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2021年08月28日

須田亜香里(SKE48)が 30歳を前に人生イチの売れっ子状態 



  須田亜香里(SKE48)が 30歳を前に人生イチの売れっ子状態 

 「理想より生身の自分で向き合います」



  斉藤貴志 芸能ライター 編集者 8/28(土) 12:45



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                撮影 松下茜 須田亜香里 8-28-2


 最近テレビでより見掛ける様に為ったSKE48の須田亜香里。松井珠理奈が卒業したグループの新曲では12歳の林美澪がセンターに抜擢され、その隣りと云うポジションを務める。〔ブスでも神7〕と劣等感をバネに躍進して来て12年。10月には30歳を迎える彼女が、アイドルとしてタレントとして、又1人の女性として見据えて居るものを聞いた。


 仕事に還元出来る事以外は無意味だと思ってました

 ・・・相変わらず色々なテレビに出演されつつ、SKE48の活動もして居て、休みは在るんですか?

 須田亜香里(以後省略) 基本無いですね。でも今、コロナ禍でお仕事するのが如何に難しいか実感して居ますし、ロケ系の番組は出来無無い事も多くて。その中で、割とお仕事が在るのはメチャメチャ有難いです。只、忙しいからこそ何もしない時間が必要だと考えられる様に為って、私も大人に為ったなと思います(笑)

 ・・・前は息抜きもし無かったとか?
 
 息抜きはしないのが当たり前でした。それが必要かなと最近思える様に為って、何もし無い事が今凄く楽しいです。家に帰ったら、音楽もテレビも点けずにゴロゴロして居たり、只洗濯機を回したりして居て。そう云う時間が幸せです。

 ・・・以前、同期だった木アゆりあさんが亜香里さんに付いて「努力して無い処を見た事が無い」と言ってました。前は空いた時間が在れば、自分を高める何かをせずには居られ無かったんですか?
 
 そうですね。仕事に還元出出来る事以外は無意味だと思っていました。でも、中日新聞さんでコラムを書かせて貰って3年に為りますけど、アア云うのって、何もしない時間が無いと書け無いんですよ。仕事だけして居るとネタが浮かば無い。余白の時間が在った方がスラッと書けます。それで「又仕事を頑張ろう」と為るので、今はリフレッシュの仕方を練習中です。


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         中学の頃に流行ったポーズを未だ遣ってます(笑) 8-28-3


 ・・・今は亜香里さんの中で、SKE48でのアイドル活動と個人でのタレント活動は、どんな比重なんですか?

 全部が私なんです。前はSKE48がベースで、アイドルの須田亜香里が他の事に挑戦させて貰う感じでしたけど、最近はベースが只の須田亜香里で、アイドルも他の事も私の引き出しのひとつ。1人の人間として、自分の出し方が判って来た気がします。

 ・・・物理的な仕事量も今は半々位ですか?

 そうですね。最近はSKE48のツアーが在ったり、劇場公演もコンスタントに出させて貰って、アイドル活動と個人の仕事を好いバランスで遣らせて頂いてます。

 ・・・SKE48のニューシングル〔あの頃の君を見つけた〕は、亜香里さんに取っては20代最後のシングルに為りそうです。

 多分そう為りますね。キラッキラの王道アイドルソングで、ダンスもメチャクチャ可愛いんです。サビには、私が中学生の頃に流行った両手裏ピースみたいな振りが出て来て。29歳で周りが結婚や出産をして居る中で、私は中学生の時に遣って居たポーズを未だ遣って居るぞと。
 同級生に見られたら凄く恥ずかしいです(笑) でも、未だ青春の真っ只中に居られるのは、アイドルを遣って居る特権かな。此処から出たらもう後戻りは出来無くて、ズッとSKE48に居させて貰って居るから出来る事。だから、年相応で無いポーズも「遣っちゃえ! 青春を続けちゃえ!」と楽しんで居ます(笑)


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      〔あの頃の君を見つけた〕MVより (C)2021 Zest, Inc. /AEI 8-28-4


 肌ピチピチの12歳と同じ画面に映るのはキツくて(笑)

 ・・・今回のシングルは12歳の林美澪さんがセンター。亜香里さんはその隣りと云うポジションに為りました。

 美澪の保護者の様なポジションです(笑) 私は前々回のシングルで夢だったセンターを遣らせて頂いて、グループの中で望むものは意外ともう無いんです。SKE48の為に自分が何か出来るなら有難いと思って居て。何処に居てもファンの方は見て呉れるし、ポジションは本当にどうでも良かったんです。でも、センターの隣りは「好いのかな?」と思いました。

 ・・・美澪さんが逸材とは云え研究生で経験値は少ない分、亜香里さんのサポートが必要とされたのでは?

 新しいSKE48を見せようと云う事で、美澪がセンターに為ったと思いますけど、2009年生まれと云うと、私がSKE48に入った年なんですよ(笑) 自分が産む事も出事た位の年齢の子の横に立って、支える為に割り当てられたポジションでしょうね。
 美澪が輝ける様に、プレッシャーに押し潰され無い様に見守りながら、グループが良く為る為に何か残せたらと思って居ます。只、肌年齢は凄く気に為りますね(笑) 隣りがピチピチだから、どう頑張っても対比が見えてしまう。余り同じ画面に映りたく無いです(笑) 

 ・・・美澪さんは年齢の割りには、確りして大人びて居る様ですが。

 物凄く確りして居るし努力家だし、自分が今何をするべきかを客観的に見て居る子です。私は尊敬して居ます。

 ・・・世代のギャップは感じませんか?

 「学校で何が流行って居るの?」と云う話は好く判らな無かったりします(笑) アニメが流行って居るみたいで〔鬼滅の刃〕とか〔僕のヒーローアカデミア〕とか日本でも世界でも知られて居る作品の話をして呉れるので私は「へーっ」と聞いているだけ。
 美澪はアニメの話をして居ると凄く楽しそうなんですね。確りした部分も子供な部分も在るので、気を張り過ぎ無い様にさせて挙げたくて。頑張り過ぎ無いで自然体で好いんだよ。失敗したら助けるから、伸び伸び遣って御覧。そう云う事を云って挙げて居ます。

 可愛く見せるスキルは12年磨いたので

 ・・・パフォーマンスに関しては「未だ10代に負け無い」と云う気持ちも無いですか?

 元気さでは12歳に負けますけど(笑) 私も12年アイドルを遣って来て、可愛く見せるスキルや〔これぞアイドル〕思って貰えるパフォーマンスでは頑張ろうと思って居ます。

 ・・・ポジションは別にしても、亜香里さん自身、まだまだアイドルとして極めたい事も事も在りますか?

 もう少し歌を楽しもうと思って居ます。元々歌には凄く苦手意識が在って。SKEに入る前の高1の時、学校の合唱コンクールの練習をしていたら「誰か凄く音程を外して居る」みたいに為って。クラスメイト達が「直して挙げなきゃ」と音程を外して居る子を探し始めて、結果私だったんです(笑) 
 皆が一生懸命教えて呉れても好く判ら無くて、私は音痴なんだと発覚しました。結構ショックで、次の年は歌いたく無くて、指揮者を遣りました(笑) それ位歌はコンプレックスだったんです。

 ・・・でも、今はプロのアイドルになりました。

 大分練習して、音程も判る様に為りました。遣り残して居居る事を考えると、後輩達のソロコンサートがズッと羨ましかったんです。私もどんな小さな会場でも好いから、ファンの方の前で1人で歌ってみたいです。

 ・・・今まで遣った事は無いんでしたっけ?

 ソロ曲はアルバムで頂きましたけど、ソロコンサートはドンドン後輩に先を越されて来ました。SKE48を辞めたら多分一生出来ないので、アイドルに為って歌に触れて来た集大成に出来たら。


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             1人1人がどう伸びそうか判ります 8-28-5


 ・・・〔あの頃の君を見つけた〕の様な王道アイドルソングは、亜香里さんの好みとしてはどうなんですか?

 私には眩し過ぎます(笑) でも、ザ・SKE48だなと思います。松井珠理奈ちゃんに高柳明音さんと、ズッと引っ張って呉れた先輩が卒業して、新生SKE48と言われても、どう新しくしないといけ無いのか不安も在ったんです。
 でも、今回頂いたこの曲が〔パレオはエメラルド〕とかに通じる様な、爽やかな夏歌の王道だったので。汗を掻いてガムシャラに笑顔と云う、今迄のSKEらしさで好いんだと感じました。

 ・・・新生SKE48での自分の役割は、どう捉えて居ますか?

 今迄の事を押し付けるので無く、臨機応変に今の子に合った輝き方が出来る様にして挙げたいです。沢山の先輩や後輩と接して来て、私は女の子の中で群れるタイプで無かった分、メンバーを一歩引いて見る事が多かったんですね。
 だから「この子はこうしたら、もっと伸び伸び出来る」と云うのは、人より判るみたいです。「この子は今苦しそう」とか気付けたりもするので、そう云う云う時に動けたら、ズッと居させて貰って居る意味が在るのかなと。今回の美澪に限らず、保護者みたいな感じでSKE48に何か残せたらと思います。


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            モチベーションを保つのは簡単では無くて 8-28-6


 ・・・「卒業するなら、又握手会をしてから」と発言されて居ましたが、今迄チラッとでも、卒業を考えたことは在りませんか?

 ズッと考えて居ます(笑) でも、タイミングが判ら無くて。最初に卒業を意識したのは、選抜総選挙で18位にランクダウンした時でした。

 ・・・2015年ですね。

 その時は本当に子供っポイ理由で「結果が出る筈と思って来た遣り方でダメだったから、この場所は私には合わ無い」と辞めたく為ったんですけど、それは違うなと考え直しました。理想の自分を追い求めるだけで無く、生身の自分を見つめ直してアイドル界・芸能界と向き合う様にしたんです。素直に自分を曝け出したら、沢山の方に伝わって好い結果を頂ける様に為ったのかなと思ってます。

 ・・・総選挙でも、翌年から又7位・6位・2位と上昇して、タレント活動も軌道に乗って行きましたが、その中でも卒業を考えることは在ったと?

 「30歳まで遣ってよ」と冗談交じりで言われても、一寸怒ってましたから(笑) 愛の在る言葉だと判るんです。でも、アイドル活動は楽しいけど厳しくて、ズッとモチベーションを保つのは簡単では無くて。一方で、一部の方に「早く辞めろ。お前らが居るから若手が前に出られ無いんだ」と言われたりして傷着いた時期も在りました。だから、30歳迄遣る積りは無かったんですけど、今は「選抜おめでとう」と言って貰えて嬉しいので、未だアイドルを続けて居ます。

 ・・・それで良かったと思います。

 全ては縁とタイミングだと思うので、もしかしたら急に「明日辞めます」と言うかも知れません(笑) それ位、悔いの無い様に遣って居ます。でも、終わりが何処に在るのか全く判りません。理想の卒業を想像しても「違うな」とまとまら無いので、イメージ出来無いと云う事は未だなんでしょうね。


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           毎日が必死で3日以上先のことはわかりません 8-28-7


 ・・・今更ですが、亜香里さんも元々は王道アイドルを目指して居たんですよね?
 
 目指していました。只一生懸命遣って居たら、こう為りました(笑)

 ・・・4年前に出版された著書〔コンプレックス力〕では「チャンスを掴むには挨拶から」等、逆境から這い上がる為の様々な取り組みが書かれて居居ました。今は何か、特に努力して居る事は在りますか?

 今は本当に1日1日の仕事をチャンとする事しか考えて居ません。多分、私史上で一番忙しくさせて貰って居て。アイドル、バラエティ、コメンテーター、コラムと、毎日色々な筋肉を使う事に未だ慣れて無くて。
 コラムの締切が来て1週間経ったのを実感する生活で、1日1日を生きるので精一杯。3日以上、先の事は判りません(笑) 充実してますけど、何を頑張って居るかと云えば「須田さんにお願いして良かった」と思われる仕事を確実にする事で必死です。「是非須田さんで」と言われたら嬉しくて、何でも遣っちゃうので(笑)

 ・・・ツイッターで「春から2キロ落としたのに未だ太ってる様に見える」と書いて居ましたが、シェイプアップには気を配って居るんですか?

 凄く気をつかいます。体型だけは昔から誉められて来ました。テレビだと顔しか見え無くて、衣装もロングスカートが多いので、余り知られて無いと思いますけど。年を重ねる毎に代謝は悪く為るから、神経質に為っちゃいますね。見た目で自信を持てる部分が無く為ってしまうのは焦ります。

 ・・・そのツイッターでは「これ以上を求めると心身の健康が損なわれる」とも在りました。

 本当に難しいです。私の丸い顔が細く見える様にするには、やつれる位で無いとダメなんですよ。でも、やつれても心のバランスが崩れてしまうし、ストレスを抱えたくも無い。人前に立つ自分を保つ難しさには、日々葛藤して居ます。


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        価値観を変えるものは恋愛しか無いと思います 8-28-8


 ・・・イチ女性としての、30代からの長期の人生展望は在りますか?

 無いかも知れません。アイドル活動で沢山の刺激、衝撃を受けて成長させて貰って、これ迄以上に自分の価値観を変えるものと云えば、多分恋愛しか無いんです。でも、ソコは想像出来無くて。

 ・・・同い年の柏木由紀さんが言ってましたけど〔アイドルでも30代は婚活OK〕とかに為ったら好いとは思います?

 私のファンの方は「あかりんに幸せに為ってもら為って貰いたいから恋愛はして欲しい」と言って呉れて、涙チョチョ切れそうに為ります。でも、アイドルファン全体では、そう云うのを望ま無い風潮が強いし「後輩に示しが着か無い」と言われたら、確かに私も「12年間積み重ねて来たものは何だったんだろう?」と思います。未だ恋愛が許される感じはし無いですね。

 ・・・そう云う現状は在るにせよ、恋愛で価値観を変えたい気持ちは在るんですか?

 その願望は凄く在ります。で無いと、アイドルから先の人生が見え無いので(笑) 自分の知ら無い感情だから、恋愛のお芝居をさせて貰っても、何処かリアルで無かったりもします。アイドルだから恋愛し無くて好い環境に甘えて居る部分も在ると思いますけど、卒業迄は保留と云う感じですね。余程好きな人が出来てしまったらその時に考えます(笑)

 ・・・恋愛相手の理想像は在りますか?

 何だろう? 今は安心したいです。何時も時間に追われて、1人でアワアワして居るので、落ち着きたくて。時間の流れが速いとも遅いとも感じ無い様な、安定した人が好いかも知れません。


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           言葉がハッキリ伝わる歌い方を研究してました 8-28-9


 ・・・〔あの頃の君を見つけた〕は想いを伝えられ無かった恋を思い出して居る歌ですが、そう云う経験も無かった訳ですか?

 無いですね。中学・高校と女子校でSKE48に入ったので。通学路で私を見て呉れて居た人は居るかも知れませんけど(笑) 学生時代の甘酸っぱい恋みたいな世界観は私には凄く新鮮です。アイドルの曲に好く在って、SKEでも多いですけど、少女マンガかアニメかドラマの様な架空の世界に感じます。

 ・・・歌って居る時は感情が入りつつ?

 中立ですね。懐かしんで居る側でも学生側でも無く、この世界を伝える表現者として歌って居る感じです。

 ・・・歌う上で技術的に必要な事も在りました?

 サビが苦しかったです。サビのラストの<永遠に好きだ>が、言葉が終わった後も〔ダ・・・・〕と息が凄く長くて。最後の最後<あの通学路>の後の〔アーア・・・・〕もそう。レコーディングでは長く伸ばすコツを教えて貰いながら何テイクも重ねました。

 ・・・とは云え、12年遣って居るとその場でクリア出来て?

 何だかんだ出来るのは、ズッとアイドルを遣っ遣って来たからだなと思います。レコーディングをして、誉められる事が増えました。前は「ハイ、OKです」みたいにアッサリ終わる事が多かったんですけど、最近は「好いよー! 凄い!」とか言われる事が増えて嬉しいです。

 ・・・具体的には、ドンな事を誉められるんですか?

 「今のアクセントは良かった」とか抑揚の付け方で誉められると、経験が活きて居るかなと思います。私は声質に自信が無かった分、言葉を粒立ててハッキリ歌って感情を乗せる事が大事だと学んだので。上手くは無いからこそ言葉が伝わる歌い方を研究して来ました。

 ・・・苦手だったと云う歌でも、そう云う努力をして来たんですね。

 自分の出出来る事をした感じです。


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            後輩にパンストの被り方はレクチャーします(笑) 8-28-10


 ・・・今回のMVは沖縄で撮影したんですね。

 楽しかったです。ナガンヌ島と云う(2015年発売の)〔前のめり〕のMVも撮影した無人島に行って「帰って来られた」と云う喜びも在りました。当時も居た3〜4人のメンバーで「懐かしいね」と言いながら、後輩達には「此処であのシーンを撮ったんだよ」と云う話もして「そうなんですか!」と喜んで呉れるのも嬉しかったです。

 ・・・気持ち良さそうな風景でした。

 今は外の空気を吸えるだけでも楽しい気持ちに為りますけど、本当に自然が豊かで。ヤドカリをメンバーの手に乗せたりして遊んでました。キャーキャー言う子も居て、私も普段は虫とか得意では無いですけど、非日常の空間に行くと何でも触われちゃうんです。ナマコを持って行ってメンバーを驚かせたり(笑) そう云う事をして居る時間も楽しかったです。

 ・・・後輩とのコミュニケーションも取りつつ?

 今ま出で一番、取れて居ると思います。

 ・・・亜香里さんみたいにバラエティも遣りたいとか、相談を受けたりもします?
 
 私は好く過激な事をして居るので、アレを遣りたいとは居われません(笑) 偶にパンストを被る事になったメンバーが居ると、遣るからにはどんなリアクションをして、カメラにはドンな角度で映ると好いとか、激辛を食べるメンバーには「顔を下げ無いで」とかレクチャーはします。完全に私のお節介ですけど(笑)


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        自分は「未だ居たんだ」と言われる位で好いです 8-28-11


 ・・・最年長メンバーとして、今後のSKE48はどう為って行くと思いますか?

