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2021年09月29日

安倍・菅を否定する新たな政治を 岸田政権に望む

  


 祝 岸田総裁!!


 自公で在っても 安倍・菅を否定する新たな政治を 岸田政権に望む

 安倍・菅政権8年 「目くらまし」だったアベノミクス 

 世界での〔日本の埋没〕が加速した




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              寺島実郎 9/29(水) 13:00配信    



 菅義偉首相が9月3日、自民党総裁選(9月29日投開票)への不出馬を表明した。菅首相は、1年前に体調不良を理由に急きょ辞任した安倍晋三前首相を官房長官として支え、経済政策「アベノミクス」を引き継ぐと表明。その菅氏が退陣する事に依り、2012年12月の第2次安倍政権発足以降続いたアベノミクスは名実共に終止符が打たれる。  

 自民党総裁選とその後直ぐに行われる衆議院選挙を経て、どの様な政権が発足するのか現時点では不明だが、新政権が経済政策を打ち出すに当たっては過去8年半余りの総括が必要だ。アベノミクスは、多くのマイナス面を存在し無いかの様に無視し、数少無いプラス面を誇大に強調した為、多数の人々が「目くらまし」を受けた政策だったと云え様。  

 この間、日本は経済成長が停滞し、勤労者の生活は好転し無かった。日銀に夜異次元金融緩和を通じて為替を円安に誘導、輸出企業の業績は好転し、日銀と年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が資金を株式市場に振り向けた事で株価は上昇したが、資産を持つ者とそうで無い者の経済格差を広げた。  
 企業業績の改善と株高は、上場企業の経営者や、大半が高齢者層に分布する株式保有層には恩恵を齎(もたら)したものの家計の消費は増え無かった。

 20年度の国内総生産(GDP)は536兆円に留まり、安倍政権が目標に掲げた600兆円に大きく届か無かった。株価や企業業績の好調を喧伝(けんでん)する一方で、全雇用者の3割以上が年収200万円未満の極めて厳しい生活水準を強いられて居る。
 ソコに、新型コロナウイルスの感染拡大が襲い、国民生活の苦境に拍車を掛けた。秋に発足する新内閣が、それでもアベノミクスの路線を継承するか如何かを国民は注意深く見定めるべきである。

 ◇技能五輪での低迷

 
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 アベノミクスへの評価で重要だと捉(とら)えて居る数字が、世界のGDPに於ける日本の比重だ。1994年には日本のGDPが世界の17・9%を占めたが、20年には6%に落ち込んだ。世界経済での日本の存在感がコノ四半世紀で3分の1に縮小した。
 コロナ禍のトンネルを抜け出て、30年頃を想像すると4%台に落ちて行く事に為るだろう。前回の東京五輪(64年)の年が4・5%だったので、その頃に戻ると云う事だ。

 今夏の東京五輪の開催に付いて様々な議論がメディアを賑わせたが、より真剣に考え無ければ為ら無いのは「技能五輪国際大会」に於ける日本の凋落(ちょうらく)振りだ。
 十数年前迄は、日本は金メダルの獲得数で世界のトップを争って居たが、17年は9位、19年は7位だった。
製造分野の技能だけでは無く「美容・理容」「看護・介護」と云ったサービス技能の競技も種目化して居る。技能五輪での成績の落ち込みは、産業に於ける日本の現場力が急速に衰えて居る事を証明して居る。


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 産業に関して重要なファクトをもう一つ取り上げたい。それは、ジェット旅客機の国産化プロジェクト「スペースジェット(旧名称MRJ)」の開発が挫折した事だ。三菱重工業が母体と為り「日本の産業技術を結集」すると意気込んで開発を進めて来た。
 主翼に最先端技術を注入して米ボーイングや欧州エアバスよりも燃費に優れた機体を目指したものの、新技術を継ぎ込んだ場合、安全性証明の観点から米国での型式証明を取るには時間が懸かり、ボーイングが使って居る既存の素材を使った方が早いと気付き、開発がドンドン後退する中で、航空需要に打撃と為るコロナ禍が来てしまった。
 
 日本企業が担って居る部品・部材・素材等の要素技術は大変高度なものでは在るが、高度な技術力を持って居る事と、飛行機を完成させる事は次元が違う。
今日本に求められて居るものは「総合エンジニアリング力」で在る。個別の要素を組み合わせて完成体を作る力が必要だ。

 ◇「食と農」と「医療・防災」  

 戦後の日本が工業生産力モデルの優等生として世界の先頭に立ち、基幹産業の鉄鋼・エレクトロニクス・自動車産業等が外貨を稼いで国を豊かにしようと只管(ひたすら)走り、そのピークを迎えたのが94年。アレから二十数年が経ち、何時の間にか世界経済の中で埋没して居る。
 しかし、工業生産力モデルを強化して「再び日は昇る」と願っても実現し無い。粗鋼生産がピークの1億2,000万トン(07年)に戻る事は無く、今年は8,000万トンを割り込むだろう。エレクトロニクス分野は、日立製作所が必死に為ってソフトウエア産業への業態転換を図って居る様に、付加価値の源泉がモノ作りからソフトに移行して居る。

 自動車産業では、EV(電気自動車)化と云う流れを受けて、ガソリン車は走らせ無いと云う世界のルールが確立され様として居る。エネルギー効率が相当良いハイブリッド車ではダメなのかと立ち向かっても認められ無いのが、日本の自動車産業が置かれて居る現状で在る。  
 円安に誘導したアベノミクスに依って、輸出産業の国際競争力を高めたと云うよりも、円高圧力から日本企業を解放し、安易に収益を高める事が出来ると云う経営が蔓延(はびこ)ったと感じる。自国の通貨が国際社会で、ジワジワと評価を高めて行く事が健全で在ると認識を改めるべきだろう。

 そこで今後の日本には二つのキーワードが求められるだろう。一つは「イノベーション」である。DX(デジタルトランスフォーメーション・デジタル化に依る企業・事業の再構築)と脱炭素化へ向けたエネルギー・環境技術は間違い無く強化すべき分野だ。だが、それだけでは道を間違えると云うのが私の考えだ。


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 もう一つは「ファンダメンタルズ」と呼ぶべき分野で、具体的には食料と農業・医療や防災等の分野だ。「食と農」では、生産に限らず、加工・流通・調理と云う各過程で付加価値を高める戦略が必要で、例えば各過程でDXを駆使して生産性を上げる等、食料自給率を現在の38%から70%程度に回復させる戦略が求められる。
 豊かさを求めるこれ迄の産業構造から国民の安全・安心を担保する産業へと変えて行く必要があり、医療・防災は中核産業に為り得る。

 私が率いる日本総研が窓口と為って「医療・防災産業創生協議会」を今年2月に立ち挙げ、民間主導で様々なプロジェクトを進めて行く。一例として「道の駅」を防災拠点として、自衛隊ヘリで搬送可能な高機能のコンテナを集積する。
 コンテナは医療行為や炊事・トイレや風呂等として使うもので、災害に応じて太平洋側、日本海側でも展開可能にするものだ。こうしたプロジェクトを創出する事で、長期的には輸出産業に迄育てる事を視野に入れて居る。


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              寺島実郎・日本総合研究所会長 9-29-23



 〜管理人のひとこと〜

 自民党の総裁選挙が終わり、岸田氏が河野氏を大きく引き離して新たな自民党総裁と為った。今後党役員人事・臨時国会を経て首相指名へと流れ、新たな閣僚人事が出て、衆院解散・総選挙と為る。そして来年の参院選で新たな政府が確定する。今度は真面目な政府を作って頂きたい。
 河野氏と比較すると岸田氏は、地味で堅実で落ち着いた話し口調とで、安倍・菅路線とは多少異なり何と無く安心感を持たせて呉れそうだ。閣僚人事に多くの女性の登用や実力者を起用すると、可成りの重厚内閣と為り長期安定政権も期待出来る。
 が、安倍晋三の様な6年も7年もの固定された政権では直ぐにダメに為ってしまうから、精々5年間の全速力疾走で・・・GDP600兆円を目標に、先ずは中間層から下の国民を豊かにする事だけを考えて欲しい。経済産業対策に〔れいわ新選組〕の山本太郎氏の特任大臣起用も考慮したら如何だろうか。彼の掲げる政策を柱に新たな国の方向を定めて欲しいものだ。













太田道灌(おおたどうかん)と江戸の関係?



 太田道灌(おおたどうかん)と江戸の関係?


 一体何者? 東京にヤタラと

「太田道灌(おおたどうかん)」の伝説が残って居るワケ



 9-28-20.png 9/28(火) 21:31配信 9-28-20


 江戸城を築いた太田道灌


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            太田道灌(画像 千代田区観光協会)9-28-21


 日本各地には様々な伝説や伝承が残されて居ます。東京にもその様な土地が色々在りますが、ヤタラと目にするのが「太田道灌」の名前です。如何(どう)して東京はコンナにも太田道灌だらけなのでしょうか? その理由を探ります。

                  ◇ ◇ ◇ ◇



 太田道灌は、室町時代後期に関東で活躍した武将(1432〜1486年)です。軍法師範と称された一方で、歌人としても知られた文武両道の人物でした。何より知られて居るのは江戸城を築いた事。水利が好く広大な平野が広がる江戸には、後に徳川家康が幕府を開いて都市を作りますが、道灌は江戸が発展する可能性を見い出して居ました。
 太田道灌に纏(まつ)わる伝説と云えば、一番好く知られて居るのは「山吹の里」の伝説です。「山吹の里」の伝説は次の様な内容です。  

 〜或る日鷹狩(たかが)りに出た太田道灌。処が俄か雨に遭ってしまい、近くに在った農家に立ち寄り、その家の娘に蓑(みの)を所望します。処が娘は、蓑では無く和歌と共に山吹を一枝だけ差し出しました。道灌は理由も判らずソコを後にしますが、後に和歌の意味を知り、蓑の一つも貸す事が出来無い娘の苦しい心の内を知ったと云います。
 和歌は 「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」 と云うもの。実の為ら無い山吹と「蓑(実の)一つだに無い」と云う意味を掛けて居ます。これは娘の作ったものでは無く『後拾遺和歌集(あとしゅういわかしゅう)』に収録されて居る兼明親王(914〜987年)の作品〜


 道灌はコレを知ら無かった事を恥じ、後に武芸だけでは無く和歌の勉強にも努めたと云います。このエピソードは昭和の戦後は未だ有名だった様で長谷川町子の『サザエさん』にも「みのひとつだになきぞかなしき」と云うフレーズが登場するシーンが在ります。因みに落語の演目にも為って居ます。

 関東一円で多くの伝説を残す道灌


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         荒川区西日暮里に或る山吹の花一枝像(画像 荒川区)9-28-22


 「山吹の里」は何処なのか・・・と云うのが知りたい処ですが、都内の複数の場所が手を挙げて居ます。下記は都内の候補地です。

  山吹の花一枝像(荒川区西日暮里)
  山吹の里公園(豊島区高田)
  太田道灌の史跡(同)
  大聖院(新宿区新宿)
  新宿中央公園(同区西新宿)
 

 この他、

  埼玉県越生町(おごせまち)も有力な地で在り、山吹の里歴史公園が作られて居ます。太田道灌に纏わる言い伝えとして他にも、
  川崎市幸区に在る丘陵地帯 夢見ヶ崎(ゆめみがさき)の地名は、道灌が見た夢に由来する話
  さいたま市北区奈良町の「三貫清水」は道灌が「とても旨い」と云って三貫文(50万円)の褒美を授けた事に由来する話が在ります。  

 都内だけでは無く、関東一円で多くの伝説を残して居る太田道灌。最期の地と為った神奈川県伊勢原市では毎年10月に「道灌まつり」が行われて居ます(新型コロナウイルスの感染拡大の影響で2021年は中止)

 太田道灌が遣って来る迄の東京


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           新宿中央公園に在る太田道灌の像(画像 写真AC)9-28-23


 ソモソモ、太田道灌は何故コンナにも関東のアチコチに出没して居るのでしょうか。 「太田道灌は何をした人?」と聞かれた時、多くの人は前述の様に

  江戸城を作った人
  江戸の街を作った人


 と答えるでしょう。そこに大きなヒントが在ります。都内や近郊で博物館に行ってその街の歴史を辿る常設展を見ると或る共通点に気付きます。
 それは、縄文時代の遺跡の説明や土器等の遺物の展示には力が入って居るにも関わらず、江戸時代の展示迄の間の古代や中世には殆ど触れられて居無いケースが多い事です。詰まり、太田道灌が遣って来る迄の東京は 「何も無いと云っても差し支え無い場所」 だった訳です。

 道灌の生い立ち


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              江戸城・皇居(画像 写真AC)9-28-24


 太田道灌は、室町時代(1432年)に鎌倉公方(かまくらくぼう)を補佐する関東管領(かんれい)上杉氏の一族・扇谷上杉家の家宰(かさい・家長に代わって家の仕事を取り仕切る人)だった太田資清(すけきよ)の子として生まれました。  
 鎌倉公方とは、室町幕府が関東を支配する為に作った出先機関です。その後、家督を継ぎますが、将軍家や公方家・管領家の争いの中に在り穏やかでは無い人生でした。  

 古河公方(茨城県古河市に在った幕府の出先機関)との争いで、道灌は父と共に河越城(埼玉県川越市)や岩槻城(埼玉県さいたま市岩槻区)を築いたとされます(岩槻城は別の説も在り)その後、房総の千葉氏を抑える為に、利根川下流域に城を築く必要が生じます。
 そこで築城する場所として決めたのが、江戸氏の領地で在った武蔵国豊嶋郡・・・後に江戸城と呼ばれる城です。

 この地に定めた事に付いても 「霊夢のお告げが在った」 「品川沖を行く道灌の舟にコノシロと云う魚が踊り入り、吉兆と喜び江戸に城を築く事を思い立った」 等の言い伝えが在りますが定かでは在りません。
 兎も角城は無事に築かれ、周辺には日枝神社や平河天満宮等が造られました。又、皇居には現在も「道灌堀」と云う名前の堀が残されて居ます。

 歴史的事実は古文書や古記録、或いは発掘の成果から明らかにされますが、道灌の事を逐一追ったものや当時の江戸(未だ江戸では無い場所)を記したものは残されて居らず、道灌は江戸の祖として「伝説の存在」だと云えるのです。そして、道灌の伝説が至る所に広まったと云う訳なのです。

 北区赤羽にも城を築いた道灌


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           木造太田道灌坐像附厨子(画像 北区飛鳥山博物館)9-28-25


 他にも道灌は今の北区赤羽に稲付城(いなつけしろ)を築いて居ます。此処は鎌倉時代から岩淵の宿が、室町時代には関が設けられて街道上の主要地点と為って居た場所。街道沿いで三方を丘陵に囲まれた土地に、江戸城と岩槻城を中継する為の山城として築かれたものです。  
 当時の城は天守閣等は無い所謂「山城」で、太田道灌が造った幾つかの城も一般にイメージされる「城」とは異なります。  

 但し、この稲付城の跡は現在静勝寺(せいしょうじ)と云う曹洞(そうとう)宗の寺院に為って居り「木造太田道灌坐像(ざぞう)附厨子(ずし)」を所蔵。像は道灌の命日で在る7月26日に因んで、毎月26日に開扉(かいひ)されます。  
 道灌堂は道灌の250回忌に当たる1735(享保20)年に建立、厨子は350回忌に当たる1835(天保6)年に製作されました。この像の複製品と関連資料が北区飛鳥山博物館に展示されて居ます。1486(文明18)年、伊勢原に居た道灌は風呂場を出た所で暗殺され、55年の生涯を閉じました。

 太田道灌は江戸の「大本」?


