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2019年11月01日
夏時間が終わらない(十月卅日)
今週に入って、どうにもこうにも頭が重くてやる気が出ない。なぜかと考えて思いついたのが、夏時間が終わって標準時、もしくは冬時間が始まったことだ。この時間の切り替わりは、春よりはましとはいえ、苦手なので、毎年いつなのか早めに確認して、心の準備をして迎えることが多いのだが、今年は週末はラグビーを見ることしか考えていなかったので、直前まですっかり忘れていた。
土曜日の準決勝を見て、テレビのEPGプログラムで日曜日の準決勝の開始時間を見たときに、あれっと思った。10時からのはずが、11時からになっているのを見て、ああそう言えばと、時計の針を一周戻さなければならないことに気がついた。毎回時間が変わる時期には、表示に混乱が生じるのだ。ビデオの時間も設定しなおさなければならないのか。今年の春は、これをすっかり忘れていて、タイマーで録画したのに、最初の部分が録画できないと言う事態が発生したのだった。
それはともかく、ラグビーである。なんで最終週は土日の開催じゃないんだ。金曜の午前中なんて見られないじゃないか。ヨーロッパ時間で夕方ならともかく、午前中じゃテレビで見られる人も限られていると思うのだけど、本当のラグビーファンなら見るために休暇を取るのかなあ。いや、気づくのが早かったら、自分でもやっていたかもしれない。その意味では気づくのが遅くてよかったとは言えるのだけど。
イングランドに完敗したニュージーランドがどう立て直してくるかが楽しみだったのに。これが北半球同士、南半球同士の試合になっていたら、三位決定戦はそこまで無理してみたいとは思わなかったのだろうけど、準決勝に続いて、決勝も三位決定戦も北と南の対決である。普通ならどちらも旧植民地の南側に勝ってもらいたいと思うところだけど、南ばかりが優勝し続けるのもラグビーにとっていいことかとなると疑問である。準々決勝が終わった時点ではニュージーランドの優勝で決まりだと思っていたからなあ。
とここまで考えて、やはり南の二国を応援することにした。いや、イギリスのチームを応援できない理由に思い当たったのだ。今回の微妙な体調不良の原因である夏時間。例年は秋の時間の変わり目は平気なことが多いから、その証拠に去年までの三年はブログで取り上げていないし、忘れていて心の準備ができていなかった自分が悪いというのもあるのだけど、来年から廃止されると思っていた、思い込んでいた、確信していた夏時間が、来年も継続される可能性が高いらしいのだ。
当初ニュースで聞いていた話では、各国が個別に標準時か夏時間かどちらかを選んで、それを一年中使用するという方向だった。だから、チェコとドイツで一時間の時差が発生する可能性もあったわけだ。肥大化してしまったEU内ではすでに時差が存在しているし、さらに東への拡大を画策しているわけだから、今後域内の時差も大きくなることはあっても小さくなることはあるまい。
それなのに、混乱を避けるためとかで、EU加盟国で話し合いをすることになったらしいというのが最初の問題。確かに好き勝手に選んだ結果、スロバキアが夏時間で、チェコが標準時、ドイツが夏時間なんてことになったら、EU内を国境を越えてひんぱんに移動する人には大変かもしれない。でも、大部分のチェコに引きこもっている人間にはなんの問題もないはずだ。
その協議が順調に進んでいれば、とやかく文句を言う理由もないのだけど、遅々として進んでおらず、来年までに合意に達するめどが立たないらしい。そうなれば当然来年以降も夏時間による時間の変更が年に二回行われることになるのは当然で、来年も三月の終わりに苦しめられるのはすでに確定のようだ。チェコが夏時間を採用すれば、来年から廃止でも来年は苦しむことになるのだが、これが最後だと思えば苦しみも喜びになる。でも、まだ続くとなると苦しみは苦しみでしかない。
協議が進まない理由を考えると、これはもう一つしかない。イギリスのEU離脱がいつまでたっても実現しないのが悪い。現状を見ないでごねまくっているイギリスの国会議員に現実を見せ付けるためにも、EU離脱なんてきれいなものではなく、除名してしまえばいいのに。合意なき離脱はEUにも損害を与えるとは言うけれども、現状の中途半端さに比べればはるかにましである。
それに、EU諸国がイギリスのEU離脱なんて瑣末事に無駄な時間を費やして、懸案中の懸案である夏時間の問題を放置しているのもよくない。毎年EU居住者の大部分に大きな健康被害をもたらし続けている(と誇張しておく)夏時間問題のほうがはるかに重要で緊急性の高い問題であるのは明らかである。これもまたEUの官僚やら政治家やらが、使えないと批判される理由のひとつである。
ただでさえ、寒くなって、日が短くなって、落ち込む要素は満載だというのに、今年の冬は、期待していただけに、例年以上に陰鬱なものになりそうである。土曜の深夜に夏時間が終わったのに、来年も終わらないというこの気持ちの上での矛盾。
2019年10月31日9時30分。
2019年09月28日
なつかしの(九月廿六日)
これもまた昨日の水曜日の話になってしまうのだが、仕事帰りに旧市街のトラム通りをホルニー広場のほうに歩いていたら、どこかで見たことのある後頭が目に入ってきた。頭の形といい、背の高さといい、やせた体形といい、知り合いのような気がする。ちょっと足を速めて前に出て、振り返ってみれば、やっぱりあいつだった。
