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2021年02月13日

田山花袋「蒲団」本文4〜12/全58

★「蒲団」4〜12・・・http://14highschool.jugem.jp/?eid=2533


「蒲団」C 

こうならぬ前に、この戯曲をかの女の日課として教えて遣ろうかと思ったことがあった。ヨハンネス・フォケラートの心事と悲哀とを教えて遣りたかった。

この戯曲を渠(かれ)が読んだのは、今から三年前、まだかの女のこの世にあることをも夢にも知らなかった頃であったが、その頃から渠は寂しい人であった。

敢えてヨハンネスにその身を比そうとは為(し)なかったが、アンナのような女がもしあったなら、そういう悲劇(トラジデイ)ニ陥るのは当然だとしみじみ同情した。今はそのヨハンネスにさえなれぬ身だと思って長歎した。


さすがに「寂しき人々」をかの女に教えなかったが、ツルゲーネフの「ファースト」という短編を教えたことがあった。

洋燈(ランプ)の光明かなる四畳半の書斎、かの女の若々しい心は色彩ある恋物語に憧れ渡って、表情ある眼は更に深い深い意味を以(もっ)て輝きわたった。

ハイカラな庇髪(ひさしがみ)、櫛(くし)、リボン、洋灯の光線がその半身を照らして、一巻の書籍に顔を近く寄せると、言うに言われぬ香水のかおり・・・・・書中の主人公が昔の恋人に「ファースト」を読んで聞かせる段を講釈する時には、男の声も烈しく戦(ふる)えた。

「けれど、もう駄目だ!」
と、渠(かれ)は再び頭髪(かみ)をむしった。


引用書籍
「蒲団」田山花袋著、新潮社刊












『蒲団』D


渠(かれ)はその頃この女に逢うのをその日その日の唯一の楽(たの)みとして、その女に就いていろいろな空想を逞(たくましゅ)うした。恋が成り立って、神楽坂あたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらどう・・・・・・。細君に知れずに、二人近郊を散歩したらどう・・・・・・。

いや、それどころではない、そのとき、細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女をいれるとしてどうであろう。・・・・・・平気で後妻に入れることが出来るだろうかどうかなどと考えて歩いた。



引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊

「蒲団」E


神戸の女学院の生徒で、生れは備中(びっちゅう)の新見町(にいみまち)で、渠の著作の信奉者で、名を横山芳子という女から崇拝の情を以て充(み)たされた一通の手紙を受け取ったのはその頃であった。

竹中古城と謂(い)えば、美文的小説を書いて、多少世間に聞こえておったので、地方からくる崇拝者渇迎者(かつごうしゃ)の手紙はこれまでにもずいぶん多かった。

やれ文章を直してくれの、弟子にしてくれのと一々取り合ってはいられなかった。だからその女の手紙を受け取っても、別に返事を出そうとまでその好奇心は募らなかった。けれど同じ人の熱心なる手紙を三通貰っては、さすがの時雄も注意をせずにはいられなかった。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊

「蒲団」F


歳は十九だそうだが、手紙の文句から推(お)して、その表情の巧みなのは驚くべきほどで、いかなることがあっても先生の門下生になって、一生文学に従事したいとの切なる願望(のぞみ)。文字は走り書きのすらすらした字で、余程ハイカラの女らしい。

返事を書いたのは、例の工場の二階の室で、その日は毎日の課業の地理を二枚書いて止(よ)して、長い数尺に余る手紙を芳子に送った。

その手紙には女として文学に携わることの不心得、女は生理的に母たるの義務を尽くさなければならぬ理由、処女にして文学者たるの危険などを縷々(るる)として説いて、幾らか罵倒(ばとう)的の文字をも陳(なら)べて、これならもう愛想(あいそ)をつかして断念(あきら)めて了(しま)うであろうと時雄は思って微笑した。

そして本箱の中から岡山県の地図を探して、阿哲郡(あてつぐん)新見町の所在を研究した。山陽線から高梁川(たかはしがわ)の谷を遡って奥十数里、こんな山の中にもこんなハイカラの女があるかと思うと、それでも何となくなつかしく、時雄はその附近の地形やら山やらを仔細(しさい)に見た。

で、これで返事をよこすまいと思ったら、それどころか、四日目には更に厚い封書が届いて、紫インキで、青い罫(けい)の入った西洋紙に横に細字で三枚、どうか将来見捨てずに弟子にしてくれという意味が返す返すも書いてあって、父母に願って許可を得たならば、東京に出て、然るべき学校に入って、完全に忠実に文学を学んでみたいとのことであった。

時雄は女の志に感ぜずにはいられなかった。東京でさえ、女学校を卒業したものでさえ、文学の価値(ねうち)などはわからぬものなのに、何もかもよく知っているらしい手紙の文句、早速(さっそく)返事を出して子弟の関係を結んだ。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊




「蒲団」G


それからたびたびの手紙と文章、文章はまだ幼稚な点はあるが、癖のない、すらすらした、将来発達の見込みは十分にあると、時雄は思った。で一度は一度より段々互いの気質が知れて、時雄はその手紙の来ることを待つようになった。

ある時などは写真を送れと言って遣ろうと思って、手紙の隅に小さく書いて、そしてまたこれを黒々と塗って了(しま)った。女性には容色(きりょう)というものが是非必要である。容色の悪い女はいくら才があっても、男が相手に為(し)ない。時雄も内々胸の中で、どうせ文学をやろうというような女だから、不容色(びきりょう)に相違ないと思った。

けれどなるべくは見られる位の女であって欲しいと思った。
芳子が父母に許可(ゆるし)を得て、父に伴(つ)れられて、時雄の門を訪(おとの)うたのは翌年の二月で、丁度時雄の三番目の男の子の生まれた七夜の日であった。

