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2020年10月21日
科学アカデミー(十月十八日)
またまた学術会議、いや学術会議を巡る報道の話になるのだが、まとめてやつけてしまう。だって、単なる諮問機関でしかない、国民のほとんどが存在すら知らなかった学術会議のことを、外国の科学アカデミーに相当するとかいう、思わず、目を疑ってしまうような報道、誰の発言だったか忘れたけど、があったんだよ。それはチェコの科学アカデミーに失礼すぎる。
チェコの科学アカデミーは、諮問機関などではなく、理系から文系にまたがるあらゆる分野をカバーする研究機関である。研究分野ごとにいくつかのセクションに分かれており、研究者たちは傘下に設立されたそれぞれの研究所に属して基礎研究を中心とした研究活動を行っている。所属する研究者の数は、数千人にのぼる。
北海道大学のスラブ研究所や、東京大学の史料編纂所のように、独自の教授、准教授などを擁しているが、違いは他の大学に属していないという点で、言ってみれば、大学から教育機関の側面を排除して、研究機関としての役割に特化させたような組織と言ってもいい。その意味では研究分野は限定され、規模も小さいけど、日本の日文研なら似ていると言われても腹は立たない。実際にはその日文研のような研究機関をいくつもまとめて統括するのが科学アカデミーである。
外国の研究機関との共同事業も行っているし、外国から期間を定めて研究者を招聘することもあるし、逆に送り出すこともある。学会などのイベントの主宰もするが、この辺もすべて普通の大学でも行っていることである。ただし、科学アカデミーには学生が存在しないので、授業は行われないが、所属する研究者が、他の大学に求められて非常勤の形で授業を持つことはある。研究成果の社会への還元は行っているのである。
同時に、まだ学者としての地位を確立できていない若手の有能な研究者を、研究員として採用して育成している。大学の講師が授業や、学内の雑務で研究の時間がなかなか取れないことを考えると、研究環境としてはこちらの方が上かもしれない。ただし、採用されるのはなかなか難しく、研究分野ごとに定員が決まっていて、欠員が出た場合に、公募で採用を決めるんだったか、契約期間内の研究業績で次の契約が決まるなんてのもあったかな。准教授、教授への昇進の条件も大学とほぼ同じで、教授は審査に通れば、大統領によって任命されることになっている。
知名度も、学術会議とは雲泥の差で、大学教育を受けた人であれば、その存在を認識しているはずだし、ニュースで説明なしで科学アカデミーという言葉を使っても、ほとんどの人が何を指しているのか理解できるレベルにある。だからこそ、2018年の大統領選挙において、個人としてはまったくといっていいほど知名度のなかったドラホシュ氏が、元科学アカデミー所長という肩書きの知名度のおかげで、一躍ゼマン大統領の対抗馬にのし上がることが出来たのである。
こういうチェコの科学アカデミーと、大学の教授たちが任命されるらしい日本の学術会議が似ても似つかない存在であることは言うまでもない。同時に科学アカデミーに相当する存在というのが、ありえない発言であることも、納得されよう。それとも、チェコ以外の国の科学アカデミーは、日本の学術会議的なのか? そんなアカデミーなんて必要ないと思うけど。
それから、首相を擁護して学術会議を否定しようとする人たちの中には、外国の科学アカデミーは寄付に頼って運用されていて国費は使われていないと主張する人もいたけれども、それもなあ。少なくともチェコの科学アカデミーは国立である。寄付を受けつけていないわけではないだろうが、それだけで運営できるような小さな組織ではないのである。お金にならない基礎研究が中心だから、企業からの寄付も集まりにくいだろうし、国費で運営するのが妥当というものである。
他の国の科学アカデミーも、おそらくはチェコのものと大差ないと思うのだけど、寄付だけで運営されているというのはどこの国のアカデミーなのだろうか。具体的な国名が挙げられていないと、信憑性が感じられなくなり、何も知らないくせに思いつきで発言しただけなんじゃじゃないかと疑ってしまう。
学術会議をめぐる議論は、首相を批判する側も、擁護する側も、どちらも不確かな、いい加減な情報が多い。だからこそ、どちらにも賛成できないのだし、真相は首相が部下に適当に処理しといてといったら、適当に6人だけ選んで任命しないことにしたというところじゃないかとも思う。政治資金の問題ではなく、例の秘書が、秘書がなんて言い訳は通用しないから、事情の説明もしないんじゃないかと。学術会議側の内紛って可能性もなくはないかな。まあ事情なんて特に知りたいとも思わないけどさ。
学術会議になんて、すでに教授になりおおせてしまった人たちの集まりに出す金があるなら、恵まれない環境で頑張っている若手研究者を支援するのに使った方が、学問の自由を守ることにつながりそうである。
2020年10月19日23時。
2020年10月20日
学問の自由2(十月十七日)
このブログにしばしば登場するコメンスキー研究者のH先生も学問の自由を侵害された人である。すでに書いたこともあるはずだが、自分でもどこに書いたか覚えていないし、このテーマでまとめて書いたわけではないので、繰り返しは避けないことにする。
H先生の場合には、いわゆる正常化の時代に、大学卒業後(当時は学士課程はなく5年間の修士課程のみだった)、博士課程への進学を、本人の政治信条を理由に禁止された。それで仕方なく高校の教員を務めながら、個人で独自に研究を続けていたという。さすがの共産党政権でも、個人で余暇を使って進める研究までは禁止できなかったのである。ただし論文の発表は本名では出来なかったらしい。
普通、反体制を理由に大学での研究、研究の発表を禁止された学者というのは、体制側で体制に都合のいい研究を発表していた学者に対して反発するものだと思うのだが、H先生はそんな視野の狭いことは言わない。逆に、体制側に立って活動していた学者がいたおかげで、コメンスキー研究が禁止されなかったのであって、ひいては先生が個人的に研究を続けることも可能になったのだとおっしゃる。それに、中央のプラハで共産党に都合のいい研究が発表され続けたおかげで、地方では比較的自由に研究できたという面もあるらしい。
