋もれてもようおます!」


「いいえ、私が帰ります。」と芳子も涙に声を震わして、「私は女・・・・・・女です・・・・・・貴方さえ成功して下されば、私は田舎に埋もれても構やしません、私が帰ります。」


一座はまた沈黙に落ちた。
暫くしてから、時雄は調子を改めて、

「それにしても、君はっどうして京都に帰れんのです。神戸の恩人に一部始終を話して、今までの不心得を謝して、同志社に戻ったら好いじゃありませんか。芳子さんが文学志願だから、君も文学家にならんければならんというようなことはない。宗教家として、神学者として、牧師として大いに立ったなら好いでしょう。」


「宗教家にはもうとてもようなりまへん。人に向かって教えを説くような豪(えら)い人間ではないでおますで。・・・・・・それに、残念ですのは、三月(みつき)の間苦労しまして、実は漸くある親友の世話で、衣食の道が開けましたで、・・・・・・田舎に埋もれるには忍びまへんで。」


三人は猶(なお)語った。話は遂に一小段落を告げた。田中は今夜親友に相談して、明日か明後日までに確乎(かっこ)たる返事を齎(もたらそ)うと言って、一先ず帰った。時計はもう午後四時、冬の日は暮近く、今まで室(へや)の一隅に照っていた日影もいつか消えて了(しま)った。


一室は父親と時雄と二人になった。
「どうも煮えきらない男ですわい。」と父親はそれとなく言った。
「どうも形式的で、甚だ要領を得んです。もう少し打ち明けて、ざっくばらんに話してくれると好いですけれど・・・・・・」

「どうも中国の人間はそうは行かんですけえ、人物が小さくって、小細工で、すぐ人の股(また)を潜(くぐ)ろうとするですわい。関東から東北の人はまるで違うんですがナア。悪いのは悪い、好いのは好いと、真情を吐露して了(しま)うけえ、好いですけどもナ。どうもいかん。小細工で、小理屈で、めそめそ泣きおった・・・・・・」

「どうもそういうところがありますナ。」
「見ていさっしゃい、明日きっと快諾しゃあせんけい、何のかのと理屈をつけて、帰るまいとするけえ。」



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊





「蒲団」VOL,51


恋する二人。殊に男にとっては、この分離派甚だ辛いらしかった。男は宗教的資格を全く失ったということ、帰るべく家をも国をも持たぬということ、二三月来飄零(ひょうれい)の結果漸く東京に前途の光明を認め始めたのに、それを捨てて去るに忍びぬということなぞを楯として、頻りに帰国の不可能を主張した。


父親は懇懇として説いた。
「今更京都に帰れないという、それは帰れないに違いない。けれど今の場合である。愛する女子ならその女子の為に犠牲になれぬということはあるまいじゃ。

京都に帰れないから田舎に帰る。帰れば自分の目的が達せられぬというが、其処を言うのじゃ。
其処を犠牲になっても好かろうと言うのじゃ。」


田中は黙して下を向いた。容易に諾しそうにも無い。
先ほどから黙って聞いていた時雄は、男が余りに頑固なのに、急に声を励(はげま)して、「君、僕は先程から聞いていたが、あれほどに言うお父さんの言葉が解らんですか。


お父さんは、君の罪をも問わず、破廉恥をも問わず、将来もし縁があったら、この恋愛を承諾せぬではない。君もまだ年が若い、芳子さんも今修行最中である。

だから二人は今暫くこの恋愛問題を未解決の中(うち)にそのままにしておいて、そしてその行末を見ようと言うのが解らんですか。

今の場合、二人はどうしても一緒にはおかれぬ。何方(どっち)かこの東京を去らなくってはならん。この東京を去るということに就いては、君が先ず去るのが至当だ。何故かと謂えば、君は芳子の後を追うて来たのだから。」


「よう解っております。」と田中は答えた。「私が万事悪いのでございますから、私が一番に去らなければなりません。先生は今、この恋愛を承諾して下されぬではないと仰ったが、お父様の先程のお言葉では、まだ満足されぬような訳でして・・・・・・」


「どういう意味です。」
と時雄は反問した。
「本当に約束せぬというのが不満だと言うのですじゃろう。」と、父親は言葉を入れて、

「けれど、これは先程もよく話した筈じゃけえ。今の場合、許可、不許可という事は出来ぬじゃ。
独立することも出来ぬ修行中の身で、二人一緒にこの世の中に立って行こうと言やるは、どうも不信用じゃ。


だから私は今三四年はお互いに勉強するが好いじゃと思う。真面目ならば、こうまで言った話は解らんけりゃならん。私が一時を瞞着(まんちゃく)して、芳を他(よそ)に嫁(かたづ)けるとか言うのやなら、それは不満足じゃろう。

けれど私は神に誓って言う、先生を前に置いて言う、三年は芳を私から進んで嫁にやるようなことはせんじゃ。人の世はエホバの思召(おぼしめし)次第、罪の多い人間はその力ある審判(さばき)を待つより他(ほか)に為方(しかた)が無いけえ、私は芳は君に進ずるとまでは言うことは出来ん。


今の心が許さんけえ、今度のことは、神の思召に適っていないと思うけえ。
三年経って、神の思召に適うかどうか、それは今から予言は出来んが、君の心が、真実真面目で誠実であったなら、必ず神の思召に適うことと思うじゃ。」



