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2021年10月29日

寺田農 60年役者遣っても思想は「アマチュア」と言い切る理由



 

 寺田農 60年役者遣っても思想は「アマチュア」と言い切る理由



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            筆者 菊地陽子 2021/10/29 11:30 10-29-22



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 映画「信虎」はTOHOシネマズ甲府で先行公開中 11月12日(金)からTOHOシネマズ日本橋他全国公開 (c)ミヤオビピクチャーズ 10-29-20

 
 喜寿の誕生日の直後に撮影された映画が1年遅れで公開される。家名を残す為に奮闘した武田信玄の父・信虎を演じた寺田農さんの軸には、家名や因習や常識に囚われ無い自由な人生観が在った。

                    *  *  *


 
 一昨年の11月7日 喜寿を迎えた。その直後に映画「信虎」の撮影の為に、約1カ月間、京都で過ごす事に為った。甲府開府500年を記念して公開される予定だった映画は、実業家で歴史美術研究家・茶人でも在る宮下玄覇さんがプロデューサーと為り脚本を書いた。寺田さんが演じるのは主人公の武田信虎。言わずと知れた武田信玄の父親で在る。

 「映画は、余りに史実に忠実過ぎても詰まら無い。僕が思うに、面白いか・泣けるか・笑えるか・感動させられるか・訳が判ら無いけど面白いか・・・そのドレかじゃ無いとダメなんです。だからこの映画も、史実から如何人間ドラマを盛り上げて行くかは、金子(修介)監督や宮下さんとも色々話しました」

 少しイレギュラーな成り立ちの映画だが、寺田さんが一番驚いたのは、今回撮影をしたロケ場所と、ソコに用意された本物の美術品の数々だった。

 「長い俳優生活で僕が一回も行った事が無い寺ばかり。しかもソコには、本物の美術品や太刀・鎧兜に茶器等が用意されて居た。僕は、父が絵描きだった事も在って、美術品を見るのが好きでね。
 コロナに為って映画の公開が1年遅れたけれど、逆に、信玄公生誕500年に重なった。それはラッキーだったんじゃないかと思いますネ」


 今年、寺田さんは役者生活60周年を迎えた。早稲田大学在学中に文学座に入団。同期は岸田森さん・橋爪功さん・樹木希林さん・北村総一朗さん等、錚々(そうそう)たるメンバーが揃って居た。
 映画やテレビにも積極的に進出しながら、70代も終わろうとして居る時期に映画で主演を務めた。キャリアは華々しいが、当の本人は、サラリと「照れでも何でも無く思うのは、私何て役者としてはアマチュアなんだね」と言う。

 
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             寺田農(撮影 写真部・高野楓菜)10-29-21

 「テクニックやキャリアより、思想と云うか思いがアマチュアなの。何かが終わると直ぐ『次に何か面白いもの無い?』って為っちゃうから。『信虎』のパート2を遣りませんかと聞かれても、同じ事する位なら何か他の事をしたいと思う。若い頃からソウでしたね」

 寺田さんの終生の師匠は、付き人を務めた事も在る三木のり平さんである。のり平さんの脚本を書いて居た小野田勇さんは、大層遅筆で当日に為ら無いと脚本が出来無い事はしょっちゅうだった。

 「俺は、稽古とかリハーサルが嫌いなんです。森光子さんの『放浪記』も、のり平さんが演出だったから4カ月興行に2回出演した事が在ったんだけど、のり平先生も稽古が嫌いなのに森さんは好きでサ。
 俺は、セリフを覚えると飽きチヤウ。覚えた後は段取りだけに為っちゃうから、新鮮じゃ無く為るのが嫌なんです。『のり平劇団』では、行き成りブッツケで何十年も遣って来た。今でもリハーサルは嫌いテストも嫌い。元気が在るから最初が一番!」


 飽き性なのは子供の頃からだ。父親が画家だった所為か寺田家は自由放任主義。その父は11人兄弟で従弟は24人居たが、農少年を除く23人が女性だった。

 『一族で足った一人の男の子だったから、蝶よ花よと育てられてコンナに為っちゃった』と母親が好く嘆いて居た(笑)自分でも、性格に欠陥が在るんじゃ無いかと思う程、物事を深く考えるのが苦手です。ドッかで冷めちゃう。嫌いな言葉は、努力と忍耐。歯を食い縛るとか性に合わ無い。サラッと行きたいんですよ全てに」

 自分に取って何が心地好いかを把握して居るだけで、人の遣り方を否定して居る訳では無い。子供の頃から好奇心旺盛な寺田さんは、新鮮さとか驚きが仕事をする上での一番の楽しみなのだ。

 「芝居だって、人間が生きて居るそのスピードの中で生まれるもの。だから、毎回何が出て来るか判ら無い事が面白い。ソーマイとは、だからソコが一番合った」

 その殆どの作品に出演した盟友・相米慎二監督の事を、寺田さんは親しみを込めて「ソーマイ」と呼んだ。相米監督の対極に在るのが実相寺昭雄監督だったと云う。

 「実相寺は『そこはダメ、2ミリ前、瞬きしない・息を止めて』と、マルでレントゲンでも撮ってる様な細かい指示を出す。でも、ソレは実相寺の世界だから。実相寺の映画の中では俺は『役者は動く小道具』って好く言ってたんだけど、その指示に依ってドンな世界を見せて呉れるかに興味が在った。
 アレだけの作品を残しながら、当時、彼を嫌う女優さんは一杯居たよ。でも、そんな事でオファーを断るのは勿体無い。テレビの演出家でも映画の監督でも『芝居が判って居る』なんて人は居ないんだから。ソーマイだって判って無かったと思う。結局『こうじゃネェよな』『アアじゃネェよな』と遣りながら考えるのが正解なんです」


 子供の頃から今の今迄、日々楽しく幸せに暮らして居る。悩んだりクヨクヨする事は無い。

 「私はね、蠍座(さそりざ)の午年(うまどし)のB型なの。詰まり、何か始めると物凄くシツコイけど、サソリから馬に為ると突然飽きちゃう。序にB型の好い加減さが根幹に在ります(笑)
 そりゃ振り返って観ればね『生まれてこの方、恥ずかしい事の連続だった』と云う言い方も出来ますよ。若い時ナンか、平気で遅刻して沢村貞子さんに怒鳴り着けられて土下座したり。そんなの山の様に在るよ。でもその時もメゲナイの・心に傷が着か無いの。だからストレスが無いんだネ」

 
 お酒に纏(まつ)わる失敗も数知れず。相米慎二監督や実相寺昭雄監督と組んで居た頃は、毎晩浴びる様に飲んで居た。


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                 『冬の華』10-29-24


 「でも一番の失態は、初めて高倉健さんの映画に出演した時。降旗康男監督の『冬の華』(1978年)と云う作品でした。健さんと云えば、我々の時代でも憧れの大スターですよ。共演出来ると云うだけで舞い上がった。
 イヨイヨ明日健さんと2人のシーンが在ると為ったら、流石の俺も『早く寝て、明日に備えねば』ナンて思っちゃってさ。それにはチラと飲んだ方が好いだろうと。チラと飲んだら朝の5時位に為っちゃった(笑)」


 酒と、何故かニンニクの臭いをプンプンさせて撮影所に行くと、スタッフは大騒ぎに。「健さんはニンニクが嫌いだから、りんごを食べて臭いを消せ!」等、様々な怒号が飛び交った。

 「気持ち悪いから、セットの脇で死んだ様に横に為って居たら、遥か向こうから『アラビアのロレンス』のオマー・シャリフの様に、黒ずくめの男が走って来るじゃありませんか。『ア』って、幻を見た様な気持ちで居たら、その男は、俺の前でピタッと止まって『高倉です、よろしくお願いします』と挨拶されたんです。
 俺は立ち上がる事も出来ずに『は〜よろひくおねがひしまふ』みたいな・・・撮影が始まって、一応『スミマセン、酒とニンニクの臭いが凄くて。高倉さんはニンニクがお嫌いだそうで』と謝ると『嫌、大丈夫です、自分、ニンニク、好きです』みたいな事を言われて」


 撮影最終日、当時の健さんのマネジャーが寺田さんに「この後ご予定在りますか?高倉が一緒に食事したいと申して居ります」と告げた。


 「それで、健さんの知り合いのステーキハウスに行って。『寺ちゃんは、お酒飲むからね。何でも好きなものを』とご馳走して下さって。
 たばこを吸わない健さんの前で、俺はパカパカ吸って。それから結構一緒に映画を遣らせて貰いました。何を気に入って下さったのかは判りませんけど、マァ、最初から、カッコ着ける事が無いんだから。それが良かったのかナァ」



 菊地陽子 構成 長沢明


 寺田農(てらだ・みのり)1942年生まれ 61年文学座附属演劇研究所に第1期生として入所 日本テレビ系の青春シリーズに出演し注目される 68年岡本喜八監督「肉弾」に主演 毎日映画コンクール男優主演賞を受賞 85年相米慎二監督「ラブホテル」でヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞 スタジオジブリ作品「天空の城ラピュタ」のムスカ大佐役としても有名 2008〜12年 東海大学文学部の特任教授を務めた 



 〜管理人のひとこと〜

 この人の名前の「寺田農」と出て来ると必ず何と呼ぶのかを考えて数分過ぎてしまう。時には「みのり」と思い出す頃には作品が終わってしまう。「耕」と書いて「たがやす」と読む友人が居て、寺田氏と友人の顔が重なって思い出して仕舞う・・・これが既に癖に為って居る。渋い脇役の専売特許の様な俳優さんで、悪役から善人迄幅広い芸域を誇る人だ。
 この人自身を主人公にした作品も面白いかも知れ無い。自由奔放でそれで居てB型の好い加減さや真面目さ・限の無い探求心の女好き・・・生まれた頃より現在迄の人生そのものが多くの人の好感を呼ぶかも知れない。

















日本経済が「大復活」する為の足った一つの方法



 岸田も枝野も何故か言わ無い・・・

 日本経済が「大復活」する為の 足った一つの方法


 10-29-11.png 10/29(金) 7:32配信


 総選挙の「分配合戦」がヤバ過ぎる・・・


  
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             文章 中原 圭介 経済アナリスト 10-29-10

       
              岸田も枝野も語ら無い事が在る・・・


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                Photo/gettyimages 10-29-1


 与野党が10月末の衆議院議員選挙に向けて〔分配〕と云う名の経済政策で競って居ますが、極めて無責任な大盤振る舞いを約束して居ると云わざるを得ません。自民党の公約では、数十兆円規模の経済対策で現金給付を行い、個人や事業者に手厚い支援をするとして居ます。立憲民主党も年収1千万円以下の個人を対象に、所得税を1年間免除すると云います。  

 しかし、両党ともどの様に経済を〔成長〕させる道筋を描いて居るのか、明確に示す事が出来て居ません。当然の事乍ら、新型コロナで大きな打撃を受けた低所得や非正規雇用の人々への手厚い支援は必要不可欠ですし、出来るだけ早く支援するのが望ましい事は論を待ちません。
 問題なのは、与野党が選挙でのアピール材料として、支援の不要な人々にも「お金を配る」と約束して居る事です。例えば、新型コロナの感染拡大が収束に向かえば、旅行・飲食等のサービス消費は自然に回復して行くでしょう。現金給付にしてもGo To関連の補助事業にしても、優先すべき政策か如何かは大いに疑問を感じます。

 自民党の岸田総裁も立憲民主党の枝野党首も「成長と分配の好循環」と云いますが、分配をしただけでは成長力が高まら無いし、成長力を高め無ければ分配する原資は確保出来ません。特に現金給付は一時的なものなので、その一部が消費に回るだけで需要をその時だけ押し上げるに過ぎ無いのです。

 日本経済が「伸び無い」のにはワケが在る


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          賃金は下がり続ける一方 Photo/gettyimages 10-29-2


 アベノミクスが齎(もたら)した日本経済の最大の歪は、過度な円安や2度の消費増税に依って国民の実質賃金が大幅に下がってしまった事です。実質賃金が増え無い事には、将来への不安が消えず消費が増える訳が在りません(参照記事『衝撃! 日本人の賃金が「大不況期並み」に下がって居た』)  

 ソモソモ日本がGDPをアメリカ並みに成長させる事が出来無いのは、2008年をピークにして〔人口減少〕が続いて居るからです。時が経過するに連れて人口減少が加速度的に進み、推計では2050年の人口は今よりも3000万人近く減少すると云うのですから、GDPの規模が右肩上がりに成長して行くと云う夢想は捨て去った方が好いでしょう。  
 そう云った意味では、日本には「GDP」よりも〔1人当たりGDP〕を伸ばす事を主眼とした経済政策が必要不可欠です。  

 現状では日本の1人当たりGDPは韓国に抜かれてしまって居る有り様ですが、何れにしても、働き手の「ひとりひとりが成長して、稼ぐ力を高める」と云う視点が求められて居るのです。  
 その為には、国と企業が協力して〔スキル教育(学び直し)〕を広く普及させる事が最善の策だと思います。寿命が延びて個人が生涯で働く年数が長く為る中で、学生時代に修得した知識やスキルだけではビジネス環境の変化に対応し切れ無く為ります。そう為れば、スキル教育への需要が大いに高まって行く筈です。

 結構簡単に出来ちゃう「スキル教育」


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   候補者の遊説に集まった人々 賃金はどうやったら上がるのか?Photo/gettyimages 10-29-3


 アメリカやイギリス等の先進国では、高所得の人々程教育やスキル習得の機会に恵まれて居るので、それが更に高収入を齎し長い人生を豊かに生きる事を可能にして居ます。その反対に、低所得の人々程教育やスキル習得と云った機会が少無い為に、人生を通して低い収入に甘んじる事に為り、年を取るに連れて低い収入の仕事も無く為って行く悪循環が生まれて居ます。  

 日本はアメリカ等の状況を反面教師として、国策としてスキル教育の普及に取り組み、一人一人の働き手を応援すると云う仕組みを構築するべきです。幸運な事に、ITやAIが発達して居る社会では、新しいスキルを身に付け様とする意欲を持って居れば、意外に早く習得して働く事ができる環境が整いつつ在ります。  
 今から10年前だったら、1つのスキルを身に付けるのに5年~10年の時間を要しました。しかし、今ではITやAIが広く普及して居るので、何をしたらスキルを身に付けられるのかが明確に判ります。

 本気で取り組むので在れば、スキルの取得期間も3年に短縮する事が十分に可能です。  更にVR(仮想現実)やAR(拡張現実)が一層普及すれば、モッと短期間にスキルが身に着く様に為るでしょう。

 3つの分野の専門家に為れる


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        スキルが在れば仕事に困ら無い Photo/gettyimages 10-29-4