うちのからまたオロモウツに来ているという話は聞いていたのだ。それがなかったら気づかなかったかもしれないけれども、チェコで一番大きな村とも言われる小さなオロモウツのこと、足を向ける場所は限られているから、いずれは再会できていたはずである。確か去年もどこかでばったり会って、飲みに行こうぜと約束しながら、そのままあいつが帰国する日になってしまったんだった。ほとんど毎年数か月仕事の関係でオロモウツに来ているらしい。
去年は自分で企画したというイタリア映画のイベントに招待してくれたけど、時間の都合がつかなかったので行けなかった。都合の合う時間の映画にはチェコ語の字幕がついていないという問題もあったか。まあ、チェコ語の字幕がついていても、読むのが間に合わない恐れがあるからなあ。イタリア語の海におぼれてしまうよりはましだけど。
そう、我が唯一のイタリアの友人アレッサンドロと再会できたのである。サマースクールで知り合ってすでに廿年近く、会うたびにお互い年を取ったなあとか、年を取るわけだよなあなどと笑いあってしまう。今回も近いうちに昼飯でもと約束したのだけど、どうなるかな。
一緒に通りを歩いていたら、アレッサンドロのチェコ人の知り合いとばったり会って、立ち話になる。三人であれこれしゃべっていたら、我々日本人とイタリア人がチェコ語で話していることに驚かれ、サマースクールで知り合ったんだよなんて話をした。
でも、一番の驚きだったのは、アレッサンドロの息子が、あんなにかわいかった息子のえみ君が、今ではEスポーツの解説者、大会の司会者として働いているという話で、思わず、二人してあれこれ質問を重ねてしまった。自分でもゲームをやっていたけど、選手ではなくて、コメントをする方を選んだらしい。
昔、オロモウツに住んでいたころは、イタリアで日本人のかわいい女の子と出会って、日本語勉強したいなんて言ってたんだけどなあ。それで、日本語の本をあげたんだけど、役には立たなかったのかな。アレッサンドロの話では、Eスポーツは日本と韓国で盛んだから、えみ君は日本にも行って仕事をしたことがあるらしい。日本との縁が切れていなかったことは素直にうれしい。チェコ語は今でもできるのかな?
その後、ホルニー広場まで行って、同朋に会いに行くといって、グランモラビアのイタリアチーズのお店に入っていくアレッサンドロと別れた。今後はオロモウツにいる時間を増やしたいと言っているから、会う機会は増えるだろう。そうすれば、特に連絡など取りあわなくても、いつか一緒に食事をしたり、お酒を飲んだりする機会もあるだろう。
たまに会う機会があれば、酒など度飲み交わしながら、近況を語り合う。これが、懐かしきよき友人との付き合い方なのである。サマースクールの同窓会とか企画してくれんかなあ。
2019年9月26日25時。
2019年09月21日
またまた高血圧(九月十九日)
職場で医者に行って簡単な健康診断を受けてくることを求められた。なんだか嫌な記憶がよみがえってくるのだけど、前回これのために医者に登録して、血圧を測ったら、高い(200とかそんな数値は出ていない)ことがわかって、心臓だの腎臓だのあれこれ検査のたらい回しをされた挙句、毎日降圧剤を飲むという生活を強いられたのだ。薬を飲むのはともかく定期的に医者に通うというのに堪えられず、特に健康に問題もなかったことから、やめてしまったのだった。
以前通っていたときには、青空市場の近くの病院の建物の中に診察室があったのだが、うちのの話では、すでに移転してお医者さんも代わっているという。移転先は英雄広場の近くだからトラムで行った方が早そうである。以前は歩いた方がや微妙に早い場所だった。
チェコは工場などの始業が午前6時と早いが、医者の診療時間も早い。7時か7時半ぐらいに始まって、曜日によっては午前中だけで終わってしまう。午前中早い時間から出かけなければならない。ぼうっとした頭で診察を受けて、これでは仕事ができないなんて診断されたら困るので、行かなければならないことが決まってから、すこしずつ生活のリズムを前にずらすことにした。9時ごろにつくようなタイミングで出られれば最高である。
週末は例によって自堕落な生活で寝る時間もおきる時間も前倒しできなかったのだが、月曜日から少しずつずらして、医者行きを決行したのは今日、木曜日の朝だった。予定よりちょっと遅くて9時に家を出た。患者の数が多くて長時間待たされたとしても12時までかかるということはあるまい。なぜか、多分医者に行きたくないという潜在意識のせいだろうけど、痛み始めた左足を引きずるようにしてたどり着いた待合室にいたのは二人だけ、これならもう少しゆっくり出てくればよかった。
医師の先生のところに行く前に、看護師さんのところで尿検査に、視力、聴力の検査。視力は、近視と近くを見るための眼鏡ってのを混同して、近視用の眼鏡なのに遠視用と答えてしまった気がする。辛かったのは聴力で、横を向いて遠くからささやかれる言葉を聞き取るテストだったのだけど、こういのは母語でやるべきものなのだろう。簡単な言葉が使われていたけど、聞き取れないのもあった。
その後、奥の医師の部屋で診察。最後に計った血圧は、高かったらしい。具体的な数字は聞きたくなかったので聞かなかったけど、これでまた毎日薬を飲む生活が決まってしまった。コーヒーのせいじゃないかとか、この前、薬を飲み始めたときは辛かったとか、いろいろ飲まなくてもいいように言葉を並べてみたのだけど、効果はなかった。
コーヒーは血圧に何の影響もないし、高血圧というのは遺伝性でもあるのだとか。年を取れば高血圧になるのが普通だと思っていたからなあ。だから薬を飲むことになるとは思っていなかったけど。というか父親も高血圧だとか言っていたはずなのだけど、薬飲んでいたかなあ。日本だとどのぐらいの数値から高血圧で薬を飲むことになるんだろう。
