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2021年01月04日
去年も今年もまた(元日)
去年も同じようなことを書いたような気もするのだが、いや、二年目以降毎年同じことを書いているかもしれないが、新しい年が明けたからといって特に大きな感慨はない。大学受験を口実に、お年玉をもらうための親戚の集まりに出なくなった高校時代からその傾向はあったけれども、新年だからという理由であれこれ考えたりしたりするのを億劫だと考える怠け者なのだ。
チェコにいると、新年よりもクリスマスのほうが重要視されていて、季節はずれのうるさいだけで迷惑としか思えない花火ぐらいしか、年末年始を象徴するものはない。今年は、もしくは去年は、外出規制、販売規制のおかげで、馬鹿高い花火を自費で購入して怪我や火災のリスクを犯してまで、上げようとする阿呆はいなくなるだろうと期待していた。
大晦日の夕方に、散発的に花火の音が聞こえてきた後、外出禁止が始まる午後九時を過ぎるとぱったりとやんで静かになった。日本と同じで習慣的に見てしまうような番組はあっても、どうしても見なければならない番組、放送が中止されたら困るような番組など存在しないので、熱心に見ていたわけではないけれども、テレビの音声が花火の音に遮られない大晦日というのは久しぶりである。
午後11時過ぎにテレビを消した後は、世界が静寂に包まれ、これで12時前に除夜の鐘は無理だから、教会の鐘が聞こえてきたら厳粛で、年の改まりを感じさせる大晦日になるのになんてことを考えていた。例年は12時過ぎて新年になる前、10時ぐらいから、花火を挙げて騒ぐ人が増え始めるのだが、今年は11版を過ぎてもまったく音が聞こえてこなかった。
これなら花火の音で寝られないということもあるまいと、そろそろ寝ようかと考えていたちょうど12時。突然の轟音で寝ぼけていた眼が覚めた。例年より時間は短かったとはいえ、それから三十分ほどあちこちから花火の音が響いてきた。窓を開けて外を見たら、白い霧が立ち込めていて花火なんか見えやしない。音しかしない花火なら爆竹じゃないか。風情のかけらもありゃしない。
チェコの政府が外出は禁止したものの花火は禁止しなかったせいで、例年は多少は安全を考えてちかくのスーパーの駐車場などまで足を運んでから花火を挙げる人が多いのだが、まともな場合には自宅の庭から、最悪の場合には自宅の窓から花火をあげる阿呆どもが続出したらしい。だから、妙に音が近くて例年以上にうるさく響いたわけだ。
今日のニュースでは、自宅の玄関かどこかで花火を上げていた人が、誘爆させて隣家にまで損害を与えたとか、いくつかの事件を報じていたが、例年よりは怪我などで救急車で運ばれる人の数は少なかったようだ。それでも病院の受け入れ態勢が逼迫している中、酔っ払って花火を上げそこなって怪我をして病院に負担をかける人たちがいたのは事実である。
どうせ何の役にも立たない、何の意味もない花火なのだから、今年の状況を利用して打ち上げ型の物だけでも販売と使用を禁止してしまえばよかったのに。この手の花火はどうせ中国製の低品質のものなのだ。禁止したところで自国の産業に悪影響を与えることはないし、病院や清掃業者の負担を軽減することにもつながるから一石二鳥である。新年を祝う花火が伝統行事だというのなら、それは行政が行う公式行事としての打ち上げ花火だけで十分で、思考力の欠けた酔っ払いに危険物である打ち上げ花火を許可するいわれはない。
環境保護論者が花火禁止を言い出さないのにも不満である。個人用の花火を禁止しても新しいビジネスにつながらないから放置されるのだろうが、火薬の燃焼、使用後のゴミの散乱などを考えたら、環境破壊の度合いは、ゴミ箱にちゃんと捨てる人のほうがはるかに多いファーストフード店のストローよりもひどいことになるんじゃないかと想像する。酔っ払いにまともな片付けなど期待できないのだから。
そして、みちもの動物愛護団体が花火禁止を強く主張しないのにも納得がいかない。花火の音に驚きパニックになって家を飛び出し迷子になってしまうなんて例が続出するのは動物虐待じゃないのか。花火の音と光に野鳥が眠りを妨げられるなんて話もあるし、鶏卵生産施設の一羽辺りの籠の面積を多少広げるなんて意味不明なことをするぐらいなら、打ち上げ花火の禁止を求めたほうがはるかに動物愛護の精神にかなっているはずだ。
ということで、個人用の打ち上げ花火の生産と販売、使用の禁止を主張しない自然保護運動も、動物愛護運動も、支持する気にはなれない。って去年も同じような結論で終わったような気がする。花火に睡眠を妨げられた結果だと言い訳しておこう。
2021年1月2日12時。
2020年12月30日
冬休み終了のはずなんだけど(十二月廿七日)
最後に書いた文章で冬休み中も毎日あれこれ書くに違いないなんてことを書いたわけだけど、その予想は完全に外れた。うちのの実家で過ごしたこの冬休み、かなりの時間を寝て過ごし、文章を書くどころか、持ち込んでいた仕事にも、最近サボっていた『小右記』の訓読の整理にも手をつけなかった。リーダーで小説を読むだけの冬休みになってしまった。「読んじゃ寝」のある意味理想的な生活ではあったのだけど、再読のものばかりだったので、時間を無駄にしたという気分も拭えない。