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         千代田区外神田に在る現在の神田明神(画像 写真AC)9-28-26


 此処迄見て来た様に、東京の土地と伝説は太田道灌に始まり開かれたものだと云えます。しかし、太田道灌よりも前に一つだけ好く知られて居る伝説の土地が在るのです。そのヒントが神田明神です。神田明神は現在の場所(千代田区外神田)に移る前、現在の大手町に在りました。しかし、その場所の付近で天変地異が多発した為に現在の場所に移転されたと云います。

 天変地異が起きたのは、平将門の首が京都から持ち帰られ、此処に祭られた為と云われて居ます。そして平将門の祟(たた)りなのか疫病(えきびょう)が流行ったそうです。元々神田明神が在った場所は現在「平将門の首塚」として大手町のオフィス街の一角に存在して居ます。
 これ迄、土地・建物の再開発で何度も移転させようとしては、その度に「悪い事」が起こり、今は禁忌の地としてオカルトマニア以外にも知られる様な有名な場所に為りました。

 その平将門の起こした乱から数百年して、江戸の基礎を築いた太田道灌。一介の武将で在り確かに存在した人物ですが、江戸の祖として背負う逸話の数は伝説級。動物や植物の起源を負うと辿り着く一つの種の様に、太田道灌は江戸の大本に為って居ると云えるかも知れません。



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                 春日ルナ(ライター)9-28-27




 太田道灌「山吹の里・・・」を扱った落語 ウィキより参照

 江戸発祥の落語であり、初代林家正蔵の咄本『笑富林』(1833年刊)に原型が見られる。若手が鍛錬の為に演じる、所謂「前座噺」のひとつ。3代目三遊亭金馬・5代目柳家小さんらは、晩年迄長く同演目を得意ネタとした。

 「岩田のご隠居」宅に遊びに来た八五郎は、隠居に、張りまぜ(複数の絵を貼った)の屏風を見せて貰う。八五郎は絵の一つに付いて「シイタケの親方みてェな帽子被って、虎の皮のモモヒキ履いて突っ立ってるアレは誰です?」と尋ねる。それは太田道灌の「山吹の里」の伝説を描いたものであった。隠居は以下の様な道灌の逸話を語る。

 〜室町時代中期の武人・道灌は、狩りをして居る最中に村雨に遭い、雨具を借り様と1軒のアバラ家に立ち寄った。15歳位の少女が出て来て「お恥ずかしゅうございます」と言いつつ山吹の枝を盆に乗せて差し出し頭を下げた。道灌が意味を掴み兼ねて居ると、家来のひとりが「『七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき』と云う古歌がございます(後拾遺和歌集・兼明親王作。これは『実の』と『蓑(みの)』を掛け『お出しできる雨具はございません』と云う断りでございましょう」と進言した。
 コレを聞いた道灌は「アア、余は未だ歌道(かどう)に暗い(詳しく知ら無い)のう」と嘆き、それ以来和歌に励み歌人として知られる様に為った〜

 コレを聞いた八五郎は「うちにも好く傘を借りに来る男が居る。ひとつその歌で追っ払ってやろう」と思い着き、歌を仮名で隠居に写して貰って帰宅する。程無くして雨が降り出し、その男が飛び込んで来る。
 からかうチャンスが遣って来たと感じた八五郎は内心で喜ぶが、男は既に傘を持って居て「提灯を貸して欲しい」と八五郎に頼む。雨具で無ければ「蓑ひとつだに・・・」が出来無い為、八五郎は困り「『雨具を貸してください』と言やァ(言えば)、提灯を貸してやらァ」と男に告げる。
 男が仕方無く「雨具を貸して呉れ」と言うと、八五郎は少女を演じ「お恥ずかしゅうございます」と言いつつ、歌が書かれた紙を差し出した。男はそれを「ナナヘヤヘ、ハナハサケドモ、ヤマブシノ、ミソヒトダルト、ナベトカマシキ」とつかえながら読み「短(みじ)けェ都々逸だな」と感想を漏らす。
 八五郎が「都々逸う? オメエ、よっぽど歌道が暗(くれ)ェなァ」とからかうと男は「カド(角)が暗ェから、提灯借りに来た」 お後が宜しい様で・・・













 

2021年09月28日

消え行く 自己利益追求形内閣と官僚達・・・安倍晋三と菅義偉の人間性



 消え行く 自己利益追求形内閣と官僚達・・・安倍晋三と菅義偉の人間性


 〔逆らう奴はクビを切るぞ!〕

  「コネクティングカップル」の張本人を復活起用・・・

  菅義偉〔強権人事〕の思惑は何だったのか?



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               ノンフィクション作家 森 功 9-28-3


 『墜落 「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか』より #1


 2021年9月3日、菅義偉氏の総裁選不出馬のニュースが全国を駆け巡った。新型コロナウイルスの猛威が収まら無い中でのリーダー退陣報道は政界を初め日本全国の動揺を招いた。安倍晋三前首相から「鳴り物入り」で政権を引き継いだかに思われて居た菅政権。
 しかし、実の処菅氏には「意に背く人間は排除する」と云う強硬な姿勢が在ったと云う。此処ではノンフィクションライターの森功氏による『墜落 「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか』(文藝春秋)の一部を抜粋して菅政権の裏側に迫る。

                     ◆◆◆



 逆らう奴はクビを切る!


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               今井尚哉と安倍晋三 9-28-4

 「アノ佐伯の部屋は如何云う事なんだ。幾ら何でも酷過ぎないか?!」


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                元首相秘書官佐伯耕三 9-28-5


 部屋の状況を送られて来たスマホの画像で知った今井尚哉は、直ぐに官房長の多田明弘に電話した。佐伯とは安倍首相時代の首相秘書官だった佐伯耕三の事である。佐伯が突然引っ越しを命じられた先は、経済産業省の13階に在る小さな会議室だった。
 壁際の長机の上にパソコンが置かれて居る。だが、椅子以外には何も無い。暗くは無いが、如何にも殺風景で殺伐として居る。段ボールで荷物を運び込んだ佐伯の部下は、思わず「マルで倉庫の様だ」と漏らした。

 2020年9月16日の菅義偉新内閣誕生に伴い、自民党の役員や閣僚の人事が矢継ぎ早に発表された。居抜き内閣と呼ばれ、閣僚や自民党幹部の顔ブレが変わら無い反面、注目されたのが、これ迄安倍政権を支えて来た官邸官僚達の処遇だ。
 官房長官だった菅はこの2年近く、今井達安倍の側近グループと溝を深めて来た。取り分け安倍が最も信頼を寄せ政策を委ねて来た今井を初め、広報担当補佐官の長谷川榮一や経産省経済産業政策局長の新原浩朗・事務秘書官の佐伯・・・経産省出身の官邸官僚達は菅政権が発足すると如何処遇されるか・・・霞が関のみ為らず政官財界に於ける最大の関心事がソコだった。

 その内の一人で在る佐伯は内閣発足当日、大臣官房参事官兼グローバル産業室付と為る。通称グロ産室は文字通り世界的な産業育成を謳い経産省の9階に置かれて居る。だが、佐伯は飽く迄「室付」で在り、指示されて向かった先が13階の会議室だ。或る同僚官僚は、菅政権発足間も無く佐伯の引っ越し先を目撃しこう同情した。

 「経産省ではグロ産室の勤務そのものが閑職に近く見られて居り、しかもその室付の佐伯は何もする事が無い。流石に勤務場所は会議室からは移るでしょうけど、マルで現代版座敷牢に閉じ込められて居るみたい。
民主党政権時代に更迭された(経産省の)古賀茂明は1年以上個室に閉じ込められたけど、同じ様な空気を感じます。
 会議室にポツンと一人で居るだけでした。菅さん、此処迄遣るか、と権力の恐ろしさをツクヅク思います。オマケに佐伯は安倍政権で秘書官と云う特別職に為り、ソコから今度、古巣の経産省に転職して来た形に為って居ます。従って新規採用扱いで、給与面も人事院と協議して決め無ければ為ら無い」


 マンマと「美しい」シナリオに乗せられた国民

 居抜き内閣の菅政権に在って、経産省出身の官邸官僚達は首相官邸からホボ一掃された。安倍の意向により、リーダー格で在る今井だけは内閣参与として官邸に残ったが、文字通り参与は飽く迄アドバイザー的な存在に過ぎず政策を決める様な影響力は無い。今井の場合体の好い棚上げとも云えた。 
 今井は2021年に入り、参与のままキヤノングローバル戦略研究所の研究員や三菱重工顧問と為るが事実上政界から離れた。又、佐伯はグロ産室から米国に派遣された。

 「異を唱える官僚は異動させる!!」

 自民党総裁選の最中、菅はそう言い切った。詰まる処それは〔逆らう奴はクビを切るぞ〕と云う恫喝に近い。病気で無念の退陣を余儀無くされた首相に代わり、ナンバー2が政権運営を継承する。菅政権は、世間からそう美しく受け止められて船出した。マスコミ各社調査の6割を超える内閣支持率は、国民がマンマと政権禅譲のシナリオに乗せられた結果とも云える。

 菅政権を歓迎したのは一般大衆ばかりでは無い。政権発足当初、これ迄今井達安倍側近グループに好い様に操られて来た霞が関の役人からも、風通しが好く為ったと云う声を耳にした。
 だが、そんな国民や官僚達の期待も直ぐに消し飛んでしまう。これ迄ナンバー2として評価の高かった菅は、トップに立つと直ぐに馬脚を現した。挙句本人の政治家としての資質そのものを疑われる様にも為る。

 政治手法は変わら無い

 突如、生まれた菅政権は、安倍政権と何処がどう変わったのか。安倍一強の実態は、取り巻き官僚達に依る官邸官僚主導だったと前に書いた。これ迄安倍に仕えて来た側用人の佐伯前首相秘書官達経産省出身の官邸官僚が一掃される中、新原浩朗だけは、唯一新政権でも経済産業政策局長として経産省に残り政府の重要政策を担って来た。


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              菊池桃子の旦那 新原浩朗 9-28-6 


 事務次官を目指す産政局長として19年7月の人事で安藤久佳と次官を争った。新原には今井、安藤には事務次官の嶋田隆と云う後ろ盾が就き、最終的に安藤が事務次官を射止めた。嶋田の更に後ろに居る菅が安藤次官で押し切ったとも囁かれたが、実は新原は菅とも関係が近い。
 その理由の一つは、菅がコロナ対策で進めたGoToキャンペーンに欠かせ無いからだと云う。GoToイートに関わって居る外食業者がこう解説して呉れた。

 お気に入り官僚で周囲を固める菅政権

 「元々経産省が一手に引き受けて居たGoToキャンペーンでは、GoToイートが農水省の所管に為り、GoToイベントとGoTo商店街を経産省が担当する事に為りました。新原さんは経産省に於ける外食産業の窓口担当でも在ったのでイートにも携わって来ました。
 元々GoToを遣りたくて仕方が無い菅さんと新原さんの利害が一致した結果、新政権がそのママ新原さんを重宝に使って居るのだと思います」


 「新原は菅政権に為ってからも頑張って居ますよ」今井は今でも安倍と会うとそう報告して居ると云う。安倍に取って新原は、菅政権とのパイプ役の意味が在るのかも知れ無い。
 19年9月の誕生日を迎えて60歳と為り、トウに定年を過ぎて居るが、現在も官邸でコロナの景気対策を担って居る。菅には、今井や佐伯達に対する怨念メイタ感情が伺えるが新原だけは必要だと考えて居るのだろう。

 政権が変わったとは云え、菅は自らに近い官僚に依り政策を遂行させて居る。根っコの政治手法は変わら無い。経産省時代の今井の先輩で在る長谷川は長らく広報担当の首相補佐官を務めて来た。菅はその長谷川に代え、内閣広報官に総務官僚だった山田真貴子を起用した。彼女は菅お気に入りの女性官僚として知られて居た。


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                   山田真貴子 9-28-7


 山田は第二次安倍政権発足当初、女性として初めて首相の事務秘書官に抜擢された。それを強く推したのが、官房長官時代の菅だった。但し、イザ官邸に入ると殊在る毎に今井からダメ出しをされてしまう。挙句にノイローゼ気味に為り官邸を去る羽目に為った。
 すると菅は、総務省に出戻った彼女を情報流通行政局長に据える。彼女はこの局長時代、東北新社の接待を受けて後に問題に為るのだが、それは後述する。菅は自らの内閣を発足させると、再び彼女を官邸に呼び戻した。内閣広報官に任命し、総理の記者会見を取り仕切らせて来た。

 安倍政権時代から続く官邸官僚達は皆エリート官僚に違い無いが、彼等は古巣の官庁でトップに為り損ねた、云わば逸れ官僚でも在る。その内新政権では、首相の威を借りて政策を進めて来た今井達経産官僚グループが駆逐された。
 残る官邸官僚達で、今井の様に総理の分身と呼ばれそうなのが和泉洋人だと目される。菅の政策を支えて来た側近中の側近で在る。


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                   和泉洋人 9-28-9


 コネクティングカップルの復活
 
 和泉は安倍政権時代から内閣官房の健康・医療戦略室長として、感染症研究を謳う加計学園の獣医学部新設を後押しして来た。元号が令和に改まり、コロナ禍で安倍vs.菅の隙間風が吹く様に為ると、和泉の置かれた政権内の環境も変化した。
 小泉進次郎の結婚報告で決定的に為った安倍側近グループと菅の対立の中、和泉は厚労省の医系技官・大坪寛子との密会スキャンダルに塗れた。彼女は和泉に見出され、内閣官房審議官・戦略室次長と云う異例の出世を遂げ、和泉はコロナの感染症対策を任せた。


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               大坪寛子と泉正人の密会デート 9-28-10


 2020年が明けて間も無く、中国発の新型コロナウイルスが日本に上陸した。最初に大きなクラスターが起きたのが、大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」だ。和泉は大坪にコロナウイルスを船内に封じ込める様対策を委ねた。
 だが、未知のウイルスに右往左往するばかりで、船内の乗客にコロナが広がり、失態が相次いだ。すると前年に報じられた和泉との男女問題が蒸し返され、彼女に対する世間の怒りが増幅されて行った。
 「君はもう好い、下がれ」 首相の執務室で安倍にクルーズ船の感染状況を報告しようとした大坪に対し、政務秘書官の今井が突き放す場面迄在った。挙句、和泉と大坪の二人は〔上役〕である菅と共にコロナ対策から外されて行った。和泉は夏の人事で補佐官から退くのではないかと囁かれ、大坪は健康・医療戦略室の次長と内閣官房審議官の任を解かれ厚労省に戻った。

 毎日繰り返される「御前報告」
 
 処が、菅政権誕生の流れが出来ると、和泉・大坪のコネクティングカップルも又、ソコに乗って復権する。安倍側近グループが失墜する中、ヤガテ和泉は「ワクチン」「アビガン」「PCR検査」と云うコロナウイルス対策三点セットの政策を差配する様に為る。
 厚労省の或る官僚に聞くと、20年の7月以降、厚労省の担当官僚達が毎日の様に資料を抱え〔和泉詣〕を繰り返して来たと云う。先ずはコロナの感染状況を和泉に報告し無ければ為ら無いと首相補佐官室に日参した。厚労官僚達はそれを「御前報告」と揶揄した。

 安倍政権末期には、日々の首相ブリーフィングと同じ位の回数に及んだ。マルで菅政権誕生に向けてレールが敷かれ、菅グループの官邸官僚達が今井達に取って代わって行った様に見えたと云う。実際、新政権が出来ると、和泉は今井と同じく首相補佐官と政務秘書官を兼務するのではないかとも噂された。
 流石に今井の独善的なイメージと重なるのを避けたのか、菅は和泉を政務秘書官に置かず、菅事務所の秘書で在る若い新田章文が任ぜられた。


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                大坪寛子 厚労省大臣官房審議官 9-28-11


 従って和泉自身は首相補佐官のママ横滑りの再任と為った。最も新田では他の事務秘書官を束ねられ無い。必然的に和泉の存在感が増した。
 因みに6月19日に開かれた「健康・医療戦略推進専門調査会」では、室長の和泉が会議を取り仕切り、チャッカリ大坪も、厚労省大臣官房審議官としてコロナ対策に復帰して居る。大坪は8月の定期異動で、厚労省子供家庭局のナンバー2で在る審議官に横滑りしたが、そこも又重要ポストだ。
 一見目立た無い部署に思える子供家庭局は、菅が自民党総裁選の時に突然少子化対策として掲げた「不妊治療の保険適用」を担う首相の肝煎り政策だ。和泉と同じ様に彼女も又、間も無く政権中枢に舞い戻った。





 菅政権の肝煎り政策は「誰かが言って居たもの」ばかり・・・

 背後に居た〔謎の外国人と大物金融ブローカー〕とは



 〔逆らう奴はクビを切るぞ〕 「コネクティングカップル」の張本人を復活起用・・・菅義偉〔強権人事〕の思惑は何だったのか から続く ♯2

 
 安倍政権時代から〔インバウンド6,000万人〕を掲げて施策を進めて来た菅義偉氏に取って、コロナ禍による観光業界が受けた大打撃は大きな痛手と為った。しかし、菅氏が長年に渉り取り組んで来たインバウンド政策も、実は「誰かが言って居たものを恰もご自身で考えつ居たかの様に云って居るだけ」なのだと官邸関係者は言う。
 此処ではノンフィクションライターの森功氏の著書『 墜落 「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか 』(文藝春秋)の一部を抜粋。菅政権が立てた政策の本質を探る。

                   ◆◆◆



 青い目のブレーンを引き入れたワケ


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                  コピーライトマーク文藝春秋 9-28-1


 基本的に安倍政権の経済政策をソックリ引き継いだ菅政権では、それだけに独自色を印象付け様として居るかも知れ無い。名称が改まった有識者の第三者機関「成長戦略会議」には、新たにインバウンド政策の発案者として売り出し中のデービッド・アトキンソンも加わった。

 「2013年から始めた観光立国の仕組み作りに際してアトキンソンさんの本を読み、感銘を受け、直ぐに面会を申し込んだ。その後何度も会って居る」
 
〈スペシャル対談 官房長官 菅義偉×小西美術工藝社社長 デービッド・アトキンソン・・・カギはIRとスキー場だ〉 と題した「週刊東洋経済」の2019年9月7日号の特集記事で、官房長官時代の菅自身がこう語って居る。「ビザの規制緩和に依り海外旅行者を急増させた」 インバウンドは、ふるさと納税と並んで菅が鼻息を荒くして来た政策だ。それだけに譲れ無いのだろうか。このコロナ禍で首相に為って尚、ウイルスの脅威を度外視し「2030年インバウンド6,000万人」達成の大風呂敷を広げたママだ。


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            デービッド・アトキンソン 9-28-12


 流石にGoToキャンペーン為る無茶な景気対策は停止を余儀無くされたが、未だインバウンドの目標だけは死守しようと必死なのである。最も首相ご自慢のインバウンドも又、ふるさと納税と同じく、政策を提案したのは菅本人では無くアトキンソンでも無い。
 「菅総理の政策は全てが、何処かで誰かが言って居たものを恰もご自身で考え付いたかの様に云って居るだけ。インバウンドも元はと云えば、旧民主党の前原誠司さんが提案したものです」 官邸関係者はそう話す。

 私自身、前原にインバウンドの件を尋ねた事が在る。こう話して居た。

 「私は国交大臣の時、公共事業を減らそうと、コンクリートから人へと云う政策を打ち出し、国土交通省に成長戦略会議を立ち上げました。その五つの成長戦略テーマの中核がインバウンドでした。当時は未だ外国人観光客が年間600万人台でしたので、それを3,000万、4,000万と増やそうと云う構想を立てたのです。戦略会議には福田さんにもメンバーに加わって貰った」

