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2021年09月05日

日本人が「善悪」を 韓国人が「損得」を



 日本人が〔善悪〕を 韓国人が〔損得〕

 ・・・重んじる事で生まれた「決定的な違い」


 9-3-1.png 9/3(金) 8:01配信 9-3-1


 日韓が対立する「要因」が見えて来る

 
 芸能界切っての韓国通で在りながら、時に韓国の〔暗部〕を指摘する事も厭(いと)わ無い辛口の論客でも在る女優の黒田福美さん。その彼女の新著『「不時着」しても終わらない』が話題を集めて居る。


             9-5-1.jpg  

                  黒田福美さん 9-5-1

 
 〔不時着〕とは、昨年、大ヒットした韓国ドラマ〔愛の不時着〕の事。定額制動画配信サービスNetflixの契約者数を大幅に増やしたとされるこのドラマは、日本でもハマった人が急増し話題と為った。
 ・・・或る日、パラグライダーに乗って居た韓国の財閥令嬢が、突如竜巻に巻き込まれ(韓国と北朝鮮の)非武装地帯を越境し北朝鮮に不時着。ソコで北朝鮮の軍人に救助され、在ろう事か2人は恋に落ちてしまう・・・と云う現代版〔ロミオとジュリエット〕  
 ご存知の様に現実の韓国と北朝鮮は、70年前に起きた朝鮮戦争の〔休戦〕状態に在り、自由に行き来出来無い上に、連絡を取り合う事さえまま為ら無い。ヒロインの韓国の財閥令嬢ユン・セリは、自己実現の為に起業し経営者として腕を振るうビジネスウーマン。方や北朝鮮の真面目な軍人リ・ジョンヒョクは、セリに寄り添い支えて守る、新しいタイプの男性として描かれて居る。  

 サテ、黒田さんの新著はこのドラマの背景を掘り下げながら、韓国社会を紐解いて行く・・・と云う内容なのだが、人気ドラマの便乗本と思いきや、解説されて居る〔日韓の違い〕が得心の行くものばかりなのだ。本記事では、改めて黒田さんに日本と韓国の文化や歴史の差異に付いて考察して貰った。



                 9-5-11.jpg

            聞き手 小泉 カツミ ノンフィクションライター

 プロフィール『週刊女性』の「人間ドキュメント」『FRIDAY』等でノンフィクション著述の傍ら 芸能、アート、社会問題、災害、先端医療等のフィールドで取材・執筆に取り組む。芸能人・著名人のインタビューも多数。
著書に『産めない母と産みの母〜代理毋出産という選択』、近著に『崑ちゃん』(文藝春秋/大村崑と共著)、『吉永小百合 私の生き方』(講談社)等が在る


                  ◆ ◆ ◆ ◆  


 ・・・どんな内容の本ですか?   

 黒田(以後省略) この本は、日本でも人気を博した韓国ドラマ〔愛の不時着〕を題材に、ドラマの中で描かれたシーンを例に取って、ソコから垣間見える韓国(朝鮮)の人々と日本人とのメンタリティや文化の違いを解説したものです。  
 勿論韓国ドラマファンの為に書かれた本なので、物柔らかな文化差異を論じるものに留めて在り、韓流ファンやヒョンビン(主役の軍人役)ファンも楽しく読める様に為って居ます。しかし、ソコを深読みして行くと、政治や歴史認識等に於いて今日、日韓の間で対立したりスレ違ったりする要因が見えて来るんですね。


 決定的な日韓の差異
 
 詰まり、ドラマに登場するシーンを紹介しながら、日本人が余り知ら無かった韓国・朝鮮の文化と日本との違いを理解出来る様な本に為って居るのだ。本の中に登場する〔日本と韓国の違い〕とは、幾つかのポイントが有ると黒田さんは解説する・・・それはどの様な点ですか?

