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2019年06月10日

教育実習に思う

教育実習に思う

教育実習生が来た。
卒業生である。
満面の笑顔で、実習開始の挨拶をした彼女は、中高生の頃の面影はもはやなく、立派に成長していた。
「…戻って来られて、とても嬉しいです」

卒業生が母校に戻るというのは嬉しいものだ。

かくいう私も、教委実習は母校の高校。
当然、教えて下さった先生たちは皆残っており、大いなる喜びを感じたものだ。
私が高校一年生の時の担任が、数学の先生で、多少偏屈だったが、尊敬できる方だった。
その学校の初めての担任のときに、私がいたということもあり、実習中もとても目をかけてくださいった。
教え方も抜群に上手く、私の最初の理想像になったことを思い出す。

教育実習のノウハウを教えて下さったのも、その先生で、本当に細かな部分をご指摘下さり、それは今でも役に立っている。

本当にありがたい存在だった。
今はもう、亡くなっているが、定年後も元気なうちにお会いしたかったと思う。

ということで、私の教育実習生のに対する思い入れは大きい 。
「本気で教師を目指すなら、何でも教えてあげよう」、と思う。
だが、ただ資格を取りたいだけならば、それなりに付き合う。

今回は、私と直接関わることがないだろう。
それに、最近は実習生に対して、少し冷めた目で見るようになってしまった。
何だが、情熱を感じないのである。
そつなくこなしているのは素晴らしいが、何となくよそよそしい。

今回の実習生はどうだか分からないが、毎年、そんな風に時が流れ、実習生が去っていく。

3週間という期間は、短いのか長いのか、あるいは適切なのか、それは私には分からない。
それでも、全力で、全身で、全人格で、生徒に体当たりするのならば、その経験は、いずれ教職に就いた時、大きな財産になるだろう。

「先生」、と呼ばれて、どきっとするのも、教育実習の醍醐味。

「楽しかったなあ…」、というのが私の教育実習時の思い出。

その後私は、大学院に通いながら、母校の非常勤講師になる…。
私の場合、教員になることは、小学生の頃から決めていたのだ。

昨今は、教員の仕事のブラック化が強調され、教員へのなり手が少ないと言う。

子供が好きでなければ、出来る仕事ではないが、「お世話になった恩返しに、自分もこの世界に入って奮闘しよう」。という思いの若者はいないのだろうか。

教員生活は、それほど楽ではないが、楽しいぞ。














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2019年06月09日

一生懸命さは感動を生む

練習試合が中止になったので、お弁当の手配の関係で、7時前に学校を出発。
午前だけだが、チーム練習をした。

もともと試合をするつもりだったのだから当然ではあるが、10人で練習をするのは、ずいぶん久しぶりの感じがする。もちろん、あと五、六人は欲しいところ…。

だが、今でも移動手段に悩まされる。
10人乗りの自動車では、運転手分がオーバーしてしまうのだ。
その上は、中型のマイクロバスになるのだが、車両が大きくなると、移動先の駐車場や転回に難儀するのだ。それに、用具を積むにも、十分な収納スペースがなく、結局座席をつぶすしかなくなるなど、結構使い勝手は悪い。

さて、予想はしていたが、やはり校長が来た。
練習試合に応援に行くと言っていた校長、急遽、試合が延期になったのだが、地元の挨拶へのあと、練習場所のグランドに立ち寄ったのだ。

「生徒たちの好きな炭酸飲料を買ってきましたよ。」
と、満面の笑顔。

校長が来るときは、必ずといっていいほど、すべて炭酸飲料を持ってくる。
「炭酸飲料は飲み過ぎないように…」、と言っている自分自身が、罪の意識を感じてしまうほどだ。

早くから練習しているので、早めに終わったが、結局昼食の手配などで、帰校は正午になってしまった。それでも生徒たちは、午後はゆっくり時間を確保できるだろう。

次の週末は、また別の練習試合が入っている。
まぁ、試合にはならないとは思うが、やらせてみるのも面白い。
恥ずかしい試合をしても、私が謝ればいい。
プレーはどんなに下手くそでも、一生懸命さがあれば、たとえ相手校のやんちゃな選手に馬鹿にされようとも、見る人が見れば、「いつかは上手くなっていく…」、と思われるはずだ。

