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2018年04月18日

弁論大会(四月十五日)



 昨日プラハに出かけた要件は、正確には知人に押し付けられた用件は、日本語の弁論大会の手伝いだった。人数足りないから手伝いに来てよと言われて、いいよと答えてもいないのに、欠席裁判で役割まで決められてしまって、今更行けないとは言い出せない状況になっていた。行くべきか行かざるべきかで悩んでいたから、背中を押してもらえたという意味では、悪くはなかったのだけど、釈然としないものが残ってしまう。
 そんな思いも、発表者の弁論を聞いてと言うと、柄にもなくきれいにまとまってしまうからやめて、交通費を出してもらえるということになったときに吹っ飛んでしまった。往復四時間多少のゆれはあるとはいえ、静かな空間でのんびりと仕事をすることができて、その経費を出してもらえるのだから、来年も呼ばれた行こうかな。そんなことを言うと、押し付けられる仕事が増えそうだから、口に出すのはやめておこう。

 チェコの日本語弁論大会は、今年で四十二回目を迎えるらしい。冒頭の挨拶に立たれた日本大使のお話では、これはヨーロッパの中でももっとも長い伝統を誇るものの一つだと考えていいらしい。今から四十年以上前というと、1970年代のいわゆる正常化の時代に始まったということになる。それがここまで継続しているというのは、関係者の努力の賜物であると同時に、チェコ、かつてのチェコスロバキア国内で日本語の勉強に励んできた人々の存在があったからこそであろう。
 歴代の関係者、日本語学習者たちの過ごされたであろう濃密な四十年と、自分の怠惰に流れてしまった、いや今でも流れ続けている四十年を振り返って忸怩たるものがある。だからといって今更人生をやり直せるわけでもなく、これから少し日本人的な勤勉さを取り戻す努力をしてみようかと、大使のお話、発表者の方々の話を聞きながら、考えてしまった。三日坊主に終わるだろうけど、毎年三日努力をすれば、チリも積もれば山となるで、くたばるまでには一年分ぐらいにはならないかなあと考えたけど、そのためには120回ぐらい弁論大会を聞かなければならないから無理だなあ。

 弁論は、初級と中級、それに参加賞しかもらえない日本に留学や長期滞在をしたことがある人を対象にした上級の三つの部門に分かれていて、中級の優勝者には日本への往復航空券が副賞として与えられることになっているようだ。じつはこれももう何十年も続いている伝統らしい。最初の大会からそうだったのかどうかはわからないけど。
 おそらく、発表には多かれ少なかれ日本人の手が入っているのだろう。初級の人から、まったく理解ができないようなものはなかった。最後に講評をされた国際交流基金の先生もおっしゃっていたけれども、落として笑いを取りに来るような発表が多くて、会場では一つ一つ笑っている日本の人が多かったけど、結構笑えないのもあったんだよなあ。

 初級で気になったのは、日本語の個々の音を発音するという面では問題のある人は少なかったのだが、アクセントがチェコ語に引きずられて、全て語頭に強いアクセントをつける傾向があって聞きづらいと思うものが多かったことだ。まあ、日本の人が質問者の名前を呼ぶときに、チェコ語の強弱アクセントを捨てて、日本語的な高低のアクセントで、語頭にアクセントが来ない発音の仕方をしていたから、言葉を学習する上でアクセントというのは難しいのだという結論にしておこう。アクセント崩壊方といわれる吸収方言で育った人間には、東京方言(標準語とか共通語とかいう言い方は嫌いである)、もしくはNHK方言で話すときに正しいアクセントを使えているかどうか自信がないし。

 あとは、何と言うのだろうか、自分の言いたいことを強調しようとしすぎて、演技をしているようなドラマチックなまでの話し方をする人が多くて、淡々とまじめに話したほうが、逆にドラマを感じさせるのではないと思うようなものが多かった。思い入れを生のまま出されても共感はしにくいのである。思い入れのあることを淡々と他人事のように語れるというのも弁論というものには必要ではなかろうか。ドラマチックな話ぶりのほうが受けやすいからそっちに流れる人が多いのはよくわかるのだけど、だからこそ周りとは違う話しぶりをすることに意味が出てくる。
 弁論大会の弁論といえば、「ご清聴ありがとうございました」で終わるのが定番で、何年も前に聴きに行ったときには、みんな判子を押すかのように「ご清聴ありがとうございました」を繰り返していた。最初の一人二人がこんな表現を使ったら凄いと思うかもしれないけれども、みんながみんな使ってしまえばまたかと思うだけである。雑用をしながら聞いていたので、どれだけの人が決まり文句で発表を終わったのか確認できなかったのだけど、今回はどうだったのだろうか。

 さて、我がチェコ語は、日本語弁論大会の参加者を批評するのにたりるレベルにあるのだろうか。
2014年4月15日24時。







posted by olomoučan at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語
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