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2016年05月26日
英語ができない(五月廿三日)
英語で話そうと思って口を開いても、最初の一単語、二単語以外は、英語ではなくてチェコ語が口から出てくるようになっているのに気づいたのは、いつのことだっただろうか。チェコ語の勉強を始めてチェコに来て以来、英語に頼ってしまわないように、できる限りチェコ語で済ませようと、どうしても必要なとき意外は英語は使わないようにしていた。でも、廿年以上前に初めてチェコを旅行した時と同じぐらいの英語のレベルは維持できているだろうと何の根拠もなく考えていた。だから、自分の口から英語の言葉が出てこないことに気づいたのは、結構大きなショックだった。
英語ができないと正直に言うと、なぜか謙遜しているのだと思われることが多い。どうもチェコ語なんてとてつもなく難しい言葉ができるのだから、英語のような簡単な言葉ができるのは当然だと考える人が多いようだ。ちょっと待ってほしい。誰が英語が簡単でチェコ語が難しいなんて決めたのだろうか。私には、チェコ語のほうが英語よりも簡単に思われてならない。しかし、そう言うと、冗談だろうと思われてしまう。
現在の世界で英語が世界共通語のようになってしまったのは、英語が優れた言語であるからでも、簡単な言語であるからでもない。英語を使用する人の数が多く、母語ではなくても教育を受けて理解できる人の数が多いからに過ぎない。いや、ぶっちゃけて言えば、世界最大の強国アメリカで使われている言葉だからに他ならない。
ということは、このまま中国が勢力を拡大し、アメリカを駆逐して世界の覇権を握ったら、現在の英語の位置に中国語が立つことになるのか。それは嫌だなあ。でも、近代以前の東アジア圏で、中国語、正確には書かれた中国語=漢文が共通語として使われていた時代に戻ると考えれば、現在の中国語ではなく、漢文を世界共通語にするというのには、ちょっと惹かれる。公式の文書はすべて四六駢儷体で書けとか言われたら、頑張って勉強しようという気になれそうだけど、現代の中国語には何の魅力も感じない。
あれは十年以上前、チェコがシェンゲン領域に入る前のことだった。夏の観光シーズンにブルノからブジェツラフに向かう電車に乗っていると、国境でのパスポートのコントロールが長引かないように、走っている電車の中で、チェコとオーストリアの警察官がパスポートのチェックを始めた。最初にチェコ人が来たときには、「ブジェツラフまでしか行かないんだけど」とチェコ語で言えばよかったので問題なかった。その後、オーストリアの警察官に、「パスポートお願いします」とか何とか英語で言われたときには、英語で答えようとは思った。いや英語で答えているつもりだったのだ。
「アイ」で始めたのに「ド・ブジェツラビ」と言ってしまったことに気づく間もなく、苦笑を浮かべたオーストリアの警察官に「ブジェツラフ?」と確認の質問をされて、「イエス」の代わりに「アノ」と言ってしまったときに、英語で話していたはずが、いつの間にかチェコ語になっていることに気づいた。オーストリアのおまわりさん笑ってたしなあ。他にも「アイ・アム・ズ・ヤポンスカ」とか、「ウィズ・カマラーデム」とか言ってしまって頭を抱えたのも、確か同じ時期だった。
それで、英語で話さなければいけないときには、時間はかかってしまうが、まず頭の中で文を考えてから口に出すようにすればいいのではないかと考えて、実行しているのだが、まったくうまく行っていない。二年前に仕事の関係でハンガリーに行ったときには、飛行場でタクシーに乗ったのだが、「このホテルまで行きたい」というのを、すでに飛行機の中で考えて準備しておいたにもかかわらず、口から出てきたのは、「アイ・ウォント・イェット・ド・トホト・ホテル」だった。考えた英語の文をカタカナで紙に書いておいて読むようにすればよかったのかもしれない。所用自体は幸いほぼ日本語で済むようなものだったのだが、帰りの飛行機で隣にチェコ人が座ってくれたときには、地獄から天国に戻ってきたような気がしたのだった。
