2021年10月27日
日本人が自民党だけを選び続けて来た2つの理由 田原総一郎
日本人が自民党だけを選び続けて来た2つの理由
田原総一郎
10/23(土) 10:01配信 10-23-2
ジャーナリストの田原総一朗氏が自民党長期政権の本質に迫る
第49回衆議院議員総選挙が近付いて来た。「日本では政府が幾ら批判されても、自民党に代わって政権を奪う力の在る党が無い。そう思うから自民党議員達にも緊張感が生まれ無い。国を動かす議員達に緊張感無くして、国民には緊張感を持てと云うのか・・・」
何故日本人は自民党だけを選んで来たのか。ジャーナリスト・田原総一朗氏の新刊『自民党政権は何時迄続くのか』より、一部を抜粋・再構成してお届けする。
■自分の身体に合わせた洋服を作るのは上手では無い
国民の多くは、何故自民党政権をこれ程長期間支持し続けて居るのだろうか。その要因に付いて僕は、次の2つだと捉えて居る。
1つは、安全保障である。実は自衛隊が創設されたのは1954年で自民党が発足したのが1955年で在る。憲法では9条2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認め無い」と書いて在るが、自衛隊は戦力も交戦権を有して居て明らかに憲法と矛盾している。
そこで、自民党の初代首相・鳩山一郎は「自主憲法」を作るべきだと主張し、実現は出来無かったが、岸信介首相も憲法改正を強く訴えた。
処が、それ以後の池田勇人・佐藤栄作の両首相共、憲法改正を全く考えて居ない様だった。そこで1971年の秋に、自民党切っての頭脳派で、ニューライトの旗手的存在で在った宮澤喜一氏に強引に頼み込んで会って貰った。
池田・佐藤両首相は、憲法改正を考えて居無い様だが、言わば矛盾を封じ込めて国民を誤魔化して居るのでは無いか。何故池田首相以後、姿勢を豹変させたのか。その事を宮澤氏に問いたかったので在る。
すると宮澤氏は、聊(いささ)かの躊躇(ためら)いも無く柔らかな口調で話し始めた。「私はね、日本人と云うのは、如何も自分の身体に合わせて洋服を作るのは上手では無い。下手だと思うのですよ」 それは如何云う事なのか。僕が問うと、宮澤氏は、満州事変・日中戦争・太平洋戦争等の話をした。
自分の身体に合わせた洋服を造ろうとすると、軍が突起して政治を抑え込んでしまう。五・一五事件で犬養首相が軍に依って殺され、二・二六事件では政府幹部が軍に依って殺された。云わばクーデターで在る。
こうして、軍が主導して勝てる筈の無い太平洋戦争に突入して惨憺たる敗北を招いてしまった。そこで宮澤氏は「押し着けられた洋服に身体を合わせる方が安全だ」と考えたのだと云う。宮澤氏だけで無く、池田・佐藤両首相を初め、戦争を体験した自民党の幹部達は、此の様に考えた様だ。
だから、吉田内閣の時代に、池田・宮澤の両氏が2度アメリカを訪問し、その時「アノ様な憲法を押し着けられたら、日本は真面な軍隊を持て無い。だから、日本の安全保障はアメリカが責任を持って欲しい」と要請したのだと云う。そしてアメリカは、その当時もその後も日本が強い国に為るのは困るから、その要請を快諾したと云う事だ。
その為に、日本は戦争に巻き込まれる事が無く、70年以上平和を維持出来た。そして野党もその点では異論は無く、だから自民党政権が長く続いたので在る。だが近年では、アメリカの経済が悪化してアメリカが「パックス・アメリカーナ」を維持するのが難しく為り、日本の安全保障を改めて考えざるを得無く為って来て居る。
もう1つの理由が経済である。日本は、惨憺たる敗北を招いた後、自民党政権の懸命な努力に依って、池田首相時代から奇跡と称される高度経済成長を実現した。
最も、鉄道や道路網が太平洋側を偏重して建設され、しかも海路に依る輸出入は太平洋側が便利な為に、企業も工場も太平洋側に林立して、太平洋側は過密日本海側は過疎と為り、太平洋側は地価が高騰しその上深刻な公害に襲われた。
その為に、太平洋側の自治体では選挙で野党が強く為り、所謂革新知事や革新市長が次々と登場する事に為った。
■田中角栄が打ち出した「都市政策大綱」
そこで、当時幹事長で在った田中角栄が、1967年に『中央公論』に「自民党の反省」と云う論文を発表し、1968年に「都市政策大綱」為る構想を打ち出した。日本列島全体を改造して、高能率で均衡の取れた、一つの広域都市圏に発展させると云うのである。