 例えば(1)〔島国と半島〕で有ると云う事の違い 
 (2) 日本は〔仏教的倫理観を持つ国〕で在り、対してアチラは〔儒教の国〕で在ると云う事。それがベースに在って起こる齟齬(そご)。
 (3) 日本は〔職人文化〕詰まりブルーカラーの文化。対して韓国は〔ホワイトカラーの文化〕で在る事。
 (4) 日本と云うのは〔エビデンス(証拠・根拠)の文化〕で、韓国はどちらかと云うと〔見たいものを信じる〕と云う〔レッテル張りの文化〕
 (5) 日本は〔ボトムアップの文化〕で在るが、韓国は〔トップダウンの文化〕
 (6) 日本人の〔秘める〕事に対する美・・・日本は婉曲表現(えんきょくひょうげん)を好み〔互いに察する文化〕で在るのに対して、韓国は言わ無きゃ判ら無い或いは自分を主張する、詰まり〔誇示する文化〕で在る事・・・この様な違いを判って居無いと、日本人に韓国人は理解出来ません。


 「語る文化」「察する美徳」

 ・・・〔愛の不時着〕に限らず、韓国のドラマや映画では言い争うシーンが多く見られるのだが・・・先ず半島と島国の違いから解説して下さい。  

 様々な民族が入り乱れた朝鮮半島では〔語る〕〔主張する〕と云うのが普通の事です。だから韓国社会では論争や喧嘩はコミュニケーションの手段に過ぎません。言い争いをしながらお互いの意見をスリ合わせて行く。だから、喧嘩しても後々迄引き摺る事は在りません。  
 一方、ホボ単一民族で、地理的にも島国と云う閉塞した社会に在る日本人は、文化や思考方法も似て居るから〔阿吽の呼吸〕とか〔ツーカー〕等、言わ無くとも判る・相手の気持ちを察すると云う文化。

 けれども、そんな文化を持って居る国と云うのは世界では少数派です。殆どは大陸国家で、侵略されたり・民族が入り乱れて来たから、ドチラカと云えば韓国の遣り方の方が国際スタンダードだと言えるでしょう。イエス・ノーがハッキリして居て〔言わ無きゃ判ら無い〕 夫婦だって言わ無きゃ判ら無いし親子だって判ら無い。増してや他人同士が判る訳は無い・・・そう考えるのが韓国人としてのスタンダード。これは地政学的なものでしょうね。


 仏教と儒教の教えの違い
 
 ・・・日本と韓国ではドンな違いが在るのでしょう?   

 韓国人は〔損得〕が優先しますが、日本人は〔善悪〕を大切に考えます。その根底には何が在るのか。〔中国も韓国も儒教文化圏〕で在る事がポイントだと思いました。日本人の道徳意識は〔仏教的〕だと思います。  
 勿論(仏教は)中国・朝鮮を通って日本に入って来ましたが、日本人の道徳意識と云うのは、矢張り聖徳太子の十七条憲法の冒頭に掲げた〔和を以て貴しと為す〕と云う処から始まって、仏教の善悪に対する意識と云うのが在る。
 
 仏教の〔五戒〕って在りますよね。〔殺してはいけ無い・盗んではいけ無い・姦淫してはいけ無い・嘘を着いてはいけ無い・酒を飲んではいけ無い(不覚に為ら無い)〕です。詰まり〔絶対善悪〕と云うものが厳然(げんぜん)と在る。これはキリスト教にも在ります。
 処が、儒教的な考え方は違う〔論語〕にコンナ代表的な逸話があります・・・或る人が孔子に対し「我が国には羊を盗んだ父を訴え出た正直な息子が居ります」と申し上げると、孔子答えて曰く「子は父の罪を庇(かば)い、父は子の罪を庇う。不正は良く無いが、これぞ人情の客地で在り親子の情と云うものだ」と。


 ・・・この逸話を知って黒田さんは驚いたと?   

