アフィリエイト広告を利用しています
<< 2024年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年05月16日

三格を取る前置詞A(令和元年五月十四日)



 二つ目の三格を取る前置詞は、「proti」である。意味は「〜と/に反対の」ということになる。日本語に訳すときには、これだけで「反対する」という動詞で訳すことも多い。

 ・Jsem proti (tomu).
  私は反対です。
 ・Zúčastnil jsem se demonstrace proti vládě.
  反政府デモに参加した。
 ・Musel odejít ze školy proti své vůli.
  自分の意志に反して学校を去らねばならなかった。

 風向きや、川の流れに逆らって進む場合にも使われる。

 ・Jeli jsme na kole proti větru.
  向かい風の中を自転車で走った。
 ・Plavali jsme proti proudu řeky.
  川を上流に向かって泳いだ。

 それから、スポーツの試合なんかでは、対戦相手をこの「proti」で表す。

 ・Olomouc prohrála zápas proti Zlínu.
  オロモウツはズリーン相手の試合に負けた。

 スポーツでは、サッカーやハンドボールの試合中に「一対一」「二対一」なんかの場面ができた場合にも使える。ただし、「jeden proti jednomu」「dva proti jednomu」よりも、別の前置詞「na」を使って、「jeden na jednoho」「dva na jednoho」を使うことのほうが多い。

 覚えておいた方がいい用法としては、薬の用途を表すのに使われるものがある。「頭痛薬」は、「lék proti bolesti hlavy」だし、咳止めのシロップは「sirup proti kašli」になる。インフルエンザの予防接種「očkování proti chřipce」、フケ止めのシャンプー「šampón proti lupům」、サングラス「brýle proti slunci」もこの中に入れてしまおう。

 前置詞ではなく接頭辞として使われる「proti」もあるが、これは前置詞と名詞が結びついて一語化したと考えるのがいいのだろうか。チェコにはそれほど毒蛇がいるわけではないけど、かまれた場合には「protijed(血清)」が必要になる。日本の野党は批判ばかりで対案を出さないことを批判されているが対案は、「protinávrh」である。それぞれ「jed(毒)」「návrh(提案)」に「proti」がつけられてできた言葉である。「protiprávní(非合法な)」なんて形容詞もある。

 この手の言葉の中で一番よく使うのは、「protiútok」だろうか。サッカーやハンドボールのカウンターにあたるので、「protiútok」から「trhák」という流れが期待できるのである。もちろん、一般的に反撃という意味で使うことも多い。ほら、「pro」ゼマン派と「proti」ゼマン派の間で攻撃と反撃が繰り返されているしさ。ゼマンの代わりにバビシュを入れても変わらないけど。


 次は「proti」に「na」をつけた「naproti」なのだが、「向かい側/反対側」という場所を表す前置詞になる。この「naproti」を「迎えに行く」という場合に使うことを知っている人もいるだろう。ただ、この場合前置詞としては扱わずに、語順の関係で副詞扱いにするようだ。つまり、人を表す言葉の前に置く必要はないのである。

 ・Půjdu vám naproti na letiště.
  飛行場まで迎えに行きます。
 ・Naproti mně seděl ředitel školy.
  私の向かいに校長先生が座っていた。

 これは簡単。ちょっとだけ「proti」と「naproti」を比較できるような用例を考えてみると、これが正しいかどうかは、例によって保証の限りではないのだが、

 ・Oni stojí proti sobě
 ・Oni stojí naproti sobě

 前者は対決のために向かい合って立っているような印象を与え、後者はただ位置的な関係で向かい合って立っている様子を表している。

 それから、「proti」に「o」を付けた「oproti」という前置詞もあるのだが、こちらは自分でもうまく使えないので、説明の任に堪えない。いやこんなのなくても何とでもなるしさ。
2019年5月14日23時。








チェコ語の隙間―東欧のいろんなことばの話











タグ:前置詞 三格

2019年05月15日

三格を取る前置詞➀(令和元年五月十三日)



 三格を取る前置詞については、これまでにもいくつか記事の中で言及してきたけれども、せっかく、あまり役に立たないとはいえ三格の話を書いたところでもあるので、三格を取る前置詞のまとめをしておこう。
 まず最初は、移動の方向を表す「k」である。これは特に人を表す名詞、代名詞について、その人のところに行くことを表すのに使われる。人以外だと、川や海などの水辺に向かっていくときに使われることが多い。一緒に使われる動詞は「行く」などの移動を意味する動詞が多い。

 ・Jdu k vám.
  そちらに行きます。
 ・Pojedeme na dovolenou k moři.
  休暇で海に行きます。
 ・Táhněte k sobě.
  自分のほうに引っ張ってください。

 また、名詞「směr」と組み合わせて、「〜のほうに」という意味でも使える。このとき「směr」は七格にするのがポイントである。

 ・Tento vlak jede směrem ku Praze.
  この電車はプラハのほうに行きます。
 ・Půjdeme směrem k nádraží.
  駅のほうに行きましょう。

 発音の関係で、子音が二つ以上で始まる名詞の場合には「ke」、子音Pで始まる名詞の場合には「ku」になることがある。発音上の要請なので必ずというわけではないのが、外国人にはつらいところである。また、この「k + 三格」は、「na + 四格」に置き換えられ、特に行先を「do」で表せる地名の場合には、「směr」を略して「na + 四格」だけで「〜のほう」を表すことができる。つまり「jet směrem ku Praze」でも、「jet směrem na Prahu」でも、「jet na Prahu」でも意味はあまり変わらないのである。


 それから、以下のような予想外の名詞につくこともある。

 ・ku podivu
 ・zkušenost k nezaplacení
 ・k smíchu

 この辺を何も考えずに使えるようになると、チェコ語もぺらぺらと言えるのだろうけど、そこまでいくのはなかなか大変である。上の三つを使って文を作ると、例えば、「私のチェコ語はまだまだ笑うべきレベルなんですが、不思議なことに最後の試験に合格できました。サマースクールではお金では買えない体験をさせてもらいました」なんてのは、

Moje čeština je stále k smíchu, ale ku podivu se mi podařilo udělat závěrečnou zkoušku. Na letní škole jsem měl zkušenosti k nezaplacení.


