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2019年06月03日

自分が組織に役に立っているという自覚

「丹澤先生、お願いがあるんですけど…。」
中1の学年主任で、昨年度まで数学科主任だった先生が私に声を掛けた。

「今年は、私に中1のαクラスをチャレンジさせて欲しいのです。」
αクラスとは、数学の習熟度別の一番上のクラスのことである。
ここ十年来、ほとんど私が担当してきたものだ。

別に断る理由もないので、
「いいですよ。」
と、答えたものの、何となく頭をはたかれたような気持ちにもなった。

自分としては、授業に自信があるつもりでいたが、それはもしかしたら「よく聞いてくれる」αクラスだったからなのだろうか。

その先生の方が、私よりずっと頭も良く、優秀な方なので、私よりも適任であることは、客観的にも明らかなのではないだろうか。

これも、いつでも私がこの職場を去れるための布石の一つなのだろうか。

自分の学年だから、自分が上位者を伸ばしたい、と強く願われているのだろうか。

私は、次のβクラスを担当することになるのだが、こちらでも自信ある授業になるのだろうか。

などなど、いろいろな思いが交錯し、しばらく混乱してしまったのだ。

一晩経って、今は少し気持ちも落ち着いている。
人は、ほんの些細な事で、心が千々に乱れるのだな、と思い、自らの弱さを感じた。

私にとっても、新たなチャレンジ、マンネリ化からの脱却にはいいのだろう。
新しいタイプの生徒との関わりもできて、面白いかも知れない…。

どの組織でも、その中で、自らの存在意義が感じられなければ、やってはいけない。
つまり、「自分が、その組織で役に立っている」という自覚が、僅かでもないと、駄目なのだ。

クラスでも、自分の存在が認められなければ、あっという間に不登校になる。
大人の社会でも、それは同じなのだ。

「果たして自分は役に立っているのかな…。」

昨年は、しょっちゅうそんな思いを抱いたが、そんなことを思う抱く暇もないくらい、忙しく仕事をしている方が、もしかしたら、自然に役立つ存在になっていくのだろう。

今年は、けっこう自由にさせてもらっているので、このチャレンジにも取り組みたいと思う。





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2019年06月02日

父の四十九日

父の四十九日

「もう行かなきゃいけないのか。」
「そうだね。そろそろここにはいられないね。」
「そうか…。」
「こっちの世界より、向こうの世界の方が、自由自在だから…。」

父の四十九日法要が終わる頃、亡き父とこんな会話をした。

今回の東京行きは、「一人になって寂しかろう」と、買い始めたばかりの犬を連れて行った。
おかげで、自動車で四時間ほどかかり、なかなかの過酷な移動となった。

だが、犬の効果は絶大で、母も寂しがる暇すらなかっただろう。
私が、犬を連れて帰ってきた後が、寂しさ倍増なのかも知れないが、今度は、逆にこちらに来ていただこう。

実家への行きすがら、ある私学の付属中高前のバス停を通った。
すると、制服を着た中学生が、バス停の縁石に座っている。
恐らくは部活帰りのバス待ちだろう。
だが、彼等は全員がスマホを片手に、皆が下を向いているのだ。
「なんだか、異様な光景だな…。」
時代の流れとして分かってはいるが、なんともおかしな姿に見える。

以前も触れたが、電車に乗っても、ほとんどの人がスマホを触っている。残りは寝ており、本を読んでいる人は、車両の一人いるかどうか、だ。

そんな時代だから、当たり前の姿なのかも知れないが、やはり、世界一高いといわれる携帯電話料金の日本として、何ともやるせない。

彼等は動画を見ているか、ゲームをしているか、SNSで誰かと会話しているか、そんな風だろうが、結局は、「誰かとつながっていたい」、という思いなのだろう。

一方で、人と人との関わり方も下手になっているのだろう。
昨今の、生徒指導を見ても、人との関わりかたが、極めて不器用な中高生が多いのも、こうした影響が出ているのだろう。

便利なツールは、社会生活を豊かにするのだろうが、一方で失うものもあるのだろう。

物から心の時代へ、少しシフトした方がいいのではないだろうか。

スマホでなくても、父とつながることができている私の方が、おかしな姿に思えてしまう…。
続きを読む...