こんな醜態をさらした最大の原因は、この期間はコーヒーを飲まずに、カフェイン抜きをしようと考えたことにある。初日は、朝飲んでから出かけ、昼食後にも飲んだので、この休み中唯一の建設的な行動であるリーダー四号機の実践投入に成功した。我ながら大げさだけれども、こういいたくなるぐらい二日目以降はひどかったのだ。
二日目は朝食後にコーヒーを飲まずに、読書を始めたら、いつの間にか沈没。気がついたら昼食の時間になっていた。午後も同様にうつらうつらしている間に外は暗くなっていた。次の日からは午前中はコーヒーを飲まずに寝て過ごし、午後は飲んで起きている時間を確保したのだけど、普段でさえ鋭いとはいえない頭の働きは鈍りまくっていて、せっかく持ち込んだノートPCもリーダの充電にしか使わなかった。
オロモウツに戻ってくる前日は、このままではまずいと考えて、午前中も飲んで態勢を立て直そうと考えたのだが、あまり効果はなかった。午前中は何とか起きていられたものの、午後はちょっと気分が悪くなって、読書もせずに毛布に包まって横になっていた。外出もせずにほとんど寝て暮らしていたのだから体調不良になる原因なんてないと思うのだけど、運動不足かなあ。
オロモウツに戻ってきた日は、特に昼寝をすることもなく、気分が悪くなることもなく過ごせたから、冬休み中ということで気が緩んでいたのが、一番の原因かもしれない。とはいえ、猫蹴るのを避けられたというだけの話で、文章を書いたり仕事を進めたりすることができたというわけではないので、完全復活には程遠い。いやそんなことを言っていると、復活するのが来年になりかねないから、明日からは毎日、駄文を書きなぐる生活に戻るぞ。
問題は、ここで言う明日がいつのことなのか自分でも判然としないことなんだけど、とにかくすべては明日からだ。一年の計は、元旦ならぬ明日にありである。明日が元日ってことにはならないと思う。
2020年12月28日17時30分
2020年12月06日
初雪(十二月三日)
つい先日、今年の冬は、チェコの冬にしては暖かく、初雪もまだ降らないために、こちらに来て以来培ってきた季節感が狂って仕方がないなんてことを書いたわけだが、バチがあたってしまった。十二月に入って、気温が下がり始め、朝の最低気温がマイナスになるようになった。そして今日、朝起きたときには寒いと思っただけで、そんな気配はなかったのだが、昼前にふと思いついて外を見たら、雪が降っていた。
降り始めたばかりではなく、かなり降り続いたと思しく、周囲の家々の屋根も地面も道路も真っ白い雪に覆われていた。雪は嫌いだけれども、この雪景色は嫌いではない。しんしんと、この魅力的な擬態語もチェコに来て静かに雪の降り積もっていくさまを目にするまでは、その真価を知らなかったのだけど、雪の降る様子は眺めていても飽きない。それに今年は人通りや車の数が少ないおかげで、積もった雪がきれいなままの状態が長く続くような気がする。
そんなことを考えるのは部屋の中から外を眺めているからで、昼過ぎに職場に向かうのは、雪のせいで億劫で仕方がなかった。幸い粉雪で。路面がべちゃべちゃになっているということもなく、一度解けたものが凍結してつるつるすべるということもなかったのだが、歩きにくいことには変わりはない。雪の中を歩くことを考えて引っ張り出したごつい冬靴を、今年初めて履いたのも歩きにくさに拍車をかけていた。
日本にいた頃は季節によって靴を替えようなんて発想はなかったのだが、こちらで夏に履くような軽い靴を履いたら、冬場は足がとんでもないことになりそうである。靴底も雪や氷で滑りにくくなっているはずだし、それでも滑るけど、雪が降り始めると冬靴は生活に欠かせないものになる。ちょっと重いのが玉に瑕で、一日履いていると足が疲れてしまう。かと言って、夏場と違って職場で仕事靴と称して裸足にサンダルというわけにもいかないしなあ。
気温が下がって雪が降っているということは、服装も真冬仕様に変えるということである。気温が下がった火曜日から、厚手の上着を引っ張り出して着始めた。うちを出たときは暖かくていいのだけど、マスクをしているせいもあって、歩くことで体内に発生した熱が、うまく発散できなくて、職場につく頃には汗びっしょりになってしまう。前を開けて冷たい空気を入れるなどの対策はするのだけどなかなかうまくいかない。
夏場のくそ暑さで汗をかいてしまって着替えが必要というのはまだ納得できるのだけど、寒さに震える冬に汗をかいて、職場に出て最初にすることが着替えというのは納得いかないものがある。放置すると風邪を引きかねないからなあ。チェコで冬場に着るものを選ぶのは難しいのである。だからこそ、選択がうまくいって、寒いと感じることもなく、汗をかくこともなかったときの喜びは大きいのだが、そんなことで喜べるなんて我ながら安っぽい人間だとは思う。
