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2020年09月13日

老眼鏡1(九月十日)



 人間年を取ると、体のあちこちにがたが出るもので、病気がちになるのも当然である。だから、同時に自分の死を身近に感じるようになるのだろう。なんてことを、メンツルの死に寄せたスビェラークの言葉を読みながら考えた。人が原則として年齢の順番に死んでいく社会というのは健全な社会である。子供や若者が老字よりも先に死んでいくのは正常な状態とはいえまい。その意味では、世界を震撼させている武漢風邪は、戦争とは違って、健全な社会を崩壊させるようなものではないとも言えそうだ。
 畢竟、人間というものは、いや、生きるものはすべて必ず死ぬものである。長生きする人もいれば、早めに亡くなる人もいる。そう考えるとスビェラークが言っていた順番というのもわかる気がする。60歳を越えたら、50でもいいけど、そろそろ順番が来るかもなんて考えておくのも悪くない。亡くなった人に対しても、事故死や殺人でもない限り、50、60を越えていたら、惜しい人を亡くしたと惜しむのは当然としても、天寿を全うしたと寿ぐ気持ちがあってしかるべきではないか。

 自分もすでに若いとはいえない年齢になって久しく、くたばったときに、「まだ若いのに」とか、「これからがあったのに」とか、言われたくもないし、言われてはいけないような年齢になってしまった。そんな気のめいりそうなことを考えたのは、眼鏡屋がいけない。いや、眼鏡屋に行ってお店の人の説得に負けてしまった自分がいけないのである。
 日本にいたころは、川崎のとある駅前の商店街の中にある眼鏡屋に通い、そこで見つけたジョン・レノン風の丸眼鏡を愛用していたのだが、こちらに来てから二十年近くの間に何度か新しい眼鏡を作った。最後に作った、今かけている眼鏡が妙に気に入っていて(似合うかどうかは知らない)、もう何年もそろそろ新しいのを作ったほうがいいかなと思いながら、面倒くさいと後回しにしてきた。視力も以前より落ちて、眼鏡をかけても視力は1.0以下になっていたし。

 ところで、チェコという国は、国営企業の民営化の際にもクーポン式民営化が行われたことからもわかるように、クーポン券が大好きである。企業の節税兼、従業員の福利厚生としても食券をはじめとするさまざまなクーポン券がばら撒かれる。我が職場でも例に漏れず、毎年かなりの額面のクーポンがもらえる。もらえるのだけど、種類によって使えるジャンルが決まっていて、期限までに使い切れずに紙切れにしてしまうことが多かった。
 最近は本屋でも使えるというので、年末になると本屋に出かけて特に必要でもない本を買ったり、うちのの実家に持っていって使ってもらったりしている。眼鏡屋で使えるということは知っていたのだけど、毎年新しいの買うようなものではないし、面倒くさいしで買う決断をつけられなかったのである。

 それが、今年の前半の分のクーポンをもらったときに、ふと、今年はこれで眼鏡を買おうと思ったのだった。それは、最近特にPCで仕事していると、疲れからか画面がよく見えなくなったり、文字が小さすぎて眼鏡を外して顔を近づけて見なければならなくなったりすることが増えていて、さすがに我慢も限界に近づきつつあったからである。クーポンの額が増えていてこれならクーポンだけで眼鏡が買えそうだと思ったのも理由だけど。
 思い立ったのは6月の末か、7月のはじめ。今年の夏の目標の一つは眼鏡を買うことだと決めたのに、実際に眼鏡屋に足を運んだのは夏も終わった9月も半ばになってからだった。我ながら、優柔不断というか、面倒くさがりというか、嫌になる。眼鏡屋が、全国的なチェーン店から、個人営業の小さなものまでたくさんあって、どこで買うのがいいのかきめかねたというのもあるし、どの店でクーポンが使えるかどうか確認する必要もあった。

 最終的には、シャントフカの中に入っている全国チェーンのお店を選んだ。このお店、数年前には、年齢によって決まるという割引キャンペーンをやっていたのだが、すでに終了しているようで残念。ネット上で確認したところ、今かけているのと似たフレームもいくつか見かけたし、値段は多少高くても(高くないかもしれないけど)クーポンで買うから関係ない。
 ということで、自宅以外の屋内でのマスクの着用が再度義務化されたのをきっかけとして、マスクを付けるのを面倒くさがる人が、買い物に行くのを控えて眼鏡屋も客が少ないのではないかと期待しつつ、昼食時を狙って眼鏡屋に足を向けた。このときは1万コルナもあれば足りるだろうと思っていたのだけど……。
 長くなったので以下次号。
2020年9月11日22時。












2020年08月17日

久しぶりに暑い(八月十四日)



 夏は暑いものと決まっているとはいえ、日本と違って夏の過ごしやすさを規準に家が建てられていない上に、クーラーも普及していないチェコでは、日本の夏であれば涼しいといわれるような気温でも暑さに苦しむことになる。本来のチェコの夏は、北海道以外の日本では夏ともいえないような涼しいものなのだが、最近は日本の東京レベルでも猛暑が続いた2015年を初めとして、夏が暑い年が続いていた。

 それが、今年は、冷夏、ではなくて、昔の普通のチェコの夏で過ごしやすいどころか、日によっては肌寒さを感じるような日もあって、暑さが、否、暑さも苦手で、夏はチェコで冬は日本で過ごしたいなどと喚いていた人間にとっては、理想的な夏になっていた。暑い日があっても単発で地面や建物が熱を溜め込んでいないから、それほど暑さを感じずに済んでいた、ような気がする。雨が多かったのも、地表の温度を下げたのではないかと思う。
 そんな幸せな夏も、八月に入って終わってしまった。最初の二、三日は涼しかったのだが、ここ十日ほどは連日30度を越える日が続いている。セズナムの天気のところだと29度ぐらいでとまっていることも多いのだが、olomouc.czの気温のところをみると、30度を越えていてうんざりする。うんざりしたくないから、あまり見ないようにしているほどである。それでも去年までの異常な夏に比べればはるかに過ごしやすいのだからいやになる。