 ハイ、ビックリしましたね。儒教文化と云うのは善悪よりも先に情が来る〔お手盛文化〕なのかとね。日本人はその上〔穢(けが)れ〕を避ける〔神道的道徳観〕も在る。〔お天道様が見て居る〕と云った、誰が見て居無くとも自分が知って居ると云う意識や、武士道の様な〔潔(いさぎよ)し〕を尊ぶ文化が在ります。  
 韓国のお寺や教会に行くと、信者さん達が現世利益を求めて居る事に驚きを感じます。宗教は道を求める〔場〕と思って居ましたが、韓国では願いを叶えて貰う場所と云う考えなんです。矢張り、儒教は〔善悪〕よりも〔損得・栄える事〕の方が先に来る。功利的なのだと驚きました。


 韓国の受験戦争が熾烈な理由

 韓国の風物詩と呼ばれる様に為った毎年11月の〔大学修学能力試験〕日本で云う処の大学センター入試で、韓国国内の殆どの4年制大学が利用する入学試験方式であり、韓国では、この得点次第で志望大学に行けるかどうかは勿論、その後の将来迄決まってしまうと言われて居る。  
 その為、受験生は此処を突破する為に全てを投げ打ち猛勉強を行うのだ。一体何故隣国はこの様な過酷な受験戦争を行うのか。黒田さんはこう解説する・・・何故韓国では熾烈な受験戦争が在るのですか?


 韓国の若者達は凄い閉塞感(へいそくかん)の中に居ます。何でアンな受験戦争を必死に為って遣って行くのか・・・それは約500年続いた〔朝鮮時代の儒教文化の影響〕だと思います。
 朝鮮時代の社会と云うのは、可成り大胆な言い方ですが、10%の特権階級と90%の小作農に代表される庶民達で構成されて居ました。だから自分が小作農の倅(せがれ)として生まれた時点で、教育を受ける機会さえ在りません。教育を受けられるのは名家の10%の坊ちゃん達でしか無かった訳なんです。因みに女子はソモソモ教育を受ける事が出来ませんでした。  

 その10%が更に勉強し〔科挙〕と云う試験に合格して初めて官僚や国政に携わる人材に為る道が開かれるのです。それに比べて教育も受けられず、文盲で出世のチャンス等無い農民達は放心して居て貧しさの中、生きて行く事で精一杯でした。日本に比べ韓国では土俗的な芸能が発達して無いと云うのも、そう云う原因が在ると思います。
 日本には各地に色々な芸能が在りますね。それは民衆が豊かだったからです。今日迄色々な芸能が伝承されて居る。韓国はそう云った地方文化が貧弱です。  

 処が近代に為って韓国も民主主義の時代に為りました。建前としては平等な社会に為ったのです。だからコソ〔科挙〕が蘇ったのだと思います。〔科挙〕とは、中国の官僚登用制度の柱に為った試験制度の事で、答案は全て漢文で書きます。  
 民主主義の世の中に為ると、貧富を問わず教育を受けられる様に為りました。詰まり誰もが現代の科挙試験に合格すれば〔特権階級〕への道が開かれる様に為ったと云う訳です。

 上昇志向の在る人は、エンジニアに為るよりも現代の〔科挙〕に通って国家公務員や官僚・政治家に為り、指先一本で世の中を動かす事を目指す。その為に〔学歴至上〕の社会に為ったのです。最後の難関を突破して自ら汗する事無く人を指図する、将に朝鮮時代の〔両班〕に為ろうとして居るのです。



 ※両班・・・高麗・朝鮮時代の官僚機構・支配機構を担った支配階級の身分の事

 匠が認められ無い社会

 ・・・黒田さんは、韓国は〔ブルーカラー・職人〕が認められ無い社会だと言って居ますね?