 なんて訳が出来上がるのだけど、このチェコ語が正しいかどうかは保証しない、というよりは、保証できない。難しいんだよこれ。

 特殊な使い方というよりは、読み方なのだが、比率を表す「3:2」とか、スポーツで点差を表す「1:1」を読むときに数字の間に入れるのが「k」なのである。だから「tři k dvěma」とか、「jedna k jedné」なんて読むわけである。点差の場合には、簡単に「tři dva」「jedna jedna」と読んでしまうことも多いけど。これは特に知らなくてもチェコ語を使うのには全く問題のない「k」の使い方である。

 そう言えば、日曜日のスラビアとプルゼニュの試合の後、こんな文を見かけた。

 ・Výhrou se přiblížila Slavia k titulu.
  勝利によってスラビアは優勝に近づいた。


 ということで、「Tento článek se chýlí ke konci」という文で今日の分を終わらせることにしよう。「k」は、とにかく移動する方向を表す用法が一番重要である。
2019年5月14日9時35分。




チェコ語会話練習帳 [ 金指久美子 ]










タグ:三格 前置詞

2019年05月13日

三格の話2(五月十一日)



 日本語の助詞「に」にはいろいろな機能があって、すべてが「に」=三格が適応できるわけでないことは重々承知している。時間を表す「に」、場所を表す「に」、行き先を表す「に」は、チェコ語ではほとんどの場合前置詞を使って表すから、三格を使ってしまうことはないのだが、日本語で考えて三格だろうと思って使ったら、違うといわれたものがいくつかある。

 一番よく間違えたのは、「zeptat se」だろうか。日本語では「〜に質問する/聞く」で、質問という行為の向く先が「に」で表されているのだから、チェコ語でも三格だろうと思い込んでしまったのである。いや、実際にはそこまで細かく考えずに、何となくで使ってしまっていたのだけど。もちろん最初に教科書にこの動詞が登場する時点で、三格ではなく、二格をとることは説明される。説明されて覚えたつもりでも、実際に使うときには間違えてしまうのが、母語である日本語の影響の厄介なところである。

 チェコの人たちは、しばしば「zeptat se koho na něco」という形で覚えていて説明してくれるのだが、「koho」は「kdo」の二格と四格の形なので、どちらなのかわからない。質問する相手が男性であれば、二格と四格は例外を除いて同じなので、実害はないのだが、女性に質問するときにはちょっと厄介である。
 「na co」のほうも、「na」の後に来るのが四格なのは明らかだけど、日本語の影響で前置詞を使わずに、四核にしてしまったり、「o + 六格」にしてしまったりする。日本語だと「やり方を質問する」とか、「歴史について聞く」なんて使い方をする影響である。この「na co」には、「zeptat se」とともに二格を使えるようになってからも悩まされた。今でも時々怪しくなることがあるので、ついつい使うのを避けてしまう。避けてどうするのかというと、こうするのである。

 ・Zeptal jsem se Pavla, kdy pojede do Japonska.
  パベルにいつ日本に行くか(について)質問した。

 ・Zeptal jsem se Pavla, jak se používá tento počítač.
  パベルにこのコンピューターをどう使うか聞いた。
  パベルにこのコンピューターの使い方を聞いた。

 ・Zeptal jsem se Pavla, jestli zítra přijde do práce.
  パベルに明日仕事に来るかどうか聞いた。


 間違えたのを明確に覚えている動詞は、「zúčastnit se」である。「参加する/出場する」という意味のこの名詞の存在を知ったのは、チェコ語を勉強し始めてから一年はたたないころ、チェコ大使館が出しているサマースクール用の奨学金に応募することを決めたときに、先生に聞いて応募のための作文に使ったのか、書類を提出に大使館に行ったときに、担当のチェコの人とチェコ語で話したときに使ったの覚えていないが、間違いを指摘されたのは覚えている。
 確か、「Chci se zúčastnit letní škole」とかなんとか書いてしまって、それを見たチェコの人に、「školy」に直されたのだった。後で先生に聞いたら、「zúčastnit se」は三格ではなく、二格をとるということで、それで覚えたつもりだったのだが、以後も何度も間違いを繰り返すことになった。「zúčastnit se čeho」と覚えるのだけど、疑問の代名詞の「co」と「kdo」の格変化を覚えたのは、最初のサマースクールに参加したときなのである。

 日本語の動詞「会う」は、「〜と会う」「〜に会う」と二つの助詞を使うことができる。その二つの違いは置くとして、チェコ語の教科書で最初に出てくる「会う」は、「setkat se」で「s + 七格」を取る。「s + 七格」は日本語の「〜と」とほぼ対応するから、「setkat se」は「〜と会う」と覚えられたので、あまり間違うことはなかった。
 しかし、チェコ語にはもう一つ「会う」という意味の動詞「potkat」があるのである。これが「〜に会う」のように三格を取ってくれたらよかったのだけど、実際には四格で「potkat koho」となる。その結果、「potkat se s kým」という形でも使えるようだが、「会う」に関しては、「setkat se」しか使わないことにしている。わざわざ間違う恐れのある言葉を使うのは避けたいのである。