 テクノロジーの進化に依って、人生で幾つもの異なるジャンルの仕事をして、年を取っても稼ぎに困ら無い世界が訪れ様として居ます。数年後、私達は今よりも個人の趣向に合わせて多彩な分野のスキルを学ぶ機会に恵まれて居る筈です。だからコソ、現時点で有するスキルとは別に、その周辺の新しいスキルを会得する事が大切に為るのです。  

 例えば、1つのスキルで専門家の領域に3年で到達出来れば、9年掛ければ3つの分野の専門家に為る事が出来ます。その結果として、私達は元々持って居るスキルを中心に、関連が深い専門性を高める事が出来るばかりか、過つてより多角的な視点を持った専門家に為る事が出来るでしょう。  
 無論、これ迄のキャリアやスキルを捨て去って、心機一転、全く別の分野の専門家に為る事も出来ます。その場合には出来る限り、自分が好きな事や関心が在る分野を選ぶ様にするのが良いでしょう。  

 人はどのような分野で在っても、好きな事や関心が在る事に付いては熱意を持ち上達は早く為る。好きな事を仕事にする幸運に恵まれれば、それだけでも人生は十分に楽しいものと為るでしょう。

 日本人が自信を取り戻す為に


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        政治家は「勉強しろ」とは言わ無い Photo/gettyimages 10-29-5


 今後、私達に取って重要に為るのは、様々な事柄に興味や好奇心を持って接する事が出来るか如何かです。自分は何に向いて居るのか・何が本当に遣りたいのか・・・それを見付ける事の方が最優先事項に為るでしょう。
 と為れば、大学に入る前からキャリア教育が必要に為って来ます。日本では若年失業率が先進各国に比して低いものの、過去30年に渉って入社後3年以内に離職する新卒社員は3割程度で高止まりして居ます。  

 日本でも高校生からキャリア教育を始めれば、企業と学生のミスマッチは減るでしょう。高校生が卒業する時には「コンな仕事がしたいから、大学ではコンな勉強をしたい」と考えられる様に為る事が理想です。  
 私がスキル教育の重要性を説くのは、スキルを高めて働き甲斐が在る仕事を出来る様に為れば、人生に自信を持つ切っ掛けに為るばかりか、将来に対して明るい見通しを持てる様に為るからです。

 「賃上げ」より大切な事が在る


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          企業任せでは賃金は上がら無い Photo/gettyimages 10-29-6


 自民党の岸田総裁は「賃上げに積極的な企業に税制で支援する」と訴えて居ます。しかしそれだけでは、一人一人の生産性は高まら無いので、将来に対する不安を取り除く事は出来ません。残念ながら、実の在る形で働き手が豊かに為って行くと云う発想が欠けて居るのです。  
 近年の国の一般会計では、公共事業費が6兆円を超えて推移して居るものの、建設業界の人手不足からその内2兆円程度の未消化が続いて居ます。仮に公共事業費を4兆円台に減らして、恒久的に2兆円をスキル教育に使う事が出来れば、若者から高齢者まで希望する全ての人々の成長に役立つ筈です。
 
 国はスキルを身に付けたい人に対して、全額補助に近い形でスキル習得を支援する。その一方で、スキルを身に付けた人は国に対して、どのスキルを身に付けて何処の企業に就職して(どんな自営業をして) どの程度の収入を得て居るのかデータを提供する。
 国はそのデータを活かして、より好い仕組みを作り上げて行く・・・と云ったアウトラインでは如何でしょうか。

 バラマキよりも、今すべき「足った一つの事」


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     「定年」と云う考え方も無く為ろうとして居る Photo/gettyimages 10-29-7


 真に持続的な成長を生み出す為には、一人一人が付加価値の高い仕事をして、その対価として賃金が持続的に上がって行くと云う道筋しか在り得ません。
 自らの所得が長期的に上がる見通しが立てば、人々は自然と消費を増やして行くので、経済の好循環も生まれて来るでしょう。日本が経済成長と格差縮小の二兎を追うにはそれしか無いと思います。尚、スキル教育に付いては拙書『定年消滅時代をどう生きるか』で詳しく述べて居ます。興味が在る方は是非ご覧ください。



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             中原 圭介 経済アナリスト 10-29-9



 〜管理人のひとこと〜

 安倍晋三政治と彼の経済政策であるアベノミクスの終焉・・・云わば官僚を縮み上がらせ恐怖政治を強いた〔忖度政治〕が終わろうとして居るのか、それともその種は未だに生き続けて居るのか?・・・政治の器とトップを変え無い限りその悪習は断ち切れ無いかも知れ無い。
 アベノミクスの失敗は現状を観れば誰にも等しく理解できるが、それを如何に是正し立ち直る為の施策がハッキリしない。その為に今回の政権選択選挙が在るのだと思いたいのだが、又もや国民の低投票率で自公政権を生き返らせば、この時点で日本は終わるかも知れない。野党は一致し、何とか最後まで足掻いて欲しいものです。
















2021年10月27日

赤井沙希 プロレスデビューに父・英和は「楽しんで」



 赤井沙希のプロレスデビューに 父・英和は「楽しんで」

 母は「親子の縁を切る」と猛反対した



 10-27-5.gif 10/27(水) 10:45配信 10-27-5


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  今年5月 クリス・ブルックス(左)と対戦した赤井沙希(右)写真/DDTプロレスリング 10-27-6


 ■『今こそ女子プロレス!』 赤井沙希  

 今年5月4日、DDTプロレスリング・後楽園ホール大会。赤井沙希はクリス・ブルックスが持つDDT EXTREME級王座に挑戦した。男子と女子の真っ向勝負。パワーでは、赤井はクリスに到底敵わ無い。あの〔女子プロレス界の横綱〕里村明衣子ですら、過つて男色ディーノに力では負けて居た程だ。男子と女子の闘いでは、女子に圧倒的なディスアドバンテージが在る。しかし、解説の三田佐代子は言った。

 「私達が普段感じて居る悔しさみたいなものを、キット彼女達が晴らして呉れると思う」

 大学入試で女子学生の得点が操作される。社会に出て、能力が在っても女と云うだけで出世出来無い。育児休暇を取ると言ったら冷ややかな目で見られる・・・そう云った女性が男社会で生きて行く上で感じる悔しさを、男子レスラーに挑む女子レスラーは晴らして呉れるのではないか。  
 試合序盤から、赤井はクリスに果敢に挑む。リストを掴み顔面蹴り、コルバタからのアームホイップ・・・しかしクリスが赤井を場外に投げると赤井の呼吸が乱れる。得意の蹴りを繰り出すも悉くブロックされる。クリスは容赦無く赤井を蹴り殴り踏み突ける。

 それでも赤井は、自身が持つ技の全てをクリスにブツケル。何度も倒されて尚立ち向かう・・・結果は17分38秒 プレイングマンティスボムからの片エビ固めでクリスが勝利した。 男子プロレス団体・DDTに所属する唯一の女子レスラー・赤井沙希はどの様な思いでプロレスと向き合って居るのだろうか?

                      ***

 


 1987年1月24日、赤井は大阪で産声を上げた。父親は元プロボクサーの赤井英和。2・3歳の時に両親が離婚し沙希は母に引き取られた。以降、芸能界デビューする迄英和と会う事は無かった。テレビで活躍する英和を指さし、母は「この人が貴女のお父さんよ」と言った。
 コレが私のお父さん? しかし、この人は私が娘だと云う事を知って居るのだろうか? 赤ん坊の自分を抱き抱える父の写真を見ても、それが父親だと云う実感は湧か無かった。

 英和が日本テレビの『24時間テレビ』でマラソンランナーを務めた事が在る。「このゴールを誰に伝えたいですか?」と聞かれた英和は家族の名前を挙げた。しかしその中に沙希の名前は無かった。私に取ってお父さんはこの人だけだけど、この人に取って私は子供じゃ無いんだ・・・ショックを受けたが、母にその姿を見せたく無い、布団の中でひとり泣いた。

 幼稚園の運動会に、父がコッソリ姿を現した事が在る。「沙希ちゃんのお父さん、赤井英和らしいよ」と云う噂が広まり、父のサインをセガマレタ 「家には居ないよ」と言うと嘘着き呼ばわりされた。お父さんが欲しい・・・ズッとそう思って生きて来た。



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        プロレスだけで無く、モデルやタレント等幅広く活躍中 10-27-8


 中学2年生の時、街でスカウトされモデルデビュー。身長が高い事をコンプレックスに感じて居た赤井に光が見えた。『VOGUE』で風を浴び、堂々とポージングする冨永愛に憧れた。

 「子供の頃から美容が好きでした。将来は、デパートの1階に居る(化粧品売り場の)ビューティーアドバイザーに為りたかった。好い匂いがするフロアで、ビシッと背筋を伸ばしたお姉さんが女性相手に美をテーマにお仕事されて居るって、素敵だなと思ったんです。誰かに喜んで貰う事が好きだったんだと思います」

 17歳の時、写真集を発売するタイミングで英和の娘だと云う事を公表する。その時、14・15年振りに父と再会を果たした。開口一番、笑顔で「おっきく為ったナア」と言う父を見て「テレビのマンマの人だ!」と思った。
 「『十数年間の溝を、コレから埋めて行こうな』と言って呉れました。だけど、それ迄と変わら無かった部分が殆どで、母と姉は複雑な思いを抱いて居たみたいです。只、私は人前に出る仕事をして居て、今はDDTや事務所等色んな〔家族〕が居ますから、父が此方に深く関われ無い立場も判ら無くは無いんです」

 【何でロープに振られて帰って来るの?】

 その後、モデルだけで無くバラエティー番組にも出演。プロの芸人達が場を盛り上げる中「自分は必要無いんじゃないか?」と感じる様に為った。こう云う役割で呼ばれて居るんだろうと勝手に解釈し、思っても居ない事を言ってしまう・・・ソンな自分が嫌で、徐々に芸能界に対して苦手意識を抱く様に為って行った。
 そんな中、2011年、テレビドラマ『マッスルガール!』(TBS・MBS系)でヒールレスラーを演じた。役名は、ビッグデビル。プロレスは「正直、好きでは無かった」と振り返る。

 「母がボクシングのトレーナーだったので、格闘技は子供の頃から身近な存在だったんです。母はプロレスも好きで、テレビで好く見てたんですけど、私は血が出て居たりすると『何でセコンドが居るのに、血止めへんの?』とか、レフェリーが見て無い間に反則する選手を見て『出場停止にシロ!』とか思って居ました。プロレスを如何見たら好いか判ら無かったですね」

 ドラマの終盤、女子プロレス団体のアイスリボンで観客を前にプロレスデビューする事に為った。ファンに受け入れられ無いんじゃ無いかと卑屈に為って居たが試合は大いに盛り上がった。プロレス団体からも「本格的に遣ってみないか?」とアプローチされたが、簡単に遣れる仕事では無いと思いそっとフェイドアウトした。
 その後、格闘技に理解が在ると云う理由で「ラジオ新日本プロレス」のアシスタントに起用される。しかし、プロレスの事は全く判ら無い。ゲストに登場するレスラー達に素朴な疑問を投げ掛けた。

 「『何でロープに振られて帰って来るんですか?』とか『何で避けられるのに避け無いんですか?』とか。TAKAみちのく選手に『何でそんな前髪してるんですか?』とか(笑) 何が失礼で何が失礼じゃ無いかも判りませんでした」

 今なら、当時自分がした質問に答えられる。ロープはその反動を使ってカウンターで技を仕掛けられるし、帰って来ないとワイヤーで肋骨を折る危険性が在るから。何故避け無いかと云うと、プロレスは〔受けてナンボ〕の世界だから。「ファンの方がコレで納得して呉れるか判ら無いですけど」と苦笑する。
 勉強の為に、新日本プロレス以外の団体も観戦した。ドラゴンゲート・ノア・全日本プロレス・レジェンドプロレス......そんな中、DDTを観戦した時驚いた事が在る。

 「試合前、お客さんが銀色の包みを配ってるんですよ。スイートポテトか何かかと思いました。顔馴染みの人に『これ作って来たから食べて』みたいな感じかと。そうしたら選手がリングコールされた時、皆包みを開けてリングに投げたんです!」

 紙テープだった。今はコロナ禍で禁止されて居るが、紙テープはDDTの名物とも言える。投げられる時、選手はドンな気持ちがするのだろうか。

 「DDTって〔ドラマチック・ドリーム・チーム〕の頭文字を取って居るんですけど、お客さんも含めてのチームだと思うんです。DDTは常に何かを目標に掲げてるんですよ。東京ドーム大会を遣るとか、今だったら業界ナンバーワンを目指すとか。選手だけじゃ無くて、お客さんも一緒に目標に向かって居る。紙テープを投げて貰うと『空間に彩りを添えて呉れるのはお客さんだな』と感じます」

 【母の猛反対を押し切り、本格的にプロレスデビュー】

 2013年の或る時、高木三四郎社長の元に「赤井沙希が毎月、DDTを観戦して居る」と云う声が届いた。高木は直ぐに赤井のマネージャーに連絡し、DDTフーズのエビスコ酒場に赤井を呼び出す。赤井が扉を開けると、高木に加えて、飯伏幸太・中澤マイケル・KUDO・伊橋剛太が立って居た。

 「セクシーなビデオへの出演を説得する時、周りを固めるって言うじゃないですか。『絶対に此処で曖昧な殊を言っちゃいけ無い』と思いました。『楽しそうですネ』何て言ったらダメだと思って、ドンな事を言われても『一旦、持ち帰らせて下さい』と返事をしようと」

 プロレスは大好きに為って居たが、その世界に入る芸能人は〔崖っぷち〕なイメージが在った。プロレスをリスペクトして居る分、生半可な気持ちで遣ってはいけ無いとも思った。しかし高木にリングに上がる楽しさを説かれ、遣るならイチからトコトン勉強させて貰う事を条件にデビューを決めた。
 母は激怒した。モデルとして上京を許した。プロレスを遣らせる為に上京させた訳じゃ無い。誰かが必ず貴女を唆(そそのか)して居る・・・

 「母にメッチャ調べられて『高木三四郎って誰や!』と言われて『辞めて!社長は何も悪く無いの!』みたいな(笑)『親子の縁を切る』とも言われました。母は父が試合で事故を起こして、助かっても植物人間に為ると告げられたり、その時に姉を妊娠して居たり・・・嫌な思い出が沢山在る。しかも娘やし、物凄く心配だったと思います。でも父は闘いの楽しさを知って居るので『アドレナリンが出る感覚を楽しんで欲しい』と言われました」

 母の猛反対を押し切り、2013年8月18日、両国国技館大会2daysで本格的にプロレスデビュー。母を招待したが、6人タッグの対戦相手の一人だった世W虎(現・世志琥)にボコボコにされ流血した。その姿を見た母は、赤井に言った「メンチが全然弱い」・・・