H先生は、最終的にはチェコよりは多少は規制のゆるかったスロバキアのブラチスラバの大学で、博士課程に受け入れられ、無事に博士号を取るのだが、受け入れてくれた教授も一般的には体制側と見られている人で、H先生を受け入れたことで、解任まではされなかったけれども、何らかの処罰を受けたらしい。言ってみれば、学会全体で、あるかなきかの学問の自由を綱渡りをするようにして守ってきたようなものである。その恩恵を先生も受けたと感じられているのか、体制側に立った学者を批判することはないのである。体制側にいた学者に頼まれて、共産党が廃棄を求めた資料を引き取って保管したなんてことも仰るのを聞いた覚えがある。それが大量で運ぶと置き場を見つけるのが大変だったんだとも言っていたかな。
H先生の学問の自由への侵害は、民主化されたはずのビロード革命後にも起こっている。先生のもう一つのライフワークである、第二次世界大戦後のチェコスロバキア軍によるドイツ系住民の虐殺に関して、研究成果をまとめて刊行したものの、その成果は、チェコ史の暗部でもあるために、社会にはあまり受け入れられず評価されることもなかった。それを学問の自由の侵害という気はない。
先生は、その研究がチェコ人の歴史を汚すと考えた人たちから、研究をやめるようにという脅迫を受けたらしいのである。それは面と向かってのものではなく、勤務先の博物館に電話がかかってきたり、博物館の建物に投石が行われたりするという陰湿な形で行われた。さらに博物館長を退任されたあとは、後任の館長に博物館の資料を使わせないという嫌がらせを受けた。先生が収集した資料もあるというのにである。共産党政権下でも自らの学問を守りぬいた先生が、こんな脅迫や嫌がらせにに屈するわけもなく、研究を続けられた。
そして、虐殺されたドイツ系の人たちの遺骨が、当初埋められた場所から掘り出されて、証拠隠滅のためにオロモウツの墓地に隠されていることを突き止めるなどの業績を上げられ、ドイツ政府から勲章が贈られた。先生は、名誉を求めて研究を続けてきたわけではないと言い、業績が評価されて勲章をもらったことが嬉しくないとは言わないけれども、一番嬉しかったのは、遺族から感謝されたことだと仰る。そして、ありえないことだけれども、チェコ政府が勲章をくれると言い出したとしても、今の政府、大統領からはもらいたくないので断ると付け加えた。
そう、この気概こそが、不羈の精神こそが先生の学問の自由を守ってきたのだ。相手が首相であろうと大統領であろうと間違っていることは間違っていると断言し、気に入らない相手からの評価などどうでもいい、もしくは邪魔でしかないと考える。恐らく先生が高く評価されて喜んだのは、政治家ならハベル大統領にほめられた場合だけだったのだろう。
この先生の学問の自由に対する姿勢と比べて、任命されなかったところで学問、研究ができなくなるわけでもない政府の学術会議のメンバーに任命されなかったからと言って、学問の自由を持ち出して大騒ぎする連中のいかに矮小なことか。任命されなかった人たちの名誉のために弁護しておけば、本人たちは、大きな問題にする気はなかったのに、マスコミとその報道に飛びついた愚かな政治家達が大騒ぎをしているだけのようにも見える。
首相が気に入らない人間だったか、反政府の立場をとる人間だったか忘れたけれども、とにかく政府にとって都合の悪い学者は教授に任命されない時代が来かねないなどと、制度上不可能なことを言う政治家もいたけれども、それがかつては自民党の中枢で活躍したこともある小沢だったというのが皮肉である。本人の政治的判断力の劣化を示しているのか、政権与党の一員だったときにこの手の制度改革を考えていたことを意味するのか。
とまれ、教授の任命に関して、学問の自由を侵害しているのは、文部省の腐れ官僚どもが私立大学に無理やり天下りして教授のポストを得ることや、私立大学が何の研究業績もないマスコミの人間を教授として受け入れる(受け入れさせられる?)ことのほうであろう。修士課程、博士課程で真面目に研究を続けて、地道に業績を積み重ねてきた人のつくはずのポストを横から奪い取り、研究を続けられない状態に追い込むことにつながるのだから。大学側からの要請でなんて自分でも信じていないうそをつくんじゃない。この手の教授の任命を阻止できるなら、首相が任命権を持つのも悪くないとは思うけどさ。
2020年10月18日24時。
2020年10月19日
学問の自由(十月十六日)
繰り返しになるが、菅首相が学術会議のメンバーの任命拒否をした件に関しては、批判する気も擁護する気もない。日本の首相としてふさわしい行動だったのかどうかは、法律をもとにしての議論が不毛なものになっている以上、有権者が選挙で判断を下すべきことであろう。判断の材料となるのは、この件だけではなく、首相としての行動すべてになるだろうけど。
それにしても、政治家が暴言などの問題を起こすと、たいていの場合には辞任も求める声が上がるわけだが、有権者の選挙によって選ばれて就任した国会議員や自治体の首長などに、病気などの特別な理由なしに、自分の都合で勝手に辞任する権利はあるのだろうか。その政治家が政治家としてふさわしくないと考えるのなら、辞任を迫るのではなく、リコール運動をするか、次の選挙で落選させるかするのが、選挙に基盤をおく民主主義の正しいあり方ではないのか。
それはともかく、首相を批判する側が、学問の自由の侵害を理由に挙げていたのにはあきれてしまった。お前らの言う学問の自由ってのは、たかだか学者の会議のメンバーに任命されるかどうかで左右されるような安っぽいものでしかないのか。その程度の学問の自由ならなくてもかまわない。世間知らずの学者が任命されなかった悔し紛れに発言するのならまだ、理解できる気はするけど、政治家がそんな発言をするのは政治家としての資質を疑いたくなる。