私の学校の高校野球も、結成当初は超弱小チームだったが、たまたま練習試合をしてもらった相手校の監督に気に入られた。どんなに点数を取られても、絶対に手を抜かず、また、くさることなく、下手なりにも全力でプレーする姿に感動したというのだ。

その後、その監督は私の学校の野球部に監督として赴任することになった。

一生懸命さは、感動を生むのだ。

スポーツの世界では、強い者が弱い者を下にみる傾向があるが、真の強者は、そういうことはしない。
一流の選手は、心も磨かれているからだ。

そんなことを知ってから知らずか、私のチームの選手たちは、「わー」と言いながらミスを連発する。
その声は、プレーの声よりも大きいのというが、私にはちょっと気に障る。
それでも、彼等はにこにこ顔だ。

ここから楽しんでプレーしているのである。















2019年06月08日

返却答案を控えておく

中2と中1の試験答案を返却した。
昨日の今日の答案もあり、結構忙しかった。
一方で、今日授業のなかった中3の答案は、ほとんど手つかず状態。

そんな中、試験後の部活をしたり、調子がわるくなっているPCのセッティングだので、あっという間に時間が過ぎ、結局採点に取りかかれない。

「もう寝る!」、というのが、今の私の思いである。

私の学校では、答案はすべてPDFにして保管しておく。
「答案を分析しよう」、というなら格好良いが、要は単なる答案不正改ざんの抑止力である。

と言っても、私はあまりPDF化しない。
「そんな生徒はいない」、と信じているからだ。

だが、隙を作るのはだめだ。
特に最初の試験を受けた中1については、「答案のコピーをとってありますから…」、と実際に見せながら、「それでは、間違いがある人…」、と声かけした方が、より効果的だ。

「こうしたことは、一度で十分」、と私は思っているのだが、学校としては、それは許したくないようである。

確かに、「魔が差した」、ということは起こりうる。

中1の試験範囲は正負の計算と、文字式の導入部分。数えてみたら、私のテストは75問あった。
それでも平均点が70点を超えていたので、なかなか優秀であると言える。

中2は、代数が展開と因数分解、幾何は相似と円。どちらもまずまず…。

「できなそうで、結構解けたな…。」
というのが、私の所感である。

中1は、この後、三段階の習熟度クラスを組む。

「これで私の最後の授業ですね。もう担当しない人もいますよ。」
と言って終了した。

「先生のクラスがいいです。」
などと、可愛いことを言ってくれる生徒もいるが、「まぁ、私の授業、多少は面白いということだろう。」

中3の採点を放っておいて、寝るとするか…。














2019年06月07日

中間考査終了と同時の入梅

中間試験が今日で終わったというその日に、入梅。
日曜日が練習試合だというのに、天気はなかなか思うようにいかないものだ。

試験期間中は、部員たちに少しノルマを課した。
10日あまりの間、まったく身体を動かさないと、練習開始時にかなり辛くなるので、「100mダッシュ1本」、「2キロのジョギング」、「捕球姿勢を1分間」という、何とも楽で、情けないメニューだ。

試験終了後、部員たちを集めて、「全員ノルマを終えたね…」、と確認すると、サボっている選手がちらほら。

「分かりました。今日は練習しません。サボった人は、今日のうちにノルマを果たして下さい。」
と、練習をやめてしまった。

どちらにせよ、雨でグランドが使えないので、トレーニング系しかできない。
「ノルマは、きちんとこなすのが当たり前なのだ」と、ここらで教え込むことも必要だ。

おかげで私も採点時間ができた。
明日の授業で返却しなければならないテストがいくつもある。

そうこうしているうちに、あっという間に夕暮れになったのだが、ここに一報が入る。
電話に出られなかったら、ショートメッセージで、日曜日の練習試合の相手校から、「怪我人が出たので練習試合ができません」、と来た。