 「何処かで見た」政策ばかりの安倍・菅政権

 有識者会議の名称も今の成長戦略会議と同じだ。因みに前原の話に出て来る福田とは、竹中平蔵のブレーンで在る経営コンサルタントの福田隆之で在る。19年暮れ迄菅官房長官の補佐官を務めて来たことは前に書いた。
安倍と菅に共通して居るが、二人は自らの失政や不祥事を野党から責められると「悪夢の様な民主党政権より余程好い」と繰り返して来た。だが、それで居て空港や水道の民営化と云った経済政策は民主党時代に考案されたもので在る。

 或る厚労省の官僚に依ればこうだ。

 「民主党時代の09年から、内閣官房地域活性化統合事務局長として官邸入りして居た和泉(洋人)さんが、第二次安倍政権で首相補佐官に為りインバウンドをそのママ遣ろうとした訳です。厚労省に突然『民泊を法制化しろ』と言い出して『一週間で何とかしろ』と指示され、外国人向けの宿泊施設を増やす為の法整備に取り組んだのです」  

 改めて説明する迄も無く、菅が横浜市議時代から政策を頼って来た和泉は、菅政権の中核を担う官邸官僚である。

 「インバウンドの為に増やそうとした民泊は、元々旅館業法に依って厚労省が所管して来た宿泊施設扱いなので厚労省に仕組み作りが下りて来た訳です。海外では例えば英国の民泊営業上限が90日と為って居ます。しかし、それでは民泊業者にウマ味が無いので、日本の場合は180日に上限を設定しました。民泊はホテルや旅館の営業を圧迫するので、ソコから反対が出無いギリギリのラインでした」(同厚労省の官僚)  

 住宅を所管する国交省と厚労省の合作法案として住宅宿泊事業法・通称民泊新法が2017年に閣議決定され18年から法施行された。ビザの緩和と併せ、コレがインバウンドを後押ししたと云える。トドの詰まり、民主党の前原案をそのママ安倍前政権に持って来たのがインバウンド政策で在り、ソコには、無論アトキンソンの貢献は無い。  

 アトキンソンは英オックスフォード大で日本学を専攻し90年に来日した。92年から07年迄米ゴールドマン・サックスの日本経済担当アナリストとして勤務し、その後09年11月に小西美術工藝社に取締役として入社して居る。小西美術工藝社は57年12月に創業された、日本の神社仏閣の漆塗・彩色・金箔補修を担う老舗企業だ。
 アトキンソンはその経営再建を任された。名うての外資系アナリストと日本の文化財を守る老舗企業経営者と云う二つの顔を併せ持つ。入社した明くる10年6月に会長に就任。暫く社長を兼務した後、14年4月から社長に専念して来た。
 
 菅が読んだと云う書籍は15年にアトキンソンが東洋経済新報社から出版した『新・観光立国論』だ。菅本人の言に依れば、本に感銘して会いに行った事に為って居るが、その辺りもどうやら怪しい。  
 云わば菅は、アトキンソンのネームバリューを使い、インバウンドの指南役に仕立てただけでは無いだろうか。方やアトキンソンにもインバウンド政策の看板を掲げるメリットは大きい。小西美術工藝社は、インバウンドの観光政策が大きな利益を生んで居るからだ。

 下村博文と旧知の大物金融ブローカー

 「文化財を活用した観光で注目を集めれば、その文化財を保護する為の補助金も得られ易く為る。国の財政が厳しい現在、観光資源に為ら無ければ保護も厳しく為る」   

 17年4月26日付の朝日新聞東京朝刊には、アトキンソン自らがそう談話を寄せて居る。実際、17年に補修を終えた国宝の日光東照宮陽明門は、その総工費12億円の内55%を文化庁の補助金で賄い、大部分の工事を小西美術工藝社が担って来た。会社の18年の年間売上げ8億2000万円が、19年には9億8000万円と前年比2割もアップして居る。
 菅とアトキンソンの二人は正しく持ちつ持たれつの関係に或る。オマケにアトキンソンの菅政権への提言は観光に留まら無い。アトキンソンのもう一つの持論が最低賃金の引き上げ等に依る中小企業の再編だ。日本の企業の99.7%を占める中小企業の数を減らし生産性を高めよ・・・と云う。しかし、コレには霞が関の官僚からの不満も少なく無い。経産官僚が言う。

 「中小企業の賃金問題や数が多いのは誰もが判って居るけど、そう簡単に整理統合なんて出来ません。企業の数を減らせば大量の失業者が発生するのは目に見えて居り、徐々に変えて行くしか無い。経営者にして観たら、只でさえコロナ禍で経営が苦しいのに実情が判って居ない外国人に言われたく無いよ、と云う思いでは無いでしょうか」

 菅⇒アトキンソンラインの生みの親?
 
 詰まる処、菅はスマートな外資系アナリストを表看板に据え、以前から在る尤もらしい政策を、恰も独自のアイデアで在るかの様に進めて居るに過ぎ無い。 但し、アトキンソンが社長を務める小西美術工藝社は、日本の伝統文化に携わる産業とは云え、売上げ規模10億円と大企業とは云え無い。外資系アナリストに取って、ビジネス上左程ウマ味の在る会社とも思え無い。
 何故菅がアトキンソンに辿り着いたのか。アトキンソンはどう遣って老舗の文化財補修企業の経営を手掛ける様に為ったのか。ソコに付いては謎が残るので在る。
 
 菅政権の誕生後、永田町や霞が関では、政権中枢と外資系アナリストを繋ぐキーマンの存在が囁かれて居る。それが国際金融ブローカーの和田誠一である。永田町が騒いで居るのは、和田が小西美術工藝社の会長に就いて居るからだ。


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             国際金融ブローカーの和田誠一  9-28-13


 アトキンソンは14年4月に会長と社長の兼務を自ら解き代わって和田が会長に就いた。 和田は90年代、サラ金「武富士」の資金調達をして来た。その筋では知られた金融ブローカーで在る。元武富士の役員が説明する。

 「サラ金が社会問題化して、武富士が日本の銀行から融資を受けられ無く為った時に頼ったのが和田でした。香港にギガワットインベストメント為る会社を持ち、東京のアークヒルズに在った会計事務所を行き来しながら、武富士の為に動いて居ました。
 和田が香港に拠点を置いたのは税逃れの為だとも囁かれ、米バンカーズトラスト等から3,000億円を調達した。それが京都駅前の同和地区の地上げ資金として使われたのではないか、とも取り沙汰されました」


 政財界を繋ぐキーマン・和田
 
 この謎めいた怪人物は政界の知己も多い。和田は過つて学習塾経営に乗り出した。その関係から文教族議員の下村博文とも30年来の交友が在る。下村は新政権で菅が自民党政調会長に抜擢した。共に96年初当選の同期の桜だ。
 菅とアトキンソン、和田と下村と云う複雑な人脈関係に付いて「週刊文春」2020年10月15日号の直撃取材に対し、当のアトキンソンはこう答えて居る。

 「私が社長に為った後、和田さんを会長にした。政治家との繫がりの為です。(文化財の)修繕に日本産漆を使うべきと提言する為に(和田氏から)下村さんを紹介して頂きました」

 アトキンソンは政界のパイプ作りの為に和田を会長に据えたと云う。だが、ヨクヨク取材すると、話は逆の様にも感じる。政界に通じる和田がアトキンソンを小西美術工藝社に入れたのでは無いかと云う説も根強い。官邸関係者はこうも言った。

 「和田は逮捕歴も在り表舞台には立て無い。それで菅総理は表の顔としてアトキンソンを使って居るのでしょう。和田はカジノ・IR業界にも通じて居り、菅の地元横浜のドンと呼ばれる藤木企業の藤木幸夫会長とも交流が在るとされます。コノ数年、カジノの反対に回って居る藤木会長との間を取り持つべく、菅総理が和田に頼んで居るのではないでしょうか」  

 菅はアトキンソンとの対談でも、日本の観光にはIRが欠かせ無いと言い続けて居る。その狙いはコロナで目算が狂った。
(全文 役職・敬称を略してます)


              森 功 ノンフィクション出版


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 森 功 もり いさお ノンフィクション作家 1961年福岡県生まれ 岡山大学文学部卒 新潮社勤務等を経て2003年1月よりフリーランスのノンフィクション作家として活動を開始 2018年「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」(文藝春秋)で「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション」大賞を受賞



 〜管理人のひとこと〜

 コレだけの永い期間一つの政治団体が政権を担当し続けると、如何なる優秀で真っ当な性格の政党だと云っても、官僚や産業界との癒着が始まり不明朗で不誠実な政策が続き、それを無理に推し進めようと更に官庁が捻じ曲げられ・・・数多な不正が続く。これは致し方無い〔世の常〕だろう。安倍晋三政権は上手く逃れたと一息ついてるかも知れないが、多くの国民は安倍・菅政権の悪事を許す事は出来無い。
 しかし、50%に満た無い投票率・政治への無関心さが、果たしてこの世の中を変える力に為るだろうか・・・諦めとオール保守化に染まった我が国に変化を期待しても・・・果たして次の総選挙でどの様に変わるのだろう。このブログを発信しながら、大きな溜息を着きたい気持ちだ。

 













2021年09月27日

総裁選とキングメーカーの盛衰



 総裁選とキングメーカーの盛衰


 自民総裁選の中で細田派に不満のマグマ 

 若手が安倍氏に世代間闘争仕掛ける


 
 9-27-1.png 9/27(月) 7:05配信 9-27-1



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            若手議員達の不満続出?(写真 共同通信社)9-27-2


 〔総選挙の顔〕を選ぶ筈の自民党総裁選。出馬した4人は、今後の日本を占う上で重要な役割を担うが、現実的には4人の候補より〔安倍晋三・前首相と麻生太郎・副総理〕と云う2人のキングメーカーの方が政治的存在感を発揮して居る。
 特に安倍氏はツイッターで高市早苗・前総務相との2連ポスターを公開したり、議員に電話を掛け捲る等自分の総裁選以上の熱の入れ様で「高市が票を伸ばして居る事に上機嫌」(安倍側近)なのだと云う。


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                   長老 麻生太郎氏
 

 安倍・麻生の2Aが取ったのが〔3股作戦〕だ。安倍氏の出身派閥・細田派は高市氏と岸田文雄・前政調会長を支持、麻生派は河野太郎・規制改革相と岸田氏への支持を夫々打ち出し「誰が勝っても2Aの権力は残る」(安倍側近)と云う計略を巡らせた。
 だが、そうした計略が逆に2Aの権力基盤を脅かして居る。自民党で繰り返されて来た派閥の〔世代間闘争〕を呼び起こしたからだ。

 「安倍さんの遣り方は田中角栄・元首相に似て居る。闇将軍に為る積りなら細田派は危うい」  

 そう語るのは同派の長老だ。こう続けた。

 「過って最大派閥・田中派を率いた田中氏は、総裁選では自分の派閥から総裁候補を出さず、数の力で大平正芳氏⇒鈴木善幸氏⇒中曽根康弘氏等を順番に首相に据え、キングメーカーと呼ばれた。しかし、派内の不満が溜って最後は子分だった竹下登・元首相にクーデターを起こされた。安倍さんも同じ道を辿ろうとして居る」  

 確かに、自分の派閥から総裁候補を出馬させ無いと云う手法は似て居る。安倍氏は前回の総裁選で無派閥の菅義偉・首相を支持し、今回もワザワザ無派閥の高市氏を担ぎ出した。細田派では安倍側近の下村博文・政調会長が出馬を希望して居たにも関わらず、安倍氏は後押ししようとはし無かった。
 細田派から総裁候補が出馬すれば、派内の世代交代が進んで実権を失う・・・派閥の後継者を作ら無いのはキングメーカーの常套手段と言って好い。  

 そうした手法は細田派内に大きな〔不満のマグマ〕を生み、遂に若手議員の〔決起〕を招いた。福田康夫・元首相の長男で〔細田派のプリンス〕と呼ばれる達夫氏が〔長老支配打破〕を掲げて派閥横断的な若手グループ〔党風一新の会〕(約90人)を旗揚げし、細田派からも1〜3回生議員16人が参加した。達夫氏は衆院当選3回と未だ若手だが、安倍氏に取ってはキングメーカーとしての地位を脅かす存在だ。


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                  福田赳夫・元首相


 細田派は、達夫氏の祖父の福田赳夫・元首相が作った福田派がルーツで、云わば派閥のオーナー家と言える。3代目の達夫氏も、祖父・父に続く〔将来の総理・総裁候補〕の呼び声が高い。党内では、小泉進次郎・環境相の〔兄貴分〕としても知られる。
 「安倍家と福田家には3代に渉る確執が在る」と指摘するのは両家に詳しい政治ジャーナリスト・野上忠興氏だ。

 「派閥の創立者である福田赳夫さんは、安倍氏の父・晋太郎さんが初めて総裁選に出馬した時、子飼いの中川一郎氏を出馬させてワザと晋太郎さんの票を削った。晋太郎さんに後継者として力を着けさせ無い為だった。
2代目の康夫氏と安倍氏も肌が合わず、小泉政権時代に官房長官と副長官として北朝鮮政策を巡って激しく対立した。
 因果は巡るで、今は攻守所を変えて安倍氏が派の実権を握って居るが、派閥を奪い返され無い為に福田家の3代目に絶対に力を着けさせたく無い筈です」



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                      福田達夫氏


 一方の達夫氏は安倍氏が派閥に君臨して居る限り、自分の出番を邪魔される事が分かって居るから、この機会に若手を結集して安倍氏に世代間闘争を仕掛けた。最大派閥の細田派では、達夫氏に近い若手と父・康夫氏シンパの中堅・ベテランが一定の勢力を占めて居り、安倍氏に対抗する力も在る。危機感を募らせた安倍氏は派内を猛烈に引き締めに出たと云う。

 「達夫の旗揚げを聞いて安倍さんの目の色が変わった。それ迄は高市応援と云っても総裁選は高みの見物だったが、自分の力を見せ着け様と、総裁選に深く介入して行った」(前出・安倍側近)  

 派内は安倍系と福田系とに大きな亀裂が入った。安倍氏のキングメーカーとしての力の源泉は、最大派閥・細田派の〔数の力〕だ。細田派が分裂状態に為れば、誰が総裁選に勝利しようと安倍氏の力は衰退に向かう。


 週刊ポスト2021年10月8日号



  2A+2Fの長老政治に反旗 

 〔若手派閥〕「党風一新の会」70人リスト提出


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 若手議員の声は 長老政治に楔を打つ事が出来るか

 自民党の若手議員が遂に決起した。河野太郎・規制改革相が出馬表明した9月10日の夜、同党の当選3回以下の議員達の「党風一新の会」がオンラインで設立総会を開いた。呼び掛け人に名を連ねて居るのは70人。細田派16人・岸田派13人・麻生派と竹下派が各10人・二階派6人・石破派4人・石原派1人・無派閥10人と文字通り派閥横断的なグループだ。
 オンライン総会には約60人が参加したが、入会希望者は増えて居り、現在90人が参加を決めたと発表して居る。自民党1〜3回生(126人)の7割を超える大勢力だ。

 代表世話人に就任した細田派の3回生・福田達夫氏は、父の康夫氏、祖父・赳夫氏とも元首相と云う政界のサラブレット。達夫氏は7日に党本部で開いた若手の会合で「地元で〔密室政治、長老政治ではないか〕〔派閥で物事が決まっていないか〕と云う厳しい意見を頂いて居ると思う」と声を上げる等、長老支配を批判して総裁選では派閥の締め付けに依ら無い自主投票の実施を求めて居る若手リーダーの1人だ。

 因みに〔党風一新の会〕の名称は、過つて福田氏の祖父・赳夫氏が時の池田勇人首相の経済政策に反対して党内に立ち上げた議員グループ〔党風刷新連〕と好く似て居り、党風刷新連盟は後に福田派(現在の細田派)と為った。
 ベテラン議員の間には「福田さんの孫は〔細田派のプリンス〕と呼ばれる将来の細田派の会長候補だが、安倍(晋三)前総理とは折り合いが悪い。祖父に見習って、安倍さんや麻生(太郎)副総理・二階(俊博)幹事長等の長老支配に対抗する自前のグループ作りを始めたのでは」(二階派幹部)との見方も在る。

 同会がこの日の設立総会で採択した〔緊急提言〕文書では、安倍長期政権以来の自民党の現状を厳しく批判。

 〈過つて政権の座を奪われ下野する事と為った我が党は、その反省の下、党改革を実行し、 国民の信頼回復に努め、平成24年12月に3年3ヶ月振りに政権を奪還した。しかし、その後の安定政権が続く中で、 強引とも取られる政権運営や、 国民意識と乖離した言動や行動も散見される等 「自民党は過つての反省を忘れて再び驕りが生じているのでは」 との批判も聞かれるに至った〉

 その上で、総裁選に向けて次の3項目の緊急提言を行なった。

 1.新型コロナ感染症対策と経済対策を明確に打ち出すこと 。
 2.党改革を通じた政治改革を断行し、国民政党としての信頼回復を図ること 。
 3.本会との意見交換の機会を設けて頂くこと 。


 特に3番目の項目は、同会メンバーが直接、各総裁候補と議論することで、誰に投票するか判断しようと云う事だ。


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             党風一新の会が出した緊急提言案 9-27-4


 確かに党風一新の会のメンバーのうち48人は3回生、その中には自民党の勉強会で「福岡の青年会議所理事長の時、マスコミを叩いた事が在る。日本全体で遣らなきゃいけ無無い事だが、広告の提供(スポンサー)に為ら無い無いと云う事が一番(マスコミには)応える」等と報道規制発言をして厳重注意を受けた井上貴博議員や、復興政務官時代に被災地視察に行って部下に負んぶされて水溜まりを渡った事で批判を浴びながら、政治資金パーティで「長靴業界はこれで大分儲かったのではないか」と発言して官房長官だった菅義偉・首相から厳重注意を受けた務台俊介議員、1回生には「女性は幾らでも嘘を着けます」発言で注意を受けた杉田水脈議員ら〔国民意識と乖離した言動や行動〕で批判された議員達も名を連ねて居る。

 党内には、呼び掛け人70人の内比例代表が23人を占める事も在って「総選挙後に、国会に戻って来る事が出来るのは半分も居ないのでは」(同前)と云う声迄在るが、果たして若手議員達は総選挙直前の〔最後っ屁〕で自民党の長老支配、派閥政治を変える事が出来るのだろうか。




 〜管理人のひとこと〜

 自民党内の若手から現在の党の支配者・長老に対する批判が出るのは、遅過ぎた位なので至極当然なのだが、それにしても過去に問題行動を起こしマスコミからクレームの起こった人達が多い様な気がする。何か挙って右派ぶる安倍晋三シンパの感じがしたのだが・・・安倍氏の力が衰えたと観ての行動かも知れない。
 それにしても安倍氏と云い麻生氏と云い二階氏と云い、もう政治の表からは消えて欲しい人材ばかりだ。元総理の森氏に似た老害に近い存在に為って来て居り、若手からの不満も高まり此処迄なのだろう。それにしても、余りにも世襲議員が多過ぎる。右を見ても左を見ても、前も後ろも全てが世襲議員なのだ。それも、マスコミを賑わす発言力・行動力も在る人達ばかりなのだ。これで新たな政治の道を志せられるのだろうか・・・矢張り統一野党に期待するしか無いのだろうか。






















2021年09月26日

家康が 湿地帯の江戸に 幕府を開いたのは必然だった・・・



  湿地帯で片田舎の江戸に 

  太田道灌が着目し 徳川家康が幕府を開いたのは必然だった


  伊東潤×本郷和人 9/23(木) 18:01配信


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 作家の伊東潤氏と本郷和人東京大学史料編纂所教授が対談! 片田舎だった江戸になぜ道灌は着目したのか 写真 中央公論新社 9-23-20


 オリンピック開催で注目を浴びた東京。歴史を遡(さかのぼ)れば、1457年に関東の武将・太田道灌が江戸城を築き、1603年に徳川家康が幕府を開いた事が今の繁栄に繋がる。その太田道灌と戦ったのが道灌の従兄弟(いとこ)で、主に対して謀反を起こした戦国の鬼・長尾景春だ。
 この度、景春の生涯を描いた小説『叛鬼(はんき)』の著者で作家の伊東潤氏と本郷和人東京大学史料編纂所教授が対談。ソモソモ過つての江戸とは湿地帯が広がる片田舎。道灌は何故江戸に着目したのか・・・

              * * * * * * *


 ◆上杉氏とは何者だったのか?