多分、私の頭の中には、日本語と外国語という二つの回路しかないのだろう。そして現在では外国語=チェコ語になっている。だから、英語で話そうとしても、英語モードではなく外国語モードにしかならず、英語で話すつもりでもチェコ語が出てきてしまうのだ。英語の単語などの知識は頭の中に残っているんだけどねえ。それで、時々、英語ができないことが誇りだなんていってしまうのだが、それは半分本気で、半分は負け惜しみである。
英語ではなくチェコ語という外国語を使えるようになったことは、心のそこから誇りに思う。かつての英語の授業せいで陥っていた外国語アレルギーから抜け出せたのは、自分でも信じられない思いがすることがある。英語ができることが正義であるかのようになってしまった現代社会において、積極的に英語を使いたいとはまったく思えないのだが、中学時代から十年近くにわたって勉強を続け、特に受験の時期には死ぬ思いで勉強した英語が使えなくなっていることを残念だと思う気持ちがあるのもまた否定できない。英語はできるけれども、自分の信念に基づいて使わないというのが理想なのだ。現実には、使えないから使わないというちょっと情けない状態になっている。だからといって今更勉強する気にもなれないのだけど。
語学には、この言葉は易しくて、この言葉は難しいなんて差は存在しない。あるのは好き嫌いの好みと、相性ぐらいのものだ。個人的には、日本人にはチェコ語のほうが英語よりも相性がいいと思うけれども、英語のほうが合うという人もいれば、フランス語やドイツ語と相性がいいという人もいるはずだ。だからこそ、黒田龍之助師(著書を通じてこちらが一方的に語学の師匠だと認定させてもらっているのでこう書く)は、いろいろな言葉を勉強することを勧めるのだろう。でも、不肖の自称弟子には、いくつもの言葉を勉強するなんてことはできそうもない。今後も日本語とチェコ語だけを後生大事に抱え込んで生きていこう。チェコで生活している日本人なのだから、それでいいのだ。恐らく。
5月24日23時30分。
2016年05月23日
学校教育の思い出(五月廿日)
以前は、文部省が定める指導要綱なんてものがあるのだから、日本中の学校で同じような教育が行われていて、差が有るとすれば、それは地域差ではなく、年代の違いだと思っていた。それが、最近、何人かの人と、話しているうちに、小学校から高校までの教育にも地域差というものが意外と大きいのではないかと気づいてしまった。考えてみれば、県単位で教育委員会があって、それぞれ独立して活動しているのだから、当然なのかもしれない。
先日も、お酒を飲んでいたら中学校時代の話になり、毎年新学年が始まると体力測定が行われていたというところまでは話が一致したのだが、一緒に飲んでいた人の口から出てきた「シャトルラン」という言葉には思い当たるものがなかった。二十メートルのダッシュを少しずつスピードを上げながら繰り返して行って、どこまで耐えられるかで持久力をはかるというものらしい。我々のころは、持久力といえば、1500メートル走だったのだが、それだと距離が長すぎて手を抜く生徒が出てくるのに対する対策として導入されたのではないかと言っていた。うちの中学では、手を抜いて走ったら大学の附属中学みたいに3000メートル走らせるぞと脅すのが、手抜き対策だったのだけど。
こちらよりもはるかに若い人だったので、世代の違いだろうと思っていたら、もう一人の人が、大学の教員養成課程で知ったけど、自分自身は中学時代に、シャトルランなんかしなかったと言い出した。二人とも同じぐらいの年齢だけれども、シャトルランを実際に体験した人は、東京近辺の出身で、もう一人の人は地方の出身だった。
最近知った「ワープリレー」という目を疑うような競技も、東京の学校で発明されて導入されたという話だけど、それが全国各地に波及したかどうかは確認していないし。いや、地域限定のものであってほしいと切に願う。文部省がゆとり教育というものに血道をあげていた時代のあだ花だろうから、すでに廃止されているかもしれないのだけど。