 意外なのが、「教える」に当たる「učit」で、日本語だと「友達に英語を教える」のように、教える相手は「に」、教えるものは「を」で表す。チェコ語では「učit se」という使い方からもわかるように教える相手は四格で表す。教えるものも、四格で表して「učím japonštinu」になるのだが、人と物を同時に使用した場合には、物の方が三格になる場合がある。つまり「učím kamaráda japonštině(友達に日本語を教える)」となるのだが、どうにもこうにも気持ち悪くて、覚悟を決めないと使うことができない。チェコ人でもこの使い方を知らない人はいるみたいだしね。

 とまれ、自分でも何がやりたかったのかよくわからなくなった三格の話は、これでおしまい。三格を取る前置詞のまとめはしておいたほうがいいか。次はそれだな。
2019年5月12日24時。








2019年05月12日

三格の話(五月十日)



 三格は、与格なんて言い方もされるように、何かを与える先、動座の結果の向かう先を示す格である。それが、日本人にはわかりにくい、日本語では間接的な受身形で表すことの多いいわゆる関係の三格につながっていくのだけど、それについては以前、ブログを始めて、かなり早い時期に書いた記憶があるから触れない。
 一般に三格を日本語に訳すときには、助詞の「に」を使うことが多いのだが、日本語で「に」だからといって絶対に三格になるわけではなく、逆にチェコ語の三格が確実に「に」で処理できるわけでもない。だから、われわれチェコ語を勉強する日本人としては、三格=「に」が成立しない動詞とその正しい使い方を覚えていかなければならない。

 まずチェコ語の三格が「に」にならない例から行くと、「気に入る」という意味の「líbit se +三格」が上げられる。例えば、「Líbila se mi Olomouc」という文を考えてみよう。これに無理やり三格=「に」を適用して、「オロモウツは私に気に入った」なんて訳を見かけることもないわけではないが、これでは自然な日本語とはいえない。
 語順を気にせず自然な日本語にするなら、「私はオロモウツが気に入った」だろう。オロモウツを文頭に持ってくると「オロモウツは私の気に入った」でも不自然さを拭えないから、「私」を省略して「オロモウツが気に入った」とするのが一番自然な日本語訳だということになる。質問の「Líbila se vám Olomouc」も、「オロモウツは気に入りましたか」とするのだから、日本語に訳す際には人称代名詞は省略したほうがいいのである。

 同様に、食べ物、飲み物が気に入ったとき、つまりおいしかったときに使う「chutnat + 三格」も、三格になっている人を訳してしまうと、不自然になる。「Toto pivo mi chutná」は、「このビールは美味しい」で十分で、「私に美味しい」なんて不要である。どうしても「私」を使いたいのであれば、「このビールは私の口に合う」と訳すしかない。ただ、「美味しい」と「口に合う」は、全く同じではないので、いつでも使えるというわけではないけど。
 ちなみに食べ物や飲み物が気に入ったときに「líbit se」を使うのは、日本人には理解できない理由で、使えないらしいので、日本語で「このビール気に入った」と言いたいと思っても、それを「美味しい」に置き換えてチェコ語にする必要がある。散々間違いだと指摘されて、使い分けられるようにはなったが、どうしていけないのかは全く理解できていない。

 日本語に訳す際に、ややこしいことは考えないで、人称代名詞の三格を省略した方がいいものとしては、「chtít」の再帰受身形がある。「Chci」と「Chce se mi」とでは、もちろん全く同じ意味にはならないが、日本語で「私」を使ったとしてもその違いを表すことはできない。肯定形よりも使うことの多い否定形の「Nechce se mi jít」だったら、「何となく行きたくない」とか、「気が進まない」と訳したいところである。
 しかし、疑問の「Chce se ti jít?」はどう訳そう。「行きたい?」と訳すのは論外にしても、「気が進む?」なんて質問はされても困ってしまう。せいぜい「行く?」とか、「行く気はある?」ぐらいしか思い浮かばないのだけど、これでいいのかねえ。とまれ、この「chtít se + 三格」は婉曲表現のようだから、日本人には使いやすいので、日本語でどう言うか考えることなく使ってしまうのである。

 それから、「欠ける/足りない」という意味の「chybět」も状況によっては、三格になっている人称代名詞を省略したほうがいい。能力が足りないことを表す場合、例えば「Chybí mi slovní zásoba」なら、「私には語彙が足りない」と「に」を使って訳しても問題はない。ただ、「Co vám chybí?」のような、ものが足りなくて残念だという意識を表すような使い方の場合は、そうはいかない。「Chybí mi pivo」を「私にはビールが足りない」とか「私にはビールが欠けている」と訳してもわからなくはないけれども、ここは状況に応じて「ビールが飲みたい」とか「ビールが飲めなくて苦しい」なんて訳すべきところであろう。

 チェコ語から日本語ではなく、日本語からチェコ語に訳すときに気をつけなければならない三格=「に」が成り立たない動詞は、「助ける/手伝う」という意味の「pomoct/pomáchat」である。日本語だと「人を手伝う」「仕事を手伝う」と物も人も助詞「を」で表すのだが、チェコ語では人は三格になる。物のほうは前置詞を使う。「v + 六格」「při + 六格」が一般的かな。

 予定より長くなったので、日本語で「に」だけど、チェコ語では三格にならないものについては、次回に回すことにする。「Protože se mi strašně chce spát」
2019年5月11日24時。










タグ:格変化 三格

2019年05月11日

地名と形容詞の関係2日本(五月九日)