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,50


「それにしても、結局はどうしましょう?芳子さんを伴(つ)れてお帰りになりますか。」
「されば・・・・・・なるたけは連れて帰りたくないと思いますがナ。村に娘を伴(つ)れて突然帰ると、どうも際立って面白くありません。

私も妻も種々村の慈善事業や名誉職などを遣っておりますけえ、今度のことなどがぱっとしますと、非常に困る場合もあるです・・・・・・。で、私は、娘は猶お世話になりたいと存じておりますじゃが・・・・・・」



「それが好いですな。」
と時雄は言った。
二人の間柄に就いての談話も一二あった。時雄は京都嵯峨の事情、その以後の経過を話、二人の間には神聖の霊のみ成り立っていて、汚い関係は無いであろうと言った。

父親はそれを聴いて点頭(うなず)きはしたが、「でもまア、その方の関係もあるものとして見なければなりますまい。」と言った。

父親の胸には今更娘に就いての悔恨の情が多かった。田舎ものの虚栄心の為めに神戸女学院のような、ハイカラな学校に入れて、その寄宿舎生活を行わせたことや、娘の切なる希望を容(い)れて小説を学ぶべく東京に出したことや、多病の為めに言うがままにして余り検束を加えなかったことや、いろいろなことがむらむらと胸に浮かんだ。

一時間後にはわざわざ迎いに遣った田中がこの室に来ていた。芳子もその傍に庇髪を垂れて談話を聞いていた。父親の眼に映じた田中は元より気に入った人物ではなかった。

その白縞の袴を着け、紺がすりの羽織を着た書生姿は、軽蔑の念と憎悪の念とをその胸に漲らしめた。その所有物を奪った憎むべき男という感は、曽つて時雄がその下宿でこの男を見た時の感と甚だよく似ていた。



田中は袴の襞(ひだ)を正して、しゃんと坐ったまま、多く二尺先位の畳をのみ見ていた。服従という態度よりも反抗という態度が歴々(ありあり)としていた。どうも少し固くなり過ぎて、芳子を自分の自由にする或る権利を持っているという風に見えていた。

談話は真面目に且つ烈しかった。父親はその破廉恥を敢えて正面から攻めはしないが、おりおり苦い皮肉をその言葉の中に交えた。初めは時雄が口を切ったが、中頃から重(おも)に父親と田中とが語った。


父親は県会議員をした人だけあって、言葉の抑揚頓挫が中々巧みであった。演説に慣れた田中も時々沈黙させられた。二人の恋の許可不許可も問題に上ったが、それは今研究すべき題目でないとして却(しりぞ)けられ、当面の京都帰還問題が論ぜられた。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,49


「今度来ます時に・・・・・・」と父親は傍に坐っている時雄に語った。「佐野と御殿場でしたかナ、汽車に故障がありましてナ、二時間ほど待ちました。機関が破裂しましてナ。」
「それは・・・・・・」

「全速力で進行している中に、凄まじい音がしたと思いましたけえ、汽車が夥しく傾斜してだらだらと進行
しましてナ、何事かと思いました。機関が破裂して火夫が二人とか即死した・・・・・・」
「それは危険でしたナ。」

「沼津から機関車を持って来てつけるまで二時間も待ちましたけえ、その間もナ、思いまして・・・・・・これの為にこうして東京に来ている途中、もしもの事があったら、芳(と今度は娘の方を見て)お前も兄弟に申し訳が無かろうと思ったじゃわ。」



芳子は頭を垂れて黙っていた。
「それは危険でした。それでも別にお怪我もなくって結構でした。」
「え、まア。」

父親と時雄は暫くその機関破裂のことに就いて語り合った。不図(ふと)、芳子は、
「お父様、家では皆な変ることは御座いません?」
「うむ、皆な達者じゃ。」

「母さんも・・・・・・」
「うむ、今度も私が忙しいけえナ、母に来て貰うように言うてじゃったが、矢張、私の方が好いじゃろうと思って・・・・・・」
「兄さんも達者?」
「うむ、あれもこの頃は少し落ち附いている。」

かれこれする中に、昼飯の膳が出た。芳子は自分の室に戻った。食事を終わって、茶を飲みながら、時雄は前からのその問題を語り続(つ)いだ。
「で、貴方はどうしても不賛成?」


「賛成しようにもしまいにも、まだ問題になりおりませんけえ。今、仮に許して、二人一緒にするに致しても、男が二十二で、同志社の三年生では・・・・・・」
「それは、そうですが、人物をご覧の上、将来の約束でも・・・・・・」


「いや約束などと、そんあことは致しますまい。私は人物を見たわけでありませんけえ、よく知りませんけどナ、女学生の上京の途次を要して途中に泊まらせたり、年来の恩ある神戸協会の恩人を一朝にして捨て去ったりするような男ですけえ、とても話にはならぬと思いますじゃ。

この間、芳から母へよこした手紙に、その男が苦しんでおるじゃで、どうかご察し下すって、私の学費を少なくしても好いから、早稲田に通う位の金を出してくれと書いてありましたげな、何かそういう計画で芳がだまされておるんではないですかな。」