着用が義務付けられて久しいマスクも悩みの種で、職場に付く頃には濡れて冷たくなっている。今後気温がさらに下がったら、冷たいどころか凍り付いてシャリシャリになってしまうに違いない。その不快感を考えたら、多くの人が自主的な規制緩和を始めてマスクの着用を辞めてしまった気持ちもよくわかる。
まだ年も明けず、初雪が降ったばかりだというのに、春が待ち遠しくて仕方がない。何か毎年同じような愚痴めいた話を書いているような気もするけど、初冬の風物詩だということにしておこう。来年も同じようなことを書くなら、できればマスクなしで書きたいものである。
2020年12月4日21時。
2020年12月01日
久しぶりのスーパーマーケット(十一月廿八日)
久しぶりに郊外のツェントルム・ハナーに入っているテスコに買い物に出かけた。非常事態宣言が出てからなら、初めてということにはならないが、確か犬システムの導入と共に、日曜日の営業が禁止され、入店できる人の数が、一人当たりの売り場面積15平方メートルという基準で制限されるようになってからは、初めてである。
これまでは、規制の強化によって土曜日のスーパーマーケットで入り口にできていると報道されていた行列を嫌って、避けていたのだが、営業時間が延長されて時間当たりの客の数が多少は減っていることを期待して出かけることにした。日曜日も営業していた時期でも、土曜日のほうがはるかに客の数が多かったので、多少の不安はあったのだが、幸い杞憂に終わり、行列に並ぶことなく店内に入ることができた。ホームオフィスで自宅で仕事をする人が増えて、平日のうちに買い物を済ませることも多くなっているのかもしれない。
テスコの売り場に入るところには、担当の人がいてタブレット片手に店に入っていく人の数をチェックしていた。恐らくはレジのところでは出て行く人の数をチェックしていて、オンラインで集計して現在店内にいる人の数を管理しているのだろう。ニュースでは、数を数える担当の人を置く余裕がない店では、買い物用のカゴとカートの数で入店者数を管理しているところが紹介されていて、二人で買い物に来た人が、それぞれ一つずつカートを使うことを求められていたのだが、流石は大手のテスコ、そんな変なことはしていなかった。
そもそも、家族で買い物に行くにしても二人までという人数制限があるのだから、一人当たり15平方メートルではなく、一家族当たりにしておけば、こんな馬鹿なことをする店も出なかったはずなのだけどね。子供も6歳以下は数に入れないなんて規定があるけど、見ただけで6歳以下かどうかなんてわからないし、スーパーの人には身分証明書の提示を求める権利はないのだから、別の規制のかけ方があったのではないかと思う。
店内の様子は、普段の土曜日よりは人の数が少ない印象だったが、来店者数が少なかったからだけではなく、開いているレジの数が普段より多かったのも理由のような気がする。それでも、まだ閉鎖中のレジもあったから、もう少し増えて、普段の土曜日ぐらいの買い物客なら、何とか対応可能と考えてもいいか。このまま専門店の営業停止が続いたら、クリスマスプレゼントを探す人たちも、服やら靴などまで取り扱っている大規模スーパーに押し寄せるだろうから、今の規制のままだと行列ができることになりそうだ。
それにしても、これまでも何度か見ているけれども、大きなショッピングセンターで、総長でもないのに営業しているのが一番奥のスーパーマーケットと入り口近くの薬屋、ペットショップに酒屋ぐらいしかないというのは、やはり異様な光景である。週末に遊園地代わりにショッピングセンターに通うというのは論外としても、買い物好き、とくにバーゲンセールが大好きなチェコの人たちにとっては、ショッピングセンターで買い物できるところが少ないというのはストレスにつながっているに違いない。ネット上での買い物とお店での買い物ではまた違うだろうし。
バビシュ首相は、感染状況が期待していたほど改善されていないと口にしており、内閣の中でも来週から規制をさらに緩和するのか、しばらくこのままで行くのか合意ができていないようだけど、結局は、もう限界だという経営者達の声を聞き入れて緩和することになるんじゃないかなあ。倒産を避けるためと称して、規制を無視して営業した結果、摘発される例も増えているようだしさ。
2020年11月29日23時。
2020年11月30日
時間の流れが速すぎる(十一月廿七日)
気がつけば、十一月も最後の週末を前にしている。この前、月末を迎えたばかりのような気がするのだが、過ぎ去った日々を数えてみれば、今日の日付が今日の日付であっていることはわかる。わかるのだけど、何か間違っているという気分を消し去れないのは、おそらく規制の強化で、職場での死後とのあり方が二転三転して、その対応に追われてしまっていることが大きいのだろう。
もう一つ考えられるとすれば、今年の秋から冬にかけてが、チェコにしてはそれほど寒くないことも挙げられる。インベルゼが起こって地表付近のほうが山頂よりも気温が高いという現象が起こると、以前は気温はマイナスになっていたような記憶があるのだが、オロモウツがマイナス10度でイェセニークの山頂がプラス5度とか、今年はオロモウツの気温がマイナスに落ちない中でインベルゼが起こっている。
