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2021年02月13日

田山花袋「蒲団」本文34〜40/全58

★「蒲団 34〜40・・・http://14highschool.jugem.jp/?eid=2538


(●^o^●)アスカ
ユーザーさん、

遊びに来てくれて

「あんがとう!!

おおきに〜〜〜〜キスマークチュりんご



当ブログは降順スタイルです。

(一番新しい記事が一番上。)



よって、

一旦、最下部へスクロールしてから、

順番にお楽しみ下さいね。





「蒲団」VOL,40

で、芳子は師を信頼した。時期が来て、父母にこの恋を告ぐる時、旧思想と衝突するようなことがあっても、この恵深い師の承認を得さえすれば、それで沢山だとまで思った。

九月は十月になった。さびしい風が裏の森を鳴らして、空の色は深く碧(あお)く、日の光は透き通った空気に差し渡って、夕の影が濃くあたりを隈どるようになった。

取り残した芋の葉に雨は終日降り頻(しき)って、八百屋の店には松茸が並べられた。垣の虫の声は露に衰えて、庭の桐の葉も脆(もろ)くも落ちた。

午前の中の一時間、九時より十時までをツルゲネーフの小説の解釈、芳子は師のかがやく眼の下に、机に斜(はす)に坐って、「オン、ゼ、イブ」の長い長い物語に耳を傾けた。

エレネの感情に烈しく意志の強い性格と、その悲しい悲壮なる末路とは如何(いか)にかの女を動かしたか。芳子はエレネの恋物語を自分に引くらべて、その身小説の中に置いた。

恋の運命、恋すべき人に恋する機会がなく、思いも懸けぬ人にその一生を託した運命、実際芳子の当時の心情そのままであった。

須磨の浜で、ゆくりなく受け取った百合の花の一葉の葉書、それがこうした運命になろうとは夢にも思い知らなかったのである。

雨の森、闇の森、月の森に向かって、芳子はさまざまにその事を思った。京都の夜汽車、嵯峨の月、膳所(ぜぜ)に遊んだ時には、湖水に夕日が美しく射渡って、旅館の中庭に、萩(はぎ)が絵のように咲き乱れていた。

その二日の遊は実に夢のようであったと思った。続いてまだその人を恋せぬ前のこと、須磨の海水浴、故郷の山の中の月、病気にならぬ以前、殊(こと)にその時の煩悶を考えると、頬(ほお)がおのずから赧(あか)くなった。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊





「蒲団」VOL,39


男からは国府津(こうづ)の消印で帰途に就(つ)いたという端書が着いて翌日三番町の姉の家から届けて来た。居間の二階には芳子が居て、呼べば直ぐ返事をして下りて来る。

食事には三度三度膳を並べて団欒(だんらん)して食う。夜は明るい洋燈(らんぷ)を取り巻いて、賑わしく面白く語り合う。

靴下は編んでくれる。美しい笑顔を絶えず見せる。時雄は芳子を全く占領して、とにかく安心もし満足もした。細君も芳子に恋人があるのを知ってから、危険の念、不安の念を全く去った。

芳子は恋人に別れるのが辛かった。成ろうことなら一緒に東京に居て、時々顔をも見、言葉をも交えたかった。けれど今の際それは出来難いことと知っていた。

二年、三年、男が同志社を卒業するまでは、たまさかの雁の音信(おとずれ)をたよりに、一心不乱に勉強しなければならぬと思った。
で、午後からは、以前の如く麹町の某英学塾に通い、時雄も小石川の社に通った。

時雄は夜などおりおり芳子を自分の書斎に呼んで、文学の話、小説の話、それから恋の話をすることがある。
そして芳子の為めにその将来の注意を与えた。

その時の態度は公平で、率直で、同情に富んでいて、決して泥酔して厠に寝たり、地上に横たわったりした人とは思われない。

さればと言って、時雄はわざとそういう態度にするのではない。女に対(むか)っている刹那(せつな)、その愛した女の歓心を得るには、いかなる犠牲も甚だ高価に過ぎなかった。

引用書籍田山花袋「蒲団」新潮社刊









「蒲団」VOL,38


午後二時頃には一室が一先ず整頓した。
「どうです、此処も居心地は悪くないでしょう。」時雄は得意そうに笑って、
「此処に居て、まア緩(ゆっ)くり勉強するです。本当に実際問題に触れてつまらなく苦労したって為方(しかた)がないですからねえ。」