 ・・・上杉氏と云えば越後の上杉謙信の印象が強いですが『叛鬼』を読むと、古くから関東で重要な役を果たして居た事が判ります。謙信の姓も元々は長尾で、関東管領を受け継いでから上杉を名乗って居ます。ソモソモ上杉氏とは何者だったのかを教えて下さい。

 本郷 先ず概略を説明すると、源氏三代・藤原氏(九条家)二代に続き後嵯峨(ごさが)天皇の皇子・宗尊親王が鎌倉幕府六代目の将軍に為ります。宗尊親王は母親の身分が低く皇位も継げず、僧侶に為るしか無いと思われて居たので、幕府が将軍に欲しいと云って来たのは渡りに船でした。
 宗尊親王の家臣として京都から鎌倉に下って来た下級貴族の一人が上杉です。その後、どの様な経緯かはハッキリして居ませんが、鎌倉幕府の御家人で在る足利家の家臣に為って、上杉の娘が足利の子供を産むケースが増える程信頼される様に為ります。尊氏を産んだのも上杉清子です。

 室町時代に為ると将軍の外戚として力を持った上杉は、鎌倉公方の第一の家臣・関東管領として関東全域の政治を担う様に為ります。時代が下り、14世紀位に為って本家が犬懸(いぬけん)・山内(やまうち)・扇谷(おうぎや)の三つに分かれるのですが、最初に犬懸が潰れ、山内・扇谷が残る。これが『叛鬼』の時代です。
 その後、北条早雲の孫の北条氏康が起こした河越夜戦で、当主・上杉朝定が戦死して扇谷が滅び、山内も北条に追い詰められて越後に落ち延び、生活の面倒を長尾に見て貰う代わりに上杉の名跡を譲る。こうして誕生したのが上杉謙信です。


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        「上杉八将図」江戸時代18世紀 絹本着色 出典東京国立博物館   
    ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_item_images/tnm/A-12353?locale=ja)9-23-21



 何故長尾では無く 上杉を名乗り続けたのか ?

 伊東 疑問なのは、謙信は姓を上杉に変えますが、関東管領の権威が無く為った後、長尾に戻す事も出来たのに上杉を名乗り続けましたね。後継者の景勝も上杉のママで、結果的に明治迄続いて行きますよね。
 本郷 それ処か越後の各地に居た長尾一族が謙信が上杉に改姓すると、皆上杉を名乗って居ます。
 伊東 一方で足利姓は関東で重んじられませんでした。逆に足利家の家臣に過ぎ無い上杉姓が関東では幅を利かせて居たと云うのは面白いですね。

 本郷 そうですネ。鎌倉時代の北条みたいな存在が上杉なので、関東の人間に取ってはブランドに為って居たのかも知れません。権威は重要で、武田信玄も有能な家臣を見付けると、甲斐や信濃の名家へ養子に出し、皆を納得させてから重臣にして居ます。馬場信春は、その典型ですね。
そう考えると、何処の馬の骨か分から無い人間を重臣に抜擢した信長は本当に変わって居たと思います。
 伊東 信長に付いては従来のイメージが随分と書き換えられて来ましたが、実力主義人事や抜擢人事に関しては画期的ですね。又、北条早雲を見て居ると、柵(しがらみ)が無い事が寧ろ強みに為ってる部分が在ります。権威に寄ら無いと、軍人も官僚も有能なら身分を問わず登用出来ます。そうした形で勢力を拡大した処は信長に似て居ます。


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         太田道灌公像 埼玉県川越市 写真提供 写真AC 9-23-22


 ◆湿地帯だった江戸に注目した太田道灌の慧眼

 ・・・『叛鬼』には、景春の宿敵として太田道灌が登場します。太田資清(おおたしきよし)の長男として生まれた道灌は、関東管領上杉家を補佐する扇谷上杉家の家宰(かさい)として、30年近く続いた「享徳(きょうとく)の乱」を戦った武将です。
 その道灌が江戸城を築き、それを徳川家康が引き継いで大都市に発展させ現代に繋がりますが、道灌の時代の江戸は湿地帯が広がる片田舎でした。何故彼は江戸に着目出来たのでしょうか?


 伊東 道灌の頃の江戸は大半が湿地帯で、僅かに田畑が散見される程度だと思われて来ましたが、港では船が往来し交易が盛んだったと云う記録も在ります。
 恐らく道灌は江戸を商都として発展させ、扇谷上杉家の経済基盤を強化して行く構想を持って居たのではないかと思います。その点、江戸は関東各地へと物資を輸送出来る好立地に在り、関東全域を支配するには最適です。

 私は北条氏が滅んだ最大の原因は、小田原から本拠を江戸に移せ無かった事に在ると思って居ます。江戸は河川を使った交易網が築けると云う経済的な側面は元より、軍事的な面でも関東各地に後詰勢を送り易い要地です。
 一方、関東の南西端に在る小田原では、豊臣勢の様な大軍に多方面から侵入された時、手も足も出ません。氏康の代で思い切って本拠を小田原から江戸に移して居れば、北条氏はもっと粘り強い抵抗が出来、もしかすると滅亡を免れて居たかも知れません。


 本郷 僕が疑問に思って居た事を伊東さんが説明して呉れました。確かに地政学的な重要性を見抜き、居城を江戸に定めたのは道灌の慧眼(けいがん)でしたが、道灌の力では江戸を大きな街に出来たかは疑問です。
 何と云っても、江戸は井戸を掘っても出るのは塩水だけでした。だから家康は、利根川を曲げて鹿島灘に注ぐ様にし、井の頭から上水道を引いて居ます。こうした大土木工事は、家康が天下人に為ったから可能に為ったもので、道灌では無理だったと思います。

 ◆何故関宿では無く江戸だったのか?

 伊東 井戸を掘っても海水しか出無かったと云うのは盲点でした。道灌の時代なら未だしも、北条氏が本拠を移すのは無理ですね。矢張り江戸に本拠を移すとしたら、江戸幕府が行ったように利根川の東遷事業とセットなんでしょうね。だとしたら北条氏は、江戸では無く関宿(編集部注 今の千葉県野田市周辺)辺りに本拠を移して置けば好かったかも知れません。



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                 利根川付け替え工事 9-25-5

 
 本郷 成程。只関宿は海に面して居ないので、経済発展が難しいかも知れませんね。家康の時代に為ると、於大の方の子供で家康の異父弟に当たる松平康元が関宿城の城主に為って居ます。家康が一族で固めた程なので重要な街では在った筈です。
 伊東 そう考えると、関宿に本拠を移しても北条氏が生き残るのは難しかったかも知れませんね。北条氏は後の江戸幕府と比べると、遥かに権力基盤は弱いので、利根川流域の国人達を何処かに移封し、利根川の東遷事業を行う事など出来ませんしね。

 本郷 関宿も大工事を行えば拠点たる街に為ったかも知れませんが、同じ費用を掛けるなら江戸だったんでしょう。江戸湾の防衛を考えた家康は、巨大な船を使う朱印船貿易は浦賀で行う積りでした。だからペリーが江戸では無く浦賀に来たのは必然です。そうした知恵は受け継がれるものなので、道灌が見付け家康が完成させたのが江戸と云う街なんです。


 本稿は『叛鬼』(中公文庫)に収録した特別対談を再編集したものです。

 伊東潤 本郷和人



 〜管理人のひとこと〜

 東京への憧れが在ったのに、学校を卒業し大阪へと向かったのは、姉が大阪の学校に居た事も在るが、何と無く大都会の恐ろしさを予測して居たからだろう。子供の頃から聞いて居た、当時NHKラジオのドラマ「お父ちゃんはお人好し」での優しい大阪弁や人懐こい人間関係に温かい人情を期待して居た事も在るだろう。
 大坂の人間は表面は優しいのだが、心の中では他を寄せ付け無い意固地な処があり、最終的には私には馴染め無かった。卒業し仕事に就いて10年も経た無い内に「東京転勤」が決まり、会社が南浦和に社宅を探して呉れた。以来半ばに2年程の大阪勤務を除き後は東京で暮らして来た。憧れの東京で生活を始めた際には「東京か・・・」と何度も呟き感激したものだ。
 東京は大半が田舎から出て来た者なので、個人的に開けっピピロ気で大マカだった。直ぐに沢山の人達と友達になり個人的にも親しく為ったものだ・・・都会の懐の深さを知ったものだ。その後仙台と行ったり来たりして今に至るが、東京の生活が一番の青春のど真ん中だった事には違いない・・・懐かしい思い出も沢山在る。



















2021年09月25日

日米開戦80年の真相 山本五十六が「真珠湾奇襲」に踏み切った本当のワケ 



 日米開戦80年の真相 

 山本五十六が「日本必敗論」のウラで

「真珠湾攻撃」に踏み切った本当のワケ



 9-25-1.png 9/25(土) 8:32配信



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         山本五十六は何に悩んだのか・・・ Photo/gettyimages 9-25-6


 大手不動産会社の積水ハウスの地面師事件を覚えて居るだろうか。同社は2017年6月、地主に成りすました詐欺師に約56億円を騙し取られると云う前代未聞の騒動を引き起こした。
 筆者はその過程で社内で何が起きて居たかを著書『保身 積水ハウス クーデターの深層』にまとめたが、そこからは経営トップ達が保身に走る姿と、そんなトップ達に忠実に為り過ぎるサラリーマン達の姿が浮かび上がって来た。

 一体何故、日本の組織はこうした特性を持ってしまうのか。そうした日本型組織の問題に付いて、今話題に為って居るのが 『「太平洋の巨鷲」山本五十六』だ。
 本書を上梓した現代史家の大木毅氏は、今から80年前のハワイ真珠湾を攻撃した連合艦隊司令長官・山本五十六の実像を〔戦略・作戦・戦術〕の3次元で再評価。名将論・凡将論が交錯する山本の真価に辿り着いた作品として話題に為って居る訳だ。 
 しかしそんな山本も又、海軍と云う日本の巨大組織の一員だった。無残な敗戦に突き進む組織に山本五十六は如何に対峙して居たのか・・・大木氏に聞いた。



 「名将」か「凡将」か・・・?


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    1941年12月8日真珠湾攻撃 今年、日米開戦から80年目を迎える  Photo/gettyimages 9-25-7


 ・・・凡将論・名将論が渦巻いて来た山本五十六ですが、ソモソモ如何云う人物だったのでしょうか?  

 先見性やカリスマ性を兼ね備えた卓越した力を持った人物だったと評価して好いでしょう。非常に優れた戦略家で在りました。戦艦が主力だった1930年代から航空兵力の力を見抜き、真珠湾作戦で見事に証明して見せた。  
 戦略的にも、当時、対米戦争の〔日本必敗論〕に到達した人物は僅かでした。不本意な戦いを強いられる中でも、緒戦で打撃を与え早期和平に持ち込むと云う最適解を導き出しました。山本は、戦いを生業(なりわい)とする軍人で在りながら、戦争の回避に努め、にも関わらず政治が対米戦を決めてしまったら、連合艦隊司令長官として僅かでも勝利の可能性を追求して行動したのです。  

 ・・・素人の見方で恐縮ですが、太平洋戦争の無残な敗戦を知る我々から見れば、何故必敗を確信しながら、戦争を止めて呉れ無かったのかと云う思いも在ります。  

 戦争の惨禍(さんか)を経験した人達のそうした思いが、戦後に現れた〔山本の凡将論〕に反映された面も在るでしょう。しかし、優れた軍人の山本でも、対米開戦当時はラインの一環に過ぎ無い連合艦隊司令長官です。  
 対米戦争を決めたのは政治で在り、彼の職能や権限を越える事は出来無かったと言うべきでしょう。連合艦隊司令長官の職域は山本の作戦立案を分析する上でも大事な事です。

 当時は東京に軍令部が在り戦略・作戦を策定して居るし、現場のトップの連合艦隊司令長官の山本も作戦を立案して居る。この二元性が司令長官としての山本の作戦の大きな足枷(あしかせ)と為る面が在りました。
 大国アメリカと戦うと云うのに、誰が作戦立案や遂行の総指揮を執って居るのか見え難い・・・詰まり、山本に与えられた権限は限定的だったのです。山本が真珠湾攻撃を中央に提案した文書からは、一撃でアメリカ国民の士気を喪失させ (時間を置かずに)講和に持ち込む事が念頭に在った事が伺えます。  

 又、ハワイを叩き、南方を押さえてインド洋・オーストラリアとの連絡を遮断する為にフィリピン・フィジー・サモアに出る・・・ミッドウェーを叩きアワ好くばハワイを占領してしまう事も構想に在ったのではないか。分析を通して観れば、当時の政治的な状況や国力から無理が有ると思う様な事も構想して居ました。  
 徹底的に遣ってアメリカの戦争継続意志を喪失させた後に、占領した土地を全部返す大幅譲歩で何とか戦争を短期間で終わらせる・・・例え成功の見込みが無きに等しくとも、この位し無いと何十倍もの国力差の在るアメリカとの戦争は勝てっこ無いと考えて居たのです。処が、軍令部の幹部の多くはソモソモの考え方が違う。

 @ 南方の資源地帯を押さえて防備を固める
 A 連合軍が反抗して来たら撃破しつつ
 B ドイツが欧州で戦争に勝つのを待つ・・・


 と云う楽観論に支配されて居ました。兵員の輸送や資源運送の問題等物理的な問題が複雑に絡む中で、物量に勝るアメリカと戦うと云うのに戦争遂行の総司令官が居無い。山本は100%自分の考えた作戦を実行出来た訳では無いのです。  
 とは云え、山本も何もし無かった訳では在りません。そのカリスマ性や真珠湾攻撃の功績を誇示して、軍令部に対しても主導権を握ろうとした。或る意味で連合艦隊司令長官の軍令部化を図った側面も在る訳です。遣れる範囲で出来得る限りの努力はしたと思います。  

 ・・・当時、何故連合艦隊司令長官の職が必要だったのか不思議です。山本が陸に上がって軍令部から作戦を立案し、指示する方が合理的だったのでは無いでしょうか?  