そもそも学問の自由というのは、どんな学問、研究をしていても、それだけを理由に処罰されることはなく、その研究を禁じられることもないということであろう。そして、学問の自由と、その学問、研究、ひいては研究者がどのように評価されるかは全く別問題である。自分の学問が、国に、もしくは世間に評価されないことを僻んで、学問の自由がないなどと叫ぶのは自由だけど、飲み屋で酔っ払ってならともかく、素面でやるのは恥さらしでしかない。
それを、現代芸術に関して表現の自由とうるさい人たちもそうだけど、自分の都合のいい方向に拡大解釈する人が多いのが問題である。現代芸術を公費で支援する必要があるという人の存在は否定しないけれども、個人的には、現代芸術には赤瀬川源平の1000円札コピー以上のものは存在しないし、そんなわけのわからないものに金をつぎ込むぐらいなら、文化財保護とか遺跡の発掘と保存に使った方がはるかにましだと思う。それは学術会議とやらにつぎ込まれているお金も同様。
学問の自由に関して、もう一つ考えておかなければいけないことは、政治的な理由で学問や研究を禁じられないということである。かつての共産党政権下のチェコスロバキアでは、この学問の自由がかなり制限されていた。その時代に実際に学問の自由を奪われていた人たちを直接知っている人間としては、今回の件で軽々しく学問の自由を口にする連中にはむかっ腹が立って仕方がない。
我がチェコ語の師匠は、大学で勉強することは許されたが、本来希望していた英語学を学ぶことはできなかった。それは、学力の問題ではなく、当然経済力の問題でもなく、地主だった母親がかつて農業の集団化に抵抗して土地の供出を拒んだ過去が咎められたのだった。敵性原語である英語を共産党政権に反対したり、亡命したりする可能性の高い人間に大学で専門的に学ぶことは許されなかったということらしい。
師匠は、英語を勉強するために共産党に入党しようかとまで考えたと言っていた。入党すれば許可が出るかもしれないと関係者から言われて悩んだらしいのだが、農地を接収されて亡くなるまで共産党への怨みつらみを消さなかった母親を裏切ることはできなかったという。このことは、言い換えれば共産党員、もしくは共産党員の子弟であれば望む分野の勉強をすることができたということでもある。共産党幹部の子弟だと多少学力が足りていなくても好きな学科に進めたともいう。大学進学自体を禁じられた人たちもいたから、師匠は大学に入れただけでも恵まれてはいたのだと言ってはいたけどさ。
師匠が、それでも外国語、特に英語とのかかわりを持ちたくて、チェコ語専攻でも外国人へのチェコ語教育を研究分野に選ん出くれたおかげで、わがチェコ語がここまで上達したと考えると複雑なものもあるのだけれども、政治的な理由で十分以上の学力のある学生が自分の希望する分野に進めないのは間違っている。同時に必要な学力の備わっていない学生が入れる大学があったり、学力の代わりにスポーツの能力で体育学部以外の学部に入れるってのもおかしいと思う。
長くなったのでまたまた続く。
2020年9月17日16時。
タグ:日本
2020年10月18日
学術会議?(十月十五日)
すでに旧聞に属するのかもしれないが、日本のネット上で気になるニュースとしては、学術会議にまつわるものがある。一時は誰も彼も、それこそ猫も杓子もという感じで、それぞれ好き勝手な意見を述べていて、混沌とした状況だった。例によって、同レベルで語ってはいけないことを、ごちゃ混ぜにした議論が多く、マスコミ言論人や政治家のレベルの低下を如実に表していた。
正直な話、こんな会議の存在は、騒ぎが起こるまで知らなかったのだが、当事者、学者とか政治家を除いて、騒ぎが起こる前から会議の存在を知っていて、会議が何をしているのか知っている人はどのぐらいいたのだろうか。マスコミで賢しらに見解を述べている人の大半も、実は知らなかったんじゃないかと疑っている。ようはその程度の、あってもなくても誰も困らない、誰も気にしない組織でしかないということだろう。
だから、就任したばかりの首相が、推薦された人の任命を拒否したというニュースの見出しを見たときには、また面倒なことをはじめたものだと思った。どうでもいい組織なんだから誰がメンバーでも実害はないわけだし、この手の税金垂れ流しのための組織は、民主党が政権を取ったときに事業仕分けと称して、整理しようとしたらしいとはいっても、今でもいくつも残っているわけだしさ。税金も無駄遣いをやめるために廃止するなら、それはそれでかまわないとは思うけど。
記事を読んで、任命を拒否したのが、全員ではなくてたかだか一部に過ぎないことを知って、何が問題なのかは理解したけれども、どうしてここまで大騒ぎする必要があるのかは理解できなかった。こんなささいなことで大騒ぎしても何か得るものがあるとも思えなかったし、だからといって任命拒否を支持する気もないし、首相の任命拒否の裏側に深謀遠慮を読み取ろうとするのにも賛成できない。せいぜいなんか気に入らないとか、担当の部下の提言にうなずいただけというのが関の山じゃないのか。
ただ、批判する側にしても、擁護する側にしても、議論の展開の仕方に納得の出来ないところがいくつもある。この件に関して最初に問題にしなければいけないのは、首相が任命を拒否することができるのかどうかという点である。その際に、「違法だ」とか、「合法だ」とかいう言葉が使われることが多いのだけど、法律には素人の普通の日本語を使う人間の感覚で言えば、「合法」「違法」という評価を下すのであれば、判断の基準となる法律があるはずである。
その法律に、「任命しなければならない」と書かれていれば、今回の件は違法だし、「任命しなくてもいい」とか、「任命されるとは限らない」と書いてあれば逆に合法になる。問題は、単に「任命する」とか、「任命される」とある場合で、これなら簡単にどちらとも言えないから、解釈の余地があって、議論になるのはわかる。ただ、これまであれこれこの件に関する記事を読んだ限りでは、「合法」「違法」の判断基準となる法律を引いたものは一つもなかった。