 日本の地名は、例外を除くと日本語の発音とほぼ同じ形で、チェコ語の表記法に基づいて表記される。例外は東京で「Tokio」と書いて「トキオ」、もしくは「トキヨ」と読む。京都が「Kjóto」で、大阪が「Ósaka」となるように、日本語で読む通りにチェコ語のアルファベットを使って書いてやればいい。気を付けるべき点はジャ行の子音が、「ž」だけではなく、「dž」で書かれることだろうか。

 格変化に関しては、「a」で終わる地名は女性名詞の「žena」と同じ形、「o」で終わるものは中性名詞の「město」と同じ形で変化させるが、それ以外の母音、もしくは長母音で終わる地名の場合は厄介なので、地名の前に一般名詞を付けてそれだけ格変化させることをお勧めする。例えば「Bydlím ve městě Kawasaki(川崎市に住んでいます)」と処理するのである。そのほか、都道府県であれば「prefektura」、地方であれば「oblast」、村であれば「vesnice」となる。
 これさえできれば、日本の地名をチェコ語の中で使用するのに何の問題もないのだが、チェコ語で頻発する地名起源の形容詞も使いたくなるのが、チェコ語学習者の性というものである。幸いなことに、作り方はチェコ語の地名の場合と同じである。ただ日本の地名はほぼすべて母音で終わるから、まず最初に末尾の母音を取ってやらなければならない。

 最初の例外が、すでにチェコ語化している「Tokio」である。末尾の母音を取り去ると「Toki」とさらに母音「i」がのこる。しかも「Tokio」自体の発音が「Tokijo」に近いため、形容詞にする際に「j」が出てくるのである。つまり「Tokio → tokij → tokijský」という経過をたどって、形容詞化される。同じような例としては日本の地名ではないが、アジアが「Asie → asij → asijský」となる。「Asie」をアジエと発音するのも、例外的と言えばその通りなのだけどね。

 他は、とりあえず有名な都市から行くと、京都は「Kjóto → kjót → kjótský」である。ここで気を付けなければいけないのは、「ts」の発音が「c」と同じになることで、京都の形容詞形は「キョーツキー」と発音しなければならないことである。
 大阪は母音を取ると「k」で終わるので、「Ósaka → ósak → ósacký」と「c」が出てくるのがちょっと特殊である。だから福岡、川崎なんかも同じ形になる。ちょっと悩むのが「ガ」で終わる地名で、母音がなくなると発音が無声化するから、大阪と同じと考えていいのかな。例えば佐賀は、「Saga → sag → sacký」だろうか、それとも「Saga → sag → sagský」だろうか。
 広島からできる形容詞が「hirošimský(ヒロシムスキー)」、長野が「naganský(ナガンスキー)」、札幌が「sapporský(サッポルスキー)」となるのは、問題ないだろう。千葉と神戸が「čibský」「kóbský」という表記になるところまではよくても、発音がそれぞれ「チプスキー」「コウプスキー」になるというと首をかしげる人もいそうだ。

 難しいのが仙台、関西などのように「ai」で終わるもの、福井のように「ui」で終わるものである。チェコの地名にないパターンだけど、ここは盆栽が「bonsaj」、侍が「samuraj」となる例に倣って末尾の「i」を「j」に見立てて「sendajský」「kansajský」「fukujský」になると見る。
 長母音「ó」「ú」で終わる北海道や九州なんかはどうするのがいいのだろうか。長母音で終わる地名というと、プラハのレトナーや、ベセリーなんかがあるけれどもあれは形容詞形の名詞で、「ó」「ú」で終わるものではない。北海道から「hokkaidský」、九州から「kjúšský」だろうか。悩むところである。
 最後にお手上げでどうしようもない地名を挙げておこう。それは一音節の地名で、具体的に思いついたのは三重県の津市なのだけど、原則に基づくと「Cu → c → cký」となるはずなのだが、さすがに「cký」だけでは、意味不明になりそうである。

 とまれ、この地名から形容詞を作るのは、チェコ語には珍しく例外が少ないので、規則さえ覚えてしまえば、いくらでも応用が利く。ただ問題は、もとになる地名を知らない人には形容詞を使っても理解してもらえないことである。逆に言えば地名さえ知っていれば理解してもらえるわけだから、うまく使えるとチェコ語ができると思ってもらえるはずである。
2019年5月10日24時。











2019年04月29日

地名と形容詞の関係(四月廿七日)



 S先生の著書だったか、ブログだったかを読んでいたら、コメンスキーという名字は、出身地とされるコムニャという地名から作り出された名字だということが書かれていて、あれっと思った。

 チェコ人の名字の中には、形容詞形のものがかなりあって、地名からできた形容詞を名字にしている人も少なくない。日本でも知られている人名だと、未だに年配の方々にとってはチェコの象徴であり続けている「チャスラフスカ」氏の名前が挙げられる。この東京オリンピックで活躍した体操選手の名前は、当時は英語を経由して日本語表記がなされていたからか、長音を無視した形で表記されているが、実際のチェコ語の発音に近いのは「チャースラフスカー」である。
 この名字は、中央ボヘミアの空軍の基地があることで有名なチャースラフという地名にちなんでいる。地名「Čáslav」に接尾語をつけて作られた形容詞「Čáslavský」の女性形が「Čáslavská」で、チャスラフという地名が存在せず、形容詞の女性形であることを考えると、「チャスラフスカ」という表記は定着してしまっているけど、言いにくいし正しいとは言いがたいのである。