 日本と違ってクーラーが普及していないおかげか、夜、いや朝になると気温が下がるからまだましなのだが、午後の気温の下がり方が遅いのが辛い。少学校だったか、中学校だったかの理科の授業で、日中の気温の変化について勉強して、実際に気温を測ったような記憶もあるけど、特別な事情がない限り、午後二時ごろが一番気温が高くなるということを知った。太陽の熱が伝わる効率は、南中する時間、つまり正午ごろが一番高いけれども。熱の蓄積の関係で二時ごろのほうが気温が高くなるということだったかな。
 日本でも都市部ではクーラーの廃熱の関係で、必ずしも二時ごろから気温が下がるということもなくなっているようだが、チェコでは二時ごろに気温が下がり始めるのは夕立が来たときぐらいである。日が出ている間は気温が上がり続けているんじゃないかといいたくもなるのだが、気温が一番高いのは三時か四時ごろと言うことが多いだろうか。これが意外に辛いのである。

 朝は弱いので午前中の涼しい時間に運動なんてことはしたくない。だからといって夕方涼しくなるのを待っているとすぐに夕食の時間になって日が暮れていく。かくて我が運動不足は解消されることなく、体調不良とも言い切れない、すっきりしない気分が続く。考えてみれば、夏時間がなければ、一時間ずれるわけだから、夕方が同じ時間でも涼しくなるはずだ。夏時間が廃止される際には、冬時間と夏時間のどちらかに統一されることになるらしいが、できれば冬時間にしてほしいと思う。

 そしてもう一つ、最近悩まされているのが、蚊の多さである。雨が多かったのもよくないのだろう。寝ている間だけでなく、あちこち食われて痒くて仕方がない。ニュースではどこかの池の多い地方で蚊が大量発生していて、サイクリング中に停止すると大変なことになるから、一定以上のスピードで走り抜けなければならないなんてことを言っていた。

 今日は、久しぶりに夕立が来て、外はわりと早い時間に気温が下がって多少すごしやすくなった。屋根裏部屋のうちは、雨が降っていると窓が開けられないから痛し痒しではあるのだけど、天気予報では明日は気温が例年並み、つまりは涼しい一日になると言っているから、涼しい夏がもどってくることを、いやとっとと秋が来ることを願っておこう。
2020年8月15日14時。






昨日の雨は、オロモウツではそれほどでもなかったのだが、近くの村では大雨になって、ホップの畑に大きな被害が出たという。実はオロモウツ地方は、北ボヘミアのジャテツ周辺と並ぶ、チェコ国内のホップ産地なのである。ただし、この辺のホップがチェコのビール生産に使われているかどうかはよくわからない。ジャテツのいわゆるザーツホップはほとんど日本に輸出されているという話もあるしね。8月15日追記。









タグ:失敗 暑い

2020年06月23日

気だるい週末(六月廿日)



 今日もまた雨が降っている。大して強い雨でもなく、四六時中降り続いているというわけでもなく、日本の梅雨の時期に比べるのもおこがましいレベルなのだが、雨の少ない、湿気の少ないチェコの紀行に慣れてしまった身には少々つらい。雨の前後は妙に寒さを感じたり、蒸し暑くなったりすることも多い。部屋の中に干した洗濯物の乾きが悪くなるのも、本当に乾いているのかよくわからなくなるのも困り物である。
 さらに困ったことに、今年の雨で、長年にわたって我が足元を支えてきてくれた靴が二足おしゃかになった。すでに履けなくなっていたのが発覚したと言った方が正確か。長年の酷使に靴底のゴムが割れてしまって、雨の中歩いていたら靴の中に水があふれてしまった。晴れの日なら履けなくもなくはないのだろうけど、歩いている最中に分解されてしまったらたまったもんじゃない。

 一足はチェコに来て初めて買った靴だから、かれこれ20年ほど履き続けたことになる。かかとが磨り減ったのでゴムを貼り足してもらったりもしたのだけど、底のゴムの貼り替えなんてのは、無理だろう。いや、できたとしても、新しいのを買った方がましという事態になるに違いない。もう一足も10年以上履いているから寿命と言われれば納得するしかない。
 問題は、どちらもわりとフォーマルな革靴だということである。スニーカータイプの靴が紐で縛り上げれば多少サイズが大きくても、しっかりと足元を固められるのと違って、紐は半分飾りのようなものだ。中敷を入れて調整するのにも限界がある。実際、ちょうどいいサイズがなくて一番小さいのを買った黒の革靴は、あまり歩かない日にはそれほど問題ないのだが、町中を歩き回ることがわかっている日には履きたくない。

 履けなくなった二足のサイズは、一足目は子供用を買わされたので38、ちょっときついかなと感じることもあるのだけど緩いのよりは歩きやすい。二足目は39で先端はちょっと余っているけど、中敷なしでも、サイズ的にはこれが一番履き心地がいい。ということは、39の革靴を買えばいいと言うことになるのだけど、話はそう簡単ではない。
 今回履けなくなった二足を除くと、現在履いている靴はスニーカータイプも、冬靴もすべてサイズは40である。39が一番いいのはすでに分かっているのに、中敷を場合によっては二枚入れてまで40を履くのは、39のある男物の靴が滅多にないからである。子供物や女物ならいくらでもある。以前履いていた靴の中には、買うときには気づかなかったけど実は女物だったというのが何足かあるし、あんまり女性っぽくない女物を買うしかないのかなあ。スニーカーならともかく、革靴でそんなのあるかなあというのが、問題である。