薬については、前の先生が出していた薬は強い薬だから、今回は弱いのを出してくれるという。薬を飲んだからといって、何か食べちゃいけない飲んじゃいけないという制限があるわけではないともいうのだけど、何か不安である。前の薬も慣れてしまえば、気にせずお酒を飲めるようになったから、大丈夫かなあ。
保険のおかげで50コルナほどで購入した薬は、一か月分だというのに、二週間分の前の薬に比べると一つ一つの薬がものすごく小さかった。小さくて弱い薬だからといって、不快感をもたらさないとは限らないのが困り物で、明日以降、このブログの更新が滞ったら、薬の副作用のせいである。
早起きに関しては、ラグビーのワールドカップの中継が朝6時ぐらいからあったりもするから、今後も継続することになりそうだ。平日はさすがに午後1時からの試合なんて見られないから、6時からの試合のある日に頑張らないと、ほとんど見られないということにもなりかねない。これがオリンピックなら見ない理由になるから歓迎なんだけど、日本暑すぎるんだから深夜に試合してくれないかなあ。
2019年9月19日24時。
2019年09月04日
夏の終わり(九月二日)
4月だったか、5月だったかに、すでに書いたが、今年は例年以上に気温の上下変動の幅が大きい。6月の終わりから7月初めにかけての連日30度を超える日々が終わり、最高気温が20度ちょっとの日が続いたときには、このまま涼しくなって秋が来るのだろうと、期待したのだが、それから何度も暑さのぶり返しに期待を裏切られ、9月に入って昨日までは、30度を超える真夏日だった。
7月の後半だっただろうか、以前ズボンを何本か買ったEショップから、割引のクーポンが届いていて、しかも麻の夏物のズボンがあったから、暑い日が続いた時期には、このままでは洗濯とアイロンで履くものがなくなるから、買ってしまおうと思っていたのだが、涼しい日が続いてこれなら今年は乗り切れるかもと迷っているうちに、クーポンの有効期限が切れてしまった。
切れてしまった後に、またまた暑い日がやってきて、OPプロスチェヨフの夏物のズボンも、10年以上の時を経て、そろそろ寿命が近づいているし、買っておくべきだったと後悔させられた。やっぱ、買い物苦手だし下手なのである。
休暇中はともかく、半ズボンで職場に出るのは避けたいのだが、節を曲げて来客の予定のない日は半ズボンを履くことで、何とかごまかしていたら、今日突然気温が下がって、最高気温が20度ほどになるという。これなら夏物ではない長ズボンでも何とかなりそうである。上をどうするか考えて長袖のワイシャツを着て出たら、大失敗だった。
気温は大きく下がっても、体感温度はそれほど下がっていなかったのだ。これは7月にあちこち出かけたときにも感じたことだが、気温は低くても、直射日光を浴びると暑いし、風が吹かないと地面や建物から放出される熱で空気が暖められて、涼しさが感じられないのである。特に夜の間に窓を閉め切ってあった部屋の中は、熱がこもっていて、換気をして涼しくなっても、窓を閉めるとまた暑く感じられるようになる。それでも昼間強い雨が降り、夕方風が吹き始めたことで、職場を出て帰宅するころには、長袖のシャツで快適な状態になっていた。願わくはこんな日ができるだけ長く続かんことを。
チェコの夏は、本来は日本だと秋だといいたくなるような涼しい日々が続くはずなのだけど、近年は30度を越える日が増えている。それについて、単に暑いだけでなく、蒸し暑い日も増えていることもあって、チェコは亜熱帯性気候になりつつあるなんてことを言う人もいる。個人的には、全く賛成できず、暑いといってもせいぜい日本と同じぐらいなのだから、もともと亜寒帯だったのが、温帯の気候になろうとしているというほうが正しいような気がする。
8月の半ばに、オロモウツで柔道を教えている知人から、同郷の九州の人が来ているからと誘われて、一緒の夕食を食べに言ったのだが、久しぶりに九州のローカルな話題で盛り上がれて楽しかった。印象に残っているのが、その方が、チェコの夏は昼間は暑くなるけど、朝晩は冷え込むから、「秋んごたる」と仰ったことだ。チェコに来たばかりだったら両手を挙げて、賛成できたのだろうし気持ちはよくわかるのだけど、チェコに慣れてしまった身には、完全には賛成できなかった。
それよりも、久しぶりに田舎の方言、アクセントではなく言葉の違う方言を聞いて、懐かしさのあまり啄木の気持ちがよくわかってしまった。
ふるさとの言葉なつかし
ホスポダの喧騒の中に
そを耳にせり
偽たくほく
「ごたる」は、古語の「如し」がからできた「如くある」が約まった形で、九州全域で使われている方言である。オロモウツの知人も九州の人とはいえ、ふるさとを離れて長いので、二人で話すときでも、方言はなかなかでてこないのである。
さて、天気予報を見ると、これからしばらく最高気温が20度ちょっとの日が続きそうである。さすがに9月の半ばを過ぎて暑さがぶり返すということはないだろうから、夏は終わったと考えたい。そうなると、心配は快適な秋が直ぐに終わって冬がやってこないかということである。9月に雪が降った年もあったしなあ。秋分の日から始まるチェコで言う秋が、「冬んごたる」なんてことにならなければいいのだけど。備えはあまりないから愁えばかりだぞ。
2019年9月2日24時45分。
2019年09月03日
ところ変われば品変わる(九月一日)
たまには気の利いた題名で文章を書いてみようと思いついて、こんな題名をつけたところまではいいのだが、書き始めの時点ですでに失敗が予想されてならない。いいわけついでにこんな書き出しにしてみた。