 「ダメ出しされたんです。『アンタは手脚が無駄に長いから腰が引けてる。部屋にロープを張ってウィービングの練習をシロ』って。母も根っこの部分では闘いが好きなんだと思います。今も心配はしてるんですけど、認めては呉れて居ますよ。『試合が終わったら、無事ですと云う連絡は必ずしなさい』と言われてます」


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     自身のプロレスラー人生を振り返る赤井沙希 photo by Hayashi Yuba 10-27-9


 ■『今こそ女子プロレス!』 赤井沙希

 プロレスデビューに父と母の反応は正反対

 男子プロレス団体・DDTに所属する唯一の女子レスラーの赤井沙希。身長174cm・53kgのスレンダーな彼女が一人、筋骨隆々の男子レスラー達に混ざって闘う様は余りにも可憐で美しくファンの心を掴んで離さ無い。 
 17歳からモデル・女優・タレントとして活躍して居たが、2013年8月18日、DDT両国国技館大会でプロレスデビュー。翌年12月、東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」で、女子初の新人賞を受賞した。華々しくスタートしたプロレス人生。しかしそれを好く思わ無い人達も居た。

                     ***



 「最初は物凄くバッシングされました。プロレス大賞・新人賞を頂いた時は『タレント活動してれば獲れるのか。〔ビジュアリスト賞〕に名前を変えた方が好いんじゃないか』とか。SNSにも攻撃的なDMがメッチャ来ました。
 『世W虎(現・世志琥)にボコボコにされて、顔が変わるのを楽しみにしてます』と言われた殊も在りましたね」  


 女子プロレス団体からも嫌われ、女子レスラーの集合写真を撮った時、赤井だけ切り取られた事も在った。未だに、男子の団体でチヤホヤされ、お高く泊まって居る様に見られてしまう。

 「チヤホヤはされて無いんですけどネ。最初の1年位はゲストとして扱われてたけど、今じゃあモウ、後輩もタメ口を聞いて来るし『ネエ、おばさん』とか言われるし」 〔唯一の女子レスラー〕ならではの悩みも多い。女子の控室が無い時はトイレで着替え無ければいけ無い。化粧直しが出来ない生理の時に誰にも言え無い・・・

 「バス移動はキツイので、自腹で新幹線に乗ったりします。以前、バスの中でお化粧してたら、デビュー2年目位の上野(勇希)君がメッチャ見て来て『そんなトコ描くんですね?』とか言われて、メッチャウザかったです(笑)」
 「〇〇選手と付き合ってるんでしょ?」
 「〇〇選手のファンだから近付いたんでしょ?」


 とファンに叩かれる事も在った。だから、若い選手とは為るべく距離を置く様にした。自分が叩かれるのは好いが、自分の所為で皆に迷惑を掛けてしまうのが辛かった。そんな赤井を可愛がったのが坂口征夫・高梨将弘・KUDO達。
 赤井が「ファンの方に見られるかも知れ無いから、離れた方が好いです」と言うと「そんなもんで俺達の人気が終わったらそれ迄だよ」と言われた。プロレスラーとして認められた気がして嬉しかった。

 【愛するDDTのパーツに為りたい】  

 赤井はバッシングに負けず、着実にキャリアを積み重ねて行った。得意の打撃を磨き、男子レスラー顔負けの激しい闘いを繰り広げる一方、男色ディーノやヨシヒコと云ったエンターテイメント性の高いレスラー達とも対戦し、プロレスラーとしての幅を広げた。  
 しかし、当時の赤井は飽く迄「オスカープロモーション所属」愛するDDTの「パーツに為りたい」と思って居たが、そう思って居るのは自分だけでは無いかと云う不安も在った。 2018年10月、DDTドラマティック総選挙で9位にランクイン。スピーチで「DDTの所属にして下さい」と高木三四郎社長に直訴した。高木はコレを快諾し晴れてDDT所属と為る。

 「結婚して、名字が変わった様な気持ちでした。ズッと『私達って付き合ってんの?』みたいな感じだったのがチャンと籍を入れたみたいな。オスカー所属やけど、名乗る時は『DDTプロレスリング所属の赤井沙希です』って言えるんやぁと思って。デレッデレでしたね」
 
 2020年1月には、坂口征夫・樋口和貞と共に、新ユニット「Eruption(イラプション)」を結成した。

 「DDTはバチバチとした闘いだけじゃ無くて、アイディアの団体だと思って居るんです。『何コレ?』と思って貰える楽しい試合をドンドン遣って行きたい。色んなDDTを見せたいと云う意味で、私にとって坂口さんと樋口君は大事なパートナーです」  

 2014年1月、デビューして4戦目で、赤井は世W虎に初黒星を喫した。「私は只の木偶の坊だ・・・」と酷く落ち込んだ。打撃を伸ばそうと思い、打撃が得意な坂口の元を訪ねた。蹴りを教えて欲しいと頼むと、坂口は「自分は看ると決めたらチャンと看ます。厳しいですけど付いて来られますか?」と言った。

 「怖かったです、契りを交わしたみたいで(笑)実際に厳しくて何度も泣かされました。でも責任感の在る方でチャンと教えて下さる。お父様も偉大(坂口征二)で、私と似た悩みを抱えて居た事も在るみたいです。そう云った意味でも絆が在りますね」

 【美しく在りたいと思う理由】  

 2019年11月「赤井沙希〔おきばりやす〕七番勝負」がスタート。藤本つかさから始まり、翌年7月の最終戦で遂に〔女子プロレス界の横綱〕里村明衣子とカードが組まれた。

 「痺(しび)れましたね。里村さんって、身長は小さい(157cm)方だと思うんですけど、オーラでメッチャ大きく感じるんですよ。その里村さんに試合でボコボコにされながら、頭の何処かで『私は間違って居なかった』と思いました。強い女性は美しいとズッと思って居たんです。里村さんの、強さの中に或る凛とした美しさには憧れますね」  

 赤井は子供の頃から、美に拘りを持って居た。プロレスラーに為ってから、益々「美しく在りたい」と云う思いが強く為った。彼女に取って、美しさとはナンだろう。

 「DDTで女子は私一人なので、そう云う目線で注目される事が在る。そんな私がダラシ無かったら、全体の評価が下がると思うんです。逆に、マッチョなレスラーの横にキレイなお姉ちゃんが居たら『何、この団体?』って為るかなと。
 だから美しさと云う点は気を付けて居ます。DDTが人気を上げて行く過程で、私が持って居るものを全部使って貰えたらと思って居ます」
 

 美しいと云えば「赤井と同一人物か」と思える程〔似て居る〕沙希様だ。東京女子プロレスの〔醜い〕選手達を粛清し、美を広める為にフランスから遣って来た沙希様。今はコロナ禍でフランスに帰る事が出来ずホームシックに陥って居る。

 「私も沙希様位自信が持てたらなと思う。周りにも言われるんですよ。『何で赤井沙希ちゃんはモット堂々と出来ないの?』って。何時も何かに焦って居るし、人に対しても『傷ついて無いかな?』『迷惑かけて無いかな?』と考えちゃいますね」  

 キャパシティーが狭いなと常に感じて居る。自分の個人的な時間が無いとストレスが溜まり病み勝ちだと云う。そう云う時、キレイなものを見ると心がスーッとする。自分もファンに取って、そう云う存在に為りたい。美しさを追求する殊で、誰かの力に為りたいと赤井は考えて居る。

 【「キャリアベストバウト」と評されたクリス戦】  

 今年5月4日、DDT EXTREM級王座、及びアイアンマンヘビーメタル級王座を賭けて、王者クリス・ブルックスと対戦した。女子と男子の一騎打ち。EXTREM級王座の試合形式は王者が決める事に為って居るが、クリスは対女子プロレスラーの特別なルールを設けず、敢えて「通常ルールのプロレスにしよう」と提案した。赤井が勝っても負けても、そのルールが在ったからだと言われるのが自分に取って本意では無いと。

 「クリスは私を、女子と云う目線で見て居ないと気付いて、凄く嬉しかったです。私はズッとこう云う風に見て欲しかったんだなって思いました。試合前から、クリスの殊をリスペクトしました」  

 結果は負けてしまったが、過つて無いほどの熱い闘いを繰り広げ、赤井のキャリアの中でベストバウトと評された。

 「クリスとはもう一度遣りたいです。リベンジもしたいですし、クリスがDDTを選んで呉れて本当に感謝して居る。クリス自身もDDTに馴染もうとして呉れたのも在るけど、クリスが居てコソDDT。大事なパーツの一部ですね」  

 2013年にプロレスデビューした赤井沙希。最初は半年だけの積りだった。それが1年だけ、2年だけと延びて行き、今年、キャリア8年に為る。決して、平坦な道則(みちのり)では無かった。バッシングもされた。女性ならではの悩みも在る。
 しかし、誰よりもプロレスを愛し、そしてDDTを愛して居る。 赤井沙希は飽く迄DDTの華。それ以上の存在では無い・・・私の心の何処かに在った先入観が「DDTと云う形の無いものを好きに為ってしまった」と嬉しそうに話す彼女を見てブチ壊されたのだった。



【プロフィール】赤井沙希(あかい・さき)DDTプロレスリング所属 1987年1月24日 大阪府生まれ 京都府育ち 174cm 53kg 中学2年生の時街でスカウトされモデルデビュー 2011年、TBS系ドラマ『ハッスルガール!』でプロレスのリングに上がる 2013年8月18日 DDT両国国技館大会にて本格的にプロレスデビュー 
2014年 「プロレス大賞」で女子初の新人賞を受賞 翌年1月 アイアンマンヘビーメタル級王座を獲得 2018年10月DDTに正式所属と為る 2020年6月 KO-D6人タッグ王座を獲得 男子プロレス団体の紅一点として活躍を続ける 


 Twitter>>@SakiAkai 文 尾崎ムギ子  text by Ozaki Mugiko


 【大会情報】 「D王 GRAND PRIX 2021 U in Ota-ku」
 日時 2021年11月3日(水祝) 開場12:30 開始14:00
 会場 東京・大田区総合体育館














日本人が自民党だけを選び続けて来た2つの理由  田原総一郎



 日本人が自民党だけを選び続けて来た2つの理由
 
 田原総一郎



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          ジャーナリストの田原総一朗氏が自民党長期政権の本質に迫る


 第49回衆議院議員総選挙が近付いて来た。「日本では政府が幾ら批判されても、自民党に代わって政権を奪う力の在る党が無い。そう思うから自民党議員達にも緊張感が生まれ無い。国を動かす議員達に緊張感無くして、国民には緊張感を持てと云うのか・・・」
 何故日本人は自民党だけを選んで来たのか。ジャーナリスト・田原総一朗氏の新刊『自民党政権は何時迄続くのか』より、一部を抜粋・再構成してお届けする。



 ■自分の身体に合わせた洋服を作るのは上手では無い

 国民の多くは、何故自民党政権をこれ程長期間支持し続けて居るのだろうか。その要因に付いて僕は、次の2つだと捉えて居る。
 
 1つは、安全保障である。実は自衛隊が創設されたのは1954年で自民党が発足したのが1955年で在る。憲法では9条2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認め無い」と書いて在るが、自衛隊は戦力も交戦権を有して居て明らかに憲法と矛盾している。
 そこで、自民党の初代首相・鳩山一郎は「自主憲法」を作るべきだと主張し、実現は出来無かったが、岸信介首相も憲法改正を強く訴えた。  

 処が、それ以後の池田勇人・佐藤栄作の両首相共、憲法改正を全く考えて居ない様だった。そこで1971年の秋に、自民党切っての頭脳派で、ニューライトの旗手的存在で在った宮澤喜一氏に強引に頼み込んで会って貰った。  
 池田・佐藤両首相は、憲法改正を考えて居無い様だが、言わば矛盾を封じ込めて国民を誤魔化して居るのでは無いか。何故池田首相以後、姿勢を豹変させたのか。その事を宮澤氏に問いたかったので在る。
 すると宮澤氏は、聊(いささ)かの躊躇(ためら)いも無く柔らかな口調で話し始めた。「私はね、日本人と云うのは、如何も自分の身体に合わせて洋服を作るのは上手では無い。下手だと思うのですよ」 それは如何云う事なのか。僕が問うと、宮澤氏は、満州事変・日中戦争・太平洋戦争等の話をした。  
 自分の身体に合わせた洋服を造ろうとすると、軍が突起して政治を抑え込んでしまう。五・一五事件で犬養首相が軍に依って殺され、二・二六事件では政府幹部が軍に依って殺された。云わばクーデターで在る。

 こうして、軍が主導して勝てる筈の無い太平洋戦争に突入して惨憺たる敗北を招いてしまった。そこで宮澤氏は「押し着けられた洋服に身体を合わせる方が安全だ」と考えたのだと云う。宮澤氏だけで無く、池田・佐藤両首相を初め、戦争を体験した自民党の幹部達は、此の様に考えた様だ。
 だから、吉田内閣の時代に、池田・宮澤の両氏が2度アメリカを訪問し、その時「アノ様な憲法を押し着けられたら、日本は真面な軍隊を持て無い。だから、日本の安全保障はアメリカが責任を持って欲しい」と要請したのだと云う。そしてアメリカは、その当時もその後も日本が強い国に為るのは困るから、その要請を快諾したと云う事だ。

 その為に、日本は戦争に巻き込まれる事が無く、70年以上平和を維持出来た。そして野党もその点では異論は無く、だから自民党政権が長く続いたので在る。だが近年では、アメリカの経済が悪化してアメリカが「パックス・アメリカーナ」を維持するのが難しく為り、日本の安全保障を改めて考えざるを得無く為って来て居る。

 もう1つの理由が経済である。日本は、惨憺たる敗北を招いた後、自民党政権の懸命な努力に依って、池田首相時代から奇跡と称される高度経済成長を実現した。
最も、鉄道や道路網が太平洋側を偏重して建設され、しかも海路に依る輸出入は太平洋側が便利な為に、企業も工場も太平洋側に林立して、太平洋側は過密日本海側は過疎と為り、太平洋側は地価が高騰しその上深刻な公害に襲われた。
 その為に、太平洋側の自治体では選挙で野党が強く為り、所謂革新知事や革新市長が次々と登場する事に為った。

 ■田中角栄が打ち出した「都市政策大綱」  

 そこで、当時幹事長で在った田中角栄が、1967年に『中央公論』に「自民党の反省」と云う論文を発表し、1968年に「都市政策大綱」為る構想を打ち出した。日本列島全体を改造して、高能率で均衡の取れた、一つの広域都市圏に発展させると云うのである。  
 そして田中は「一日生活圏・一日経済圏・一日交通圏」と云う言葉を提唱した。この3つの条例が達成されれば、第2次・第3次産業を全国に配置する事が出来る。過疎化に悩む、日本海側や内陸地域にも産業を配置する事が出来て、過密・過疎の問題が解決する事に為ると考えたのである。  