 雨の降る日は、外に出るのが億劫になる。非常事態宣言が解除されて以来、できるだけ毎日職場に出て、行き帰り合わせて一時間ぐらい歩くのを日々の運動にしているのだけど、お昼前後の時間に雨が降っていると、そのまま自宅作業を続けてしまうことも多い。雨の降りそうな日に履くことの多かった二足の革靴が履けなくなったのも、その意味では痛い。
 仕事に関して言えば、職場に出ても出なくても大差はないのだけど、武漢風邪騒ぎで職場に出ない日が続いた結果、ひどい運動不足に陥ったことを考えるとできるだけ毎日職場に出たいと思うのである。意志の弱い人間には雨という自宅に留まる言い訳があるのは望ましいことではない。ついつい自分を甘やかしてしまう。週末もできれば散歩に出たいと思うのだけど、天候不順だとどうしても閉じこもることになる。

 運動不足が気になるのは、最近太り気味というか、以前と比べると明らかに太っているからである。真冬の重ね着をしている時期以外は、ベルトでしっかり締め上げる必要のあったサイズ48のズボンが、ベルトなしでもずり落ちることがないし、一つ下の46になると下着とワイシャツをズボンの中に入れるときついと感じることもある。
 ポロシャツも体格的にはSで十分なのに、昔買ったSサイズのものは生地が硬めなせいか、ちょっときつくてきると動きづらい。お腹がぽこっとしているようにも見える。あんまり見栄えもよくないのでSサイズは部屋着にしてしまうことにした。安服屋で買ったものにしては長持ちしたといってもいいのかな。

 とまれ、本来なら痩せ始めるはずのこの時期に、この状態になっているのは、武漢風邪による自宅監禁生活が原因に違いない。靴が駄目になったのも体重が増えて負荷がかかりすぎた結果かなんてことも考えてしまうほどである。今年の夏は布靴でしのいで、新しいのを買うのは秋になってからにしようかなあ。買い物面倒くさいし、眼鏡とか携帯とか買い替えた方がよさそうなものは、まだまだいくつもあるんだよなあ。雨のせいだけでなく買い物でも憂鬱な気分になってしまう。
2020年6月21日9時。















タグ:買い物 愚痴

2020年02月29日

風の強い冬(二月廿六日)



 今年は、暖かいことの多いここ数年の中でも、特に暖冬である。久しぶりに顔を出したおっちゃんの店でもそんな話になって、おっちゃんは今年の冬は暖かすぎるとぼやいていた。そっちはどうなのと聞かれたので、暖かい寒いよりも気温の変動が、例年ほど大きくないのがありがたいと答えておいた。今年はどうしようもないレベルで服の選択を失敗したというのはないから風邪を引かずにすんでいる。
 今年の冬の特徴は、暖かいことだけではなく、雨が多いのも例年とは違っている。多いとは言ってもチェコのレベルにおいてなので、一日中強い雨が降り続く日本の雨天のようなことはないけど、夜中から朝にかけて結構強い雨が降って、仕事に出る時間帯まで雨が残っていることも多いし、夜職場を出ると道路がぬれていて、小雨がぱらついていることも多い。

 降水量ということで考えれば、例年は雪という形でふっているものが、雨になっているだけと考えてもいいかもしれない。ただここ二、三年はその雪さえも少なくて、夏場に水不足や、地下水の水位の低下が問題になっていた。これを地球温暖化などという便利な言葉で片付けるような思考停止はしたくないものである。地球の歴史上では特に珍しくもない気候変動であって、その原因の一つとしていわゆる「温室効果ガスによる地球温暖化」というものが考えられているのだが、証明はされていない。
 気候変動というものが単一の原因で起こるなんてことはありえないので、EU主導の炭酸ガスの排出を減らす運動がうまく行ったとしても、温暖化を含めた気候変動が停まるとは思えない。そんな結果が出た後の、自称科学者を含む関係者が「対策の開始が遅すぎた」という言い訳をするのまで目に見えるような気がしてうんざりする。

 話を戻そう。気になるのは今年雨が多いことが、水不足の解消、地下水の水位の回復にどれだけ貢献するのかということである。少しずつ溶けて地下にしみこんでいくという意味では雪が地面に積もっていた方がいいのではないかという気もする。その反面、積もり積もった雪が一度に解けて、川に押し寄せ洪水を起す心配はないから安心ではある。雨が多いとは言っても、日本的な感覚からいうとたいした量の雨ではないのだけどね。

 そして、以前もプシェロフに行ったときに書いたけれども、今年は例年に増して風の強い日が多い。数年前にもキリルとか名付けられた大型の低気圧のせいで暴風が吹き荒れて大変なことになってことがあるが、今年はそのキリルに匹敵するのが一回、それよりは小さいけどかなり大きなのが二、三回チェコまで大風を届けた。
 北大西洋で発生した低気圧がイギリスを越えて、勢力を保ったままフランスやオランダの海岸沿いに北上して北海のほうに抜けるときに、雨は降らなくても強い風がチェコをも襲うことがあるようなのである。これを日本語で何と言おうかと考えるのだけどうまい言葉が思いつかない。とまれ山地だけではなく平地でも突風が吹き荒れ、あちこちで被害が出ている。

 特に多いのは、山林の木が倒れるという問題だが、それが鉄道の路線の近くだと線路をふさいだり、電線に触れて通電を疎外したりするという問題も起こるので、被害は大きくなる。以前に比べると格段に遅れることの少なくなったチェコの鉄道も、今月は風のせいであちこちで遅れを発生させていた。ドイツでもやっているという理由で、問題なく走れている路線で予防的に運行を止めていたのには、悪い意味でのドイツ化を感じてうんざりさせられたけど。いい意味でのドイツ化なんてないか。
 突風でどこぞの屋根が飛ばされたというニュースは、毎年1回か2回は流れるものだが、今年はその回数が多いような気がする。寒くて雪が多くても雪の重さで屋根がつぶれたなんて事件が起こるし、チェコの冬ってのは、とにかく生きにくい季節なのである。昔のチェコの涼しい夏が一番過ごしやすかったなあ。またまた意味不明な文章になってしまった。
2020年2月27日10時30分。