 誰でもセンターに立てるチャンスは広がったと思います。これ迄だと、先輩が居るのに「自分がセンターに立ちたい」何て言うのは、多分凄く勇気が必要だったんです。でも、今なら誰が立っても面白いし、メンバーが夫々魅力的だし。だから、皆にアイドルを楽しんで欲しいと云うのが私の願いです。

 ・・・それがグループ全体を活性化させるのかも知れませんね。

 ファンの方に魅力が伝わり切って居ないメンバーも居ますし、ファンの方以外にも「SKE48に面白い子が居るね」と言って貰える様に、夫々の活動を広げて貰えたら好いですね。皆趣味のジャンルも色々なので、1人1人が個性を伸ばして、別々の入り口で胸を張って呉れたら嬉しいです。

 ・・・グループの顔として、亜香里さんの役割も大きく為りそうです。

 嫌、私が顔で無いSKE48に為って欲しいです「須田亜香里って未だ居たんだ」と言われる位で好いなと思って居るので(笑)



 撮影 松下茜

 須田亜香里(すだ・あかり)1991年10月31日生まれ 愛知県出身 2009年にSKE48の3期生オーディションに合格 2010年11月発売の4thシングル『1!2!3!4! ヨロシク!』から選抜メンバー入りを続けて2020年1月発売の26thシングル『ソーユートコあるよね?』で初のセンター
 個人で『ドデスカ!』(メ〜テレ)『スイッチ』(東海テレビ)にレギュラー出演中『バイキングMORE』(フジテレビ)『サンデージャポン』(TBS系)『痛快TV スカッとジャパン』(フジテレビ系)等に出演 


〔あの頃の君を見つけた〕9月1日発売 Type-A~C(CD+DVD) 1750円(税込)劇場版(CD) 1150円(税込)



 〜管理人のひとこと〜

 一言で彼女を表すなら〔油の乗って来た・・・〕と形容したい〔タレント〕である。出過ぎず周囲に埋没もせず必ず存在感をキラキラと主張する・・・その様な控え目な個性が輝いて居る。恐らく彼女の全ての経験が、視聴者に好意的に受け取られる様な雰囲気を醸し出すのだ。その証拠に後に残る残像が清々しい・・・何を隠そう私も彼女の隠れファンである。親父泣かせ・祖父泣かせ的な小悪魔的な色気も感じさせる。
 見た目は確りした大人なのだが、何処かで処女の様な危うさを感じさせる・・・とても貴重な個性なので需要も益々増える事だろう。何かの拍子で恋愛に走り「アッと言う間に結婚!」と為る様な意外性も持った魅力的な存在だ。他人への観察・思いやりも強いので、パートナーとの良好な距離感を取るのに長けた関係を続けるだろう。恐らく子供は二人以上は・・・























2021年08月27日

矢野 義昭・徹底解説 アフガニスタンの歴史と政権崩壊の理由 今後の展開



 矢野 義昭・徹底解説 アフガニスタンの歴史と政権崩壊の理由 今後の展開


 8-27-1.png 8/27(金) 6:01配信 8-27-1



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      カブール空港を飛び立つ輸送機(8月24日撮影 写真:Abaca/アフロ)8-27-2


 〜約3カ月間はタリバンの攻撃に持ち応えると観られて居た。処が、アフガン政府軍を主体とするアフガン治安維持部隊は、タリバンの急進撃の前に8月15日にカブール占領を許し、アフガン政府のアシュラフ・ガニー大統領は国外に逃亡、アフガン政権は崩壊した。
 アフガン全土には、約1.5万人の米国人と約5万人の米軍に対するアフガン人協力者及びアフガンの国際治安支援部隊に軍等を派遣して居た英・独・仏初め各国の外国人が取り残された。  

 カブール空港周辺のタリバン部隊は空港への検問所を支配し、空港内に入り国外に脱出しようとする多数のアフガン人と外国人を追い返して居る。空港周辺では混乱が生じ、8月23日にはアフガンの首都のカブール空港でアフガン治安部隊と正体不明の武装勢力の間に銃撃戦が発生したと報じられて居る。何故この様な事態に至ったのか、その影響はどう為るのかに付いて、現在判明して居る諸状況から考察する〜



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 矢野 義昭 8-27-6 プロフィール Yoshiaki Yano 昭和25(1950)年 大阪生 昭和40(1965)年 大阪市立堀江中学校卒 昭和43(1968)年 大阪府立大手前高校卒 昭和47(1972)年京都大学工学部機械工学科卒 同年同文学部中国哲学史科に学士入学 同昭和49(1974)年卒 同年4月 久留米陸上自衛隊幹部候補生学校に入校 以降普通科(歩兵)幹部として勤務 美幌第6普通科連隊長兼美幌駐屯地司令 兵庫地方連絡部長(現兵庫地方連絡本部長) 第一師団副師団長兼練馬駐屯地司令等を歴任 平成18(2006)年 小平学校副校長を以て退官(陸将補) 
 核・ミサイル問題・対テロ・情報戦等に付いて在職間から研究 拓殖大学客員教授 日本経済大学大学院特任教授 岐阜女子大学客員教授
 著書『核の脅威と無防備国家日本』(光人社) 『日本はすでに北朝鮮核ミサイル200基の射程下にある』(光人社) 『あるべき日本の国防体制』(内外出版) 『日本の領土があぶない』(ぎょうせい)その他論文多数




 ■ 統治困難な「帝国の墓場」アフガン

 
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          ユーラシア大陸の戦略要域 アフガニスタン 8-27-3


 アフガンは〔帝国の墓場〕とも言われる。古来、アレキサンダー大王・モンゴル帝国・チムール大王・大英帝国・ソ連等が介入し、長期の武装抵抗に悩まされ結局撤退を余儀無くされたと云う歴史がある。今回は米国がその轍を踏んでしまった。  
 アフガンは〔ユーラシア大陸のハートランドとも言える戦略要域〕でも在る。世界の屋根と言われるパミール高原から西に流れるヒンズークシ山脈により南北に分断された、内陸の山岳国家で在るが、その部族と宗派は複雑に入り組み部族間の争いが絶え無い。


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              アフガニスタン詳細図 8-27-4


 外敵が侵略して来れば果敢なゲリラ戦を執拗に続け追い出す頑強さを持つ半面、外敵が撤退すると〔部族間の武力闘争〕が起きるのが常である。
 
 元々交通の要衝に在るものの、道路網は限られ国土の大半は高度数千メートルの山岳地帯で在る。その面積は約65.2万平方キロメートルと、日本の約2倍の比較的広大な国土面積を占めて居る。人口約3.890万人の民族構成は極めて複雑である。最大数を占めるのは〔パシュトゥン人〕で在る。彼等は、パキスタン北西部のペシャワール等を中心とする地域にも居住する民族だが、英国の恣意的な国境線の線引きにより2つの国に分断されてしまった。  

 他方のヒンズークシ山脈以北の北部は、トルクメニスタン・タジキスタン・ウズベキスタン等のトルコ系の諸国と国境を接しこれ等の諸民族が居住して居る。これ等の部族は同一国家で在りながら、パシュトゥン人とは対立関係に在り、国家統一を困難にする一因に為って居る。

 この様な纏(まと)まりの無い多民族国家として誕生した背景には〔英露両帝国に依る緩衝地帯〕としての国境線画定と云う歴史がある。19世紀に大英帝国とロシア帝国は〔グレート・ゲーム〕と言われる覇権争いを、イランからチベット等清国周辺領土に及ぶユーラシア大陸全域で繰り広げた。その覇権争いの焦点の一つがアフガンだったが、英露は直接陸地国境を接するのを避ける為〔アフガンを緩衝地帯とする〕事で妥協した。  

 実質的には、大英帝国の〔保護国〕では在ったが王政は残された。しかしその際に、ヒンズークシ山脈が中央を走る不自然な国境の線引きを地元住民の意向や民族分布の実態を無視して英露両国に依り一方的にされてしまった。  
 〔ワハン回廊〕と呼ばれる東西約200キロの細長い地形が東に伸びて、中国領の新疆ウイグル自治区と接して居る。これも英露が直接国境を接するのを避ける緩衝地帯とする為に引かれた国境線で在り、且つ清国の力が衰えて居た事も在り、中国とアフガンの国境は極力狭められる事に為った結果である。  

 又アフガン西部は、歴史的にペルシアの影響下に在った為にイスラム少数派のシーア派が浸透して居り、他の地域の多数派のスンニ派とは対立関係に在る。しかも、モンゴル帝国やチムール支配の末裔で在る〔モンゴル系のハザラ族〕が東部から中部山岳地帯に居住して居り、彼等はシーア派でも在りアフガンを3分する勢力の一角を為して居る。  
 アフガン南部では、パキスタン南西部・イラン南東部と共に〔バルチスタン解放軍〕〔バルチスタン独立〕を目指し武装闘争を展開して居る。  

 アフガンは地形的にも民族・宗教の面から見ても、相対立する部族が高度数千メートルの険峻な山岳地帯に割拠する状況に在り、統一した統治は極めて困難な地政学的環境に置かれて居る。サービス産業・農業・建設業・鉱業・採石業等の産業が在るとされて居るが、1人当たりGDP(国内総生産)は530ドルに過ぎず〔世界最貧国の一つ〕でもある。
 但し、世界的な〔金・銅・レアアース・鉄鉱石・リチウム・ウラン等〕の鉱物資源に恵まれて居り、その価値は1兆ドル以上に相当するとも観られて居る。  

 世界のレアアース市場の約7割を占める中国に取り、アフガンの鉱物資源支配はその独占体制を確固としたものにすると共に、電気自動車用電池・その他の先端産業・軍需用に不可欠なレアアースやリチウム等は極めて魅力の在る資源と言えよう。

 ■ この様な事態を招いた大統領の責任  

 カブールがこの様に早く陥落した背景には何が在ったのか? 軍事的に観れば、以下の様な要因が考えられる。  

 1つ目は、撤退時期を政治的思惑から明示してしまった事である。

 後退作戦は最も困難な作戦である。後退作戦には企図を秘匿して隠密裏に行う場合と、企図を見破られ敵の追随して来る中で力に依り敵の圧力を支えながら、安全の確保された収容部隊に撤退部隊を収容すると云う2通りの方式が在る。今回の撤退作戦は後者の場合で在るが、それでも後退の意図は出来る限り秘匿して置く事が望ましい。  
 政治的判断が先行して、何時迄に全面撤退すると云った声明を出すのは戦理的には不合理で在り、現地の部隊や協力者を危険に晒す事に為る。しかしそれに反して撤退期限を切った合意が為された。

 一度撤退期限が明示されると、タリバン側は勝利は近いと観て、米軍側が或る程度撤退する迄は好機を待って米軍を挑発せずに自重する。しかし、撤退が進み戦力的に勝てる段階に為ったと見れば、米軍の後退に乗じて追撃を発令し、一挙に戦力を壊滅させ様と急進撃を始める事に為る。
 特に米軍に支えられたアフガン政府軍の瓦解が促進される恐れが在った。バラク・オバマ大統領(当時)は撤退期限を明示すべきでは無いとの軍の進言を受け入れずに撤退期限を表明し、タリバンの攻勢を強めた為に撤退出来無く為ったと云う失敗を犯している。  

 2つ目は、撤退掩護の為に力で支える態勢をバイデン政権が欠いて居た事である。  

 ドナルド・トランプ政権はタリバンと協議し2020年2月にドーハで撤退に付いて合意に達したが、トランプ政権は力で支える態勢を整えて居た。合意内容は、タリバンのテロ活動を停止する事を条件に、2021年5月迄に米軍は完全撤退すると云うもので在った。
 但しタリバン側が合意を破った為らば、手痛い懲罰を加える事もタリバン側に警告したとされて居る。しかしこの合意には幾つか問題点が在った。

 (1) 撤退期限を切り明示したこと  
 (2) タリバンとの完全な停戦合意無しに撤退の約束をした事  
 (3) アフガン政府代表が参加し無いママに米軍とタリバンだけで合意した事  
 (4) 約5,000人とも言われるタリバン兵の捕虜釈放に応じた事等で或る。  

 8月15日のカブール崩壊直後、バイデン大統領はトランプ政権が決めた計画に基づき今回の撤退は行われたのであり、混乱を招いた責任はトランプ政権の合意に在ると釈明して居る。しかし、これ等の問題点は今回のカブールの早期陥落を直接導いたとは観られ無い。

 (1)(2)に付いて、マイク・ポンペオ前国務長官は「トランプ政権として撤退期限を示したが、その一方でもしタリバンが約束を守ら無ければ、それに対して直ちに懲罰を加える事を伝え、約束を守らせる態勢を維持しながら撤退計画を進めた」として居る。「しかし、バイデン政権は力で約束違反に懲罰を加える事無く、一方的に軍を下がらせた為この様な結果を招いた」と指摘して居る。事実、2020年に米軍が撤退を開始し始めた当初、タリバンが攻勢を掛けたが、トランプ政権は米軍等に依り直ちに反撃した為、タリバンはそれ以降米軍の撤退を妨害し無く為って居る。
 
 バイデン大統領は就任後、トランプ政権の合意に基づき予定よりも遅れたものの、5月から撤退を開始して居る。しかし「バイデン政権は、撤退を掩護する為にタリバンが約束に反して攻撃を強めた場合は、反撃をして力で支えながら撤退を進める措置を怠った」その様な拙劣な指揮をした現職の米大統領兼米軍の最高指揮権限保有者としてのバイデン大統領の責任は免れ無い。  
 今回のカブール陥落前に、軍は撤収部隊と自国民・国外退去を希望するアフガン人協力者等を収容する為に、収容部隊を展開する事を進言したがバイデン政権は受け入れ無かった。  

 現在カブール空港を守る為約6,500人の米軍が残留して居るが、タリバンの包囲を解き残置された米国人やアフガン人の協力者達を救出するには、少なくとも6,000人程度の増派は必要と軍の専門家は観て居る。各国も自国の空軍輸送機を派遣し、自国民と協力者等の救出を急いで居るが、空港に辿り着けずアフガン各地に取り残された人々を救出する目途は立って居ない。
 ロイド・オースティン国防長官は、カブール陥落直後に「我々にはアフガン全土に残された人達を救出する能力は無い」と答えて居る。  

 (3)のアフガン政府の同意に付いては、ガニー大統領はバイデン大統領の〔5月1日からの撤退〕表明がされた4月14日、バイデン大統領とオンラインで話し合い「アメリカの決定を尊重し、(米国との)連携を進めて行く。アフガニスタンの治安部隊は国民と国を守るのに十分な能力を持って居る」と述べて居る(『NHK News WEB』2021年4月14日)
 但し、ガニ―大統領は元々も「米軍が撤退すれば政権は半年も持た無い」として米軍の撤退には反対して居た。バイデン大統領のアフガン政府軍の戦力に対する保証に説得されたのか、当時既に政権の早期崩壊を予期して撤退阻止を諦めたのか何れかであろう。  

 (4)に付いてもバイデン政権は〔アフガン政権内の多様性を維持する〕との立場から、様々な部族や宗派・政治的立場の人物を政権内に取り込み、アフガン政権の分裂と内部崩壊を促進したと観られて居る。  
 又バイデン政権は、多数のタリバン兵捕虜の釈放に踏み切って居り、それがタリバン側の戦力として復帰する事を許した面もある。何れにしても〔力でタリバンの追撃を抑え攻撃を抑止し、約束を守らせ乍撤退収容する〕との、後退作戦の原則に反したバイデン政権の決定が、今回の早期陥落の一因で在ると言え様。
 
 タリバンの攻勢は、米軍の撤退期限とされた5月以降激しさを加えた。バイデン大統領はカブール政権の崩壊直後の8月16日、アフガンからの駐留米軍撤退を決めた自からの決断につ居て〔適正〕だったと強く弁護したが〔完璧には程遠い〕事も認めて居る。

 ■ 早過ぎたバグラム空軍基地からの米軍撤退  

 アフガン政府軍崩壊に決定的な影響を与えたのは、今年7月1日に行われた〔バグラム空軍基地〕からの米軍撤退で在る。バグラム空軍基地は、カブール国際空港から北に約40キロに在る〔アフガン最大の空軍基地〕で在る。  
 元々ソ連軍侵攻直後にソ連軍が造った空軍基地だが、ソ連軍撤退後、基地施設は部族間闘争で破壊され尽くして居た。それをアフガン侵攻直後から米軍はアフガン最大規模の空軍基地に造り変えた。  

 同基地には、古い今は使用されて居ない3,000メートル級滑走路とは別に、米軍に依り新たに3,600メートル級の滑走路1本・大規模な支援施設・格納庫等が建設され〔C-5ギャクラクシー〕等の大型輸送機や爆撃機も離発着出来る近代的な巨大空軍基地に生まれ変わった。  
 施設には近年整備されたものも多く、約2,500人から3,500人の米軍と同盟国の軍が同基地を運用して居た。それが今年7月1日に全面撤退しアフガン政府軍に移管された。その直後の7月2日、バイデン大統領はインタビューに於いて、次の様に答えて居る。

 「アフガン全土をタリバンが支配する事は在り得無い。大使館の屋根からヘリで逃げ出したサイゴン撤退の二の舞に為る様な事は無い」  
 「何故なら、アフガン政府の部隊は30万人の兵力で約7万5000人のタリバンに対し防衛して居り、世界でも最も好く訓練され装備された部隊で在り、空軍も含めた十分な兵力を保有して居るからだ」
 

 しかし、その見通しが誤って居た事はその後の結末から見て明らかである。好く訓練されて居る一例として、味方の空軍に対して地上部隊がレーザーで爆弾を誘導し、敵の地上部隊を爆撃する訓練も装備も行われて居る事が挙げられて居る。  
 その事は、アフガン政府の軍と治安部隊は各地の州都等要点を守備しては居たが、地上部隊間の正面からの戦闘でタリバンに対し優位に立って陣地を守備して居たと云うよりも〔航空攻撃或いはヘリ部隊に依る米軍等の増援に頼り〕山岳地域の分断された都市部の拠点間にネットワークを形成しながら〔何とか持ち応えて居たに過ぎ無かった〕事を示唆して居る。

 その頼りにして居た空軍やヘリの支援が、バグラム空軍基地からの米軍撤退に伴い一挙に能力低下を生じた事で、政府軍や治安部隊の士気も崩壊したと観られて居る。それが、タリバンによる迅速な各州都の奪還・支配に繋がり、急激なカブールへの進撃を可能にした要因と為った。  
 これに対しバグラム基地からの撤退後の今年7月25日、ケネス・マッケンジー米中央軍司令官は、米空軍の近接航空支援は継続されると明言して居る。  

 しかし攻勢は衰えず、バイデン大統領は、8月10日にアフガン駐留部隊の完全撤退時期を、当初予定した今年9月11日から8月末に繰り上げるとの声明を発した。しかしその後も、タリバンの攻勢は更に強まった。結果的に、バグラム基地の機能喪失は補完出来ずタリバンの急進撃は止められ無かったと言え様。

 ■ 腐敗堕落した政権と戦意の無い政府軍  

 アフガン政府の汚職腐敗と政府軍の士気戦意の低さが、早期崩壊の決定的要因と言える。バイデン大統領は、今年8月10日の現地記者会見の中で、8月末とした撤退期限に変更は無いとし「アフガンの指導者は結束し、自分達の国家を守る為に闘わねば為ら無い」と、アフガン指導者達に戦意が無いなら予定通り撤退すると表明して居る。  
 同大統領は、カブール陥落直後に「自ら自国を守る意思の無い国の為に、米国兵士の血を流させる理由は無い」とも述べて居る。  