「え・・・・・・」と芳子は頭を垂れた。
「後で詳しく聞きましょうが、今の中(うち)は二人共じっとして勉強していなくては、為方がないですからね。」

「え・・・・・・」と言って、芳子は顔を挙げて、「それで先生、私達もそう思って、今はお互いに勉強して、将来に希望を持って、親の親の許諾(ゆるし)をも得たいと存じておりますの!」

「それが好いです。今、余り騒ぐと、人にも親にも誤解されて了(しま)って、折角の真面目な希望も遂げられなくなりますから。


「ですから、ね、先生、私は一心になって勉強しようと思いますの。田中もそう申しておりました。それから、先生に是非お目にかかってお礼を申し上げなければ済まないと申しておりましたけれど、・・・・・・よく申し上げてくれッて・・・・・・」

「いや・・・・・・」
時雄は芳子の言葉の中に、「私共」と複数を遣(つか)うのと、もう公然許嫁(いいなずけ)の約束でもしたかのように言うのとを不快に思った。

まだ、十九か二十の妙齢の処女が、こうした言葉を口にするのを怪しんだ。時雄は時代の推移(おしうつ)ったのを今更のように感じた。

当世の女学生気質のいかに自分等の恋した時代の処女気質と異なっているかを思った。勿論、この女学生気質を時雄は主義の上、趣味の上から喜んで見ていたのは事実である。

昔のような教育を受けては、到底今の明治の男子の妻としては立って行かれぬ。女子も立たねばならぬ、意志の力を十分に養わねばならぬとは彼の持論である。

この持論を彼は芳子に向かっても少なからず鼓吹した。けれどこの新派のハイカラの実行を見てはさすがに眉を顰(ひそ)めずにはいられなかった。

引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊




「蒲団」VOL,37


佐内坂を登り了(おわ)ると、人通りが少なくなった。時雄はふと振り返って、「それでどうしたの?」と突如として訊(たず)ねた。

「え?」
反問した芳子は顔を曇らせた。
「昨日の話さ、まだ居るのかね。」

「今夜の六時の急行で帰ります。」
「それじゃ送って行かなくってはいけないじゃないか。」
「いいえ、もう好いんですの。」

これで話は途絶えて、二人は黙って歩いた。
矢来町の時雄の宅、今まで物置にしておいた二階の三畳と六畳、これを綺麗に掃除して、芳子の住居(すまい)とした。

久しく物置・・・子供の遊び場にしておいたので、塵埃(ちり)が山のように積もっていたが、箒をかけ雑巾をかけ、雨のしみの附いた破れた障子を貼り更(か)えると、こうも変るものかと思われるほど明るくなって、裏の酒井の墓の大樹の繁茂(しげり)が心地良き翠(みどり)をその一室に漲(みなぎ)らした。

燐家の葡萄棚、打ち捨てて手を入れようともせぬ庭の雑草の中に美人草の美しく交わって咲いているのも今更に目につく。

時雄はさる画家の描いた朝顔の幅(ふく)を選んで床に懸け、懸花瓶(けんかびん)には遅れ咲きの薔薇の花を挿した。

昼頃に荷物が着いて、大きな支那鞄(しなかばん)、柳行李(やなぎごうり)、信玄袋(しんげんぶくろ=底が広い布製の大きな手下げ袋)、本箱、机、夜具、これを二階に運ぶのはなかなか骨が折れる。

時雄はこの手伝いに一日社を休むべく余儀なくされたのである。机を南の窓の下、本箱をその左に、上に鏡やら紅皿やら罎(びん)やらを順序良く並べた。

押入れの一方には支那鞄、柳行李、更紗(さらさ)の蒲団夜具の一組を一方にいれようとした時、女の移香(うつりが)が鼻を撲(う)ったので、時雄は変な気になった。




引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊





「蒲団」VOL,36


無論、その胸には一種の圧迫を感じたに相違ないけれど、芳子の心にしては、絶対に信頼して、今回の恋のことにも全心を挙げて同情してくれた師の家に行って住むことは別に甚だしい苦痛でも無かった。

寧ろ以前からこの昔風の家に同居しているのを不快に思って、出来るならば、初めのように先生の家にと願っていたのであるから、今の場合でなければ、かえって大いに喜んだのであろうに・・・・・・

時雄は一刻も早くその恋人のことを聞糺(ただ)したかった。今、その男は何処いる?何時(いつ)京都に帰るか?これは時雄にとっては実に重大な問題であった。

けれど何も知らぬ姉の前で、打ち明けて問う訳にも行かぬので、この夜は露ほどもそのことを口に出さなかった。一座は平凡な物語に更けた。

今夜にもと時雄の言い出したのを、だって、もう十二時だ、明日にした方が宜(よ)かろうとの姉の注意。
で、時雄は一人で牛込へ帰ろうとしたが、どうも不安心で為方(しかた)がないような気がしたので、夜の更けたのを口実に、姉の家へ泊って、明朝早く一緒に行くことにした。