 極端な例が白磁を作った陶工です。朝鮮時代は白磁文化で在り、白磁は大変貴重なもので王様だけが使える食器でした。しかしそれを作って居た陶工達の身分は〔賎民〕だったのです。要するに身分の低い存在だった。
 日本と云うのは〔匠〕と云うのが尊敬を集めます。例えばラーメン店でも寿司職人でも鰻屋でも何代も継(つ)いで居る。彼等も〔名代〕として誇りを持ち、人々もその技術や伝統を尊敬して居る。

 処が韓国では飲食業等は尊敬されません。韓国では店名に〔〇〇オモニチプ(〇〇母さんの家)〕等が多く、伝統や職人技と云うよりは〔家庭の味〕を掲げます。商売が成功したとしても、母は決して息子に後を継がせません。
 寧ろ大学に遣って出世させ、息子をこの様な〔卑しい商売〕から解き放って遣りたいと考えます。息子も又御大臣に為り、出世して母の苦労に報いる事が親孝行と思うのです。  

 日本では〔労働〕〔清貧〕を美しく尊い事と考えます。しかし韓国では労働者より、彼等を指図する人間が尊く偉い存在なのです。日本は技術の国と云われます。陶工や料理人・大工さんや電気工等・技術を持つ人を尊敬し尊重します。
 しかし韓国では、自らは汗を流さず人の上に立って指揮を執る様な立場の人達コソが偉いと思われるのです。エンジニアより管理職が偉いのです。すると選択肢が少無く為り、目指す職種や立場は自ずと門戸が狭く為ります。

 民主主義の世の中では、誰でもその狭き門にチャレンジする事が出来ますし、誰もがその門を潜ろうと殺到するのです。日本では誇りを持てる職業は多様ですが、韓国の様に技術職より〔エリート一択〕を目指すお国柄では受験戦争も熾烈に為らざるを得無いのですね。


 エビデンスの文化とレッテル貼りの文化

 ・・・日韓問題の一つ〔竹島(独島)〕これも何時まで経っても平行線のママですね。  

 この問題、私は韓国人が「うちのお母さんのキムチが一番!」と言うのと好く似て居るなと感じるんです。史実を云々する為には〔エビデンス(根拠・証拠)〕が重要なのは当然です。ですが、韓国人は自分の信じたいものを信じる傾向が在る。  
 韓国人は「うちのお母さんの料理が一番」だと誰もが言います。けれども決して様々なグルメに精通して居る訳でも在りません。
 
 日本は1964年のオリンピックを前後して洋食文化が始まりました。グラタンやピザが登場したのもその頃です。私が初めてグラタンを食べたのがその頃で、店の名も将に「オリンピック」と云う銀座に在るお店でした。初めて接した味を幼心に「不思議な味だけど、悪くないな」と思った事を覚えています。
 それ以降、テレビでは盛んに〔テーブルマナー〕を紹介する様に為りました。ナイフとフォークは外側から取って使うとかね。日本人は教養が無い事を恥と感じます。世界的な料理の味わいが解ら無いとか、テーブルマナーを知ら無いと云うのも〔恥〕と思うのです。

 だから、世界的に認知されて居るフランス料理の味が判ら無いのは恥だし、ワインに精通して居れば教養人だとする処が在ると思います。
 処が韓国人は、生まれてこの方韓国料理しか知ら無くても「韓国料理が世界一。お母さんのキムチが世界一です」と言えちゃうんです。広い世の中を見て居なくても、世界に眼を転じる前に信じたいものを信じ主張する。日本人も自虐的だと思いますが、韓国人のこう云う処もともすれば〔井の中の蛙〕に為ってしまう。
 
 韓国人が歴史的背景に付いて殆ど知ら無くても、取り敢えず「独島はウリタン(我が領土)だ」と言えちゃうのは、エビデンスより「自分達に好ましい結論在りき」と云った性向の所為かも知れません。  
 けれど〔無知は恥〕と考える日本人は、他者を説得出来る位の理論武装が出来て居なければ「難しい問題ですね」とお茶を濁すのです。