 オースティン国防長官も「失望を通り越して居る。戦かう意思やリーダーシップはお金では買え無い」と述べ、政府軍の戦意の欠如が政府軍の早期崩壊の原因と観て居る。何故この様にアフガンの政府にも政府軍にも戦意が無いのか、それには歴史的な背景がある。  
 アフガン軍の陸軍と空軍は〔1709年のホタキ朝時代〕に起源が在るが、1880年に英国の支援に依り再編された。その後の王政時代に整備され〔最後の国王ザヒル・シャー〕に依る約40年の支配の間も整備された。  

 社会主義革命が起こりソ連軍に依り支援されたアフガン政府軍は1978年から1992年の間〔イスラム聖戦士(ムジャヒディン)〕と戦い続けた。1992年のモハンマド・ナジブラ大統領の辞任とソ連の支援断絶に伴いアフガン政府軍は崩壊し、その戦力は各部族の武装勢力に取り込まれた。  
 〔タリバン〕は元々、ソ連軍侵攻後社会主義支配から逃れて来たイスラム教徒抵抗勢力の子供達を〔パキスタン軍の統合情報部が、パキスタン国内の神学校に神学生(タリブ)として送り込んで、イステム教のジハード(聖戦)に殉ずるゲリラ戦士として育成〕した事に始まる。

 タリブ達(タリバン)は、アフガン国内に戻りムジャヒディン(聖戦士)として活躍し、米国の支援も受けつつ〔ソ連軍撃退の中心勢力〕と為った。ソ連軍撤退後、部族間の武力闘争が再燃したが、タリバンは他の部族・特にトルコ系のタジク・ウズベクの抵抗を抑え、アフガンのホボ全土を支配し政権を樹立するに至った。  
 彼等は、パキスタンに逃れたパシュトゥン難民の出身者やその子孫が多く、宗派的には多数派のスンニ派に属する。  

 タリバンは米軍の侵攻前迄は、イスラム原理主義に基づきイスラム法を厳格に遵守し、窃盗犯の手首を切り落とし、不倫をした女性を石打ちで殺し、女性には就学も就労も認め無い等の施策を強行し、違反者や反対者を容赦無く摘発し極刑にする等・・・過酷な統治を支配地域に行った。  
 この様な統治は、タリバンが米軍等に依り駆逐される迄続き、アフガンの一般国民、特に女性の間にタリバンに対する恐怖を植え付けた。この事は、現在のカブール空港周辺に集まった国外脱出を求めるアフガン国民が如何に多数に上るかを見ても明らかである。

 米軍は軍事作戦の主体を担ったが、多くのNATO(北大西洋条約機構)加盟国、その他の国々が軍や治安要員を派遣した理由の一つとして、タリバンによる深刻な女性等に対する人権侵害問題が在る。タリバンは20年前とは異なり近代化されたとの評価も在るが、タリバンの支配に対する民衆の恐怖や不信感は容易には消えず、今後も恐怖支配は続くと観られる。  

 2001年の9.11同時多発テロ直後、首謀者と目されたオサマ・ビン・ラディンは、アフガンのタリバン政権を頼りアフガンに逃げ込んだ。米国は、オサマ・ビン・ラディンの引き渡しをタリバン政権に要求したが、同政権はそれを拒絶した。  
 米国は有志連合を結成し、国連安保理・NATO・EU等の対テロ非難決議を得て、タリバン政権に対し同年10月に有志連合に依るアフガン戦争を開始した。タリバン政権は米軍の圧倒的な軍事力の前に約2カ月で崩壊し、カブールに〔ハミール・カルザイ〕を首班とする暫定行政機構その後暫定政権が発足し、ハミール・カルザイは初代大統領に就任した。  

 カルザイ政権の成立に伴いアフガン政府軍の陸空軍は再編された。基本的には独立的に作戦を行ったが、空軍に付いては、地上軍を支援する為の米軍の近接航空支援を受けて居た。又軍事訓練に付いても、米軍を主体とするNATO軍の支援を受け、毎年数十億ドルに上る軍事援助を米国から受けて居た。
 その米国に依る援助総額は2兆数千億ドルにも上ると観られて居る。 しかしカルザイ政権は腐敗堕落が酷く、カルザイ大統領の弟が最も汚職腐敗の元凶と噂される等、カルザイ大統領は米軍の期待に応えられ無かった。米国の大学で教鞭を執った後帰国し暫定政権で財務相を務めて居たガニ―氏が大統領に就任したが、汚職腐敗の体質は変えられ無かった。  

 例えば、アフガン政府軍を直接訓練して居た米軍将校は、アフガン政府軍兵士の約8割は麻薬に染まって居たと証言して居る。政府や軍中枢が膨大な米軍の援助資金を着服し、末端の兵士に給与が支払われず、支給された武器を横流しする例も多発したと言われて居る。
 戦争目的を振り返る為らば、2011年にオバマ政権がオサマ・ビン・ラディンの殺害に成功したが、その時点で本来の米国の戦争目的は達成されて居た事に為る。その意味で、オバマ政権以降、トランプ政権・バイデン政権が米軍撤退を追求したのは当然かも知れ無い。

 特に、米軍が20年間対テロとの戦いで間接費用も含め7兆ドルとも云われる国費を費やして居る間に、中国やロシアの軍事力の増強近代化が進み、ロシアはクリミア・東部ウクライナを事実上併合し、中国は南シナ海の軍事化を進めインド太平洋での「接近阻止・領域拒否」戦略態勢を確立してしまった。  
 この事は、米国の世界的覇権に取り深刻な脅威を招く結果と為り、オバマ政権以降の政権に取り、特にインド太平洋正面への戦略的な戦力転換は喫緊の課題と為って居た。  

 その意味では、バイデン大統領の撤退実行と云う決断は間違っては居ない。その事は、前述した様に、バイデン大統領自身もカブール陥落直後に表明して居る。しかしアフガン政権・軍の汚職腐敗と戦意の低さの根底には、米国の傀儡(かいらい)としてのアフガン政府・軍の根本的な限界が在ったと言え様。  
 一般民衆に取り、タリバンの統治は過酷だったが、同一民族・同一宗教の仲間で在り、外部からの侵略者の異教徒では無かった。  

 アフガンの一部にも欧米で教育を受け、英語等を流暢に話し人権思想や民主政治に同調するインテリも居り、米軍等に対する協力者にもその様な人材が多く含まれて居るに違い無い。その様な協力者の移民受け入れは国際社会の責務と言えるかも知れ無い。しかしその様な親欧米派の人はアフガン国民の一部で在り、タリバンに寧ろ親近感を持つ民衆が多数派を占めて居るのではないかと観られる。  
 欧米とは異なる価値観と政治文化・宗教の国に、民主主義や人権思想を教えても簡単に同化はし無いと観るべきであろう。戦意をカネで買う事も出来無いが、信仰や文化を力を背景として外部から変容する事も出来無い。アフガンの撤退はその事を実証したとも言え様。

 他方でイスラム教徒と歴史的に長期の戦いを繰り広げて来た中・露両国は、欧米とは別のアプローチを取り影響力拡大を図ると観られる。

 ■ 中国に取り戦略的好機と為るタリバン支配  

 中国の〔新疆ウイグル族自治区〕の分離独立を目指す、東トルキスタン独立運動の担い手はトルコ系のウイグル人で在る。彼等は、北部のトルコ系部族には近いが、タリバンの主流派で在るパシュトゥン人とは対立関係に在る。  
 その為、アフガンのタリバンによる支配は、中国国内のウイグル人独立運動の弾圧・テロ防止には寧ろ好都合かも知れ無い。  

 中国は、タリバンに対空ミサイル等の武器援助を行い、米軍がアフガンでタリバンとの泥沼の戦いに拘束される様に仕向け、米軍のインド太平洋正面への戦力転用を妨害して来た。米軍のアフガン撤退は、中国軍の西部戦区から東部戦区への転用を容易にするで在ろう。そう為れば、米中対峙の正面として台湾・尖閣・南シナ海正面が益々重要に為る。  
 今年7月、中国とタリバンが直接交渉をし、中国側はタリバン支援の条件として、新疆ウイグルの〔東トルキスタン分離独立運動〕を決して支援し無い事を要求し、それに対してタリバン側も保障したと報じられて居る。  

 民族構成から言えば、中国に取りパシュトゥン人を主体とするタリバンの支配は、新疆のウイグル人との連携と云う点ではそれ程憂慮すべき事態とは思われ無い。又、中国はインドの対米接近に伴い、インドと宿敵関係に在るパキスタンへの影響力を強めて居る。  
 中央アジアを核心地域とする一帯一路の建設を企図して居る中国に取って、アフガンのタリバン支配はパキスタン回廊と連接する新たな戦略ルートを確保する戦略的好機を得たと言えよう。  

 タリバンは数十億ドル相当の米軍の各種先端兵器を手に入れた。タリバン兵が、それ等を稼働させ、或いは維持整備するのは容易では無いと観られる。しかしそれ等の兵器が、中国やロシアの手に渡れば、その軍事機密も含めて実装備が流出する事に為る。  
 又、アフガン政府軍の兵員にもタリバンの同調者が入り込み、米軍から直接訓練を受け或いはマニュアル等を入手して居る者も居るに違い無い。それ等のノウハウも渡れば、中露の戦力の向上・米軍兵器の特性・能力や弱点も明らかに為ると観られる。  

 特に、米中共に重視して居るインド太平洋正面での米中の対峙が今後強まると観られる中、中国軍の装備の現代化がこれに依り大幅に進展する可能性が高まる。米軍の暗視装置・各種のミサイル・最新ヘリのブラックホーク・歩兵戦闘車ブラッドレーその他の戦闘車両・戦車・戦闘機等も、タリバンの手に入ったと観られて居る。 
 これがインド太平洋正面の中国軍の装備近代化に利用されれば、日台と対峙する中国軍の装備の質的向上は加速するで在ろう。日本の防衛装備の増強近代化を更に急がねば為ら無い。  

 又、中国はイランと今年3月、イランからの石油の長期安値供給と中国からの巨額投資を交換条件に、25年に渉る長期の包括的な協定を締結して居る。アフガンが影響下に入れば、中国は係争地で在るカシミールを経る事無く、新疆ウイグルからワハン回廊を経てアフガンへ直接アクセス出来る様にも為る。  
 イランとタリバンは宗派的に対立関係に在るが、経済的戦略的利害が一致しその間の関係が安定すれば、中国はパキスタンからアフガンを経てイラン・ペルシア湾に至る一帯一路を、インド洋のシーレーンと併せ、陸海両面から形成する事が可能に為る。  

 前述したアフガンの豊富な鉱物資源の採掘も可能に為り、中国のレアアースに対する独占体制は更に強まるで在ろう。ペルシア湾と中央アジアの原油・天然ガスの輸入が、陸路のパイプラインと海上輸送の両面から可能に為れば、中国の化石エネルギーの輸入ルートの安全確保はより容易に為り、逆にマラッカ海峡ルートへの依存を減らす事が出来る。  
 マラッカ海峡から南シナ海ルートに石油輸入の大半と貿易ルートの多くを依存して居る、日韓台に対する中国の影響力は強まるであろう。  

 逆に言えば日韓台としては、米第7艦隊が担って来たペルシア湾迄の海上輸送路の安全保障を連携して守る必要性が高まる事に為る。同様の事情は、インド・豪州・インドネシア・ブルネイ等の資源国を除く東南アジア諸国に付いても言え、これ等諸国との海上輸送路の安全保障面での協力が益々重要に為るであろう。  
 日本としては、ペルシア湾岸からの石油輸入ルートの安全確保・原油・レアアースの代替輸入先・代替物・備蓄の確保等、総合的な安全保障政策の展開が必要不可欠と為る。

 ■ 警戒しつつも対中協力を強めるロシア  

 ロシアに取って最大の懸念は、タリバンの支配するアフガンが再びイスラム過激派の温床と為り、ロシア国内のチェチェン等の独立派やテロ勢力と連動する事で在ろう。ロシア帝国の時代から〔帝国の弱い腹〕と言われる様に、中央アジアは平定に手こズズリ未だにテロリストの温床と為る事が最も恐れられて居る地域で在る。ソ連のアフガン侵攻もインド洋への進出と云う積極的な覇権拡大の目的よりも、ソ連南部イスラム圏の安定と言う防衛的な狙いが強かったと観られて居る。  

 対テロと言う面では、ロシアに取りトルコ系諸国とアフガン国内の過激派勢力との直接の結び着きが強まり、イスラムテロの国内浸透の窓口に為る事は強く警戒して居ると観られる。ロシアは、帝政時代からイスラム圏全体との長い闘争の歴史が在り、米軍のアフガン撤退後のタリバン支配に依るテロ組織の影響の国内波及に、中国以上に強い警戒心を持って居ると観られる。  
 キルギスが米軍に2014年迄マナス国際空港の使用を認めて居たのも、背景にロシアの意向が在ったものと観られる。ロシアとしては米軍が対テロ戦争でアフガンその他の中東地域で長期消耗戦に陥る事は、ウクライナ・バルト正面でのNATOの圧力を弱める事が出来望ましい事で在ったに違い無い。  

 米国に取っては、この欧州正面のロシアの脅威への対応も、アフガン撤退の背景要因の一つで在ろう。今では、タジキスタン・ウズベキスタンは上海協力機構の加盟国で在り中露との関係は良好で在る。独立志向の強いトルクメニスタンも客員参加国に為って居る。但しこれ等のトルコ系共和国は、本質的にアフガン北部のトルコ系諸民族との民族的宗教的な一体感が強い。
 ソ連時代には、トルコ系民族の連携を断ち切る為に厳格な国境管理体制が執られて居た。しかし、現在は各国が独自に国境の防衛警備を担任して居り過つてよりも国境管理は緩やかに為って居る。今では、アフガンとの国境を越えて、人の往来や貿易・武器・麻薬等の密輸も行われて居り、テロリストの相互往来も容易で在ろう。 

 半面、経済面ではロシアが主導するユーラシア経済同盟の重点地域として、欧米撤退後のタリバンの支配するアフガンとの経済的な結び着きを強め、ロシアとしては出来ればアフガン北部もその中に取り込みたい処で在ろう。アフガンの鉱物資源等の豊富さはロシアも熟知して居る。
 経済圏拡大と云う点では、約10倍の経済規模を持つ中国の一帯一路が中央アジアへ展開される事にロシアは強い警戒感を持って居り、AIIB(アジアインフラ投資銀行)への参加にも消極的で在った。
 
 しかし、経済力に乏しいロシアとしては、当面中国の進出に乗り中央アジア圏の経済協力を進める方が得策と観て協力関係を維持すると観られる。今年5月の中露首脳会談後の共同声明でも、天然ガスの対中輸出等のエネルギー分野・インターネットと先端技術分野でもパートナー関係が構築されたと伝えられて居る。  
 カブール陥落の翌日の8月16日に、中国の王毅外相がロシアのセルゲイ・ラブロフ外相に電話会談を申し入れ、アフガンの新情勢の下での戦略的な意思疎通と協力の強化を呼び掛け、ロシア側も中国と共闘するとの意向を示したと報じられて居る(『産経新聞』2021年8月23日)

 今後は中露共同に依るアフガンの経済開発、特に鉱物資源の開発・インフラ整備等が進展すると観られる。ガニー政権下ではアフガンの最大の貿易相手国はイランだった。取引額は約30億ドルを超えイラン側の大幅な輸出超過だった。  
 タリバン支配後のイランとの関係は不透明だが、宗派や民族の対立が在るとは云え、イランは国際的な経済制裁を受けて居りアフガンは貴重な貿易相手でも在る。イランとロシアの関係は、ロシアも又クリミア併合や東部ウクライナ問題でNATOと対立関係に在り経済制裁を受けて居る為比較的良好である。  

 ロシアもイランも経済制裁により国内経済は不調であり、米国の覇権に反対して居る点は共通して居る。欧米からの経済制裁に苦しみ米国の覇権に反対して居る点では、中露もタリバン・イラン・パキスタンも利害関係が共通して居る。  
 この為、ロシアの影響力の強いアフガンの北部・イランの影響力の強い西部も含め、アフガン内部の部族対立激化は中露の圧力を背景に抑制される方向に為ると思われる。少なくとも、米国初めNATO諸国の撤退が完了し、その軍事的影響力が無く為る迄は協力関係は維持されるであろう。

 但し、ロシアはインドとも武器供与・貿易等で冷戦期から緊密な協力関係に在り、インドは中国とパキスタンの連携を強く警戒して居り、アフガンのタリバン支配によりパキスタンが背後を固めてカシミール等インド正面でのテロ活動その他の敵対行動を強める事に強い警戒感を持って居る。
 また昨年来の中印紛争に依る緊張関係は今も続き、中印両軍合わせ10万人以上の兵力が中印間の実効支配線を巡り今も対峙して居る。インドは中国のアフガンでの影響力拡大には強い警戒心を持って居るに違い無い。

 特に米製兵器が中国やパキスタン、反インド・テロリストの手に渡り、それ等の装備が近代化される事を憂慮して居ると観られる。ロシアとイランとしてはインドとの関係も重要だが、アフガンからの米軍撤退と云うバランス・オブ・パワーの劇的な変化を踏まえれば、中国、パキスタンとの連携を強める事に為ろう。
 それだけインドの孤立感は深まり、インドの軍事力強化特に装備の現代化は米国の支援の下更に加速される事に為ると観られる。インドのQUAD重視姿勢も強まるで在ろう。

 ■ 多正面に渉る日本への深刻な影響  

 以上の分析で明らかな様に、アフガンのタリバン支配の影響は多方面に渉る。タリバンは元々イスラム原理主義に立ち、イスラムとの歴史的な軋轢の無い日本に対する感情がそれ程悪いとは思われ無い。 自衛隊機の派遣に対しても、単なる救出だけなら問題無いとして居る。
 今後タリバンが政権を固めるとしても、北部のタジク・ウズベク等のトルコ系諸部族との闘争が激化し、再び内戦状態に戻る可能性も在る。  

 前述した様に、中国軍の西部戦区の戦力が東部戦区に転用され、日本正面、特に尖閣・台湾に対する圧力が高まる恐れも在る。又中国の影響力が浸透しペルシア湾に迄及ぶ場合は、シーレーンの安全保障と原油・レアアース等のエネルギー安全保障の必要性も高まる。
 更に米軍装備が中露の手に渡り、和が国周辺の中露戦力の質的水準が更に高まる事も予想される。孤立感を深めるインドとのQUADを通じた連携も重要性を増す事に為ろう。