世の中だいたいこんな感じだ。
思うようにいくことは滅多にない。

「私、練習試合、見に行きますから…。」
と、往復100キロの道のりもへっちゃらの校長には、少しがっかりさせてしまうことになるだろう。

「雨で流れてしまうかもな…。」
と予想はしていたが、別の理由で流れてしまった。
合同チームを組んでいる訳ではないので、わざわざ出掛けて、練習するのも、時間がもったいないので、自分たちで練習することになるのだろう。

「それで、誰が怪我をしたのですか?」
と返信してみたが、一向に返信が来ない。

…気にせず、採点を続けよう。

人数が少ないと、一人、二人の怪我でも試合はできなくなる。
私のチームも気を付けなければ…。














2019年06月06日

響く声

真言宗の御詠歌の響きは心地よい。
このところ父の法要があり、何度か聞く機会を得たが、なんとも言えない調べがある。
張りのある、響きを伴う読経の声もいいものだ。

僧侶は、毎日のお勤めから、法要と読経の経験が豊富だ。
プロなのだから当然なのかも知れないが、私は、その響きを美しく思う。

教員の世界でも、張りのある声は、生徒たちによく届く。
体育科や運動部の顧問は、たいていそうした声が自然に出る。

私が幼い頃は、声が出なくて、大人たちに何度もたしなめられた。
だから、
「お前が、学校の先生なんてできるのか?」
などと、何度も親たちに言われたものだ。

それが、今では、当たり前のように声を出せるようになっている。

教員に成り立ての頃は、「集団を集めて一斉に指示をするなど、自分にはできない」、と思っていたが、声が出るようになると、「何でもないこと」、に思えるから不思議だ。

私は、若い先生には、「積極的に集団への指示出し」をさせているが、ポイントは、「響く声」と、「的確な指示」だろう。

とにかく生徒たちに聞こえなければ、何を言おうと指示にはならない。
「聞かせる」工夫も必要だが、その工夫をするにも、「声」が要るだろう。

中には授業でも、ボソボソと話してしまう先生もいるが、そういう先生は、屋外などでの集団指導は難しいだろう。

思うに、授業中に、叫んでしまうくらいの声を出している方は、それが最大で、教室外ではとても声が届かないだろう。

中には日常会話でも、「声がうるさい先生」もいらっしゃるのだが、これは職業上の副産物かも知れない。個人的には、あまり好きではないが…。

一言で生徒を聞かせ、指示するためには、どうしても張りのある響く声が必要になる。

教員対象のボイストレーニングもあるようだが、実は声の出し方にはコツがある。

私は、歌唱時の発声に似ていると思う。

慣れてくれば、今の自分の声が響いているかどうかも、自らの耳で感じ取ることもできるものだ。

「響く声」は、教員にとって大切なスキルの一つなのだろう。














2019年06月05日

試験中のトイレ

昨年度より二週間遅れで中間考査が始まった。
私の学校は三学期制なので、年に5回の定期考査がある。
今回の考査は、今年度最初の考査。新入生にとっては、入学後、初めての中間考査となる。

特に中1は、皆が緊張の面持ちで試験に臨む。
「先生聞いて下さい。今年の一年生、試験中に消しゴムとか落としたの二人だけなんですよ。」
と、担任が嬉しそうに叫ぶ。
どうやら昨日のおまじないが効いているらしい。

中1の昨日の授業で、
「中1の最初の中間考査は、一時間で15回くらい監督の先生が拾うんだよ。先輩たちは、試験中にあまり落とさないんだよ。」
と、警告しておいたのだ。
それからトイレについても一言。

「試験中お腹が痛くなったらトイレに行って、そのあと戻ってきてから試験を続けられるけど、おしっこでトイレに行くのはやめよう。もちろん、身体の具合が悪い場合は仕方ないけど、試験時間の50分くらい我慢できるでしょ。それに、例えば○○君がトイレに行きたくなったら、監督の先生は、職員室に電話する、その時「○○君がトイレに行きたいそうです」、って言う。すると、職員室では、手の空いている先生を探すため、「○○君がおしっこしたいそうです。どなたか教室に行って頂けますか」、と職員室中に聞こえるように声を掛ける。そして担当の先生が、この教室に来て、○○君をトイレに連れて行くわけだ。その先生は、トイレが終わるのを待って、また○○君を教室に連れてくる。どうだい。けっこう○○君は有名人になるだろ…。」