2019年06月01日

犬のしつけ

私の元に来た柴犬は、人が見ている前では餌を食べない。
「人間の食べ物は食べてはいけないし、欲しがってもいけない」、としつけられているからだ。
だから目の前に餌を出しても、人がいなくなるまでは食べない。
もし、餌のそばに赤ん坊が近づいても、犬は餌から離れると言う。
人間が主人で、犬である自分は従なる存在だと思っている訳だ。

もちろん吠えることもなければ、噛むこともしない。
散歩でも、リードを緩めた時以外は、私と一緒に歩く。

「ずいぶん従順な犬だな…。」
と、思う一方で、果たして自分自身、
「いつかはこんな風にしつけられるのだろうか。」
とも思う。

私の生活も一変した。
毎朝五時前に起きて、隠れ家へ行く。
犬は私の来るのをちゃんと待っており、すぐに散歩に出かける。
小一時間の散歩の後、再び家に戻り、出勤準備をする。

日中、出かけることがあれば、隠れ家に顔を出せるが、普段は部活前か後に、隠れ家を訪ねる。
そのまま練習に連れて行くこともあれば、すべて終わってから散歩を楽しむこともある。

「丹澤先生、犬を飼い始めたんですか?」
と生徒に尋ねられ、
「犬は、裏切らないからね…。」
と、答えてみたが、果たして生徒に裏切られたことが、教員人生であっただろうか。

いい意味で、裏切られ、活躍している卒業生も多いのは事実だが…。

犬を迎えてから、まもなく一週間。
もう少し環境に慣れるまで時間がかかりそうだが、生徒だって、一週間で打ち解けることは珍しかろうし、大人だって同じだ。

犬舎から譲ってもらった犬だが、
「人によっては、犬に三種類くらいの名前をつけている人もいるんですよが。」
と、教えられた。

褒めてやるときや餌をやるなど、犬にとっていいことがある名前、子供が遊ぶときの名前、それから登録名だ。

「叱るときは決して餌をやるときの名前を呼ばないようにしてください。」
とも注意された。

動物を育てる中に、何だか教育に生かせるヒントがたくさんあるようにも思えるのは面白い。








2019年05月31日

ポジティブピッチャー

終日、野球の県大会の審判。
このところの暑さも一息つき、涼しくて助かった。

県大会に審判に行くと、500円の旅費と一試合につき500円の手当が支給される。
私の学校では、出張時の一切の手当がないので、もらえるだけありがたい。
その代わり、今日のような出張扱いでは、公用車が自由に使え、交通費はかからない。
だが、朝昼の食事代で消えてしまう金額であることも事実。

私の場合、お金云々より、中学生たちが必死でプレーする様子を見られるだけで喜びなので、手当などはどうでもいい。

今日の試合も、白熱した素晴らしい試合だった。

球場は高校野球はもちろん、時折プロ野球が興行するような立派な人工芝の球場。

地方の大会は、こうしため恵まれた球場で試合ができる。
今日は一回戦だ。

さて、試合だが、今日は「ポジティブピッチャー」が印象に残った。
ピッチャーは孤独だ。投球をするのは、ピッチャーただ一人。
打ち取ったと思った球をエラーされたら、ちょっといらつく。
実際、一人で投げて、一人で打ち取って、エラーされると激怒して、文句を言いまくるピッチャーもいる。
たいていそういう選手は、自分がミスしたときは、何も言わない。

だが、今日の試合のピッチャーは違った。
とにかくチームを盛り上げるのである。
中学の野球では、ピッチャーで4番打者でキャプテン、ということもが珍しくはないが、そうではなかった。まさに、「ポジティブピッチャー」だった。

一方、対戦相手のピッチャーは、「ポジティブ」ではなかった。良い投球をすれば喜び、ミスをすれば落ち込む、普通のスタイルである。
だから、四死球を出せば、あからさまに表情を曇らせ、落ち込む。
すると、チームも沈滞し、声が出なくなる。
勝負の世界では、そういうチームが勝利を手にすることは難しい。
つまり、普通ではだめなのだ。

そんな人間ドラマともいうべきものを、野球の中で、間近に見ることができることも、審判の醍醐味でもある。

まぁ、肉体的に過酷であることには間違いないが…。

いろいろ学びのあった充実の審判デーとなった。
試験前に自習にしてしまったクラスの生徒たちには申し訳ない。









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2019年05月30日

生徒のためなら…

模試の結果が出ると、職員会議で教頭が分析結果を説明する。
試験の行われた教科の先生たちは、じっと耐えながらその話を聞く。
「給料に関係ないんだから…。」
と、思う先生は、私の学校には一人もいない。

他の学校だってそうだろう。
生徒に学力をつけさせることは、教員にとって最も大切な仕事の一つであるからである。

それでも、上司から指摘されると、「自分の授業がマイナスに評価されるようでつらい」、と思うに違いない。

正しいと思って行ったことで、思うような成果が出ないと、人は全否定されたように思うのだ。 。

生徒指導で問題を抱え、心が弱っているときなどは、なおさらだろう。

兄弟校同士で比較されるのも、あまりいい気持ちはしない。

教師は生徒に試験をしているのが、こうした場面は、逆に試験をされていることになる。

だが、そうした試練(?)にめげずに精進し続けるのも、教員の務めであろう。

私の学校の食事を作っている業者が、またサービスを増やした。
一部、食べ放題のメニューを増やすという。

「経営は大丈夫なんですか?」
事務長も校長も心配して尋ねたが、「ギリギリだけれど大丈夫」、だと言う
それよりも、
「生徒たちが喜んで食べている姿を見ることができるなら、これに勝る幸せはありません。」とのこと。

