2021年10月27日
赤井沙希 プロレスデビューに父・英和は「楽しんで」
赤井沙希のプロレスデビューに 父・英和は「楽しんで」
母は「親子の縁を切る」と猛反対した
10/27(水) 10:45配信 10-27-5
今年5月 クリス・ブルックス(左)と対戦した赤井沙希(右)写真/DDTプロレスリング 10-27-6
■『今こそ女子プロレス!』 赤井沙希
今年5月4日、DDTプロレスリング・後楽園ホール大会。赤井沙希はクリス・ブルックスが持つDDT EXTREME級王座に挑戦した。男子と女子の真っ向勝負。パワーでは、赤井はクリスに到底敵わ無い。あの〔女子プロレス界の横綱〕里村明衣子ですら、過つて男色ディーノに力では負けて居た程だ。男子と女子の闘いでは、女子に圧倒的なディスアドバンテージが在る。しかし、解説の三田佐代子は言った。
「私達が普段感じて居る悔しさみたいなものを、キット彼女達が晴らして呉れると思う」
大学入試で女子学生の得点が操作される。社会に出て、能力が在っても女と云うだけで出世出来無い。育児休暇を取ると言ったら冷ややかな目で見られる・・・そう云った女性が男社会で生きて行く上で感じる悔しさを、男子レスラーに挑む女子レスラーは晴らして呉れるのではないか。
試合序盤から、赤井はクリスに果敢に挑む。リストを掴み顔面蹴り、コルバタからのアームホイップ・・・しかしクリスが赤井を場外に投げると赤井の呼吸が乱れる。得意の蹴りを繰り出すも悉くブロックされる。クリスは容赦無く赤井を蹴り殴り踏み突ける。
それでも赤井は、自身が持つ技の全てをクリスにブツケル。何度も倒されて尚立ち向かう・・・結果は17分38秒 プレイングマンティスボムからの片エビ固めでクリスが勝利した。 男子プロレス団体・DDTに所属する唯一の女子レスラー・赤井沙希はどの様な思いでプロレスと向き合って居るのだろうか?
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1987年1月24日、赤井は大阪で産声を上げた。父親は元プロボクサーの赤井英和。2・3歳の時に両親が離婚し沙希は母に引き取られた。以降、芸能界デビューする迄英和と会う事は無かった。テレビで活躍する英和を指さし、母は「この人が貴女のお父さんよ」と言った。
コレが私のお父さん? しかし、この人は私が娘だと云う事を知って居るのだろうか? 赤ん坊の自分を抱き抱える父の写真を見ても、それが父親だと云う実感は湧か無かった。
英和が日本テレビの『24時間テレビ』でマラソンランナーを務めた事が在る。「このゴールを誰に伝えたいですか?」と聞かれた英和は家族の名前を挙げた。しかしその中に沙希の名前は無かった。私に取ってお父さんはこの人だけだけど、この人に取って私は子供じゃ無いんだ・・・ショックを受けたが、母にその姿を見せたく無い、布団の中でひとり泣いた。
幼稚園の運動会に、父がコッソリ姿を現した事が在る。「沙希ちゃんのお父さん、赤井英和らしいよ」と云う噂が広まり、父のサインをセガマレタ 「家には居ないよ」と言うと嘘着き呼ばわりされた。お父さんが欲しい・・・ズッとそう思って生きて来た。
プロレスだけで無く、モデルやタレント等幅広く活躍中 10-27-8
中学2年生の時、街でスカウトされモデルデビュー。身長が高い事をコンプレックスに感じて居た赤井に光が見えた。『VOGUE』で風を浴び、堂々とポージングする冨永愛に憧れた。
「子供の頃から美容が好きでした。将来は、デパートの1階に居る(化粧品売り場の)ビューティーアドバイザーに為りたかった。好い匂いがするフロアで、ビシッと背筋を伸ばしたお姉さんが女性相手に美をテーマにお仕事されて居るって、素敵だなと思ったんです。誰かに喜んで貰う事が好きだったんだと思います」