「そんなことは無いでしょうと思うのですが。」
「どうも怪しいことがあるのです。芳子と約束が出来て、すぐ宗教が厭になって文学が好きになったと言うのも可笑(おか)しし、その後をすぐ追って出て来て、貴方などの御説諭も聞かずに、衣食に苦しんでまでもこの東京に居るなども意味がありそうですわい。」


「それは恋の惑溺であるかも知れませんから善意に解釈することもできますが。」
それにしても許可するのせぬのとは問題になりませんけえ、結婚の約束は大きなことでして・・・・・・。

それにはその者の身分も調べて、此方(こっち)の身分との釣合も考えなければなりませんし、血統を調べなければなりません。それに人物が第一です。貴方のご覧になるところでは、秀才だとか仰ってですが・・・・・・」

「いや、そう言うわけでも無かったです。」
「一体、人物はどういう・・・・・・」
「それは却(かえ)って母さんなどが御存知だと言うことですが。」

「何アに、須磨の日曜学校で一,二度会ったことがある位、妻もよく知らんそうですけえ。何でも神戸では多少秀才とか言われた男で、芳は女学院に居る頃から知っておるのでしょうがナ。説教や祈祷などを遣らせると、大人も及ばぬような巧いことを遣りおったそうですけえ。」


「それで話が演説調になるのだ、形式的になるのだ、あの厭な上目を使うのは、祈祷をする時の表情だ。」と時雄は心の中に合点(がてん)した。あの厭な表情で若い女を迷わせるのだなと続いて思って厭な気がした。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,48


二人同棲して後の倦怠、疲労、冷酷を自己の経験に照らしてみた。そして一たび男子に身を任せて後の女子の境遇の憐れむべきを思い遣った。自然の最奥に秘める暗黒なる力に対する厭世の情は今彼の胸をむらむらとして襲った。


真面目なる解決を施さねばならぬという気になった。今までの自分の行為(おこない)の甚だ不自然で不真面目であるのに思いついた。時雄はその夜、備中の山中にある芳子の父母に寄する手紙を熱心に書いた。芳子の手紙をその中に巻き込んで、二人の近況を詳しく記し、最後に、

父たる貴下と師たる小生と当事者たる二人と相対して、此(こ)の問題を真面目に議すべき時節到来せ  りと存候、貴下は父としての主張あるべく、芳子は芳子としての自由あるべく、小生また師としての意見有之候、御多忙の際には有之候えども、是非是非御出京下され度(たく)、幾重にも希望仕候。



と書いて筆を結んだ。封筒に収めて備中国新見町(にいみまち)横山兵蔵様と書いて、傍に置いて、じっとそれを見入った。この一通が運命の手だと思った。思い切って婢(おんな)を呼んで渡した。


一日二日、時雄はその手紙の備中の山中に運ばれて行くさまを想像した。四面山で囲まれた小さな田舎町、その中央にある大きな白壁造、そこに郵便脚夫が配達すると、店に居た男がそれを奥へ持って行く。丈(たけ)の高い、髭(ひげ)のある主人がそれを読む、運命の力は一国毎に迫って来た。


十日に時雄は東京に帰った。
その翌日、備中から返事があって、二三日の中(うち)に父親が出発すると報じて来た。
芳子も田中も今の際、寧ろそれを希望しているらしく、別にこれと云って驚いた様子も無かった。


父親が東京に着いて、先ず京橋に宿を取って、牛込の時雄の宅を訪問したのは十六日の午前十一時頃であった。丁度日曜で、時雄は宅に居た。父親はフロックコートを着て、中高帽を冠8かぶ)って、長途の旅行に疲れたという風であった。


芳子はその日、医師へ行っていた。三日ほど前から風邪を引いて、熱が少しあった。頭痛がすると言っていた。間もなく帰って来たが、裏口から何の気なしに見ると、細君が、「芳子さん、芳子さん、大変よ、お父さんが来てよ。」

「お父さん。」
と芳子もさすがにはっとした。
そのまま二階に上ったが下りて来ない。


奥で、「芳子は?」と呼ぶので、細君が下から呼んでみたが返事がない。登って行って見ると、
芳子は机の上にうっぷしている。
「芳子さん・」
返事が無い。


傍に行って又呼ぶと、芳子は青い神経性の顔を擡(もた)げた。
「奥で呼んでいますよ。」
「でもね、奥さん、私はどうして父に逢われるでしょう。」
泣いているのだ。


「だッて、父様に久し振りじゃありませんか。どうせ逢わないわけには行かんのですん¥もの。何アにそんな心配をすることはありませんよ、大丈夫ですよ。」
「だッて、奥さん。」
「本当に大丈夫ですから、しっかりなさいよ、よくあなたの心を父様にお話しなさいよ。本当に大丈夫ですよ。」

芳子は遂に父親の前に出た。髭多く、威厳のある中に何処(どこ)となく優しいところのある懐かしい顔を見ると、芳子は涙の漲(みなぎ)るのを禁(とど)め得なかった。旧式は頑固な爺(おやじ)、若いものの心などの解らぬ爺、それでもこの父は優しい父であった。

母親は万事に気が附いて、よく面倒を見てくれたけれど、なぜか芳子には母よりもこの父の方が好かった。その身の今の窮迫を訴え、泣いてこの恋のまじめなのを訴えたら父親もよもや動かされぬことはあるまいと思った。


