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2018年04月04日

『小右記』に見る長徳の変1(四月一日)



 長徳の変というと、長徳二年に藤原伊周と弟の隆家が起こした花山法皇襲撃事件と、それに続く伊周らの逃亡と左遷を指すわけだけれども、その発端は前年の関白であった父道隆の死前後の伊周の行動にある。ということで、この辺りの事情から、伊周、隆家の左遷に至るまでの経緯を、『小右記』の記述を基にできるだけ再現してみる。

 その前に、正暦六年(長徳と改元)の正月時点での公卿の一覧と年齢を上げておく。この年は、前半だけで関白道隆をはじめ八人の公卿、しかもすべて中納言以上が亡くなるという前代未聞の年であった。亡くなった公卿については亡くなった日も付記しておく。ややこしくなるので大納言、中納言の権と正の区別は省略する。

関白 藤原道隆(43)*  四月十日
左大臣源重信 (74)*  五月八日
右大臣藤原道兼 (35)*  五月八日
内大臣藤原伊周 (22)
大納言藤原朝光 (45)* 三月廿日
   藤原済時(55)*  四月廿三日
   藤原道長 (30)
   藤原道頼 (25)*  六月十一日
中納言藤原顕光 (61)
   源保光 (72)*  五月九日
   藤原公季(36)
   源伊陟 (59)*  五月廿二日
   藤原懐忠 (61)
   源時中 (54)
参議 藤原道綱 (41)
   藤原安親 (74)
   藤原時光 (48)
   藤原実資 (39)
   平惟仲 (52)
   藤原公任 (30)
   藤原誠信 (32)
   源扶義 (45)

 三位の位階だけを持つ、いわゆる非参議を除いて22人。ぱっと見て気づくのは、伊周の年齢の若さである。二番目に若い道頼も道隆の子であるから、道隆が無理して昇進をさせたということなのだろうが、その無理が貴族社会の反感を買っていたことは想像に難くない。何の功もない、年労さえもろくにない人間が大臣、大納言という高い地位に昇っているのだから。

 さて、『小右記』には前年の記事が現存しないため、道隆の病がいつから始まったのか確認できないのだが、現存する正暦六年最初の記事。正月二日条に、すでに道隆が病気に犯されていることを示すような記述がある。この日は、一条天皇が生母の藤原詮子の東三条院を訪れる行幸が行われた。ところが当日になって関白道隆が所労を言い立てて欠席すると言い出した。所労といっても病気ではなく、夢見が悪かったというのだが、夢見で欠席を糊塗するために所労と言ったのか、病気であることを隠すための言い訳として夢見を使ったのか微妙な所である。
 これに対して、道隆の妹でもある詮子は許さないと言って、出席を求めたようだが、関白との間でやり取りをしている間に時間が経って、結局は関白抜きで行幸が行なわれた。道隆の息子達、内大臣伊周、大納言道頼は出席している。欠席者は、大納言藤原朝光・済時・道長、中納言の源保光。道長以外はこの年に亡くなる人である。

 正月五日条には、叙位の議に際して、御簾の中から出てこない関白道隆の様子が記される。病気が重くて外に出られないのだろうかと推測した上で、実資はしばしばこのようなことがあると書いているから、道隆の病は前年から進行していたものか。「奇と為す」というのは、道隆がこの状態で関白を続けていることか。さらに十一日にも、除目に際して御簾のうちに籠り直衣を着していたことが記される。直衣を着ていたことが特記されるのはやはり除目のような重要な儀式にはふさわしくないと思われていたからであろう。

 その間、九日には、関白の病気とは関係ないが、内大臣伊周の邸宅から火事が起こり、隣接する関白道隆の新邸、冷泉上皇の滞在していた鴨院などが焼亡している。これも、伊周のこの後を暗示するような失態である。廿八日には、自邸を焼亡させた伊周が大臣大饗を道隆邸で行なっているが、あれこれ前例にたがうことが多かったようである。

 二月十七日には、右大臣道兼の次男の元服の儀式が行なわれるが、大納言以下の公卿の出席者を見ると伊周の大饗よりもはるかに充実しているように見える。ただ、この年右大臣大饗を行わなかった影響か、この元服の儀式に大饗の要素が入り込んでしまい、なんとも混乱した儀式になったというのが実資の評価である。

 廿六日には、関白の病が重くなり辞表を提出したことが記される。ただし、この時代辞表を提出することが、そのまま辞任を意味するわけではない。このときも、道隆はしばらくそのまま関白であり続ける。 

 三月八日の記事には、天皇が伊周に対して、関白が病気の間は、宣旨などの文書は、まず関白が見てその後伊周が見てから天皇に奏上せよという命令を出したことが記される。それに対して、伊周は勅の内容が違っていて、自らが関白の代理を務めるのが正しい内容であるはずだと主張する。実務を担当する官人たちは、天皇と関白の間を行き来することになるが、実資はこの件に対して「此の事大奇異の極なり、必ず事破るる有るか、往古未だ此の如き事を聞かず」と強く非難している。

 十日の記事には、九日に「関白が病気の間は、内大臣に公文書を見せるように」という天皇の仰せがあったが、それに対して伊周側から「関白が病気の間」という表現を、「病気の関白に替えて」と書き直せという要求があったという。実資は「謀計の甚だしきは何人之に勝る」と批判する。
 実資の考えでは、天皇は関白が病気の間は、文書を見る人がいない、だからその間だけ内大臣に任せたらどうかというものだったのだが、伊周はそれ受け入れずただただ関白になりたがるだけだった。これでは天皇も許可は出せない。それなのに、伊周の関白就任は当然だと考えたのか、何人かの公卿たちが伊周の下にお祝いのために出向いている。実資は「侫人と謂ふべし」と評しているが、伊周の関白就任に反対していたのだろう。

 四月四日には、摂政、関白の権利である隋身を内大臣伊周に認めることを知らされている。実資の意見ではこれまで前例のないことである。実資が確認のために問い合わせたところ、内大臣伊周本人が参内して、隋身を与えられるように奏上したのだという。天皇は、前日関白を辞した関白道隆の隋身の一部を伊周の隋身として認めるということで許可を出したのだが、それとは違う勅が出そうになり伊周は怒って再度天皇との交渉に向かう。天皇は結局前例があればと許可を出す。それを関白に告げたところ、隋身に関する奏上に伊周を関白にするようにという内容も加えると言い出した。

 五日の記事によれば、四日に関白道隆が直接奏上した随身の件は認められたが、伊周を関白に任命するという件に関しては拒否されている。伊周は随身を賜るために、前例があると報告しているが、その前例は存在しないことを実資は公卿補任で確認している。この事情は天皇の生母である詮子にも報告されており、恐らくは詮子も伊周の関白就任に反対だったと思われる。それなのに随身を賜ったお礼を申し上げるために叔母に当たる詮子のところに向かう伊周。世の人が嘲弄したというのが実資の評である。

 ここまで、伊周を関白にするために、道隆が伊周とともにやってきたことは、あまりに強引で貴族社会全体に反感しか引き起こさなかったであろうことは疑問の余地がない。日記の記事を読む限り実資自身も伊周の関白就任には強く反対しているようである。それでもなお、これまでに政治家としての能力の高さを発揮していれば、この親子の権力継承が実現した可能性もある。ただ、能力、実力で他を黙らせるだけのものがあれば、最初から実資の記録したような詐欺まがいの方法を使う必要はなかったのである。この時点で、道隆の死後、伊周が関白に任命される可能性は無くなったと考えていい。
2018年4月2日23時。



藤原伊周・隆家 禍福は糾へる纏のごとし










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