 だから、コメンスキーも地名からできた形容詞を名字にしたものだという指摘には、なるほどと納得することはできた。それでもあれっと思ったのは、コメンスキーよりもコムニャに似ているコムニャツキーという名字が存在することを知っていたからである。チェコ語の特徴に基づいて、よく考えれば、コムニャからコメンスキーというのもありうることはわかる(後述)のだけど、どちらの形が、コムニャから作られる形容詞としては、一般的なのだろうか。
 ということで、地名から作られる形容詞についてちょっと考えて見る。チェコ語の文法書なんかには結論が書かれているのだろうけど、それをそのまま書いても面白くないので、経験に基づいて説明する。

 まず、一番簡単なのは、チャースラフのように、子音「V」で終わる地名である。そのまま形容詞の語尾である「ský」をつけてやればいい。「Přerov → přerovský」「Břeclav → břeclavský」がその例である。「V」意外でも子音で終わる地名の多くはこのグループに属する。例えば、「Plzeň → plzeňský」「Tábor → táborský」の類である。ターボルスキーって、サッカーの解説者とか俳優の名前に見かけた記憶がある。末尾の子音によっては、例の子音交代が起こる可能性もあるけど、そんな地名が思いつかないので、保留にしておく。
 それに対して、オロモウツのように「C」で終わる地名の場合には、「ký」だけをつける。オロモウツスキーなんて言いにくいし、オロモウツキーで十分なのである。他にも「Liberec → liberecký」なんてのがある。似ているのが、子音二つの「st」で終わるもので、「ecký」をつけて、「Most → mostecký」となる。「mostcký」なんて発音しづらいしね。また同じ子音が二つでも「RK」で終わる地名の場合には、「K」を取り去って、「ský」をつける。「Šumperk → šumperský」とかね。

 次は、母音で終わる地名の場合だが、これは母音を取り去ったあとの末尾の子音によって決まる。ルールは子音で終わる地名の場合と同様である。つまり「Ostrava → ostrav → ostravský」「Svitvy → svitav → sviavský」「Veselí → vesel → veselský」「Pardubice → pardubic → parudubický」「Ústí → úst → ústecký」などなど。
 注意する必要があるのは、「Praha → prah →pražský」のように、形容詞化する際に子音交代を起こす地名と、母音を取り去った後に、子音が二つ残る地名の場合である。前者はそれこそプラハぐらいしか存在しないし、特に気にすることもないのだが、後者は懸案のコムニャとも関係してくるので、ちゃんと考えなければならない。

 母音を取り去って子音が二つ残る名詞で、思いつくのはブルノ、クラドノ、ズノイモと中性名詞ばかりなのだが、形容詞化すると、「Brno → brněnský」「Kladno → kladenský」「Znojmo → znojemský」と発音をしやすくするためか、子音二つの間に「e」が出てくるのである。「a」で終わる女性名詞は思いつかなかったのだが、形容詞型の地名レトナーがあった。これも長母音の「á」を取り去って「e」を入れた結果、「Letná → letenský」となるのである。
 ということは、コメンスキーの出身地とされる「Komňa」もこのグループに入ると考えてよさそうである。ただし一つだけ疑問があって、普通に考えれば「Komňa → komeňský」となりそうなのに、ハーチェクが消えて「komenský」になってしまったのはなぜなのだろう。「eňský」という文字の並びには、「plzeňský」という例があるわけだから、特に忌避される理由もなさそうである。

 最後にもう一度冒頭の疑問に戻っておけば、母音で終わる地名にそのまま接尾辞をつけて形容詞化する事例は見つからないので、コムニャツキーというのは、コムニャから作られた形容詞であるのは間違いないにしても、チェコ語の正しいとされる文法からは外れた方言形か何かなのだろう。とはいえ、コメンスキーのほうも、微妙に音が変わっているからなあ。ブルノの形容詞も方向が逆だとは言え、音が変わっているから、コムニャからできる形容詞はコメンスキーでいいのだということにしておこう。
2019年4月27日22時。










2019年03月31日

体に二つある名詞(三月廿九日)



 チェコ語についての記事も、あれこれたくさん書いていて、自分が何を書いて書いていないのかわからなくなったので、確認のために読み返していたら、こんな特殊なものもあるんだと簡単に書いておきながら詳しい説明を放置しているものがあるのに気づいた。それは、手や足、目や耳のような人間の体に二つずつある物を表す名詞の複数形で、普通の名詞の複数形とは違うのである。
 対象となる名詞は、「oko(目)」「ucho(耳)」「ruka(手)」「noha(足)」「koleno(膝)」「rameno(肩)」「prso(胸)」などである。大事なのは単数で使う場合には、普通の名詞と同じ格変化をすることで、ここにあげた7つの名詞は。女性名詞である手と足以外は中性名詞であることは、語末の母音から明らかである。念のために書いておけば、単数一格が「-a」でおわるのは原則として女性名詞、「-o」で終わるのは中性名詞である。
 それから、同じ、例えば「oko」は「oko」でも、人間や動物の目ではない「oko」は、複数にしても普通の「- o」で終わる中性名詞の複数変化と同じだということも大切である。目ではない「oko」、うーん、日本語だと魚の目とか目玉焼きが思い浮かぶけどチェコ語ではどうだろう。ストッキングに開いた穴なんかは「oko」と言っていたような気がする。「ucho」は、カップなんかの取っ手の部分を指すことができる。上と下が本体につながっている様子が耳のように見えるからであろう。「noha」はテーブルや椅子などの脚を意味することがあるし、他の言葉にも何かしら人間の体の一部以外の用法が存在する。

 特殊な複数の格変化を有する名詞は完全に共通な変化をするわけではない。使う頻度の高い言葉ほど普通の名詞の複数変化からの乖離が大きいような気がする。「oko」や「ucho」は一格の形からして違うし。とりあえず、体の一部を表す場合の特別な複数形と、普通の複数形を並べて表示する。