チェコでも任命権が議論の対象になることがある。チェコでは大学教授は、大学における昇任審査に合格した上で、推薦を受けて大統領が任命することになっているのだが、ゼマン大統領が何度か任命を拒否したのだ。他にも総理大臣が推薦した大臣の任命を拒否したこともあるかな。どちらも政治問題になり、大領領の職権を逸脱していないか、つまり違法ではないかと議論がなされた。その際、議論の基本になったのは、大学に関する法律と憲法で、どちらも大統領は推薦された人物を任命するというようなことしか書かれていないため、任命を拒否できるかどうかで意見が分かれるのである。
チェコの法律の専門家は、「任命する」とある場合には、「任命しなければならない」と解釈するのが一般的だとして、ゼマン大統領の任命拒否を違法だと考える人が多いようだが、反対の意見の人もいるので完全な結論は出ていない。ゼマン大統領自身は、自分は国会での議員による選挙ではなく、国民の直接選挙によって選ばれた大統領だから、これまでの間接選挙で選ばれた大統領よりも職権の範囲が広くて当然だという主張で、自らの行為を正当化している。ただし、この主張に関しては、法律にも憲法にも記載がないため、正統性を認める人はほとんどいない。
話を戻そう。「合法」「違法」と判断をするなら、普通に考えれば法律を引用するのが当然なはずなのに、それがなされないということは、この学術会議の任命に関しては、そもそも規定した法律がないということじゃないのか。それなら今回の首相の任命拒否は、違法というよりは、せいぜい慣例を無視したというところだろう。それだけでこんな大騒ぎ。日本は平和だねえ。
もちろん、法律家という人たちは、普通の日本人には理解できない日本語で話すことも多いから、「合法」「違法」というのを我々とは違った使い方をする可能性もあるけど、それならそうと説明するべきであろう。それとも、法律用語の多くがが普通の日本人には理解する気にもなれないものであっることを、認識していないのか。
この件、もう少し続く。
2020年9月16日14時30分。
2020年10月17日
そろそろ引退してくれないものだろうか(十月十四日)
武漢風邪の流行の拡大を巡るチェコの政治家の言動にはろくでもないものが多いのだが、今回はゼマン大統領の出鱈目振りである。すでに春の非常事態宣言と厳しい規制の導入に当たって、激しく批判をした人たちに対して、大統領が使うなよと言いたくなるような罵詈雑言を投げていたのだが、今回の規制強化に際しても、「暴言」をはいて物議を醸している。
レストランなどの飲食店や、ホテルなどの宿泊施設は、春の非常事態宣言に伴う規制によって経営の危機に陥り、廃業を選んだところもかなりあった。春の危機を乗り越えたところで、客が戻りきらないうちに、再度の規制強化でもう倒産するしかないところまで追い詰められているところも多い。春は、政府を強く批判する経営者もニュースに登場したのだが、今回は諦めの表情で、どんな支援でもあれば嬉しいと語る人が多い。それだけ状況は絶望的だという事なのだろう。
それに対してゼマン大統領は、「この程度で倒産の危機に陥るのは、普段から十分に稼いでいないからであって、倒産するところは倒産するべくして倒産するのだ。そんなところは今回の規制がなくても遅かれ早かれ倒産したに違いない」とか言って、政府を擁護したらしい。無能な経営者だけが倒産するのだと言ったというニュースも見かけた。
これだけなら、いつもの戯言として騒ぎにもらならなかったのだが、劇場や博物館が閉鎖され、コンサートも禁止された文化関係を支援するために、政府が補助金を出すというのについても無駄なこととして批判した。その理由は、「芸術家が最も傑作を生み出すのは空腹のときだ」というものだった。つまりは、補助金など出さずに、芸術家を生活苦に陥れた方が、傑作を生み出す可能性が高まって、芸術のためには、もしくは芸術家本人のためにもなるということだろうか。
確かに、過去の芸術家の中には、極貧の中でも創作活動を続け傑作を生み出した人たちもいる。ただ、その作品が誰もが知るべき傑作として認められたのは芸術家の死後であることが多い。それは本人たちの望んだ人生ではなかっただろうし、今の「芸術家」がそんな貧苦に耐えて芸術活動を続けられるとも思えない。それに芸術なんて人生に必要不可欠なものではないのだから、芸術家は芸術家として生きていられるだけで幸せだと思えというのには一面の真実はあるにしても、現状の問題は芸術家としていき続けられるかどうかの瀬戸際にあるという点にある。
このゼマン大統領の発言には、反ゼマン派の「芸術家」だけではなく、本来ゼマン親派として知られる「芸術家」の中からも、批判の声があがった。ゼマン大統領はお友達の「芸術家」にあれこれ理由をつけて勲章を与えることでも知られているが、そのうちの一人、歌手のダニエル・フールカが、ゼマン大統領の発言に対する批判として、勲章を返上すると言い出した。
同時に、「昔はそんな奴じゃなかったのに」とか、「何で変わってしまったんだ」とか、かつてのゼマン大統領を偲ぶようなことも言い、「民族に対する裏切りだ」とまで断じていた。「芸術家」を支援しないことが、民族に対する裏切りだというのは短絡的であるにしても、ゼマン大統領を信じていたからこそ反発も大きかったのだろう。
この発言に、大統領自身は反応していないが、広報官のオフチャーチェク氏が例によって辛らつな批判をしていた。ゼマン大統領の健康状態を考えると、周辺の人たち、いわゆる君側の奸が、好き勝手やってゼマン大統領の評判を必要以上に落としているんじゃないかという気もする。周囲の人間を制御できない時点で大統領としての能力には「?」がつくのだから、これ以上晩節を汚す前に、身を引いた方がゼマン大統領自身のためじゃないかねえ。
10月28日はチェコスロバキアが建国された日で、毎年この日には大統領府であるプラハ城で、叙勲式が大々的に行われる。今年も、春の感染症の封じ込めに成功したように見えた時期には、プリムラ氏に勲章を授与することを発表するなど、年に一度の晴れ舞台として精力的に準備を進めていたようだ。叙勲者を決めるのは大統領だけではないけれども、大統領の意向が大きく反映され、また拒否などと言うことがないように事前に打診が行われるものである。