 それは連合艦隊司令長官が特別な地位だった事も関係して居るでしょう。日清・日露戦争で日本は、列強にその存在を認められる地位を築きました。東郷平八郎がロシアのバルチック艦隊を日本海に破って以来、現場で決戦の指揮を執る連合艦隊司令長官は海軍の誉れ高き地位でした。それを廃止すると言ったら大変な事に為ったでしょう。

 山本五十六が対峙した「日本型組織」


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          太平洋戦争開戦時の地図 Photo/gettyimages 9-25-8


 日露戦争の時にも〔軍令部〕が在り〔連合艦隊司令長官〕が在った。通信技術が未発達の当時は、軍令部は〔戦争全体の方針を決める〕だけ。実際に戦うのは現場なので〔作戦立案〕の面で連合艦隊司令長官の裁量が大きかった。日露戦争当時は合理的な枠組みだったのです。  
 処が太平洋戦争に為ると通信技術も発達し、しかも南はフィリピン・北はアリューシャン諸島・太平洋のど真ん中のハワイ等・・・戦争が時空的に広大に為った。何処で戦闘が起こるか判ら無い。必ずしも現場の連合艦隊総司令官が〔作戦立案〕には必要では無く為って居ました。  

 アメリカ海軍の太平洋艦隊はハワイに司令部を置き、各方面で各司令官が戦闘を担って居ましたが、イギリス海軍もアドミラルティ(海軍本部)が戦略を立て、その下の第一海軍卿が軍令を司(つかさど)る・・・連合艦隊司令長官に相当する職は置かれて居ません。日本海軍はこうした形に脱皮出来て居無かったのです。  
 先駆的(せんくてき)な考えを持つ山本でサエ、その為の改革を提言したとの記録は在りません。彼も海軍に属する一軍人と云う則を超えては行け無かったし、それを組織人の山本に期待するのも又要求が過ぎると言わざるを得無いでしょう。  

 ・・・海軍には強固な不文律が在り、それを超えては何も出来無い難しさ。それは現代の官僚を初め組織人の方々は、痛い程感じて居る事だと思います。当時の海軍とはどの様な組織だったのでしょうか。  

 海軍の軍人にも政治的な動きをする人は居ましたが、一般的には自分に与えられた職能や権限に厳格です。私も海軍で佐官(大佐・中佐・少佐)クラスを務めた方々に何度も話を聞いた事が在りますが「他の職務に口を出さ無い、その代わり自分の仕事にも口を出させ無い」と云う特徴が在った様に思います。  
 山本も権限を拡大しようとしたとは言え、矢張り連合艦隊司令長官としてはその職域を超えて、軍令部や、増してや政治に迄口を出す気は無かったでしょう。

 政治は動いて呉れ無かった


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 航空戦隊に訓示する山本五十六 必敗を唱えながら僅かな勝利の可能性を探し求めた Photo/gettyimages 9-25-9


 そうした海軍の性質が端的に表れるのが、そもそもアメリカとの戦争に反対して居た山本が、何故全力で戦おうとしたのかと云う問いへの答えです。海軍出身の方々に言わせれば「勝てるから遣る。勝て無いから遣ら無いと云うものでも無い」「遣れと言われたら遣るのが海軍軍人の仕事なんだ」と云う事なんです。  

 ・・・戦況を厳しく理解しながらも勝てる方法を必死に模索する山本と、楽観的に構える東条英機首相等政府の姿勢とのギャップが開戦後ドンドン開いて行くのは絶望的に感じてしまいます。例えば真珠湾・マレー沖海戦の初戦で華々しく勝利した後シンガポールを陥落させた。山本はソレを切っ掛けに一気に和平を持ち込もうと考えて居たが、政治は全く動きませんでした。  

 山本は、シンガポールが陥落するとビルマやインドに動揺が広がり、インドを支配して居るイギリスは危機感を抱くだろうと考えて居ました。コレを和平交渉の切り札にしようと考えたのですが、1942年2月15日、詰まり海戦から3ヵ月後にシンガポールが陥落しても、政府も国民も勝利に沸き立つばかりで、何も手は打たれ無かった。こう為る事を危惧して居た山本は開戦の3ヵ月前に笹川良一にコウ吐露して居ました。

 「(筆者注・シンガポール陥落後に)確りした手を打って呉れる政治家が果たして居るかね?」(阿川弘之『山本五十六』文庫版・下巻)  

 政治をコノ様に悲観しながら、一方で山本は対米交渉を有利に導く様開戦前に行動して居ました。
ドイツを対米英戦に集中させる為に、ドイツとソ連の和平を仲介しようとして居たのです。

 対米戦終結への布石


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          『太平洋の巨鷲 山本五十六』の著者 大木毅氏 9-25-10


 1941年10月、軍令部第七課長(欧州情報担当)の前田精大佐は、駐日ドイツ海軍武官パウル・ヴェネカー少将と会談し「ドイツはソ連との講和に関心を抱くか? もしそうで在れば、日本の仲介を歓迎するか?」と打診し、可能性が無い訳では無いと云う良好な返事を貰います。  
 日米開戦後の42年2月、軍令部第八課長中堂観恵大佐を伴って再びヴェネカーと会談した前田は「本日の会談内容は連合艦隊司令長官にも通知されて居り、影響力の在る陸軍将校達も完全に了解して居る」と強調した。
 その上で、ソ連打倒とインド洋での日独連絡を同時に行うのは不可能で在るから交渉に依る〔独ソの和平〕を考えるべきだとして、日本には講和を仲介する用意が在ると切り出したのです。  

 結果、この交渉は失敗するのですが、当時の史料からは独ソ仲介工作には山本のイニシアチブが在った事が伺い知れるのです。連合艦隊司令長官ですから職掌上は公に動け無い山本は、密かに軍令部を通じて政治を動かそうとして居た訳です。  
 対米戦を最も憂慮して居た山本は、開戦に当たって和平交渉迄の見通しを描きながら戦略的に行動して居たと言えるでしょう。

                  ※ ※ ※ ※ ※



 アメリカとの戦争に反対して居た山本が、何故全力で戦おうとしたのか。その真相に付いて、後編『真珠湾攻撃80年の真相・・・日本政府と日本軍が「必ず負ける戦争」に突き進んだ本当のワケ』では、更に日本と日本軍が直面して居た現実について詳述して行く。

 聞き手 週刊現代記者 藤岡 雅  回答者 著述家 大木 毅



 〜管理人のひとこと〜

 連合艦隊司令長官・・・この職責が旧日本海軍の特有なものだったとは知ら無かった。〔提督〕との呼称も海軍固有なもので陸軍の将軍には使われ無いのでは無かろうか(判ら無無い)。越後・長岡の人山本五十六は、余りにも多く書籍化・映画化された人物の一人だろう。彼を悪く描く人は居ないのは当然で、彼の業績を広く知らせたい故の書籍化・映画化なのだから。
 その反対に位置するのが東条英機で在る。彼を〔偉い人だ好い人〕だと持ち上げる著者は余り存在しない。彼の身内の人の何冊かの書籍が存在はするだろうが、恐らく多くの人は見向きもしないだろう。彼の演説・・・雨の降り注ぐ神宮外苑での〔学徒出陣〕の風景が戦後以来の彼の印象を残して居る。そして、GHQからの逮捕に怯えピストル自殺・・・これに失敗する卑怯者の烙印。彼を、嫌戦中の首相を指名する元老達がその黒幕なのだが (彼等の内の一人か二人が巣鴨に拘留されたが) 云わば明治維新の功労者の子孫達だ。
 詰まり多くは山口県・長州人なのである。明治維新が太平洋戦争の敗北の幕開け・序章・・・始まりだった訳だ。誰が指導者に為った処で、我が民族が明治維新を受け入れた事が全ての始まり・幕開けだったのである。














2021年09月24日

日本史 室町時代 応仁の乱


  


  日本史 室町時代 応仁の乱

 「実は将軍家の跡継ぎ争いでは無かった」

  応仁の乱が11年も続いた本当の理由



  9-24-30.png 9/24(金) 10:16配信



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       歌川芳虎(江戸時代)の作品(写真 Japanese-finearts.com)9-24-30


 何故、応仁の乱は11年間も続いたのか・・・東京大学史料編纂(へんさん)所の本郷和人教授は「戦の切っ掛けは足利将軍家の跡継ぎ問題だが、それ以上に重要な事が在る。それは、瀬戸内海の交易権を巡る経済戦争としての側面だ」と云う・・・

 本稿は、本郷和人『日本史の論点』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。


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            東京大学史料編纂所教授 本郷 和人 9-24-31


 八代将軍・義政には長いこと子供が出来無かった  

 「応仁の乱」(1467〜1477年)の切っ掛けに付いては諸説在りますが「原因は足利(あしかが)将軍家の跡継ぎ問題だった」と云うのが定説です。
 当時の室町幕府がドンな状態だったかと云うと、クジ引きで選ばれた六代将軍の足利義教(よしのり)が暗殺され、義教の息子で在る足利義勝(よしかつ・1434〜1443年)が七代将軍に就任して居ました。処が、義勝は未だ幼い内に亡く為ってしまい、八代将軍として義勝の弟で在る足利義政(よしまさ・1436〜1490年)が選ばれました。
 
 義政は、銀閣寺を建てた人としても知られて居ますが、長い事子供が出来ませんでした。次の将軍を如何するか考えた際、義政は「自分の弟に僧侶に為って居る者が居るから、彼に将軍の位を譲る」と言い出しました。処が、その出家した弟にその事を伝え還俗(げんぞく)して貰おうとすると難色を示されます。

 弟が還俗した後に息子が産まれる  

 弟からして見れば、父の六代将軍で在る義教は暗殺されて居るし、将軍に為る事が良い事の様にも思え無い。だから「義政兄さんは未だ若いから子供が出来るかも知れ無い。もし息子が出来た場合、自分が居たらどうせ邪魔にされるだろうからイヤだ」と断りました。
 しかし義政は「大丈夫だ。ドンな事が在ってもお前を後援するから、還俗して自分の跡を継いで呉れ」と言う。 そこ迄言われるのなら仕方が無いと、還俗し足利義視(よしみ・1439〜1491年)と名乗る様に為りました。  

 処が人生とは皮肉なものです。ソンな話をした翌年、足利義政の妻で在る日野富子(ひのとみこ・1440〜1496年)が息子を産んでしまいます。それでも八代将軍の義政は「息子は生まれたものの、弟と約束している以上、将軍職は予定通り弟に譲る」と考えて居ました。
 還俗した義視の立場からすれば「アレだけ強く約束したのだから、息子が生まれたからと云って、約束を反故(ほご)にするのは勘弁して呉れ」と主張するのは当然です。でも日野富子にして見れば、自分がお腹を痛めて産んだ子を将軍にしたい。そこで、九代将軍に誰を据えるべきかと云う問題が勃発しました。

 高級娼婦から「貴方の子よ」と言われたものの・・・  

 足利将軍家で問題が起こって居た頃、畠山(はたけやま)家も同様の問題で揉(も)めて居ました。ここで簡単に、室町幕府の政治事情に付いて補足させて下さい。
 当時の室町幕府は、斯波(しば)家・畠山家・細川家の三つの家が代わる代わる〔管領(かんれい)〕に為る事で運営されて居ました。〔管領〕とは幕府の実質的な政治責任者の事。詰まり畠山家は、幕府政治に非常に強い発言力を持って居る家柄だったのです。  

 クジ引き将軍・義教の八百長の実行者としての疑いが在る畠山満家(みついえ)も畠山本家の当主です。又、満家の息子の畠山持国(もちくに・1398〜1455年)は、畠山家の全盛時代を築いたと言われる程に優秀な人物でした。  
 処が彼の次を決める際に、息子で在る畠山義就(よしなり・1437?〜1491年)と甥に当たる畠山政長(まさなが・1442〜1493年)の間で非常に面倒な跡継ぎ問題が起きてしまったのです。如何して息子が居るのに甥(おい)が後継者候補に挙がり、更に二人の間でバトルが起こったのか。

 過つて、畠山持国はオペラの〔椿姫〕の様な高級娼婦と深い仲に為り、相手の女性が妊娠して男の子を生みました。女性からは「貴方の子よ」と言われたものの、何せ相手は高級娼婦、数多くの恋人が居る筈です。そこで、持国は「エ、本当に自分の子なの?」と云う疑いを抱きました。
 誰の子だか判ら無い男の子を自分の家に迎え入れたくは無い。そこで持国は、息子が生まれたら直ぐに寺に送り僧侶にして仕舞いました。

 行き成り息子が登場して後継者争いが勃発  

 月日が経(た)ち、持国は跡目に付いて考える様に為りました。「私には息子が出来無かったな。仕方無い甥の政長を後継者にしよう」と決めました。しかし、或る時京都に在る相国寺(しょうこくじ)へ行くと「アレ?  もしかして、お父さんじゃないですか?」と一人の少年に話し掛けられます。
 それは、過つて〔椿姫〕から生まれ落ち自分が寺へ送った息子でした。赤ん坊の頃には判りませんでしたが、イザ成長した息子を見てみると、その顔は自分に瓜二つ(うりふたつ)です。「これは、自分の子に違い無い」と持国は確信します。  

 折角息子が居るの為らば、甥では無くて息子に跡を継がせたい。そう思った持国は、その僧侶を還俗させ義就(よしなり)と名乗らせ家へ連れて帰るのです。
 サテ、此処で困ったのは、政長とその家来達です。政長にして見れば「自分が後継者に為ると思って居たのに、行き成り出て来た息子にその地位を搔っ攫(かさら)われてしまうのか」と愕然(がくぜん)としたでしょう。
 政長の家来達にしても、将来的には政長が家督を継ぐと思って居たからコソ、一生懸命彼に取り入る努力をして居た訳で「だったら、これ迄の自分の努力はナンだったのだ・・・」とガッカリしてしまったでしょう。  

 逆に、政長に取り入るのに失敗して居た家来達は「新しい跡取りと為る義就さんに取り入ろう」と考えて義就を持ち挙げます。この跡目争いに依って畠山家は真っ二つに割れてしまいました。しかも、騒動の最中に問題の原因を作った持国は死んでしまい、争いは苛烈(かれつ)を極めました。

 畠山家と足利将軍家の跡継ぎ問題で幕府が真っ二つに  

 ドチラが家督を継ぐべきかを議論した末、幕府側が支持したのは甥の政長側でした。一方の義就は、謀反人と認定され討伐の対象に為りました。それでも、義就は自分の名誉を守る為懸命に戦いました。応仁の乱に登場して来る武将は皆軍事面では平凡です。ですが例外的に畠山義就は戦上手でした。
 その様子に目を付けたのが山名一族の長で、当時の幕府に大きな権力を持って居た山名宗全(そうぜん・1404〜1473年)です。粘り強く戦う義就を見て「此奴は使えるな」と思った彼は「山名は義就を支持する事を決めた」と宣言します。  
 
 困ったのは政長です。山名宗全が義就を支持するの為らば自分は如何為るのかと不安に為った彼は、三管領で在り幕府内で山名と対抗出来るだけの力を持つ細川勝元(かつもと・1430〜1473年)に「自分を支持して呉れますよね?」と詰め寄った。
 勝元は「勿論貴方を支持しますよ」と賛同します。此処で、幕府内に、畠山義就を推すグループと畠山政長を推すグループが誕生します。

 この畠山家と足利将軍家の跡継ぎ問題に依って室町幕府は、細川勝元が率いる東軍と山名宗全率いる西軍に真っ二つに割れました。両者の争いは、京都で十一年間の長きに渡って行われ、気が付いたら京都は焼け野原に為って居た。これを「応仁の乱」と呼びます。

 応仁の乱の本質は「誰が幕府の運営をするか」を巡る権力争い  

 教科書等では、非常に複雑な人間関係で説明される応仁の乱ですが、この解釈の問題点は、両軍が何を求めて戦って居たのかがハッキリし無い点です。では僕は如何考えるか・・・僕は応仁の乱の本質は「誰が幕府を運営するか」を巡る権力争いだったのだと思います。平凡過ぎますか?マア聞いて下さい。

 改めて考えてみたいのが将軍の地位に付いてです。以前、将軍職は「私が遣ります!」「嫌、私が!」と人々が奪い合う華々しい地位でした・・・例えば、クジ引き将軍義教の兄弟、大覚寺義昭(だいかくじぎしょう)は将軍の座を狙って運動し討たれて居ます。
 が、応仁の乱前後の将軍職と云うものは左程魅力的なものでは無いし、何と云っても義教(よしのり)が暗殺された影響か将軍自体の影響力も失墜して居ました。だから、将軍家の跡継ぎ問題等はどう転んでも幕政に変化を齎(もたら)すものでは無かった。

 寧ろ、重大な意味を持ったのは〔細川と山名に依る幕府内の勢力争い〕です。その頃、両家の火種に為って居たのは、瀬戸内海の交易権ではないかと僕は思って居ます。瀬戸内海の交易は当時非常に盛んでしたので、コレを押さえれば豊かな富が手に入ります。
 瀬戸内海交易の延長線上には、日明(にちみん)貿易の利権も在ります。日明貿易は儲(もう)かるので、誰もが遣りたいと考えるのですが、明との交易は将軍の名が無いと出来ません。

 自分が幕府の実権を握って将軍を自在に操れれば、日明貿易も手中に収める事が出来ます。そこで細川と山名は、瀬戸内海沿岸にどれだけ自分の拠点が築けるかを争います。 細川は四国を拠点として居り、堺の商人と連携して居ました。
 対する山名は、備後(びんご)や安芸(あき)現在の広島県辺りに拠点を構え、航行する船に対して税金を取って居ました。更に山名の盟友には、山口に拠点を持つ大内氏が居ます。

 大内は「自分は朝鮮の王朝の子孫だ」と名乗って居た程なので朝鮮との交易も行って居ます。又、彼は博多の商人とも確りと繋がりを結んで居たので明との交易にも強かった。  
 詰まり、室町時代には〔ドチラが瀬戸内海の交易権を押さえるか〕を争う〔経済戦争〕が行われて居た。それが、応仁の乱が十一年も続いた要因のひとつではないかと僕は思います。



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 本郷 和人(ほんごう・かずと) 9-24-32 東京大学史料編纂所教授  1960年東京都生まれ 文学博士 東京大学・同大学院で石井進氏・五味文彦氏に師事 専門は日本中世政治史・古文書学 『大日本史料 第五編』の編纂を担当 著書に『日本史のツボ』『承久の乱』(文春新書) 『軍事の日本史』(朝日新書) 『乱と変の日本史』(祥伝社新書) 『考える日本史』(河出新書) 監修に『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社)など多数


 文章 東京大学史料編纂所教授  本郷 和人











2021年09月23日

満州事変から90年 満州国の裏面史


 アヘンと共に栄えアヘンと共に滅びた

 満州事変から90年 満州国の裏面史


 現代ビジネス  9/18(土) 8:33配信


 
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               写真 現代ビジネス 9-23-10