タグ: 失敗

2020年01月28日

コトバ(正月廿五日)



 確か我がチェコ語の基礎を築いた教科書『チェコ語初級』だったと思うが、プラハにあるデパートとして「Bílá Labuť(ビーラー・ラブテュ=白鳥)」というのが登場したと記憶する。旧共産圏にもデパートがあるんだなと感心はしたのだが、買い物が苦手なこともあって特に行きたいとは思わなかった。怖いもの見たさはあったので、オロモウツにあれば話の種に見に行っていただろうけど。
 その後、オロモウツに来て、日本語のできるチェコ人と話す機会が増えて、こちらのイメージするデパートと、チェコの人のイメージするデパートはかなり違っているのではないかという印象を持った。「obchodní dům(オプホドニー・ドゥーム)」「nákupní středisko(ナークプニー・ストシェディスコ)」「nákupní centrum(ナークプニー・ツェントルム)」など、日本語のデパート、ショッピングセンターなんかに対応するチェコ語はいくつかある。

 その中で一番デパートに近いのはオプホドニー・ドゥームだろう。上のビーラー・ラブテュもチェコ語でそう呼ばれているし。ただ、オロモウツにも、「コルナ」というオプホドニー・ドゥームがあるのだけど、これがデパートというにはちょっとあれな存在で……。チェコには、少なくともオロモウツにはデパートはないと断言してきた。シャントフカも、ガレリエ・モリツもデパートというにはちょっとね。
 それで、久しぶりに黒田龍之助師の『その他の外国語エトセトラ』を読んでいたら、プラハのデパートが登場した。それが「Kotva(コトバ=碇)」である。ここが多分チェコで一番有名なオプホドニー・ドゥームなのだが、外から黒い外壁は見たことがあっても、中に入ったことはない。それなのに、チェコに(日本的な)デパートはないと言いきってしまうのは、よくないよなあなどと考えて、先日プラハに行った際に、帰りの電車まで時間もあったので、足を向けることにした。

 プラハの旧市街広場からもほど近いところにあるというのに、きわめて現代的な建物であるという点では、ブルタバ川沿いの「タンチーツィー・ドゥーム」と似ているが、こちらの方が周囲に溶け込んでいるような印象を与える。共産党政権時代の、それも1970〜75年という正常化の時代に建設された建物は、正面から見るとでこぼこのある特徴的な形をしている。オロモウツにあったプリオールとの違いを言うと、外面にガラスがふんだんに使われているところだろうか。壁の黒といい、むしろ新しくなったガレリエ・モリツを思わせるところがある。共産党の時代の建築というのも、なかなか侮れないのである。
 中に入ると、日本のデパートよりも狭いけれども、雰囲気は似ている気がした。一応1階だけでなく、4階ぐらいまでエレベーターで上がって確認したところ、これならデパートと言ってもいいかなあという印象を持った。コトバがいろいろな商品の売り場を設けているのではなく、いろいろなブランドがテナントとして入っている点では、他のところとあまり変わらないのに、なんでだろう。

 ということで、時間もあったし確認のために、近くにあるパラディウムというショッピングセンター?にも入ってみた。それで気づいたのが、コトバはテナントとテナントの間が壁で仕切られておらずフロア全体を見通せたことだ。それに対して、パラディウムやシャントフカなどはそれぞれのテナントが壁で仕切られた閉鎖的な構造になっていて、一度中に入ると隣の店の様子は見ることができない。だからデパートだとは思いにくかったのか。
 コトバのテナントの中には、商品の陳列がまばらでちょっと空虚な空間を作り出しているところがあった。それを見てオロモウツでも壁の仕切りのないところを見たことがあるのを思い出した。ただその店にはテナントが一軒、もしくは売り場が一つしかなく、残りは床がむき出しになっていたから、デパートだなんて思えなかったのだ。今もあるかなあ。

 つらつらとチェコのデパートについて書いてきて、日本でもデパート論争があったのを思い出した。東京なら三越とか高島屋なんかは、何の問題もなくデパートと認識されていたし、田舎に行けば田舎の地元にしかない老舗のデパートが存在したものだ。問題は、全国チェーンのスーパーからデパートっぽくなったダイエーとか、西武デパートのの子会社の西友なんかで、この手の境目にある店をデパートと認識するかどうかは、個人差があった。それで、デパートかどうかで飲み屋で論戦をして、互いに田舎者とか言い合っていたんじゃなかったか。

 デパートは百貨店ともいうが、昔川崎の南部線沿いに住んでいたころよく買い物をしていた古本屋が「○○百貨店」の中に入っていた。「○○」には駅名が入るのだが、どこの駅だか思い出せない。とまれ、その百貨店というのが、街の外れの農地の一角にある平屋の建物で、戦後すぐの闇市の時代から続くと言われても信じてしまいそうなトタン屋根のバラック風だった。入り口には花屋ともう一つお店があって、奥に古本屋が入っていたのかな。最初は気づかなかったのだが、ある日「○○百貨店」とあるのを見て愕然とした。
 これが百貨店で、つまりはデパートなら、チェコの田舎の村にある、いろいろな商品を売っている小さなお店「smíšené zboží」もデパートでいいような気もしてきた。でも、オロモウツのコルナもデパートでいいやとは言いたくないから、言葉へのこだわりってのは度し難いものである。
2020年1月26日24時。









2020年01月27日

プラハにて(正月廿四日)



 先週の土曜日にプラハに行ったときのことを、まだ全部書いていなかった。プラハに行ったからといってそのときの話を書かなければらないということはないのだが、ネタに苦慮する昨今、こういう機会は有効に活用しないともったいない。その結果、冗長で内容の薄い記事なったり、すでにどこかに書いたようなことの繰り返しなったりするかもしれないが、もともと大した内容のある記事なんて書いていないし、このブログの記事を通読するなんて頭の痛くなることをする人もいないだろうから、気にしないことにする。
 久しぶりに乗ったレギオでは、担当路線が増えて人員が不足して乗務員の担当する車両が増えたのか、今までよりもあわただしい感じで御用伺いに来ていた。いつもはもらえていた大き目のクッキーそれをプラハ駅に近づいたら食べようなんて計画していたのに、もらえなかったので空腹を抱えてプラハのトラムに乗る羽目になってしまった。ただでさえ遅れていくのに、駅で買い物をして遅れを大きくする気にはなれなかったのである。