80年代に週五日制の導入の呼び水として導入されたゆとり教育が、円周率が「3」になってしまうとか、運動会の徒競走で手をつないで皆一緒にゴールするなど、いつの間にかいびつな展開を見せているのは小耳に挟んではいた。全体的に、競争というものを、子供たちへの負担だと考えて、教育の世界から排除しようとしているように見えた。自由競争というものを金科玉条とする市場経済を是としている日本社会で、競争を教育から排除してしまうのは、どうなのだろう。ただでさえ横並び好きだといわれている日本人なのに。
それに、学校という温室の中で、管理された競争を体験しておくのは、人生において必要なことではなかろうか。学校でもほとんど競争を体験しないまま、いきなり社会の荒波の中に放り込まれてしまうのはかわいそうな気がする。かりに運動が苦手なら、別の自分の得意なことで実力を発揮すればいいと思うのだけど。誰にだって何か一つぐらいは、他人に負けたくないことがあるだろうし。温室の中で過保護にしてしまったのでは、たくましい大人にはなれそうもない。
自分自身のことを思い返してみると、中学高校で競争の結果というものは、相対的なものでしかなく、自分が努力したからといって、必ず結果が出るものではないということに気づき、結果にそれほど拘泥しなくなったのは、いいことだったのか、よくないことだったのか。試験前の試験勉強などはほとんどせずに、試験の後に勉強するという変な奴だったからなあ。自分の苦手なポイントをつぶすという意味で、その勉強の仕方が間違っていたとは思わないが、今にして、やはりひねくれ者だったのだと思う。
話を元に戻そう。その田舎出身の人とは、たまたま小学校に通った県が近かったせいか、小学校時代の思い出が共通していた。冬でも原則として半ズボンで、長ズボンをはくときには、親が連絡をしなければいけなかったとか、体育の時間は原則として裸足だったとか。小学校の体操着には長袖のジャージはなかったので、真冬でも短パンと半袖で裸足でグラウンドを走り回っていたのだ。そして冬場の恒例といえば縄跳びで、失敗して縄が足にピシッと当たったときの痛みは、今思い出しても涙が出そうになる。裸足のほうが健康にいいとか、そういう理由だったのだろうか。健康のために、乾布摩擦の時間とか目の体操とかいうのもあったなあ。あれもうちの地方限定かもしれない。
高校時代に、体育が週に五回、つまり毎日あったと言ったら、田舎出身の人も驚いていた。でも東京近郊の人は、週一で、普通の体育とは別に柔道と剣道の授業があったと言っていたし、高校になると地域もあるだろうけど、学校ごとに特色が出てくるものなのかもしれない。
体育の授業で水泳や陸上などをするときに、うちの高校では、早い人ほどたくさん泳いだり走ったりするようになっていたと言ったら、東京近辺の人の高校では反対に、タイムが悪いともう一度走らされることがあったという。水泳では、決められた距離を泳いだら、後は自由にしていてよかったとも言っていた。こっちは時間一杯、体力の限り泳がされて、ゲロ吐くこともあったというのに。先生は疲れきって体の力が抜けたときに、一番きれいなフォームで泳げるとか何とか言ってたけど、疲れれば疲れるほど、フォームが崩れてじたばたするような泳ぎになっていた記憶しかない。
一緒に飲んだ二人が、体育大学関係の人だったので、体育の話題で終始したが、他の科目でも地域差というものがあるのかもしれない。さすがに算数なんかの理系科目では無理だろうけど、国語や社会などの文系科目の副読本とか、小学校の道徳なんかであれば、地域差があってもおかしくはなさそうである。
5月21日23時。
2016年05月18日
EUの傲慢後編(五月十五日)
EUによる難民受け入れ強制に反対している旧共産諸国だが、受け入れそのものに反対しているわけではない。他の国は知らないが、チェコは以前から積極的に、アフガニスタンやイラクなどに軍の野戦病院を設置して医療活動を行い、現地の病院では治療できない重い病気や怪我の子供を選んで家族ごとチェコに連れてきて治療し、希望すれば治療を継続的に受けるためにチェコに定住することを認めている。同じようなことはシリアの難民キャンプでも行っているし、ウクライナからの難民も積極的に受け入れている。