 丁度90年前の1931年(昭和6年)9月18日午後10時20分頃、中華民国奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近の南満洲鉄道線路上で爆発が起きた。これを端として関東軍は〔満州〕を占領・・・「満州事変」で在在る。
 当時、夢の国とされて居た〔満州国〕では何が起こって居たのか・・・ノンフィクションライター・魚住昭氏が『週刊現代』2016年7月23・30日号に寄稿した 「アヘンと共に栄え、アヘンと共に滅びた満州国の裏面史」を再録する。



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 ノンフィクションライター・魚住昭氏 1951年生まれ 一橋大学卒 75年共同通信社入社 検察担当記者時代にリクルート事件で数々のスクープを放つ 96年よりフリーで活躍 2004年『野中広務 差別と権力』 (講談社)で講談社ノンフィクション賞受賞 他に『特捜検察 (岩波新書)』 (岩波新書) 『渡邊恒雄 メディアと権力 (講談社文庫) 』(講談社文庫) 『テロルとクーデターの予感 ラスプーチンかく語りき2』 (朝日新聞出版・佐藤優氏との共著)等の著作が在る

               ※ ※ ※ ※ ※
         

           
 岸の清濁を知る人物「古海忠之」

 引き続き〔昭和の妖怪〕岸信介の事を書く積りだったが、資料を漁る内に面白い本に出食わした。コレを素通りするのは惜しいので今回は一寸寄り道させて貰う。 本の題名は『古海忠之 忘れ得ぬ満州国』(経済往来社刊)だ。


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                 古海忠之 9-23-4


 著者の古海は東大卒の大蔵官僚で、1932(昭和7)年に誕生したばかりの満州国政府に派遣された。国務院経済部次長等重要ポストを歴任。実質的には満州国副総理格で敗戦を迎え、戦後はソ連・中国で18年間に渉って拘禁された。
 因みに岸が満州経営に携わったのは1936(昭和11)年〜'39(昭和14)年の3年間。古海は岸の忠実な部下で、岸の裏も表も知り尽くして居る。 その古海が語るアヘンの話に耳を傾けて欲しい。

 ご承知と思うが、当時の中国はアヘン中毒患者が国中に蔓延して居た。 古海が満州国初の予算を編成して居た1932(昭和7)年の事だ。上司が「満州ではアヘンを断禁すべきだ」と強く主張し、各方面の説得に当たった。
 その結果、植民地・台湾の例に倣い、アヘンを一挙に廃絶するのでは無く、徐々に減らす漸禁策(ぜんきんさく)を執る事に為り、ケシ栽培からアヘン製造販売迄全てを国家の管理下に置く事にした。アヘン専売制である。

 目論み外れ借金苦に

 1940(昭和15)年、古海は経済部の次長に為った。当時は産業開発五ヵ年計画達成の為、華北から輸入する鉄鉱石や石炭が膨大な量に上って居た。これに対し、華北の求める食糧や木材は余り輸出出来ず、関東軍と満州国政府は巨額の支払い超過に悩まされて居た。
 それを解消する為関東軍が考えたのが熱河省(満州の西側)工作だ。熱河はアヘンの主産地で、そのアヘンは専売総局で全部買い上げ管理する建前に為って居る。が、実際は、広大な丘陵地帯を取り締まるのは不可能で、年々夥しい量が北京等に密輸されて居た。

 関東軍の目論見はこうだった・・・軍と政府が密輸業者の活動を黙認する。その見返りに彼等が密輸で得た連銀券(華北通貨・満州はその不足に悩んで居た)を同額の中央銀行券(満州国通貨)と交換する。或いは業者に資金を与えて密輸アヘンを集め、華北に売り捌いた代金(連銀券)を回収する・・・ 関東軍の要請で古海はこの工作を請け負った。
 彼は三井物産から個人的に2,000万円(現在の約200億円)を借り、それを資金に活動したが行き詰まった。密輸業者等が「俺達には関東軍と経済部次長が着いて居るから、警察に捕まる心配も無い」と言い触らしたからだ。
 古海の元に熱河省各地から抗議が殺到した。工作は中止され彼が個人で支出した2,000万円も回収不能に為った。借金返済を迫られた古海は当時をこう回想する。


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              里見甫(さとみはじめ) 9-23-8


 〈窮余の一策として、上海に居る私の親友里見甫(さとみはじめ)君に助けを求める事にした。彼は当時、南京政府(日本の傀儡政権)直轄の阿片総元売捌(あへんそうもとうりべつ)を遣って居たので、手持ちの阿片を彼の元に送り着け、出来るだけ高価に買い取って貰い為るべく多額の金を得ようとした。(略)里見甫君は非常に無理をして結局二千万円を払って呉れた〉

 里見は〔阿片王〕と呼ばれた男である。上海でペルシャ産や蒙古産の阿片を売り捌き、陸軍の戦費を調達して居た。

 奪われたアヘン

 古海の回想を続け様。戦況が悪化した1944(昭和19)年 彼は満州のアヘンを上海に運び、満州で不足する生産機器や消費物資を調達する計画を立てた。その為、先ず飛行機で金とアヘン1トンずつを運んで南京政府の中央銀行の金庫に納め、副総理の周仏海に物資買い付けの援助を依頼した。
 周は「日本は何も持って来無いで物を取って行くだけなのに、満州国は貴重なものを現送して来て物資が欲しいと云われる。誠に有難い」と言って全面協力を約束したと云う。

 上海でのアヘンと物資の物々交換は里見の協力も在って順調だった。満州への大量の物資輸送も、アヘン3トンを出すなら艦隊司令部が責任を持って送り届けると約束した。古海は〈昭和二十年当初からコノ計画を実施し相当の成果を上げたのであるが、八月、大東亜戦争の終結を迎え、時既に遅かったのは致し方無かった〉と振り返る。

 敗戦直前の7月、古海は関東軍から新京(現・長春)周辺に在るアヘンを全部引き渡す様要請された。ソ連侵攻に備えて拡充中の通化(朝鮮との国境に近い)の基地に備蓄する為だ。

 〈こうして関東軍に引き渡した阿片は莫大なもので在った。関東軍はこの阿片を広く大きい正面玄関に積み上げた。正に異観で在った〉と古海は語る。処が関東軍がこのアヘンをナカナカ通化に運べ無いで居る内に8月9日、ソ連軍の侵攻が始まった。
 驚いた司令部はアヘンをトラックに積んで通化に向かわせたが、途中で暴徒の襲撃を受けアヘンを奪い去られた。司令部に残ったアヘンは古海等が無人家屋の床下等に穴を掘って埋めたと云う。

 古海の回想は、満州国政府・関東軍とアヘンの繋がりの深さを物語る。岸信介は1939年に東京へ戻る際「満州国の産業開発は私の描いた作品で在る。この作品に対して私は限り無い愛着を覚える」と言い残したが、満州経営の重要な財源と為ったのはアヘンだった。
 敗戦直前の1945年8月11日、古海は南新京駅に居た。何時ソ連軍が来るかと云う不安と、敗戦の悲色に覆われた駅で過ごす一刻一刻は心細かった。ヤット出発準備が整った。

 その頃、俄かに夕立が在って雷鳴が轟いた。満州国皇帝・溥儀が列車に向かって歩を進めた。続いて、阿片中毒で立て無く為った皇后・婉容が看護人に背負われて行く哀れな姿が、稲妻が走ると一瞬パッと光の中に浮かび上がった。
 それを見ながら、満州国最後の総務長官・武部六蔵が「蒙塵(天子の都落ち)と云うのはコレだな」と呟くのを古海は聞いた。 満州国はアヘンと共に栄えアヘンと共に滅びたのである。

 最大のタブー

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      東条英機(前段中央)と岸信介(最後列左)〔PHOTO〕gettyimages 9-22-2


 前回http://gendai.ismedia.jp/articles/-/87506の最後にホンの少しだけご披露した文書に付いてもう少し詳しくお話ししたい。 この文書は、終戦翌年の1946年5月、中国の南京高等法院からGHQ(連合国軍総司令部)に送られ、東京裁判の検察側証拠の一つに為ったものだ。

 日中戦争の開始以来、日本が中国を占領支配するのにアヘンを如何利用したか。その実態を南京政府(汪兆銘政権・日本の傀儡だった)の元幹部で在る梅思平(同年9月死刑)等の供述等に基づいて告発して居る。その核心部をコレから五紹介しよう。尚、原文の片仮名表記は、読み易くする為に平仮名に変えて在る事を予めお断りして置く。

 〈中国に於ける阿片取引は、二つの理由に依って日本政府の系統的政策で在った。第一に、内蒙古占領に続いて日本人により建てられたる傀儡組織で在った処の蒙疆自治政府(もうきょうじちせいふ)は、罌粟の栽培を習慣としてゐる内蒙古で阿片を購ふ事に依つて財政的不足を解決せんと努力した〉

 要するに、満州に続いて日本軍が占領支配した蒙疆(もうきょう・現在の内モンゴル自治区)政府の財政は、アヘンの売り上げで賄われて居たと云う事だ。 コレは1980年代、江口圭一・愛知大名誉教授(故人)が発見した日本側資料に依って裏付けられた客観的な事実で在る。
 文書は、第二に日本政府自身も〈戦争に依る経済的困難〉を切り抜ける道としてアヘンに頼ったと指摘して居る。 その上で〈阿片購入用として指定せられたる蒙疆傀儡政府の貸附金〉は先ず東京の大蔵省に送られねば為らず〈ソコで全額の幾分かは保留された〉と記して居る。

 正直言って、私にはこの〔貸附金〕が具体的に何を指すのか判ら無い。可能性として

(1)蒙疆政府農民がケシから採取したアヘンを集める業者団体への貸付
(2)蒙疆政府南京政府への貸付
(3)南京政府蒙疆政府への貸付

 等が考えられるが、何れとも判断が着か無い。しかし〈全額の幾分かは保留された〉と云う件は、アヘン購入資金が融資される段階で東京の大蔵省に利益をピンハネされたと云う意味で在る事は想像出来る。文書は続く。

 〈他方では上海並びに中国の都市に於て売られた阿片の売上金の大部分は東条内閣の補助資金、及議員への補助金に割当てられる為東京に送られた。それは公然の秘密で在り、そして幾らかの本国内の日本人も又この東条内閣の名うての政策に反対して居た事は周知の事で在った〉

 問題はこの〈東条内閣の補助資金〉〈議員への補助金〉が何を指すかだが、簿外の内閣機密費や国会議員に配る裏金の類と考えるのが普通だろう。
  只、梅思平等〔傀儡南京政府〕旧幹部も金の行く先を特定する資料は持って居無いらしく〈宏済善堂(こうさいぜんどう)の会計簿を捜索すれば、略々其の痕跡を発見し得可し〉と付け加えて居る。

 日本と中国との「密約」

 宏済善堂(こうさいぜんどう)とは、上海の〔阿片王〕里見甫(さとみはじめ)が運営して居たアヘン取引の為の会社で在る。次に登場する盛文頤は、その里見のアヘン取引の中国側パートナーだ。文書は更に興味深い事実を明らかにして行く。

 〈盛文頤の言に依れば、利益支配の状況は極秘にして、東京と直接の来往に依ったので在ると。即ち在華日本側機関も又、其の詳細を知る由が無かった。維新政府(汪兆銘政権が出来る前の日本の傀儡政権)は税款(税金)の極少を得るのみ〉

 詰まり文書が言わんとするのは、金の行く先は全て東京で決められ、旧南京政府がアヘンで受けた利益は〈極少〉に過ぎ無かったと云う事だ。
 こうして中国のアヘン問題は1943年冬に至る迄全く改善され無かった。が、同年12月、南京・上海・杭州その他の都市で学生達がアヘンを売る店やアヘン窟を打ち壊す示威運動を起こした。それを契機に中国国民の日本のアヘン政策に対する反発も強まった。文書は、この時の日本軍の対応をこう述べて居る。

 〈しかし日本の軍隊は敢(あ)へて之に干渉し無かった。結果として、日本政府は、南京政府が、〔阿片の利益は蒙疆自治政府の主なる財源で在る〕と畏怖事実を考慮する条件の下に於ては、もし中国が戦前の阿片禁止法案を回復する事を望む為らば、中国を助けるといふ意思を表示して経済顧問を南京政府へ派した〉

 要約すると、アヘンの利益で蒙疆政府の財源分だけ確保出来るなら、中国側がアヘンの取り締まりを厳しくするのをサポートする・・・と云う風に日本側の態度が変わったと云う事だ。 文書はこの〈急変〉に付いて〈三つの事実らしき理由が発見された〉としてこう述べる。

 〈第一に、東条内閣は秘密の目的又は政治的目的に阿片の利益を使用した事に付いて、日本国内外の国民に依って攻撃された。第二に、日本政府は中国国民の嫌悪を減少せんとした。第三の最も重要なる事実は当時の日本は中国の物資統制に依って阿片取引の十倍の収入を得てゐた〉

 その為政治的・軍事的支出の支払いの為の基金に困る事は無かったと云うのである。以上の様な経過を辿って上海や南京のアヘン禍は次第に収まって行くのだが、此処で留意して置かねば為ら無いのは、主な陳述者で在る梅思平が置かれた立場だ。
 彼は当時、日本に中国を売り渡した漢奸として責任を追及されて居た。アヘン問題で東条内閣が行った悪事を強調すればする程彼の責任は軽く為る。そう云う事情が在るから、彼の陳述を何の裏づけも無く全て信用する訳にはいか無い。


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                    細川護貞 9-23-9


 そこで東条政権とアヘンの関係に付いて日本側で言及した文献は無いかと探してみたら、在った。近衛文麿元首相の女婿で、秘書官でも在った細川護貞(細川護煕元首相の父)の『細川日記』(中公文庫)で在る。 細川は戦時中、陸海軍や政界の要人らから集めた情報をこの日記に綴って居た。
 その記述を追って行くと、東条は無論の事、彼の内閣の一員だった岸信介の金脈に関する極秘情報に遭遇する事に為る。

 軍の病理を突いた「日本のユダ」  

 お浚(さら)いをさせて貰いたい。前回、細川護貞(もりさだ)の『細川日記』(中公文庫)を取り上げたのを覚えておいでだろうか。戦時中、高松宮の情報収集係を務めた細川は、この日記に東条英機のアヘン資金疑惑を書き留めて居る。それを細川に伝えたのは、帝国火災保険の支配人・川崎豊である。
 川崎曰く・・・中華航空で〈現金を輸送せるを憲兵隊に挙げられたるも、直に重役以下釈放〉された。これはその金が〈東条のもの〉だったからで〈以前より里見某なるアヘン密売者が、東条に屡々(しばしば)金品を送りたるを知り居るも、恐らく是ならんと〉  
 この情報はホントだろうか。信憑性を判断する材料を探す内に田中隆吉に突き当たった。田中は日米開戦翌年迄陸軍省の兵務局長、詰まり憲兵隊の総元締めだった男である。


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               田中隆吉 元陸軍省の兵務局長 9-23-11


 陸軍の謀略活動にも深く関わり〔東洋のマタ・ハリ〕と云われた川島芳子の情夫だった事も在るらしい。敗戦後は一転して陸軍の悪行を告発し、旧軍関係者らから〔裏切り者〕〔日本のユダ〕と罵られた。

 満洲事変の勃発と共に
 
 が、軍の病理に関する彼の指摘は鋭い。例えば、こんな件(くだり)が彼の著作『日本軍閥暗闘史』(長崎出版刊)に在る。  

 〈満洲事変の勃発と共に、それ迄僅かに200余万円に過ぎ無かった陸軍の機密費は一躍1千万円に増加した。支那事変の勃発は更にコレを数倍にした。
 太平洋戦争への突入の前後に(略)正確な金額は全く表へ現れぬ様に為った。しかし当時の陸軍の機密費が年額2億を超えて居た事は確実で在った〉
 

 2億円は今の1,000億〜2,000億円に相当する。田中は更に〈政治家・思想団体等にバラ撒かれた〉機密費は、彼の知る範囲だけでも相当額に上り、近衛文麿や平沼騏一郎等歴代内閣の機密費の相当額を陸軍が負担して居たとしてこう綴って居る。  

 〈これ等の、内閣が陸軍の横車に対し敢然と戦い得無かったのは、私は全くこの機密費に原因して居ると信じて居る。それ等の内閣は陸軍の支持を失えば直ちに倒壊した。(略)軍閥政治が実現した素因の一として、私はこの機密費の撒布が極めて大なる効果を挙げた事を否み得無い。東条内閣に到っては半ば公然とこの機密費をバラ撒いた〉  

 田中は敗戦翌年から30余回に渉ってGHQ国際検察局の尋問を受けて居る。その時、作られた膨大な調書を日本文に訳したのが『東京裁判資料 田中隆吉尋問調書』(粟屋憲太郎ほか編・大月書店刊)で在る。それに依ると、宮中で天皇を補佐する内大臣の木戸幸一は政治活動に多額の金を使った。
 金の出所は日産コンツェルンの総帥・鮎川義介(木戸や岸と同じ長州出身)だった。そして鮎川の〈事業提携者〉の岸は東条内閣の商工大臣〈大臣在任中に財閥との有効な取り決めに依って可成りの額の金を儲けた〉

 田中に依れば、木戸は内大臣の地位に在った為、1941〜'45年の間日本の政治を支配した。木戸は東条内閣の成立に直接に力を貸したが、'44年4月 木戸と東条の関係は悪化した。木戸が、東条首相では戦争に勝て無いと思い倒閣を策謀し始めたからである。  
 東条はそれを知ると、元首相等有力者を入れて内閣を改造しようとしたが〈岸は、それ等の何れが彼の後任者と為る事も頑として承知し無かった〉ので、これが東条内閣倒壊の直接的原因に為ったと云う。

 沈黙する「阿片王」  

 田中の見解は、木戸・岸・鮎川の長州連合の寝返りが東条内閣の致命傷に為った事を示唆して居てとても興味深い。田中の第3回尋問のメインテーマはアヘンで在る。
 彼は華北のアヘン売買を統括して居た北京の興亜院華北連絡部(占領地の行政機関)の長官心得・塩沢清宣中将に付いてこう語る。


