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2020年10月02日

マスコミには何も期待できず(九月廿九日)



 マスコミの安倍首相に対する批判を読んでいると、どうも安倍首相の手によって戦前的なものがよみがえろうとしているというストーリーを作り出したがっているような印象を受けるのだが、今の日本で一番戦前と変わっていない存在は、どう考えても、政治家でも軍隊でもなく、マスコミである。戦前の日本が国を挙げて戦争に向けてひた走った最大の原因の一つは、マスコミの実よりは虚の多い過激な報道だった。

 日露戦争の際の報道に関しては、ジャーナリストの宮武骸骨が口を極めて批判している文章を読んだことがあるが、苦労してまとめた講和条約にあれこれいちゃもんをつけて、日比谷焼討事件を引き起こしたのも、マスコミの報道だった。その後も、夜郎自大的に根拠もなく日本を持ち上げ、アメリカなどのやり口を過激に批判することで、戦争やむなしの雰囲気を作り出したのではなかったか。軍部はむしろマスコミの作り出した雰囲気の前に引っ込みがつかなくなって、戦争に踏み切り、マスコミ受けのために景気のいい大本営発表を繰り返したようにも見える。
 戦後は、軍国主義から平和主義に衣替えをして、一見大きく変わったようにも見えるけれども、戦前の報道姿勢を反省もしないまま、表面だけ変わっただけに過ぎないのではないか。事実や論理よりも感情に訴えかけて、世論などと呼ぶのも申し訳ない、ある種の雰囲気を作り出すという手法は変わっていない。戦前は日本人の自尊心を煽ることで戦争すべきだという雰囲気を作り出し、戦後は戦争の恐ろしさと戦争に加担したという罪悪感を煽ることで、日本を世界にも例を見ない変な国にしてしまった。

 空気を読むとか読まないとか、肯定されたり批判されたりする日本人のメンタリティがマスコミによって一から作り上げられたというつもりはないし、日本の今のマスコミが日本人のメンタリティの中から出てきたのは確かだろうけれども、同時にそのマスコミが日本的メンタリティを強化した結果が今の日本である。雰囲気に飲み込まれて思考能力を失って悪事を働いても、誰も責任を感じることなく、当然自ら責任を取ろうともしない。だから不祥事で失脚させられた元官僚が恥知らずにもマスコミに登場し、大きな顔でえらそうなことをいえるのである。登場させるほうも登場させるほうだけど。
 その責任を取らない際たるものがマスコミで、虚報を垂れ流してもろくな訂正もせずに報道を続けている。たまに検証をすることもあるみたいだけど、自己弁護以外の何物にも見えない。だから、今年の春に各地で発生して問題になっていた、あれこれ自粛することを主張しながら、自分たちが他人に自粛を強要することは自粛しない奇妙な集団の存在なんて、マスコミの報道のあり方なしには考えられない。

 今年の春に大学が軒並みキャンパスを閉鎖して授業を休講、もしくはオンライでの授業に移行することになったのも、マスコミが作り上げた自粛するべしの雰囲気に飲み込まれた結果だといっていい。その学生たちの不満や苦境の原因を作った連中が、苦境や不満を賢しらに記事にするのはどうなのかね。

 それはともかく、他にも目を疑うような記事を読まされた。見出しからは、大学によるオンライン授業の活用の差、もしくはオンライン授業の質の差を問題にしているように読めたのだが、そこまで取材する能力がなかったのだろう。中心になっていたのは大学閉鎖期間の大学側からの欠席がちな学生へのアプローチの仕方だった。授業担当の教員が学生に電話をかけさせられる大学が高く評価されていたのだが、いつから日本の大学は教員が学生に電話するかどうかで評価されるようなちゃちなものになってしまったのだろうか。大学の先生たちもなれないオンライン授業に学生の管理までさせられて、ただでさえ少ないと嘆きの声が聞こえてくる自分の研究のための時間が減ってしまうことだろう。

 しばしば、マスコミをにぎわす記事に、日本の大学の世界レベルのランキングが云々というのがある。個人的には欧米規準で格付けされるこの手のランキングなんて、日本の大学の評価にそのまま使うのはある特定の分野を除けばまったく意味がないと思うのだが、そのランキングで日本の大学の地位が下がっているというので大騒ぎをするが日本のマスコミである。原因としては研究力が落ちているとか何とかそんな結論になるのだろうが、その一方でさらに研究者の時間を奪うようなことを推奨するのだから意味不明である。結局その場限りのご都合主義の批判でしかないのである。
 それにしても、いつから日本の大学はどれだけ学生の面倒を見るかという、本来の役割である研究とも教育とも関係のない部分で評価されるようになったのだろう。学費を出す親にしてみれば面倒見のいい大学に送り出すほうが安心ではあるのだろうが、今の学生たちはわずらわしいとは感じないのだろうか。

 どこぞの新聞社系の週刊誌の手抜き企画、大学別就職ランキングだったか、就職先一覧だったかが、なぜか当たってしまったのもよくないのだろう。あれで大学を勉強しに行くところではなく、就職させてもらいに行くところだと勘違いする人が増えた。日本の新卒一括採用で、本来勉強に費やすべき学生時代のかなりの部分を就職活動につぎ込む制度自体がおかしいのだろうけど、それを声高に批判するマスコミは存在しない。
 因みに手抜き企画というのは、自分たちでは取材もせずに毎年時期になると、大学に卒業生の進路をまとめて送るように連絡をして、送られてきたものを適当に表にしてお仕舞いというものだからだ。大学には謝礼もなければ掲載誌を送って来もしないらしい。入試の準備やら何やらで糞忙しいときに余計な仕事をさせるのに、依頼にこたえて当然、むしろ大学の名前が出るのだからありがたく思え的な態度に怒りを抱えている大学関係者は多いと聞く。

 東京医科大学を始めとするいわゆる「不正入試」は批判しても、多くの学生がスポーツ推薦で体育学部以外の学部に進学する異常さも、そのスポーツ推薦で進学した学生たちの学生としての姿も批判しようとはしないのがマスコミだからなあ、期待するだけ無駄なのである。念のために言っておけば、大学スポーツを否定するきはない。ただ、学力の足りない学生をスポーツの実績だけで入学させるなら、スポーツ関係の学部、学科を作れというだけの話である。

2020年9月30日16時。












posted by olomoučan at 06:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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