特に、ウクライナに関しては、第一次世界大戦後に移民したチェコ人の子孫で、チェコ人村とも呼べるようなものが西部ウクライナにいくつかあるらしい。現在のウクライナ領の一部は、第二次世界大戦後に、ソ連に取られてしまったが、大戦間期にはチェコスロバキア領だったのだ。それらのチェコ人村の一部は、事故を起こしたチェルノブイリの原子力発電所からそれほど離れていないところにあるため、ビロード革命後にハベル大統領が、帰国を呼びかけたところ、父祖の国チェコに戻ってきた人たちもいたが、ウクライナ、当時はまだソ連かに残ることとを選んだ人たちも多かった。
それが、今回のウクライナ内戦で、チェコに戻ってくることを望んで、ミロシュ・ゼマン大統領に救援を求める書簡を提出したらしい。同胞の救出だということで、政府も積極的に動き、すでに多数の帰還移民を受け入れている。
ここで大事なのは、チェコに戻ってきた人々が住んでいたのは、内戦の起こったウクライナ東部ではなく、ウクライナの西部だということだ。つまり直接内戦によって、言い方を変えれば親ロシアの反政府勢力によって、生活を脅かされていたわけではなく、内戦につながる国内のウクライナ人とロシア人の対立の高まりの中で、ウクライナ内のナショナリズムの過激化に危険を感じてウクライナを離れることを選んだということだ。
EU内では、ナショナリズムの高まりは警戒され、時に激しく非難されるのに、ウクライナに関してはナショナリズムの高まりが、反ロシアという一点で正当化されてEUの支援を受けられるというのも、何とも不思議な話である。このEUがウクライナに余計な手を出して、不安定化させたというのも旧共産圏諸国にとっての不満の一つである。
話を戻そう。少なくともチェコは、亡命先としてチェコを選びチェコに定住しようと考えている人々の受け入れは、拒否していない。チェコが拒否しているのは、ドイツ行きを希望していながら、ドイツの受け入れ数を超えているからという理由でチェコに押し付けられる難民の受け入れである。その理由は、イラクからの難民受け入れの際にも明らかになったように、ドイツ行きを求める難民を押しとどめるすべがないということにある。
EU側は、国外に出られないような方策を取るとか言っているようだが、具体的な対策は示されていない。もちろん、刑務所並みに警備の堅い難民収容所に収容して、チェコ語などの勉強をしてチェコ社会で生活できるようになるまでは、行動の自由を制限するという手はないわけではないが、そんなことをすれば、難民たちだけでなく、ドイツなどの人権活動家たちが、人権侵害だと騒ぎだして収拾がつかなくなるに決まっている。
それに、チェコがドイツ行きを求める難民を国内に押しとどめようとしたとき、難民の反感は、ドイツではなく、チェコに向かう。その結果、善意で受け入れた難民が不平分子となり、チェコ国内に治安の悪化をもたらすことを恐れているのである。その恐れは、極右グループによって大げさに吹聴され、チェコ国内で反難民の風潮が高まる原因の一つとなっている。
そもそも、EUには、シェンゲン圏内には、最初に入国した国で難民申請をしなければならないというルールがあったはずである。それがいつの間にかうやむやにされていて、ギリシャで登録すべき連中が、登録もしないままバルカン半島を越えてハンガリーに押し寄せたとき、EUの規則にのっとれば、できるのは不法入国として拘束するか、国外に退去させることしかなかったはずである。ハンガリーで難民申請する気も定住する気もないのだから。
それが、ドイツが一枚の写真にトチ狂ったせいで、不法移民をほぼ無条件に通過させることになってしまった。あの写真を見て痛ましいと思い、支援をしなければならないと考えるのは、人としては正しい。ただ、それを条件反射のように国政に反映させてしまうのはどうなのだろうか。その後、ドイツが、障害物のなくなった難民の大量流入に悩まされることになったのは、自業自得としか言えない。そして、その結果としてドイツ行きを希望する難民の受け入れを、他のEU加盟国に押し付けようとしてるのだから、はた迷惑なことこの上ない。