そもそも、この題名を思いついたのは、9月1日が、第二次世界大戦が始まった日だとして、ポーランドで式典が行われたというニュースを見たのがきっかけである。9月1日といえば、日本なら関東大震災が起こった日で、二学期の始業式で学校に行くと、避難訓練が行われるというイメージだが、ヨーロッパでは第二次世界大戦と結びついている。
今年は、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まってから80年ということで、例年よりもはるかに大きな式典が、ドイツ軍が最初に攻撃を仕掛けた北ポーランドの町と、ワルシャワの二箇所で開催された。北ポーランドの町での式典は、ドイツ軍が攻撃を仕掛けた時間に合わせて、午前5時ぐらいだったか、かなりの早朝に行われていて、驚かされた。
午後からは会場をワルシャワに移しての式典だったが、世界中から40カ国以上の大統領や首相などが参列したらしい。チェコからはゼマン大統領が出かけた。アメリカのトランプ大統領も出席する予定だったが、巨大なハリケーンがアメリカに近づいており、その対策のために国に残り、副大統領が代理で出席していた。
第二次世界大戦を引き起こしたドイツからは、ことの重大さを反映してか、メルケル首相だけでなく、大統領も参列していた。演説をしたのは大統領で、謝罪というよりは許しを求めるような部分がニュースで放送された。これをもとにドイツは第二次世界大戦の戦争犯罪を重大に受け止めていて云々と評価するのは、簡単だけど、その理解は恐らく表層的に過ぎる。なぜ、政治の実権を持つ首相ではなく、政治的には実権を持たない大統領の口からこのような言葉が出てくるのかということを考えると、その謝罪を政府の方針や政策に反映させないようにではないかと思われる。
同じ大統領であっても、アメリカやフランスの大統領の言葉のような重さを持たないのがドイツの大統領なのだ。そう考えると、日本の天皇やイギリスの国王のような象徴的な存在だとも言えるのだが、国民に与える影響力や存在感では比較できるものではない。その首相と大統領の立場の違いをうまく活用してきたのがドイツなのだろう。例のバイツゼッカー大統領の感動的な演説も、首相の口からは出せなかったはずである。
チェコの大統領もどちらかというとドイツの大統領に近いはずだったのだけど、ゼマン大統領が直接選挙で選ばれた大統領であることを理由に、しきりに政府に影響力を及ぼそうとしていて、憲法の規定に違反していると批判されることが多い。今から考えると、大統領選挙の方法が変わった時点で議論しておくべきだったと言いたくなるのだが、当時は選挙制度が変わったから権限も変わるなんてことを考える人はいなかったような気もする。
さて、話を戻そう。日本で第二次世界大戦が始まった日というと、ヨーロッパですでに先端が開かれていたことはわかっていても、どうしても太平洋戦線の12月の日本軍によるハワイの真珠湾攻撃の日が思い浮かんでしまう。この日に日本で式典が行われるなんて話は寡聞にして知らないが、ハワイでは何かやっていそうである。疑問は日本の代表が出席するのかということなのだけど、どうだろうか。
大戦の終わりのほうは、こちらでは5月8日のドイツが降伏した日が重視されて、日本で終戦記念日とされる8月15日なんて、全く話題にも上らない。こちらも重要視されていないとはいえ、ヨーロッパの人にとって太平洋戦争が終わったのは9月2日なのである。
2019年9月1日24時30分。
2019年07月19日
健全な生活のために(七月十七日)
去年の夏は、早寝早起き、午前中から活動をする健全な生活を取り戻すために、久しぶりにチェコ語のサーマースクールに通った。サマースクール中は確かに健全な生活ができたけれども、終わったら元の木阿弥で自堕落な生活に戻ってしまったのはいい笑い話だった。今年は夏の休暇の間だけで言いと割り切ることにした。怠け者の節句働きと言わば言え、午後遅くまで仕事をしていると、朝が弱くなってしまうのだよ。
さて、今年は何をしようと考えて、ここ最近、行ってみるべきだと思った町が増えているのを思い出した。大モラバの遺跡なんか、昔から行ってみたいと思っていながら、いつの間にかすっかり忘れていた。去年ウヘルスケー・フラディシュチェで乗り換えたときも、暑さと時間の関係で、遺跡のあるところまで足を伸ばせなかったし、今年は七月に入ってそんなに暑くない日が続いているから、あちこち歩き回るのもそれほど苦にならないはずだ。
運動不足の解消のためのあって、普段から仕事には歩いて通っているのだが、七月に入って毎日の歩く量を少しずつ増やしてきた。その結果、ある程度長距離歩いても問題のない靴が一足しかないことが判明してしまった。ランニング用のシューズは歩きやすくはあるのだけど、サイズがきっちりしたものなので、長時間歩くには辛い。
せめて二足を交互に履きたいということで、歩き回るための靴を探し始めた。始めたんだけどなかなか決められない。最初はアウトドア用とか、スポーツ性の高いものを買おうと考えていた。最大の問題はサイズで、普段履きの靴は40に中敷を入れて履いているのだが、せっかくアウトドア用を買うなら39が欲しい。しかし、ないのである。39どころか40がないのも多くて、これ欲しいかもと思ったものの大半は買えなかった。買う意味がなかったというほうが正しいか。もちろん女物ならあったけど、ピンクとか入ったあからさまに女物というのが多くて……。
悩みに悩んで、結局いつものCCCで、いつものLanettiのスニーカーっぽいのを選んだ。CCCでは、アディダスなんかのスポーツブランドの靴も扱っているけど、サイズが合わず、CCCのスポーツ系のブランドであるSprandiは、ブランドのマークが目立つのばかりで、食指をそそれられなかった。40がないというのも問題だった。足が小さいというのも生きにくいものなのだよ。