@oko
1  oči   oka
2  očí   ok
3  očím  okům/okám
4  oči   oka
5  oči   oka
6  očích  okách
7  očima  oky


Aucho
1  uši   ucha
2  uší   uch
3  uším   uchům
4  uši    ucha
5  uši    ucha
6  uších   uchách
7  ušima  uchy


 目と耳はどちらも中性名詞で、1格から7格まで普通の複数変化とは形が異なる。またこの二つの名詞の複数変化の特別形は子音が変化するところまで共通している。


Bruka
1  ruce     ruky
2  rukou    ruk
3  rukám    rukám
4  ruce     ruky
5  ruce     ruky
6  rukou/rukách  rukách
7  rukama     ruky


 女性名詞の手は、3格が普通の変化と共通で、6格も同じ形も使える。


Cnoha
1  nohy     nohy
2  nohou/noh  noh
3  nohám    nohám
4  nohy      nohy
5  nohy      nohy
6  nohou/nohách  nohách
7  nohama     nohy


 同じ女性名詞でも足になると、特殊な形が2格、6格、7格だけになってしまう。2格、6格は通常の複数変化と同じ形も使えるからどうしても覚えなければならないのは7格だけである。

 残りの中性名詞三つは、2格と6格に特殊な形が出てくるだけで、他は一般の複数変化と同じになる。膝は肩と完全に同じなので省略する。


Dprso/rameno
1  prsa   ramena
2  prsou  ramenou/ramen
3  prsům  ramenům
4  prsa   ramena
5  prsa   ramena
6  prsech  ramenou/ramen
7  prsy    rameny



 不思議なのは同じ人体に二つペアであるモノでも「roket(肘)」「kotník(くるぶし)」なんかには特別な複数形が存在しないことである。やはり使用頻度が高くないからだろうか。

 それからこの特別な複数の格変化を使う場合には、前に来る形容詞などにも注意をしなければならない。7格の場合に、格変化の語尾が「mi」になるものは、すべて「ma」に置き換える必要がある。だから、「s dvěma krásnýma modrýma očima」なんてことになるわけである。
 この語尾「ma」が正字法から外れた口語的なチェコ語では、すべての複数七格に使われるようになっているため、正しいチェコ語に直そうとして、「ma」を「mi」に置き換えて変なことになると言う間違いもよくあるらしい。口語の「s dvěma krásnýma japonskýma studentama」を「s dvěmi krásnými japonskými studentami」にするなんてね。どちらも正しいチェコ語を教科書で身に付けた外国人には縁のない間違いのはずなのだけど、書いて覚えたのではない、耳で覚えた言葉の場合にはやってしまうかもしれない。
2019年3月30日22時。





現代チェコ語日本語辞典 [ 小林正成 ]












2019年03月23日

もう一つの受身(三月廿一日)



 チェコ語を勉強していない日本人でも、プラハでしばらく生活していると、覚える気もないのに覚えてしまって、ふとしたときに口から出てくるようになるチェコ語がある。生活していなくても地下鉄を利用していれば、いやでも耳に入ってきて、妙に耳に残るあれである。「Ukončete výstup a náspu, dveře se zavírají(乗り降りをやめてください。ドアが閉まります)」というのを、完全ではなくても覚えてしまって、自分の知っているチェコ語として飲み屋なんかで披露する人は結構いるはずである。
 受身という観点から問題になるのは、後半部分の「dveře se zavírají」なのだが、地下鉄だけでなく、トラムでも使われることがあると思うし、最近気づいたところでは、エレベーターでも、アナウンスが入るので、「ドベジェ・セ・ザビーライー」というのは、挨拶を除けば、外国人が一番よく耳にするチェコ語の表現かもしれない。

 折角なので、珍しくまじめに文法的な解説をしてみると、「dveře」は複数でしか使われない女性名詞で、ここでは1格で使われている。「se」は、いわゆる再帰代名詞の4格短形となる。「zavírají」は、完了態の「zavřít」と対応する不完了態の動詞「zavírat」の三人称複数の形で、これは主語の「dveře」が複数であるのに対応している。
 再帰代名詞の「se」は4格で「自分を/自らを」という意味を表すから、直訳すると「ドアが自分を閉めている」ということになるだろうか。もちろん自然な日本語にすれば、上記のように「ドアが閉まる」となるのだが、チェコ語ではこの他動詞(という概念はないけど)と再帰代名詞「se」を組み合わせた形も、受身としているのである。日本語に訳す場合には、受身形よりも組み合わせになる自動詞を使う場合も多いけど。

 この手の受身で、日本語でも受身で訳せて、しかもよく使うものとしては、動詞「říct/říkat」を使ったものだろうか。初学のころによく使った、

  Jak se to řekne česky.

 は、「チェコではこれを何と言いますか」と訳すこともできるが、受身を使って「何と言われますか」としてもさして違和感は感じまい。
 不完了態にすると、日本語の受身との親和性はさらに高まり、

  Říká se, že…

 というのは、「〜と言われている」と訳すしかない。いや、もちろん伝聞を表す「そうだ」とか「らしい」を使ってもいいわけだけれども、動詞を使うことを前提とすれば、受身形を使うのが自然である。

 昔、チェコ語の勉強を始めたばかりのころに困惑したのは、チェコ語の動詞の中には、最初から使役の意味を含んだものがあることで、例えば引っ越しという名詞は、「stěhování」だから、その本来の動詞の形「stěhovat」は引っ越すという意味かと思っていたら、引っ越すは「se」を付けた受身の形で「stěhovat se」を使わなければならなかった。つまり「stěhovat」だけなら、引っ越しさせるという意味になるのである。
 それから「překvapit」も驚くではなく、驚かせるという意味で、驚くという意味で使うのであれば、「překvapit se」と「se」を付けなければならない。そして、「Překvapil mě kamarád」のように、誰かが私を驚かせたという形の文は、自然な日本語にすると「友達に驚かされた」と受身形を使うことになるから最初はちょっと混乱した。