 その為に、北海道から九州迄新幹線を通し、全国に高速道路網を張り巡らせ、第2・第3の国際空港と、各地に地方空港を誘致し、4つの島をトンネルか橋で結ぶと云う方針を打ち出した。
 この「大綱」は、自民党に常に批判的だった朝日新聞ですら高く評価したのである。その後、田中が首相に為る直前に発表した『日本列島改造論』は、問題点も在ったが田中の構想が、過密・過疎を解消し、日本全体を発展させた事は間違い無い。  

 第4四次中東戦争が起き無ければ、田中内閣は長期間続いた筈で在る。そして1980年代に入って、日本は凄まじい輸出力を有する事に為り、アメリカに集中豪雨的に輸出し始めた。 
 アメリカは、深刻な貿易赤字と為った。そこで、レーガン大統領は、日本からの輸出を止め、逆に日本への輸出を増大させる為に、日本をマルで敵国で在るかの様に無理難題を次々と押し着けて来た。  

 例えば、竹下登蔵相(当時)を強引にニューヨークに呼び出し「円高にせよ」と要求した。その為に、1ドル=238円だったのが153円と為り円高不況と為った。更に、次々と輸出規制を要求し「前川レポート」で無理矢理に内需拡大をさせられて、バブル経済と為りそれが崩壊した。
 僕は、中曽根首相に「何故アメリカのコンな無理難題を、日本は受け入れ無ければ為ら無いのか」と問うと「安全保障をアメリカに委ねて居るからね」と苦い表情で話した。 こうした不況の中、1990年代にアメリカでIT革命が起きた。インターネットが開発されたのである。

 ■日本の産業界はアメリカの3周遅れ  

 だが、日本は、所謂日本的経営の構造的な問題でIT革命に参入出来ず、人工知能の権威である東大の松尾豊教授に依ると、日本の産業界は、アメリカの3周遅れに為ってしまったと云う事で在る。その為で在ろうか。1989年には、時価総額ランキングで、世界のトップ50社の中に日本企業が32社入って居たのだが、現在残って居るのはトヨタ自動車1社だけで在る。
 又、当時は、世界に置ける日本のGDPのウエイトは15.3%で在ったが、現在は6%に迄落ち込んで居る。更に、技能オリンピックで、1999年から2015年迄日本は金メダルの獲得数で、大体3位以内に入って居たのだが、2017年に9位に沈み、その後メダル数は更に後退して居る。
 
 日本の経済産業はどうすれば復活出来るのか。2020年の初めに僕は、日本共産党の志位和夫委員長と立憲民主党の枝野幸男代表に、今コソ野党の政権奪取の絶好のチャンスだ、アベノミクス批判をして居る時代は終わりで、如何すれば日本の経済が復活出来るのか、そのビジョンを示すべきだと言ったら、2人とも大きく頷いて居た。  
 そこへ深刻な新型コロナウイルスに依るパンデミックが起こり、菅内閣は不手際を連発した。その後、菅首相は総裁選不出馬を表明し、そして9月29日、第27代目となる自民党総裁に岸田文雄氏が選出された。新たな政治の在り方が求められて居る。今こそ、野党の政権奪取に期待したい。



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            愛妻家でもある 田原 総一朗氏 ジャーナリスト




 〜管理人のひとこと〜

 国防と経済・・・この二つを自民党がリードし成功させた事が、永い政権維持の原動力だと田原氏は指摘する。所謂アメリカ依存体質の成功だ。外交・国防を含む政治はアメリカの植民地で在る事は事実だが、殊経済に関しては、特に貿易面では最近は対中国が日本の要へと変化して居る。日本は中国無しでは経済が立ち行か無い国と為ってしまった。
 アメリカと中国に影響されて生きて行くしか無い・・・それを今後も遣って行くしか無いのだが、野党が一つに為ってこれが実現出来るだろうか・・・遂最近のアフガニスタンを含め、戦後アメリカが唯一支配し成功させた国は日本だけだ。アメリカの優等生の位置からは何時迄経っても逃れられ無いのかも知れ無い。


















広がら無い再生エネルギー 問われる政府の本気度



 【#貴方の衆院選】「何を如何すれば?」 

  広がら無い再生エネルギー 問われる政府の本気度

 
 10-24-20.gif 10/24(日) 18:06配信 10-24-20


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 地元の間伐材から加工した撒きを積むNPO法人「まめってぇ鬼無里」のメンバー 再生可能エネルギーの普及に向けた活動の一環だ 長野市鬼無里地区で2021年10月15日 藤渕志保撮影 10-24-21


 水力発電が盛んで、再生可能エネルギー普及の「優等生」とされる長野県。NPO法人「まめってぇ鬼無里(きなさ)」は県北部の山間(やまあい)に在る長野市鬼無里地区で活動する。その再エネ事業が2年前「因縁の敵」とも言える化石燃料に行く手を阻まれた。

 広がら無い再生エネ 経済効率の壁

 同NPOは、カラマツやスギ・ナラ等の間伐材を木質バイオマス燃料の薪に加工。間伐に依って森の木々に陽光が行き届き、二酸化炭素(CO2)を吸収する機能が高まる。薪は燃やすとCO2が発生するが、再エネとされるのはこの為だ。
 その薪をキャンプ場や飲食店・住宅のストーブ用に販売して来たが、年間の売り上げの約3分の1を占める大口顧客を突然失った。地区の公共温泉宿泊施設が、運営事業者の交代を切っ掛けに、燃料を薪から灯油に切り替えたのだ。

 「灯油はボタン一つで湯を沸かせるが、薪は全て手作業なので拒絶反応を示されてしまった」

 NPO事務局長の吉田広子さん(62)は溜め息を着く。地産エネルギーで温泉の湯を沸かして客を呼ぶ・・・施設への薪提供は、再エネ普及と地域活性化を追求する活動の象徴だっただけに、吉田さん達のショックは大きかった。
 実はこの施設は以前灯油を使って居た。吉田さん等NPOのメンバーが2017年12月から数カ月間に渉り、薪を使って加熱する作業を実践しマニュアルを作成。当時の運営事業者に引き継ぎ、灯油から切り替えて貰う事に成功した。
 だが、現在の事業者の元で再び灯油に戻ってしまい、吉田さんは「供給側と運営側の両輪が機能し無いと上手く行か無い『現実』を思い知った」と振り返る。再エネの先進地域で在っても経済効率が優先され、再エネの普及が容易には進ま無い現実が在る。

 政府目標に矛盾 問われる本気度
 
 菅前政権は50年迄に温室効果ガスの排出を実質ゼロにする〔カーボンニュートラル〕に向け、今年4月、30年度に13年度比で46%削減する目標を掲げた。毎年約5,000万トンの削減が必要と為る計算で、国・地方が一体で取り組ま無ければ実現出来無い高い壁だ。
 だが、政府は再エネ活用の拡大を目指す一方で、石炭火力発電事業を継続する方針も示す。比較的CO2排出量が少ない高効率のタイプに限ると云うが、脱炭素への本気度に疑問符が付く。

 吉田さんは「目標と遣って居る事がチグハグだ」と首を傾げ戸惑いの表情を浮かべた。「国の方針がグラ着けば、私達は『何を如何すれば好いのか』と思ってしまう」

 自民、政権交代で原発へ回帰


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              政府のエネルギー政策の変遷1 10-24-22


 2020年10月、菅義偉首相(当時)が「50年迄に温室効果ガス排出量を実質ゼロにする」と云うカーボンニュートラル(CN)を宣言し、注目度が上がった電源は再生可能エネルギーだけでは無かった。自民党内で推進派の動きが活発に為ったのが原発だ。
 「基幹エネルギーとして積極的に推進」 旧民主党政権は10年に改定したエネルギー基本計画(エネ基)で原発推進を唄った。だが、翌11年の東京電力福島第1原発事故を受け、12年に「革新的エネルギー・環境戦略」を策定。「30年代に原発稼働ゼロを可能とする様政策資源を投入」「新増設は行わない」と方針転換した。


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               政府のエネルギー政策の変遷2 10-24-23


 12年末の政権交代で発足した第2次安倍政権は、翌13年の参院選勝利で政権基盤を強化すると原発回帰へと動き出す。14年に改定したエネ基で原発を重要なベースロード(基幹)電源と明記した。只、深刻な事故を起こした原発に対する厳しい世論に配慮し「原発依存度を可能な限り低減させる」との表現も盛り込んだ。
 表向きは「原発推進」「脱原発」の両論併記にも見える安倍政権の方針だが、原発を維持したい思惑は明らかだった。

 14年のエネ基では各種エネルギーの割合を示す「電源構成」の明記を見送ったが、18年の改定で原発比率を「20〜22%」とし、今月22日の改定でもこの比率を据え置いた。都留文科大の高橋洋教授(エネルギー政策)は「『脱原発はし無い』と云う意思表示だ」と言い切る。

 今回のエネ基は元々「50年実質ゼロ」のCN目標を打ち出した菅政権が内容を固めた。自民党内の原発推進派は菅氏のCN目標に乗って原発の新増設やリプレース(建て替え)を求める議員連盟を発足させる等動きを活発化させたが、菅氏に近い脱原発派の河野太郎行政改革担当相(当時)と小泉進次郎環境相(同)が原発推進派を押し切り、再エネを「最優先」とする方針が明記された。
 ただ、原発も「実用段階にある脱炭素電源」と位置付けられて居り、CN目標の道筋は必ずしも明確では無い。東京大先端科学技術研究センターの小林光研究顧問は今回のエネ基について「原子力等をどれだけ使うか、CN目標をどう達成するか不明だ」と疑問視する。

 「分が悪い」争点化避ける各党
 
 岸田政権の発足に伴い、党役員や閣僚が入れ替わり、甘利明幹事長ら原発推進派の影響力が強まって居る。「再生可能エネルギーの一本足打法では無く、原子力に付いても考えて行か無ければ為ら無い」 岸田文雄首相は17日、福島第1原発を視察後、記者団に原発維持を滲ませた。

 エネルギー政策が与野党の明確な対立軸に為れば、衆院選の争点として有権者の注目が集まる。処が、原発政策に関する論戦は低調だ。高橋氏は「原発に否定的な国民は多く、自民党も国民的議論に為れば分が悪いと分かって居るから争点化を避けて居る」と解説する。
 原発政策を巡っては、旧民主党の流れを汲む旧民進党・立憲民主党等も揺れ続けた。電力総連等電力系労組を抱える日本労働組合総連合会(連合)から支援を受けて居り、脱原発を前面に押し出し難い事情を抱える。「原発ゼロ」等のスローガンを打ち出しても、積極的に争点化する機運は高まって居ない。

 立憲民主党の枝野幸男代表は19日、中国電力島根原発が在る松江市の街頭演説で、福島第1原発事故に言及し「様々な忸怩(じくじ)たる思いが在る」と語ったが、訴えたのはエネルギー政策では無く危機管理体制の強化だった。
 原発事故から10年が過ぎた今も、約3万人の福島県民が県外で避難生活を余儀無くされる等、事故の影響は終わりが見え無い。原発を含むエネルギー政策の方向性は未だ見え難く、国民的な議論が求められて居る。

 各党公約、脱炭素化の行程に違い


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            エネルギー政策に関する各党の公約 10-27-1


 各党の衆院選公約は2050年迄に温室効果ガス排出量を実質ゼロにする「カーボンニュートラル(CN)」を目指す点で一致する。省エネルギー対策の徹底に加え、太陽光・水力・風力等再生可能エネルギー導入拡大の方向性も共通するが、その方法や行程には差が見られる。
 CNの中間目標と云える「30年度迄に温室効果ガス46%削減(13年度比)」の政府目標を踏襲して居るのは自民・公明両党と日本維新の会だ。

 一方で、更に高い目標を主張したのは立憲民主・社民・共産の3党。立憲は13年比で「55%以上減」社民は「60%減」を掲げた。共産は30年度により厳しい目標と為る「10年度比」「50〜60%減」を目指す。れいわ新選組と国民民主党は具体的な数字に言及して居ない。
 
 温室効果ガス排出量の多い石炭火力を巡っては、欧州を中心に脱却の動きが広がる。一方、日本は「非効率」な旧式の石炭火力発電を徐々に停止(フェードアウト)するが、排出を抑えた新型の発電所に付いては利用を継続する方針を変えて居ない。
 これに対して共産・社民・れいわは何れも30年迄に石炭火力を「ゼロにする」又は「全廃」と明記した。不足分の電力は再エネで賄う考えだ。

 立憲は「石炭火力からの転換」を掲げ「緊急時のバックアップ電源」としての利用を想定する。自民、公明は石炭火力の停止には触れず、次世代型で高効率な火力発電所や燃焼時に二酸化炭素(CO2)を排出し無いアンモニア燃料の研究開発を支援する。
 CO2を排出しない原子力に付いては、活用方法や将来的な位置付けで明確な違いが表れた。自民は原発を「CN実現に向けた不可欠な電源」と位置付け、再稼働を進めるとした。

 高レベル放射性廃棄物が出無い「高効率な発電」が出来るとされる核融合の開発や小型炉への投資にも積極的だ。「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」も原発再稼働を主張する。
 維新は、既存の原発は「市場原理の下でフェードアウトを目指す」としながらも、小型高速炉等次世代原子炉の研究を促進する必要性を訴えた。連合傘下の電力総連出身議員等を抱える国民民主は、代替エネルギー源が確立される迄は「電力供給基盤に於ける重要な選択肢」として当面の間は原発を利用する考えだ。

 一方で、将来的に原子力に依存しない「原発ゼロ」を目指すのは公明・立憲・共産・れいわ・社民だ。公明は新設を認め無いが、安全基準を満たし「立地自治体の理解と協力」を得られる原発に付いては再稼働を判断して行くとして居る。立憲は原発の速やかな停止と廃炉決定を目指す。
 共産は原発ゼロを実現する期限を「30年迄」と明示。れいわは原発を「即時禁止」とした。社民は「脱炭素は脱原発とセット」と訴え「原発ゼロ基本法案」の施行後5年以内に全原発の廃炉を決めるとして居る。


 【藤渕志保】



 〜管理人のひとこと〜

 政党・人・政策・・・来る選挙で選択する要因を分析すると、コレだ! と決め付けるのは誠に難しい気がする。経済政策では同意出来ても、国防やエネルギー政策・CN政策では不満足だったり教育政策も杜撰だったり・・・100点万点の人等は存在しないかも知れ無い。
 既存の歴史ある政党は、既に色々な柵で自由な身動きが出来ず何かと制限される。かと云って何の柵も無いであろう〔れいわ〕の様な新しい政党では、力強さや政策の広がりに難点を抱えてしまう。選択する我々も、各政策の字面から来る印象では捉え切れ無い行間の意思を汲み取る努力も必要かも知れ無い。

