「芳子、暫くじゃったのう・・・・・・体は大丈夫かの?」
「お父さま・・・・・・」芳子は後を言い得なかった。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊


「蒲団」VOL,47


時雄が芳子の歓心を得る為めに取った「温情の保護者」としての立場を考えた。備中の父親に寄せた手紙、その手紙には、極力二人の恋を庇保(ひほ)して、どうしてもこの恋を許して貰うわねばならぬという趣旨であった。

時雄は父母の到底これを承知せぬことを知っていた。寧ろ父母の極力反対することを希望していた。父母は果たして極力反対して来た。言うことを聞かぬなら勘当するとまで言ってきた。


二人はまさに受くべき恋の報酬を受けた。時雄は芳子のために飽くまで弁明し、汚れた目的の為めに行われたる恋でないことを言い、父母の中一人、是非出京してこの問題を解決して貰いたいと言い送った。

けれど故郷の父母は、監督なる時雄がそういう主張であるのと、到底その口から許可することが出来ぬのとで、上京しても無駄であると云って出て来なかった。

時雄は今、芳子の手紙について考えた。
二人の状態は最早一刻も猶予すべからざるものとなっている。時雄の監督を離れて二人一緒に暮らしたいという大胆な言葉、その言葉の中には警戒すべき分子ぼ多いのを思った。


いや、既に一歩を進めているかも知れぬと思った。又一面にはこれほどその為に尽力しているのに、その行為を無にして、こういう決心をするとは義理知らず、勝手にするが好いとまで激した。


時雄は胸の轟を静める為め、月朧なる利根川の堤の上を散歩した。月が暈(かさ)を帯びた夜は冬ながらやや暖かく、土手下の家々の窓には平和な燈火が静かに輝いていた。川の上には薄い靄(もや)が懸かって、おりおり通る船の艫(ろ)の音がギイと聞こえる。


下流でおーいと渡しを呼ぶものがある。舟橋を渡る車の音がとどろに響いてそして又一時静かになる。時雄は土手を鮎きながら種々のことを考えた。

芳子のことよりは一層痛切に自己の家庭のさびしさということが胸を往来した。三十五、六歳の男女の最も味うべき生活の苦痛、事業に対する煩悩、性欲より起こる不満足等が凄まじい力でその胸を圧迫した。


芳子はかれの為めに平凡なる生活の花でもあり又糧(かて)でもあった。芳子の美しい力に由って、荒野んの如き胸に花咲き、錆び果てた鐘は再び鳴ろうとした。芳子の為めに、復活の活気は新しく鼓吹された。であるのに再び寂寞荒涼たる以前の平凡なる生活にかえらなければならぬとは・・・・・・。不平よりも、嫉妬よりも、熱い熱い涙がかれの頰を伝った。

彼は真面目に芳子の恋とその一生とを考えた。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,46


時雄は常に苛々(いらいら)していた。書かなければならぬ原稿が幾種もある。書肆からも催促される。金も欲しい。けれどどうしても筆を執って文を綴るような沈着(おちつ)いた心の状態にはなれなかった。強いて試みてみることがあっても、考が纏(まとま)らない。本を読んでも二頁も続けて読む気にならない。


二人の恋の温かさを見る度(たび)に、胸を燃やして、罪もない細君に当たり散らして酒を飲んだ。晩餐の菜が気に入らぬと云って、お膳を蹴飛ばした。夜は十二時過ぎに酔って帰って来ることもあった。





芳子はこの乱暴な不調子な時雄の行為に尠(すく)なからず心を痛めて、「私がいりいろご心配を懸けるもんですからね、私が悪いんですよ。」と詫びるように細君に言った。

芳子はなるたけ手紙の往復を人に見せぬようにし、訪問も三度に一度は学校を休んでこっそり行くようにした。時雄はそれに気が附いて
一層懊悩の度を増した。


野は秋も暮れて木枯らしの風が立った。裏の森の銀杏樹(いちょう)も黄葉(もみじ)して夕の空を美しく彩った。垣根道には反りかえった落葉ががさがさと転がって行く。鵙(もず)の鳴き声がけたたましく聞こえる。若い二人の恋が愈々(いよいよ)人目に余るようになったのはこの頃であった。


時雄は監督上見るに見かねて、芳子を説勧(ときすす)めて、この一部始終を故郷の父母に報ぜしめた。そして時雄もこの恋に関しての長い手紙を芳子の父に寄せた。




この場合にも時雄は芳子の感謝の情を十分にかち得るように勉めた。時雄は心を欺いて、悲壮なる犠牲と称して、この「恋の温情なる保護者」となった。
備中の山中から数通の手紙が来た。



その翌月の一月には、時雄は地理の用事で、上武の境なる利根河畔に出張していた。彼は昨年の年末からこの地に来ているので、家のこと、芳子のことが殊に心配になる。


さりとて公務を如何(いかん)ともすることが出来なかった。正月になって二日にちょっと帰京したが、その時は次男が歯を病んで、妻と芳子とが頻りにそれを介抱していた。

妻に聞くと、芳子の恋は更に惑溺の度を加えた様子。大晦日の晩に、田中が生活のたつきを得ず、下宿に帰ることも出来ずに、終夜運転の電車に一夜を過ごしたということ、余り頻繁(ひんぱん)に二人が往来するので、それをそれとなしに注意して芳子と口争いをしたということ、その他種々のことを聞いた。