夏がここ数年に比べると涼しかったから、厳冬になるのではないかと恐れていたのだが、ちょっと拍子抜けである。十二月が近づくのに初雪もまだどころか、ちらつく気配さえない。寒さや雪が苦手な人間にとってはありがたいことではあるのだけど、こちらに来てから培ってきた季節感がおかしくなりそうで嫌になる。
例年であれば、クリスマスが近づくにつれてプレゼントを求める買い物客で賑わいをまし、時間帯によっては人手の多さにうんざりすることもある季節なのに、外出規制、営業規制のせいで、街中であっても、人影がまばらなのも、年末が近づいていることを忘れさせる。今週の月曜日からの規制緩和のせいか、先週よりは人通りが多くなったような気がする。
週の半ばからは、犬システムによる危険度評価が下降傾向にあるのを当て込んでなのか、念のためなのかはわからないが、ホルニー広場でクリスマスマーケットの準備が始まった。ただ準備中の出店の数は、ここ数年の無駄に多かったのと比べると、かなり少ない。昔の小ぢんまりとした控えめなクリスマスマーケットが戻ってくるのだとしたら嬉しい。
ドルニー広場にまで会場を広げて店の数を増やしていたとはいっても、クリスマスならではという商品を売る店は少なく、同じような店がいくつもあることがあったし、クリスマスならではと言えなくもないお酒であるプンチを販売する店の数が多すぎて、しかもその多くが意味不明な形容詞をつけていて興ざめだった。フランスのとかスウェーデンのとか言われても、本当にその国で飲まれているプンチなのか確証はない。そもそも他の国でもプンチなんて飲むのか?
今年は、屋外での飲酒が禁止されているので、プンチの出店も出ないだろうと思っていたら、出店ではなくて、ホルニー広場の近くの店が持ち帰り用の窓口でプンチの販売を始めていた。うちのは子供向けのアルコール分の入っていないプンチじゃないかと言うのだけど、チェコ人がそれで満足するかなあ。その場で飲むのではなくうちに持って帰ってから飲む用に販売しているという名目で酒入りを売っているんじゃないかと疑ってしまう。
ホルニー広場にはすでにクリスマスツリーとなる木が運ばれてきて立てられているが、今年は例年と違って飾りの点灯式は行われないらしい。経済的にはクリスマスマーケットが盛大に行われ、たくさんの買い物客で賑わうほうがいいのだろうけど、今年は無理そうだ。一週間でも二週間でもクリスマス前に、すべてのお店の営業が再開されることを望むだけである。オンラインでの買い物が増えているとは言っても、すべてを補えるわけではないし、コストの問題でオンラインショップには手を出していないところも多いはずだしさ。
クリスマスと大晦日の夜中の花火を禁止することができたら、政府の規制を高く評価してもいいかな。気がついたら花火で新年が来たことに気づくなんてのは避けたいし。それから、はた迷惑な屋外の公共の場での飲酒、喫煙は通年で禁止してくれないものだろうか。アルコールの臭いと煙草の煙の充満した広場を歩くのは苦痛でしかないし。
2020年11月28日20時。
2020年11月12日
天候不順(十一月九日)
ここ何年か雨の少ない年が続いて、夏になると水不足もニュースを聞かされることの多かったチェコだが、今年は冬の雪はそれほど多くなかったが、春ごろからは雨の降る日が多く、夏も猛暑の日が少なく、雨の日も結構あったおかげで、一部を除けば、地下水の水位低下が危機的な状況にあるところはなくなった。
その傾向は秋が深まっても変わらず、雨がち、曇りがちの日が続いている。最後に太陽を見たのはいつのことになるだろうか。先週の月曜日は久しぶりに晴れていたかな。室内で仕事をしていて外が晴れていても雨が降り出しても気づかないことが多いのだけど。最近は朝方霧に覆われることも多く、インベルゼと呼ばれる気象現象のため、低地の気温の方が山の上よりも低いという変なことになっている。その結果霧がなかなか消えないということらしい。
このインベルゼは、冬場にしばしば起こって、工場や自動車の排気で汚染された空気が低地に滞留し健康に被害を与える恐れがあるので、ひどいときには外出を控えるように呼びかけがなされることがあるのだが、現在は非常事態宣言で、外出が制限されているため、健康面では特に問題にされていないようである。
時に、低地の気温が氷点下で、標高1000メートルを越える山の上が、10度近くになるなんて、大きな気温の逆転が起こることもあるのだが、今回のは低地と山頂の気温の差がほとんどないようなので、それほどひどいことにはなっていないようだ。オロモウツ辺りだと最低気温も氷点下までは下がっていないし、九州の人間にとってもまだ許容範囲である。日が照らないのはちょっとあれだけど。
春の非常事態宣言発令中も、同じように曇りがちだったような気もするが、当時は職場に出るなと言われていて、原則として自宅で引きこもり生活をしていたので、特に気にならなかった。それが今回は同じ非常事態宣言下でも、職場が出勤禁止になっていないので、毎日のように職場まで歩いている。外に出て行きと帰りで1時間ほど歩いているおかげで、春よりも健康的な生活はできていると思うのだが、雨の中、雨は降っていなくても曇り空の下、湿った空気の中を歩いていくのは、快適とはほど遠い。