今回買ったのは、ちょっと大き目の40で中敷を使うことになる。一応外歩き用の靴らしいし、その中に歩き回ることが含まれているかどうかは知らんけど、靴底がちょっと硬いかなというの以外は、デザインも落ち着いているし、満足している。
次に考えたのが、リュック以外のバッグが欲しいということだった。去年買ったリュックには、特に不満もなく毎日のように使っているのだけど、もう少し容量の小さいものが欲しくなった。リュックにあれこれ詰め込みすぎてどこに何があるのかわからなくなることがよくあるので、最初から余計なものが入れられないようなのにしようと考えたのだ。
こちらはあてがあった。以前例のおっちゃんの店でポロシャツを買ったときに、よさげなバッグを見つけていたのだ。そのときおっちゃんが、こんなのもあるぞと次々に見せてくれた中に、ちょうど肩にかけていた小さなバッグの色違いがあって、「ごめん、これここで買ったんだけど、色違いはいらんわ」と言ったら、お店にいたもう一人の店員のおばちゃんが大笑いしていた。客のことは覚えていても、その客が何買ったかまでは普通は覚えてねえよな。一年も前の話しだし。
靴を買うついでに、おっちゃんの店に行ったら、おっちゃんはいなくて、おばちゃんがお客さんの相手をしていた。そのお客さんが選び終わって支払いを済ませる間、何をしていたかというと、悩んでいたのである。色が、黒と、白っぽいのと二つあって、うじうじと悩んだ挙句に、白っぽいほうを選んだんだけど、正しい選択だったかどうかわからない。夏だから黒だと光を吸って熱くなりすぎるんじゃないかというのが理由だったしね。
ちょっと驚いたのは、おばちゃんもこちらの顔を覚えていてくれて、常連割引ねなんて感じで、安くしてくれたことだ。申し訳ないのでこの前もらった靴下も買ってきた。安服屋の靴下は普通に履く分には快適なんだけど、長時間歩くのにはあまり向かないからちょうどいい。おっちゃんからもらっていなかったら気付いていなかったんだけどね。
さて、肝心のバッグの使い具合はというと、現在のところチェコ語の「ニッツ・モッツ」である。これはバッグがどうこう言うよりは、こちらが使い慣れていないのがいけない。次はもうちょっと何をどうやって入れるか考えるぞと決意して、この稿を閉じることにする。リュックのときもそうだけど、ポーチというかポシェットというか、肩掛けの小さなバッグをどうするかも問題なんだよなあ。
2017年7月17日23時。
タグ:買い物
2019年04月30日
日記風に昨日のことを(四月廿八日)
所用で今年二回目のプラハ行きである。七時半にうちを出るのに、五時半なんて時間に起きてしまうのは、日本にいたころを考えると信じられない早起きである。かための服を着ていったほうがよささそうだったので、例のOPプロスチェヨフのスーツを引っ張り出した。十年以上前に買ったものとはいえ、ほとんど袖に手を通していないので、まだまだ問題なく着られる。体形が変わっていないのは、この年になると喜んでいいんだよな、多分。
どうせならということで、ワイシャツも、下着代わりのTシャツも、上に重ねたハーフコートも全部、よれよれになりつつあるOPプロスチェヨフのものにしてみた。知人に自慢するつもりだったのだけど、危惧していたとおりわかってもらえなかった。ほとんどみんなスーツを着てネクタイを締めている中、自分だけネクタイをしていない理由として、OPプロスチェヨフのネクタイがなくてという言い訳を準備していたのだけど、披露する機会もなかった。残念。
朝のプラハ行きに利用したレギオジェットは、普段より長めの九両編成で、八号車に席を取っていたのだが、事前に八号車と九号車を入れ替えて、八号車が末尾の車両になるという連絡がメールとSMSで届いていた。駅についた時点で10分遅れの表示。15分ぐらい遅れそうである。チェコの鉄道は、駅での表示では5分までの遅れはなかったことにするから、5分の遅れと表示があれば、5〜10分の遅れだということになる。ネット上のidosに示される遅れ時間は正確なことが多いけど。
いつもどおりビジネスのある車両の2番の座席を予約してあった。この入ってすぐのコンパートメントは、ティハー・ゾーナとして、大声で喋ったり電話したりしないことが前提の席なのだが、先に入っていた二人連れが、ときどき電話で話し始めて正直迷惑だった。この車両担当のお姉ちゃんがいるときにも電話してたのに注意しないのはどうなのかねえ。文句言わなかったのは、二人が外国語で喋っていて、チェコ語が通じるかどうかわからなかったからである。その外国語日本語じゃなかったし。
サービス担当の人はなれていなかったのが手際がよくなく、乗ってすぐに、ジュースとスパークリングワインのどちらがいいか聞かれたので、ジュースをくれと答えたら、どちらもくれなかった。水ももらえなかったし、紅茶とコーヒーはもらえたけど、コーヒーを飲んだ後に、喉が渇いて水が飲みたくなったんだけど、飲むものがなかったんだよなあ。
一番近くのトイレに行ったら、故障中で使えなかった。車両間のドアを開けて隣の車両のトイレを見ると、こちらも故障中。最近レギオの電車はこの手の整備不足のことが多いような気がする。一番快適であるはずのビジネスの席に近いトイレが使えないってどういうことだよ。仕方がないので同じ車両の反対側のトイレに言ってみた。一番後ろの車両になっていたので、後に伸びる線路が見えてちょっとぎょっとしたのはおくとしても、こちらのトイレは使えたけど、床に大きな木の板が落ちていて、大丈夫なのかと心配になる。