 また、「se」を付けるけど受身ととるべきなのかどうかよくわからないものもあって、「vrátit(戻す)」「vrátit se(戻る)」は他動詞と自動詞の組み合わせになるから、受身と見たいところだけどチェコ人がどう理解しているのかは知らない。それから「najíst se(満腹するまで食べる)」は、「se」なしでは使えないから一般には受身とは取らないのだろうけど、「nakrmit(十分餌を与える)」という動詞の存在を考えれば、「najíst」だけで、食べさせるという意味を持っていたのではないかとも思えてくる。

 ここまで書いて、自分でもいったい何が言いたいのかよくわからなくなってきた。そう、この「se」を使った受身というのは、あんまり受身だと意識しないほうがいいということを言いたかったのかな。日本語で自動詞と他動詞の組み合わせのある動詞だったら、受身よりも自動詞を使う方が自然だし、チェコの中でも、どこまでが受身で、どこからが別の動詞扱いにするのかよくわからんし。
 最後に一言だけ言っておくとすれば、この受身は、動詞が直接4格を取るものでなければ使えないということだろうか。「Jinak se to nedělá(そうでなければ、そんなことはするものではない)」のである。
2019年3月22日17時。













タグ:動詞 受身

2019年03月16日

動詞の受身追加(三月十四日)



 受身について書き落としたことがありそうだと書いた通り、もう一つの受身について書くのを忘れていたし、一緒に触れておいた方がよさそうなこともあるので、昨日の今日ではあるけれども、受身の話を続ける。

 最初に形容詞の「unavený」は、動詞「unavit」の受身形からできたものだということを書いたが、受身形が受身の意味で使える動詞に関しては、ほぼ問題なく形容詞的に使用することができる。受身の意味云々というのは、受身の形は作ることはできても、実際に受身としては使えそうもない動詞も存在するからである。例えば「chodit(歩いて通う)」なんかは、「chozen」という受身形が想定できるけれども、受身の意味で使える状況は想像もつかない。
 形容詞としても使えるのは便利なのだけど、ときどき形容詞化したものと受身形とどちらを使うのがいいのか悩んでしまうこともある。例えばウィンドウズのコンピューターで、特に指定しなかった場合にダウンロードしたファイルが収まるフォルダは、「stažené soubory」である。この「stažené」は、「stáhnout」という動詞から作られる受身形「stažen」が形容詞化したものである。名詞の前だからこの形になるのは当然である。

 問題は動詞「být」と組み合わせて文にしたときで、

 ・Tyto soubory jsou už staženy.

 ・Tyto soubory jsou už stažené.

のどちらがいいのか、決め手がない。多分どっちでもいいのだろうけど、外国人としてはできるだけ確信を持った使い方をしたいものである。ということで、そんなときには受身を使うのをやめてしまう。

 ・Tyto soubory jsem už stáhl.

 同じことをいくつかの方法で表現できて、必要に応じて言い換えられる柔軟性というのは、外国語を使用する上で大切なことである。ただ、この手の言葉を使う上での柔軟性は、外国語能力よりも。母語の運用能力によって左右されるような印象もある。母語に対して鈍感な人間は、外国語においても言葉の使い方に鈍感でできるようにならないのだと、自分が日本語の細かいところにこだわるのがチェコ語の習得に役に立ったと考える人間としては、大きな声で主張しておきたい。ようは英語教育よりも国語教育に力を入れたほうがいいと思うんだけどねえ。日本語もろくに固まっていない小学校から英語の勉強をさせるなんざ、時間の無駄、金の無駄である。

 それから受身形が大切なのは、動詞の名詞化の基礎となるからである。受身形の男性単数形に、長母音「í」をつけてやれば、「〜すること」という意味の名詞ができあがる。この名詞自体は中性名詞となる。「-í」で終わるので、形容詞の男性名詞活動体複数と間違えることもなくはないけど、受身形を勉強するようなところまで来ている学習者であれば、ちょっと考えればどちらなのか理解できるはずである。
 ただし、一部受身形そのままではなく、微妙に形が変わるものもある。それは受身形の作り方自体が例外的なもののことが多いので、厄介ながら一つ一つ覚えていくしかない。いや、全部覚えるのではなく、自分が使いたいものを覚えればいい。これも使わずに済ませようと思えば済ますことはできるのだから。ぱっと今ここで思いつくのが、動詞「přijmout」→受身形「přijat」→名詞「přijetí」である。これは「導入する」という意味の動詞で、チェコがユーロを導入するかどうかの議論がうるさかった時期に盛んに使われていたので覚えてしまった。
 日本語ができるチェコ人が時々やるのが、この動詞を名詞化したものを日本語に訳すときに、動詞の連用形を使うという間違いである。日本語の動詞の連用形による名詞化は、どんな動詞でも一律同じように適用できるものではないのだけど、チェコ語のこの名詞化と同じように考えている人がいるようなのだ。「こと」を使った方が安全なんだけどね。

 ところで、受身形を動詞「být」なしに使うケースがもう一つあった。それは看板などに書かれる禁止を表す表現である。短く強く言い切ることが求められるからか、動詞「být」が省略されることが多いのである。「私有地につき立ち入り禁止」なんてのは、「Soukromý pozemek, vstup zakázán」なんて書いてあるし、「禁煙」は「kouření zakázáno」となる。「je」を入れても間違いではないだろうと思うのだが、入っていない場合を見かけることのほうが多い。