17歳の時、写真集を発売するタイミングで英和の娘だと云う事を公表する。その時、14・15年振りに父と再会を果たした。開口一番、笑顔で「おっきく為ったナア」と言う父を見て「テレビのマンマの人だ!」と思った。
「『十数年間の溝を、コレから埋めて行こうな』と言って呉れました。だけど、それ迄と変わら無かった部分が殆どで、母と姉は複雑な思いを抱いて居たみたいです。只、私は人前に出る仕事をして居て、今はDDTや事務所等色んな〔家族〕が居ますから、父が此方に深く関われ無い立場も判ら無くは無いんです」
【何でロープに振られて帰って来るの?】
その後、モデルだけで無くバラエティー番組にも出演。プロの芸人達が場を盛り上げる中「自分は必要無いんじゃないか?」と感じる様に為った。こう云う役割で呼ばれて居るんだろうと勝手に解釈し、思っても居ない事を言ってしまう・・・ソンな自分が嫌で、徐々に芸能界に対して苦手意識を抱く様に為って行った。
そんな中、2011年、テレビドラマ『マッスルガール!』(TBS・MBS系)でヒールレスラーを演じた。役名は、ビッグデビル。プロレスは「正直、好きでは無かった」と振り返る。
「母がボクシングのトレーナーだったので、格闘技は子供の頃から身近な存在だったんです。母はプロレスも好きで、テレビで好く見てたんですけど、私は血が出て居たりすると『何でセコンドが居るのに、血止めへんの?』とか、レフェリーが見て無い間に反則する選手を見て『出場停止にシロ!』とか思って居ました。プロレスを如何見たら好いか判ら無かったですね」
ドラマの終盤、女子プロレス団体のアイスリボンで観客を前にプロレスデビューする事に為った。ファンに受け入れられ無いんじゃ無いかと卑屈に為って居たが試合は大いに盛り上がった。プロレス団体からも「本格的に遣ってみないか?」とアプローチされたが、簡単に遣れる仕事では無いと思いそっとフェイドアウトした。
その後、格闘技に理解が在ると云う理由で「ラジオ新日本プロレス」のアシスタントに起用される。しかし、プロレスの事は全く判ら無い。ゲストに登場するレスラー達に素朴な疑問を投げ掛けた。
「『何でロープに振られて帰って来るんですか?』とか『何で避けられるのに避け無いんですか?』とか。TAKAみちのく選手に『何でそんな前髪してるんですか?』とか(笑) 何が失礼で何が失礼じゃ無いかも判りませんでした」
今なら、当時自分がした質問に答えられる。ロープはその反動を使ってカウンターで技を仕掛けられるし、帰って来ないとワイヤーで肋骨を折る危険性が在るから。何故避け無いかと云うと、プロレスは〔受けてナンボ〕の世界だから。「ファンの方がコレで納得して呉れるか判ら無いですけど」と苦笑する。
勉強の為に、新日本プロレス以外の団体も観戦した。ドラゴンゲート・ノア・全日本プロレス・レジェンドプロレス......そんな中、DDTを観戦した時驚いた事が在る。
「試合前、お客さんが銀色の包みを配ってるんですよ。スイートポテトか何かかと思いました。顔馴染みの人に『これ作って来たから食べて』みたいな感じかと。そうしたら選手がリングコールされた時、皆包みを開けてリングに投げたんです!」
紙テープだった。今はコロナ禍で禁止されて居るが、紙テープはDDTの名物とも言える。投げられる時、選手はドンな気持ちがするのだろうか。
「DDTって〔ドラマチック・ドリーム・チーム〕の頭文字を取って居るんですけど、お客さんも含めてのチームだと思うんです。DDTは常に何かを目標に掲げてるんですよ。東京ドーム大会を遣るとか、今だったら業界ナンバーワンを目指すとか。選手だけじゃ無くて、お客さんも一緒に目標に向かって居る。紙テープを投げて貰うと『空間に彩りを添えて呉れるのはお客さんだな』と感じます」
【母の猛反対を押し切り、本格的にプロレスデビュー】