特に、屋外でもマスクの着用が義務化されてからは、高々30分ほど歩く間に、湿った呼気で内側が湿るのはまだ理解できるのだけど、外側まで湿ってしまって、職場につくころには、冷たく濡れて気持ち悪くなっていることが多くて嫌になる。それをトイレに行ったり、水汲みに行ったり、他者と会う可能性がある場に出るたびに付けなおすことになる。まあ、一人で仕事をしているときにまで、つけろと言われないだけましなのかもしれないけど。
もう一つ厄介なのは、歩いている間にかいてしまう汗である。まだ体が冬仕様になっていないのか、家を出るときにちょっと寒いぐらいの服で出ても、歩いている間に体が温まると、汗をかいてしまって、一番下に着ているTシャツが、ひどいときにはほぼ全体ぬれたような状態になってしまう。放置すると風邪をひくので、職場に出て最初にするのが、服を脱いで汗を拭くことである。着替えが必要なこともあるけど。
考えてみれば、最近はともかく、以前は冬の入り口の時期に、職場に出てすぐ着替えることはよくあったような気もする。今は、同じ部屋で仕事をしている同僚がホームオフィスを選んで出てこないから濡れたTシャツを椅子の背にかけて干して、仕事が終わる頃に乾いたらまた着るなんてことが出来るのがありがたい。洗濯するものが増えすぎると、部屋の中では扇風機を使っても乾燥が間に合わなくなるし。
扇風機は買ってから数年は、夏の涼しい年が続いたので、夏場はほとんど活躍しなかったのだが、冬に入って洗濯物の乾燥に欠かせなくなったのだった。最近は夏の気温が上がっているから、本来の夏の使用法でも利用してはいるけどさ。所変われば品変わるというところだろうか。
2020年11月10日23時。
2020年11月06日
お代はお心のままに(十一月三日)
二年前の夏、サマースクールに向けて必要なものを買い始めた頃から、定期的に服や靴などを買うようにしている。買った時期が違えば、一度に駄目になってまとめ甲斐が必要になると言う事もあるまい。あの時期は、着るもの履くものが一度に必要になって、面倒くさいと思いながら買い物をしていたのだが、行きつけの店を決めてしまえば、定期的に一つ、二つ必要になりそうなものを選んで購入していくのはそれほど苦痛でもない
それで、ここ二年ほどは、年に二、三回、冬の前後と夏の初めに、まずおっちゃんの店に足を運んで、何かかにか見繕って買っている。今年の夏向けに買ったのは、猛暑に備えて、汗をかいてもすぐ乾くというスポーツウェアの素材で作られたポロシャツだった。おっちゃんは、チェコのゴルフ場で倍以上の値段で売られているのを見たといって笑っていた。そのポロシャツはスウェーデンのものらしい2117という会社のもので、おっちゃんの店についていた看板も、チェコのノルトブランから、その2117のものに変わっていた。
スポーツシューズの取り扱いも始めたみたいなので、そのうちにあまり派手ではないサイズ39のがないか見に行こうと考えていた。冬も近づいて気温も下がり始めて、そろそろ冬物の服も一枚、二枚買っておいても悪くない。カーディガンほしいし、なんてことを考えていたら、武漢風邪の流行状況が急速に悪化して、再び小売店の閉鎖が決まってしまって、買い物にいけなくなった。
それと、どちらが先かは覚えていないのだが、いつもはおっちゃんの店の後に足を運ぶピエトロフィリッピのオンラインショップから奇妙な案内が来ていた。「Jak se cítíte, tolik platíte」というキャンペーンを始めるというのである。ようは買う側が、気分に応じて値段を決めてもいいということのようだが、もちろんいくらでもいいというわけではなかった。
定価を基準にして三つの値段設定がされていて、買う人はその三つの中から気分によって一つをえ選ぶことができるというものだった。最初、意味がよくわからなかったのだが、先行き不安にさいなまれているという人は、定価の半額、調子は上々と感じている人は、定価の2割引、ピエトロフィリッピを支援したいと考えている人は、定価の1割増しの価格で購入するようだ。その代わりに割引の値段のついた商品は姿を消しているようだった。
支援というなら、1割り増しで買わなくても、商品を購入すること自体が支援になるだろうと考えて、何か買うことにしたのだけど、送料無料になる買い物額が以前より高くなっていてためらっていたら、10月末まではすべて送料無料とか、閉鎖された店舗での受け取り可能とか、次々にメールが届いた。いろいろ変わりすぎである。定期的に観察していればいいのかもしれないけどさ。
これで送料を気にせず買えるということで、いろいろ見ていると、二日以内に発送という商品と、八日以内に発送という商品があって、カーディガンは八日のほうだった。二日以内ならこちらが午前中うちにいられる月曜から木曜の間に配達されるように調整できそうだけど、八日だと不安である。それで、何枚あっても困らないワイシャツとポロシャツを一枚ずつ注文した。もちろん非常事態宣言のせいで先行き不安の気分は最悪である。