 雪の予報も出ていたというプラハは、ぱらついた小雨がやんだばかりという感じで、オロモウツよりもかなり暖かく、着ていた服で寒すぎるとか暑すぎるということはなかった。トラムも時間通りに運行し、予定通り30分ほどの遅れで、ブルタバ川対岸の所定の場所に到着した。これはレギオがオロモウツの時点であった遅れを取り戻して、プラハの駅に時間通りに到着してくれたおかげでもある。
 以前は、一度遅れ始めるとずるずると遅れが大きくなることはあっても、小さくなることはなかったのだが、最近は路線改修や機関車や客車の刷新のおかげか、たまに遅れがなくなることがある。ネットで遅れが出ていることを確認してのんびり駅に向かうと時間通りに到着してあせることもある。さすがに時間よりも早く出発してしまうことはないから、そこは安心なのだけど。

 プラハ行きの目的だった集まりが終わった後、昼も過ぎたということで何人かで昼食に出かけた。日本人が多かったせいか、アジア系のレストランに行くことになり、あれこれあってベトナム料理の店に入った。メニューを見て選びながら驚いた。何でみんな日本人なのにそんなにベトナム料理に詳しいんだ? メニューにアルファベットで書かれたベトナム語と思しき料理の名前をカタカナで発音しながら、あれがいいこれがいいと言っている。えっ、ベトナム料理の名前って日本では常識になってしまったのか。
 こちとら日本料理以外で現地風の名前で覚えているのは、中華のクング・パオしかないぞ。と書いて、これが本当の中華料理ではなく、チェコでチェコ風に改造された結果誕生した料理だという説があるのを思い出した。どんな料理かと言われても言葉で説明できるほどには覚えていないのだが、チェコの中華っぽいお店にはたいていあって、食べられないほどまずいものが出てくることはほぼない。だから、困ったときにはこれなのである。
 結局、料理名ではなく料理の説明を読み込んで、チャーハンぽい料理を頼んだ。メニューに書いてあった通り、パイナップルの切り身(?)が入っていたのにはちょっと驚いたけど、また来たいと思えるほどに美味しかった。自分でプラハでこんなお店にたどり着けるとは思えないから、やはり先達はあらまほしきものである。

 店内は料理の煙でいい匂いが漂っていて、食欲をそそった。ただ、この手の料理の匂いというのは、そのときはよくても服に染み付いて後が大変なんだよなあと考えて、禁煙席すらなかった昔のチェコのレストランを思い出す。特にビールを飲む人の多い飲み屋では、冬になると窓も締め切るので、白い煙がもうもうと立ち込めて入るのをためらうほどだった。90年代初めの日本の居酒屋も状況は大差なかったのだけど、あのころは若さゆえか、鼻が悪かったのか、服に染み付いたタバコの匂いなんてあんまり気にしなかった。
 その後、禁煙席と喫煙席を分けたり、昼食の時間帯だけ全席禁煙になったり、徐々にレストランや飲み屋での喫煙に制限がかかるようになり、最近全面禁煙が導入されたのだが、一番よかったのは分煙の時代の、喫煙席の空調がしっかりしていて煙がまったく禁煙席に流れてこないようになっているレストランだった。現在の全面禁煙は、店の中は問題ないのだが、店の前でたむろしてタバコを吸っている連中が多くて出入りの際に邪魔になる。

 この路上での喫煙は、以前もなかったわけではないが、全面喫煙の導入によって格段に増えた。この日、昼食の後、帰りの電車の時間までちょっと街をふらついている間にも、歩道ではた迷惑にも喫煙している集団に何度もぶつかって、わずらわしいことこの上なかった。オロモウツ程度の人出ならまだしも、人ゴミと呼ぶにふさわしいレベルのプラハの雑踏では、歩きタバコの多さもあって危険ですらある。
 それにこの手の路上喫煙者はマナーもよくないので、路上にタバコの吸殻が散乱して景観を汚す原因にもなっている。その清掃にはまた無駄なコストがかかるのだから、喫煙者は路上に追い出すのではなく、喫煙所を設けてそこに押し込めるのが一番いい。日本でもオリンピックに向けて全面禁煙とか言ってたけど、街の柄が悪くなって汚れが増えるだけだからやめたほうがいいと思う。一番いいのは今からでもオリンピックの開催を返上することだけど、そんな気骨のある日本じゃないしなあ。

 ということで、またまたプラハでしょうもないことを考えたというお話である。
2020年1月24日24時。













2020年01月02日

かきつばた(十二月卅日)



 和歌の表現技法の一つに折句というものがある。5・7・5・7・7のそれぞれの最初のかなを並べると一つの言葉になるというものだ。いや五文字の言葉を各句の先頭に置いて歌を詠むといった方がいいか。とまれ折句が使われた歌として最も有名なのは、『伊勢物語』に登場するこの歌だろう。わかりやすいようにひらがなで分かち書きする。

 からころも
 きつつなれにし
 つましあれば
 はるばるきぬる
 たびをしぞおもふ

 歌の意味はと言われると、枕詞、掛詞、縁語などなど和歌の修辞技法をこれでもかというぐらい詰め込んだ技巧的な歌なのでよくわからないと言いたくなる。いやわからないわけではないのだけど、一般的な解釈とは違うイメージが付きまとっていて、高校の国語で勉強したような解釈をするのを妨げている。