2013年の或る時、高木三四郎社長の元に「赤井沙希が毎月、DDTを観戦して居る」と云う声が届いた。高木は直ぐに赤井のマネージャーに連絡し、DDTフーズのエビスコ酒場に赤井を呼び出す。赤井が扉を開けると、高木に加えて、飯伏幸太・中澤マイケル・KUDO・伊橋剛太が立って居た。
「セクシーなビデオへの出演を説得する時、周りを固めるって言うじゃないですか。『絶対に此処で曖昧な殊を言っちゃいけ無い』と思いました。『楽しそうですネ』何て言ったらダメだと思って、ドンな事を言われても『一旦、持ち帰らせて下さい』と返事をしようと」
プロレスは大好きに為って居たが、その世界に入る芸能人は〔崖っぷち〕なイメージが在った。プロレスをリスペクトして居る分、生半可な気持ちで遣ってはいけ無いとも思った。しかし高木にリングに上がる楽しさを説かれ、遣るならイチからトコトン勉強させて貰う事を条件にデビューを決めた。
母は激怒した。モデルとして上京を許した。プロレスを遣らせる為に上京させた訳じゃ無い。誰かが必ず貴女を唆(そそのか)して居る・・・
「母にメッチャ調べられて『高木三四郎って誰や!』と言われて『辞めて!社長は何も悪く無いの!』みたいな(笑)『親子の縁を切る』とも言われました。母は父が試合で事故を起こして、助かっても植物人間に為ると告げられたり、その時に姉を妊娠して居たり・・・嫌な思い出が沢山在る。しかも娘やし、物凄く心配だったと思います。でも父は闘いの楽しさを知って居るので『アドレナリンが出る感覚を楽しんで欲しい』と言われました」
母の猛反対を押し切り、2013年8月18日、両国国技館大会2daysで本格的にプロレスデビュー。母を招待したが、6人タッグの対戦相手の一人だった世W虎(現・世志琥)にボコボコにされ流血した。その姿を見た母は、赤井に言った「メンチが全然弱い」・・・
「ダメ出しされたんです。『アンタは手脚が無駄に長いから腰が引けてる。部屋にロープを張ってウィービングの練習をシロ』って。母も根っこの部分では闘いが好きなんだと思います。今も心配はしてるんですけど、認めては呉れて居ますよ。『試合が終わったら、無事ですと云う連絡は必ずしなさい』と言われてます」
自身のプロレスラー人生を振り返る赤井沙希 photo by Hayashi Yuba 10-27-9
■『今こそ女子プロレス!』 赤井沙希
プロレスデビューに父と母の反応は正反対
男子プロレス団体・DDTに所属する唯一の女子レスラーの赤井沙希。身長174cm・53kgのスレンダーな彼女が一人、筋骨隆々の男子レスラー達に混ざって闘う様は余りにも可憐で美しくファンの心を掴んで離さ無い。
17歳からモデル・女優・タレントとして活躍して居たが、2013年8月18日、DDT両国国技館大会でプロレスデビュー。翌年12月、東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」で、女子初の新人賞を受賞した。華々しくスタートしたプロレス人生。しかしそれを好く思わ無い人達も居た。
***
「最初は物凄くバッシングされました。プロレス大賞・新人賞を頂いた時は『タレント活動してれば獲れるのか。〔ビジュアリスト賞〕に名前を変えた方が好いんじゃないか』とか。SNSにも攻撃的なDMがメッチャ来ました。
『世W虎(現・世志琥)にボコボコにされて、顔が変わるのを楽しみにしてます』と言われた殊も在りましたね」
女子プロレス団体からも嫌われ、女子レスラーの集合写真を撮った時、赤井だけ切り取られた事も在った。未だに、男子の団体でチヤホヤされ、お高く泊まって居る様に見られてしまう。
「チヤホヤはされて無いんですけどネ。最初の1年位はゲストとして扱われてたけど、今じゃあモウ、後輩もタメ口を聞いて来るし『ネエ、おばさん』とか言われるし」 〔唯一の女子レスラー〕ならではの悩みも多い。女子の控室が無い時はトイレで着替え無ければいけ無い。化粧直しが出来ない生理の時に誰にも言え無い・・・