 

2021年10月25日

「インド独立と日本軍」の深い関係



  インパール作戦の激戦地で見えて来た

 「インド独立と日本軍」の深い関係



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 インパール作戦の戦地を訪れてみると、日本軍とインド独立の深い関係が見えて来た (写真 佐藤幸徳中将がコヒマ攻略戦で居を構えた民家) 10-25-2


 16万人もの死者を出し「無謀な作戦」の代名詞として現代に語り継がれて居るインパール作戦・・・その戦地を訪れてみると、日本軍と共に、インド独立の為にイギリス軍と戦ったチャンドラ・ボースの知られざる足跡が見えて来た。

 


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 本稿は、岡部伸著『第二次大戦、諜報戦秘史』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。10-25-3      

               

 日本軍への協力を訴えたボース

 インパール作戦は、太平洋戦線で劣勢に立たされた日本陸軍が、緒戦で占領したビルマを防衛し、中国・蒋介石政権に対する連合軍の補給路(援蒋ルート)を遮断する目的で行なわれた。第15軍の指揮下に在った3個師団がインパールとその補給拠点コヒマ攻略を目指したが、多くの死者を出し作戦は失敗に終わった。
 しかし、激戦地と為ったインパールとコヒマ等では、地元の若い世代を中心に、約10年前から「民族の歴史を後世に正しく伝えよう」(マニプール観光協会のハオバム・ジョイレンバ事務局長)と歴史の見直しが進んで居る。

 身元不明の遺骨や遺品の発掘、戦争経験者の証言収集等が進み、インパール南西約20キロメートルの「レッドヒル」と呼ばれる小高い丘の麓に、日本財団が支援して平和資料館が完成。日英の駐インド大使等が出席して2019年6月22日開館式が行なわれた。これに合わせて約一週間、筆者はインパールとコヒマの周辺を訪問する機会に恵まれたので在る。

 今回の訪問で改めて判った事が在る。祖国インドを英国支配から解放する為、日本軍と共にINAを率いて戦ったボースが、コヒマ近くの最前線迄潜入し自由を獲得する為「同じアジア人の日本軍に協力して助けよう」と住民に直接語り掛けて居た事で在る。
 ボースが滞在した村では「インド独立が生まれた聖地」として世界文化遺産登録の動きが進んで居た。インパール作戦は無残な失敗に終わったが、日本が支援したボースの積極的な武力闘争が、植民地支配からの解放に導いた事が裏付けられた気がした。

 日本人とナガ民族は兄弟だ

 インド東端・ミャンマーに接するマニプール州の州都で在るインパールは、イギリス統治時代から軍事上の要衝だが、米作地帯の中心でも在りインパール川の畔に広がる水田の美しさに目を奪われた。標高786メートルの高地に在る大きな盆地の中に街が在る。
 日本軍は、海抜100メートル程のミャンマー側から1,500メートル近い山岳地を越え、インパールの盆地に入ったのだ。

 30を超える多様な民族が共存し、キリスト教徒を中心にイスラム教徒も居て、街には多様性が溢れて居た。 4WDの車でインパールからコヒマに向けて約5時間走った。イギリス軍が補給の為に造成した道路は現在も舗装されて居らず、何度も頭を車の天井にブツケル片側通行の悪路だった。沿道には、自動小銃を持ち迷彩服を着たインド軍兵士がパトロールし、兵士常駐の検問所も在った。
 ミャンマーや中国・バングラデシュと国境を接するインド北東部は、インド全体から見ると民族も歴史も異なる。ナガランド州等計8州には、400を超す少数民族を中心に約5,000万人が住んで居る。15の部族から為るナガ民族は独自の文化や風習を守って来た。
 しかし、イギリスがインドを植民地とした1877年以降インドに統合される事に為り、1880年からイギリスに長く支配された。

 第二次世界大戦後の1947年、インド独立直前に一時的に自治権を回復したが、その2年後、再びインドに併合された。1956年迄インド政府と独立を巡って内戦を展開し、現在も自治権を巡り激しい反体制運動が繰り広げられて居る。
 インドの歴代政府も、治安維持を理由に外部との接触を禁じ、近年迄日本人を含む外国人の入境が厳しく規制されて居た。

 筆者が訪れたコヒマは、標高約1,500メートル・人口11万5,000人の高山都市だ。雲の上の山の斜面に住宅が建ち並ぶ様な光景に驚く。我々一行を出迎えて呉れたナガ民族は「日本人とナガ民族は兄弟だ」と親近感を持って居た。
 確かに顔立ちや身体付きが我々日本人と何処か似て居る。これはナガ民族が、一般的なインド人に多い肌黒いアーリア系では無く、アジア系のモンゴロイドだからで在ろう。(宗教はキリスト教で在る)

 ボースと会った古老の話

 コヒマから車で更に約20分。急峻な山の崖の上に集落が在った、キグマと云う村で在る。1944年4月、日本軍がコヒマ攻略に際して野営し前線基地を設けた場所だ。
 補給を軽視した無謀な作戦の命令に依り多くの将兵を失い、同年5月末、部下の命を救うべく撤退の独断を下した第31師団長佐藤幸徳(こうとく)中将が過ごした小屋が今尚村には残されて居た。その小屋を案内して呉れた古老から、筆者は驚くべき証言を聞いた。

 「村の大通りでネタージ(指導者の意でボースの敬称)と会った。1944年5月だった。滞在して居た佐藤中将と面談した帰りだった。2回見た。新聞等でネタージの顔を知って居たから間違い無い」

 キグマ村の長老格で、キリスト教教会の牧師長を務めるキソ・ビクツ氏(当時97歳)はこの様に語った。ボースはビクツ氏に近寄って来て「ヒンズー語は知って居るか?」と聞くと、周りに集まって来た村の住民を広場に集めてヒンズー語で講話を始めたと云う。

 「日本軍はナガの村民達を殺害したり暴行したりする為に進攻したのでは無い。インドが自由に為る為に我々インド人と来たので警戒し無いで欲しい。長く圧政を敷いたイギリス人は、肌が白くて顔は綺麗だが腹の中はドス黒い。
 それに比べて、我々と同じ有色人種の日本人は清潔で仲間だ。日本軍はイギリス軍を追い出して呉れる。だから日本軍に協力して助けて欲しい」


 精力的なボースの訴えに住民達は日本軍への警戒を解いた。米や牛・豚・鶏等の食料や傷病兵の為の薬草を密林から採って来て、軍票と引き換えに日本兵に届けたと云う。 ボースは、このキグマ村から約10キロメートル離れたチャガマ村に滞在して居ると話したと云う。
 佐藤中将と密談する為、ソコから約2時間掛けて徒歩でキグマ村を訪れて居た。その佐藤中将がコヒマに進攻する直前から無念の退却をする迄寝起きして居た小屋は、30平方メートル程の木造家屋で在った。当時、ビクツ氏の親戚が所有して居たそうだが、佐藤中将に無償で提供したと云う。

 小屋は崖の上に在り眺望(ちょうぼう)が好い。此処からで在れば、コヒマ市内の戦闘の様子も好く見えたで在ろう。約1,000人の日本兵達は、近くのジャングルでテントを張って野営して居たと云う。

 「コヒマ攻略の間、ボースがINAの部下達とベースキャンプとして滞在したバンガローが、コヒマから約50キロメートル離れたチェサズ村に在る」

 ビクツ氏は、当時、ボースがチャガマ村とは別に、本格的に居を構えて居た拠点を教えて呉れた。キグマ村からミャンマー国境方向に東方約40キロメートル、ナガランド州ペク地方のチェサズ村で在る。竹で造られたバンガローに、ボースは滞在して居たと云う。
  ボースとの調整を担当した日本軍の特務機関「光機関」の一員として、ボースの身の回りの世話をしたと云う古老達約20人が(ホボ全員が90歳を超えて居た)次々に証言し、ボースがコヒマ攻略の4月から5月迄、同地域に滞在して居た事が確認された。

 現地のチェサズ村では「INAの反英運動が最も激化した当地でインド独立が産声を上げた」と云う歴史的な意義から、ボースが滞在したバンガローが在った場所を記念公園として、世界文化遺産への登録申請やボース記念軍事学校を設立する計画が検討されて居る。

 進むボースの再評価

 インパールから南に約20キロメートルのマニプール州モーランには、進攻したINAが1944年4月14日、インド独立の象徴で在る三色国旗を最初に掲揚した事を記念して、INA戦争博物館(通称ボース博物館)が開設され、中庭には三色国旗が掲揚されて居る。
 又ボースの銅像とINA創設の記念碑のレプリカも飾られて居る。この記念碑には、シンガポールに1943年10月に設置されながら、イギリス軍に依って撤去されたと云う経緯が在った。

 博物館内にはINAの写真や武器、勲章等が展示され、云わばINAの聖地と為って居る。注目すべきは、INA創設に関わったF機関長の藤原岩市の写真と説明が展示されて居る事だ。
 2018年10月、自由インド仮政府とINA創設の75五周年記念に、マニプール州知事のナズマ・ヘプトゥラ氏から「日本軍と共に英印軍を相手に勇敢に戦い、祖国の自由と独立の礎を築いたネタージが率いたINAに感謝する」と云う祝意のメッセージが寄せられた。

 モーランでは、ボースとINAは救国の英雄と位置付けられて居る。 戦後の長い間、同地ではボースに対する評価は反対に低かった。寧ろ、ボースはイギリス支配への「反逆者」「テロリスト」で在り「残忍で野蛮な日本侵略の傀儡」と否定的に捉える「連合国史観」が支配的だったと云うのだ。
 しかし、戦争経験者が高齢と為り、その経験を次代に語り継ぐ最後の時期を迎え「戦勝国の一方的な見方だけでは、事実を公平に理解出来無い」(INA戦争博物館のジョイレンバ事務局長)と云う声が上がる様に為った。

 地元の古老達に当時の「真実」を尋ねる運動が起こり、ボースが潜入した足跡も判明した。こうしてボースは、祖国を独立に導いた国民的英雄として再評価される様に為ったと云う。更に「勇敢に戦い、規律正しい日本兵に目を覚まされ、インドは独立出来た」と云う評価も出て来る様に為った。
 この背景には、モディ政権が2018年12月30日、アンダマン諸島の1つの島を「ネタージ・スバス・チャンドラ・ボース島」と改名する等、ボースとINAの功績を復権させ様として居る事が在ろう。

 中国と並ぶ新興国として対峙する上で、インドに相応しいのは非暴力のガンジーでは無く、大英帝国と戦ったボースで在るとの見方がソコには在る様に思える。



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          岡部伸(産経新聞論説委員 前ロンドン支局長)10-25-4


 産経新聞論説委員 1981年立教大学社会学部卒業後産経新聞社に入社 社会部記者として警視庁・国税庁等担当後 米デューク大学・コロンビア大学東アジア研究所に留学 外信部を経てモスクワ支局長 東京本社編集局編集委員 2015年12月から19年4月迄ロンドン支局長を務める
 著書に『消えたヤルタ密約緊急電』(新潮選書/第22回山本七平賞)、『「諜報の神様」と呼ばれた男』(PHP研究所)『イギリス解体、EU崩落、ロシア台頭』『イギリスの失敗』(PHP新書)『新・日英同盟』(白秋社)等

















2021年10月24日

財政出動しても景気が好く為ら無い 根本的な理由とは?



 財政出動しても景気が好く為ら無い 根本的な理由とは?


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 記者会見で衆院選公約を発表する自民党の高市早苗政調会長 与野党の公約には特別給付金等のバラマキ政策が並んで居る(写真・時事通信)10-24-6


 〜衆院選に向けて、与野党から財政出動の提案が続々と出て居る。特別給付金の支給や需要を喚起する投資など、財政出動して景気を好くしたいらしい。ソモソモ、それを実現するには〔乗数効果〕が大きい事が前提だから〜


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          文章 土居 丈朗 慶應義塾大学 経済学部教授 10-24-3

 土居 丈朗 Takero Doi 研究主幹 1970年生 1993年大阪大学経済学部卒業 1999年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了 博士(経済学) 東京大学社会科学研究所助手 カリフォルニア大学サンディエゴ校客員研究員 慶應義塾大学准教授等を経て2009年4月から同大学経済学部教授
 税制調査会委員、行政改革推進会議委員、社会保障制度改革推進会議委員、財政制度等審議会委員、国税審議会委員、中央環境審議会臨時委員、産業構造審議会臨時委員、東京都税制調査会委員、大阪府特別顧問、大阪市特別顧問も兼務
 著書『地方債改革の経済学』(日本経済新聞出版社)で2007年に日経・経済図書文化賞とサントリー学芸賞を受賞 【兼 職】慶應義塾大学経済学部教授



 ■乗数効果とは何か?  