座敷の隣の室は細君の産褥(さんじょく)で、細君は手伝いに来ている姉から若い女門下生の美しい容色であることを聞いて少なからず懊悩した。姉もああいう若い美しい女を弟子にして、どうする気だろうと心配した。

時雄は芳子と父とを並べて、縷々(るる)として文学者の境遇と目的とを語り、女の結婚問題に就(つ)いて予(あらかじ)め父親の説を叩いた。(叩く=辞典・・・ここでは、芳子の父親に、芳子の将来をどう考えているかを聞く意味。)


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊



「蒲団」H


芳子の家は新見町でも第三とは下らぬ豪家で、父も母も厳格なる基督教信者(クリスチャン)、母は殊にすぐれた信者で、曽(かつ)ては同志社女学校に学んだこともあるという。

総領の兄は英国に洋行して、帰朝後は某官立学校の教授となっている。芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処でハイカラな女学校生活を送った。

基督教の女学校は他の女学校に比して、文学に対してすべて自由だ。その頃こそ「魔風恋愛」や「金色夜叉」などを読んではならんとの規定も出ていたが、文部省で干渉しない以前は、教場でさえなくば何を読んでも差し支えなかった。

学校に付属した教会、そこで祈祷の尊いこと、クリスマスの晩の面白いこと、理想を養うということの味をも知って、人間の卑しいことを隠して美しいことを標榜するという群(むれ)の仲間となった。

母のひざ元が恋しいとか、故郷(ふるさと)が懐かしいとか言うことは、来た当座こそ切実に辛くも感じたが、やがては全く忘れて、女学生の寄宿生活をこの上なく面白く思うようになった。

美味しい南瓜を食べさせないといっては、お鉢の飯に醤油をかけて賄方(まかないかた・・・給仕当番の女学生)をいじめたり、舎監のひねくれた老婦の顔色を見て、陰陽(かげひなた)に物を言ったりする女学生の群の中に入っていては、
家庭に養われた少女のように、単純に物を見ることがどうして出来よう。

美しいこと、理想を養うこと、虚栄心の高いこと、
こういう傾向をいつとになくうけて、芳子は明治の女学生の長所と短所とを遺憾なく備えていた。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊

「蒲団」I

少なくとも時雄の孤独なる生活はこれによって破られた。


昔の恋人・・・・・今の細君。曽(かつ)ては恋人には相違なかったが、今は時勢が移り変わった。四五年来の女子教育の勃興、女子大学の設立、庇髪(ひさしがみ)、海老茶袴(えびちゃばかま)、男と並んで歩くのをはにかむようなものは一人も無くなった。

この世の中に、旧式の丸髷(まるまげ)、泥鴨(あひる)のような歩き振、温順と貞節とより他に何物をも有せぬ細君に甘んじていることは時雄には何よりも情けなかった。

路(みち)を行けば、美しい今様(いまよう)の細君を連れての睦まじい散歩、友を訪(おとな)えば夫の席に出て流暢に会話を賑(にぎや)かす若い細君、ましてその身が骨を折って書いた小説を読もうでもなく、夫の苦悶煩悶には全く風馬牛(ふうばぎゅう)で、子供さえ満足に育てれば好いという自分の細君に対すると、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。

これが、この孤独が、芳子によって破られた。ハイカラな新式な美しい女門下生が、先生!先生!と世にも豪い人のように渇仰して来るのに胸を動かさずに誰がおれようか。

最初の一月ほどは時雄の家に仮寓(かぐう)していた。
華(はな)やかな声、艶(あで)やかな姿、
今までの孤独な淋しいかれの生活に、何等の対照!


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊




「蒲団」J

産褥から出たばかりの細君を助けて、靴下を編む、襟巻を編む、着物を縫う、子供を遊ばせるという生き生きした態度、
時雄は新婚当初に帰ったような気がして、家門近く来ると、そそるように胸が動いた。

門をあけると、玄関にはその美しい笑顔、色彩に富んだ姿、
夜も今までは子供とともに細君がいぎたなく眠ってしまって、六畳の室(へや)に徒(いたずら)に明らかな洋燈(ランプ)も、却(かえ)って侘しさを増すの種であったが、今は如何に夜更けてかえって来ても、羊燈の下には白い手が巧みに編物の針を動かして、膝の上に色ある毛糸の丸い玉!賑やかな笑い声が牛込の奥の小柴垣の中に充(み)ちた。

けれど一月ならずして時雄はこの愛すべき女弟子をその家に置く事の不可能なのを悟った。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊

「蒲団」K

従順なる家妻は敢えてその事に不服をも唱えず、それらしい様子も見せなかったが、しかもその気色(きしょく)は次第に悪くなった。限りなき笑い声の中に限りなき不安の情が充ち渡った。妻の里方の親戚間などには現に一問題として講究されつつあることを知った。

時雄は色々に煩悶した後、細君の姉の家(軍人の未亡人で恩給と裁縫とで暮らしている姉の家に寄寓させて、其処(そこ)から麹町(こうじまち)の某女塾に通学させることにした。

それから今回の事件まで一年半の年月が経過した。
その間二度芳子は故郷を省(せい)した(=帰省した事)。短編小説を五種、長編小説を一種、その他美文、新体詩を数十篇作った。

某女塾では、英語は優等の出来で、時雄の選択で、ツルゲネーフの全集を丸善から買った。初めは、暑中休暇に帰省、二度目は、神経衰弱で、時々癪(しゃく)のような痙攣(けいれん)を起こすので、暫(しば)し故山の静かな処に帰って休養するほうが好いという医師の勧めにしたがったのである。


引用書籍
田山花袋著「蒲団」新潮社刊
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