 何故、韓国人はマウントを取りたがるのか 

 背景には根強い「虚勢の構造」が在った


 ボトムアップの日本とトップダウンの韓国

 以前から不思議に思って居た事の一つに「如何して韓国の大統領の殆どが悲惨な末路を辿るのか」と云う事が在る。懲役22年の判決と為った朴槿恵、収賄・裏金作りで逮捕・起訴された李明博、自殺した盧武鉉等・・・真面に政治生命を全うした大統領は殆ど居ないのだ。黒田さんは、それは「権力の一極集中に全ての原因がある」と言う・・・どう云う事ですか?


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                 黒田福美さん 9-3-10


 例えば行政になにか提案するとします。そんな時は先ず役所の窓口に相談し、それが徐々に上に上げられて論議される・・・ボトムアップの日本のシステムですよね。この好い部分は合議制なので、皆が最終的に納得して民主的に決まって行くと云う処。ですがこの様な遣り方は時間が掛かる上、途中で頓挫すれば陳情は実現しない事も事も在るのです。
 処が何でも早く確実に解決したい韓国人の遣り方は日本とは反対でトップダウンです。決定権の在る一番偉い人に陳情する。もしもそれが受け入れられれば、号令一家、実現に向けてアッと言う間に動き出すのです。何と云っても〔一番偉い人〕の命令ですから誰も逆らえません。

 日本人的な発想なら「一番偉い人の側近を通して」と考え勝ちですが、韓国人は「本人を捕まえて交渉するのが最も効果的」と考えます。
 私の経験でも、或る事を推進しようとして居た時、何と韓国大使館の公使から「大統領宛てに手紙を書きなさい」と言われた事が在ります。「為らば、秘書室長宛てですか?」と尋ねると「直接大統領宛てです。秘書室長宛てだと見て貰えません」とアドバイスされたことがある位です。

 こんな具合ですから韓国では〔長〕と名の付く人の部屋には陳情する人が沢山押し寄せます。このシステムの良い点は機動力が在る点です。韓国が一気にITの分野で先進国に為ったのも企業トップの経営判断が在ったからでしょう。
 しかしこの様な遣り方はワンマンですから、一旦目利きを誤ると大変な事に為ります。又トップに権力が集中し腐敗も多く為るのではないでしょうか。トップに立った人には魔も多いんです。


 韓国では相手にどう見えるかが大切

 韓国語には〔オシ ナルゲ〕と云う慣用句が在る。これは直訳すると〔衣服は翼だ〕と云う意味。大人気と為った韓国ドラマ〔愛の不時着〕では、韓国に潜入した北朝鮮の兵士達が全身バッチリとコーディネートした姿を見て、ヒロインのセリが「オシ ナルゲダ!服は翼ね!」と満面の笑みで発するシーンが登場する・・・どう云う意味ですか?


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              〔愛の不時着〕NetflixHPより 
  

 韓国では「外見を整える事。即ち自分を立派に見せる事が大切だ」と言います。時には中身よりも外見で勝負出来る事も在ると言う意味。これは〔秘めるより誇示する〕と云云う事。
 日本にも〔馬子にも衣装〕と云う言葉が在りますが、これは馬を曳いて居る様な身分の低い人でも立派に着飾ればそれ為りに見えると云う事。
 一方、韓国の〔オシ ナルゲ〕と云うのはもっとアグレッシブ。何かを勝ち取る為には先ずは立派に外見を整える・・・と云う印象を受けます。

 要するに獣のオスが綺麗に着飾って「どうだ!」って自分の狙って居るメスを獲得しようとか、そう云う様な感じが在るなと私は思う。もっと自分を盛大に見せる為、そして何かを勝ち取る為には、先ずは学歴で在るとか装飾品だとか、外見的なもの(整形も含めて)そう云うものを武器にして行くと云う様な処が在ると思います。