 そのイメージというのが、着物を、着物でなくてもいいけど、服を長い間着続けているうちに、素材の布がこなれて着心地がよくなったという、和歌の題材としては雅さのかけらもない、実もふたもないものである。そういう含意もないわけではないだろうけど、序詞的に歌の本題を導き出す部分である。
 本来ならば、「はるばる来ぬる」で、遠くまでやってきたことを慨嘆する部分も、「着ぬる」と解して、長い間繰り返し着続けてきたと読めてしまう。長い旅の間に何度も洗濯して同じ部区を着るのである。でも、本来は遠くまで旅をしてくる間ずっと同じ服を着続けているわけだから、序詞の部分はこちらのイメージよりも小汚いものになるのか。

 それはともかく、以前はこの歌を読んでもこんなイメージになることはなかったと思うのだけど、なぜかと考えて思いついたのが、一枚のTシャツである。違う、正確にはこのTシャツを着るたびにこの歌を思い出してしまうのである。

 チェコの水は大半は硬水である。そのせいか、洗濯をすると服の生地がごわごわになる(ような気がする)。それでだと思うけど、チェコの人たちは、ワイシャツやハンカチなんかだけでなく、Tシャツや下着にまでアイロンをかけることが多い。アイロンをかけたほうが着心地がよくなるなんてことを言っていたかな。
 もちろん日本でも、Tシャツや下着にアイロンをかける人はいるのかもしれないけど、自分ではかけずに、アイロンが必要なものは全部クリーニングに出していたから、チェコでほとんど何にでもアイロンをかけるという話を聞いたときには驚いたものである。こちらとしては、特に着心地なんて来にしないから、ワイシャツの下に下着として着るようなTシャツは、アイロンをかけてもらわないことにしている。

 それなのに、ある一枚のTシャツだけは、生地が妙になれていて、洗濯をしてもごわごわにならず、アイロンをかけずとも、しわもなく軟らかくて着心地のいい状態になっているのである。十何年も前に日本から持ってきたもので、同時期に買った服の多くは、穴が開いたり襟の部分が擦り切れていたりと廃棄寸前になっているのだけど、これだけはうまい具合に全体的に生地が薄くなっているのか、穴もなければほつれもなく、着心地までよくなっている。
 不思議なのは、色が違うだけで他はまったく同じTシャツの場合には、生地がごわごわしていて、着心地がよくなったとは言えないことである。着た回数と洗濯した回数が足りないのかと、最近では重点的に着ているのだけど、まったく変わらない。なんでだろう。

 それはともかく、このTシャツを着るたびに、このかきつばたの歌を思い出してしまうという、チェコ時間で新年初日の投稿にはふさわしくないしょうもないお話であった。ちなみに歌の主題よりも序詞の部分のイメージが強い歌と言えば、百人一首にも入っている「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を独りかも寝む」もそうだなあ。こちらは、最期の句の「かも」が、鳥のイメージを強調するのがいけないのかな。
2019年12月31日24時。










タグ:古典 和歌

2019年12月19日

ブルマン発見(十二月十六日)



 80年代から90年代はじめの日本には、日本ではコーヒー文化がいびつな発展の仕方を遂げていて、他の国ではありえないようなものが存在しているなんてことを主張する人たちがいた。当時はまだ今ほど気軽に海外に行くような時代ではなかったから、その主張を信じるしかなかったのだが、日本独特であることがいいことなのか、悪いことなのかは判断できなかった。
 そんな「外国通り」の人々が主張していたことの中に、「ブレンド」なんてコーヒーは日本の喫茶店にしかないと言うものがあったと記憶する。他の国のことは知らないが、2000年ごろにチェコにきたとき、確かにブレンドは存在しなかった。当時はまだ共産党独裁時代の名残で、コーヒーといえば、お湯をかけるだけのチェコ風トルココーヒーで、ネッスルのインスタントコーヒーがネスカフェとして堂々とメニューに載っていた時代だから、喫茶店らしい喫茶店がなかったのも事実だ。

 その後EU加盟などで、チェコの西ヨーロッパ化が進み、さすがにネスカフェをメニューに載せているような喫茶店はなくなったが、トルココーヒーは今でも一定の人気を誇っているようで、メニューに残している店が多い。西ヨーロッパー風の小じゃれた喫茶店は増えているが、確かにブレンドをメニューに載せている店はない。しかし、ないのはブレンドだけではない。コーヒー豆の産地や銘柄を指定したコーヒーもないのだ。あるのはエスプレッソ(ただしチェコ風が多い)、カプチーノ、ラテなどの淹れ方、飲み方の区別であって、豆の区別ではない。
 考えてみれば最近のチェコの喫茶店は、飲み屋がビール会社によって囲い込まれているのと同じで、コーヒー会社によって囲い込まれているところが多い。自分の店で豆を選ぶのではなく、コーヒー会社が提供する豆をそのまま使っている。ということは、チェコの喫茶店にはブレンドがないのではなく、ブレンドしかないのである。そのブレンドを使って、いろいろな淹れ方のコーヒーを提供しているのがチェコの、そして恐らくヨーロッパの喫茶店だと言えそうである。

 では、ブレンドや、銘柄指定のコーヒーがまったくないかというとそんなことはなく、オロモウツにも何軒かあるコーヒー豆を焙煎して販売するお店では、ブレンドも含めていろいろな種類の豆を買うことができる。そしてこの手のお店には、喫茶店や立ち飲みのできるスペースが併設されていることが多いので、同じエスプレッソでも豆を指定して注文することができる。
 うちで行きつけにしているコドーでは、お店で飲めるコーヒーは毎日二種類提供しており、注文するときには、まず豆を選んでから淹れ方を指定することになる。二種類のうちの一つはコドーブレンドで、もう一つは販売している豆の中から選ばれることが多いのだが、普段は店の豆の販売リストに載っていないような特別な豆が提供されることもある。その場合には淹れたコーヒーだけでなく、豆も買えるのがありがたい。時間帯によっては残りが少なくて買えないこともあるけど。
 ちなみにコドーでは、以前よりは減ったけれども、常に10種類以上の豆が買えるし、ブレンドも一種類だけではなく三種類提供している。今は二種類に減ったのかな。でもパラツキー大学のアンテナショップに特別なブレンドを提供しているから三種類買える点では変わらない。自分でも自宅ではいろいろな豆を代わる代わる飲んでいるけど、職場ではコドーブレンドを愛飲している。