 財政支出の〔乗数効果〕とは、財政支出の追加的な増加に伴いGDP(国内総生産)が追加的に増える効果で在る。財政支出を追加的に1兆円増やした時にGDPが追加的に3兆円増えれば、財政支出の乗数は3と為る。
 乗数効果が大きければ大きい程、財政支出を増やせばそれだけ大きくGDPは増える。乗数効果の背景には、次の様な人々の経済活動が想定されて居る。  

 政府が財政支出を行うと、その政府が発した注文を受ける民間企業等の仕事が増えてその分GDPが増える。公共事業等は典型的で、政府が公共事業を発注すると民間企業がその工事を受ける事でGDPがその分増える。
この効果は更に続く。
 財政支出を受け取った受注企業は、従業員へ働きに応じて給料等で分配する事に為る。分配を受けた従業員は所得が増える。そして、その従業員が今度は消費者としてモノやサービスを買えばそれだけ民間消費が増えてその分GDPが増える。
 更に、そこでモノやサービスを売った企業の従業員の所得が増えるので、その人達が消費者としてものを買えば、それだけ民間消費は増えてその分GDPが増える。  

 こうした経済活動が循環して際限無く繰り返される事で、最初に出した財政支出の金額を超える程にGDPが増える。これが〔乗数効果のメカニズム〕とされる。追加的に増えた所得の内、追加的に消費に回す割合を〔限界消費性向〕と呼ぶ。限界消費性向を〔c〕と表し、財政支出をΔGだけ増やした時に、どれだけGDPが増えるかをみると、

   ΔG+cΔG+c2 ΔG+c3 ΔG+・・・= (1/1-c)×ΔG  

 と為る(cは0と1の間の値) コレは、高校数学での〔無限等比級数の和〕に基づいて導出されて居る。上の式に当て嵌めてみると、例えば限界消費性向(c)が0.8で在れば、財政支出を1兆円追加するとGDPは5兆円増える事に為る。詰まり〔1/(1-c)〕が乗数効果の大きさを意味する。但し、此処では金利が全く上昇し無い場合を想定して居る。

 ■現実は、教科書通りでは無い  

 ケインズ経済学の教科書では、乗数効果を以上の様に教えて居る。処が、現実にはそうは為ら無い。  

 先ず、前述の財政支出はGDPを直接増やす効果の在るもので無ければ為ら無い。具体的に云えば、公共投資や政府が行政サービスを提供する際に必要な物品の購入(専門用語では政府最終消費支出)で在る。  
 給付金の支給はGDPそのものを直接増やすものでは無い。給付金そのものは、お金が政府を介して右から左へと流れるだけのもので在って、付加価値(生産)を生み出すものでは無いからだ。
 
 だから、給付金を支給する為らば、前掲した数式の冒頭のΔG(財政支出が直接GDPを増やす効果を意味する)は、その効果が無く為る事に為る。そして、給付金を受けた国民は、その全額を直ちに消費に回すのでは無く〔限界消費性向の割合〕だけ消費に回そうとする。  
 これにより、給付金の支給を追加的にΔGだけ増やした時の最初の経済効果は、給付金を受けた国民が限界消費性向の割合だけ消費に回して〔cΔG〕だけGDPが増えると云う効果と為る。

 その後は、前述した様な所得の増加と消費の増加が繰り返される効果が出る。従って、給付金増額の乗数効果の大きさは、前掲した数式の冒頭のΔGだけ効果が無く為る事を踏まえてc/(1ーc)(=1/(1ーc)ー1)と為る。
 詰まり、前掲の例で云えば、限界消費性向が0.8為らば、給付金の支給を1兆円追加すると、GDPが増えるのは4兆円と為る。

 ■実際の乗数効果はもっと低下する  

 加えて、乗数効果の前述の説明には現実離れした処が在る。前述の説明では、財政支出が一度出されると、その後所得の増加と消費の増加が際限無く繰り返されて乗数効果が起こるとされる。しかし、現実には、1年間と云う短い期間で際限無く繰り返される程取引が頻繁に行われる訳では無い。
 特に、財政支出の影響で売り上げが急に増えたからと云って、企業が増えたその月から直ちに給料を上げる事はしない。一般的には、年2回程のボーナスか年1回の昇給等に依ってしか、従業員には分配され無いだろう。それ迄の間は、財政支出に端を発した資金が企業に渡っても従業員には渡ら無い。
 
 すると、財政支出の影響で売り上げが増えた企業が、ボーナス等で従業員に分配するとしても、半年に1回程度と云う頻度と為る。そして、これに依って所得が増えた従業員が消費を増やしたとして、その消費の増加の恩恵を受けた企業も又、その従業員にボーナスや昇給で分配するにしても、半年に1回程度と云う頻度でしか分配しない。
 ボーナスや昇給と云う形で、従業員へ分配される機会が年に2回と云う頻度だとすれば、前述の説明の様な、所得の増加から消費の増加への循環が際限無く繰り返される効果は起き得無い。しかも、将来不安等で消費者が所得が増えてもそれを直ちに消費には回さ無いと為ると、限界消費性向は小さく為り、猶更乗数効果は小さく為る。

 以上を踏まえれば、限界消費性向が0.6で在ると、1年の上半期に政府が給付金の支給を追加的に1兆円増やしたとして、受給した国民が消費を増やしこれに伴い売り上げが増えた企業が年の下半期の給料を上げて所得が増えた国民が消費を増やしたら、この時の乗数効果は 0.6+(0.6)2=0.96と為って1を下回るのである。  
 つまり、仮に政府が給付金を1兆円増やした処で、その6割を消費に回すとしても、従業員の給料が半年に1度しか増え無ければ、乗数効果として所得から消費への循環が回らず、GDPは0.96兆円しか増え無い事さえ起こり得るのだ。  

 給付金を追加的に支給しても、その金額を下回る額しかGDPが増え無い事コソ、正に矢野康治財務事務次官が月刊誌で「10万円の定額給付金の様な形でお金をバラ捲いても、日本経済全体としては死蔵されるだけだ」と記した現象を表して居る。
 ケインズ経済学の教科書で云う乗数効果は、所得から消費への循環が際限無く繰り返される事を想定して居るが、実際には1年間でそれ程頻繁に循環しない。ソコに、乗数効果が大きく為ら無い根本的な理由が在る。

 ■国債増発に依存するデメリット  

 増してや、財政出動の財源を国債の増発で賄う事に依って、その返済に伴う将来の負担増を国民に惹起させれば、消費者はその負担増に備えて逆に今の消費を減らす事さえ在る。経済学では、この効果を非ケインズ効果と呼ぶ。非ケインズ効果が生じると、国債増発に依る財政出動は返って現在の消費を抑える事に為る。 
 確かに、低所得者等に限定して給付金を配る事で、GDPの増加よりも所得格差を是正し様とする考え方も在る。只、その給付金の財源を国債増発で賄えば、それは富める者から貧しい者への再分配では無く、低所得者を含む将来世代から現在の低所得者への再分配と為って居る事には注意が必要だ。

 再分配をより鮮明に行う為らば、今の低所得者への給付金の財源を今の高所得者への増税で賄うべきだろう。
財政出動に依る乗数効果は、捕らぬ狸の皮算用に為ってはいけ無い。財政出動に依って景気が好く為る事への過度な期待は辞めるべきだ。真に持続的な経済成長に繋がる政策を、財政支出を伴わ無いものも含めて実行する事で、中長期的な所得の増加は実現する事が出来る。



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            土居 丈朗 慶應義塾大学 経済学部教授 10-24-7




 〜管理人のひとこと〜

 最近の新しい経済学では、土居 丈朗氏の云う「財政出動の財源を国債の増発で賄う事に依って、その返済に伴う将来の負担増を国民に惹起させれば、消費者はその負担増に備えて逆に今の消費を減らす事さえ在る。経済学では、この効果を非ケインズ効果と呼ぶ」との言葉を否定するだろう。
 詰まり〔国債=国民の借金〕では無く〔国債=国民の資産〕と考え、国債とは〔政府が日銀・国債保有者への借用書の役割〕しか為らず、返済する事に依り帳簿上の数字が移動するだけだ・・・と為る。詰まり(紙幣を増刷して)帳簿上返済し続けても何ら支障は無い・・・との考えである。
 この根本的解釈が異なれば、一切の議論が嚙み合わ無い不毛な論争としか為ら無い。更に、国債残高から国・政府の資産総額を引くと1年のGDPを下回る額で在り、日本は〔借金大国では無く最優良国〕で在るとの評価も存在する。国債は国民の借金では無く国民の資産なのだ・・・コレだけは押さえて置きたい。給付金を消費に回さず貯蓄する家庭がどれ程居るだろうか? そして、それが何時迄続くだろうか?・・・



















2021年10月22日

日本の「借金財政」が破綻し無い最大の理由とは?



 高市早苗も財務次官も「見落とし」た

 日本の「借金財政」が破綻し無い最大の理由



 現代ビジネス  10/22(金) 8:02配信



 財務事務次官による異例の寄稿



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         自民党の高市早苗政調会長[Photo by gettyimages]10-22-30


 10月19日 第49回衆院選が公示され、31日投開票に向けて12日間の短い選挙戦に入った。新型コロナウイルス下での初めての衆院選で、メディアでは感染症や経済への対策が主な争点に為ると言われて居る。しかし経済対策に関しては全ての政党が大同小異の「現金給付」を公約に掲げる「バラマキ合戦」を繰り広げて居り、違いはその財源を大企業や高額所得者に求めるか、国債発行で確保するかと云う点に為って居る。


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         筆者 経済評論家 コラムニスト 近藤 駿介 10-22-34


 解散総選挙を控えて各党が「財源論無きバラマキ合戦」に突き進む状況を待って居たかの様に公表され注目を浴びたのが、文藝春秋に掲載された 事務次官モノ申す「このママでは国家は破綻する」 だ。国家公務員で在り現役の財務省事務次官で在る矢野康治氏に依る異例の寄稿で在る。  

 現役事務次官に依る異例の寄稿は「最近のバラマキ合戦の様な政策論を聞いて居て、止むに止まれぬ大和魂か、もうジッと黙って居る訳にはいか無い、此処で言うべき事を言わねば卑怯でさえあると思います」と事務次官に似つかわしく無い「大和魂」と云う言葉を掲げ「不偏不党」で在るべき国家公務員と云う立場を自覚しつつ敢えて「心在るモノ言う犬」と為る覚悟を示した。

 その上で 「数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、更には消費税率の引き下げ迄が提案されて居る。マルで国庫には、無尽蔵にお金が在るかの様な話ばかりが聞こえて来ます」と政党による「財源論無きバラマキ合戦」に警鐘を鳴らす内容に為って居る。

 高市政調会長の猛烈な反論


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          高市早苗政調会長[Photo by gettyimages]10-22-31


 この矢野事務次官に依る異例の寄稿に対して、政治家や専門家達から様々な反論が沸き起こって居る。自民党の高市早苗政調会長は即座に 「(バラマキ合戦と云う指摘は)大変失礼な言い方だ」 「(日本の国債に関しては)自国通貨建てだからデフォルト(債務不履行)は起こら無い」と不快感を示した事は記憶に新しい処だ。  
 この「自国通貨建てだから日本国債のデフォルトは起こら無い」と云うのは、日本の財政赤字が拡大する中で「積極財政」を主張する政治家や学者の間で、財政支出拡大を正当化する理論として注目を集めて居る「現代貨幣理論・MMT」に沿った発言で在る。
 
 MMTが正しいか否かと云う議論は国民の殆どには理解出来ないし、ソモソモこの理論に付いては専門家達の中でも対立して居るのだから、議論は彼等に任せるのが賢明で在る。筆者は「積極財政派」「緊縮財政派」のドチラが正しいかと行った論争にも全く関心が無い。
 それは30年以上の投資運用業務やファイナンス業務の実務経験を通して、不変的に正しい経済理論など存在し無い事を身に染みて知って居るからだ。「不偏不党」の立場の金融実務人間には、矢野事務次官の主張も高市政調会長の主張も、理論として正しいか如何かより前に、自らの主張に都合の好い経済理論を摘まみ出した不健全なものに映って居る。

 「国債=借金」の誤り

 先ず日本社会に根強く蔓延(はびこ)って居る大きな問題は「国債=借金」と無条件に信じられて居る事だ。この見方は、半分は正しいが半分は間違って居る。こうした間違いが起きるのは「誰に取って」と云う部分が欠けて居るからだ。  
 国債は国が発行する借用書で在るから「国に取って借金(負債)」で在る事は確かで在る。しかし、借金の出し手、詰まり国債の保有者・投資家側から見れば国債は大切な「資産」で在ると云う財務会計上の基本原則が無視されて居るのだ。  
 国債は見る方向に依って「資産」「負債」のドチラにも為るものなのだが、日本では「負債」の部分だけを強調して、日本が借金大国で在るかの様な洗脳報道が横行してしまって居る。  

 コレは、読者に取って大切な「資産」で在る「銀行預金」が、銀行に取って「負債」に為って居るのと同じ事で在る。預金量が多い、詰まり負債の多い銀行の事を「過大借金銀行」とネガティブに捉える事が在るだろうか。寧ろ預金量が多い事はその銀行の信用の高さを表すポジティブな材料として使われる事の方が多い筈だ。
 「誰かの負債は誰かの資産」で在り「誰かの支出は誰かの収入」だと云う〔金融の原則〕を先ず認識し無ければ為ら無い。従って、国債の発行残高が1,200兆円在る事を理由に「借金大国」だと単純に騒ぎ立てるのは不十分な議論だと言える。それは1,200兆円が誰かの資産に為って居ると云う事を無視して居るからだ。

 「誰から借りて居るか」も重要
 
 金融的には負債の大きさもさる事乍ら「誰から借りて居るか」言い換えれば「誰の資産に為って居るのか」が極めて重要で在る。借入先から元本の返済を迫られ無い限り借手が返済に困る事は無いのでデフォルトに陥る事は無い。
 親からお金を借りて居るのと消費者金融業者からお金を借りて居るのとでは、同じ借金で在っても天と地の差が在るのと同じ事で在る。  

 「我が国の財政赤字(一般政府債務残高/GDP)は256.2%と、第2次大戦直後の状態を超えて過去最悪で在り、他のどの先進国よりも劣悪な状態に為って居ます(因みにドイツは68.9%・英国は103.7%・米国は127.1%)」  

 矢野事務次官も寄稿した文章の中でこの様に「借金」と云う感点からその大きさに付いてだけ警鐘を鳴らして居り、日本国債が「誰の資産に為って居るのか」と云う資産的観点からの言及は一切無い。コレは財務省がコレ迄繰り返して来た常套手段でも在る。  
 日本国債の発行残高は2021年6月末時点で1,223兆8705億円で が、それが「誰の資産に為って居るのか」と云うと、86.8%が日本銀行を含んだ国内の投資家の資産に為って居る。

 特に期間が1年未満と短い国庫短期証券を除いた国債1,056兆4141億円に限ると、海外投資家の保有比率は7.2%に過ぎず「国の借金」で在る国債の92.8%は「国内投資家の資産」に為って居る。
 この「国の借金」の殆どを国内投資家の資金で賄えて居る事が、世界最大の借金大国と言われる日本が破綻して居ない大きな理由なのだ

 ギリシャが財政破綻した理由


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 GIIPS諸国の国債海外保有率(平成24年度 年次経済財政報告より、https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je12/h05_hz030101.html)10-22-33


 メディア等では「日本の財政状況は破綻したギリシャより悪い」と不安を煽る様な報道が繰り返し為されるが、これも「誰の資産に為って居るのか」「誰から借りて居るのか」と云う視点を欠いた不十分な議論に過ぎ無い。  
 「誰から借りて居るのか」と云う点から観ると、現在の日本と2010年代に債務危機に陥った当時のギリシャとは全く状況が異なる事が分かる。  

 日本国債の海外投資家の保有比率は7.2%程度に過ぎ無いのに対して、債務危機に陥ったギリシャの国債の海外投資家保有比率は70%以上だった。こうした国債の海外保有比率が高い状況は、ギリシャと同様に債務危機に陥ったポルトガルやアイルランド等でも観られる事で在る。  
 国債の海外投資家保有比率が高いと云う事、それはギリシャの運命が海外投資家に握られて居たと云う事で在る。これに対して日本国債の海外保有比率は7.2%に過ぎず海外投資家に生殺与奪を握られて居る訳では無い。これが債務危機に見舞われたギリシャと現在の日本の決定的な違いで在る。  