 ドラマのヒロインで在るセリは、財閥令嬢であり自身が起業した会社の代表も務める。社会的な地位も高く、お金には不自由して居ない事は疑い様が在りません。財閥に代表される様に、或る程度地位やお金を持つ人達は、その身分に見合った権威をオーラの様に出す事が当たり前なのが韓国。
 ステイタスを誇示する事は韓国人に取って将に普通の事なんです。だから日本人の〔実る程頭を垂れる稲穂かな〕何て諺(ことわざ)は通用しない。

 高位に在る者は下の者に対して高慢に振る舞う、と云うのが当たり前 「立派なんですよ、私は」と云う風に態度に出す。自分にレッテルを貼る。自分は高位の者で在る立派で在る、それを態度で示して行く文化なんですね。
 だから、高い地位に在り、立派な人は威風堂々として、寧ろ居丈高とも思える振る舞いが似つかわしいと考える。それが韓国人なんですね。


 「マウント」をとる韓国人

 ・・・韓国では「お辞儀一つで上下関係が決まる」と言う・・・どう云う事ですか?

 それは、一つのレッテル貼りでも在るんですね。どっちが地位が上なのか誇示して来る。例えば、韓国では身分の高い人は決して深々と頭を下げません。答礼も目礼程度に留めます。日本人だったらば、立派な身分で在るのに腰が低いと云うのは美徳とされますが、韓国では逆に舐められちゃうと考える。下手をすればマウント取られるんです。だから虚勢を張ってでも「私は立派なんだ」と主張しなきゃ為ら無い。

 私の知り合いの日本人ジャーナリストは、韓国滞在中に韓国人スタッフから「余りペコペコし無い方が好い」と注意されたそうです。自分のボスで在る人が、余りに謙虚な姿勢で居ると、逆に周囲から軽んじられマウントを取られてしまうと危惧したんですね。
 韓国では謙虚さは危険です。自分では少々居丈高かなと思う位で丁度好いのです。私も韓国では初対面の方にお目に掛かる時には、下手に出る様なお辞儀は余りしません。寧ろ相手の目を見て笑顔で握手する事が多いですね。韓国はスキンシップの文化でも在りますからね。ドラマを好く見て居るとセリも好く握手をしたり、肩を抱き合ったりして居ますよ。


 韓国人の「寛容」 日本人の「厳格」

 〔愛の不時着〕には、多くの挑戦と失敗が連続して起こる。そして例え失敗しても決して諦める事は事は無い。韓国人は〔失敗〕にも寛容なのですか?

 韓国人は好く「サラミ ハヌンイリニカ」と云う言葉を使います。直訳すると「人間が遣遣る事だから」詰まり「神様でも無い、人間が遣遣る事だから完璧で在る筈が無い」と云う思いが込められて居ます。これは相田みつをさんの〔にんげんだもの〕に似て、優しさや余裕が在って人をホッとさせる言葉ですね。

 ・・・具体的なエピソードを教えてください。

 1989年に私が、或る巨大企業の海外慰労旅行にゲストで招かれた時の事です。ソウルのホテルの一室に編集部が立ち上がり、日刊新聞を発行して日々の出来事を2,000人の参加者に公示します。私も記事のライターとして加わり毎日原稿をアップしました。
 この時、韓国人スタッフから言われた一言が、ズバリ日本人と韓国人の違いを言い当てていて、忘れることができません。

 「日本人と云うのは、初めての仕事でも絶対失敗が在ってはいけ無いと思って居る様ですね。でも韓国人は初めて遣遣る事には或る程度失敗が或るのは当然だと考えます。只次から失敗し無い様にすれば好いと思うんです」と。
 ここに日本人と韓国人の決定的な違いが在る、とこの言葉で気付かされたのです。日本人は100%の完成度だと思っても更に「未だ何処かに穴が在りはしないか、在る筈だ」と慎重に点検します。ですが韓国人は「最善を尽くした」と云う事で満足出来るんだなって思いました。