用を足して流すためのボタンを押したら、流れるまでに長々と時間がかかった。こわれているのかなと思ったら、上のほうにふたをしてから流すようにと書いてあった。使い方を間違えてしまったようだ。こんなのが積み重なっての故障だったら、乗客の責任でもあるのかな。申し訳ない。
プラハはオロモウツよりも少し気温が低いようだった。もう少し厚着をしてくるべきだったかと嘆きながら、目的のルツェルナへ。大戦間期のチェコスロバキアの映画界の大立者の一人だったハベル大統領の父親が所有していた宮殿様式で建てられた建物で、通り抜けの通路の真ん中に、聖バーツラフ象のパロディがぶら下がっているのが、観光名所になっている。そう、うじゃうじゃと観光客がいて歩きにくいことこの上ない。東京に住んでいたころは、こんなの人ごみとも認識しなかったはずのレベルなんだけど。レギオでクッキーがもらえなくてお腹がすいていたので、途中でビラによってサンドイッチを買う。最近ビラの小規模な店舗があちこちに増えている。便利というべきか。
所用は夕方までかかったので、その後、プラハ在住の知人に会う。こちらが本来の目的で、所用は交通費を出してもらうためにサボらなかったというと関係者に怒られるか。夕食を一緒にと約束していたのだが、帰りの電車のことを考えて駅に入っている飲み屋にさせてもらう。ちょっと申し訳なかった。いかにプラハ‐オロモウツ間の便が増えているとは言え、プラハで9時10時まで飲んで、適当に駅につけば電車に乗れるというわけにはいかない。
S先生からの言付けの著書を三冊いただく。そもそもそのうちの二冊は昨年夏にS先生がチェスケー・ブデヨビツェから送られたのに届かなかったというものである。ということで、チェスカー・ポシュタ(チェコ郵便)の悪口で盛り上がってしまった。最近の日本の大学のわけの判らなさについても、人間学部って何を勉強するんだろうとか、大学改革って高校生の知識レベルが下がってるだけやんとか、気の合う人とお酒を飲みながら話すってのはやっぱり楽しいねえ。電車に乗る関係上、一杯しか飲めなかったのが残念である。
今度は八月にブルノ一週間ぐらい滞在するという話なので、ブルノで飲めるかな。S先生もサマースクール、ブルノって言ってたよなあ。都合のスリ合わせが必要である。
帰りのレギオは何の問題もなく快適だった。ただ、ビールを飲んだせいか何もする気になれず、ネットであれこれ文章を読むことで時間をつぶしてしまった。だから、土曜日の日記めいた文章を、日曜日の日付で月曜日に書く破目に陥っているのである。一度は自転車操業から脱出したと思ったんだけどねえ。
2019年4月29日24時。
2019年04月28日
春は名のみの(四月廿六日)
今年の冬は寒かったので、これにあの懐かしい歌のように「風の寒さよ」とつなげれば、二月初めの立春の後、ずっと感じさせられていた気持ちになるのだが、暦の上での春の終わりも近づいた今日など、「気温の高さよ」とつなげたくなる。最高気温が25度を超えて30度に近づくというのである。これまでも、5月の時点で30度を越えることはあったから、4月末で30度近くという気温自体には、とやかく言うつもりはない。幸いまだ建物が熱を持っていないので、部屋の中はそれほど熱さを感じないし。
問題は気温の上がり下がりが例年以上に激しいことで、天気予報によれば明日の朝の最低気温は5度前後で、最高気温は今日の最低気温と同じぐらい15度前後までしか上がらないらしい。日本に比べて日ごとの寒暖の差の激しいチェコでも、ここまで急激に上がったり下がったりが繰り返されるのは珍しい。実は日本の気候を説明するものではなかったらしい四字熟語「三寒四温」の三寒と四温の間が最低でも10度以上あるというのが、これまで何度も繰り返されてきたのである。
その結果、慣れているはずのチェコ人でも、どの服を着ればいいかわからないとか、着る服を間違えるということがしばしばあるようである。今日も10時過ぎに街を歩いていたら、半袖半ズボンの完全に夏の格好をしている人もいれば、冬物と思しき上着を羽織ったり、抱えたりしている人もいて、季節感のないことこの上なしだった。長袖のワイシャツに上着なしという格好でも、暑くて汗をかいたから、上着を着ていた人は大変だったろうと思う。明日は逆に半袖半ズボンの人が寒さに震えることになりそうである。
チェコ人ですらこうなのだから、外国人が混乱するのも当然のことで、去年の終わりから上着の選択に失敗して寒さに震えたり、逆に歩いている途中で暑くなって上着を脱いで小脇に抱えるなんてことを繰り返してきた。天気予報で予想気温はチェックしているのだけど、風のせいで体感温度がぜんぜん違うことも多いし、ベランダに出て感じるのと、家を出て感じる寒さに大きな違いがあることもある。
春物の上着を着て震えていたのは、あちこちほつれ始めているので、新しい春物を買うぞと自分にプレッシャーをかけるためにあえて着ていた部分もある。だから自業自得ではあるのだけど、ワイシャツの上に春物の上着を重ねて快適という日がほとんどなかったため、買おうというモチベーションは完全にスポイルされて、ズボンとベルトは買えたけど、秋にも着られる春物、もしくは春にも着られる秋物の上着の買い物は、秋に持ち越しということになりそうである。この春で買い物の季節はおしまいにして、しばらく服には目を向けない生活をするつもりだったのに……。
