眠さの残る頭でハローワークのトイレに入り、
座ってもう一度確認。
時間は短いが、警備業務(施設の開施錠や
来客対応)もあるし、委託業者としての
警備員ではなく、その施設の職員扱いです。
警備制服を着ないところに魅力を感じた
僕は、考え直し応募することにしました。
とりあえず働いてチャンスを待とう。
これまでの経験が生かせるならと、仕事を
探している僕は背水の陣だったのです。
次につながるならいいじゃないか。
数日後の面接。
面接官から、C社を3か月あまりで辞めた
事や、D社を1年も経たず辞める事を
突っ込まれました。
僕は「言いにくい事なのですが」と
前置きした上でC社のブラックさ、D社で
警備業界に愛想が尽きた経緯を話しました。
絞り出すような絶叫の言葉だったの
でしょう。これまでの葛藤や屈辱、やっても
やっても報われない仕事への絶望感など。
その中で掴んだ経験、特に不特定多数の
人への対応について、市役所では生活保護などの
電話の面倒さをアピールしました。
そして3月の半ば。
早出勤務が終わり、昼過ぎに帰宅すると
一通の封筒が。面接を受けた児童福祉施設から
でした。事前に電話はなし。
封筒は中身が薄い。不採用なら履歴書くらい
返せよ・・・開封するとA4用紙が2枚入って
いただけでした。
見ると採用通知とそれに伴う今後の
案内でした。さ、採用?とにかく助かりました。
仕事がつながった・・・良かった。
その日の夕方、児童福祉施設の担当者から
僕の携帯に電話がありました。
今後についての説明でした。
長かった。
新しい職場で青果市場の変則勤務の疲れを癒し、
通常の生活を取り戻しました。挨拶のためD社に
行くと部長がいました。
部長は悔しさを抑えながら厳しいぞとだけ
最後に言いました。僕は脱・D社は達成
しましたが、脱・警備はこれからでまだ道半ば。
僕が辞めた後の穴埋めに、例のポン吉を呼び戻す
との事。ポン吉排除の立役者S隊員怒り心頭。
半年間あったのに人材育成もできないのか。
僕が辞めた後も、施設警備隊員が次々に
辞め焦ったD社は全体会議を開いたそうです。
人材育成に力を入れないと改善は難しいでしょう。
それから2年後。
僕はその職場を足掛かりに就職活動を続け、
今の職場にたどり着きました。非正規ながら
地元では割と恵まれた部類に入ります。
そして警備員を監督する業務に就いたのです。
経験を活かし警備員を使うユーザー(占有者)
側になることができました。
警備員時代、僕を蔑ろにしてきた奴らを
ある程度見返す事ができました。僕の立場を
知ればいいなあと思われるでしょう。
しかし僕はこの職場で満足することなく、
今の環境は次の目標への通過点と
思っております。
※最後までご覧いただきありがとうございました。
書ききれなかった事も多々ありますが、来月以降
別途カテゴリで紹介していくつもりです。
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