おそらくナトーが軍隊を出してイスラム国を壊滅させるというのが現実的でない以上、EU、いやドイツがとるべき手段は一つだけである。シリアなりトルコなりにある難民キャンプで、ドイツへの難民申請の受付をすることだ。そして認定された人々は、専用の飛行機でドイツまで運んでしまえば、ギリシャに渡るために地中海を越えるという危険を冒す必要もなくなるし、ヨーロッパに渡るためにこれだけの危険を冒したのだという物語で同情を引くという手段も使えなくなる。その上で、他のルートからの難民を遮断して、高額の謝礼を取って難民をヨーロッパに運んでいる業者の摘発を進めれば、状況はかなり改善されるはずだ。
難民の側にしても、全財産をはたいてドイツまでたどり着いたのに、難民申請を却下されて、送還されてしまうということがなくなるから、歓迎されると思うのだけど。逆に、本当に生命を脅かされている人と、経済的な理由でドイツに向かおうとしている人の判別がしやすくなるから、歓迎されないかな。
よその国の領土でそんなことはできないという言い訳は聞かない。大使館や領事館でやっている業務が拡大されたと考えればいいし、かつて、チェコの空港にイギリスの入国管理局が出張してきて、イギリス行きのチケットを持つ人のパスポートのチェックを行って、入国させられない人物をチェコから出国できないようにしていたことがあるのだ。そのときも、チェコは不満たらたらだったけれども、EUは大国イギリスに対して何も言うことはなかった。
難民の件に限らず、EUの政策というものは、特に意見の割れるものは、ドイツとフランスのごり押しで決定されることが多い。だからイギリスがそれに不満を感じて、EU脱退を言い出したのには何の不思議もない。不思議なのは、イギリスが脱退を言い出したら、かたくなだったEUがあれこれ譲歩の姿勢を見せ始めたことだ。
実は、これも旧共産圏諸国には気に入らない話である。なぜなら、イギリスだからEU内にとどめようとするけれども、これがハンガリーやポーランドだったら、譲歩してまでEU内にとどめようとするだろうかと考えてしまうからだ。
ギリシャの経済危機に関しても、チェコやハンガリーはユーロを導入していないので、特に実害はないけれども、スロバキアなどでは、経済危機が起こって、なおスロバキアよりも豊かなギリシャを支援するために、スロバキアが経済的な負担を強いられるのは納得がいかないと考えている人は多い。ハンガリーで経済危機が起こったとき、ユーロの導入を目指していたハンガリーに対してユーロ圏の諸国は冷淡だった。それなのにギリシャにはというわけだ。
被害妄想だと言わば言え。旧共産圏諸国は、第二次世界大戦でドイツに蹂躙され、戦後はソ連に好き勝手されてきた。チェコスロバキア第一共和国は、イギリス、フランスの裏切りで崩壊した。旧共産圏がソ連の支配下に入ったのは、スターリンとチャーチルの密約によってである。そんな歴史上の恨みつらみを、ロシアにはぶつけることができても、ドイツなどのEU加盟国に対してぶちまけることはできない。ホロコーストを生き延びたユダヤ系の作家アルノシュト・ルスティクが、亡くなる直前まで、「ドイツ人はブタだ」と現在形で罵倒していたのは、例外中の例外である。そう考えると、日本を大声で批判することができ、しかもそれが政権の維持につながる中国や韓国の政治家の立場ってのは、非常に恵まれているのである。
とまれ、EUがドイツの指導的立場のもとに、旧共産諸国を金で言うことを聞く数合わせの加盟国だとみなすような態度を改めない限り、今後もEUの危機は続くだろう。かつて、日本に住んでいたころは、日本の悪いところばかりが見えて、EUやドイツに関してはいいところしか見えなかった。チェコに住み始めると、逆にEUやドイツの鼻持ちならない部分ばかりが目に付くようになってしまった。本当はこの両者の中間的な視点でEUを眺められるようになるといいのだろうけれども、無理そうだ。