芳子は八畳に、時雄は六畳に姉と床を並べて寝た。やがて姉の小さい鼾(いびき)が聞こえた。時計は一時をカンと鳴った。

八畳では寝付かれぬと覚(おぼ)しく、おりおり高い長大息(ためいき)の気勢(けはい)がする。甲武の貨物列車が凄まじい地響きを立てて、この深夜を独り通る。時雄も久しく寝られなかった。

翌朝時雄は芳子を自宅に伴った。二人になるより早く、時雄は昨日の消息を知ろうと思ったけれど、芳子が低頭勝(うつむきがち)に悄然(しょうぜん)として後について来るのを見ると、何となく可哀そうになって、胸に苛々(いらいら)する思を畳みながら、黙して歩いた。




引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊




「蒲団」VOL,35


「大変遅くなって・・・・・・」と言って、座敷と居間との間の閾(しきい)の処に来て、半ば坐って、ちらりと電光のように時雄の顔色を窺ったが、すぐ紫の袱紗(ふくさ)に何か包んだものを出して、黙って姉の方に押し遣(や)った。


「何ですか・・・・・・お土産?いつもお気の毒ね。」
「いいえ、私も召し上がるんですもの。」
と芳子は快活に言った。

そして次の間へ行こうとしたのを、無理に洋燈(らんぷ)の明るい眩しい居間の片隅に坐らせた。美しい姿、当世流の庇髪、(ひさしがみ)、派手なネルにオリイヴ色の夏帯を形よく緊(し)めて、少し斜に坐った艶(あで)やかさ。

時雄はその姿と相対して、一種状すべからざる満足を胸に感じ、今までの煩悶と苦痛とを半ば忘れて了った。
有力な敵があっても、その恋人をだに占領すれば、それで心の安まるのは恋する者の常態である。


「大変に遅くなって了(しま)って・・・・・・」
いかにも遣る瀬無いというように微かに弁解した。

「中野に散歩に行ったッて?」
時雄は突如として問うた。

「ええ・・・・・・」芳子は時雄の顔色をまたちらと見た。
姉は茶を淹(い)れる。土産の包みを開くと、姉の好きなシュウクリーム。これはマアお旨(い)しいと姉の声。で、暫く一座はそれに気を取られた。



小時(しばらく)してから、芳子が、
「先生、私の帰るのを待っていて下さったの?」
「ええ、ええ、一時間半位待ったのよ。」
と姉が傍(そば)から言った。

で、その話が出て、都合さえよくば今夜からでも、荷物は後からでも好いから、一緒に伴(つ)れて行く積りで来たということを話した。芳子は下を向いて、点頭(うなず)いて聞いていた。




引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊



「蒲団」VOL,34


「どうもハイカラ過ぎて困る。」と時雄は言ったが、時計の針の既に十時半の処を指すのを見て、
「それにしてもどうしたんだろう。若い身空で、こう遅くまで一人で出て歩くと言うのは?」

「もう帰って来ますよ。」
「こんなことは幾度もあるんですか。」

「いいえ、滅多にありはしませんよ。夏の夜だから、まだ宵の口位に思って歩いているんですよ。」
姉は話しながら裁縫(しごと)の針を止めぬのである。前に公孫樹の大きい裁物板が据えられて、彩絹(きぬ)の裁切(たちきれ)や糸や鋏が順序なく四面に乱れている。

女物の美しい色に、洋燈(らんぷ)の光が明かに照り渡った。九月中旬の夜は更けて、稍々(やや)肌寒く、裏の土手下を甲武の貨物汽車がすさまじい地響を立てて通る。


下駄の音がする度に、今度こそは!と待渡ったが、十一時が打って間もなく、小きざみな、軽い後歯(あとば)の音が静かな夜を軽く響いて来た。

「今度のこそ、芳子さんですよ。」
と姉は言った。

果たしてその足音が家の入口の前に留って、がらがらと格子が開く。
「芳子さん?」
「ええ。」
と艶(あで)やかな声がする。

玄関から丈の高い庇髪の美しい姿がすっと入ってきたが、
「あら、まア、先生!」
と声を立てた。その声には驚愕(おどろき)と当惑の調子が十分に籠(こも)っていた。


引用書籍
田山花袋「蒲団」新潮社刊
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