 最も注目されるのは、今回の失態の責任を問われたバイデン政権の指導力が国内で弱まり、米国の分断が更に進み、他方で国際的な同盟国に対する介入の能力と意思が後退する事が予想される点である。 この点に付いて、米中対立の狭間に在る日本として米国への期待度をどう観るかが、中国の脅威をどう観るかと共に日本の安全保障に執り決定的な重要性を持つ事に為る。今後の情勢推移に注目し、注意深く分析し続けねば為ら無い。 

 バイデン大統領は、自ら自国を守る意思の無い国の為に米兵の血は流さ無いと明言した。日本は米国のみ為らず、台湾を含めた価値観を共有する諸国との安全保障初め多面的な協力関係を強化し無ければ為ら無い。しかし何よりも重要な事は、最早米軍頼みは通用しない、日本は自国を自ら守ら無ければ為ら無いと云う現実が、日本人の眼前に突き付けられた事である。
 新〔ガイドライン・・・日米防衛協力の為の指針〕でも、日本有事に於いては、自衛隊が主体と為って戦うのであり、米軍はそれを〔支援し及び補完する〕と規定されて居る。今回の呆気無いカブールの陥落は、日本が早急に〔防衛力を強化〕し、自立的な防衛態勢を構築し無ければ、日本国憲法の前文に謳われて居る、日本の〔安全と生存を保持〕する事すら出来なく為る事を示して居る。



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                  矢野 義昭 8-27-5


 〜管理人のひとこと〜

 元陸相補の解説は、歴史を絡め地形的・人種・民族・宗教等の複雑で煩わしい関係を見事な迄に簡潔に表現し分析し解説された。実に勉強家の軍人なのだろう。今までの元軍人は、徒に政治に口を出したり現政権を擁護したり・・・不必要な言動を繰り返して来た。ハッキリ云って害は有れど何の益も無い存在だった。
 元陸相補は一度は参院選に立候補された様だが・・・油でベトベトした政治家よりは、大学等での研究の生活が〔清潔で望ましい〕ものと共感する。この様なレポートを世に広め、直接国民に訴える事コソが使命だ理解します。今後もタイムリーな話題を積極的に取り上げ世に問うて下さい。


















 

 

2021年08月26日

3つのポイントで読み解く 秋の総選挙の行方



 横浜市長選圧勝でも野党は〔枝野隠し〕の不可解 

 3つのポイントで読み解く 秋の総選挙の行方


 8-26-9.png 8/26(木) 11:05配信



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                枝野幸男氏 8-26-25


 横浜市長選に惨敗した自公政権内では〔菅隠し〕が進んで居るが、実は野党内でも〔枝野隠し〕が進行して居ると言う。自ら隠れて居ると言った方が良いかも知れ無い。投票結果をそのママ小選挙区に当て嵌めれば、11月迄に行われる総選挙で自民党が大きく議席を減らす事は確実だ。では、どの政党が議席を伸ばすのか。


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            武田一顕(たけだ・かずあき) 元TBS北京特派員


 当選した山中新市長を推薦した立憲民主党が共産党の応援を得て大きく議席を伸ばす・・・何て野党の人達が思って居るとしたら大甘だ。今回の横浜市長選の結果は、来る総選挙での自公辛勝に繋がると考えるべきだ。そこには押さえるべき3つの勘所がある。

  横浜市長選投票結果挿入 山中竹春 506,392(33.6%)
  小此木八郎 325,947(21.6%)
  林文子 196,926(13.1%)
  田中康夫 194,713(12.9%) 松沢成文 162,206(10.8%) 福田峰之 62,455(4.1%) 太田正孝 39,802(2.6%) 坪倉良和 19,113(1.3%)
 ⊡ 候補者 得票数(得票率)

  一つ目は、ダブルスコアに為ら無かった事。事前の世論調査では、山中が小此木を倍差で引き離すと云う見方も強かった。実際には山中50万に対して小此木32万で、自民党の国会議員は首の皮一枚で繋がった感がある。と言うのも、小選挙区制に当て嵌めた場合、ダブルスコアで負けた候補は比例復活する可能性が殆ど無いからだ。  
  二つ目は、保守層の合計得票数。今回は保守分裂選挙と為ったが、小此木と林文子の合計得票数が山中を上回るかどうかも注目ポイントだった。もし小選挙区で自公と立憲の候補が一騎打ちと為った場合、どちらが勝つかの参考と為るからだ。
 小此木と林の合計得票数は52万で、山中を僅差ながら1万6千票余り上回って居る。数字だけを見れば、衆院選で保守が候補者を一本化出来れば当選出来る事を意味する。  
  三つ目は、田中康夫・松沢成文・福田峰之と云う著名な(?)泡沫候補の得票数。田中・松沢に付いては知名度も在ったが、3人合わせると42万票弱。各様の見方は出来るが、私はこの票数に付いて〔自公はイヤだが立憲も共産もイヤだ〕と云う人達の意思の集積と受け止めた。実に、得票率27.8%で余りに数字が大きい。  

 この様に線挙結果を仔細に見ると、来る総選挙で立憲圧勝、自民危機と云う分析には為ら無い事が分かるだろう。

 「悪夢の民主党政権」に囚われ・・・
 
 2年以上長期化する事が確実なコロナ禍。アジア太平洋地域の各国の政権を見回すと或る事に気付く。政権交代が常態化して居る国や地域では緊張感の在る政策が打ち出され、デルタ株流行前は感染を一時的に抑え込んだ処が多いのだ。代表的なのが台湾やニュージーランド・オーストラリアで、韓国も日本よりは随分程度が良い。感染抑制に失敗すれば次の選挙で政権から転がり落ちる為、最高権力者は躍起と為る。

 一方、独裁国家も感染抑制が上手く行って居る。例えば中国やシンガポール。一党独裁では在るが、内部で激烈な権力の暗闘が繰り広げられて居り、特に中国共産党内は凄まじいものがある。詰まり、民主主義だろうが独裁政治だろうが、激しい権力闘争が存在すれば、打ち出す政策は緊張感に満ちたものと為る。  

 日本はどうか?〔悪夢の民主党政権〕に囚われ、普通の政権交代と何時迄も区別出来無いママ、政権交代自体が悪い事の様に刷り込まれて居る国民が余りに多い。政権交代コソが民主主義と云う他国では当たり前の考え方が殆ど理解されて居ない。
 民主主義の舞台は議会。その議会の主役は野党だ。政権を堂々と批判し、時の政権が腐って来たら野党が政権を取って代わる事で民主主義は効率的に機能する。  

 国民の納得するコロナ対策は未だに打ち出されて居ない。ワクチン接種の遅れは元より、感染者の大規模収容施設の設営も進んで居ない。医療は崩壊し入院したくても入院出来無い惨状だ。しかしこれは当然で在る。自民党や公明党に政権交代の危機感が無いからだ。緩み切った政権に緊張感を求めるのは、八百屋で魚を呉れと言う様なものだ。  

 サテ、それでは日本の議会の主役、野党のトップは何をして居るのだろう。横浜市長選だけで無く、この数か月、枝野幸男代表の動きが余りに不可解で在る。 ニュース等で彼の発言が取り上げられる事は殆ど無い。
要約姿を見たと思ったら、新ポスターの発表だとか「早く国会を開く様に」とか、コロナ対策で「この半年余り、政府、東京都は何を遣って来たのか」と言った具体性の無い事ばかり。

 横浜市長選に至っては、山中が当選したにも関わらず、Twitterでこの件に触れる事さえ無い(8月25日時点)野党関係者は枝野に付いて「今は目立った事をしない作戦」と分析するが、そんな根性で政権が転がり込んで来ると考えて居るなら見当違いも甚だしい。
 私はこれ迄4度の政権交代をソコソコ間近で見て来た。当時の野党は、日本新党であれ自民党であれ民主党であれ、凄まじい気迫と努力で政権を奪取して来た。過去の政権交代前夜の熱気を思い返すに付け、今の枝野代表に政権奪取の気が在るとは思え無い。

 或る野党議員は「枝野さんは、批判して居るだけの野党のお山の大将が気分好いんだよ」と諦めを口にして居た。又、さる自民党議員は「スガさんが幾らイヤだからって(国民は)枝野さんに投票するかね?」と嘯いた。将に、今回の横浜市長選での泡沫3候補の得票率27.8%が頭を過る。


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 守株(もりかぶ)と云う言葉が在る。〔株を守りて兎を待つ〕と云う中国の故事だ。昔、兎が木の切り株に頭をブツケテ気を失ったのを見た農民がこの兎を獲物とした。その後、農民は仕事をせずにズッと切り株を見守り、もう一度兎が頭をブツケルのを只管待って居た・・・と云う話である。  
 政権とは、木の切り株に頭をブツケル兎では無い。有らん限りの知恵と努力で奪い取り、自分の政治的理想を実現するものだ。  

 物言わぬ枝野は守株処か、兎がブツカル切り株を自ら遠ざけて居る様なものだ。逆説的だが寧ろ〔自公政権の生命維持装置〕に為って居るとさえ言えるのだ。野党党首に政権を取る気が無ければ、年内の総選挙で自民が第一党と為る事は確実だ。自公で過半数もそれ程高く無いハードルだろう。
 万一過半数割れしても、日本維新の会が連立か閣外協力に加わると云う観測が強く、政権の枠組みが大きく変わる事は無い。  

 日本の政治から益々ダイナミズムが失われ、政治的後進国・経済的中進国に落伍して行く事を深く憂慮して居る。菅総理が辞めるか辞め無いかと云う話より、気概の無い野党トップが辞める方が余程日本の民主主義に貢献し、緊張した政治を生み出す事に為るのだ。



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           武田一顕(たけだ・かずあき)8-26-8

 元TBS北京特派員 元TBSラジオ政治記者 国内政治の分析に定評が在る他、フェニックステレビでは中国人識者と中国語で論戦 中国の動向にも詳しい  デイリー新潮取材班編集 2021年8月26日 掲載 新潮社



 〜管理人のひとこと〜

 コロナ禍やTOKYO2020の国の仕事・・・特にこの二つを同時に上手く捌く方法等はこの世に存在しない。ドチラかを立てればドチラが倒れる両立しない宿命なのだ。しかし、政治は常にこの相反するものを如何に両立したかに見せ掛ける努力が必要だ。それは、戦争と平和を同時に行い両方を成功させるに似た〔まやかし〕の手品の様なものであり、国民の納得の仕方でどうとも為るのだ。
 政権に人気と信頼感が在るので在れば、両方を上手く収めたと賛辞が広がり「好くやった!!」との誉め言葉も出るだろう。同じことをしても両方とも無ければ「何やっても駄目だ」と引導を渡される運命と為る。この秋の総選挙では与野党ドチラにどの様な結果が生まれるのか・・・国民の審判が果たして表に現れる・・・その様な真剣な選挙と為るのか、それとも相変わらず半数が棄権する無気力なものに為ってしまうのか・・・国民は中身の無い安泰の夢に何時まで浸って居るのだろう。武田一顕氏の言葉は、無責任な国民に〔喝〕を打つ言葉では無かろうか。

















セクハラと闘ったトランスジェンダー作家が告白 「女の身体を許す迄」




 セクハラと闘ったトランスジェンダー作家が告白

「女の身体を許す迄」



  8-25-20.png 8/25(水) 16:05配信 8-25-20



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 著者が「全てを曝け出した」と語る闘いの記録は多くの共感を呼んで居る 8-25-21


 東京五輪では〔多様性と調和〕がコンセプトに為り〔LGBTQ〕を公表した五輪選手が過去最多の183人と為った。又〔国歌斉唱〕を担った歌手のMISIAが性の多様性を象徴するレインボーカラーのドレスで登場した事で、改めて性的マイノリティへの理解が深まる切っ掛けと為った。
 しかし、そうした多様性への理解が生まれつつ在るのも此処数年の話だ。過つては、性的マイノリティの人々は、今以上に〔理解され無い苦しみ〕の中で生きる事を余儀無くされて居た。そうした苦しい立場に居る人の声を代弁するかの様な作品が公開されて話題を呼んで居る。

〈戦記なんだよなぁ もうこれは〉
〈メッチャ疲れた。心の支えに為る様なマンガだと思う〉
〈とても読むのがシンドイ作品だけど、価値の在る作品〉


 等発売早々、SNS上では大きな反響が寄せられた。その作品とは7月31日に発売されたトランスジェンダーの漫画家・ペス山ポピー氏の身に実際起こった事を描いたエッセイマンガ『女(じぶん)の体をゆるすまで』(上・下巻)だ。〔セクハラ〕〔パワハラ〕と云うセンシティブな問題と真正面から向き合った同作には、多くの読者から共感の声が寄せられて居る。

 『女の体をゆるすまで』は漫画家のアシスタントとして働く主人公(著者)が職場で受けたパワハラ・セクハラ被害を切っ掛けに世の中の性差別の問題や、自分自身の性に対する葛藤と向き合って行く異色のジェンダー・コミック。
 著者のペス山氏が被害を受けたのは約8年前に遡る。或る有名漫画家・X氏のアシスタントとして働いて居た時の事。X氏はシャワーを浴びるペス山氏に対して、悪フザケの様に「入るよ」と脱衣場迄入って来たり、膝の上に乗って来る等遣りたい放題。

 3か月後、苦痛に耐え兼ねたペス山氏は意を決してアシスタントを辞めた。しかし、漫画家として作品を生み出す事も出来ず、病院の精神科に通いフラッシュバックに襲われる生活を過ごして居たと云う。 著者のペス山氏が当時を振り返る。

 「勇気を出してアシスタントを辞めたのは良かったのですが、当時の私は〔女に生まれたのが悪い〕〔女の体だからソンな目に遭うんだ〕と自分を責める様に為ったんです。それで少しでも中性的な見た目に為ろうと食べては吐き、又食べては吐くと云う拒食症の様な状態でした。ズッと塞ぎ込み漫画も余り書け無い状態のママ8年近くが過ぎてしまいました」(以下「」はペス山氏)
 
 ペス山氏が相手のX氏だけで無く、自身の〔女性の体〕を憎んだのは理由が在る。

 「昔から女性で在る事が嫌で、性自認は男性寄りの〔中性〕でした。幼少期は本気で〔何時かは男に為れる〕と信じて居た位です。自分がセクハラで悩む事に為るとは思って居なかったし戸惑いも大きかった。
 アシスタントを辞めてからは何度もジェンダークリニックに通いました。当時はトランスなのか自分の身体が嫌なだけなのか分から無かったけど、この漫画を描く事に依って、性差別的な価値観や仕組みの在る社会に生きる以上、女の身体を憎む様に為る事は好く在る事、そしてそれとは別に自身が〔トランスジェンダーで在る〕と云うシンプルな自認を得る事が出来ました。
 今も性別欄に〔どちらでもない〕と云う欄が在るとホッとします。でも、そうした性別欄が増えて来たのはこの1〜2年の事です。このマンガを描こうと勇気を持てたのも時代のお陰です」


 塞ぎ込んで居たペス山氏の意識を変えたのは、2017年頃から米・ハリウッドを中心に巻き起こったセクハラ撲滅を訴える世界的な動きだった。

 #MeToo運動が日本でも広がった事で、自分の中で一気に世界が変わりました。有難かったし、自分勝手ですが〔遣るなら、モッと早く遣って呉れよ〕とすら思いました(笑)それ迄は知人・友人・家族は勿論、精神科の先生にもセクハラの事は上手く話せませんでした。ですが、時代が変わって来て私も一歩踏み出そうと思ってこのマンガを描き始めました。
 内容は読んで頂けたらと思いますが、作品にする過程で過去と向き合えた事で少しは自分の〔女の体〕を許す事が出来ました」
 

 マンガを描き始めたペス山氏は、X氏に勇気を出して連絡を取り、過去に受けた被害に付いて問い正して行く。しかし、当時は王様の様な態度だったX氏も又時代と共に変化し、
 「当時の私には何も理解出来て居無かったと思います」
 「キチンと謝れた事に感謝して居ます」

 等別人の様な反応が帰って来たと云う。

 「最初は〔本当にXさんか〕と戸惑いましたし、上手く丸め込まれた様な悔しさと虚無感が在りました。そこで思ったのは〔キット、アノ人はもうセクハラ何てし無いんだろうな〕と云う事です。社会がセクハラを許さ無い雰囲気に為ったから止める・・・社会が厳しく為った事で〔危ない、危ない〕と簡単に辞めてしまった。
 私は寧ろ、その程度の軽い気持ちでセクハラやパワハラをした事が許せ無かった。今、幾ら真面目な人に為って居様と私に取って辛かった過去はズッと忘れられ無い記憶なんです」


 ペス山氏は、この作品は「読む人に依って感想が違うと思います」と語る。自身の体験を赤裸々に描いた作品を通して伝えたい想いとは何だったのか。
 「被害を受けた人は例え過去の事でも、ズッと辛い記憶として残って居るなら勇気を出して一歩を踏み出す事で、少なくとも自分自身を責め続ける事からは逃げられると思います。
 又、男女問わず少しでも過去にセクハラ・パワハラをしてしまったかも知れ無いと感じたら、目を反らすので無く当事者意識を持って〔加害者〕かも知れ無いと向き合って欲しいですね」
 

 著者が「全てを曝け出した」と云うこの〔戦いの記録〕をアナタはどう読むか。


 〔おわり〕



 【関連記事】

 「身体は男性の女性」が女湯入浴で乱闘に発展した「ロス暴動」


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 ハンガリーの反LGBTQ法への反発もあり 性的マイノリティの不満は各地で鬱積して居る(AFP=時事)8-25-22


 ロサンゼルスに永年住む、或るドイツ系中年男性ビジネスマンの抱いて居る韓国人観は、余り芳しいものでは無い。「コリアンと云えば、先ず頭に浮かぶのは如何(いかが)わしいマッサージ店で、後はスパと焼き肉屋。我々の世代ではKポップもBTS(防弾少年団)も関係無いね」
 そんな印象の韓国人が密集するロサンゼルスのコリアタウンに在るサウナ〔Wi SPA〕で事件は起きた。それも、今アメリカで社会問題に為って居る〔セクシャル・マイノリティの権利〕を巡って〔LGBTQ・性的マイノリティ〕団体と、トランプ支持でも有名に為った超保守派〔Qアノン〕が衝突し大乱闘の流血事件だから穏やかでは無い。

 「Wi SPA」は如何わしい店では無く高級感在るサウナで、ミネラルソルト・マッサージやハイドロ皮膚剥離(所謂垢すり)と云った韓国式マッサージが白人セレブにも大いに人気が在る。6月26日、店を予約したトランスジェンダー(性転換者)を自称する〔身体は男性〕の客が遣って来て「女湯はドチラ?」と当然の如く入って行った事から騒動は始まった。
 韓国人従業員は〔性別・宗教・人種を問わず、如何なる差別もしては為ら無い〕と云うカリフォルニア州法第51条を忠実に守って入浴を許可した。処が数分後、6歳の少女を連れて入浴して居た女性が血相を変えてフロントにスッ飛んで来た。