困ったことだと思った。一晩泊まって再び利根の河畔に戻った。今は(一月)五日の夜であった。茫(ぼう)とした空に月が暈(かさ)を帯びて、その光が川の中央にきらきらと金を砕いていた。

時雄は机の上に一通の封書を展(ひら)いて、深くそのことを考えていた。その手紙は今少し前、旅館の下女が置いて行った芳子の筆である。


先生、
まことに、申し訳が御座いません。先生の同情ある御恩は決して一生経っても忘るることでなく、今もそのお心を思うと、涙が滴(こぼ)るるのです。

父母はあの通りです。先生があのように仰(おっ)しゃって下すっても、旧風(むかしふう)の頑固(かたくな)で、私共の心を汲んでくれようとも致しませず、泣いて訴えましたけれど、許してくれません。

母の手紙を見れば泣かずにはおられませんけれど、少しは私の心も汲んでくれても好いと思います。恋とはこう苦しいものかと今つくづく思い当たりました。

先生、私は決心致しました。聖書にも女は親に離れて夫に従うと御座います通り、私は田中に従おうと存じます。田中は未だに生活のたつきを得ませず、準備した金は既に尽き、昨年の暮れは、うらぶれの悲しい生活を送ったので御座います。



私はもう見ているに忍びません。国からの補助を受けませんでも、私等は私等二人で出来るまでこの世に生きてみようと思います。

先生にご心配を懸けるのは、まことに済みません。監督上、ご心配なさるのも御尤もです。けれど折角先生があのように私等の為めに国の父母をお説き下すったにも係らず、父母は唯無意味に怒ってばかりいて、取り合ってくれませんのは、余りと申せば無慈悲です、勘当されても為方(しかた)が御座いません。

堕落堕落と申して、殆ど歯(よわい)せんうばかりに申しておりますが、私達の恋はそんなに不真面目なもので御座いましょうか。

それに、家の門地門地と申しますが、私は恋を父母の都合によって致すような旧式の女でないことは先生もお許し下さるでしょう。


先生、
私は決心致しました。昨日、上野図書館で女の見習生が入用だという広告がありましたから、応じてみようと思います。二人して一生懸命に働きましたら、まさかに餓(う)えるようなことも御座いますまい。

先生のお家にこうして居ますればこそ、先生にも奥様にも御心配を懸けて済まぬので御座います。どうか先生、私の決心をお許し下さい。


                                       芳子

     先 生 おんもとへ


恋の力は遂に二人を深い惑溺の淵に沈めたのである。時雄はもうこうしてはおかれぬと思った。




引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,45


細君は猶(なお)語り継いだ。「そして随分長く高い声で話していましたよ。議論みたいなことも言って、芳子さんもなかなか負けない様子でした。」

「そしていつ帰った?」
「もう少し以前(さっき)」
「芳子は居るか。」

「いいえ、路(みち)が分からないから、一緒に其処(そこ)まで送って来るッて出懸(でか)けて行ったんですよ。」
時雄は曇らせた。

夕飯を食っていると、裏口から芳子が帰って来た。急いで走って来たと覚(おぼ)しくせいせい息を切っている。
「何処までいらしった?」

と細君が問うと、
「神楽坂まで」と答えたが、いつもする「おかえりなさいまし。」を時雄に向って言って、そのままばたばたと二階へ上った。すぐ下りて来るかと思うに、なかなか下りて来ない。

「芳子さん、芳子さん。」と三度ほど細君が呼ぶと、「はアーい。」という長い返事が聞こえて、矢張り下りて来ない。

お鶴が迎いに行って漸く二階を下りて来たが、準備した夕飯の膳を他所(よそ)に、柱に近く、斜(はす)に坐った。
「ご飯は?」

「もう食べたくないの、腹(おなか9が一杯で。」
「余りおさつを召上がった故(せい)でしょう。」
「あら、まア、酷い奥さん。いいわ、奥さん。」
と睨む真似をする。

細君は笑って、
「芳子さん、何だか変ね。」
「何故?」と長く引っ張る。

「何故も無いわ。」
「いいことよ、奥さん。」
と又睨んだ。

時雄は黙ってこの嬌態に対していた。胸の騒ぐのは無論である。不快の情はひしと押し寄せて来た。芳子はちらと時雄の顔を覗ったが、その不機嫌なのが一目で解った。

で、すぐ態度を改めて、
「先生、今日田中が参りましてね。」
「そうだってね。」


「お目にかかってお礼を申し上げなければならんのですけれども、又改めて上がりますからッて・・・・・・よろしく申し上げて・・・・・・」
「そうか。」
と言ったが、そのままふいと立って書斎に入ってしまった。

その恋人が東京に居ては、仮令(たとい)自分が芳子をその二階に置いて監督しても、時雄は心を安んずる暇はなかった。
二人の相逢うことを妨げることは絶対に不可能である。

手紙は無論差留めることは出来ぬし、「今日ちょっと田中に寄って参りますから、一時間遅くなります。」と公然と断って行くのをどうこう言う訳には行かなかった。

またその男が訪問して来るのを非常に不快に思うけれど、今更それを謝絶することも出来なかった。
時雄はいつの間にか、この二人からその恋に対しての「温情の保護者」として認められて了(しま)った。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL、44