そして田中は「一日生活圏・一日経済圏・一日交通圏」と云う言葉を提唱した。この3つの条例が達成されれば、第2次・第3次産業を全国に配置する事が出来る。過疎化に悩む、日本海側や内陸地域にも産業を配置する事が出来て、過密・過疎の問題が解決する事に為ると考えたのである。
その為に、北海道から九州迄新幹線を通し、全国に高速道路網を張り巡らせ、第2・第3の国際空港と、各地に地方空港を誘致し、4つの島をトンネルか橋で結ぶと云う方針を打ち出した。
この「大綱」は、自民党に常に批判的だった朝日新聞ですら高く評価したのである。その後、田中が首相に為る直前に発表した『日本列島改造論』は、問題点も在ったが田中の構想が、過密・過疎を解消し、日本全体を発展させた事は間違い無い。
第4四次中東戦争が起き無ければ、田中内閣は長期間続いた筈で在る。そして1980年代に入って、日本は凄まじい輸出力を有する事に為り、アメリカに集中豪雨的に輸出し始めた。
アメリカは、深刻な貿易赤字と為った。そこで、レーガン大統領は、日本からの輸出を止め、逆に日本への輸出を増大させる為に、日本をマルで敵国で在るかの様に無理難題を次々と押し着けて来た。
例えば、竹下登蔵相(当時)を強引にニューヨークに呼び出し「円高にせよ」と要求した。その為に、1ドル=238円だったのが153円と為り円高不況と為った。更に、次々と輸出規制を要求し「前川レポート」で無理矢理に内需拡大をさせられて、バブル経済と為りそれが崩壊した。
僕は、中曽根首相に「何故アメリカのコンな無理難題を、日本は受け入れ無ければ為ら無いのか」と問うと「安全保障をアメリカに委ねて居るからね」と苦い表情で話した。 こうした不況の中、1990年代にアメリカでIT革命が起きた。インターネットが開発されたのである。
■日本の産業界はアメリカの3周遅れ
だが、日本は、所謂日本的経営の構造的な問題でIT革命に参入出来ず、人工知能の権威である東大の松尾豊教授に依ると、日本の産業界は、アメリカの3周遅れに為ってしまったと云う事で在る。その為で在ろうか。1989年には、時価総額ランキングで、世界のトップ50社の中に日本企業が32社入って居たのだが、現在残って居るのはトヨタ自動車1社だけで在る。
又、当時は、世界に置ける日本のGDPのウエイトは15.3%で在ったが、現在は6%に迄落ち込んで居る。更に、技能オリンピックで、1999年から2015年迄日本は金メダルの獲得数で、大体3位以内に入って居たのだが、2017年に9位に沈み、その後メダル数は更に後退して居る。
日本の経済産業はどうすれば復活出来るのか。2020年の初めに僕は、日本共産党の志位和夫委員長と立憲民主党の枝野幸男代表に、今コソ野党の政権奪取の絶好のチャンスだ、アベノミクス批判をして居る時代は終わりで、如何すれば日本の経済が復活出来るのか、そのビジョンを示すべきだと言ったら、2人とも大きく頷いて居た。
そこへ深刻な新型コロナウイルスに依るパンデミックが起こり、菅内閣は不手際を連発した。その後、菅首相は総裁選不出馬を表明し、そして9月29日、第27代目となる自民党総裁に岸田文雄氏が選出された。新たな政治の在り方が求められて居る。今こそ、野党の政権奪取に期待したい。
愛妻家でもある 田原 総一朗氏 ジャーナリスト
〜管理人のひとこと〜
国防と経済・・・この二つを自民党がリードし成功させた事が、永い政権維持の原動力だと田原氏は指摘する。所謂アメリカ依存体質の成功だ。外交・国防を含む政治はアメリカの植民地で在る事は事実だが、殊経済に関しては、特に貿易面では最近は対中国が日本の要へと変化して居る。日本は中国無しでは経済が立ち行か無い国と為ってしまった。
アメリカと中国に影響されて生きて行くしか無い・・・それを今後も遣って行くしか無いのだが、野党が一つに為ってこれが実現出来るだろうか・・・遂最近のアフガニスタンを含め、戦後アメリカが唯一支配し成功させた国は日本だけだ。アメリカの優等生の位置からは何時迄経っても逃れられ無いのかも知れ無い。
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