 「アノ人男よ、女じゃ無いわ。この店では男を女湯に入れるの?小さな女の子の前でおちんちんを見せびらかして居るのよ!何とかして頂戴ッ!!」

 男性従業員は少しも慌てず「この街には在りとアラユル人が住んで居ります。トランスジェンダーの方も居られます。当店は州法に従って応対させて頂いて居ります」と女性の訴えを退けた。
 怒りが収まら無い女性は、直ちにインスタグラムに投稿。両者の遣り取りを撮影して居た他の客も動画をSNSに流した事から「事件」は一瞬のうちに全米に拡散した。

 LGBTQ団体に属するトランスジェンダー達は、抗議した女性客に対する店の対応は甘かったと抗議し始めたが、サウナ側は「法律は遵守して居る」として、対応には問題が無かったと云う主張を続けた。
 すると団体は一週間後の7月3日に大規模な抗議デモを行うと宣言。〔トランスジェンダー連合〕のバンビイ・セケドCEOはネット上で攻撃を開始した。

 「この女性客の意地の悪い言い分は将に氷山の一角。我々トランスジェンダーはこうした屈辱を日常茶飯事で体験して居る。我々に対する無知と偏見から来る差別以外の何物でも無い」

 それに対して反LGBTQを掲げるQアノンやエバンジェリカルズ(キリスト教福音派)は、店の対応は十分だったと支持。反トランスジェンダー活動家のイアン・マイルズ・チョン氏は「この世界には男と女しか居ない。トランスジェンダーなど存在し無い」と発言して、予定される抗議デモを粉砕せよと檄を飛ばした。そして迎えたデモ当日。
 数十人のLGBTQ支持者が〔トランスジェンダーの女性は女性だ〕と書かれたプラカードを掲げて集会を始めようとした処に、忍者の様な全身黒尽く目のQアノン数人が襲い掛かった。

 リュックに銃を忍ばせて居る者や鉄パイプを持参した者も居た。エバンジェリカルズは〔正真正銘の女性の権利コソ重要だ〕と云うプラカードを掲げて参加した。防戦するデモ隊は素手で立ち向かったが、相手は乱闘慣れして居るツワモノばかり。警察が駆け付ける迄に数人が怪我をしたと地元テレビは報じて居る。

 〔性適合手術を受けて居ないトランスジェンダー〕は女湯に入る権利が在るのか。折りしも米最高裁は5日、性転換した高校生が学校の女性用トイレを使えるか否か・・・その判断は個々人の選択に委ねるべきだとの判決を下して居る。
 性的マイノリティがトイレ・更衣室・風呂で男女用ドチラを使うかは、自分で決め為さいと云う判決だった。「トイレ等でトランスジェンダーの13%がセクハラを受けて居ると云う統計が在るにも関わらず、無責任な判決だ」(LGBTQ関係者)との声も在る。



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     Qアノンは1月の連邦議会占拠事件でも中心的な存在だった(AFP=時事)8-25-23


 地元有力紙、ロサンゼルス・タイムズは6日〔トランスジェンダーにはサウナの客に為る権利が在る〕と主張する社説を掲載した。

 <他の客が不愉快だ、と云うので在れば陰部を隠せば好い。コノ種の論争はソロソロ終わりにして好い。今の若者達は、性別とか性的指向の異なる人達と同じスペースを共有する事を快適だと思って居る>

 一方、トランプ前大統領の〔影のアドバイザー〕とも言われたFOXニュースの人気キャスター、タッカー・カールソン氏は、6月28日の番組で現場記者の報告を引用して「女の子の前で男根を露出する間抜けな客にトランスジェンダー・コミュニティはゾッとして居る」と報じた。風俗事情に詳しい米タブロイド紙の女性ベテラン記者はこう言い切る。

 「今やフリーセックスが当たり前のアメリカで、混浴を嫌がる恰好付けは無用です。トランスジェンダーの女性にペニスが在ろうと無かろうとそれ程問題では無い筈です。最も今回の事件では、マッサージを隠れ蓑に売春をして居る悪徳コリアン業者達迄正義の味方ブル事には違和感を感じますけど」

 右派と左派を巻き込んだ性的マイノリティの権利問題に、民族的な憎悪も絡む複雑な事件だった為に円満な解決は程遠い様だ。



    8-26-5.jpg 高濱 賛(たかはま・たとう)  在米ジャーナリスト 

 米パシフィック・リサーチ・インスティチュート所長 1969年米カリフォルニア大学バークレー校ジャーナリズム学部卒業 読売新聞社に入社 71年から6年間ワシントン特派員として沖縄返還交渉・ウォーターゲイト事件・ロッキード事件等を取材報道 76年以降は政治部記者として中曽根派担当・自民党幹事長番・官邸・外務省・野党各キャップを経て 政治部デスク(次長) 92年社長直属シンクタンク 調査研究本部主任研究員(部長待遇)として主に日米関係を担当 下田会議・日韓フォーラム等に日本側代表として参加し国際的な人脈を広げた 95年以降 母校カリフォルニア大学バークレー校に客員教授として招聘され 「日米報道比較論」を教える 98年から上級研究員(テーチング・フェロー) 同年から現職 「日米双方を見渡せる西海岸」を拠点に日米問題 米国の政治・経済・社会情勢を日本メディアに発信している

◇主な著書 『英語は8歳までにはじめなさい』(アスコム) 2007
『マイティ・ハート 邦訳』(潮出版社) 2005
『アメリカの内戦 邦訳』(アスコム) 2004




 〜管理人のひとこと〜

 どうも〔性的マイノリティー・・・LGBTQ等〕の言葉が出て来ると頭が痛く為ってしまう。恐らく自分がその様な悩みや意識も全く無かったので、似た様な体験も無く想像も出来無い為だろう。
 多産系の家系で女5人男3人の末っ子の男として生まれたが、周りは何時も女が支配して居た。男は殆どが社会に出て居るものと教えられ、女は家庭内で男達の世話をする・・・その様な古い認識の環境だったと思うが、人数的にも女性の力が圧倒して居た・・・今から考えるそうと思う。
 今に為って思うのだが・・・女は強く自己を主張しても好いのだが、男は自主的に首を垂れ自己を消し去り周りの風景に溶け込む位で丁度バランスが取れるのだ。その方がその人の価値も高まり周りからの尊敬も生まれる筈だ。将来男はそれを目指すべきだろう・・・と。他人を押し退けシャシャリ出るのは最も男の恥と心得るべきである。




















タリバン「最速の無血入城」は米軍植民地統治の当然の帰結



 タリバン「最速の無血入城」は

 米軍植民地統治の当然の帰結




 8-26-1.png 8/26(木) 6:01配信 8-26-1




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  アフガニスタンについて会見するバイデン大統領 Photo:Samuel Corum/gettyimages 8-26-2



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          解説は 軍事ジャーナリストの田岡俊次氏



 ● タリバンが10日で制圧  米軍協力者全員の脱出は困難  

 日本の1.7倍の面積を有するアフガニスタンでは、8月6日にタリバンが攻勢に出てから足掛け10日でカブールに15日に無血入城・全土を平定と云う世界の戦史上例の無い早さで勝利を収めた。  
 「9・11テロ」を契機に米国が介入し支配をして来た約20年間、主として米国が育成して来たアフガン政府軍と国家警察隊は殆ど無抵抗で逃走し、米国が2.2兆ドル(約250兆円)を投じて築いた体制は〔砂上の楼閣〕の様に崩壊した。  

 バイデン大統領は8月20日の記者会見で「米国人1万3000人を避難させた。今後救出が必要な米国人は1万ないし1万5000人、アフガン人の米国への協力者が5万ないし6万5000人」と述べた。その後、1日2,000人以上が脱出して居る様子だが、空前の大脱出劇の成否は見えて居ない。

 ベトナム戦争の最後 1975年4月30日に北ベトナム軍が、南ベトナムの首都だったサイゴンに無血入城した際には、米国人1,373人・ベトナム人 他国人5,595人がヘリコプターで脱出し米空母に収容された。それとは比べ様も無い位の大脱出劇が展開されて居る。
 タリバンも外国人の脱出を認め輸送機が離着陸する事は許し、対米協力者だったアフガン人が空港に殺到するのも殆ど見逃して居る。反タリバン分子を国外に追い出す方が新政権の安定・治安維持に得策だからだろう。だが、カブール以外の各地に居る米国人も少なく無く米国に協力して居たアフガン人は多い。日本を含め同盟諸国が脱出支援で協力して居るとは云え、全員を脱出させるのは極めて困難だ。悲惨な大混乱が続くだろう。

 ● タリバンの規律は維持されて居る  他国からの早期承認を得る思惑  

 今米軍は、残って居た兵員約2,000人に加え最大6,000人を投入して空港警備を続け、協力者等の国外避難を助ける構えだが、空港以外に派遣する事は計画して居ない。米軍等外国軍が各地に出動すれば衝突が起きてアフガン戦争の再燃と為り兼ね無いが、既にアフガン政府軍と国家警察の計公称30万人は霧消し、大量の武器・弾薬・車両7万6,000両はタリバン軍が接収して居る。
 勝利を収めたタリバン軍に加わる者は多いから、以前より遥かに悪い状況下でもう一度戦う事に為るからだ。幸いタリバン側の規律は保たれて居る様だ。

 首都カブール制圧の際も、8月14日にカブールの玄関口に迫ったが、乱入して略奪等が起き無い様進撃を一時停止、翌日、粛々と無血入城した。20年間の戦いでヤッと政権を奪回したタリバンに取って、先ずは国内を安定させ、他国の承認を得て、財政・経済を再建する事が最大の命題だからだろう。
 タリバンは元政府軍人や対米協力者に対する〔恩赦〕を宣言して居る。現状では国内の統治に或る程度の自信を持って居るのではないか。

 ● 士気も練度も低い「傭兵」の政府軍  民心を掴め無かった米国  

 元々米軍等に依る統治は根付いたものでは無かった。タリバンとの戦いには、米軍9万人の他、英・独・仏等49国が加わり最大期には14万人の兵力が投入された。米軍の攻撃開始から2カ月後の2001年12月には、南部のタリバンの拠点カンダハルを陥落させタリバンは壊滅した様に思われた。
 だがタリバンは、武器を携えて故郷に戻ったりパキスタン国境地帯の拠点に潜んだだけだった。2003年にはゲリラ攻撃を始めて勢力を次第に回復し、地方では揉め事の裁定をタリバンに頼む事も在った様だ。
 
 タリバンの戦闘員は4万5000人ないし6万人余りと観られ、これに対してアフガン政府軍は約20万人・国家警察隊は10万人と公称され数の上では圧倒的な優位だった。だが、政府軍や警察の経費は、日本を含む〔国際社会〕が全額を負担し、装備を米国が供与、指揮と訓練も米軍が行ったから事実上の「傭兵」だった。
 占領軍の指示の下、自国民と戦わされる政府軍兵士の士気は低く、政府軍幹部等が兵の数を水増しして居て給与をポケットに入れるのが常態化して居た。
 
 カブールの米国大使館は巨大な建物で、職員は現地雇用者を含め4,000人も居た。通常は、駐在国との外交が任務の大使館は多くても数十人の館員が居る程度だ。4,000人も居たのは、アフガニスタンの政治・軍事・行政を全て指導して居た為で、米大使館はマルで植民地の総督府だった。
 これでは民心を掌握出来る筈が無い。今回タリバンの一斉蜂起が起こると大半の州都で政府軍兵が抗戦せず、知事から大統領迄が逃亡したのも当然だった。

 ● 地方に拠点を確保  住民の信頼を得たタリバン  

 1979年に起きたイランのイスラム革命は、アフガニスタンに波及しその社会主義政権は風前の燈と為った為ソ連が介入したが、ゲリラに勝てず89年に撤退した。社会主義政権はその後3年間は持ったものの1992年に崩壊した。
 すると過つてソ連軍と戦った〔アフガンゲリラ〕は、8派に分かれて勢力争いの内戦を始めた。無秩序の部族兵は各地で物資懲発や略奪を続け国民は悲惨な状態に置かれた。  

 隣国パキスタンに取ってもアフガニスタンの混乱は迷惑だっから、パキスタン西部に多い〔パシュトゥン人と同民族のイスラム神学校の学生を中心とする軍事組織の結成〕を支援し〔タリバン〕が誕生した。
 信心が深いだけに規律が正しいタリバンは住民の支持を得て、内戦を収束させ1996年に政権を確保した。イスラム原理主義を掲げ、古来の慣習や道徳を重視する学生主体のタリバンの堅苦しさに閉口する人もアフガニスタン国民の中には居たと思われるが、内戦を終わらせ平和と規律を齎した事で一定の信頼を得て居た様だ。

 8月15日のタリバンのカブール制圧後、欧米のメディアはカブールで英語を話せる女性をインタビューし「タリバンに依る女性差別が復活する。将来が不安」等と云う反応を報道して居た。  
 だが米軍の爆撃・侵攻で始まった20年間の戦争の死者は、敵・味方双方で17万人余り、民間人の死者は4万7000人余りとされ、夫・子供・親・兄弟・姉妹等を失ったアフガニスタンの女性は多い。戦争中に国外に逃れた難民は260万人・国内避難者は400万人以上と云われる。
 女性が占領軍・政府軍に恨みを抱くのは避け難く、長い戦争がタリバンの勝利で終わった事を祝う女性の方が遥かに多いのではないかと考えられる。

 ● 対米協力者への報復・迫害  フランスでは対独協力者狩りが発生  

 この戦争で死んだアフガン人は14万人以上だから、タリバン政権が対外関係の好転と国内の安定を目指し、占領軍への協力者の恩赦を唱えても恨みを晴らしたいアフガン人が私的に対米協力者に報復・迫害をする事を完全に防げるとは考え難い。
 
 第2次世界大戦ではドイツ軍が敗退した後のフランスで対独協力者狩りが起きた。1940年6月にフランスを降伏させたドイツ軍は約4年間、フランス国土の約60%に当たる北部と大西洋岸地域を占領、南部の40%は右翼の親独派ヴィシー政権に統治させた。
 これに対して一部のフランス人が〔レジスタンス〕(抵抗活動)を行った一方で、ドイツへの協力者が大勢を占めた。  

 1944年8月にパリが解放されドイツ軍が一掃されると、民衆は〔コラボ〕と称された対独協力者の摘発に興奮し、ドイツ将兵と親密だった女性を捕らえて丸刈りにし市中を引き回した後、一部は処刑する事が続発した。私刑の対象と為った女性は数千人と云われて居る。
 私刑で殺された男女は推定約9,000人、公式の裁判でも1,560人の政治家・官僚・軍人・警察官等が死刑に処された。  

 タリバンが恩赦を宣言しても、私的報復がアフガニスタンでも起こる可能性は在るから、米軍は協力者の避難を助ける為予定の8月末より撤退の延期をタリバンに打診して居る。だが何れ撤退する事は確実だ。 最近情報では〔延期は中止し予定通り撤退する〕と為った。

 ● タリバン政権のカギを握る中国  イスラム過激派の波及を防ぐ思惑  

 日本の刑法でも、外国と通謀して日本に対し武力を行使させた者は全て死刑と定め、武力行使が起きた後にそれに加担した者は、死刑・無期・2年以上の懲役として居る。米国が敗退した後のこの地域の安定をどう確保するかも大きな問題だ。

 取り分け注目されて居るのが中国だ。中国政府は、新疆ウイグル自治区でテロ活動をする〔東トルキスタンイスラム運動〕等のイスラム過激派が、タリバンの勝利に勢い付き提携する事を防ごうとして居る。
 タリバン政権の承認や財政支援と引き換えに、新疆ウイグルの安定・治安維持への協力を求めて居る。タリバンもそれに応じる姿勢を示して居る。元々凶悪な〔イスラム国〕とは対立して居たのだ。

 米国がタリバンに圧力を掛け様としアフガニスタン政府の預金を凍結すれば、タリバンは一層、中国に頼る事に為るだろう。アフガニスタンには天然ガスや原油・銅鉱山等未開発の鉱物資源が在り、中国は既にアフガニスタン北部の油田開発で協力を始めて居る。  
 ロシアも国内のチェチェン独立派等イスラム過激派の行動が再び活発に為る事を警戒し、タリバンに接近を図って居る。  

 だが旧ソ連時代、アフガニスタンに侵攻したもののイスラム過激派に敗北して1989年に撤退。結局、ソビエト連邦自体が崩壊する事に為った。この教訓はロシア指導部には残って、タリバンとは良好な関係を築く事に努める筈だ。タリバンが多民族国家アフガニスタンの統治を続けられるか否かは、世界の不安定要因に為るだろう。

 ● ベトナム後は慎重だった米国  対中強硬世論・沈静化か  

 タリバンに敗れた米国が協力者を見捨てる形で撤退すれば、世界の指導者を自負した威信を失うのは不可避だ。その腹いせに他国の協力を得てタリバン政権を締め上げ様としても、負け惜しみとの冷笑を招いて傷を大きくする事に為り兼ね無い。  
 ソ連は、アフガニスタンのイスラムゲリラと戦って敗れ1989年に完全撤退したが、東欧支配国と国内統治の要だった軍事的威信を失い91年に崩壊した。

 だが、米国は旧ソ連の様に軍事的威信だけが頼りでは無い。米国は昨年末で1,460兆円と云う途方も無い〔対外純債務〕を抱える最大の債務国(日本は〔純債権〕が356兆円で最大の債権国)だが、米国の金融機関は他国から預かった資金を運用して世界の金融を牛耳る力を持ち続けて居る。  
 CNNテレビやAP通信等のメディアは世界に影響力を持つから、旧ソ連の様にアフガニスタンでの敗戦で超大国の地位を失う事は在りそうに無い。

 只米国も1973年にベトナムから完全撤退した後、10年間は武力行使に慎重だった。次に戦争をしたのは1983年カリブ海の島国・グレナダの侵攻だった。人口10万人・面積は東京都の16%の小国に左派の〔人民革命政府〕が生まれ、飛行場を建設して居た事が「米国の安全保障を脅かす」と云う被害妄想的な論が侵攻の口実に為り、米国は空母や6,000人の兵力を投入1週間で制圧した。
 大人が幼児を相手にする様な戦いだったが米国人は〔大勝利〕に熱狂し、レーガン大統領の支持率は一気に高まった。ベトナムに負けて以来の屈辱感が久々に晴れたとも云われる。

 今回の失敗から米国は何を学ぶのか・・・米国の覇権が崩れる事は無いにしても、米国世論が中国との軍事的対決に慎重に為れば、アフガン20年戦争の教訓は生きる。日本に取っても米中の衝突に巻き込まれて、最大の中国市場を失って経済に致命的打撃を受け、安全保障も危うく為る事態を避けられるか知れ無い。