こんな風にちょっとプレッシャーをかけておいた。
おかげで、そのクラスでトイレに行った生徒はいなかったらしい。

ほんのちょっとの声かけで、生徒たちは生活を修正することができる。
トイレだって休み時間に行けば良いわけだが、他のことに夢中でその意識がないと、試験時間を迎えてしまう。そんなときに、先生の声かけで、思い出す生徒だっている。

ベテランの先生たちは、こんな風に、事前に生徒の行動をうまくコントロールしている。
経験によって、そうしたことが自然にできるのだ。

生徒への指示は、そのすべてが、この方法でなされると言ってもよい。
こうしたテクニックは、なかなか教育実習や大学では学べないだろう。
現場で、自分が経験したり、先輩が担当している生徒が、「どうしてぶれずに指示通り動けるのだろうか」、と思い巡らす中に、そのコツの存在が見えてくる。

授業中の指示も同じだ。
指示の仕方一つで、理解度も大きく変わる。つまり、テストの点数だって変わってしまう訳だ。

このあたりが教員が専門職である所以だろう。

「先輩から盗め」
とは、よく言ったものだ。

今も昔も変わらない。








2019年06月04日

正しく人を見る

「掃除のとき、とてもよくリーダーシップを発揮してくれて、素晴らしいです。」
中3のY君を、音楽の先生が褒め称えた。
「後輩ができて、先輩としての自覚に目覚めたのでしょうね。」
と、私や別の先生が賛同すると、そこに若手のM先生が口を挟んだ。
「僕の担当場所では、中3は全然だめです。中2もやる気がありません。」

私には理由は分かっている。
メンバーの善し悪しではない。
申し訳ないが、その若手のM先生に信頼感がないのだ。

先日、私が出張だったとき、授業の代講をお願いした。
翌日、生徒たちに「どうだったか?」、と尋ねると、彼らはニヤニヤするばかりであった。
何があったかは分からないが、その伝わる雰囲気から授業がうまく成立せず、また空回りしていたことは想像に難くない。

「一度、彼らの居場所を作ってあげたらどうですか?」
私はM先生に、そんな提案をした。
「何か仕事をさせて、そのあと、後輩たちの前で、思いっきり褒めてあげるんです。自分がここで役に立つ存在だ、と思わせてあげるんです。」

とかく、マイナス面ばかりを見てしまい、注意ばかりになりがちだ。
だが、褒めることも教育活動の一つ。
褒められて、いやな気持ちをもつ人はいない。
こちらが真剣に褒めれば、生徒もだんだんその気になってくる。

「分かりました。こんどやってみます。」
と、M先生は言った。

今年度は遅刻して出勤することがなくなったM先生。
「毎年少しずつでもいいから、進化してくれ。」
と、私は祈るような気持ちで見守っている。

M先生は頭脳明晰、どんな難問でもちゃっちゃっと解いてしまう、頭の良さを持つ。
私など、とてもじゃないけど、足下にも及ばない。
この先、長く活躍してほしい若手の先生だ。

「教員生活も三十年を超えると、いつしか若手を励ます立場になるのか…」、などと思いを巡らす。

私自身、まだ微かに役立つことはあるのかな。

少し前から、隠れ家の灯油ボイラーが動かなくなった。
昼に、ガス会社に電話したら、今日中に見てくれると言い、夕方、技術の方がやって来た。
何のことはない。振動か衝撃で、安全装置が止まっていただけだった。
だが、この方の対応も、物腰もとてもいい雰囲気で、聞けばお隣の集落にお住みだと言う。
またしても、良い方と巡り会えた。

昨日来てもらった電気店のご主人も、良い方であった。

「もう少し、胸襟を開いて人と関わらねば」、と思い巡らす。
長い教員生活のためか、職業病として、素直でない自分がいる。

生徒を見る目もおなじなのだろう。
地域の方と触れあう中にも、教育活動へのヒントがあった。













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