「バス移動はキツイので、自腹で新幹線に乗ったりします。以前、バスの中でお化粧してたら、デビュー2年目位の上野(勇希)君がメッチャ見て来て『そんなトコ描くんですね?』とか言われて、メッチャウザかったです(笑)」
「〇〇選手と付き合ってるんでしょ?」
「〇〇選手のファンだから近付いたんでしょ?」
とファンに叩かれる事も在った。だから、若い選手とは為るべく距離を置く様にした。自分が叩かれるのは好いが、自分の所為で皆に迷惑を掛けてしまうのが辛かった。そんな赤井を可愛がったのが坂口征夫・高梨将弘・KUDO達。
赤井が「ファンの方に見られるかも知れ無いから、離れた方が好いです」と言うと「そんなもんで俺達の人気が終わったらそれ迄だよ」と言われた。プロレスラーとして認められた気がして嬉しかった。
【愛するDDTのパーツに為りたい】
赤井はバッシングに負けず、着実にキャリアを積み重ねて行った。得意の打撃を磨き、男子レスラー顔負けの激しい闘いを繰り広げる一方、男色ディーノやヨシヒコと云ったエンターテイメント性の高いレスラー達とも対戦し、プロレスラーとしての幅を広げた。
しかし、当時の赤井は飽く迄「オスカープロモーション所属」愛するDDTの「パーツに為りたい」と思って居たが、そう思って居るのは自分だけでは無いかと云う不安も在った。 2018年10月、DDTドラマティック総選挙で9位にランクイン。スピーチで「DDTの所属にして下さい」と高木三四郎社長に直訴した。高木はコレを快諾し晴れてDDT所属と為る。
「結婚して、名字が変わった様な気持ちでした。ズッと『私達って付き合ってんの?』みたいな感じだったのがチャンと籍を入れたみたいな。オスカー所属やけど、名乗る時は『DDTプロレスリング所属の赤井沙希です』って言えるんやぁと思って。デレッデレでしたね」
2020年1月には、坂口征夫・樋口和貞と共に、新ユニット「Eruption(イラプション)」を結成した。
「DDTはバチバチとした闘いだけじゃ無くて、アイディアの団体だと思って居るんです。『何コレ?』と思って貰える楽しい試合をドンドン遣って行きたい。色んなDDTを見せたいと云う意味で、私にとって坂口さんと樋口君は大事なパートナーです」
2014年1月、デビューして4戦目で、赤井は世W虎に初黒星を喫した。「私は只の木偶の坊だ・・・」と酷く落ち込んだ。打撃を伸ばそうと思い、打撃が得意な坂口の元を訪ねた。蹴りを教えて欲しいと頼むと、坂口は「自分は看ると決めたらチャンと看ます。厳しいですけど付いて来られますか?」と言った。
「怖かったです、契りを交わしたみたいで(笑)実際に厳しくて何度も泣かされました。でも責任感の在る方でチャンと教えて下さる。お父様も偉大(坂口征二)で、私と似た悩みを抱えて居た事も在るみたいです。そう云った意味でも絆が在りますね」
【美しく在りたいと思う理由】
2019年11月「赤井沙希〔おきばりやす〕七番勝負」がスタート。藤本つかさから始まり、翌年7月の最終戦で遂に〔女子プロレス界の横綱〕里村明衣子とカードが組まれた。
「痺(しび)れましたね。里村さんって、身長は小さい(157cm)方だと思うんですけど、オーラでメッチャ大きく感じるんですよ。その里村さんに試合でボコボコにされながら、頭の何処かで『私は間違って居なかった』と思いました。強い女性は美しいとズッと思って居たんです。里村さんの、強さの中に或る凛とした美しさには憧れますね」
赤井は子供の頃から、美に拘りを持って居た。プロレスラーに為ってから、益々「美しく在りたい」と云う思いが強く為った。彼女に取って、美しさとはナンだろう。
「DDTで女子は私一人なので、そう云う目線で注目される事が在る。そんな私がダラシ無かったら、全体の評価が下がると思うんです。逆に、マッチョなレスラーの横にキレイなお姉ちゃんが居たら『何、この団体?』って為るかなと。
