2016年04月18日
娘が地震にあい疎開
この春から南阿蘇村に職場を得て、数日前に自宅を旅立ち、わずか5日で熊本地震に隣の市で遭遇してしまいました。
本震で本人にけがはありませんでしたが、さすがに震源(本震)から10km弱だったこともあり、震度6強、隣町ではありましたが、アパートのライフラインも途切れて住めなくなってしまいました。
早速、車で小学校に避難し、そのグラウンドに駐車して、車を居場所にしようときめこんでいました。ところが周囲の店も開いておらず、イオンなどは駐車場が使えましたが、店は閉じていたそうです。
妻のメールによる説得で隣県(とはいっても200kmほど)にある私の家、つまり実家に疎開することを決め、それから6時間以上かけてようやくたどりつけました。途中までJRがかろうじて動いていたので、妻が迎えに出て運転を代わりながらの帰省となりました。
途中、橋が通れずに大きく迂回したり、途中のビルで警戒音が鳴りっぱなしだったり、誘導してくれる道路の係員の人に問うても情報が錯綜して先へ行けるかわからないと言う返事だったりしたそうです。そんな状態で何とか家までたどりつくことができました。
娘の話によると、アパートは水道管が破裂し、壁にひびが入り、玄関の扉の外の床へこんでしまっていたそうです。それで娘は「これから住めるかなあ」と心配そうに言っていました。仲介してくれた不動産屋さん(まだ契約書を交わしている途中です)に連絡のメールをしましたが未だにつながりません。
このような混乱した状況をお伝えしたく、ふだんの家庭菜園の内容とはべつに書きました。
本震で本人にけがはありませんでしたが、さすがに震源(本震)から10km弱だったこともあり、震度6強、隣町ではありましたが、アパートのライフラインも途切れて住めなくなってしまいました。
早速、車で小学校に避難し、そのグラウンドに駐車して、車を居場所にしようときめこんでいました。ところが周囲の店も開いておらず、イオンなどは駐車場が使えましたが、店は閉じていたそうです。
妻のメールによる説得で隣県(とはいっても200kmほど)にある私の家、つまり実家に疎開することを決め、それから6時間以上かけてようやくたどりつけました。途中までJRがかろうじて動いていたので、妻が迎えに出て運転を代わりながらの帰省となりました。
途中、橋が通れずに大きく迂回したり、途中のビルで警戒音が鳴りっぱなしだったり、誘導してくれる道路の係員の人に問うても情報が錯綜して先へ行けるかわからないと言う返事だったりしたそうです。そんな状態で何とか家までたどりつくことができました。
娘の話によると、アパートは水道管が破裂し、壁にひびが入り、玄関の扉の外の床へこんでしまっていたそうです。それで娘は「これから住めるかなあ」と心配そうに言っていました。仲介してくれた不動産屋さん(まだ契約書を交わしている途中です)に連絡のメールをしましたが未だにつながりません。
このような混乱した状況をお伝えしたく、ふだんの家庭菜園の内容とはべつに書きました。
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