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                   塩沢清宣中将 9-23-12


 〈彼は、東条大将の一番のお気に入りの子分でした。彼は、里見の大の親友でも在りました。塩沢は北京から東条へ屡々資金を送って居ました。戦争中で在った為、上海地域で使用された阿片はその量の全てが北支から供給され、その様にして当然多額の金が塩沢の手元に蓄えられました〉  

 田中の言う北支に、アヘンの主産地で在る蒙疆地区(今の内モンゴル自治区)綏遠省(すいえんしょう)が含まれると解すれば、彼の言に概ね間違いは無い。興亜院華北連絡部がアヘンで巨利を得た事も事実と考えて好いだろう。田中が続ける。


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                  専田盛寿少将 9-23-13


 〈塩沢の元で、専田盛寿少将と云う私の友人が働いて居ました。彼は私に、塩沢は屡々飛行機を使って東条の元に金を送ったと語り、その事で酷く腹を立てて居ました。それが原因で専田は、興亜院の職を辞する事を余儀無くされました。昨年九月に大阪で私が専田に会った時、彼は私に再び同じ話をして不満を表明しました〉  

 GHQ国際検察局は東条のアヘン資金疑惑に強い関心を持ったらしい。それから約1年後の'47年3月21日、里見を召喚して1時間余に渉って事実関係を問い質して居る。取調官は事前に里見が中華航空の顧問だった事や、東条の私設秘書と親密な関係に在った事を確認し、云わば外堀を埋めた上でこう切り出した。  

 「さて、ズバッと行こう。私は何等かの情報を貴方が呉れるものと期待して居るのだが、上海発東京行きの中華航空機で多額の金が東条に送られた事を知って居るだろう?」  
 里見の答えは素っ気無かった。「知りません」 「ジャ、中華航空による現金輸送が憲兵に摘発された件は?」 「全く何も知りません」  
 国際検察局に依る東条のアヘン資金疑惑の捜査は、里見の沈黙の壁に突き当たり思う様に捗(はかど)ら無かった。私も此処等で方向転換して岸と東条の不可解な関係を探る事にした。

 満州国首脳だった岸を日本に呼び戻して商工次官にし、その後、商工相に据えたのは東条だった。東条人脈の中心に居た筈の岸が、敗戦約1年前、突如東条に反旗を翻した真の理由は何だったのだろうか。


 つづく

  ノンフィクションライター  魚住 昭

 ※参考 『資料 日中戦争期阿片政策』(江口圭一編著・岩波書店刊)
 ※参考 『新版 昭和の妖怪 岸信介』(岩見隆夫著・朝日ソノラマ刊)




 〜管理人のひとこと〜

 ノンフィクションライター魚住 昭氏の次のレポートを早く読みたいものだ。氏の綿密で詳細な指摘の疑問に対し、次々と過去の文章が明らかにされ次第に鮮明に為って来る。これコソ、ノンフィクションの醍醐味である。国家・世界的規模の出来事に対し、その全ては個々人の精神的行動(人間性)が如何に関わりを持つかが顕著に為って居る事が我々にも理解出来る。
 東条派と観られた岸伸介が、最後には彼を裏切り入閣を拒否した事で東条内閣は倒壊した・・・と魚住 昭氏は指摘する。今で云う処の新自由主義的・・・当時の革新的官僚の代表格で在った岸は、その優れた悪魔的頭脳を駆使しアラユル機会を利用し〔人脈と金脈〕を構築して行った。戦後は、それを巧みに利用し公職追放を逃れ、豊富な人脈と金脈を駆使し政界へと進出、そして首相の座を射止める。
 彼の人脈は、アラユル階層・多くの民族・・・全てを飲み込む〔悪の結晶〕と為って戦後の日本を築いて行った・・・安倍晋三が師として仰ぐ天才的国際的犯罪者の〔おじいちゃん〕なのだ。彼は、祖父程の悪人には為れ無かったが、小さな悪事を重ねて批判され〔小悪人〕と国民から冷笑され姿を消す事に為った。












 




 

お気楽過ぎる自民党総裁選



 お気楽過ぎる自民党総裁選

「シュリンコノミクス」の危機を何故争点にしないのか



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            写真はイメージです Photo PIXTA 9-23-6


 ● もし社員が辞めて行くブラック企業で権力闘争が始まったら・・・  

 突然だが、ブラック企業のヒラ社員に為ったと想像して頂きたい。競合他社と比べて常軌を逸した低賃金・重労働なので社員が次々と去って行く。そこで定期的に「アットホームな会社です」何てデタラメ求人広告を出して、何も知ら無い若者を補充して居るが焼け石に水。辞めて行く者の数の方が上回り、年を追う毎に社員数は減少して居る。  
 しかし、業務は年々増えて居る。現場の窮状を知らぬ経営層が、DXだのテレワークだのと次々と新しい取り組みを遣れと号令を掛ける性で、現場の負担は雪だるま式に増えて居るのだ。  

 そんな絵に描いた様なブラック企業で、副社長・専務・現社長のジュニア等幹部達間で、新社長の座を巡る権力闘争が始まった。彼等は自分の派閥の勢力を増す為、現場の社員達へ猛烈な自己アピールをした。  
 或る者は、会社の若返りを訴えて高齢役員を一掃すると主張した。又、或る者は自分が社長に為ったらwithコロナ時代の働き方を推進・福利厚生を向上させると宣言した。そして又或る者は、ライバル会社の脅威を強く訴えて「会社を守り抜く」と叫んで、新規事業をグイグイ進めて行くと鼻息が荒い。  

 サテ、そんな次期社長候補達を見て、ヒラ社員の貴方は如何思うだろうか。キット心の中でコンナ風に叫ぶ方も多いのではないか。 「嫌々、そんなピントのズレた議論をして居無いで、先ずは社員がドンドン減って居るこの危機的状況を如何にかしろよ!」
 
 ・・・何故コンナお話をさせて頂いたかと云うと、実質的な〔日本のリーダー〕を選ぶ自民党総裁選でコレと同じ現象が起きて居るからだ。コロナ対策だ・党改革だ・原発だ・敵基地攻撃能力だと多種多様な論戦が行われて居るのは結構な事だが、日本衰退の根本的な原因で在る〔人口減少〕がチットモ争点と為って居ない。世界から見ても可成りお気楽過ぎるのだ。

 ● 急速に縮む日本コソ、世界中に注目される「モデル」  

 ご存じの様に今、日本の人口が凄まじい勢いで減って居る。人口のピークは2008年の約1億2,808万人で、2020年は1億2,622万人なので、13年間で約186万人減って居る。この勢いは更に増して居て、毎年、鳥取県の人口と同じ位の人口が減って行く。
 と云う事は、消費者・労働者も急減するので、日本のGDPの多くを占める内需も急激に弱って行く。会社を存続させる為低賃金が定着し、更に消費が冷え込むと云う悪循環に陥って、財政もボロボロに為って行く。国家衰退の典型的な道を歩んで居るのだ。  

 チョット前迄、SF映画等では世界の人口が増え過ぎて人類が宇宙を目指す何てストーリーが定番だったが、実は最新の研究では〔逆〕の現象が起きると言われて居る。世界の人口は2064年にピーク(約97億人)を迎えた後、減少に転じて2100年迄に日本やイタリア等先進国を中心に23カ国では人口が半減する・・・と米ワシントン大学保健指標・保健評価研究所などが予測して居るのだ。  

 何故こう為るのかと云うと、社会が少しずつ豊かに為って居るからだ。女性が教育を受ける機会が増えて社会進出が進むと、支援や法整備等が行き届か無い限り如何しても少子化が進行する。避妊等の医療も普及する。
 その証(あかし)に、人口が増えて居るアフリカでも、都市部では少子化が進行して、アフリカ日本協議会の〔高齢化に向かい始めたアフリカ社会〕に依れば、ナイロビの出生率は2.7と先進国とそれほど変わら無い。
エチオピアの首都アディスアベバの出生率は日本に匹敵する程低下して居ると云う。  

 詰まり〔人口減少〕はこれから全世界が直面する非常に大きな問題なのだ。だから〔来るべき危機〕に一早く突入して居る日本に世界が熱い視線を送って居る。

 ● シュリンコノミクス」を重視する総理候補は居るのか  

 国際通貨基金(IMF)が2020年3月に公表したレポートが、日本への注目度の高さを物語っている。

    「Shrinkonomics  Lessons from Japan」(シュリンコノミクス 日本からの教訓)  

 聞き覚えの無い言葉だろうが〔シュリンク・縮小〕と〔エコノミクス〕を合わせた造語で、人口減少や高齢化と云う国家の危機を如何乗り越えて行くのかをテーマにした〔縮小の経済学〕の事だ。もしシュリンコノミクスに依って、日本が低成長から脱して、更に人口減少にブレーキを掛ける事が出来れば、国際社会に於ける存在感は一気に高まるだろう。
 日本の遣り方を学べ・日本人のこう云う処を真似しろ・・・と世界中から人々が集い、日本の社会モデル自体が同じ問題に直面した国に「輸出」される。  

 では、それ程大きなポテンシャルを秘めて居るシュリンコノミクスを、次の日本のリーダー達はどう考えて居るのか。  
 「読売新聞オンライン」(9月17日)が4人の候補者の所見発表演説を「AIテキストマイニング」で使用頻度の高い単語や特徴的なワードを抽出して可視化した。それに依れば、河野太郎氏は「コロナ禍」「霞が関」「テレワーク」 岸田文雄氏は「守り抜く」「引き上げる」 高市早苗氏も「守り抜く」「量子コンピューター」「財政出動」で、野田聖子氏は「人口減少」「早期発見」だった。

 4人居る候補者の中で〔人口減少〕に危機意識を持って居るのは1人だけ。しかし、マスコミ各社の自民党員調査等でも野田氏は本命視されて居ない。世界では〔人口減少〕に如何臨むのかと云うのは非常に高い関心事で在り、日本から学びたいと云う意欲さえ在る。なのに、当の日本のリーダー達の口からは、自分の名を冠した経済政策は出るが「シュリンコノミクス」と云う単語すら出無い。  

 と云う話を聞くと「人口減少も問題だが、それよりも今起きて居る中国の脅威と如何向き合うかだ!」みたいな事を叫ぶ愛国心溢れる方達もいらっしゃるが、もし日本の安全保障と云うものを本当に真剣に考えて居るのなら、敵基地攻撃能力云々(うんぬん)の前に〔人口減少〕を論じ無くては行け無い。

 ● 国防も危うい!将来はシニア部隊だらけ?  

 「自衛官候補生の採用者数は14年度以降、6年連続で計画を達成して居ない。19年度の採用数は海自と空自の計画が1割程下回った。18年度には陸海空全体の採用達成率が7割に留まった」(日本経済新聞2020年11月20日)

 実は我々の生命・財産を守って呉れる自衛隊は人口減少でズッと定員割れが続いて居るのだ。それを補う為「女性自衛官登用の推進」や「採用年齢の引き上げ」更には民間企業同様に「定年退職者の再任用」を進めて居るが焼け石に水だ。日本の人口減少のペースは年を追う事にキツク為って行くからだ。  
 「多少の人員不足も、世界一優秀な自衛隊ならば対応出来る!」と云う戦時中の大本営みたいな事を仰る方も居るだろうが、現実問題としてこの人員不足が国防の〔穴〕を作って居る。  

 昨年10月、自民党の国防議員連盟が、中国や北朝鮮の脅威に備える為、新型イージス艦2隻を増備する様に岸信夫防衛相に求めたが「海自は人員不足を理由に増備に後ろ向き」(日経新聞・同上)だった。
 イージス艦はハイテク機器の集合だが、運用には1隻300人の人員が必要と為る。定員割れが続く海自で600人を行き成りイージスに充てろと云うのは現場に取って可成りご無体な要求なのだ。  

 勿論、国家と国民を守る強い使命を抱く自衛隊の皆さんはソンな弱音は絶対に吐か無い。しかし、言葉にし無くとも彼等が苦しい立場に追い込まれて居るのは「再任用された定年退職者」の扱いを見れば明らかだ。  
 日本経済新聞(19年5月20日)に依れば、17年度末で951人居た再任用自衛官の多くは、体力を考慮して総務や会計等デスクワークに就いて居た。しかし、19年からは艦船の乗務員として「復帰」させる検討がスタートして居る。言わずもがな、中国や北朝鮮の脅威が高まって居るにも関わらず、何時迄経っても定員割れして居るからだ。
 
 詰まり、今のママ〔人口減少〕と云う問題をスルーしたママ行けば、そう遠く無い未来、人員不足をカバーする為「定年退職した自衛官」が中心と為った〔シニア部隊〕が国防の最前線へ送り込まれる事も十分在り得るのだ。  
 政治家は「この美しい国を守れ!」「中国や北朝鮮に対して毅然に立ち向かう!」と格好好い事は幾らでも言えるが、慢性的な人手不足に苦しむ現場からすれば溜ったものでは無い。  
 これはブラック企業の経営者が、現場で不眠不休で働く現場の疲弊を無視して「好し!これからはDXだ!推進する新規プロジェクトを立ち上げるぞ!」何て言い出して、社員達の心をポキンと折る構図に好く似て居る。

 ● お隣・中国に取っても自国の〔人口減少〕は他人事では無い  

 更に〔人口減少〕コソが安全保障上の最大の問題だと主張する理由はもうひとつ在る。愛国心溢れる方達が〔脅威〕として捉えて居る中国が、実は喉から手が出る程欲しいのが「シュリンコノミクスの成功」だからだ。 
 今、中国共産党が最も恐れて居るのは、アメリカでも無ければ増してや日本等でも無い。少子高齢化に伴う急速な人口減少だ。  

 中国政府が21年5月に発表した第7回国勢調査結果に依ると、20年11月1日の人口は約14億1000万人。10年からの10年間の年平均増加率は0.53%だと云うが、これは〔粉飾〕だと云う指摘が多い。  
 2007年に一人っ子政策を取り上げた〔大国空巣〕を出版し、禁書扱いにされた米ウィスコンシン大学研究員の易富賢(えきとみけん)氏は・・・中国は18年から人口減少が始まって居て、実際の人口は12億8,000万人程度だと観て居る。何故1億3000万人もの〔水増し〕をしたのかと云うと〔前代未聞の政治的な激震に直面すると判断した〕(日本経済新聞21年8月26日)と分析する。  

 と云うのも、中国に於ける急速な人口減少と高齢化は「習近平体制の崩壊」を招くと言われて居るからだ。例えば、米共和党のシンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所は「China's Demographic Outlook to 2040 and Its Implications」(中国の2040年迄の人口構成の見通しとその含蓄)と云う報告書の中でこの様な厳しい未来を予測して居る。  

 「今後65歳以上の爆発的な人口増加を伴う高齢化を経験する。それは深刻な経済的逆風を齎(もたら)し『英雄的な経済成長』の時代の終わりを予感させる」(日本経済新聞21年8月8日)  その為中国は慌てて〔一人っ子政策〕を辞めて、今は夫婦1組に子供3人迄を認める方針と為った。
 しかし時既に遅しで、教育費の異常な高騰、更に女性の社会進出が進んで居る事等で、出生率はナカナカ上がら無いのが現実で、少子高齢化が急速に進んで居る。特に深刻なのが、農村部だ。事在る毎に中国共産党への不満が爆発するこのエリアは、日本の限界集落の様な閉塞感に包まれて居るのだ。

 ● 中国が欲しいのは人口減少社会を打破する為のノウハウ  

 サテ、この様に〔人口減少の脅威〕に怯(おび)えて居る中国に取って、日本と云う国は如何映るだろうか。ミサイルを撃ち込んででも占領したい国に見えるかも知れ無い。台湾有事でアメリカにクッ付いて、シャシャリ出て来る目の上のタンコブの様に思って居るかも知れ無い。
 只、それ以上に気に為るのは「人口減少と云う課題を此奴等はどう遣って解決するのだ」と云う事ではないか。実際〔中国経済の司令塔〕で在る国家発展改革委員会傘下のシンクタンク・中国国際経済交流センターの姜春力情報部長もこう言って居る。  

 「少子高齢化は、21世紀の中国で最大の問題に為ると観て居ます。50年には5億人もの中国人が高齢者に為って居るのです。それなのに、中国には未だ、介護保険すら在りません。そこで世界の先進国を調査したら、我が国が一番学ぶべきは、隣国の日本で在ると云う結論に達しました」(読売新聞19年3月12日)  

 相手が学ぶべきものを持って居ると云う事が、外交交渉で〔強み〕で在る事は言う迄も無い。中国が喉から手が出る程欲しい、知見・社会モデル構築のノウハウ等は、時にミサイルやイージス艦よりも強力な安全保障に為り得ると云う事だ。
 詰まり、これからの日本のリーダーは中国の脅威と立ち向かう為にも、シュリンコノミクスを推進しなくてはいけ無いのだ。

 ● 今こそ、子供への投資を  

 では、具体的に如何遣って「日本流シュリンコノミクス」を確立して行くのか。年金等社会保障改革等は勿論、個人的に鍵と為るのは〔子供への投資〕だと思って居る。  
 OECD Family Databaseに依れば、子供に対して社会がどれだけお金を出して居るのかと云う「家族関係社会支出」の割合が高い国で在れば在る程、子供の貧困率が下がり出生率も上がって行く傾向が在るのだ。  

 これ迄日本では50年以上「大人」にフォーカスを当てた少子化対策に取り組んで来た。女性を働き易く、男性も子育てや家事に参加しろと口酸っぱく言って来たが、出生率は全く改善して居ない。詰まり、考え方が根本的に間違えて居た可能性が在るのだ。  
 只、この「子供への投資」に関しては「人口減少」を掲げる野田氏が強く訴え、他候補者も子供への財源を倍増する事を明言する等の動きが出て居る。これは明るい兆しと云える。