 考えて置かなければ為ら無い事は、ギリシャ等債務危機に見舞われた欧州各国で、国債の海外投資家保有比率が70%を超える程高く為った理由で在る。日本でギリシャ化が進むか如何かは、近い将来日本国債の海外保有比率がギリシャの様に高まって行く可能性がどの位在るのかに懸かって居るからで在る。
 債務危機のリスクが高い事を認識して居たら、海外投資家がギリシャ国債をこれ程大量に保有する筈は無い。海外投資家がギリシャ国債を大量に購入したのは、2009年10月のギリシャの政権交代迄財政赤字が隠蔽されて居る事を知ら無かったからだ。 

 債務危機リスクが想定されて居なかった段階では、海外投資家をギリシャ国債投資に駆り立てた要因が存在して居た。それが「共通通貨ユーロ」で在る。 ーロの出現に依って、共通通貨を使用する各国間では投資に置ける「為替リスク」に配慮する必要は無く為ったのだ。
 債務危機に襲われたギリシャもアイルランドもポルトガルも、更にはドイツもフランスもその通貨はユーロで在り、ユーロ圏諸国は投資家に取って、為替リスクを考えずに投資出来る国だったのだ。  

 リーマン・ショックが起きる前迄、欧州経済の優等生で在るドイツとギリシャの10年国債利回り格差は0.3〜0.5%と、現在の米国10年国債と日本の10年国債の利回り格差1.5%程度と比較しても小さく、必ずしも利回り面でギリシャ国債の魅力が高かった訳では無い。  
 こうした利回り面で魅力的だったとは言え無いギリシャ国債が海外投資家の資金を惹き付けた大きな理由は「共通通貨ユーロ」の存在に依って「為替リスク」を考慮する必要が無かったからである。  

 米国国債に投資した方が、日本国債に投資するよりも1.5%程度利回りが高い事が分かって居ながら、日本の投資家が米国債に殺到し無いのは「為替リスク」が存在するからである。詰まり「為替リスク」の存在が海外投資に対するブレーキ役を担って居るので在る。  
 この「為替リスク」と云うブレーキが取り外されてしまったとしたら、投資家が少しでも利回りの高い国の国債に資金を投じるのは当然の行動だと言える。  

 まとめると、ギリシャが債務危機に直面する程海外依存を強め、外国に生殺与奪を握られてしまう事に為ったのは「共通通貨ユーロ」に依って使用国間で「為替リスク」が考慮すべきリスクでは無く為ってしまったからで在る。  
 「為替リスク」と云う海外投資に置けるブレーキ役が取り払われた事で、必要以上の資金がギリシャ等信用力の低い国々に流れてしまった事がギリシャ危機の背景に在るのだ。

 日本はギリシャには為ら無い、が・・・

 この様に考えると、必要な資金の9割以上を自国で調達する事が出来て居る上に、円と云う自国通貨を持つ事で「為替リスク」と云う海外等に対するブレーキが付いて居る日本が、ギリシャの様な状況に陥る可能性は極めて低いと言える。  
 詰まり、日本の財政赤字が悪化の一途を辿り「一般政府債務残高/GDP」が256.2%と第2次大戦直後の状態を超えて過去最悪で、他のどの先進国よりも劣悪な状態に在るからと云って、ギリシャの様に為ると騒ぎ立てるのは両国の置かれた状況の違いを無視した極論だと言える。  

 日本が直ちにギリシャの様な債務危機に陥る可能性は殆ど無いと言って好いだろう。  しかし、その事が高市政調会長の発言に代表される様な「自国通貨建てだからデフォルト(債務不履行)は起こら無い」と云う人達の主張を正当化する訳では無い。  
 それは、デフォルトが起き無いのは「自国通貨建てだから」では無く「必要な資金の殆どを自国内で調達出来て居るから」で在る。  

 仮に日本が必要な財政資金を国内の資金だけで調達出来ずに、海外からの調達を増やして行く様な状況に為れば「ギリシャ化」に一歩近付く事に為る。但し、海外投資家から見ても日本の国債投資には「為替リスク」が付き纏うので、ギリシャの様に海外保有比率が50%を超える様な事態は考え難い筈である。

 「コウモリ」財務省の大きな罪

 心配なのは、財務省が「国債市場の安定を図る」と云う目的で「銀行や生命保険会社等の国内機関投資家や個人投資家のみ為らず、海外投資家の国債保有促進に向けた取組みを進めて居る」事で在る。  
 一見尤もらしく聞こえるかも知れないが、自国資金で必要な資金の9割以上を確保出来て居る日本でのこうした財務省の取り組みは「毎回奥さんからの借金に頼って居るとご機嫌を損ねた時に困るから、消費者金融にも口座を作って置きましょう」と云う悪魔の誘惑で、日本をギリシャ化に向かわせる様な危険な政策だと言える。 

 もし財務省のこうした取り組みが奏功した場合には、高市政調会長の「(日本の国債に関しては)自国通貨建てだからデフォルト(債務不履行)は起こら無い」と云う主張も崩れて行く事に為る。  
 日本のギリシャ化を防ぐ意味でも、国債発行は国内の資金で賄える範囲に留めるべきで在る。ギリシャの様に海外保有比率が極端に高く為る位なら、日銀による直接引受の方が他国に生殺与奪を握られ無いと云う点に於いてズッと増しだと言える。  

 海外投資家向けの活動の中で財務省は「財政健全化の進捗や今後の見通し」等を説明し、日本国債が安全資産で在るとアピールして居る。一方で国民向けには「一人当たりの負債額は約987万円」「破綻しかね無い借金」だと主張する財務省の姿はコウモリの様なものだ。  
 財務省がこのママコウモリの様な役割を続けて行けば「自国通貨建てだからデフォルトしない」と云う高市神話は崩れ、矢野事務次官が指摘する国家財政が破綻すると云う最悪の事態を招く事に為るかも知れない。  

 経済学の専門家では無い金融実務家の端くれとして「止むに止まれぬ大和魂」で言わ無ければ為ら無い事は、国債には「負債」と「資産」の両面が在り、ソロソロ「負債」の面だけにスポットを当てて国民不安を煽る様な事からは卒業すべきと云う事だ。  
 同時に「財源は有限で在る」と云う当たり前の事を認識し、限られた資金をより乗数効果の高い分野に振り向けて、効果的に使う為の議論に変えて行か無ければ為ら無いと云う事だ。

 それが出来無ければ「成長と分配の好循環」は絵に描いた餅で終わる事に為る。 「給付金」の乗数効果は限り無く低い事、その様な「給付金」をコロナの影響で傷付いた社会の原状回復の為に使わ無ければ為ら無く為った今コソ「限られた予算の効率的な分配」が求められて居る事を政治家達は肝に銘じるべきである。




             近藤 駿介 済評論家 ラムニスト

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 SHUNSUKE KONDO 1957年東京生まれ 早稲田大学理工学部土木工学科卒業 野村投信(現野村アセットマネジメント)のファンドマネージャーとして25年以上に渉り 株式・債券・デリバティブ・ベンチャー投資・不動産関連投資等の運用を経験 90年代中頃には合計約8,00億円と日本最大規模の資金を運用して居た 担当したファンドが「東洋経済」の年間運用成績第2位に選出される 又、運用責任者として日本初の上場投資信託(ETF)「日経300上場投信」の設定・上場を成功させ、同社初のプロフェッショナル・ファンドマネージャーと為る 
現在は不動産・IT等複数企業の顧問を務めながら、評論家・コンサルタントとしても活動して居る 「WORLD MARKETZ」(東京MX2)のレギュラーコメンテーターを務める他 「新報道2001」「バイキング」(共にフジテレビ) 「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日)等のテレビ番組に出演 又「週刊文春」「週刊ポスト」「週刊プレイボーイ」「日刊ゲンダイ」等にもコメントを提供 著書に『1989年12月29日、日経平均3万8915円』(河出書房新社、2018年) 『202X 金融資産消滅』(ベストセラーズ、2020年)が在る















何か可笑しい 岸田氏の「新しい資本主義」



 岸田首相の「新しい資本主義」

 〔キモい〕としか言え無いコレだけの理由



 10-20-5.png 10/20(水) 6:01配信 10-20-5


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  「新しい資本主義実現本部事務局」の看板を持つ岸田文雄首相(中央)Photo:JIJI 10-20-6


 岸田文雄首相が、自由民主党総裁選の選挙戦中から掲げるキャッチフレーズで在る「新しい資本主義」が、何とも「気持ち悪い」 心情としては「キモい!」と叫びたい位だ。筆者がそう感じる様々な理由をお伝えしたい。


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         経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員 山崎 元 10-22-20


 ● 岸田首相の得体が知れ無い思い込み  日本に「新自由主義」のレッテル貼り  

 好い歳をした書き手(筆者自身の事)が、記事の文章で「キモい!」と云うカジュアルな言葉を使うのは如何なものかとも思う。で在るのだが、岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」に対する気持ち悪さは「気持ちが悪く思えます」と云ったユックリしたテンポでは無く「キモい!」と、最短の秒数でコノ気味の悪さを伝えたい。  
 気持ちの悪さには複数の要因が在るのだが、一番不気味なのは「新しい資本主義」と云う言葉を唱えて居る本人が、その内容を分かって居ないのでは無いかと思われる事だ。しかも、その当の人物が、我が国の首相なのだ。国民は不安に為る。  

 岸田氏は、新しい資本主義に付いて様々に表現して来たが、先ず、言って居る事が意味不明だし、次には、言って居る内容がブレて居る。詰まりは、何をしようとして居るのかが分から無い。しかし、闇雲に何かを変えようとして居る。
 岸田氏は、例えば「新自由主義からの転換」と云う言葉を使った。しかし、日本は何時新自由主義に為ったのか。「転換」と云う言葉を使うからには、彼の認識では現状は新自由主義なのだろう。  

 しかし、多寡だか郵政民営化位のプロジェクトが中途で挫折してグズグズに為る様な、利権維持と非効率性の中で漂うこの国の一体何処が新自由主義なのか? 電波オークションも無ければ、農地の株式会社保有さえ実現しない。  
 この様な日本に「新自由主義」と云うレッテル貼りをして、意見を言った様な気分に為る事が出来る精神構造を不気味だと思わ無い事は難しい。しかも、彼は左派政党の党首では無くて自由民主党の総裁なのだ。

 ● 「新しい資本主義実現会議」は中身が無いと断言出来る根拠

 岸田氏が「新しい資本主義」に付いて確たる具体的な内容を持って居なかった事は「新しい資本主義実現会議」と云う何とも奇妙な有識者会議が、総選挙を前にした内閣府の下に設立された事に如実に表れて居る。  
 内閣府が10月15日に発表した文書を見ると、会議の開催に付いて「新しい資本主義実現本部の下『成長と分配の好循環』と『コロナ後の新しい社会の開拓』をコンセプトとした新しい資本主義を実現して行く為、それに向けたビジョンを示し、その具体化を進める為、新しい資本主義実現会議を開催する」と在る。
 中身が何も無いので「それに向けたビジョン」等と云う、この種の文章としては世にも情け無い言葉を使う以外に書き様が無かったのだろう。

 ● 成長と分配の好循環を「これから検討」 それでは絶望的に中身が無い

 ソモソモ「新しい資本主義」等と云う偉そうな言葉を使う以上、そのビジョンは言って居る本人が明確に提示して方向性を示すべきだ。「成長と分配の好循環」にも「コロナ後の新しい社会の開拓」にも、願望は在っても中身が無い。  
 「成長と分配の好循環」は与党も野党も望んで居る事で在り「如何実現しようとするのか」を論じる以外にお互いを区別するポイントは無い。それをこれから有識者会議で検討しようと云うのだから、岸田首相自身には絶望的な迄に中身が無い。

 又、今後の社会が「コロナが起こってからの社会」で在る事は間違い無いのだが「新しい社会の開拓」とだけ言われても、現状の社会を否定する意味しか無い。会議に参加する有識者さん達は推察するに「何かお役に立てたら好い」と云う位の善意から参加されるのだろうが、会議自体が時間と手間の無駄に為るだろうと予想する。
有識者さん達に取って指名を受けた事は不名誉では無いだろうから、会議自体の存在は好いとするとしよう。

 それにしても(この種の会議の出席謝礼は極めて安いので、お金はそれ程無駄に為っては居まい)サラリーマンの立場から推察して何とも気の毒で為ら無いのは、会議の事務局を務める官僚さん達だ。この様な無意味な会議の成果をどの様に着地させると好いのか、想像しただけで目が回りそうに為る。

 ● 財務次官の「バラマキ合戦」批判で 緊縮財政へ傾斜しないかが当面の心配

 岸田氏が中身を十分把握せずに、思い付きか言葉の勢いで「新しい資本主義」と云う言葉を唱えた事はマア好いとしよう、我が国の政治家には好く在る事だ。岸田氏の症状は可成り重いとは思うが「ネクタイを締めた、喋る空箱」の様な政治家は与野党を問わず少なく無い。  
 気持ちが悪いのは「新しい資本主義」を唱える岸田氏が、現状の経済政策の何を変え様として居るのかが分から無い事だ。少なくとも何かを変え無ければ「新しい」とは言え無いのだから、彼は何かをしようとして居るらしい。  

 首相就任前に強調して居た〔金融所得課税の見直し・税率引き上げ〕は一転して当面封印する様だ。封印自体は結果的に正しいのだが、コレだけ簡単に意見が変わると有権者は、衆議院選挙で岸田総裁の自民党に何を期待して投票したら好いのかが分から無く為る。  
 当面の心配は緊縮財政への傾斜だ。次の衆議院選挙を経ても恐らく岸田氏が首相だろうが、政治家が掲げる政策を「バラマキ合戦」と批判した財務官僚の様な人に感化されて、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の目標に拘る様な愚策に陥る事が心配だ。  

 何が「新自由主義」なのかも、多分「資本主義」が何の事なのかも分かって居ない首相が、立派に聞こえる言葉の響きだけで「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する心配が大いに在る。しかし、これ等は、現在拘るべき概念では無い。

 ● 岸田首相への最大の不安は 金融政策 23年の日銀正副総裁の人事は心許無い  

 モッと大きな心配は、金融政策に対する影響だ。岸田首相が、これ迄の日本銀行の金融緩和政策を「古い資本主義」だと認識して変えようとする心配が在る。2023年の3月に予定されて居る日銀の正副総裁の人事を、資本主義の何たるかを分かって居ない岸田首相が「人の話を好く聞いて」詰まり周囲の誰かに影響されて決めるのだとすると何とも心許無い。  

 中身が無いのに「新しい何々」と言いたがる事の他に「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる。他人に影響され易いと云う事だからだ。岸田氏は、リーダーには最も不向きなキャラクターなのでは無いだろうか。  
 但し、岸田首相に対する不安と同時に、野党に対する心配も述べて置くのがフェアだろう。例えば、岸田氏が捨てた〔金融所得課税の見直し・税率引き上げ〕を、未だに格差対策の政策として掲げる立憲民主党には、岸田氏の「新しい資本主義」の気持ち悪さとは又別の「反資本主義」の不気味さが在る。