ところが、現在は、武漢風邪の爆発的な流行の拡大の結果、規制が強化されさまざまなイベントが中止に追い込まれているわけである。それなのに、ゼマン大統領とその周辺は、叙勲式を予定通り、当初の予定よりは規模を小さくはするようだが、開催する意向のようなのだ。バビシュ政権の場当たり的な感染症対策を擁護して、規制の再強化は仕方がないというなら、自ら範を示して叙勲式は中止にするなり延期にするなりするのがまともな対応というものではないのか。政府側も中止を申し入れるべきだろうに、なぜか妙に遠慮している。
こういうところに、大統領も含めたチェコという国の政府のまずい部分が如実に表れている気がする。ゼマン大統領が変わったのかどうかはともかく、今の大統領は見ていられないという点では、フールカの発言は正しい。流石にもう付き合いきれんと思っているチェコ人も多そうだ。
2020年10月15日14時。
2020年10月16日
息詰まる生活再び(十月十三日)
チェコテレビのニュースが終わって、次はスポーツニュースだと思っていたら、プリムラ厚生大臣が画面に登場して演説を始めた。本来は、昨日月曜日に政府の会議で決まった新たな規制について説明するために午後8時から行われることになっていたのだが、政府の会議が長引いたために中止になったのである。昨日の夜10時過ぎに会議が終わって主要な閣僚が雁首並べて記者会見をしたんだから、今更何を話すんだというのが正直な感想である。
それはともかく、バビシュ政権は、時間をかけて話し合いをしているという印象を与えるためか、感染症対策に関して、深夜近くになってから記者会見を開いて新たな規制を発表することが多い。それで、朝早くから仕事に出る人たちはすでに寝ている時間なので、規制について知らないまま仕事に出かけるという事態がまま起こる。担当を交替しながらひねもすニュースを流しているテレビ局はともかく、新聞や雑誌の記者たちは、政府の会議が終わる予定だった夕方からずっと待ち続けだったわけだからいい迷惑である。慣れてはいるのだろうけどさ。
政府の会議は、先週の月曜日から始まった非常事態宣言とともに導入されたさまざまな規制をさらに強化することについてで、事前にさまざまな憶測が流れていた。レストランの営業時間の更なる短縮とか、学校での授業の禁止とか。長らく待たせた挙句に登場した政府の発表は、その憶測よりも厳しいものだった。
マスクの着用が、屋内だけでなく公共交通機関の停留所にまで拡大されたのは、バスやトラムに乗る際には着用を義務付けられるのだから特に反対もなかろう。一番物議をかもしたのは、レストランなどの飲食店の完全営業禁止だった。非常事態宣言中はずっと適用されるというのだが、宣言事態の延長の可能性も高い以上、春以上に飲食店の倒産が起こりそうである。レストランは持ち帰り用の食事の販売は許可されたが、それだけでは経費すらカバーできないところが多いようだ。最近は外で飲食する機会はほとんどないから実害はないのだけど、月曜日にモリツの前を通ったら、営業禁止でもないのに休業していたのが心配でならない。
それから、学校に関しても規制が強化され、幼稚園、保育園の類を除く、すべての学校で対面授業が禁止され、オンラインでの授業に移行することが義務付けられた。これは文部大臣の奮闘で、11月2日までという期限がつけられており、二週間ちょっとで少なくとも日本の小学校にあたる部分は再開される予定となっている。
子供たちが学校に行けないせいで、仕事に出られない親たちに対しては国からお金が出されることになっている。これは仕事のない企業にとっては給与の負担が減ることを意味する。ただ、医療関係者や警察、消防などでは、子供が自宅にいるせいで休まれては仕事が回らない。それで、例外として一部の学校を開けて、そこに医療関係者などの子供たちを登校させることになっている。
また、高校や大学などには、実家から通うのではなく、寮に入っている生徒、学生も多いのだが、水曜日までに退寮して実家にもどることが求められた。これに関しては、学校側から問題しかないことが指摘され、今朝になって特別な事情がある場合には残ってもかまわないという変更がなされた。その事情としては、自分自身が感染、感染の疑いで隔離されている場合、実家の家族が隔離されている場合、実家に病気の人や高齢者など感染させるのを恐れるべき人がいる場合などが挙げられている。寮から実家にもどる移動の途中での感染の恐れも考えれば、寮の中でじっとしているのが一番だとは思うのだけどね。
他にも細かいことはあると思うけれども、以上の規制は、停留所でのマスクが火曜日から適用される以外は、水曜日の深夜からの適用だと発表された。それがまたわかりにくいと批判されることになる。水曜日の深夜というのが、火曜日の夜遅く12時過ぎて日付が変わってからを言うのか、普通に理解した場合の水曜日の夜遅く木曜日になるときを指すのかわかりにくいのである。何月何日何時からと言えばいいのに、政治家というのはややこしい言い方しかしない。
それはともかく、プリムラ厚生大臣の演説の大半は、前日の記者会見の繰り返しだった。特筆すべきことがあるとすれば、珍しく自己批判をして謝罪の言葉を並べたことぐらいである。本当の意味で政治家ではないからできることということか。ただ、失った信頼を取り戻すに足るようなものではなく、この人の言うとおりにすれば、状況が改善されると思えるような希望はもたらさなかった。
なぜか例外として結婚式とか葬式のようなものが、特別な対策を取ることで開催が許可されているようなのだが、意味不明である。一説にはゼマン大統領が熱心に準備を進めている10月28日のプラハ城でのセレモニーが行えるような規制にする必要があったからだともいう。
2020年10月14日16時30分。
タグ:コロナウイルス
2020年10月15日
チェコ代表またまた危機(十月十二日)
今週から完全に禁止されたスポーツの試合だが、国際試合は例外ということで、今後もチェコ代表の試合や、サッカーのヨーロッパリーグの試合などはチェコ国内でも開催できるようである。しかし、一度に集まれる人の数が、6人以内と規定されているということは、まともなチーム練習など出来ないということである。試合になるのか?