 ここにモノ作りに定評のある日本人の気質と「ケンチャナ主義」と云われる韓国人の気質の違い、延いてはモノの完成度の違いが表れるのだなと思いましたね。これは決してどちらが優れていると云うのでは在りません。
日本人はミスに対して厳格です。しかし韓国人は「人間は神様じゃ無いんだ。人間の遣る事に完璧と云う事は無い」と云う自他に対しての寛容さが在ります。私達が韓国社会の中で、時にゆとりや気楽さ温かみを感じる理由が此処に在ると思います。


 仕事の進め方が全く違う

 又、黒田さんは「考えてから走る日本人、走りながら考える韓国人」も大きな違いを生み出すと言う。どんな違いが起きますか?

 日本人は何事も着手する前に熟考し綿密に計画を建てます。ですから着手迄の時間が掛かりますが、手を付け始めたら迷わず予定通りに着々と進め、当初思い描いた通りのものを仕上げます。
 ですが、韓国人は先ず手を付けます。機動力が在り決断も早い。途中不具合や思わぬ事が在事が在った場合、その都度考えて訂正して行けば良いと考えます。危なっかしいと感じますが、不思議と帳尻を合わせて来る様な処が在るんです。瞬発力と云うか瀬戸際で力を出して併せて来る様な。
 こんな遣り方は日本人の目から見るとイライラする事も在りますし、共同で仕事を進める際には不和や不信の原因にも為ります。


 〔愛の不時着〕はどう画期的だったのか?

 黒田さんは、2019年に〔愛の不時着〕がテレビドラマとして公開された事には大きな意味があると言う。政治と映画やドラマには因果関係がある?

 韓国国内に於いて、それ迄禁止されて居た日本文化の開放が段階的に始まったのが、左派政権だった金大中の時代(1998〜2003年)日本映画等も最初は大きな賞を取ったものから段々と韓国内でも公開される様に為って行きました。
 同時期に映画〔シュリ〕(99年)その後に〔JSA〕が公開されました。この2作品が画期的だったのは、北朝鮮の兵士達が人間的に描かれたと云云う事。チェ・ミンシクやソン・ガンホ等の好演も在りましたが「お前達が酒飲んでゲロを吐いて居る時に、俺達は飢えて居るんだ」と云う印象的な台詞の様に、彼等の人間としての葛藤や苦悩も描かれたのです。

 続く盧武鉉政権に為ると、親北的な映画が続発します。南北朝鮮が一体に為って、アメリカ軍を遣っ付けるのが〔トンマッコルへようこそ〕(2005年)南北統一を夢見る余命幾ばくも無い老父の為に、子供達が「統一が実現した」と大芝居を打つコメディ『大胆な家族』(05年)脱北した北のホルン奏者が韓国で定着して行く〔約束〕(05年、原題は『国境の南側』)等枚挙に暇が在りまません。
 政治的プロパガンダに映画が利用されると云うのは、何処の国でも在る事です。過つては日本でも軍国的な映画が製作され、巨匠と云われる監督達もそれに携わって居ます。

 しかし〔愛の不時着〕はテレビドラマとして〔お茶の間〕に入り込んで来たのです。よりハードルが低く為為った訳です。韓国には南北分断に依って離散家族と為った方々が1,000万人居ると言われます。そんな中、このドラマは大きな関心を集め大ヒットと為りました。
 ヒョンビンと云う大スターを起用して北の青年兵士を素敵に描き、又韓国より遥かに長い10年の兵役に就く彼等の苦悩も散りばめました。北の生活レベルは可成り底上げして居ると感じましたが、このドラマは韓国人の北への想いを搔き立てました。これは親北派と言われる文在寅政権だからコソ出来た事だと思いますね。