芳子は低頭(うつむ)いて聞いていた。
時雄は興に乗じて、
「そして一体、どうして生活しようというのです?」

「少しは準備もして来たんでしょう、一月位は好いでしょうけれど・・・・・・」
「何か旨い口でもあると好いけれど。」と時雄は言った。

「実は先生に御縋(すが)り申して、誰も知ってるものがないのに出て参りましたのですから、大層失望しましたのですけれど。」
「だッて余り突飛だ。一昨日逢ってもそう思ったが、どうもあれでも困るね。」
と時雄は笑った。

「どうか又御心配下さるように・・・・・・この上御心配かけては申訳がありませんけれど」と芳子は縋るようにして顔を赤らめた。

「心配せん方が好い、どうかなるよ。」
芳子が出て行った後、時雄は急に険しい難しい顔に成った。「自分に・・・・・・自分に、この恋の世話が出来るだろうか。」と独りで胸に反問した。

「若い鳥は若い鳥でなくては駄目だ。自分等はもうこの若い鳥を引く美しい羽を持っていない。」こう思うと、言うに言われぬ寂しさがひしと胸を襲った。

「妻と子、家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供の為めに生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂寞たらざるを得るか。」時雄はじっと洋燈(らんぷ)を見た。
机の上にはモウパッサンの「死よりも強し」が開かれていた。

二、三日経って後、時雄は例刻に社から帰って火鉢の前に坐ると、細君が小声で、
「今日来てよ。」
「誰が。」

「二階の・・・・・・そら芳子さんの好い人。」
細君は笑った。
「そうか・・・・・・」

「今日一時頃、御免なさいと玄関に来た人があるですから、私が出て見ると、顔の丸い、絣(かすり)の羽織を着た、白縞(しろしま)の袴(はかま)を穿(は)いた書生さんが居るじゃありませんか。

また、原稿でも持って来た書生さんかと思ったら、横山さんは此方(こちら)においでですかと言うじゃありませんか。

はて、不思議だと思ったけれど、名を聞きますと、田中・・・・・・。はア、それでその人だナと思ったんですよ。厭な人ねえ、あんな書生さんを恋人にしないたッて、いくらも好いのがあるでしょうに。
芳子さんは余程物好きね。あれじゃとても望みはありませんよ。」


「それでどうした?」
「芳子さんは嬉しいんでしょうけど、何だか極まりが悪そうでしたよ。私がお茶を持って行って上げると、芳子さんは机の前に坐っている。

その前にその人が居て、今まで何か話していたのを急に止して黙ってしまった。私は変だからすぐ下りて来たですがね、・・・・・・何だか変ね、・・・・・・今の若い人はよくああいうことが出来てね、私のその頃には男に見られるのすら恥ずかしくって恥ずかしくって為方(しかた)がなかったものですのに・・・・・・」

「時代が違うからナ。」
「いくら時代が違っても、余り新派過ぎると思いましたよ。堕落書生と同じですからね。そりゃうわべが似ているだけで、心はそんなことはないでしょうけれど、何だか変ですよ。」

「そんなことはどうでも好い。それでどうした?」
「お鶴(下)が行って上げると言うのに、好いと言って、御自分で出かけて、餅菓子と焼芋を買って来て、御馳走してよ。・・・・・・お鶴も笑っていましたよ。お湯をさしに上ると、二人でお旨(い)しそうにおさつを食べているところでしたッて・・・・・・」
時雄も笑わざるを得なかった。



引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,43



麹町三番町通りの安旅人宿(はたご)、三方壁で仕切られた暑い室(へや)に初めて相対した時、先ず彼の身に迫ったのは、基督教に養われた、いやに取り澄ました、年に似合わぬ老聖菜、厭な不愉快なたいどであった。

京都訛の言葉、色の白い顔、やさしいところはいくらかはあるが、多い青年の中からこうした男を特に選んだ芳子の気が知れなかった。

殊に時雄が最も厭に感じたのは、天真流露という率直なところが微塵もなく、自己の罪悪にも弱点にも種々(いろいろ)の理由を強いてつけて、これを弁解しようとする形式的態度であった。

とは言え、実を言えば、時雄の激しい頭脳(あたま)には、それがすぐ直覚的に明らかに映ったと云うではなく、座敷の隅に置かれた小さい旅鞄や憐れにもしおたれた白地の浴衣(ゆかた)などを見ると、青年空想の昔が思い出されて、こうした恋の為め、煩悶もし、懊悩もしているかと思って、憐憫の情も起こらぬではなかった。

この暑い一室に相対して、趺坐をもかかず、二人は少なくとも一時間以上語った。話は遂に要領を得なかった。「先ず今一度考え直して見給え。」くらいが最後で、時雄は別れて帰途に就いた。

