2020年10月20日
学問の自由2(十月十七日)
このブログにしばしば登場するコメンスキー研究者のH先生も学問の自由を侵害された人である。すでに書いたこともあるはずだが、自分でもどこに書いたか覚えていないし、このテーマでまとめて書いたわけではないので、繰り返しは避けないことにする。
H先生の場合には、いわゆる正常化の時代に、大学卒業後(当時は学士課程はなく5年間の修士課程のみだった)、博士課程への進学を、本人の政治信条を理由に禁止された。それで仕方なく高校の教員を務めながら、個人で独自に研究を続けていたという。さすがの共産党政権でも、個人で余暇を使って進める研究までは禁止できなかったのである。ただし論文の発表は本名では出来なかったらしい。
普通、反体制を理由に大学での研究、研究の発表を禁止された学者というのは、体制側で体制に都合のいい研究を発表していた学者に対して反発するものだと思うのだが、H先生はそんな視野の狭いことは言わない。逆に、体制側に立って活動していた学者がいたおかげで、コメンスキー研究が禁止されなかったのであって、ひいては先生が個人的に研究を続けることも可能になったのだとおっしゃる。それに、中央のプラハで共産党に都合のいい研究が発表され続けたおかげで、地方では比較的自由に研究できたという面もあるらしい。
H先生は、最終的にはチェコよりは多少は規制のゆるかったスロバキアのブラチスラバの大学で、博士課程に受け入れられ、無事に博士号を取るのだが、受け入れてくれた教授も一般的には体制側と見られている人で、H先生を受け入れたことで、解任まではされなかったけれども、何らかの処罰を受けたらしい。言ってみれば、学会全体で、あるかなきかの学問の自由を綱渡りをするようにして守ってきたようなものである。その恩恵を先生も受けたと感じられているのか、体制側に立った学者を批判することはないのである。体制側にいた学者に頼まれて、共産党が廃棄を求めた資料を引き取って保管したなんてことも仰るのを聞いた覚えがある。それが大量で運ぶと置き場を見つけるのが大変だったんだとも言っていたかな。
H先生の学問の自由への侵害は、民主化されたはずのビロード革命後にも起こっている。先生のもう一つのライフワークである、第二次世界大戦後のチェコスロバキア軍によるドイツ系住民の虐殺に関して、研究成果をまとめて刊行したものの、その成果は、チェコ史の暗部でもあるために、社会にはあまり受け入れられず評価されることもなかった。それを学問の自由の侵害という気はない。
先生は、その研究がチェコ人の歴史を汚すと考えた人たちから、研究をやめるようにという脅迫を受けたらしいのである。それは面と向かってのものではなく、勤務先の博物館に電話がかかってきたり、博物館の建物に投石が行われたりするという陰湿な形で行われた。さらに博物館長を退任されたあとは、後任の館長に博物館の資料を使わせないという嫌がらせを受けた。先生が収集した資料もあるというのにである。共産党政権下でも自らの学問を守りぬいた先生が、こんな脅迫や嫌がらせにに屈するわけもなく、研究を続けられた。
そして、虐殺されたドイツ系の人たちの遺骨が、当初埋められた場所から掘り出されて、証拠隠滅のためにオロモウツの墓地に隠されていることを突き止めるなどの業績を上げられ、ドイツ政府から勲章が贈られた。先生は、名誉を求めて研究を続けてきたわけではないと言い、業績が評価されて勲章をもらったことが嬉しくないとは言わないけれども、一番嬉しかったのは、遺族から感謝されたことだと仰る。そして、ありえないことだけれども、チェコ政府が勲章をくれると言い出したとしても、今の政府、大統領からはもらいたくないので断ると付け加えた。
そう、この気概こそが、不羈の精神こそが先生の学問の自由を守ってきたのだ。相手が首相であろうと大統領であろうと間違っていることは間違っていると断言し、気に入らない相手からの評価などどうでもいい、もしくは邪魔でしかないと考える。恐らく先生が高く評価されて喜んだのは、政治家ならハベル大統領にほめられた場合だけだったのだろう。
この先生の学問の自由に対する姿勢と比べて、任命されなかったところで学問、研究ができなくなるわけでもない政府の学術会議のメンバーに任命されなかったからと言って、学問の自由を持ち出して大騒ぎする連中のいかに矮小なことか。任命されなかった人たちの名誉のために弁護しておけば、本人たちは、大きな問題にする気はなかったのに、マスコミとその報道に飛びついた愚かな政治家達が大騒ぎをしているだけのようにも見える。
首相が気に入らない人間だったか、反政府の立場をとる人間だったか忘れたけれども、とにかく政府にとって都合の悪い学者は教授に任命されない時代が来かねないなどと、制度上不可能なことを言う政治家もいたけれども、それがかつては自民党の中枢で活躍したこともある小沢だったというのが皮肉である。本人の政治的判断力の劣化を示しているのか、政権与党の一員だったときにこの手の制度改革を考えていたことを意味するのか。
とまれ、教授の任命に関して、学問の自由を侵害しているのは、文部省の腐れ官僚どもが私立大学に無理やり天下りして教授のポストを得ることや、私立大学が何の研究業績もないマスコミの人間を教授として受け入れる(受け入れさせられる?)ことのほうであろう。修士課程、博士課程で真面目に研究を続けて、地道に業績を積み重ねてきた人のつくはずのポストを横から奪い取り、研究を続けられない状態に追い込むことにつながるのだから。大学側からの要請でなんて自分でも信じていないうそをつくんじゃない。この手の教授の任命を阻止できるなら、首相が任命権を持つのも悪くないとは思うけどさ。
2020年10月18日24時。
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