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            軍事ジャーナリスト 田岡俊次 8-26-4




 〜管理人のひとこと〜

 歴史も含めた親切で判り易い解説でした有難うございます。今回の事態の発端から終末迄の因果関係がスッキリと頭に入って来る様に感じました。この事態の収拾も全ては〔米・中〕の思惑の内に収まるのでしょうか・・・世界は狭く全ての因果関係ソコに集中してしまう様です。
 我が国の外交を含めた世界情勢での位置は、何処に置かれるのか置こうとして居るのか・・・菅政権の次の政権は保革は別にして〔50年100年以上先を見詰める〕大きく高い位置から俯瞰する態度が必要でしょう。戦後を引き摺ら無い〔新たな見方〕で〔新たな日本の将来〕を語れる指導者が必要なのです。期待してます。













2021年08月25日

田原総一朗「アフガン混乱 バイデンが米軍撤退を急いだ本当の理由」




 田原総一朗「アフガン混乱 バイデンが米軍撤退を急いだ本当の理由」


 〈週刊朝日〉 8/25(水) 7:00配信



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         田原総一朗・ジャーナリスト (ℂ)朝日新聞社 8-25-6


 米国がアフガニスタンから撤退し、タリバンは再び権力を掌握した。バイデン政権の米軍撤退を延期し無かった背景には何が在ったのか。ジャーナリストの田原総一朗氏が解説する。

              *  *  *

 

 米軍がアフガニスタンから撤退すると、瞬く間にタリバンがアフガニスタンの主要都市を占拠し、ガニ大統領は国外に脱出せざるを得無く為った。過つて、タリバン政権だった時代には、アフガニスタンの女性達は、教育を受ける事も職に就く事も出来無かった。 イスラム原理主義とはそう云うものらしい。そのタリバンが再び政権を握る事に為る。  
 しかしバイデン大統領は、米軍がアフガニスタンから撤退すれば、この様に為る事は認識して居た筈である。それにも関わらず何故てっ退したのか。  

 この米軍のアフガニスタンからの撤退が、当然ながら今、世界の関心事と為って居る。だが米国の世論は米軍のアフガニスタンからの撤退を求めて居て、トランプ前大統領もアフガニスタンからの撤退を決意して居た。 
アフガニスタンに米軍を派遣し続けてタリバン勢力を抑え込み続ける事に、米国は218兆円の経費を使い2千数百人の米兵が亡く為って居る。  

 云わば、アフガニスタンに米軍を派遣し続ける事で、米国民にそれだけの犠牲を強いて来た訳だ。犠牲を強いながらアフガニスタンに展望らしい展望を見い出せ無い。だから、トランプ前大統領もアフガニスタンからの撤退を決意したのである。  
 但し、トランプ前大統領は、アフガニスタン政府とタリバンとの間の和平合意を前提として居た。しかし、タリバンはアフガニスタン政府との交渉を拒んで和平協議は難航して居た。今年7月の初めには協議の破綻(はたん)は明らかに為って居たのだが、バイデン政権は撤退を延期せずに8月末の完全撤退を強行しようとしたのである。云わば、アフガニスタンは米国に見捨てられたのである。

 だが、バイデン大統領は国民に向けての演説で「米国の戦争を終わらせる為の決断を後悔して居ない」と述べ、駐留米軍の撤退の正当性を改めて強調した。そして、タリバンが予想以上のスピードで支配地域を拡大させた事に関し「アフガニスタンの指導者は諦めて国外に脱出し、政府軍は時に戦わずして崩れ落ちた」と批判した。  
 その上で「アフガニスタン軍自身が戦う意思の無い戦争を、米軍が戦うべきでは無い」と訴えた。更に、米軍の駐留継続は「米国の国益に合致せず、米国民が求めて居るものでも無い」と断じた。
 
 バイデン政権がアフガニスタン撤退を急いだ背景には、泥沼と為った地域介入から米軍を引き揚げ、中国とロシアに対する軍事的抑止力を強化すると云う戦略が在ったとも捉えられて居る。 確かに、特に中国の経済力・軍事力の強大化は、今や米国に取っての脅威で在り米中対立の激化は日本に取って重大な問題で在る。
 今年4月16日の日米首脳会談では何とバイデン大統領は、台湾を巡っての米中戦争と云う事態が生じ無い様に日本に期待したい・・・と強調したのだ。その事を日本に求める為に、初の首脳会談の相手に菅義偉首相を日本を選んだのである。



 田原総一朗(たはら・そういちろう) 1934年生まれ ジャーナリスト 東京12チャンネルを経て77年にフリーに 司会を務める「朝まで生テレビ!」は放送30年を超えた 『トランプ大統領で「戦後」は終わる』(角川新書)等著書多数

 週刊朝日  2021年9月3日号



 〜管理人のひとこと〜

 男女平等の本格的議論が、ヤッと正式・公式の場に登場する時代を迎えた・・・と遅れた国と笑われる我が国でさえも想像も出来無い、マルで明治時代の様な女性の人格を認め無い・家制度や宗教至上主義に凝り固まったタリバン勢力(神学生団体)が支配する時代へと逆戻り。
 頭から布を被され女性が教育も自由も認められ無い世界とは・・・一体、宗教とは人間を苦しめる為の存在なのだろうか? モハメットもそれを承知して居るのだろうか? 元々彼は、妻と為った女主人の奴隷的な使用人だったが、彼女の助力で偉大な予言者として君臨したのに。世界には意味不明で理解し難い事例が山程も存在するものだ。


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自衛隊に依るアフガニスタンからの「邦人輸送」決定!!




 自衛隊に依るアフガニスタンからの「邦人輸送」決定!!

 実は「大きな問題」が在った



 8-25-1.png  8/25(水) 7:02配信 8-25-1



 緊迫続くアフガニスタンからの邦人輸送


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      8月17日 カブールで記者会見を行うタリバン[Photo by gettyimages]8-25-2


 政府は、イスラム教原理主義タリバンが全権を掌握したアフガニスタンに残る日本人や現地スタッフを国外に退避させる為、航空自衛隊のC2輸送機1機とC130輸送機2機を首都カブールの空港へ向けて派遣した。2013年に起きたアルジェリアのテロ事件を受けて自衛隊法が改正され、陸上輸送が可能と為ったが、今回は空港外での移動支援は実施しない。  

 空港外のゲートに国外脱出を希望する群衆が押し寄せ、タリバンが威嚇発砲する事態に陥る中、現地の日本人や現地スタッフが空港に辿り着く迄、輸送機は待機を続ける事に為る。空港の安全確保は米軍に依存して居るが、米軍の駐留はバイデン米大統領が撤収を命じる迄の限られた期間でしか無く、空輸の成否は予断を許さ無い。  

 在アフガニスタン日本大使館の職員12人は、英軍の輸送機に同乗して国外へ脱出済み。国際機関で働く日本人職員や大使館等で働いて居た現地スタッフは取り残された。19日に在った自民党外交部会では彼等を残した事に批判の声が相次いだ。  
 この日の部会で防衛省側は「自衛隊派遣の根拠法と為り得る自衛隊法84条の3〔在外邦人等の保護措置〕84条の4〔在外邦人等の輸送〕とも日本人が1人でも居ないと派遣は不可能」と説明し消極的な姿勢を示して居た。  

 しかし、アフガニスタン問題をオンラインで議論する主要7カ国(G7)首脳会議が24日に迫り、各国が軍隊を派遣して居る状況から「日本だけ何もし無くて好いのか」との焦りや「他国に頼ると後回しにされる」等の懸念が浮上。菅義偉首相が22日に為って急遽、自衛隊機派遣を決めた。
 C2輸送機の定員は110人・C130輸送機は92人なので相当な人数の現地スタッフやその家族も同乗させる事が出来る。外国人を輸送すれば初めてだ。

 これ迄とは危険性が異なる


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     アフガニスタンへ派遣されたC130輸送機の同型機(防衛省提供)8-25-3


 だが今回は、過去に実施した邦人輸送とは難易度が違う。ソモソモ邦人輸送とは、危険が差し迫った外国に居る日本人を自衛隊が艦艇や航空機で安全な国や地域へ輸送する事で、政府専用機を導入した事が切っ掛けと為り1994年11月の自衛隊法改正で初めて規定が盛り込まれた。過去には以下の通り4回の実施例がある。  

 (1) 自衛隊のイラク派遣に際し、現地の治安が悪化し、2004年4月15日、陸上自衛隊が派遣されて居た南部サマワで取材をして居た報道機関の日本人10人をC130輸送機でクウェートまで輸送した。  
 (2) 2013年1月16日、アフリカ北部のアルジェリアで日揮の石油プラントが武装勢力に襲撃され、日本人が巻き込まれて死亡。日本政府は政府専用機を派遣して、日本人の遺体9体とその家族等日本人7人を日本に輸送した。  
 (3) 2016年7月1日、バングラデシュの首都ダッカのレストランが襲撃を受け、日本人が死亡。政府は政府専用機を派遣して、日本人7人の遺体とその家族を日本に輸送した。
 (4) アフリカの南スーダンに於ける大統領派と副大統領派の戦闘激化を受け、2016年7月14日、航空自衛隊の輸送機を派遣して大使館職員4人を首都ジュバからジブチまで輸送した。  

 過去には、左程の危険が無い中でも実施されて居る。利用されたのは全て航空機だが、2013年に起きたアルジェリアのテロを受けて自衛隊法が改正され、車両による陸上輸送が追加された。しかし、何れの国も自国の治安は軍や警察が担う。自衛隊を派遣して日本人を陸上輸送し様にも相手国が自衛隊の受け入れを認め無ければ実施するのは不可能に近い。
 空港や港湾は入国する迄は外国なので、航空機や艦艇は比較的容易に派遣出来るが、一歩外へと踏み出せば相手国の領域に為る。今回、陸上輸送を実施すると為れば、タリバン側の同意が必要との見方が在り、政府は現実的では無いと判断した模様だ。

 陸上輸送が除外された理由


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     陸上輸送に使われる陸上自衛隊の高機動車(陸上自衛隊のホームページより)8-25-4


 アフガンへの輸送機派遣は、自衛隊法84条の4〔在外邦人等の輸送〕が根拠法令だ。〔当該輸送を安全に実施する事が出来ると認める時〕との但し書きが在り、緊迫する現地情勢を受けて武器を持った陸上自衛隊中央即応連隊の隊員約100人も同乗して居る。空港迄遣って来た日本人等を輸送機に安全に誘導するのが任務だ。  
 但し、彼等が武器使用出来るのは、自分自身や自己の管理下に入った人を守る為か、機体の防護やハイジャック等機内で起きた緊急事態に限定される。仮に空港へ向かう日本人が襲撃されたとしても空港外に出て武器を使う事は出来ない。  

 安倍晋三政権が安全保障関連法の一部として追加した自衛隊法84条の3為らば〔在外邦人等の保護措置〕を認めて居る。この規定にも現地が安全で在る事・武器使用に当たり当該国の同意が必要な事等・・・混沌とするアフガン情勢下では確認が困難な条件が含まれる。派遣した自衛隊を危険に晒す事にも為り、政府は現実的では無いと判断した。只、自衛隊は陸上輸送を想定して特殊車両を購入し、国内外で邦人輸送訓練を繰り返して居る。

 2016年2月16日、タイで開かれた東南アジア最大級の訓練〔コブラ・ゴールド〕で陸上自衛隊は窓に防弾ガラスを張った高機動車を持ち込み「大地震が発生、政情不安に陥った国に取り残された日本人等を避難させる」との想定で訓練を実施した。  
 避難する日本人を載せた高機動車が小銃で武装した隊員の乗った車両に守られ、深緑色の車列が猛スピードでタイ空軍基地内を走り抜けた。  

 前年の2015年12月17日には、豪州から購入したばかりの〔輸送防護車〕を使って、相馬原演習場(群馬県)で「政変で治安が悪化した国で日本大使館に集まった邦人を避難させる」と云う想定の訓練が行われた。  
 民間人役の自衛官15人を輸送防護車に乗せ、空港へ向かう途中群衆に取り囲まれたり、爆弾に依る攻撃を受けたりした。群衆に威嚇射撃をするのか相手に向けて撃っても好いのか、隊員等は瞬時に難しい判断を迫られた。自衛隊が武器を使えば、相手との間で銃撃戦に為り任務の危険度は格段に増す。自衛隊は何を何処迄すべきなのか。明確な指針を打ち立てられ無いママ、今回のアフガニスタン派遣を迎え陸上輸送は除外された。
 
 自衛隊機に依る邦人輸送には空振りもある。 1998年5月、インドネシアの政情不安を受けてC130輸送機6機が現地へ向けて派遣されたが、退避を希望する日本人は民間機等で脱出し邦人輸送は実施され無かった。
 前年の1997年7月にもカンボジアへC130輸送機が派遣されたが、矢張り邦人輸送は実施され無いで終わって居る。だが、現在のアフガニスタンには日本人が取り残され、出国を希望する現地スタッフが居るのは確実だ。  
 現地の治安情勢は予断を許さ無い。タリバン戦闘員は空港に続く道路に検問所を設け「何処へ行くんだ!」「家へ戻れ!」と銃を向けて脅して居る。空輸すべき日本人等の空港迄の移動が〔自助〕と為り、安全に自衛隊機迄辿り着けるのか見通せ無い。



        8-25-5.jpg 半田 滋 8-25-5

 1955年(昭和30)年生まれ 防衛ジャーナリスト 元東京新聞論説兼編集委員 獨協大学非常勤講師 法政大学兼任講師 防衛省・自衛隊・在日米軍に付いて多くの論考を発表して居る 2007年 東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞 著書に「零戦パイロットからの遺言−原田要が空から見た戦争」(講談社) 「日本は戦争をするのか−集団的自衛権と自衛隊」(岩波新書) 「僕たちの国の自衛隊に21の質問」(講談社)等が在る



 〜管理人のひとこと〜

 米軍のアフガン撤退タリバンがアフガンを支配反タリバン勢力への圧力増大・・・このシナリオは判り切った流れだった。在アフガンの日本大使館職員は既に英軍の輸送機でアフガンから撤退して居る。しかし、それ以外の日本人や外人の関係者が取り残されて居る。この人達の救出へ向かうC-1輸送機とC130輸送機が飛び立った。遅い決断だったが向うには向かった。
 カブールの空港迄行き待機する、避難民が空港迄自分の力で遣って来るのを待つしか無い・・・アフガンの許可なしで他国の領土を戦闘部隊が勝手の行動は出来ないからだ。無事に救出出来れば好いのだが・・・健闘と幸運を祈るしか無さそうだ。無論日本人以外の反タリバン勢力に属するアラユル国の人々も国外退去を望み空港へ殺到し避難して居る・・・この人達への救助も必要だ、日本はこれに貢献出来るのだろうか。












2021年08月23日

95歳が若者に語り継ぐシベリア抑留




 95歳が若者に語り継ぐシベリア抑留

 音楽による「洗脳」 大好きなアコーディオンが阻んだ帰国



 8-23-2.png 8/22(日) 17:00配信



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 「一寸遣ってみようか」と自宅に置いてあるアコーディオンを引っ張り出し、ロシアで演奏していた曲を聞かせて呉れた新関省二さん 「楽譜を見無くても全て頭に入って居る」(撮影 西村綾乃)8-22-30


 「話さ無ければ、風化してしまう」

 新関省二さん(95)は、シベリアでの抑留体験を語り続けて居る。旧ソ連の指導者・スターリンの指示で、1945年8月23日に始まった強制移送。約57万5000人の元日本兵等が捕虜として連行され、寒さや飢餓により約5万5000人が命を落としたとされて居る。
 厚生労働省は〔戦後強制抑留者特別措置法(シベリア特措法)〕に基づき、死亡日や埋葬地等の調査を行って居るが、約1万5000人の経緯は今も不明だ。コロナ禍の中、記憶をどう繋いで行けば好いのか。当事者や市民団体に話を聞いた。


      取材・文・撮影 西村綾乃 Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部



 朝起きると、隣で寝て居た人が死んで居た


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 「〔ガタン、ゴトン〕と列車が揺れる音を耳にすると、行き先も分から無いママ貨車で移送された絶望の時間が思い出される」と新関さん(撮影 西村綾乃)8-22-31


 「国の為、立派に死にます」

 新関省二(にいぜき・しょうじ)さんが遺書にそう記したのは18歳の時だ。「航空機に乗って敵の戦艦に突っ込み、華々しく散りたい」と、陸軍が新設した特別幹部候補生として千葉県柏の航空教育隊に入隊した。
 1944年7月に旧満州の第29飛行場大隊に転属し整備兵として作業した。或る時「天皇陛下からの励ましの声だ」とラジオの前に集められた。 「ガー、ガー」と雑音が響くだけの放送を聞き持ち場に戻った。

 八路軍(中国共産党軍)が攻めて来るとの報を受け退却の為に南へ。飛行場が在った大虎山(だいこさん・現在の中国遼寧省錦州市)でソ連軍に捕らえられた。「手を上げろ!」と突き付けられた短機関銃に部隊長以下全員が従った。

 「惨めな格好でした。様子を見て居た満州の人が、両手を上げて身動き出来無い僕等のポケットから万年筆や時計等を奪って行ってね。ソ連が来たのも可笑しいし。疑問だらけだった」

 玉音放送から約1週間後、要約敗戦した事に気が付いた。武装解除され、錦県(きんけん・現在の錦州市)の収容所に連れて行かれた。兵器の片付け等を命じられ日々を過ごした。 10月4日「ダモイ(ロシア語で〔帰国〕を意味)」と告げられ、貨車に詰め込まれた。1,500人と共に母国を目指した。
 しかし、行けども行けども日本には着か無い。ハルビンを通過した列車が到着したのは、ソ連との国境の街・黒河だった。

 黒河を流れるアムール川が凍るのを待ち、歩いて対岸に広がるブラゴベシチェンスクの街へ。更に貨車に乗り2カ月が過ぎた頃、下車した先で水辺と押し寄せる波が見えた。「ウラジオストクだ!」と拍手したが、舐めた水がショッパく無い。
 身振り手振りで子供に聞くと、海では無くシベリア南東部に在るバイカル湖だと知った。「やられた!オレ達は捕虜に為ったんだ」と息を飲んだ。


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 シベリア抑留体験者の画家・井上馨さんが描いたスケッチ(画像提供 シベリア抑留者支援・記録センター)8-22-32


 移送は夏服のママ。マイナス20度の寒さが新関さん達を襲った。「亡く為った仲間は、停車した先に放置した。墓ナンて作れ無くてそのママ進んでね。可哀想な事をしたよね」 ロシア中部のレニンスク・クズネツキーの収容所に着いたのは12月8日の早朝。