 日本で最高級のコーヒーというと、名前が上がるのがブルーマウンテンである。喫茶店で飲んでも他のよりもはるかに高かったし、豆を買う場合にも倍の値段ではきかななかったと記憶する。日本で行きつけにしていた豆屋では、他の豆と比べると分量が半分以下で値段は倍以上だったかな。入れてくれる袋もブルーマウンテン専用の金色の見た目が豪華な奴だったし。
 このブルーマウンテンについても、ありがたがるのは日本人だけだなんて話が昔はまことしやかに流れていた。こちらについてはコドーが開店してからも見かけなかったし、他の豆を焙煎しているお店でも見かけたことがなかった。コドーで期間限定で提供する豆の中に、何とかマウンテンというのを見かけたときには、これかとも思ったのだが、全然別のものだった。それで、ブルーマウンテンというのは、日本で販売するためのブランドなのかなと納得していた。

 それが、今日なくなりかけた自宅の豆を補給するためにコドーに寄ったらカウンターの前に行列ができていた。並びたくはなかったので、出直そうと一度店を出たのだが、その時に、日替わりコーヒーの銘柄がブルーマウンテンになっているのに気づいた。一杯なんと68コルナ。プラハでなら普通のエスプレッソでもこのぐらいして不思議はないが、オロモウツでは見かけたことのない値段である。コドーでは普通のコーヒーなら20コルナちょっとで飲めるわけだから3倍の値段である。
 ブルマン好きの日本人の端くれとしては、これは買わずばなるまいと店内に引き返して行列に並んだ。豆が買えなかったら店内で飲んでもいい。幸い買うことはできたのだが、値段が……。100グラムで500コルナ。300ぐらいかなと予測していたのだけど驚きの高さである。普通に売られている豆で一番高いのが70コルナちょっとだから、約7倍である。

 店の人の話では世界で二番目に高いコーヒーで、そんなに量がたくさん入ったわけではないので、一人当たりの販売量を200グラムに制限しているのだとか。コーヒーに一度に1000コルナも出す人はなかなかいないだろうなあ。自分でもひよって100グラムしか買わなかったし。銘柄は忘れたけど、前回買った特別に高いのは、100グラムで100コルナちょっとだったかなあ。
 まあ、せっかく高い金を出して買ったのだから、週末辺り時間をかけていろいろな方法で飲んでみようか。ちょっと危険なのは、ドリップ専用の注ぎ口が細いポットがほしいなんてことを考えてしまっていることである。日本にいるときには、そこまで細かい味の違いなんてわからないのに、勢いで買ってしまったからなあ。

 日本のコーヒー文化に関する伝説は、伝説でしかなかったのである。冒頭の「外国通り」というのは誤記ではなく、漢学者の宮崎市定氏の著作に出てくる表現をもじったものである。
2019年12月17日9時。












2019年12月15日

初雪?(十二月十二日)



 ブルノに行かなければならなかった十二月朔日あたりから冷え込みが強まり、冬が本格的にやってきて寒さに震えていたのだが、その後、また気温が上がりほっと一安心していた。今週の火曜日までは比較的暖かかったのだ。それで、水曜日も天気予報を確認することなく、そんなに寒くなることはあるまいと、比較的薄着で、とはいえ下着から上着まで4枚重ねたけど、出かけた。
 家を出た瞬間に失敗したかなと思ったのだが、わざわざ引き返して一枚余計に重ねるのも面倒だと、そのまま職場に向かった。歩いている間は体を動かすので、そんなに寒いとも思わなかったのだが、職場について、自分の身体が冷え切っていることに気づいて、頭を抱えた。熱いお茶を飲んでも、コーヒーを飲んでもどうにもならず、久しぶりに寒さで頭が痛くなるという体験をした。

 これまでは、寒さで頭が痛くなるのは、気温がマイナス二ケタまで下がるような寒波に襲われたときだけだったのだが、今回は完全に自分の油断のせいである。厚着をして歩き回ると汗をかきそうになるのがいやで、寒すぎもせず汗もかかない、ぎりぎりの服装を狙うのだけど、成功よりも失敗のほうが多い気がする。服装だけでなく、帽子が薄めのものだったとか、マフラーを巻かなかったというのも失敗の原因になっている。

 だから、今日は同じ失敗を繰り返さないように、シャツの下の下着から暖かいものに替え、ズボンの下にもチェコ風の股引を履き、靴もごつい冬靴で出発した。毛糸の帽子は被ったけど、マフラーは忘れた。去年おっちゃんの店で買った新しいハーフコートは、マフラーを巻きにくいのでついつい省いてしまう。それでも、職場に出かけるときは問題なかった。今日は完璧な選択だったと思わず自画自賛してしまったぐらいである。
 昨日のように冷え切った体で調子が上がらないということもなく、6時過ぎまで仕事をして職場を出ると、冷たいものがそらから落ちて来ていた。一つ一つは手のひらの上で融けてしまうようなものだったが、雪、もしくは雪のなりかけで道路の表面はシャーベット状のものに覆われて気を付けないと滑りそうだった。