それが届いたのが昨日の月曜日のことで、商品自体はワイシャツの生産国がマケドニアだったのに何でだよと言いたくなったのを除けば問題はなかったのだが、ワイシャツのほうになぜか店舗で販売する商品につけられている防犯用のICタグが残っていた。どうやって外すんだと、押したり引いたりするけどどうにもならない。破りたくないので無茶なことはしていないけど。
お店でなら外してもらえるかもしれないと考えて、シャントフカにある店に足を運んだ。それなのに、立ち入り禁止のロープが張ってあって、ネットショップの受け取り窓口としては機能しているはずの店の前までたどり着くことが出来なかった。まだ店舗での受け渡しを始めたばかりで、オロモウツの店での受け取りで買い物をした人がいないからかも知れない。いっそのこと、買うつもりだったけど諦めたカーディガンを店での受け取りで購入してついでに外してもらおうかと考えた。
いや、その前に、念のためにEショップに問い合わせのメールをする。もしかしたら自分で外す方法があるかもしれない。答は、なかった。お店までもって行けば外してくれるというのだけど、たどり着けるかどうか心配であるという口実を設けて、カーディガンを買ってしまった。受け取りは来週かな。
2020年11月4日21時。
八日以内発送は店舗での受け取りでも適用されるのかと思ったら、今朝届いたという連絡がお店から来た。火曜日の深夜に購入手続きをしたから、実質1日ちょっとで受け取れるということになる。ワイシャツのICタグも無事に外してもらえたし。言うことはない。ちょっと文句を言いたいのは、カーディガンに、イタリア製と自慢げにタグがついていたことで、ほしいのはチェコ製なんだと叫びたくなった。ネットショップには同じカーディガンの色違いしかなかったから、どれを買ってもイタリア製だったのだろう。男物のカーディガンってあんまり見かけないんだよなあ。11月5日追記。
2020年10月11日
眼鏡を替えたのに……(十月八日)
題名の「かえた」を、どの漢字で書くか悩んでしまった。「変えた」「替えた」「換えた」「代えた」、どれだろう。日本語の同訓異字は、明確な違いがないことが多いので困る。常用漢字で整理された結果わかりにくくなったものもあるしさ。とりあえず適当にひとつ選んでおいたが、普通は、どの漢字が一番いいのかわからないときには、高島俊夫氏の説にしたがってひらがなで書くことにしている。今回は何となく漢字の気分だったのである。
それはともかく、今月朔日の記事に書いたように、新しい眼鏡、老眼鏡をかけ始めた。眼鏡をかけていることが原因となる頭痛は起こっていないが、長時間PCの画面を見つめていると、焦点が合わないというかぼやけて見えるようになることがある。これは老眼鏡の同一の部分を使って見続けることができていないのが原因だろう。
それで、火曜日と水曜日はPCで仕事をするのが辛くなって、目を休めるために昼寝を余儀なくされた。頭痛とまでは行かなかったが頭が重くて何も考えたくない状態だったから、自宅作業の時間帯で助かった。火曜日は昼寝の後に仕事に出たんだけど、頭もすっきりしていたし、目もPCが使える程度には快復していた。
レンズの下のほうで本を読むというのは、うまく行かなかった原因が見えた気がする。大きめの文字で書かれた文章であれば読みやすいのである。ああ、だから、いろいろな出版社がお年より向けというか、老眼鏡向けに活字の大きな、版型も大きかったきもする文庫を発売していたのか。文庫本の活字なんてお年より向けではなくても、ページ数を増やして単価を上げるために少しずつ大きくなってきていたものではあるけど。
テキストファイルをPDF化してリーダーで読む際には、ページ数を減らすために、小さめの活字を使っていて、眼鏡なしで読むには最適の大きさなのだが、老眼鏡で読むには小さすぎるようだ。だからといって活字を大きくしてPDFを作り直す気にもなれないし、今後も読書は眼鏡なしかなあ。今のところ新しい眼鏡では起こっていないけど、頻繁にかけたり外したりを繰り返していると眼鏡をどこに置いたかわからなくなるんだよなあ。眼鏡かけてるの探したりとかさ。
それはともかく、新しい眼鏡をかけ始めて早十日近く、職場でもいろいろな人と顔を合わせたのだが、誰も気づいてくれない。もう何年もいっしょに仕事をしている人たちにも何も言われなかった。武漢風邪騒動で対面する時間をできるだけ短くしているせいもあるのかもしれないが、何か言われたらどう答えようかと身構えていただけにちょっと肩透かしである。先週末うちのの実家にいったときも何も言われなかったし。
前回眼鏡を新しくしたときには、すぐに気づかれてあれこれコメントをもらった記憶があるのだけど、お店の人に前の眼鏡と同じようなのを選んでくれるようにお願いした結果だから、店員さんがいい仕事をしてくれたと言ってもいいのか。先月までかけていた眼鏡は、黒に少しだけ赤を使った小洒落たデザインのフレームだったのに対して、新しいのは黒だけの地味なデザインだから気づきにくいというのもあるのかもしれない。前のデザインも気に入っていたけど、新しいののシンプルさも好きなんだけどね。
