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2018年04月01日
スロバキアの思い出―ポプラト(三月廿九日)
昔、スロバキアを旅行したときのことを思い返すと、西スロバキアでスァリツァに行った後、ニトラとトルナバを訪れた。ニトラは大モラバ国の中心地のひとつで、南モラビアにあった大モラバ国の王(侯?)家の分家が封じられていたところである。そんなことを当時のつたない英語で理解できるわけがなく、町の近くの丘の上に、大きなお城がそびえているのを見てすげえと思ったことぐらいしか覚えていない。トルナバのほうは、きれいな白い塔がそびえていて、その中の売店で、アメリカのアニメ、「トムとジェリー」の絵葉書を発見して驚いたんだったか。チェコスロバキアのアニメスタジオで作画の下請けをやっていたらしいのである。
それから、巨大なお城のある、城跡のほうがいいかなトレンチーンを経て、鉄道の幹線を使ってタトラのほうに向かった。拠点として宿泊したのは、ポプラトとレボチャで、そこからケジュマロクとか何とかプレソとか、動き回ったのだけど、その順番が思い出せない。シュピーシュ城に出かけたのもポプラトからだったかなあ。
とまれ、そのポプラトでの話である。当時のチェコとスロバキアのビザは、本体はパスポートに捺された判子だったが、それに附属した申請のときに記入した用紙が一枚くっついていて、ホテルなどに宿泊した場合には、ホテル側で宿泊したことがわかるように裏側に判子を捺すことに、法律上はなっていた。ただし、その制度はすでに有名無実化していて、チェコ国内を旅行していたときに捺してくれた宿泊施設は一つか二つしかなかったし、一ヶ月の観光ビザを延長してもらいに外国人警察に出向いたときにも、問題視されることはなかった。スロバキアでも状況は同じだった。
それから、一応念のために取得しておいたスロバキアのビザだが、チェコからスロバキアに入る鉄道ではパスポートのチェックは行なわれておらず、パスポートに出入国のスタンプが捺されることも、スロバキアへの入国の日付が記入されることもなかった。入国直後は多少気にしていたが、時間が経つにつれて問題ないのかなと油断するようになっていた。
そうしたら、ポプラトの街中をふらふらと歩いているときに、二人組みの警察官に、パスポートを見せろと呼び止められてしまった。チェコでも確かヘルフシュティーンに行くときに、リプニークの町で警察に呼び止められてパスポートを見せるように言われたけど何の問題もなかったから安心して、渡したら、入国のスタンプがないとか言い出して、これは預るから明日の朝、どこどこの警察に出頭しろと言われてしまった。
日本語で次々に頭に思い浮かぶ罵倒の言葉を英語にしようとして必死になっているあいだに、勝手に話を進めやがって、こちらがほとんど何も言えないうちに姿を消した。それでもチェコから入ったからパスポートのチェックはなかったぞぐらいのことはいえたのかな。チェコから離れた田舎ものはそんな事情もしらねえのかとか言いたかったけど言えなかった。
その後、怒りをバネにいくつかの罵り文句、お前ら秘密警察の手先かよとか、賄賂出せってのかとか、頑張って英語で言うための準備をして、次の日の朝指定された警察に出向いたのだけど、にっこり笑ってパスポートを返してきやがった。勘違いだったとかなんだとか言い訳していたかな。パスポートが戻ってきたのはいいのだけど、この振り上げた怒りの拳をどこに落とせばいいのかと、更なる怒りを胸に歩き回ることになってしまった。
警察でホテルの判子がないのは問題だから捺してもらえとつけたしのように言われたから、ホテルに戻って捺してもらったのだけど、多分態度が悪くて不快な思いをさせてしまったと思う。どこの誰だかかは知らないが申し訳ないことをした。それもこれも無能な警察官がいけないんだというイラつきで時間をかなり無駄にした。
夕方になって何日か前に、ハンドボールの大会が行なわれていて、思わず観戦してしまった屋外コートに足を向けたら、中学生か高校生ぐらいの女の子たちが出てきて練習をし始めた。普段だったらそんなことは絶対にしなかったと思うのだが、このときは警察に対する怒りをどうにかする必要があったので、思わずちょっとコートに入ってシュート打たせてほしいとお願いしてしまった。コートがアスファルトで転がると痛そうだったけど、とにかく体を動かして怒りを忘れてしまいたかったのだ。
何本か、いや何十本かシュートを打って満足してありがとうとお礼を言ったら、コーチみたいな人が、一緒に練習していかないかと誘ってくれた。当然答はAnoである。全部で二時間ぐらいだったかな、シュート練習から試合形式のものまで、頑張った。二十代前半のなくなりつつある体力で、ハンドボールができるという喜びをエネルギーに最後まで頑張った。試合形式の練習は途中で何度か交代したけどさ。
楽しかった。死ぬほど疲れて、そのあと何日か筋肉痛で死にそうだったけど楽しかった。おかげでスロバキアに抱きかけていた嫌悪感はさっぱり消えてしまった。今でもポプラトというと個人的にはハンドボールの町なのだけど、残念なことにチェコスロバキアの女子のインテルリガにポプラトのチームは存在しない。昇格してきたら応援するんだけどなあ。スロバキアの下部リーグの情報を集めるところまではまだ手をつけていないから、チームが存在するかどうかもわからないんだけどね。
2018年3月29日23時。
何のことやらよくわからないけれども、Strbske Pleso(シュトロプスケー・プレソ)はタトラ山中にある湖で保養地になっていたはず。確かちょっと変な電車に乗って行ったんじゃなかったか。この写真を見てもタトラだなんてわからんけどね。