だから美しさと云う点は気を付けて居ます。DDTが人気を上げて行く過程で、私が持って居るものを全部使って貰えたらと思って居ます」
美しいと云えば「赤井と同一人物か」と思える程〔似て居る〕沙希様だ。東京女子プロレスの〔醜い〕選手達を粛清し、美を広める為にフランスから遣って来た沙希様。今はコロナ禍でフランスに帰る事が出来ずホームシックに陥って居る。
「私も沙希様位自信が持てたらなと思う。周りにも言われるんですよ。『何で赤井沙希ちゃんはモット堂々と出来ないの?』って。何時も何かに焦って居るし、人に対しても『傷ついて無いかな?』『迷惑かけて無いかな?』と考えちゃいますね」
キャパシティーが狭いなと常に感じて居る。自分の個人的な時間が無いとストレスが溜まり病み勝ちだと云う。そう云う時、キレイなものを見ると心がスーッとする。自分もファンに取って、そう云う存在に為りたい。美しさを追求する殊で、誰かの力に為りたいと赤井は考えて居る。
【「キャリアベストバウト」と評されたクリス戦】
今年5月4日、DDT EXTREM級王座、及びアイアンマンヘビーメタル級王座を賭けて、王者クリス・ブルックスと対戦した。女子と男子の一騎打ち。EXTREM級王座の試合形式は王者が決める事に為って居るが、クリスは対女子プロレスラーの特別なルールを設けず、敢えて「通常ルールのプロレスにしよう」と提案した。赤井が勝っても負けても、そのルールが在ったからだと言われるのが自分に取って本意では無いと。
「クリスは私を、女子と云う目線で見て居ないと気付いて、凄く嬉しかったです。私はズッとこう云う風に見て欲しかったんだなって思いました。試合前から、クリスの殊をリスペクトしました」
結果は負けてしまったが、過つて無いほどの熱い闘いを繰り広げ、赤井のキャリアの中でベストバウトと評された。
「クリスとはもう一度遣りたいです。リベンジもしたいですし、クリスがDDTを選んで呉れて本当に感謝して居る。クリス自身もDDTに馴染もうとして呉れたのも在るけど、クリスが居てコソDDT。大事なパーツの一部ですね」
2013年にプロレスデビューした赤井沙希。最初は半年だけの積りだった。それが1年だけ、2年だけと延びて行き、今年、キャリア8年に為る。決して、平坦な道則(みちのり)では無かった。バッシングもされた。女性ならではの悩みも在る。
しかし、誰よりもプロレスを愛し、そしてDDTを愛して居る。 赤井沙希は飽く迄DDTの華。それ以上の存在では無い・・・私の心の何処かに在った先入観が「DDTと云う形の無いものを好きに為ってしまった」と嬉しそうに話す彼女を見てブチ壊されたのだった。
【プロフィール】赤井沙希(あかい・さき)DDTプロレスリング所属 1987年1月24日 大阪府生まれ 京都府育ち 174cm 53kg 中学2年生の時街でスカウトされモデルデビュー 2011年、TBS系ドラマ『ハッスルガール!』でプロレスのリングに上がる 2013年8月18日 DDT両国国技館大会にて本格的にプロレスデビュー
2014年 「プロレス大賞」で女子初の新人賞を受賞 翌年1月 アイアンマンヘビーメタル級王座を獲得 2018年10月DDTに正式所属と為る 2020年6月 KO-D6人タッグ王座を獲得 男子プロレス団体の紅一点として活躍を続ける
Twitter>>@SakiAkai 文 尾崎ムギ子 text by Ozaki Mugiko
【大会情報】 「D王 GRAND PRIX 2021 U in Ota-ku」
日時 2021年11月3日(水祝) 開場12:30 開始14:00
会場 東京・大田区総合体育館
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