それに老眼鏡に小洒落たデザインなんてそぐわないから、オレンジ色とか黄色とかがあしらわれていたフレームは退けたのだし。そう考えるとこの年になって新しい眼鏡ということは老眼鏡だからということで、周囲の人たちに気を使わせてしまったのかもしれない。年を取ると僻みっぽくなっていけない。困ったものである。
2020年10月9日23時。
2020年10月04日
眼鏡ができた(十月朔日)
見栄を張って眼鏡という言葉を題名に使ったけれども、正確には老眼鏡というのが正しいだろうか。九月の十日ごろにシャントフカの眼鏡屋に出かけて、視力などを測ってもらった上で注文した老眼鏡が完成したという連絡が入ったので、取りに出かけた。午前中は自宅作業だったので、お昼過ぎに職場に出る途中に立ち寄った。この自宅作業が増えたのは、武漢風邪のおかげと言うべきか、せいと言うべきか、自分でも答が出せない。
注文したときに、ろくに確認しなかったので、自分がどの会社の、どの値段のフレームを注文したのかわからなかった。それで帰宅した後に、もらった書類の記載から、EAMという会社のものだろうと推測して、お店のホームページで探したのだけど見つからなかった。受け取ってみてびっくり。アルマーニだった。怪しい日本語版もついている保証書の表紙には「EMPORIO」とロゴに書かれているけど、中には「ジョルジオ・アルマーニの眼鏡」と書かれていた。
うーん、この手のブランド品はあんまりほしいとは思わないんだけどなあ。眼鏡だからいいかという気持ちと、よりによって老眼鏡にアルマーニ……という気持ちがせめぎあう。救いは、かけ心地が非常にいいことで、つるの部分の素材がいいおかげか、これまでかけてきた眼鏡よりもかけ心地がよくて、ちょっと悔しい気分になってしまう。気にしないのが一番なんだろうけど。このブランドが眼鏡のフレームにまで手を出しているとは思わなかった。下請けに作らせているか、眼鏡のフレームメーカーがブランドの使用権を買ったというところかな。
さて、肝心の遠近両用のレンズのほうは、最初に取り出して見せられたときには、あれこれ書き込みがあって、これからレンズを取り替えるのかと思ったら、布で拭えば消えるペンでかかれたものだったようで、一度かけてみてよく見えるようになったことを確認した後、あっさりと消してくれた。いやあ、以前一度眼鏡の度を強いものに変えたときにも、いやそれ以前に始めてめがねを作ったときにも思ったけれども、あたらいい世界が見えるような気分である。
前回お店に入ったときには、何か書かれているとしか思えなかった、店の壁に書かれた眼鏡のフレームのメーカーの名前やら、あることに気づきもしなかった値段の表示やらが目に飛び込んできた。あのときは見えていなかったから値段もブランドも確認しないまま、かけ心地がよくて、お店の人に似合うといわれたのを選ぶことが出来たのだ。ブランド名が見えていたら、無駄に時間をかけて悩んだに違いないから、それはそれでよかったのかもしれない。
それから、老眼鏡の一番の売りであるレンズの近くを見る、具体的には本を読むときに使う部分も確認した。今までの眼鏡よりは文字がきれいに見えて読みやすくはあるのだが、お店でもそのあともなかなかうまく視線を動かすことができず、現時点ではないよりはましだけど、宝の持ち腐れになっている。まだ一日目なのでそのうちなれると信じたい。
外に出てから周囲を見回すようになって気づいたのだが、眼球だけを動かして左右を見ると、見えるものがにじんでしまったり、焦点を合わせるのに時間がかかる場合がある。これが遠近両用レンズの欠点といわれるものだろうか。お店の人にも視線を動かすだけではなくて、顔全体を見る方向に向けるようにしないと、こける恐れがあるから気をつけろと言われたし。
年を取るとままならないことばかりが増えていくのだなあ。なんてしょうもない感慨で終わってしまうのもあれなので、日本語の説明もあったということは日本に輸出されている可能性もあるということなので、ちょっと同じのがないか探してみた。同じのはなかったけど意外と安いのに驚いた。チェコだと軒並み5000コルナ以上だったんだけど、1万円から1万5千円の幅で収まっている。
例えばこれ
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今のレートは知らないけど、1コルナ=2円ということはないだろう。眼鏡に限らず工業製品は意外と高いのがチェコの現実なのである。レンズの値段がわからないからあれだけど、フレームだけなら日本で買った方が安くつきそうだ。
因みに今までかけていた眼鏡と同じブランドの眼鏡はこれ。こっちの方が高いのまである。ちょっと意外である。チェコで買ったときの値段は、今回のと同じぐらいだったかなあ。
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例によって例のごとくぐだぐだになってしまった。
2020年10月2日22時。
2020年09月14日
老眼鏡続(九月十一日)