 これまでも、雪っぽいものがちらついたことはあったが、地面に積もりそうなレベルでの雪は今日が最初じゃないだろうか。昨日も窓に白っぽいものがあったような気もしなくはないけど、寝ぼけていたので、なかったことにする。とまれ十二月中旬に初雪、今年はかなり遅い方である。初雪が遅いからといって冬が寒くならないとは限らないのが困ったものだけど、水不足にならないように雪はたくさん降ってもいいけど、気温は−5度ぐらいまででおさまってくれないかなあ。
 徐々に気温が下がるのなら、体を慣らしていくこともできるのだけど、チェコの気温の変動は急激だから、体が悲鳴を上げることになる。水曜日も前日から一気に十度ぐらい下がったわけだし、またまた耐えるべき寒さがやってくる。以前は、冬になると厚着をしたままお店などに入って暖房の強さに汗をかいて、そのまま外に出て汗が冷えてしまって風邪をひくというのを繰り返していた。近年はそんなことがなくなった分だけ、チェコの冬になれたということなのだろう。

 今年は十月の始めに「冬来たり」なんて文章を書いているけれども、そこから再び気温が上がって二か月近く、割と過ごしやすい冬の始めだったのだ。天気予報によると来週はまた気温が上がるという話だから、完全に凍り付くような冬がやってくるのはもう少し先なのかもしれない。そんな厳しい寒さが来るのが一日でも遅く、寒い日が一日でも少ないことを例年通り祈っておく。水不足はいやだから雪はたくさん降ってもいいことにしておこう。
 昨日は、すでにトラムの路線の改修も終わってうちの近くまでトラムが走るようになっていることもあって、久しぶりにトラムに乗ろうと思って切符を買った。それなのに、停留所まで行くと、うちのほうまで行くやつが出たばかりで、次のが来るまで10分以上もあったので、この寒さの中で待ってはいられず、いつも通り歩いて帰ることになった。そして今日もまた時間の関係でトラムに乗らずに歩いて帰った。冬休みの始まる来週の末まで、寒さに負けないでいられるだろうか。いや、もうほとんど負けてはいるのだけどさ。
2019年12月13日11時。










タグ:愚痴 日記的

2019年11月03日

よしなしごと(十一月一日)



 まとまった文章を書く気になれないので、日記ではないけれども、最近のできごとをつらつらと書き連ねてみよう。『枕草子』ではないけど、日記的章段というやつである。たまには難しいことを考えずに、思いつくままかくような日を作っても罰は当たるまい。問題は、普段の文章も、何も考えていないようなものに読めてしまうことだけど。

 さて、すでに十日ほど前になるだろうか。口座を開設しただけで、ほとんど放置してきた銀行からの最後通牒があって、必要な手続きをするために、オロモウツの支店に足を運んだ。EUの個人情報の管理に関する新しい法律のせいで、何らかの手続きをネット上でするようにというメールが来ていたのを、よくわからなかったので放置していたら、郵便での通知がきて、その締め切りが翌々日に迫っていたのだ。
 郵送でも、ネット上での送信でもかまわないと書いてありながら、インターネットバンキングの自分のアカウントには、まともに登録したことがないのでログインできず、郵送で送るための書類には、サインを公証人か、銀行の従業員かの前でして、確認の署名をもらう必要があるというので、年どう臭さを抱えながら出かけることにした。放置したら口座に入っているお金が戻ってこない可能性もありそうだったし、いくらあるかも知らないんだけどさ。

 その支店が入っているのがシャントフカのショッピングセンターで、ついたときには、従業員の数が少ないのか、お昼休み中でしばらく待つ必要があった。ただ待つのも時間がもったいないので、近くのカラのお店に入ることにした。事情があって財布を買わなければならなかったのだ。チェコのブランドなのは確かだけど、お店の人に、念のために本当にチェコで作ってるのかどうか確認したら、チェコだけではなくて、トルコにも工場があるからという頼りない答えが返ってきた。どれがチェコで作られたものかの判別もつかないらしい。
 買い物に際して、チェコに対するパトリオティズムに目覚めた人間としては、チェコのブランドでチェコ製が理想なのだけど、仕方がない。それもこれもグローバリゼーションが悪いのだ。以前も日本のメーカーのをと思ってシャープのテレビを買ったら、日本製ではなく台湾製だったしなあ。チェコの文房具メーカーのコイノールも中国に工場を持っていたから、日本で手に入るのは中国製だったかもしれない。中国の工場は畳んだみたいだけど、他の国にもある可能性は高い。

 それから何日かあとのこと、ここで買わなかったら、ずっと買わないだろうと、懸案だった春秋用の上着を買うことにした。買うのは今年の春にズボンをまとめて何本か買ったピエトロ・フィリッピのネットショップである。一月ほど前にも買おうとしたことがあるのだが、以前は存在した店舗での受け取りというのが消えていたので、配達の時間が合わない恐れがあって買うのをやめたのだった。
 一品だけ買うのはもったいないので、ワイシャツとマフラーも買うことにした。このブランドは、チェコ、もしくはスロバキアで縫製していることを売り物の一つにしていて、ネット上にスロバキア製との表示がなければ、チェコ製だと思っていた。それなのにマフラーは何と中国製。こういう小物は外注しているから仕方がないのかと思って、ワイシャツを見たら、今度はポーランド製。中国よりはましだけどさ。
 救いは、今回の買い物の一番の目的だった、分類上はセーターになっていて、冬場はコートの中にも切ることができそうな上着が、チェコ製だったこと。これまで中国製だったら迷わず返品していただろう。ズボンを買ったときも、チェコ製の方が多いはずだったのに、スロバキア製の方が多かったから、ネット上の表示が完璧でないのはわかっていたけど、ポーランド製はまだしも中国ってのは看板に偽りありすぎじゃないか。

 上から下までOPプロスチェヨフ、つまりはチェコ製の服を着ていた時代の再現を目指しているのだけど、なかなかうまく行かないなあ。マフラーがチェコ製じゃないってことは、靴下なんかも怪しいし。下着に関しては最初ッから諦めているから、完璧に上から下までと行かないのはわかっているんだけど。あ、財布も怪しかったか。うーん。もちろん、チェコ製の服しか買わないというわけではないんだけど、いざというときにはできるだけチェコ製で固められるようにしておきたい。無意味なこだわりだってのはわかっちゃいるんだけどね。やめられないのだよ。
2019年11月1日24時30分。










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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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