何だか馬鹿らしいような気がした。愚なる行為をしたように感じられて、自ら(みずから=自分から)その身を嘲笑した。

心にもないお世辞をも言い、自分の胸の底の秘密を蔽(おお)う為めには、二人の恋の温情なる保護者となろうとまで言ったことを思い出した。

安翻訳の仕事を周旋して貰う為め、某氏に紹介の労を執ろうと言ったことをも思い出した。そして自分ながら自分の意気地なく好人物なのを罵った。

時雄は幾度か考えた。寧ろ国に報知して遣ろうか、と。けれどそれを報知するに、どういう態度を以てしようかというのが大問題であった。

二人の恋の関鍵(かぎ)を自(みずか)ら握っていると信じるだけそれだけ時雄は責任を重く感じた。
その身の不当の嫉妬、不正の恋情の為めに、その愛する女の熱烈なる恋を犠牲にするには忍びぬと共に、自(みずか)ら言った「温情なる保護者」として、道徳家の如く、身を処するにも堪えなかった。また一方にはこの事が国に知れて芳子が父母の為めに伴われて帰国するようになるのを恐れた。


芳子が時雄の書斎へ来て、頭を垂れ、声を低うして、その希望を述べたのはその翌日の夜であった。如何に説いても男は帰らぬ。さりとて国へ報知すれば、父母の許さぬのは知れたこと、時宜(じぎ=ほどよいころあい。)に由れば忽ち迎いに来(こ)ぬ(=来てしまう、の意味。)とも限らぬ。

男も折角ああして出て来たことでもあり二人の間も世の中の男女の恋のように浅く思い浅く恋した訳でもないから、決して汚れた行為などはなく、惑溺するようなことは誓って為(し)ない。

文学は難しい道、小説を書いて一家を成そうとするのは田中のようなものには出来ぬかも知れねど、同じく将来を進むなら、共に好む道に携わりたい。

どうか暫(しばら)くこのままにして東京に置いてくれとの頼み。時雄はこの余儀なき頼みをすげなく却(しりぞ)けることは出来なかった。時雄は京都嵯峨に於ける女の行為にその節操を疑ってはいるが、一方には又その弁解をも信じて、この若い二人の間にはまだそんなことはあるまいと思っていた。

自分の青年の経験に照らしてみても、神聖なる霊の恋は成り立っても肉の恋は決してそう容易に実行されるものではない。

で、時雄は惑溺せぬものならば、暫くこのままにしておいて好いと言って、そして縷々として霊の恋愛、肉の恋愛、恋愛と人生との関係、教育ある新しい女の当(まさ)に守るべきことは、寧(むし)ろ女子の独立を保護する為であるということ、一度肉を男子に許せば女子の自由が全く敗れるということ、西洋の新しい婦人も是非ともそうならなければならぬということなど主(おも)なる教訓の題目であったが、殊に新派の女子ということに就(つ)いて痛切に語った。



引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,42


一日置いて今夜の六時に新橋に着くという電報があった。芳子はまごまごしていた。けれどよるひとり若い女を出して遣る訳に行かぬので、新橋へ迎えに行くことは許さなかった。

翌日は逢って達(た)って諫(いさ)めてどうしても京都に還らせるようにすると言って、芳子はその恋人の許(もと)を訪(と)うた。その男は停車場前のつるやという旅館(はたご)に宿っているのである。

時雄が社から帰った時には、まだとても帰るまいと思った芳子が既にその笑顔を玄関にあらわしていた。聞くと田中は既にこうして出て来た以上、どうしても京都には帰らぬとのことだ。

で、芳子は殆(ほとん)ど喧嘩をするまでに争ったが、矢張り断(だん)として可(き)かぬ。先生を頼りにして出京したのではあるが、そう聞けば、なるほど御尤(ごもっと)もである。監督上都合の悪いというのもよく解りました。

けれど今更帰れませぬから、自分で如何ようにしても自活の道を求めて目的地に進むより他(ほか)はないとまで言ったそうだ。時雄は不快を感じた。

時雄は一時は勝手にしろと思った。放っておけとも思った。けれど圏内の一員たるかれにどうして全く風馬牛(ふうばぎゅう)たることを得ようぞ。

芳子はその後二三日訪問した形跡もなく、学校の時間には正確に帰って来るが、学校に行くと称して恋人の許に寄りはせぬかと思うと、胸は疑惑と嫉妬とに燃えた。

時雄は懊悩した。その心は日に幾遍となく変った。ある時は全く犠牲になって二人の為に尽くそうと思った。ある時はこの一部始終を国に報じて一挙に破壊して了(しま)おうかと思った。けれどこの何(いず)れをも敢てすることの出来ぬのが今の心の状態であった。

細君が、ふと、時雄に耳語(じご)した。
「あなた、二階では、これよ。」と針で着物を縫う真似をして、小声で、「きっと・・・・・・上げるんでしょう。紺絣(こんがすり)の書斎羽織!白い木綿の長い紐も買ってありますよ。」

「本当か?」
「え。」
と細君は笑った。
時雄は笑うどころではなかった。

芳子が今日は先生少し遅くなりますからと顔を赤くして言った。「彼処(あすこ)に行くのか。」と問うと、
「いいえ!一寸(ちょっと)友達の処に用があって寄って来ますから。」

その夕暮、時雄は思い切って、芳子の恋人の下宿を訪問した。
「まことに、先生にはよう申し訳がありまえんのやけれど・・・・・・」

長い演説調の雄弁で、形式的の申訳をした後、田中という中背(ちゅうぜい)の、少し肥えた、色の白い男が祈祷をする時のような
眼色をして、さも同情を求めるように言った。

時雄は熱していた。「然し、君、解ったら、そうしたら好いじゃありませんか。僕は君等の将来を思って言うのです。芳子は僕の弟子です。僕の責任として、芳子に廃学させるには忍びん。