シャントフカの一階にある店内には、こちらの目論見どおり客は一人もいなかったが、目論見どおりに行ったのはここまでだった。店員らしき人は4人いて、全員若い女性でマスクも含めて黒ずくめの格好をしていた。若い女性と話すのが嫌というわけではないけど、おっさんの店員の方が、こちらの無茶な要望も聞いてくれるような気がしておっさんがいることを期待していたのだ。
お店に入るとすぐに声をかけられて、新しい眼鏡を買いたいという要望を伝えた。ついでに今欠けているのと同じようなフレームで、ちょっとだけどの強いレンズでお願いしたいんだけどと付け加えた。そうしたら、フレームはいくつも見繕ってくれて試せたのだけど、レンズに関しては、適切な度数を計測したほうがいいよと、できれば避けたかったことを勧めてきた。
時間がかかるでしょうとか、あれこれいいわけを並べながら、フレームを選ぼうとするのだけど、かけて鏡を見ても、度が入っていないからちょっとぼやけてどんな感じかいまいち確認できない。サイズさえあえばどれでもいいやと、かけ心地のいいものを選んでかけかえていたら、お店の人がみんなで感想を言ってくれたので、参考にさせてもらった。この時点では値段なんて気にもしなかった。クーポンだから高くてもいいのである。
チェコに来て最初に眼鏡を買ったときは、あまり高くないフレームにしようと考えて、失敗した。最初はかけ心地もそれほどわるくはなかったのだが、安いだけあってその状態が長持ちせず、比較的すぐに新しい眼鏡を買うはめになってしまった。今の眼鏡は、選ぶときには値段を気にせず、お金を払う段になってそんなに高かったんだと驚いたのだが、その甲斐あって快適に、十年以上かけ続けている。レンズの交換も一度はしたような気もするが、さすがに塗装のはげも目立つようになってきたので、レンズを新しくするならフレームもお役ごめんである。
フレームを選び終わったところで、再び計測した方がいいよという説得が始まって、こちらもそれが正しいことはわかっていたので、拒否し続けることはできなかった。幸い、ちょうど担当者がいて部屋が空いていたこともあって、その場で計測されることになった。昔日本でも眼鏡を作るときに使った機械で、遠くに赤い屋根の建物を見ることで何かを測定した後、ダミーのフレームにレンズを入れたり抜いたり重ねたりしながら最適なレンズを決めていく。
壁に照射された視力測定用の文字が、裸眼では完全ににじんで、文字があるのかさえ判然としないのにショックを受けてしまった。日本でお店の人に、近視が進みましたねえと言われたときは、まだ何かがあるのは見て取れたと思うのだけど、日々コンピューターで目を酷使しているのがいけないのかなあ。
コンピューターの画面が見づらくなるときがあるとか、本を読むときには眼鏡を外して読むとか言う話をしていたら、いくつかの大きさで同じ文が印刷された紙を渡され、一番小さい文字まで読めるか、不快感は感じないかなんて質問をされた。最後に、遠くを見るのから、コンピュータの使用、本を読むときにまで使える度数が滑らかに変わっていくレンズにしませんかと言われた。
そうなのだ。だから、計測なんかしたくなかったんだ。ようは遠近両用の眼鏡、つまりは老眼鏡が必要だということである。何年か前に知人に老眼鏡が必要になっちゃってと愚痴られたときに、近視だけの眼鏡で十分だよと強がったのに、自分も必要になるとは。いや、近視用の眼鏡をかけると本を読むのが辛くなって久しいのだから、うすうすとわかってはいたのだ。それでも年老いたことを実感させられる現実なんて知りたくなかった。
そんな葛藤を胸に、ええでもとか、抵抗したのだが、それなら読書用とコンピューター用の眼鏡も必要になるとか言われて抵抗をあきらめた。普通の近視用のレンズと値段に大した違いはないともいわれたし、高くてもどうせクーポンだからいいや。値段よりも老眼鏡ってのが嫌だなあ。人にどう思われるかってのはどうでもいいのだけど、老眼鏡をかける自分というのが想像もしたくない。
その後は、店頭に戻ってレンズをどうするかの相談。基本的な機能以外に、圧縮するとか、青い光を遮断する機能をつけるとか、いくつかオプションがあって、付けるたびに値段が上がっていくのだが、毒を食らわば皿までで、どうせクーポンだし、一番高いバージョンのレンズでお願いした。フレームと合わせて、1万2千コルナ超。想定の二割五分ましだった。注文の際に保証金が必要だというので、超の部分だけカードで支払う。保証金にはクーポンは使えないらしい。
受け取りは九月末。そのときに額面百コルナのクーポンを120枚持っていくことになる。それだけ使ってなお、今年の年末に有効期限が切れるクーポンが数十枚残る。うちのと二人でとはいえ使いきれるだろうか。それに加えて来年の年末までのもあるし、年末にはまたもらえるしで、今回注文した眼鏡だったら毎年買ってもお釣りがきてしまう。
とまれかくまれ、これからは正真正銘の老人の仲間入りである。「もうジジイだから」とか、今までは半分冗談にできたのだけど……。時の流れってのは残酷である。自分のことでこんなことを考えるなんて、年は取りたくないものだ。
2020年9月12日18時。