 それから、何かに気づいたような場合に、受身形だけ、中性単数の形だけを口に出すこともある。ドアを開けようとして鍵がかかっていて開かなかった場合に「Zamčeno」、買い物に行ったらお店がしまっていた場合に「Zavřeno」なんて感じである。

 またまた予定より長くなったので、もう一つの受身については稿を改める。って一回分になるかな。
2019年3月15日23時。











2019年03月15日

動詞の受身2(三月十三日)



 チェコ語の動詞の受身形の二つ目のパターンは、語尾が「-án」となるものである。これは原形が「-at」もしくは「-át」で終わるものが取る形である。興味深いのは、同じ「-at」で終わっても別種の動詞扱いされることが多い、「-ovat」で終わる動詞も同じグループになることである。また、受身形で末尾の子音の前に長母音が出てくるのはこれだけなので、短母音にしないように注意が必要である。「napsat」と原形では短母音でも、受身では「napsán」と長母音化するのである。
 以上の二つのパターンで、動詞の多くはカバーできるのだが、「n」ではなく、「t」で終わるものも存在する。数は多くないにもかかわらずいくつかのパターンがあるのだが、原形の長母音が短母音化すると覚えておくと、少しは楽になる。一つ前のとは逆のパターンになる。一つは「-ít」「-ýt」で終わるもので、受身形はそれぞれ「-it」「-yt」で終わることになる。例えば「vypít」が「vypit」、「krýt」が「kryt」になる類である。

 二つ目は、原形が「-nout」で終わるもののうち、特に「-nout」の前が母音になっている動詞で、受身形は、「-nut」で終わる。「ou」が「u」に変わるだけである。例えば「minout」からは「minut」という形が作られる。前に来るのが子音でもこの形をとるものもあって、一番よく使うのは「rozhodnout」からできる「rozhodnut」だろうか。Aのところで例に挙げた「tisknout」も「tisknut」という形で使っても間違いではない。

 三つ目は、例外的なものになるのだが、覚えておかないと困る。まず「-jmout」でおわる動詞の受身形は「-jat」となる。これはまだ許せるのだが、「jet」に接頭辞を付けた動詞の中には、受身形にできるものがあって、その場合、原形と受身形は全く同じである。これが女性形や中性形で使われていれば問題ないのだが、男性単数の形で使われていると、普通の動詞なのか、受身形なのか戸惑ってしまうこともある。動詞「být」が隣にあればすぐわかるのだけど、離れているとね。

 ということでまとめておこう。

受身形の作り方

B 受身形の語尾が「-án」となるもの。
➀原形が「-at」でおわる。「-ovat」で終わるものも含む。
 dělat → dělán
 přidat → přidán
 připravovat → připravován

A原形が「-át」でおわる。
 dát → dán
 psát → psán


C 受身形の語尾が「-t」となるもの。
➀原形が「-ít」「-ýt」で終わる。受身形は「-it」「-yt」。
 pít → pit
 užít → užit
 ukrýt → ukryt

A原形が「-nout」でおわる。受身形は「-nut」。
 kynout → kynut
 dotknout → dotknut (dotčenも可)

➂例外「-jmout」→「-jat」、「-jet」→「-jet」他
 obejmout → objat
 přijmout → přijat
 přejet → přejet
 vzít → vzat

 実際に受身形を作る場合には、AとCで悩むことになるのだが、AでうまくいかなかったらCでやってみるぐらいの気持ちでいいのではないだろうか。Cの➂なんて、使えるとチェコ語ができるようになった気がするから、ついつい使ってしまうけど、実際には使わずに済ませることも可能である。 


 さて、動詞「být」以外との組み合わせでの使い方も紹介しておこう。これは、中世単数形の「-o」で終わる形を使うのだが、一つは動詞「mít」とともに使う。レストランなんかで注文を取りに来た人に、「Máte už vybráno?」と聞かれたことがある人は多いだろう。意味は「もう選びましたか」といういみなので、「Už jste vybral?」でもいいはずなのだが、「Máte už vybráno?」が使われることが多い。
 これに準じて、「Už mám rozhodnuto(もう決めた)」とか、「Už máme vyhráno(もう勝った)」「Mám přečteno(読んでしまった)」など、日本語だと受身にしないような場合でも動詞の受身形の単数中性を使って表現してしまえる。これだと性も単複も気にしなくていいという利点もある。

 それから忘れてはいけないのが、特定の副詞と動詞の受身形が結びついた慣用表現的なものである。これも単数中性の形を使うのだが、一番よく使う動詞は「říct」つまりその受身形の「řečeno」である。「Upřímně řečeno(率直に言うと)」「Jednoduše řečeno(簡単に言うと) 」「Jinak řečeno(別な言い方をすると)」なんかは、ついつい必要以上に使ってしまう。他にも「vzít」の受身形を使って、「Obecně vzato(一般的な理解をすると)」なんてものあるけど、これはなぜか自分では使わない。

 繰り返しになるけれども、動詞の受身形の使い方で一番大切なのは、動詞「být」と組み合わせて述語として使う使い方である。性と単複の違いによる語尾の違いはとにかく覚えてしまわなければならない。動詞の受身形を名詞の前に持ってきて格変化させたいときには、形容詞の硬変化の語尾をつけて、形容詞と同じように使ってみよう。大抵は、辞書に形容詞として立項されていなくても使えるはずである。

 受身に関して他にも書くべきことがあったような気がするのだが、それはまた思い出したときに書くことにして、ひとまずこれでお仕舞い。
2019年3月14日23時。






変化型で見るチェコ語単語集3000













プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。