君が東京にどうしてもいると言うなら、芳子を国に帰すか、この関係を父母に打ち明けて許可を乞(こ)うか、二つの中一つを選ばんければならん。

君は君の愛する女を君の為に山の中に埋もらせるほどエゴイスチックな人間じゃありますまい。
君は宗教に従事することが今度の事件の為に厭になったと謂うが、それは一種の考えで、君は忍んで、京都に居りさえすれば、万事円満に、二人の間柄も将来希望があるのですから。」

「よう解っております・・・・・・」
「けれど出来んですか。」
「どうも済みませんけど・・・・・・制服も帽子も売ってしもうたで、今更帰るにも帰れまえんという次第で・・・・・・」

「それじゃ芳子を国に帰すですか。」
かれは黙っている。
「国に言って遣りましょうか。」
矢張り黙っていた。

「私の東京に参りましたのは、そういうことには寧ろ関係しない積りでおます。別段ことらに居りましても、二人の間にはどうという・・・・・・」

「それは君はそう言うでしょう。けれど、それでは私は監督は出来ん。恋はいつ惑溺するかも解らん。」
「私はそないなことは無いつもりですけどナ。」

「だから困るのです。」
こういう会話、要領を得ない会話を繰り返して長く相対した。時雄は将来の希望という点、男子の犠牲という点、事件の進行という点からいろいろさまざまに帰国を勧めた。

時雄の眼に映じた田中秀夫は、想像したような一箇秀麗な丈夫(じょうふ)でもなく天才肌の人とも見えなかった。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊





「蒲団」VOL,41



空想から空想、その空想はいつか長い手紙となって京都に行った。京都からも殆ど隔日のように厚い厚い封書が届いた。

書いても書いても尽くされぬ二人の情、余りその文通の頻繁なのに時雄は芳子の不在を窺(うかが)って、監督という口実の下にその良心を抑えて、こっそり机の抽斗(ひきだし)や文箱(ふばこ)やらをさがした。

捜し出した二三通の男の手紙を走り読みに読んだ。恋人のするような甘ったるい言葉は至る処に満ちていた。
けれど時雄はそれ以上にある秘密を捜し出そうと苦心した。

接吻の痕(あと)、性欲の痕が何処かに顕(あら)われておりはせぬか。神聖なる恋以上に二人の間は進歩しておりはせぬか、けれど手紙にも解らぬのは恋のまことの消息であった。
一か月は過ぎた。

ところが、ある日、時雄は芳子に宛てた一通の端書を受け取った。英語で書いてある端書であった。何気なく読むと、一月ほどの生活費は準備して行く、あとは東京で衣食の職業が見つかるかどうかという意味、京都田中としてあった。

時雄は胸を轟かした。平和は一時にして破れた。晩餐後、芳子はその事を問われたのである。
芳子は困ったという風で、「先生、本当に困って了(しま)ったんですの。田中が東京へ出てくると言うのですもの、私は二度、三度まで止めて遣ったんですけれど、何だか、宗教に従事して、虚偽に生活してることが、今度の動機で、すっかり厭になって了(しま)ったとか何とかで、どうしても東京に出て来るッて言うんですよ。」

「東京に来て、何をするつもりなんだ?」
「文学を遣りたいと・・・・・・」
「文学?文学ッて、何だ。小説を書こうと言うのか?」
「え、そうでしょう・・・・・・」


「馬鹿な!」
と時雄は一喝した。
「本当に困って了(しま)うんですの。」
「貴女(あなた)はそんなことを勧めたんじゃないか。」

「いいえ。」と烈しく首を振って、「私はそんなこと・・・・・・私は今の場合困るから、せめて同志社だけでも卒業してくれッて、この間初めに申して来た時に達(た)って止めて遣ったんですけれど・・・・・・もうすっかり独断でそうして了(しま)ったんですッて。今更取り返しがつかぬようになって了(しま)ったんですって。」


「どうして?」
「神戸の信者で、神戸の教会のた為(た)めに、田中に学資を出してくれている神津(こうづ)という人があるのですの。

その人に、田中が宗教は自分には出来ぬから、将来文学で立とうと思う。どうか東京に出してくれと言って遣ったんですの。すると大層怒って、それならもう構わぬ、勝手にしろと言われて、すっかり支度をしてしまったんですって、本当に困って了(しま)いますの。」


「馬鹿な!」
と言ったが、「今一度留めて遣んなさい。小説で立とうなんて思ったって、とても駄目だ、全く空想だ、空想の極端だ。


それに、田中が此方(こっち)に出て来ていては、貴嬢(あなた)の監督上、私が非常に困る。貴嬢の世話も出来んようになるから、厳しく止めて遣んなさい!」


芳子は愈々(いよいよ)困ったという風で、「止めてはやりますけれど、手紙が行き違いになるかもしれませんから。」

「行き違い?それじゃもう来るのか」
時雄は目を瞠(みは)った。


「今来た手紙に、もう手紙をよこしてくれても行き違いになるからと言ってよこしたんですから。」
「今来た手紙ッて、さっきの端書の又後に来たのか。」
芳子は点頭(うなず)いた。

「困ったね。だから若い空想家は駄目だと言うんだ。」
平和は再び攪乱(かきみだ)さるることとなった。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊行
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