それはともかく、9月に行われた2試合に続いて、10月もチェコ代表の出場するヨーロッパ・ネイションズカップの試合が二つ行われる。今回はそれに加えて、キプロスでの親善試合も行われたため、代表三連戦である。3試合とも国外での試合だが、前回同様今回の代表戦も武漢風邪に悩まされることになった。前回の教訓を糧にして対策をとっていたので、幸いなことに混乱はそれほど大きくない。
まず、初戦の開催地キプロスへ向かう前に、選手たちが集合した時点で、プルゼニュの選手が一人感染していることが明らかになり、プルゼニュから代表に呼ばれていた選手たちは、そのままチームに戻ることになった。ただし、今回は前回と違って、集合場所のホテルに到着した選手は、まず個室に放り込まれて検査を受け、陰性の結果が出てはじめて、他の選手やスタッフと行動を共にするという対策がとられていたので、他の選手たちは問題なく、キプロスに向かった。
キプロスでの試合が終わった後も、チームはキプロスに残ってイスラエル戦の準備をしていたのだが、金曜日に行われた検査で、陽性の選手が出ただけでなく。チームの約半数が判定不能という結果になってしまった。陰性判定だった9人はそのままイスラエルに向かったが、このままでは試合を開催できる人数にはならないので、前回同様プラハで代表予備チームの準備が始まった。一部入れ替えにも、チーム全体入れ替えにも対応できるように、ホロウベク監督のもとに、チェコリーグから選抜した選手たちを集めたのである。
土曜日には、判定不能だった選手、スタッフの再検査が行われ、さらに陽性の選手は出たものの10人の選手が陰性の判定を受け、そのうち9人が試合出場のためにイスラエルに向かった。キプロスでの検査の結果でチームを離れたのは4人ということになるのかな。最初に召集された選手と追加選手一人のうち、19人残っていたので、追加の召集はなく、飛行機の搭乗人数の関係で、キーパーが一人外れ最終的には18人の選手で試合が行われた。この二連戦チェコ代表はどちらの試合も勝ったのだけど、それよりも大事なのは試合が行われたという事実である。
イスラエルとの試合の後は、当初の予定では直接スコットランドに向かうことになっていたのだが、陽性の選手が、しかも複数出たことで、一度プラハにもどって、再度検査が行われることになった。そこで最大の衝撃が待ち受けていたのである。選手の中からさらに一人陽性が出たのは、計算のうちだっただろう。しかし、監督のシルハビーまでもが陽性の判定を受けて、スコットランドに行けなくなってしまったのは想定外だったに違いない。チェコ代表は二ヶ月続けて、ネイションズカップに連戦のうち2試合目を代理監督のもとで戦うことになったのである。
イスラエルに行かなかったキーパーも含めて残る選手の数が18人ということになったので、ホロウベク監督のもとで練習をしている選手たちの中から何人か追加で招集されることになりそうである(結局4人追加された)。今回は当初の代表チームが一部メンバーを入れ替えてということなので、試合の指揮を取るのは代表コーチのヒトリーである。グループ首位を争うスコットランドとの試合が二試合とも、こんな形になってしまったのは、チェコ代表としても不本意極まりないことだろう。オロモウツでの試合が没収試合にならずに、1-2での惜敗だったことが生きるような結果を持ち帰ってほしいところである。
2020年10月13日14時。
チェコでは二ヶ月連続で非常事態が起こったわけだけど、他の国の代表は問題ないのだろうかと考えていたら、スロバキア代表でも同じような問題が発覚したというニュースが飛び込んできた。スコットランドのと試合を終えてイスラエルとの試合に向けて全選手、スタッフの検査を行ったところ、選手二人と、スタッフ一人の感染が確認された。そのスタッフが監督のハパルだというのだから、チェコと状況は似ている。
スロバキア代表は現在行われているネイションズリーグよりも、来年に延期されたヨーロッパ選手権の予選プレーオフに力を入れているというから、その試合までに全員快復すればいいのだけど、チェコはすでに本選出場を決めていて、プレーオフには出ないから、スロバキアの対戦相手がどの国でいつ行われるかは知らないのだった。
2020年10月14日
バビシュ首相迷走2(十月十一日)
承前
感染症の拡大が、いよいよどうしようもなくなると、バビシュ首相の意向に沿って出来るだけ規制を強化しない方向で頑張ってきたボイテフ厚生大臣に因果を含めて辞任させ、政府特任の伝染病担当官に任命されていながら、たまにマスコミに意見を発する以上のことはしていないように見えたプリムラ氏を大臣に任命することで、規制の強化に向けて大きく舵を切った。それでも最初のうちは、そこまで厳しい規制はいらないと主張していたのだけど。
厚生大臣に就任したプリムラ氏の主張する規制の再強化を導入するに当たって、バビシュ氏は国民に呼びかけると称してテレビで演説した。そのときには、チェコの状況はよくないけれどもスウェーデンに比べればマシだという耳を疑うような発言が飛び出した。そもそも感染症対策だけでなく、高齢者や重病者に対する医療のコンセプトが全く違うスウェーデンと死者数を比べても全く意味がないと専門家に言われなかったのかね。いや、恐らくは無視したのだろう。
再度の非常事態宣言については、専門家の意見に従ったとか、規制の内容は衛生局の専門家が決めるとか、政府では決めないようなことを言いだし、上院議員選挙の第二回投票が行われた金曜日の演説では、規制が強化されるのは国民のせいだとまで言い出した。それによれば、新規の感染者の数が減らないのは、導入された規制を守らない人が多いからだというのである。春はみんな規制を守ってマスクをしていたけれども、最近はマスクを拒否している人が多いらしい。
統計上、そんな統計があるとも思えないけれども、個人的な感覚では、マスクの着用率は春と変わらないと思う。ただ、春とは違って屋外では着用の義務がないから、付けていない人が多いという印象を持つ人もいるのかもしれない。買い物に行っても春同様にみんなマスクしているけどね。屋外でも自主的にマスクしている人もいるし。自分も外に出ても外すのを忘れて附けっぱなしにしていることもある。