 勿論、ミサイル防衛やらも重要だが、中国に攻め込まれる前に、国が滅んで居ては本末転倒だ。今の調子では後80年で日本人の数は半分に為ってしまう。次の総理は是非安全保障の観点からも〔子供への投資〕を中心としたシュリンコノミクスで、人口減少と云う「国難」に真正面から挑んで頂きたい。



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 ノンフィクションライター 窪田順生 くぼた・まさき 9-23-3 テレビ情報番組制作・週刊誌記者・新聞記者・月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら報道対策アドバイザーとしても活動 これ迄200件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う
 著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など 『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞 












 


直近の ロシアの政治と中国の経済に関して



 直近の ロシアの政治と中国の経済に関して


 その1) ロシアの政治「荒唐無稽な野党よりもプーチンの方がマシ」


 不人気なロシア与党が 総選挙で圧勝した根本理由


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 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領 2021年9月20日 ロシア・モスクワ郊外ノボオガリョボ  写真EPA時事通信フォト 9-22-4


 ■結局は過半数を大きく超えた〔与党・統一ロシア〕  

 ロシアで9月17〜19日に掛けて5年振りと為る総選挙が行われた。定数450議席の内半分を小選挙区制で、残り半分を比例代表制で選出する形式で行われた今回の総選挙では、プーチン大統領が率いる〔与党・統一ロシア〕の劣勢が支持率調査から明らかで在り、前回得た343議席をどれだけ守る事が出来るかが大きな争点と為った。

 即日開票の結果〔与党統一ロシア〕は前回から19議席を減らして324議席の獲得に留まったが、過半数で在る226議席を引き続き大幅に上回り第1党を維持した。元々ロシアの現在の選挙制度は〔与党・統一ロシア〕に有利に設計されて居り、同党は指標が多い小選挙区で225議席中198議席を得て圧倒的な強さを見せ着けた。
 反体制派は当然、今回の選挙結果に関しても不正を主張し、総選挙の遣り直しを求める等シュプレヒコールを上げるだろう。欧米社会も厳しい態度を堅持する筈だが、一方で混乱を極めるアフガニスタン情勢ではロシアの協力が不可欠な事等から、選挙不正を理由に経済制裁の強化を加える様な事は当面無いと予想される。
 
 今回の総選挙は、2024年に予定されて居る大統領選の事実上の〔試金石〕で在った。2020年の憲法改正に依ってプーチン大統領は次期の大統領選にも出馬出来る様に為ったが、プーチン大統領は後継者にその座を譲り、自らは統一ロシアの党首や下院議長に転じる等して実質的な〔院政〕を敷くと云う見方が有力視されて居る。

 ■根強い有権者のプーチン大統領に対する支持  

 プーチン大統領に対する有権者の支持には根強いものが在る。世論調査機関で在るレバダセンターの調査に依ると、プーチン大統領に対する有権者の支持率は2021年8月時点で61%と引き続き過半を維持して居る。大統領の支持者の多くが、旧ソ連末期からのロシアの社会・経済の混乱を経験した中高年齢層とされる。
 今年12月で、旧ソ連が崩壊して30年を迎える事に為る。最初の10年間、ロシア経済は極度に混乱し、最悪期には実質GDPがソ連崩壊時の6割程度迄縮小した。自殺率や犯罪率も上昇する等社会も非常に混乱したが、2000年に就任したプーチン大統領が原油高を追い風にロシア経済を急速に立て直し、社会を安定に導いた。過去の経済・社会の混乱を経験して居る世代程、プーチン大統領に対する支持は根強い。

 他方で、そうした時代を知ら無い〔改革派〕の世代も着実に増えて居る。彼等に取って安定は停滞で在り閉塞(へいそく)でも在る。2021年2月に収監された反体制指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏は、そうした改革派に取ってシンボル的な存在だ。  
 今年に入ってからも、ロシアでは首都モスクワ等で改革派を中心とする反政府デモが散発的に行われて居る。そうした改革派の声も反映されて居るのだろう、8月時点のプーチン大統領への不支持率は37%と近年で最も高い水準と為った。この様に反体制派が勢いを強めて居る事を、プーチン政権も実際の処警戒して居る。

 ■一筋縄では行か無いロシアの国民感情  

 近年、欧米からの経済制裁や原油安を受けてロシア景気は停滞が顕著で在った。それに追い打ちを掛けたのが、2020年春に生じたコロナショックだった。その後も、感染に歯止めが掛から無い事や行動制限を課される事等に依って有権者の不満が増幅されて居た。そうした中で、プーチン政権は今回の総選挙を迎えた事に為る。 
 しかしながら、総選挙で〔与党・統一ロシア〕が失った議席は限定的で在った。選挙不正の可能性も取り沙汰されて居るが、ソモソモ選挙制度が〔与党・統一ロシア〕に有利で在る事、統一ロシア以外の政党が成熟して居ない事、結局の処プーチン政権に信頼を寄せる有権者が多い事が、今回の総選挙の結果に繋がったと整理出来るだろう。  

 勿論、統一ロシアに票を入れ無かったプーチン大統領の支持者も少なからず存在した筈だ。近年、ロシアの社会は確かに安定して居るが、一方で景気の低迷で所得が増え無いばかりか、日々の消費の為に借り入れを増やした家計も少なく無い。それに、コロナ禍で生活は苦しく為った。大統領の支持者でも不満は募っただろう。
 それに旧ソ連崩壊に伴う混乱を経験して居ない若い世代程、プーチン体制に対して強い不満を抱えて居る事も又確かで在る。とは云え〔統一ロシア〕はそれ程議席を減らさ無かった。この結果は一筋縄ではいか無いロシア国民の複雑な有権者の思いを反映して居るが、これでプーチン体制が盤石かと言われるとそうは問屋が卸さ無い。  

 歴史を振り返ると、人々の不満が臨界点を超えた時に、ロシアでは大きな政治変動が起きて来た。帝政ロシアも旧ソ連も、革命と云う形で自壊して来た訳だ。自らの体制が同じ轍(てつ)を踏ま無い為には如何したら好いか。旧ソ連の秘密警察KGBの職員としてソ連崩壊を目の当たりにしたプーチン大統領が考えて居ない筈は無い。

 ■改めて明らかと為った長期政権の引き際の困難さ  

 プーチン大統領は今年10月で69歳。未だ若いとも言えるが、相応(そうおう)に高齢でも在る。一方で、プーチン大統領は後継の指導者候補を育成する事には成功して居ない。それに、旧ソ連崩壊の混乱を知ら無い若い世代は着実に増えて居る。今回の総選挙を無事に乗り越えても、権力を禅譲する迄のハードルは依然として高いと言えそうだ。
 こうした問題は、権威主義体制に特有では無いのかも知れ無い。民主主義体制でも、長期安定政権の後には権力のバトンタッチが上手く行か無いものだ。月末に控えたドイツ総選挙では、4期16年の長期政権を率いたメルケル首相が引退する予定で在るものの、与党・キリスト教民主同盟(CDU)は大敗を余儀無くされる見通しで在る。
 
 とは云え有権者の多くは、ドラスティックな変化を望んで居る訳では無い。寧ろCDUを大連立のパートナーとして支えた社会民主党(SPD)に、メルケル首相と同じ路線の継続を望んで居る。一見するとアンビバレントな現象だが、これもメルケル首相が後継のリーダーの育成に失敗した結果で在り、ドイツ政治の混迷を好く示して居る。  

 日本でも又、長期安定政権を率いた安倍前首相が退いた後、菅首相が1年で退任を余儀無くされる等、政治は揺れて居る。任期満了に伴う総選挙が11月にも予定されて居るが、日本にも変化を望む革新的な民意が在る一方で、安定を望む保守的な民意も存在する。両者の相克の末に、総選挙はどの様な結果に落ち着くのだろうか。 
 有権者の多くが消去法的な理由から現状維持を望んで居ると云う点では、ロシアもドイツも、そして日本も共通して居るのではないだろうか。

 それは有権者が保守化して居ると云うよりも、有権者の関心を引こうとするが余りに野党勢力の主張が荒唐無稽なものに為って居る事が生み出した現象で在ると言えるのかも知れ無い。



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 土田 陽介(つちだ・ようすけ) 三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員 1981年生まれ 2005年一橋大学経済学部 06年同大学院経済学研究科修了 浜銀総合研究所を経て 12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社 現在調査部にて欧州経済の分析を担当

 文章 三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員 土田 陽介




 その2) 中国経済 恒大集団が破綻寸前・・・

 最悪の場合「中国の不動産バブル崩壊」に繋がるワケ


 9-22-7.png 9/22(水) 13:00配信 9-22-7



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  中国恒大集団が破綻した場合、市場にはどの程度の影響が及ぶだろうか?(写真アフロ)9-22-8


 中国の不動産大手、中国恒大集団が破綻の危機に瀕して居る。一部からは中国発のリーマンショックを危惧する声も聞かれるが、仮に同社が破綻した場合、市場にはどの程度の影響が及ぶだろうか。

 ●日本企業とは規模がまるで異なる  

 恒大は中国の不動産最大手の1社で、住宅やマンションの開発を手がける典型的なデベロッパーである。積極経営で知られて居り、近年はサッカークラブ経営等不動産開発以外のビジネスも手掛けて居る。恒大は1996年創業の比較的新しい企業では在るが、日本で言えば三菱地所・三井不動産・住友不動産の様な位置付けと考えて良い。  
 只中国の場合、日本と比較するとGDP(国内総生産)の規模が大きい為、同じ大手と言っても企業規模は日本よりも遥かに大きい。同社の2020年12月時点に於ける総資産額は約39兆円・売上高は8.6兆円と為って居る。
日本に於ける売上高トップの三井不動産は総資産が7兆円・売上高は約2兆円なので、4〜5倍の規模が在る。

 同社に限らず、中国の不動産会社は近年の高成長に歩調を合わせて急成長して居る事から借入れへ依存度が高い。恒大の総負債額は33兆円を超えて居り自己資本比率は15%で在る。三井不動産の自己資本比率は33%なので、両社を比較すれば恒大のリスクが大きい事は明らかである。他の大手不動産企業も日本や欧米と比較すると自己資本が薄く、全般として脆弱な体質で在る事は間違い無い。

 最も三井不動産も、経済成長率が高かった1960年代は借入れ依存度が高く、自己資本比率は20%を切って居たので、中国企業の現状がそのママ危険と云う事には為ら無い。只恒大の場合、各社の中でも財務体質が特に弱いと指摘されて居り、中国政府が昨年示した財務改善の指標(資産に対する負債の比率、資本と負債の比率、有利子負債と現預金の比率など)を満たす事が出来無かった。
 加えて中国政府は不動産バブルを抑制する為、銀行に対して不動産企業への融資上限を設定する様求めて居り、不動産企業の資金調達環境が悪化して居る。この為特に同社に対する破綻懸念が高まって居る状況だ。
不動産に対する融資制限や取引規制の実施は下手をするとバブル崩壊の引き金を引く可能性が在る。

 1980年代に発生した日本の不動産バブルでは、政府による土地の総量規制がバブル崩壊の切っ掛けと為った。中国政府は日本のバブル経済を詳しく研究して居り、日本の様な形に為らずにバブルを処理しようと懸命に為って居る。
 数年前から当局は有形無形で不動産市場の引き締めを行って居るが、市場の過熱が著しく余り効果を上げる事が出来無かった。今回は強めの引き締め策を実施して居り、これに依って何とかソフトランディングしたいと云うのが中国政府の本音だろう。

 ●基本的には中国国内の問題だが・・・  

 今回の経営破綻懸念が中国経済に及ぼす影響に付いては、同社がどの様な形で資金繰りの目処を付けるのか(或いは付けられずに破綻するのか)に依って変わって来る。同社の株価は、1年前には20香港ドル近い水準だったが、今年に入ってから下落が続いて居り、現時点では約2ドルと為って居る。1年で10分の1の水準だが、現時点では100%破綻を織り込んだ金額には為って居ない。  
 先程も説明した様に負債額は33兆円と極めて大きいが、低金利で資金を調達出来て居るので年間の利払い額は1,000億円以下に留まって居る。今月には相次いで社債の利払い期限を迎えるが、これに付いて同社は、利払いを実施すると表明して居る。

 目下最大のリスクは社債の償還で在る。同社が抱える有利子負債は約10兆円(6月時点)だが、この内約40%が1年以内に償還期限を迎えるとされる。社債の償還は金額が大きいので、償還資金の目処が付か無く為ると破綻に向けて一直線と為ってしまう。この場合には不動産市場全般への影響は避けられ無い。

 ●最悪の事態を回避する方法とは?  

 同社では、保有する実物不動産を用いて現物償還すると云った方法を提案して居るが、債権者が納得するのかは現時点では不明だ。最も中国市場は意外と柔軟なので、債権者も社債等が紙くずに為る可能性を考えた場合、実物不動産を確保した方が良いと考える事は十分に在るだろう。
 仮に実物不動産による償還の目処が立てば最悪の事態は回避出来るかも知れ無い。加えて中国市場はグローバル化が進んで居ない事から、中国企業の多くは国内の銀行や投資家から資金を調達して居る。

 債権者の多くは国内なので、仮に恒大が破綻して他の不動産会社に波及する様な事が在っても、グローバル市場が直接、大きな影響を受けるとは考え難い。詰まり、今回の破綻懸念は基本的に中国の国内問題と考えて好く、中国のバブル崩壊に付いて日本側が過度に懸念する必要は無い。
 只恒大が現実に破綻し、他の企業にも影響が及ぶ事に為れば、中国の国内消費が一気に冷え込む可能性は高く、中国の消費市場をアテにして居る日本企業に取っては厳しい展開と為るかも知れ無い。

 不動産バブルが崩壊したら・・・中国政府はどう対応するのか?  

 仮に中国の不動産バブルが崩壊した場合、金融市場にはそれ為りの影響が及ぶと考えられるが、中国はどの様に対応する積りなのだろうか。  
 現時点に於いて中国政府はハードランディングと云う形で不動産バブルを処理する意向は無いと言われる。元々中国市場は透明性が低く、中国国内から見てもそれは同様で在り、政権幹部ですら中国の不動産市場や金融市場の全貌を把握するのは難しいと言われる。

 欧米各国の場合、市場の透明性が確保され無い事は不安心理を増大させる要因と為る為、犠牲を払っても全ての不良債権を顕在化させた方が中長期的にはダメージが少ないと云う考え方が在る。だが、中国の場合、元々投資家や債権者は欧米各国の様な透明性を求めて居らず、不良債権を全て明らかにする事に付いても、それ程大きなメリットは無い。
 加えて、中国経済に於ける最大の懸念材料だった銀行以外のルートを経由した資金の貸付け(所謂シャドーバンキング)は規模が大幅に縮小して居る。背景には当局に依る非公式の指導が影響して居ると考えられ、融資の多くは見え無い形では無く、銀行に依る公式な貸付けにシフトして居る状況だ。

 仮に融資の多くを銀行にシフト出来れば、当局に依る管理は容易に為るだろう。中国当局としては、破綻させる企業は破綻させるものの、金融システム全体に影響が及ば無い様、金融機関に対する支援を強化すると云うシナリオを想定して居ると考えられる。
 最も避けたいのは、あらゆる金融機関が大量の不良債権を抱え、その後の経済再生に大きな支障を来した日本のパターンで在る。その点に於いては、恒大が破綻するのかどうかと云う事よりも、それに伴って中国当局が金融機関に対してどの様なスタンスで望むのかと云う部分がより重要と為る。

 現時点では、同社の破綻懸念が最も大きな関心事だが、マクロ的に見た場合、今回の一件は、中国が本格的にバブル処理に乗り出す入り口と考えた方が良いだろう。



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                経済評論家 加谷珪一 9-23-1

 1969年宮城県仙台市生まれ 東北大学工学部原子核工学科卒業後 日経BP社に記者として入社 野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ企業評価や投資業務を担当 独立後は中央省庁や政府系金融機関等対するコンサルティング業務に従事 現在は経済・金融・ビジネス・IT等多方面の分野で執筆活動を行って居る
 著書に『貧乏国ニッポン』(幻冬舎新書) 『億万長者への道は経済学に書いてある』(クロスメディア・パブリッシング) 『感じる経済学』(SBクリエイティブ) 『ポスト新産業革命』(CCCメディアハウス) 『教養として身につけたい戦争と経済の本質』(総合法令出版)等が在る


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 〜管理人のひとこと〜

 コロナ下の昨今、海外の普通の日常風景の様子が余り届いて居ない感じがする。困難な状況下そんな事に興味が向か無い事もあるが、海外ニュースと云えば全てアフガニスタンの混乱の様子に塗り潰されてしまった様だ。そんな中、ロシアの選挙と中国の経済の問題を取り上げた。
 巨大な中国経済の中で一つの陰り・・・として中国・恒大集団の信用不安で我が国の株式も売られ600円の値下がりと為った。中国の経済も刻々と変化し、以前は金融機関以外からの資金が大量に市場に出回って居た〔地下銀行〕が大幅に縮小されて居るとの事で透明性が高く為ってる様だ。コロナ下で世界経済が急激に縮小されて居る中、唯一元気な中国に経済不安が発生すると、この様に世界へと飛び火する。中国の動向がより以上敏感に作用する。
 そして、ロシアのプーチン大統領で在る。彼の次の人材が育って居ないとの事だが、それは世界に共通する様で、次の人材が定まって居ない国が多い。しかし、この状況は、既定路線から外れる新たな勢力が生まれる事でも在り変化をもたらす結果とも為る。それにしても何時迄燻って居るのか、私にはロシアの近況が理解出来ない。それはロシアからのニュースが極端に少ない事にも在るのでは無かろうか・・・










 
 


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