 韓流ファンの世代交代

 此処迄黒田さんは一気に解説して呉れた。〔愛の不時着〕と云う一つのドラマを切っ掛けにして好くぞ此処迄分析出来たものだ。黒田さんの考察をまとめたエッセイ『「不時着」しても終わらない』の発売に当たり、思いも依らぬ感想が多数寄せられたと云う。

 正直に云って、この本がどの位読者に受けるのか判りませんでした。或る程度韓国を知って居る方なら誰でも知って居る事かなと思って居たのです。処が予想外の反響でした。「今迄理解出来無かった韓国人の感覚が良く分かった」「他の韓国ドラマの見方も変わった」等、可成り皆さんに取ってこの解説本は画期的だった様です。
 韓流ファンと云うのも世代交代して居居ます。殊に第一世代と云われた〔冬のソナタ〕後のファン層の方達は若かりし頃は文学少女だった様な方が多く、ファンに為った俳優さん達の文化的な背景に知的好奇心を持つ方が多かった。
 ですが、最近のファンの方はもっとドライで、フラットにコンテンツ自体を楽しんで居ると云う感じです。そんな方達には似て居る様で可成り違って居る、日本人と韓国人の文化的な違いを展開して見せたこの本は、新鮮に受け止められたのだと思います。


 オリンピックで露見した日韓のゴタゴタ

 オリンピックに於いても日韓のゴタゴタが相次いだ。挑発的な垂れ幕事件に始まって、お定まりの旭日旗騒動・放射能汚染に絡んだ韓国選手達の食事問題等、日韓の相克は明るみに出てしまった。これ等の事を黒田さんはどう感じていますか?

 今回の事では韓国側の〔大人気無さ〕が目立ちました。世界の大舞台で失態を演じたと思います。韓国人も一人一人はチャーミングなのに、国家と為ると日本への敵愾心を剥き出しにして来ます。ですが韓国は同調圧力の強い社会なのです。個々人とジックリ話してみると此方の話にも真摯に耳を傾けて来る方が実に多いのです。
 彼等にも独特の「本音と建て前」が在り、個人的には複雑な思いを抱えて居るのではないかと思います。そんな彼等が一皮剝けるには彼等自身の自浄努力が必要なのでありそれを待つ以外無いと思います。


                    ◆ ◆ ◆

 日韓の認識の違いを理解した上で、お互いをもう一度見つめ合う事も必要な時期に在るのかも知れない。
ドラマを楽しみながら、時にはコンな硬派な考察もしてみたいものだ。




            9-5-3.jpg

               9-5-3 [黒田福美さん・近況]

 黒田福美さんのYouTubeチャンネル〔黒田福美の韓国ぐるぐる〕が9月1日よりスタートしました。

 ・・・コロナ禍の為に自由な旅をする事が出来無く為りました。韓国ファンに取っては辛い試練の時ですが、責めて、この動画が「行けなくても、行った気に為る!」「次に訪韓した時に、より良い旅に為る!」等、皆様のお役に立ったらと思い、 私の経験に基づいた様々な情報を発信して行こうと思います。
 本来は韓国ロケをメインにする予定でした。何時かそれが実現しこのチャンネルが更に皆様の参考に為る日が来たら冥利です。今後とも、よろしくお願いいたします。 黒田福美拝




 〜管理人のひとこと〜

 有難うございます、他に余り存在しないとても貴重なレポートでした。日朝の違いを歴史を含め地理的宗教的な面も考慮された素晴らしい視点での考察でした。実に納得させられるものが多く在りました。特に〔匠の日本〕は初めて指摘されたと感じます。
 文化が一方的で硬直化された古来からの朝鮮文化に対し、我が国は上からも下からも文化が芽生え発展しそれが融合され、国の隅々まで行き渡り・・・幅も奥行きも広く深く育ったものだった・・・と誇れます。東大⇒官僚の図式は在り過去には国家公務員T種の様な制度も在りましたが、我が国に純粋な科挙が無かったのは如何してなのでしょうか。これも民族性なのでしょうか・・・















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