それから、選挙が行われているというのに、先週の地方議会と上院議員の選挙の第一回投票までは、選挙に行くのは安全だと断言していたのに、週末は外出しないように呼びかけていたのも意味不明である。ANOの候補者で第二回投票に進んだのはそれほど多くなかったから、皆落選してもかまわないとでも考えたのだろうか。実際当選したのも27の選挙区でたったの一人だけだった。外出禁止令は出さないけれども、外出しないように呼びかける、やってることが日本政府に近づいてきた感じである。
最後には、今後も規制を守らないようなら、規制の強化が続くぞと脅しをかけ、再度の国全体の封鎖が起るとしたら、規制を守らない人たちの責任だと、責任を国民に押し付けやがった。現在の感染の拡大が止まらない現状の原因は、8月から9月の前半にかけて、感染が拡大し始めていたのに何の対策も取らなかったことにある。存在しなかった規制を守らなかったことを批判されても困るというものである。
地方議会選挙の前の討論会でもそうだったけれども、最近のバビシュ首相の発言には支離滅裂なものが増えている。金曜日のテレビでの演説も、バビシュ首相は、非常事態宣言が出されてからは、プリムラ氏を表に立ててが雲隠れして責任を放棄しているという批判にさらされて、その批判をかわすために急遽設定されたものだった。成功したとはいえないけど。
首相だけではなくて大臣たちの発言にも何言ってんの? としか言えないものが多く、内閣の支持率低下につながりそうである。今回の地方議会選挙の結果、ANOは勝ったけれども、支持政党に関する世論調査の結果から予想されるほどではなかったという事実が暗示するように、ANOに対する支持は、特に中道から右側の有権者の間で下がりつつあるのである。
バビシュ首相を強く支持していて支えるべき存在であるゼマン大統領も、非常事態宣言で規制が強化されることで、倒産するのは経営者が無能だからとかいう問題発言をして、反感を買っているからなあ。腕の骨折を押して、イベントに出ているゼマン大統領の姿は、弱々しく頼りがいのある大統領には程遠い。これもまたバビシュ首相にはマイナスの要素であろう。
仮にの話だが、今回の武漢風邪対策の失敗がきっかけとなって、今まで様々なスキャンダルを乗り越えて存続してきたバビシュ政権が、来年の下院の総選挙結果、倒れるとしたら、非常に皮肉な話である。投資の件で裏切られても中国を支持し続けるバビシュ政権が倒れる原因となるのが、中国からの世界への贈り物武漢風邪だということになるのだから。
バビシュ首相にとっての救いは、下院の総選挙までまだ一年あることか。失敗を重ねても最終的に感染を押さえ込むことに成功さえすれば、他の誰がやっても同じ結果になったという言い訳で支持者を呼び戻せる可能性はあるが、現在の状況が繰り返すようであれば、選挙で負けるのは必至である。上院議員選挙の結果を見ると市長無所属同盟が一番多くの議席を獲得して、対ANO戦線の一番手に出たようにも見えるけど、国政に関しては疑問符がつくからなあ。ANOが議席を減らしても僅差の第一党にとどまった場合に、ゼマン大統領が簡単に他の党の党首に組閣させるとも思えないし……。前途は多難である。
2020年10月12日23時。
市民民主党が、今回の非常事態宣言が終了したら下院で内閣不信任案を提出すると言い出した。今なら社会民主党の一部が造反してもおかしくないから、倒閣の可能性はゼロではない。バビシュ政権最大の危機である。
2020年10月13日
バビシュ首相迷走1(十月十日)
最近バビシュ首相の劣化が酷い。来年の下院の総選挙で海賊党が第一党になって政権交代というのは難しいだろうと思っていたが、今のバビシュ氏が調子で、信じられないような言動を続けるのであれば、ANOの支持者が大きく減って、熱心なバビシュ信者以外は離れてしまう恐れもある。そうなると海賊党ではなく、市民民主党が政権を取る可能性もありそうだ。海賊党にはもう一期ぐらい野党で国政の修業を積んでもらうのが、短期政権で終わらないためにもいいと思うのだけど、どうなることやらである。
バビシュ首相は、春の武漢風邪流行の始まりのころ、チェコでも感染者が出始めた時点で、非常事態宣言を発した。その際の演説では、非常事態宣言を発したことに関しても、非常事態宣言下で導入される規制に関しても、すべては自分の責任だと断言した。うまくいっているときは自分の手柄にして、問題が起こると他者に責任を押し付けるような発言をすることの多かったバビシュ首相が、武漢風邪の流行という問題に際して、自分が責任を取ると言い出したことに、驚く思いをした人も多かったはずだ。
それがおかしくなったのは、国境の閉鎖、外出禁止令などの対策が功を奏して、感染者の数が減り始めたころ、そろそろ規制の解除が日程に上がってもいいのではないかと思われ始めたころのことだった。すでにハマーチェク氏がプリムラ氏に代わって対策本部の指揮を執っていたかな。とまれ、専門家である衛生局が感染状況を見て決めることだから、政府に規制の解除をしろと言われても、困るなんてことを言い出した。
プリムラ氏が対策本部長の役割を内務大臣のハマーチェク氏に譲ったのは、規制を導入して感染の拡大を食い止めるのは厚生省の疫病専門家の仕事だけど、解除するほうは、時期や順番などを決めるのは政治家の役割だと主張してのことだったのだが、バビシュ氏はちゃんと聞いていなかったらしい。頻繁に相互のコミュニケーションの不足を批判するバビシュ氏自身がちゃんとコミュニケーションが取れていなかったのである。
その後、規制解除を求める勢力の圧力に負けて、専門家の意見をどこまで聞き入れたのかは知らないが、徐々に規制を解除し、夏休みになると、外国への旅行もほぼ無制限、マスクの着用の義務も廃止するなど例年とあまり変わらない状態にまでなった。そのころには、武漢風邪の流行を抑え込んだとばかりに政府の対策のおかげで武漢風邪に勝ったとまで自画自賛していた。野党は春の対策の導入や、その後の解除のやり方が場当たり的で、このままでは第二派が来たときにも対策が遅れると批判していたのだが、批判する前に数字を見ろとか言って威張っていたのがバビシュ首相である。
プラハのクラブの深夜パーティーで100人以上の集団感染が発生した際にも、操り人形であるボイテフ厚生大臣に、無軌道な感染の拡大は起こっていないと言わせ、同時に経済を止めないという理由で、深夜営業の禁止や、座席数以上に客を入れることを禁止するような、9月の半ばになってから導入された対策も導入されなかった。