そんな今年の春に、以前日本で会った韓国の日本研究者の言葉を思い出した。「最近韓国では秋が短くなった感じがするんですよ」と言われて、いわゆる地球温暖化の結果が、単に気温が上がるという単純なものではないことを改めて認識したのだった。極端な天候が増えて、春らしい、秋らしい、夏と冬の中間の過ごしやすい日々が減っているのが、温暖化というものの気候に与える一番の弊害なのである。その結果、暑さに疲れ、寒さに疲れ、一年中疲労が抜けないということになる。
昔は、「チェコには夏がない、本当の夏がない」と言っていたのだが、今年はチェコの春がなくなったと言いたくなる。そして「私の春はどこに行ったの、誰が盗んでいったの」なんてことをチェコ語で言ってしまうのである。
さて、日没も近い夕方、昼間の熱気の残る道をうちに向かって歩いていたら、フローラの展示会場の入り口近くで、妙に熱気を感じさせる集団がいるのに気づいた。春のフローラの開催期間中だから、植木を買って盛り上がった集団かとも思ったのだが、集団で写真を撮ったりしていてどうも毛色が違う。よく見たら、近くにオロモウツ事務所を構えるオカムラ党SPDの人たちが、EU議会選挙のための選挙運動の一環だったのか、テントの片づけをしていた。盛り上がりの中心にはオカムラ氏らしき人の姿もあるじゃないか。
暑過ぎたり、寒すぎたりして、春らしさはあまり感じられないけど、やっぱり春なんだなあ。うん。
2019年4月26日23時50分。
2019年01月03日
元日に思う(正月一日)
大晦日の夕方辺りから、そこかしこで花火を打ち上げる音が聞こえ始め、12時ごろを中心に、1時過ぎまで断続的に続く。これが騒音にうんざりするようなヨーロッパの新年で、新年を迎えるという厳かさなどかけらもない。郷に入れば郷に従えで、それに異を唱える気はないのだけど、個々の人々が好き勝手に上げる花火で、毎年怪我人や火事が続出して、救急車と消防車が走り回っているというのに、ほとんど放置されているのはどうなのだろうか。
かつて夜中に行なわれた、オロモウツなど町の新年を迎える公式の花火は、数年前に元日の夕方6時からに変更されたから、その分深夜の騒音は少なくなったとは言えるのだが、特に騒ぎたいとも思えない、とっとと眠りたいと考える人たちにとって迷惑であることに変わりはないし、ペットの犬が花火の音にパニックを起して逃走したりするのも同じであろう。
不思議なのは、この大晦日の大騒ぎについて、地球温暖化防止を主張するグループが批判しないことだ。花火は火薬を燃やしているわけで、直接的に二酸化炭素の排出量の増加に貢献している。それだけでなく、ゴミ回収用のコンテナに火がついて燃えるという事件も毎年何件も発生しているわけだから、新年を迎える際の個人的な花火の打ち上げを禁止すれば、コンテナの火事も減るし、二酸化炭素だけでなく、プラスチックを燃やしたときに出る有害ガスの排出も減って一石二鳥である。
ポーランドでの国際会議に肉料理が提供された結果の二酸化炭素の排出量の試算と、大晦日から元旦にかけての花火による温室効果ガスの排出量の試算を比べてみてほしいところである。市町村などの地方公共団体が公式に行う花火大会まで中止しろなんて野暮なことは言わないし、花火を全面的に禁止しろという気もないけど、危険性の高い打ち上げ花火は生産も販売も禁止した方がよくはないか。深夜の騒音も減るし、打ち上げの失敗での怪我も火事も減るはすである。
安眠を妨害されるのがわかりきっていたから、花火の音が完全に消えるまで起きていたのだけど、そんな馬鹿なことを考えてしまった。いやでも、こっちって強力な花火の販売に対して無頓着というか、以前よりは規制が厳しくなっているのだろうだけど、こんな緩さでいいのかというレベルだし。手に持って使う花火以外は販売禁止でいいんじゃないかねえ。
ところで、数年前まで元日と言えば、大統領が年頭の演説を行い、それをテレビ局が、公共放送だけでなく、民放も、生中継するのが伝統だった。その伝統をゼマン大統領が、クリスマスに行なうように変更したのだけど、今年の、ではなくて去年の演説も、一年に一度、国民全体に対して呼びかけるような演説ではなかったと批判されている。毎週バランドフでソウクプ氏相手に語っているようなことを、ぐだぐだと繰り返したらしい。
このクリスマスの演説は、毎年のように批判されているし、クリスマスに時期を移したのもゼマン大統領の独断なのだろうと思っていたのだが、実はクリスマスの全国民向けの演説を始めたのはマサリク大統領だったらしい。もちろん当時はテレビではなくラジオでの演説だったわけだが、毎年クリスマスに際して演説を中継していた。それが変わったのは戦後共産党政権が成立してからで、初代の共産党の大統領であるクレメント。ゴットバルトだったらしい。その戦後に成立した習慣をビロード革命後の、ハベル大統領、クラウス大統領も踏襲してきたわけだ。
ゼマン大統領としては、演説をクリスマスに移すことで、マサリク大統領への敬意を表そうとしたのだろうが、その事実もアンチ・ゼマン派には気に入らないようである。お前がマサリク大統領について語るななんて事を考えているのかな。これもまた社会が寛容性を失いつつあることの反映なのだろう。ゼマン大統領と、反ゼマン派でマサリク大統領の取り合いをしているのである。
2019年1月1日24時。
この手の花火はどのぐらい危険なのかな。
2018年10月23日
買い物の季節は続く2〈服〉(十月十九日)
靴はスロバキアの会社だったが、服は、これも十年ほど前に、OPプロスチェヨフのものがまとめていくつも買ってあった。オロモウツ市内に一店と、郊外のショッピングセンターのツェントルム・ハナーのあるエリアに一店直営店が出ていて、当時はすでに会社が左前だったせいか、店内の商品のうちかなりの割合のものが、びっくりするような廉価で売られていたのである。ズボン一本200〜300コルナ、ワイシャツ一枚100コルナとかね。