 「この日から、終わりが見え無い強制労働が始まった」

 ドイツ人捕虜と入れ替えで入った収容所で、最初に命じられたのは生活拠点と為る宿舎作り。年が明けてからは、炭鉱で1日8時間、3交代制で力作業を熟した。食事は黒パンと薄いスープと云う質素なもの。課せられたノルマを達成出来無いと食事の量が減らされた。重労働・飢餓に加え、不衛生な環境下での感染症に苦しんだ。

 「朝起きると、隣で寝て居た人が死んで居た事も在った。凍結した地面は硬く、満足に掘る事が出来無くて。裸にした遺体に雪を掛けて安置した為、野犬や狼に食べられてしまう事も在りました」


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 シベリア抑留体験者の画家・井上馨さんが描いたスケッチ(画像提供 シベリア抑留者支援・記録センター)8-22-33


 「入隊前は〔国の為に死のう〕と思って居たけれど、仲間を送る中で〔生きて遣ろう〕と意識が変わりました。〔諦めるな。もう少し遣れば何とか為る〕」 

 励まし合って居た時、日本の上官から「慣れ無い仕事で皆参って居る。楽器を買って遣るから、作業に出掛ける時に演奏して呉れないか」と呼び掛けられた。 中学2年生の時、父にアコーディオンを買って貰った事が切っ掛けで演奏家を夢見て居た。「仲間の力に為れば」と快諾し、戦前のヒット曲〔誰か故郷を想わざる〕を奏(かな)で背中を押した。

 抑留生活が数カ月過ぎた頃、収容所内でギター・ドラム・尺八等7人程奏者を集めて楽団を結成した。週に2〜3度、日本の流行歌や寸劇を披露した。収容所内の民主化(共産主義化)を図る一環で、音楽に依って統制が取られ様として居た。

 「僕は小柄だったから、スカートを履いて女装して舞台に立った。結構人気が在ってね。皆が喜んで呉れたのが嬉しかった」

 音楽による「洗脳」 帰国後は「アカ」だと差別


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 シベリア抑留体験者の画家・井上馨さんが描いたスケッチ(画像提供:シベリア抑留者支援・記録センター)8-22-34


 1948年の夏、新関さんは帰国対象者のグループに名を連ねた。何の前触れも無く再び列車に乗る様促された。到着したナホトカでは、シベリアは勿論モンゴル等の収容所から集まった約2万人が日本からの船を待って居た。

 「船が来ると5列縦隊で港に向かって、“あいうえお”順に名前が呼ばれて行った。新関の『に』の声を待って居たら、名字が呼ばれ無いのに次に移ってしまった」 「新関、どうしたんだ!」と叫ぶ仲間の声が遠く為って行った。
 1,500人を乗せた船を見送った後、残された理由を尋ねると「お前はアルチスト(音楽家)として、仕事をする事に為って居る」と告げられた。 大好きなアコーディオンが帰国を阻んだ事に狼狽えた。

 収容所に戻ると、同じ理由でトランペット奏者等15人程が留め置かれて居た。ソ連軍からアクティブ(活動分子)の一員として行動する事を求められてからは共産主義を学んだ。 ナホトカで乗船を待つ同胞に向け演奏したのは〔スターリン讃歌〕等の闘争歌。
 〔洗脳〕が目的だった。「スターリンへ忠誠を誓うと早く帰国出来る」と噂が立ち、抑留者の中には、点数稼ぎの為に仲間を告発したり吊るし上げたりする等、苛めも横行した。


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 「スターリン讃歌」など71曲の楽譜が日本語詞と共に掲載された「ソヴエート歌曲集」 新関さんは同書をアコーディオンの蛇腹部分に隠し日本に持ち帰った(写真提供 シベリア抑留者支援・記録センター)8-22-35


 新関さんが京都・舞鶴に向かう引き揚げ船に乗ったのは1949年11月。帰国する抑留者の民主化運動のピークが過ぎた頃だった。〔山澄丸〕のタラップに足を掛け勇んで船内へ。案内されたのは船底だった。

 「思想教育を受けた僕等は〔アカ〕と危険視された。他の日本人と一緒に為ら無い様に隔離されて。舞鶴では警察の取り調べも受けた。待ち詫びて居た帰国も空しかった」

 日本社会から疎外されたと云う怒りも在り、北海道札幌市に在る実家には戻ら無かった。自分達を拒ま無い共産党本部(東京・代々木)へ急いだ。入党届を提出して向かったのは国会議事堂の前。日常を監視され〔日陰者〕呼ばわりされる悔しさを、アコーディオンの音に乗せた。

 「デモをする様子が翌日の新聞に載ってしまってね。それを見た親父達は、生きて居たと云う安堵が在った一方で、変わった息子の姿を見て『これは真っ赤っ赤に染まったな』と驚いたって」

 父と再会を果たしたのは「国の為、立派に死にます」と遺書を認めてから6年後。青森からの連絡船で函館に着くと大雪が降って居た。 「惨めな格好をして居るんじゃないか」と、父は札幌の自宅から兄のスーツを持って来て呉れて居た。

 「〔アカ〕に為ったと心配して居ただろうに、そんな気配は微塵も見せ無かった。〔着替えれば捕虜に見え無いだろう〕と渡されたズボンにホームで履き替えて」

 優しい心遣いに言葉が出無かった。ナホトカで見送った戦友達も帰国を喜んで呉れた。 復員者で楽団を結成しようと、アクティブの仲間に誘われたが断り持ち帰った楽器も譲った。勤め先を探したが「シベリア帰りは危ないと、何処も門前払いだった」
 上京して居た弟や従弟を頼り25歳で東京に出た。元捕虜と云う事実を隠し、26歳の時、要約通商産業省(現・経済産業省)の或る外郭団体に就職が決まった。約4年に及ぶ抑留生活は、父と五つ離れた兄以外には口外し無かった。

 職場で出会った7つ下の喜子(よしこ)さん(88)は兄が抑留兵だった。抑留先で命を落として居た事を知り深い縁を感じて結婚した。2人の娘に恵まれた今では、長女の家族と、神奈川県横浜市内で同居。来年、小学校に上がると云うひ孫が演奏するピアノに合わせて、アコーディオンで伴奏する日を心待ちにして居る。

 「戦争に為れば、必ず捕虜が生まれる」


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 強制収容所内の様子を再現したジオラマ 東京・新宿に在る「平和祈念展示資料館」に展示されている(撮影 西村綾乃)8-22-36


 新関さんが重い口を開く様に為ったのは、同じ収容所で過ごした仲間が集まる〔シベリア抑留戦友会 レニンスク白雪会〕の会長に任命された事が切っ掛けだった。当時50代だった新関さんは「僕等が継承して行か無くてはいけ無い」と覚悟を決めた。
 「戦争に為れば、必ず捕虜が生まれる。二度と誰にも経験して欲しく無い」 会を結成した直後は約500人が在籍して居たが、高齢化が進み現在は10人程だ。

 シベリア特措法の制定から11年。厚労省はロシア側等から提出された死亡届等の資料と、日本側が持つ資料を突き合わせ身元の特定を進めて居る。今年7月14日付の厚労省の文書「強制抑留の実態調査等に関する取組状況」に依ると、これ迄に4万586人の身元が分かって居るが、2020年度に明らかに為った数は151人と動きは鈍い。


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             有光健さん(撮影 西村綾乃)8-23-1


 シベリア抑留者支援・記録センターで、代表世話人を務める有光健さん(70)は昨年、オンライン会議アプリ「Zoom」を通じ、4万6,300人の名を読み上げる企画を主催。様子は動画サイトで配信された。切っ掛けは、第二次世界大戦中に虐殺されたユダヤ人10万2000人の氏名を、6日掛けて読み上げる活動がオランダで行われた事を知った事だった。
 有光さんは、抑留経験者の村山常雄さん(享年88)が10年を費やして作成した名簿を活用する事を考案。大学生から95歳の当事者迄、47人がリレー形式で約46時間を掛けて命の重さを伝えた。

 当事者から直接話を聞ける時間は後わずかか


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            外村廉さん(撮影 西村綾乃)8-22-37


 読み上げ参加者の中には、曽祖父の戸倉勝人(とくら・かつんど)さんを亡くした大学院生の外村廉(とのむら・れん)さん(23)の姿も在った。旧満州で高級官僚だった戸倉さんは1945年に少尉として入隊。終戦後、ハバロフスクの南に位置するホールの収容所に移送され、45歳で死亡した事が判って居る。 
 厚労省が公表して居る死亡者名簿では、戸倉さんが死去した日は49年11月3日と為って居るが、日本政府が遺族に通知した日付は同年10月27日だった。〔病死〕とされて居るものの、死亡日も含めて実情は曖昧だ。同居する78歳の祖母からは「共産化した若者と思想で対立し、暴力を受けて亡く為った」と聞いた。

 「2歳で生き別れた為、記憶は殆ど無いそうです。僕と父が遣り取りして居ると、時々〔お父さんと話が出来て羨ましい〕と言われる。遣る瀬無い気持ち」と視線を落とした。 勲章を付け、堂々と胸を張る戸倉さんの写真は家族に残された形見だ。「何時か曽祖父が最後に目にした、ホールの街を訪れてみたい」と思いを馳せる。


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 2020年にオンライン上で開催した氏名を読み上げる企画の様子(写真提供 シベリア抑留者支援・記録センター)


 Zoomを使った氏名の読み上げは、今年も8月23日の夜にスタートする。 「名簿に記された氏名、生年、階級、死亡日などから、夫々の背景が浮かび上がって来る」と外村さん。 中でも出身地に〔朝鮮〕と書かれた〔トクヤマ・キデツ〕さんが印象に残った。25年に生まれ48年に亡く為ったトクヤマさんは外村さんと同じ年頃。「何とも言え無い無残さがある」と首を振る。

 同会を主催する有光さんはこう言う。
「4万6,300人の名を読み聞いて、その人がどんな風に生きたのかを想像して欲しい。当事者から直接話を聞く事が出来る時間は後わずか。実態解明に向け、政府だけが主体の事業から、民間やロシア側の地域住民等を含めた国際的な共同事業に発展させる等、特措法の改正を求めて行きたい」

 「沖縄慰霊の日(6月23日)や終戦の日(8月15日)に平和を祈る様に、8月23日を『抑留犠牲の日』として国民全体が追悼する日に為れば。収容所の跡地等を巡るツアーや地元の人々との交流を企画する等、戦争を知ら無い世代が『知る』機会を増やす事も大切です」



 〜管理人のひとこと〜

 シベリア抑留・シベリア強制連行・・・と呼ばれるこの出来事は、終戦当時に北朝鮮・満州地方に居た日本兵を中心とした人々(日本人・朝鮮人・民間人含む)約60万人がジュネーブ休戦条約・・・終戦・休戦に為ったら将兵は直ちに故国へ帰還させる・・・に違反して、戦争捕虜として拘束・拘留し強制労働させた国際法違反の行為だった。
 旧ソ連は、ドイツとの戦いで膨大な犠牲者を生み続けた・・・特に戦いに出られる若者の年代を中心に。戦後復興の為の若い力の不足・労働力の不足を実感したスターリンは、戦後もドイツや日本の将兵を拘留しその不足する労働力の一部とし無ければ為ら無かった。
 拘束された地域は単にシベリアだけで無く、蒙古や北朝鮮を含む各地に広がり、日本政府は何度も何度もソ連政府と交渉を続けたが、遅い時期に帰国出来た人達は昭和36年迄掛かった。約一割が死亡したとされるが、詳細の一部は未だに不明のままだ。
 管理人辺りの年齢に為ると、直接シベリア帰国者の顔を見る事も在ったし、この事実も〔終戦⇒シベリア抑留〕と当然の如く知って居る。が、今後この歴史が忘れ去り多くの国民の記憶から消し去られる事も考えられる。先の大戦の大きな史実として忘れては為ら無い教訓として確りとした組織的活動が必要と為るだろう。この事実は我が国の貴重な史実・教訓の一つなのである。

















2021年08月22日

世界はコロナ禍の裏で 大きな変化が起きている・・・アフガン問題



 
 世界はコロナ禍の裏で 大きな変化が起きている・・・アフガン問題


 そもそもタリバンとは?

 イスラム専門家がイチから解説  ISやアルカイダの関わりも




 8-22-1.png 8/18(水) 9:06配信 8-22-1



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 タリバンの共同創設者アブドゥル・ガニ・バラダール(央)他タリバン交渉メンバー(C)ロイター 8-22-2



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               現代イスラム研究センター理事長 宮田律
 

 アフガニスタンの首都カブールが反政府勢力タリバンに依って陥落し、米国が造ったアフガニスタン政府は崩壊した。アフガニスタンに残って居た米軍にはタリバンと戦う姿勢が微塵も見られ無かった。これでは、米国にはタリバンの圧政からアフガニスタンの人々を助ける意図等、2001年の対テロ戦争開始当初から毛頭無かったと言われても仕方無い。
 米軍が20年もアフガニスタンに駐留しても制圧出来ず、時計を対テロ戦争開始当時に戻してしまったタリバンとは一体ドンな組織なのか。為るべく分かり易く丁寧に解説したいと思う。



 アフガニスタンとパキスタンに住むパシュトゥー語を話す人々  

 タリバンは、1990年代に軍閥同士の衝突で混迷を深めて居たアフガニスタンに、秩序や平和を齎(もたら)そうとしてムッラー・ムハンマド・オマル(1960〜2013年)を中心に成立した組織だ。軍閥達は、アフガニスタンの各民族を基礎に武装集団を作って居たが、タリバンはパシュトゥーン人を中心に成立した。
 パシュトゥーン人とは、アフガニスタンとパキスタンに住むインド・ヨーロッパ語族・イラン語派のパシュトゥー語を話す人々だ。  

 1989年2月にソ連軍がアフガニスタンから撤退すると、1990年代はソ連軍と戦って居たムジャヒディン(イスラムの聖なる戦士)同士の戦いに為り、内戦は5年以上の長きに渉った。そんな混迷のアフガニスタンで、新たな勢力が俄かに台頭し、アフガン政治で一気に軍事的に優勢に為って行く。

 近年のアフガン社会は 戦国時代の日本と重ね合わせると理解し易い  

 それが、1994年7月に誕生したタリバン(原義は〔神学生達〕)だった。このタリバンは、パキスタンのアフガン難民キャンプで育ち、パキスタンのスンニ派の神学校で学んだ若い世代のアフガニスタン・パキスタンのパシュトゥーン人達を中心とする組織だった。
 1996年9月にタリバンはカブールを制圧し、北部の一部地域を除くアフガニスタンのほぼ全土の支配を確立した。

 対ソ戦争やムジャヒディン同士の内戦で疲弊したアフガニスタン人の間では、規律や秩序の確立を唱えるタリバンの訴えには傾聴すべき処が多々在った。アフガン社会で伝統的に影響力が在る長老達もタリバンに支持を与えて行った。
 タリバンへの支持が急速に広がって行ったのも長老達の理解や支持が在っての事だった。日本の戦国時代に存在した在地領主と長老を重ね合わせればアフガン社会の構造も理解し易いかも知れ無い。長老が日本の在地領主の様に直接農民を支配し、タリバンは長老を介して住民達を統治する。
 支持する長老達を増やす事に依ってタリバンは支配地域を拡大して行った。今回アッと云う間にタリバン支配が広まったのも、直接支配と云うよりも長老を介した間接支配が広まって行ったと云う事だろう。

 テレビや音楽・インターネットを禁止し宗教警察を設置  

 1996年から2001年迄のタリバン政権時代、タリバンは、テレビや音楽・インターネットや衛星放送用のアンテナを禁止し、女性の隔離や女性のベール着用を強制、又イスラム的行動を遵守させる為に宗教警察を設置して行ったが、それ等は厳格なイスラム主義を奉ずるサウジアラビアの影響を受け、サウジアラビアの施策ソックリのものだった。
 サウジアラビアはワッハーブ派と云うイスラムの原点回帰志向の厳格なイスラムを奉ずるが、政権を担って居た時代、タリバンも国際社会の一部から「ワッハービー」と形容されて居た。  

 タリバンが復活したのは、米国の関心がイラク戦争の主戦場で在ったイラクに向けられた事も在るだろう。タリバン政権が崩壊した翌年の2002年から2003年迄の間、米国は僅かに7,000人の将兵を駐留させたのみだった。
 アフガニスタンは、フランスとホボ同じ面積の国土に、3,000万人以上が居住する国で在る。極めて不十分な兵力の米軍は、アフガニスタン東部と南部に展開してアルカイダとタリバンの掃討に従事して居たが、米軍の手薄な兵力を背景にタリバンは次第に勢力を盛り返して行った。

 タリバンと理念を同じくするアルカイダとIS  

 タリバンとアルカイダ・ISは欧米等で〔ワッハービー〕或いは〔サラフィー主義・・・ムハンマドやその教友達が生きた時代の状況[サラフ]に回帰する事を目指す〕等と形容され、厳格なイスラム主義を標榜するが、

 ⊡ タリバンはそうした理想をアフガニスタン国内
 ⊡ アルカイダ欧米の影響力をイスラム世界から排除する事で
 ⊡ ISは実際にイスラム国家(カリフ国家とも呼ばれる)を創設する

 事で実現しようとする。同じ理念・又武力と手段で共通項が在るものの、その主たる目標はこの様に異なって居る。タリバンは、2001年の9.11同時多発テロを起こしたアルカイダを匿ったと云う理由で米国などの攻撃を受けその政権は崩壊したが、タリバンの姿勢は〔庇護を求める者には避難の場所を与える〕と云うイスラムの教えに基づいて居る。
 これと同様な考えでISにも活動の場をアフガン国内に与えて行けば、アフガニスタンが国際テロの拠点と拠点と為る可能性は十分考えられる。実際、2019年4月にスリランカで同時多発テロを起こしたグループはアフガニスタンを中心にネットワークを築く〔ISホラサーン州(ISKP)〕だった。

 中国はタリバン政権を承認する姿勢だが、ISKPには中国が治安上最も警戒するウイグル人の反政府武装勢力のメンバーも含まれる。タリバンは中国に取っては二律背反的な存在で、タリバンがISKPを中国との外交交渉のカードに使う可能性も在る。  
 米国のバイデン政権は、タリバンによるカブール制圧に依ってメンツが瞑れされた形と為ったが、現在、米国民の間にはアフガニスタンに対する関心はコロナや経済の失速も在って強く無いが、アフガニスタンが対米テロの拠点と為った場合、バイデン政権に対する風当たりが強く為り、米軍のアフガン撤退が政権の致命的な失点と為る事も考えられる。



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             宮田律 現代イスラム研究センター理事長

 1955年 山梨県甲府市生まれ 83年 慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻修了 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院修士課程修了 専門は現代イスラム政治 イラン政治史 「イラン〜世界の火薬庫 」(光文社新書) 「物語 イランの歴史 」(中公新書) 「イラン革命防衛隊 」(武田ランダムハウスジャパン)等の著書が在る 近著に「黒い同盟 米国、サウジアラビア、イスラエル: 「反イラン枢軸」の暗部 」(平凡社新書)