9月が近づいて、休暇で国外の感染地帯に出ていた人たちが職場や学校に戻る前に、ボイテフ厚生大臣がこっそり再導入しようとしていたマスク着用の義務を、大臣が発表する横から口を出して、導入させなかったのもバビシュ首相である。規制については専門家が決めると言っていたはずなのに、横車を押して決定を変えさせた結果、流行の拡大が止まらなくなったのである。この頃は、チェコは感染症の押さえ込みに成功したという神話によっていたから、人々が望まない規制の導入には踏み切れなかったのだろう。これに限らず、バビシュ首相の意向と、現実に必要な対策のスリ合せに腐心していたボイテフ厚生大臣大変だっただろうなあ。調整型の政治家としては、実はそれなりに有能だったんじゃないかという気もしてきた。
その後、バビシュ首相の予想を超えて、いや期待を越えて患者の数が増え始めると、それまでは、チェコは世界でも感染症対策に成功している国だという主張を突然変えて、状況が非常によくないことを認め始めた。君子は豹変するとは言うものの、それまでの反省もなく、皆が規制を解除して経済の再スタートが必要だというから、規制を解除したらこうなったんだなんて言い訳を述べていたような気がする。確かに野党も含めて規制の解除を求めていたのはそのとおりだけど、最終的に決定したのは政府であって、その責任を負うべきも政府のはずなのだが……。
長くなったので次回に続く。
2020年10月11日22時。
2020年10月12日
非常事態宣言再び(十月九日)
厚生大臣が交代して感染症対策の規制が強化される中、バビシュ首相の当初の(形だけかもしれない)反対を押し切って、プリムラ新厚生大臣が主張する非常事態宣言が、今週の月曜日付けで再度出され、更なる規制の強化が行われた。春とは違って外出の禁止令は出されていないが、先週と比べると街中の人の数が減っているような気がした。
そろそろ営業をやめる時期に来ているレストランのザフラートカ(屋外席)も先週は、結構人がいて飲食を楽しんでいたのに、今週はほとんど人がいなかった。気温は先週も今週もあまり変わらないから、非常事態宣言の影響があったに違いない。屋内席のほうも人があまり入っていないようだし、午後10時までの営業は認められているとは言っても、客がもどってきたところで、これではレストランも経営が苦しいどころではなかろうと思わされる光景である。
非常事態宣言が出た月曜日以降、その正当性を裏付けるかのように新規感染者数が急激に増え始め、火曜日に4千を越えて過去最高を記録したと思ったら、水曜日に5千を越え、金曜日には午後6時の時点で4千以上(結局8千を越えた)という事態になった。春からの感染者数の総計は10万人を越えており、これはチェコの人口の1パーセントに当たる。他の国のことは知らないが、人口の1パーセントを超える感染者というのは、なかなかの数字である。
これに対して厚生大臣は、来週の月曜日から更なる規制の強化を行うことを発表した。問題は来週の月曜日からのはずが、一部の規制がいきなり今日から始まるという決定もなされたことで、例によって現場に混乱を起こし、関係者からは怨嗟の声が上がっていた。確か、動物園の営業が禁止され、関係者が屋内施設さえ閉鎖して、入場制限をして入場客に人間距離を十分以上取らせるようにすれば、感染の恐れなんてないのにと不平を漏らしていた。植物園は現時点では
来週の月曜日からの規制の強化は、かなり厳しいものだが、どのぐらい意味があるのか、怪しいものも多い。春とは違って大型のショッピングセンターを含めて、店舗の営業は禁止されないが、客の側に一緒に買い物できるのは2人までという制限が科された。ただし両親と子供という組み合わせは例外的に許可される。スーパーマーケットでは単位面積当たりの入店できる人数も制限されるのかな。
それから、フードコートなどで食事が終わってもたむろしている客を追い出すことを目的として無料のWI-FIをオフにすることが求められる。これによってショッピングセンターにおける滞在時間が短くなることが期待されている。ショッピングセンターのフードコートでは、同席できるのは二人まで、レストランなどの飲食店では4人まで、という規制も導入される。いや、ショッピングセンターの規制はすでに今日から導入されたのかもしれない。ニュースですべての席を二人がけにしてしまったショッピングセンターの様子が紹介されていた。
この手の人数制限にどこまで効果があるのかは不明だが、プリムラ厚生大臣は、チェコ人の多くが実家に帰省して家族で時間を過ごすクリスマスに集まれる人の数も制限することを考えているらしい。普段から同居している場合は別だが、別々に住んでいる場合は、具体的な数字はまだ出されていないが、何人までという制限がなされるようだ。非常事態宣言を出すに当たって同時に出された規制は、二週間という期限を切られていたが、それでは収まらないと予想しているのだろう。
また、文化活動、スポーツ活動も原則として禁止されることになった。劇場、映画館、博物館、美術館などすべて営業禁止となった。プラハで何年もかけて準備してきたレンブラントの展覧会も、始まって二週間ほどで中止。外国の美術館から借り出した作品が多いため会期の延期は不可能なのである。劇場の多くも今週からの歌禁止に向けて慌てて演目の差し替えをしたのにすべては無駄に終わってしまった。
最悪なのはようやく正常化に向かいつつあったスポーツを、アマチュアからプロまで一律禁止してしまったことである。あれだけのお金をかけて頻繁に検査を行い、感染者を排除しつつリーグを開催していたサッカーリーグも、例外があるのはよくないという意味不明な理由で開催が禁止されることになった。スポーツという息抜きのない状態でがちがちに規制をかけると、不満から爆発する人が出てくるんじゃないかと心配である。
春の最初の流行の際に、それまでの衛生局長の女性が解任された後に登場して、対策の指揮をとったプリムラ氏は、それなりの説得力を持っていた。厚生省を去った後、バビシュ首相が特任の役職を作ってまで飼っていたのに特に何をしたということもなく、大臣就任後は過剰ともいえる規制の導入に邁進している。説明が納得できるレベルならいいのだけれども、規制される側、スポーツ界や演劇界を納得させられるレベルのものではない。
正直な話、春と同じように、プリムラ厚生大臣ががちがちに規制を強化して、規制を続けることを主張するのを、状況が依然したらバビシュ首相が説得して規制解除に向かわせるという台本ができているのではないかと思ってしまう。二度目の茶番劇に騙されるほどチェコ人は甘くないとも思うのだけどなあ。
2020年10月10日23時。