OPプロスチェヨフが完全に倒産して清算手続きに入って直営店が消滅するまでの間、二年ぐらいだっただろうか、しばしば直営店に立ち寄って、あれこれ購入していたのだ。今数え上げて見ると、すべてを特価で買ったわけではないが、ズボンを夏物、冬物全部合わせて7本、ワイシャツを数枚、コートなどの上着も何着か買ったかな。下着としてのTシャツや、夏が暑くなって最近着る機会の増えているポロシャツなどを除けば、このとき買ったものが我がワードロープの中心であり続けてきた。
さすがは、伝統あるチェコ最大の服飾企業の製品というべきか、すぐに生地に穴が開いたり破れたりして着られなくなるというものはなかったのだが、さすがに着続けた年数が二桁に近づくと少しずつ問題が出始めた。特に問題になったのが冬物のズボンで、一本はすでに履けなくなり、二本はこの春までは何とか騙し騙し履いてきたのだけど、さすがに限界で冬物のズボンが足りなくなった。
夏は本当に必要になるぎりぎりまで買い物に行かず、お店の人にちょっと遅いよなんて言われたこともあるので、今回は早めに行くつもりだったのだけど、寒さで体調を壊したりしているうちにすっかり忘れていた。その後気温が上がって、薄手のズボンでしのいでいる間に新しいのを買えばいいやと考えていた。そして或る日と言っても昨日の話だけど、前日と変わらないだろうと薄着で出たら、寒くて凍えそうになった。上はまだセーターをリュックに入れていたので、途中で着込むことで寒さをしのげたのだけど、下が耐えられなかった。とはいえ一度うちに戻ってズボンをはき変えるのも面倒である。
そこで、途中の、今年の夏に半ズボンを買いに入ったときに、ちょうどいいサイズのものがなくて買わなかったお店に入って、おっちゃんに今回はズボン探しに来たんだけどと言ったら、若い人たちが履いていそうなカーキーっぽい色のズボンをこれはどうだと進めてきた。うなぎの寝床のように細長い店の奥は照明がそこまで明るくなくて、色はちょっと違ったかもしれないけど。色合いがいまいちだったのと、ふともものところに装飾が着いているのが気に食わないといったら、別の黒いズボンを引っ張り出してくれた。
次は試着である。これが面倒であんまり服は買いたくないんだよなあと思い出した。とはいえ試着して買っても後で大きさを後悔することがあるのだから、しないわけにはいかない。最初に履いてみたのは、輿周りの大きさは問題ないのだけど、ふくらはぎの部分がきつかった。お店のおっちゃんの話だと、どうもそいうつくりのズボンらしい。伸縮性の高い布で作られているから、慣れるまではきつく感じるかもしれないけど慣れれば、歩き回るときも、仕事で椅子に座っているときも快適だぜと説明してくれたんだけど、ちょっときつすぎたし、今以上に寒くなったらプンチョヒ(ズボン下、もしくは股引)を履くことになるから、少しは余裕があったほうがいい。
ということで、少し大きめのものを出してもらってさらに試着。しかし、考えたらこんなスリムな足にぴったりとくっつくようなシルエットのズボンなんて履いたことがない。いびつな足の形がそのまま浮き彫りになってみっともない姿をさらすのではないかと不安だったが、一本ぐらいは違うタイプのがあってもいいかと購入を決めた。決定的だったのは、丈がちょうどいい長さで短くする必要がないと言うことだったのだけど。これなら、買ったその時点から履くことができる。さすがにお店では着替えはしなかったけど、日が暮れてから職場を出るときには履き替えていた。
これまで、日本でも、チェコに来てからも、ズボンを買うとウェストの辺りは何とか合うのを見つけられても、ズボンよりもはるかに自分の足が短くて、そのままは履けないという短足の悲哀を味あわされてきたのだ。自分の足の長さに合うズボンを買ったのは初めてのことかもしれない。このズボン、脱ぎやすいようにだと思うけど、裾の部分にファスナーが付いていて下のほうを開けられるようになっているから、長さが合わなかったら買えないところだった。
お店のおっちゃんとは、買い物しながらあれこれ話をして、店の上の部屋を、パラツキー大学の韓国語の先生に貸していて、その先生がチェコ語はできないけどロシア語ができるから、ロシア語でちょっと話したなんてことを聞いた。おっちゃんの世代は学校でロシア語が必修だったのだ。そう言えば、この前半ズボンを探したときには、サッカーのシグマ・オロモウツが勝てないねえなんて話をしたんだったなあ。こんな買い物とは関係のない話ができるなら、服を買うのもたまにだったらいいかなと思えてしまう。
それから、こんなのもあるぞと、グレーのハーフコートを引っ張り出して見せてくれた。そういえば、現時点ではまだ着られているけど、毎年酷使している黒のハーフコートも、そろそろ後継を準備しておいた方がよさそうな状況にはあるのだ。それで、もうちょっと寒くなったら買いに来るわと約束して店を出た。かくて次の買い物が決まってしまった。いや、店を出て、このとき着ていた春秋物の薄い黄色のジャンパーの袖の部分がほつれてしまって、これ以上の濫用には耐えそうもないことに気づいてしまったから、その前に秋物のジャンパーかなあ。来年の春まで待つか悩ましいところである。
十年ほど前に一時期にまとめて購入したのが、現在の買い物の山につながっていることを考えると、ずらした方がいいのかなあ。あの第一期買い物の時代は勢い余って黒のベストとかまで買っちゃったからなあ。とまれかくまれ、第二期買い物期はもうしばらく続きそうである。この二日、ちょっと日記っぽいよね。
2018年10月20日22時40分。