いろいろあるけど、私たち教員も、もっともっと頑張らねばなるまい。

本来私たちも、生徒の喜ぶ姿を繰り返し見たくて、教員という職業に就いたのではないだろうか。

「生徒のためなら何でもする…。」
そんなスタンスで教育活動をしているからこそ、生徒からも慕われ、親たちからも一目置かれる。

もちろんできることに限界はあるが、できる限りのことをしたい。

権利ばかりを主張してはだめだ。

昨今は、そういう人が増えてきたように感じる…。












2019年05月29日

消しゴムのかす

中2の女子生徒が休み時間に私に訴えてきた。
「移動教室のあと、自分の机の上に、いつも消しゴムのかすがまとめられているんです。捨ててくれないんですよ。どう思いますか?」

確かに、自分の席に戻った時、机にかすがあったら、気持ちは萎えるだろう。

「そりゃあ、だめだなぁ…。」
と、なだめるも、「せっかく集めてまとめたならば、捨てるところまですればいいのに…」、と思った。

「まぁ、相手は分かっているんですけどね…。」
女の戦いは怖い…。

これが男子だったら、まとめる以前に、さっと床に落としてしまう人が多いのだろう。
時々、床が消しゴムのかすだらけの席を見かける。

彼らも自分の部屋なら、そのまま床に落とすこともあるまい。

私は、ほとんど消しゴムを使わないが、たまに使ったときは、自動車型をした消しかすクリーナーを転がし、集めてしまう。

数学の授業中などは、
「出来るだけ消しゴムを使わないように解こう!」
と指示している。  
書いては消して、をくり返している生徒は、概して落ち着きがなく、計算間違いも多い。
だったら、落ち着いてゆっくりでもいいから、じっくり説いた方がいい。
そんなときには、激しく消しゴムを使うことはないはずだ。

さて、訴えてきた女子生徒、「私に叱ってもらいたいのかな…」、とも思ったが、
「帰りの会で、提案してみたら? みんなが消しかすを捨てる習慣をつけるようにしたらいい。」
と、答えておいた。

先生が注意するより、自分たちで変えていく方が、効果も大きい。

中学生くらいになると、性格がだいたい出来上がってくる。
だらしない性格は、徹底的にだらしなくなり、きっちりしている人は、ますますきっちりしてくる。

当然、お互いを理解できずトラブルも起こる。
「そんなの個性じゃありません。」
と、訴えてくる訳だ。

そういう意味では、学校は社会性を学ぶのにとてもよい環境であると言える。

互いにもまれ、刺激し合い、時に助け合いながら、学校生活が進んでいく。

「たかが消しゴムのかす、されど消しゴムのかす」である。














2019年05月28日

犬との生活が始まる

柴犬と暮らすことになった。
今日は、生徒たちに遊ばせるために、練習に同行。

生後9ヶ月なので、もはや仔犬とは言いがたいのかも知れないが、新しい環境にビビっていることは事実。ちょっとした反応でびっくりする。

その中でも散歩は楽しそうだ。
無理にリードを引っ張ったりすることはないし、私が止まれば奴も止まる。道路を歩くときで、短くしているときも、ストッパーをかけずとも、そばにいる。

生徒たちにとって、動物と触れ合うのとても大切だろうと、連れて行った。
だんだんと慣れさせるのもいいだろう。

途中、何かに驚いてか、リードを振り切って、思いっきり走り出した。
一人の生徒が追いかける。
そしてもう一人も追いかける。
犬の方が速いので、走っても追いつかないが、生徒たちは走って追いかけてくれた。
ずっと走り続けることもないだろうと放っておいたら、タイヤにはまっているところを保護。

一種の脱走劇だったが、ほっとした。
新生活二日目にしての脱走は、洒落にならない。

そんなこんなで、いろいろハプニングはあったが、奴にとっては新しい経験になっただろう。

まだまだ懐いているとは良い方ないが、徐々に心を許してくれるに違いない。

「以前の飼い主が懐かしく、寂しいのだろうな」、と思う。

「一週間分の餌をつけておきますから…。」
などと、何から何までしてくださった。

「大事に育ててくれるなら、何でもしますよ。」
以前の飼い主は、寂しそうだった。

何とか、私が新しい主人として育て、生徒たちとも楽しく関わらせてあげないと思う。

「丹澤先生、僕にも散歩させてください。」
まだちょっと難しいかな、と思って今日のところは断った。

いつか、皆が良い仲間になるといい。

「…何でもしますよ。」
ここにも教育の原点を感じた。














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