 この問題をもう少し解説しよう・・・

 米国はタリバン9州都制圧でも アフガン撤退  

 20年掛けた「対テロ戦争」の意味



 公開日 2021/08/12 06:00 更新日 2021/08/12 06:00



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        山村で辺りを警戒するタリバン兵士(C)共同通信社拡大する 8-22-4


 バイデン米大統領が8月末に米軍の撤退を完了する事を7月上旬に明らかにして以降、アフガニスタンの旧支配勢力タリバンは一挙に攻勢を強め、11日の時点でアフガニスタン全34州の9つの州都を制圧した。それでも、バイデン大統領は自らの決断について「後悔していない」と強調し「何千人もの米兵が死傷して居る。アフガン軍は、自力で国の為戦わ無ければなら無い」と混沌の地から逃げ去ろうとして居る。

 バイデン大統領の言い草は「アフガンの為に米国は尽くした」みたいに聞こえるが、そもそもアフガンが今の様な混沌状態に陥ったのは米国の所為だ。
 2001年9月11日に米国で同時多発テロ事件が発生し、4機の旅客機が乗っ取られ、そのうちの2機がニューヨーク・世界貿易センタービルに、また1機がワシントンDCの国防総省に突入。さらに1機はピッツバーグ郊外に墜落するという同時多発テロが発生した。
 このテロでは、およそ3,000人が犠牲に為り、ブッシュ米大統領(当時)は、直ちに〔テロとの戦争〕を呼び掛け、同年10月中旬にアフガニスタンへの攻撃を開始した。

 タリバン政権打倒を 米国が01年に掲げたソモソモの理由

 米国政府が当時のアフガニスタンのタリバン政権を打倒しようとしたのは、同時多発テロの首謀者と見做されたオサマ・ビンラディンが率いる過激派組織アルカイダを匿って居ると考えた為だ。
 ビンラディンは、米国が1991年の湾岸戦争でイラクを攻撃し5万人とも10万人とも見積もられるイラク兵やイラク市民を殺害し、且つこの戦争でイスラムの聖地メッカやメディナが在るサウジアラビアに米軍を駐留させた事、更にイスラム同胞で在るパレスチナ人を殺害し、イスラムの聖地でも在るエルサレムを軍事占領するイスラエルを偏(かたよ)って支援する事に憤り、米国に対するテロを追求する様に為った。

 実際、アルカイダは1998年8月にケニア、タンザニアの米大使館を同時多発的に爆破し、224人が犠牲に為った事が在り、アルカイダは米国に捕って深刻な安全保障上の脅威と為って居た。
 米軍を初めとするNATO主体の有志連合軍の圧倒的な軍事力に依って2001年11月にタリバン政権は崩壊し、翌12月に米国の後押しでアフガニスタンの新体制が発足したものの、タリバン勢力は根強く抵抗を続けて行く事に為った。

 日本はテロ対策特別措置法に依って海上自衛隊がテロ組織の海上阻止行動に参加し、2010年迄インド洋で米軍等多国籍軍の艦船に給油活動を行った。NATOを母体にISAF(国際治安支援部隊)も編成され、ドイツも基本法の解釈変更に依って第二次世界大戦後初めて軍隊をアフガニスタンと云う外国に派遣したが、59人の兵士と3人の警察官が死亡した。

 腐敗と薬物に塗れた 米傀儡のアフガニスタン新政府

 タリバンの勢力が衰え無かったのは、米国が後ろ盾と為ったアフガニスタン新政府に国民の信頼が無かったからだ。政府・軍幹部の腐敗は深刻で、昨年7月に米政府のアフガニスタン復興担当特別監察官事務所(SIGAR)は「カンダハル・ザブール・ウルズガン・ヘルマンドの南部4州の警官の50〜70%が実在せずに、実在しない兵士や警官の給料は軍や警察の幹部が着服し、又警官の約半数が薬物に手を染めて居る」と報告した。
 
 アフガニスタンは、国家予算の6割以上を国際社会からの支援に依存して居るが、その少なからぬ部分が着服され、政府・軍高官の腐敗も又タリバンへの支持と為り、タリバンは上記の南部4州で取り分け強力に為った。
 政府高官には、現体制の崩壊を見越して腐敗に依る蓄財に依ってドバイのコンドミニアムを購入し、家族と共に贅沢な暮らしを享受する者も居る。(The Bureau of Investigative Journalism〔調査報道局〕2019年11月4日)

 米国は5月から強まったタリバンの攻勢に対して外交努力で対応する考えで、ザルメイ・ハリルザド・米アフガン和平担当特別代表を通じてカタール・ドーハで開かれるタリバンとの和平交渉で軍事攻勢の停止を求めるが、軍事的に優位に為りつつ在る中でタリバンが要求に応じるかは極めて疑わしい。
 タリバンはその支配下に置いた地域で、住民達にタリバンに協力する意思を示すカードを配布し、その所持で安全を保障する様にも為り、政府に協力すれば直ちに処刑すると住民達を威嚇して居る。

 アフガニスタンが再び国際テロの拠点に為る可能性も

 アフガニスタンが国際テロの拠点に再び為る可能性を指摘する英軍の元司令官も居るが、中央アジアからアフガニスタン・パキスタン・インド・スリランカで活動する〔ISホラサーン州(ISKP)〕の兵士の多くはウズベク人とタジク人・又ウイグル人と見られ、中央アジア諸国や中国、更にはロシアに取って重大な脅威と為りつつ在る。
 7月末に中国の王毅国務委員兼外相とタリバン幹部のバラダル師が中国・天津で会談したが、中国の目的には、タリバン政権の成立を見越して経済協力の可能性を探ると共に、アフガニスタンで活動するウイグル人武装勢力の情報をタリバンに提供して貰う事が在る。

 客観的情勢は現アフガニスタン政府に取って益々厳しく為り、ベトナム戦争の際のサイゴン政権の二の舞に為る可能性は否定出来ない。実際、アフガニスタンでは1989年2月にソ連軍が撤退すると、その3年後の1992年にソ連軍が支えて居た共産党政権が崩壊し、内戦状態に陥り内戦の混乱の中から人々に平和と安定を約束するイスラム主義勢力のタリバン(学生達)が台頭した。
 タリバンは1996年からアフガニスタンの大部分を実効支配したが、女性の就学や音楽を禁じる等その極端な原理主義的方策も在って、正統な政府として認めたのは、サウジアラビア・UAE・パキスタンの3カ国に過ぎ無かった。

 タリバン政権が再び成立した場合、日本はこれを承認するのか、又これ迄継続して来たアフガン支援をどうするのか、日本にも重大な選択が迫られる事に為る。




 〜管理人のひとこと〜

 世界のテロリストの拠点・・・アフガンのタリバン政権・・・この様な恐怖がコロナ後に再び世界を覆ってしまうのか。まるでテロの様に、世界を駆け回ったコロナウィルスは依然と脅威を保ちつつ未だに席巻し続ける。我が国は既に医療崩壊へと突き落とされてしまった。
 国力・政治的資質の劣る国々は、この様なパンディミックには全くお手上げと為る様だ。それは、政治権力が劣り国民からの信頼性が無いからに相違ない。何とかして政権は信頼を取り戻し、この危機から逃れなければ為らないのだが。
 一体アメリカは、アフガンのタリバン政権を放逐して以来何をして居たのだろう。世界からの支援を求め周辺を支配しようとしたが、出来たのは汚職塗れの傀儡政権と何もせずの軍事撤退だけだった様だ。間に狂気のトランプが介在するが、それにしても将来を見越せ無い一貫性の無さと哲学の無い行き当たりバッタリの動きしか出来なかった。「他所の国の為に米軍が犠牲を払う事は無い、自分の国は自分達の犠牲で守れ・・・」とは、一体何を言ってるのだとの批判が出るのも最もなのだ。全てはアメリカが復讐の為にアフガンに干渉しタリバンを放逐したのが原因なのだから。
















2021年08月21日

歴史は真実を伝えるか?  正しい知識・・・元寇異聞



 「元寇は神風が吹か無くても本当は防げた」

  鎌倉幕府が幾度も在ったチャンスを見逃した根本原因


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      ※写真はイメージです  写真 鎌倉八幡宮 iStock.com brytta 8-21-2


 我々が習って来た歴史は史実の極一部でしか無い。東京大学史料編纂(へんさん)所の本郷和人教授「もしも鎌倉幕府に教養が在ったら、日本はモンゴルに襲われ無かっただろう。モンゴルにして観れば、態々コストパフォーマンスの好く無い日本攻め等遣る意味が無い」と云う・・・

 本稿は、本郷和人『日本史の法則』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。


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                本郷和人教授 8-21-31


 腕っプシは強いが知力や教養は乏しかった  

 これは日本史では無く、東洋史の方の研究者の知見なのですが、所謂〔元寇〕の前段階、モンゴルから送られて来た国書は、別に服属を求めて来た訳では無く驚く程丁寧なものだったそうです。だから、もしももう少し鎌倉の武士達に教養が在って、モンゴルの意図を理解する事が出来て居たら、少なくとも挨拶の使者位は送ったのではないかと思います。

 当時の鎌倉の武士は腕っプシは強い、しかし知力や教養は乏しかった。例えば極楽寺重時(1198〜1261)と云う北条泰時(1183〜1242)の弟に当たる武士が居ました。泰時は御成敗式目を定めた執権。重時はその兄に非常に忠実な人で、泰時に頼まれて京都で六波羅探題を務め、泰時没後は兄の孫の北条時頼(1227〜1263)を補佐する為に京都から帰って来た。  
 重時は時頼を確り補佐し、ヤガて重時の娘と時頼が結婚して時宗が生まれた。後にモンゴルと戦う事に為る北条時宗(1251―1284)です。

 時宗からすると、重時は祖父と云う事に為ります。彼は、兄の泰時と共に政治行為の重要性を知らしめ、鎌倉幕府に〔統治〕と云う概念を植え付けました。この極楽寺重時が鎌倉時代のキーパーソンだったと私は考えて居ます。  
 その重時が、子供達に宛てて書いた遺訓が残って居ます。そのなかの1つには「ドンなに腹が立っても家来を殺してはいけ無い」と在る。ドンな教えだ。重時程優秀な人にして、このレベル・・・

 しかも言われて居る子供達が、箸にも棒にも掛から無い出来だったので在れば未だ仕方が無いですが、その子供とは、北条時頼から認められ、初めて北条本家以外から執権に為った北条長時(1230〜1264)なのです。 重時ですら、ヤガて執権と為る息子に「腹が立ったからと云って家来を殺すな」と教え無ければ為ら無いレベル。それが当時の武士の教養の現実でした。

 国書を読み熟す事も出来無い  


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 それでも北条家は鎌倉武士の中でも非常に賢い家だったのですが、モンゴルの国書を読み熟すだけの力は無い。それに、モンゴルが非常に低姿勢で在ると云うのは、現代の東洋史研究者だからコソ判る事で在って、リアルタイムの彼等が理解するのは難しい事だったのかも知れません。  
 唯使者が何人も来て居る訳ですから、キチンと話を聞いてみれば好かった。しかし、そこが駄目な処なのですね。少し教養が在れば、兎も角もフビライに使いを送って挨拶をする・・・そうしたら「お前の所はど田舎だと聞いて居るけれども、遠い所遥々好く遣って来た。朕は満足である」と云う事で、多分鷹揚(おうよう)にご褒美を一杯持たせて帰して呉れたと思います。

 モンゴルが態々(わざわざ)日本を攻める意味は無い  

 モンゴルにして観れば、態々コストパフォーマンスの好く無い日本攻め等やる意味が無いのです。趙良弼(ちょうりょうひつ)(1217〜1286)と云う使者の1人が1年程日本に滞在し日本の様子を好く観察した。そして元に帰ってフビライに報告して居るのですが、その内容は「アノ国は人は荒くれ者ばかりで、土地は痩せて耕作には不向きです。アンナ所に兵を送っても割りに合いませんので、出兵は不可です」と云うものだったのです。  

 だからフビライを態々激怒させ無い限り、恐らく攻めて来る事は無かった。 偶に「モンゴルは日本征服の闘志を、メラメラと燃やして居た」と云う様な事を語る人が居ますがそれは全然違ったと思います。
 金のロレックスを持って居る人が、今さら1万円位のデジタル時計を欲しがるでしょうか。欲しい場合も在るのでしょうか。普通は要ら無いと思うのですが。  

 結局北条氏はモンゴルの使者を無視しました。「掛かって来るなら来い」と云う姿勢に他為りません。しかもこの辺りが北条氏の如何(どう)しようも無い処で、モンゴルと日本が戦争に為ると云う状況が全く読めて居無いのか、それとも当時の戦争とはそうしたものだったのか・・・元との交易はシレッと行って居るのです。しかもそれで、北条本家に近い人間が利益を上げて居た。
 中国の朝貢貿易と云うものは、誰とでもすると云うものでは無くて、その土地の王様しか相手にしない。その場合、小国で在っても相手が王様で在れば問題無い。例えば琉球、今の沖縄県には統一以前に3人の王様が居ましたが、元の後の明と夫々交易ルートを持って居ました。
 但しこの時、中華の皇帝から「お前を○△国王に任ずる」と云う、所謂〔冊封 (さくほう)関係〕を結ぶ必要が在ります。王は皇帝の臣に為るのです。

 北条氏は現代で言えば「エクセルを使い熟せ無い人」  

 もし当時の北条氏に教養が在って「元は立派な国だ。使いを派遣しよう」と考えて実行して居れば、皇帝フビライは「好し、お前を日本の王様として認めて遣ろう。これからもチャンと挨拶に来るんだぞ」と、北条氏を日本の王として承認した可能性が高い。  
 その上で北条氏が船を派遣すれば、此方の届けた品に対して大体10倍と言われるお土産をお返しで持たせて呉れた。大儲けですから益々船を遣り取りする訳で、そうすると日元貿易はドンドン盛んに為る。と為ると、貨幣経済がドンドン進んで居た事と思います。  

 但し気を付けるべき事が在ります。貨幣経済が進むと、一般的な武士は貨幣経済の流入に着いて行け無く為る。現代で言えば〔エクセルを使い熟せ無い人〕の様に世の流れに取り残されて行く事に為ります。
 そうした武士が増えると鎌倉幕府は滅びる。だから、もし北条氏にモット教養が在れば、鎌倉幕府倒壊がより早まった可能性がありますね。

 似た様な状況に置かれて居た日本と朝鮮  

 それともう一つ、これは違う話ですが、実は日本と韓国・・・当時は〔高麗〕ですが、この二つの国の歴史は此処迄凄く似た展開を辿って居たのです。日本の場合は、平清盛と云う武士が現れて朝廷の実権を握った。その後の源頼朝は、朝廷の実権を握ったと言えるかどうかは判りませんが、日本全体からすると非常に重要なポジションに居た。  

 一方〔高麗〕の場合も、この時期に矢張り武人政権が生まれて居るのです。朝鮮と云う国では文が上で武が下。だから武人の政権は基本的に在り得無かった。しかし当時、武人が自分の土地(日本で言えば荘園の様な)を基礎にし、軍隊の力で朝廷の中で発言力を高めそして実権を握ると云う事を遣って居る。
 崔忠献(さいちゅうけん・1149〜1219)と云う武人が代表的な人物ですけど、この人は日本で云えば将に平清盛に当たります。その後、崔氏が世襲的に実権を握りますがこれは将に鎌倉幕府です。この時期、二つの国が似た歴史を辿って居たのですね。しかしその流れが何処で分岐したかと云うとモンゴルです。

 もしモンゴル帝国が成立して居なかったら  

 地続きの〔高麗〕に対しては、モンゴルは非常に高圧的だった。高麗の王室は、元に完全に取り込まれてしまいます。これは源実朝を懐柔して鎌倉幕府を支配しようとした後鳥羽上皇と同じ政策ですね。
 モンゴルの皇帝も、高麗の王様をそれ為りに厚遇して抱き込んでしまい、そうして高麗を支配しようとした。しかしソコで、武人政権は徹底的にモンゴルに対立する。この流れも又、実朝を自ら殺してしまった鎌倉幕府と似て居ます。  

 当時、高麗には〔三別抄・さんべつしょう〕と言って3つの独立した軍隊が在った。別抄とは軍隊の意味で、元々は、左の別抄と右の別抄、そしてモンゴルから脱走して来た兵〔神義〕から為る3つの軍が、武人政権の下別個に独立した動きを見せて居た。しかしそれ等が力を合わせて〔三別抄〕を名乗る様に為りモンゴルとの戦いを繰り広げる。
 その時、三別抄から日本に対して「一緒に戦おう」と云う連携の手紙が来て居ます。しかし結局三別抄はモンゴル軍に負けて解体されてしまう。結果、武人政権自体が完全に解体される事に為ります。

 モンゴルは、地続きの高麗の武人政権は認めませんでした。一方、海を挟んだ日本の武人政権は北条氏の下で生き残った。この辺りから日本と韓国の歴史は分岐し夫々違う流れを辿って行く事に為りました。もしも仮にモンゴル帝国が成立して居なかったら、日本と朝鮮の歴史は似た展開を続けて居たかも知れません。
 しかし地続きで在る事と島国で在る事の違いが流れを変えた・・・この事は、地政学的な条件がどの様に歴史に影響を及ぼすか。その大きさを教えて呉れて居ると思います。




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 本郷 和人(ほんごう・かずと) 東京大学 史料編纂所教授 1960年東京都生まれ 文学博士 東京大学・同大学院で石井進氏・五味文彦氏に師事 専門は日本中世政治史・文書学 『大日本資料 第五編』の編纂を担当 書に『日本史のツボ』『承久の乱』(文春新書) 軍事の日本史』(朝日新書) 乱と変の日本史』(祥伝社新書)、『考える日本史』(河出新書)。監修に『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社)など多数


 〜管理人のひとこと〜

 以前、韓流時代劇の「武人時代」と云う途轍も無く永いTV番組を衛星放送で連載して居り喜んで観ていました。〔武人・軍人〕が文人(官僚・貴族)に虐げられ酷い扱いを受けて居たのを、それを武力で完全に支配し王権を左右する様に為る・・・とのお話でした。凄く暴力的で次々と幾人もの武人のリーダーが現れては消えて行くのですが、矢張り貴族の時代から武士の時代に為ると、活動的で俄然面白く為って来ますネ。日本史も奈良時代や平安時代を終わる頃から、平清盛や源頼朝の時代へ移ると面白く大変に為って来ます。しかし多くの国民は、武力では無く貴族・文人政権の方が平和で好かったのでしょうか・・・教えてください。















 
 







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