 ● 与野党の党首討論会で考える 「バラマキ合戦」の優劣  

 衆議院選挙の日程が決まり、各党の経済政策が発表されて居る。財務次官が「バラマキ合戦」と呼ぶ部分に付いて、18日に日本記者クラブで行われた各党党首の討論会をベースに整理すると、以下の通りだ(「日本経済新聞」10月19日朝刊を参照)  

  自民党 数十兆円の対策とだけ言って居て、何に使うのかを提示し無い
  公明党 高校3年生迄の子供に10万円の給付を行うと言って居る
  立憲民主党 1000万円程度迄の所得の人への所得税免除と低所得者への12万円給付、加えて消費税率の時限的な5%への引き下げ
  共産党 減収した人に10万円の給付と、消費税率の5%への引き下げ
  日本維新の会 消費税率を2年間を目安に5%へ引き下げと、年金保険料をゼロに
  国民民主党 一律10万円の給付と低所得者には追加で10万円の現金給付。更に経済回復迄消費税率を5%に
  れいわ新選組 消費税廃止と毎月一人20万円給付
  社民党 3年間消費税ゼロと10万円の特別給付金
  NHKと裁判してる党 弁護士法72条違反で(NHK党) 10万円以上相当の期限付き電子マネーの給付


 先ず岸田氏の自民党は、政権党だけに言質を与えたく無いと云う事なのかも知れ無いが、具体案を示さ無いのは好く無い。これで首相が岸田氏では心配且つ不気味だ。野党各党が主張する現金給付に付いては、所得制限を設け様とすると手間が掛かるし、国民の経済行動が歪む(例えば一時的に所得を抑え様とする等)副作用が在る点に注意が必要だ。  
 又給付金は、生活への支援や国民の安心感の上でも、1回限りのものよりも継続的に効果の在る形のものが好い。

 ● 日本維新の会が挙げた 「年金保険料の無料化」を推す理由  

 最も筋が良いと思うのは、日本維新の会が挙げた〔年金保険料の無料化〕だ(基礎年金部分の完全税負担化と云う意味だろう)富の再分配効果と行政効率化(例えば、国民年金保険料の徴収が要ら無く為る)の効果が大きい。
 低所得者・現役世代への効果が大きく所得税率の高い人への効果が小さいし、将来はコノ財源と為る税金の負担を通じて、それ為りに大きな「再分配」の流れが出来る。  

 増税には、超富裕層に対する所得税の累進税率の引き上げと、広く薄く課税する様な資産課税の強化が好い。投資の利益への課税を狙った金融所得課税の見直しは、リスクマネー供給を阻害するので好く無い。  
 尚、国民年金保険料の様な「一律の負担」が低所得者に厳しく極めて逆進的で在る事の解決には、財源を税金にする事が優れて居る。この点では、NHK党辺りがNHK受信料の税負担化を主張しないのは少し不思議だ。  

 最も、低所得層でテレビを持た無かったり、受信料は不払いだったりする人が多ければ「再分配」の効果はそれ程大きく無いかも知れ無い。それでも、受信料徴収のコストが回避出来て、国民の費用負担がより公平に為る(税制全体が公平だとして)事の効果は小さく在るまい。  
 野党が足並みを揃えつつ在る消費税率の引き下げは、それ自体の効果として悪く無い。只、時限的なものだと税率変更を巡る買い控えや消費の集中等、税率変更の際に起こる混乱が気に為る。
 
 筆者なら、消費税率はそのママに〔基礎年金を全額国庫負担にする〕方を採りたい。再分配の効果が大きいし世の中の事務作業が増える消費税率の変更よりも、公的年金に掛ける手間が減る点で〔年金保険料ゼロ〕は好い。  
 岸田首相に「良いバラマキ」と「悪いバラマキ」を見分ける眼力が在るとは思え無いが、経済政策の中身はどの道未だ決まって居ないのだろうから〔年金保険料ゼロ〕を是非お勧めしたい。



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 山崎 元 楽天証券経済研究所  客員研究員 1958年北海道生まれ 東京大学経済学部卒業 三菱商事⇒野村投信⇒住友生命⇒同信託⇒シュローダー投信⇒バーラ⇒メリルリンチ証券⇒パリバ証券⇒山一證券⇒DKA⇒明治生命⇒UFJ総研と12回の転職を経て2005年より現職 10-22-21














 









矢野財務次官に依る〔異例の寄稿〕本当の狙い




 「このママでは国家財政は破綻する!」

  矢野財務次官に依る〔異例の寄稿〕本当の狙い



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 衆院予算委員会で答弁する財務省の矢野康治主税局長(左手前)(※肩書は当時のもの)2020年2月10日 国会内 写真 時事通信フォト 10-20-11


 ■現職次官が『文藝春秋』に異例の寄稿  

 「矢野さんが辞表提出を求められて居る」

 永田町や霞が関は、ソンな話で持ち限(きり)に為った。10月8日 その日発売の月刊『文藝春秋』に財務次官の矢野康治氏が「このママでは国家財政は破綻する」と題する寄稿をして居た問題に付いてだ。
 現職次官が実名で自らの意見を寄稿するのは異例。しかも、選挙戦を睨んで与野党が打ち出す政策を「バラマキ合戦」だと断じて居た。丁度岸田文雄氏が「分配重視」を掲げて総裁選を勝ち抜き、首相に指名された直後だったから、読み方に依っては「新政権批判」と受け取る事も出来た。永田町には

 「嶋田隆・首相秘書官と栗生俊一・内閣官房副長官(事務方トップ)が辞表を出せと言って居る」
 「首相と官房長官は沈黙して居るらしい」
 「如何も甘利明・自民党幹事長が怒って、裏で指示を出して居る様だ」


 と云った情報が乱れ飛んだ。その一方で「麻生太郎前財務相の許可を得て寄稿したものだ」と云った報道も早い段階から流れて居た。

 ■本当に矢野氏個人の「大和魂」から出た言葉か?

 寄稿は永田町ウォッチャーだけで無く、SNSを通じて多くの国民の間で話題に為った。結局、10月10日にフジテレビの番組に出演した岸田首相が「色んな議論は在って好いが、一旦方向が決まったら関係者は確りと協力して貰わ無ければ為ら無い」と述べる事で収束を図った。
 元々矢野氏の寄稿文にも、往年の名官房長官と言われた後藤田正晴氏の『後藤田五訓』を引いて「勇気を以て意見具申せよ」と共に「決定が下ったら従い、命令は実行せよ」と云う訓戒を紹介「役人として当然の事です」として居た。  

 同じ日のNHK日曜討論に出演した自民党の高市早苗政調会長は「大変失礼な言い方だ」と不快感を露にしたものの、翌日の記者会見で松野博一官房長官が「私的な意見として述べたものだ」との見解を示した事で、矢野次官はお咎め無しと云う事で落着した。  

 「最近のバラマキ合戦の様な政策論を聞いて居て、止むに止まれぬ大和魂か、もうジッと黙って居る訳には行か無い、此処で言うべき事を言わねば卑怯でさえ在る」

 と矢野次官は寄稿文の冒頭で書いて居る。だが、この一文は本当に矢野氏個人の「大和魂」から出たものなのか?

 ■「経産省主導内閣」と言われた安倍内閣  

 勿論、矢野氏個人の思いが込められて居る事は間違い無い。矢野氏と付き合いの長いジャーナリストに依ると、酔えば必ず〔後藤田五訓〕の話に為り、寄稿文にも在る様な「国家公務員は『心在るモノ言う犬』で在らねば」と云うのは口癖だと云う。だが、矢野氏個人の私的な意見を私憤から寄稿したのか、と云うと如何もそうでは無さそうなのだ。  

 第2次以降の安倍晋三内閣が〔経産省主導内閣〕と言われて来たのは周知の通りだ。安倍元首相の政治主導の裏では、秘書官で首相補佐官でも在った元経産官僚の今井尚哉氏が絶大な力を握って居た。
 今井氏が経産省の課長に直接電話して怒鳴り着けたり指示したりする姿は日常茶飯事だった。一方で、安倍内閣は2014年4月「消費への影響は軽微で早期に復活する」として居た財務省の説明を聞き入れて消費税率を5%から8%に引き上げたが、結果はアベノミクスで急回復して居た景気を冷やす結果と為り、安倍首相に依る財務省排除が鮮明に為ったとされる。

 ■「財務省主導内閣が出来るのではないか」官僚達の期待  

 自民党の歴代内閣は、財布の紐を握る財務省の影響下・支配下に在ったとさえ言われたが、安倍内閣は財務省がコントロール出来無い内閣に為って行った。財務省はその地位を取り戻す事、正に復権が最優先課題に為って来たのだ。  
 それが成功するかに見えたのが菅義偉内閣だった。首相補佐官だった今井氏が退任、国土交通省出身の和泉洋人氏が首相補佐官と為り実権を握った。明らかに経産省色が薄れて行く傾向に在った訳だ。


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                 矢野財務次官 10-22-2


 ソンな中、2021年6月に矢野氏が財務次官に為る。実は、矢野氏は菅前首相が官房長官だった2012年から2015年の間、官房長官秘書官として菅氏に仕えて居た菅氏の懐刀だった。菅内閣は財務省の悲願で在る財務省が主導する内閣に戻って行く筈だったのだ。
 
 しかし、菅内閣は短命で終わる。問題は後継に為った岸田内閣が如何為るか。岸田氏が会長を務める「宏池会」は、大蔵官僚から政治家と為り首相に昇り詰めた池田勇人が創設した派閥で、矢張り大蔵官僚出身の宮澤喜一元首相等を輩出した〔親・財務省〕と観られる派閥だ。
 岸田氏が総裁選でブチ上げた〔令和の所得倍増〕も、多分に池田勇人の「所得倍増計画」を意識して居ると見られて居た。財務省主導内閣が出来るのではないか、と財務官僚達は期待しただろう。

 ■状況は一変、経産省寄りのムードに  

 だが、幹事長に就任した甘利氏が岸田内閣の人事に大きな影響力を持ったとされムードが一変する。甘利氏は経産大臣の他、経済財政政策担当相等を務め、経産省と非常に近い関係に在ると観られて来た。案の定、筆頭首相秘書官には経産省次官を務めた嶋田氏が就任。今井氏も内閣官房参与に復活した。  
 しかも、総裁選で「(単年度の歳出を歳入範囲に抑える)プライマリー・バランスの棚上げ」等を掲げ、財政再建よりも積極財政を重視する姿勢を明確にして居た高市氏が党の政調会長に就任。経産省の政策に通じる未来投資等に積極的に財政支出して行く方向に舵が切られつつ在った。ソンなタイミングで矢野氏の寄稿が出て来た訳だ。

  ■「分配」から「分配も成長も」「先ずは成長」へ  

 矢野氏の「バラマキ批判」は一定の成果を挙げて居る。「積極財政で、本当に国家財政は破綻するのか?」と行った議論が喧(やかま)しい程に行われる様に為ったのが一点。そして、もう一つが、岸田氏が総裁選の際に掲げて居た〔政策の微妙な修正〕を行う切っ掛けに為った事だ。

 総裁選では「アベノミクスの成長の成果が十分に分配されて来無かった」として「分配」政策を前に出した。「選挙で勝てる顔」を求めて居た自民党党員に取って、野党の主張の柱で在る分配重視を訴える総裁為らば選挙に勝てると観られた。  
 処が、実際に総選挙と為れば、都市部の無党派層等を取り込まねば為ら無い。現役世代は成長への期待度が高いから分配優先では票に為ら無い。選挙が近付くに連れ「分配も成長も」「先ずは成長」と発言トーンが変わって来た。

 財務省からすれば、バラマキ一辺倒の政策を修正させるだけでも成果だっただろう。勿論、その辺りの政策が本格的に具体化して来るのは総選挙後。自民党の議席獲得数等に依っても政策は大きく変わって来るだろう。

 ■消費増税しても財政再建は為され無かった  

 と云う訳で、矢野氏が此処で財政再建の重要性を指摘したのは、何も、個人的な大和魂の帰結と云う訳では無さそうだ。実際、寄稿文の内容も、財務省の従来の主張と変わら無い。
 「財務省はこれ迄声を張り上げて理解を得る努力を十分にして来たとは言えません」と書いて居るが、財務省は従来「このママでは国家財政は破綻する」と危機感を煽って消費税率の引き上げ等増税路線を突き進むと云う遣り方を執って来た。  

 消費増税して何が起きたか・・・財政再建等されずに歳出規模を膨らませただけでは無かったか。無駄に予算が使われて居る事業や、経済効果が乏しい助成金等幾らでも景気に影響を与えず歳出を減らす術は在る。その役割は本来、財務省が担って居るのだが、予算を柔軟且つ大胆に見直して行く仕組みすら殆ど機能して居ない。
 消費税率を上げれば財政再建出来ると言うが、ドンドン貧しく為って居る日本国民からどれだけ税金を取れると考えて居るのか。

 財務省自身が発表して居る「国民負担率」国民所得に占める租税負担と社会保障負担の合計の割合は2020年度で46.1%に達して居る。国民の「担税力」も無限大では無い。過つて、土光敏夫氏が「第二次臨時行政調査会」で行政改革に大鉈を振るった際、合言葉は「増税無き財政再建」だった。矢野氏には、是非、令和の「増税無き財政再建」に付いて寄稿発表して頂きたい。



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 磯山 友幸(いそやま・ともゆき) 経済ジャーナリスト 千葉商科大学教授 1962年生まれ 早稲田大学政治経済学部卒業 日本経済新聞で証券部記者 同部次長 チューリヒ支局長 フランクフルト支局長 「日経ビジネス」副編集長・編集委員等を務め 2011年に退社 独立 著書に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)等が在る



 〜管理人のひとこと〜

 安倍晋三内閣での、安倍晋三個人に依るあらゆる不法・不正事件の一部を国会で取り上げ、委員会での審議の際に出て来る官庁の、責任官僚達の言葉の一つにでも「血の通った人間らしい言葉」が感じられただろうか? NHKの放送を観ていた多くの国民は「高級官僚とは、目的の為には平気で嘘を言う信頼出来無い人間だ」と刷り込まられた事だった。
 中には、公文書の改ざんを部下に命じ、命じられた役人は国民への不正に悩み、自殺者迄出した官僚が「全く知ら無い」と忖度に励み出世した事実迄存在する。部下の命を差し出して出世する・・・官僚とは何とも悲しい種族だ・・・
 一つの悪しき内閣が、我が国をコンな国へと堕落させ国家の品位を瓦解させてしまった。最早、コレを取り戻すには50年100年の努力を必要とするだろう。元と云えば国民が彼を選択した筈だ・・・全ての責任は国民が被らねば為ら無い。一つ一つの真実を極め正直に生きて行きたいものだ。



















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