本当はEUとロシア、ウクライナなどとの関係についても書くつもりだったのだが、例によって無駄に長くなってしまったので、後日回しとする。
5月17日17時30分。
これに苦吟したせいで、禁断のいくつかの記事を同時進行させるという手を使っい始めてしまった。『小右記』関係は、以前作った訓読文に説明を加えるという形だから、そういう方向に流れやすかったのは確かだけど、眠くて何も考えられずに順番の入れ替えなんかもしてしまった。いいのだ。大切なのは毎日何かを書いて、載せていくことなのだから。5月17日追記。
2016年05月16日
EUの傲慢前編(五月十三日)
先日、ハンガリーとポーランドの現政権を強く批判する記事を読んだ。それによれば、両国の現政権の政策は、民主主義の敵で、EUを弱体化させるものなのだそうだ。翻訳記事で、カタカナで名前が書かれていたから、ドイツあたりの記者の書いたものなのだろう。ドイツあたりの自称良識派が考えそうな内容ではあるが、こんなことを本気で考えているのであれば、EUの危機は、深まることはあっても、解決に向かうことあるまい。EUの民主主義を踏みにじっているのも、EUを弱体化させているのもEU自身である。ハンガリーとポーランドの事例は、結果ではあっても原因ではない。
確かに、ハンガリー政府の政策には眉をひそめたくなるものが多い。特に、国外在住ではあってもハンガリー系の人にはハンガリー国籍を与えるという政策は、周辺国家にとっては許し難い暴挙ではあろう。ポーランドも政府のメディアとくに国営放送への過度の干渉権に関しては、看過できないし、他にも様々な議論を呼ぶ政策を打ち出している。さらに、両国に於いて社会全体が、ウルトラナショナリズム的な傾向を帯び始め、排他的な雰囲気を生み出しつつあるというのもその通りかもしれない。
しかし、忘れてはいけないのは、この手の右翼的な思想が広まっているのは、何もハンガリー、ポーランド両国、ひいてはチェコも含めた旧共産圏の新しいEU加盟国だけではないということだ。オーストリアでも、ドイツでも、フランスでも、政権を取っているかいないか、国会に議席を持っているかいないかの違いはあっても、全体的な傾向はそれほど大きく変わるわけではない。ただ、それが先鋭的な形で表れているのが、ハンガリーとポーランドであるに過ぎない。だから、それだけをもとに、批判するのは、直接は書かれていなくても、著者が旧共産圏ということで、ハンガリーやポーランドを無意識に見下して差別していることが明白になるのである。
そして、さらに重要なのは、このハンガリー、ポーランドの政権が生まれてきたのは、EU加盟の条件として強制された民主化の後、つまりEU的な民主主義の中から生まれてきたということだ。少なくともEUからいちゃもんがつかない程度には民主的な選挙の中から生まれてきたのが両国の現政権であって、ある程度の国民の支持を得ているわけである。それを、民主主義の敵であるかのように批判するというのは、極端な言い方をすれば、共産主義の時代に共産党に投票することが強要されていたという事実を笑えなくなってしまう。民主主義的な考えの政党に投票しないのは、民主主義の敵だといっているようなものなのだから。
ここで、ちょっと脱線すると、選挙制度が民主的かということで、気になるのがチェコの選挙制度である。下院議員の選挙は、地方ごとに比例代表制で行われるのだが、極右政党が国会に議席を持つことを防ぐために、地方ごとに分かれての選挙であるにもかかわらず、全国での得票が5パーセントを超えない政党は、議席を獲得できないことになっている。だから、ある特定の地方にのみ基盤を持つ地域政党が議席を得るのはほぼ不可能になっている。その反対に、全国で5パーセント以上を確保してしまえば、各地方での獲得票数が5パーセント以下でも、その地方での議席を獲得できることもあるので、全国に候補者を立てられる大政党向きの制度になっている。
いわゆる死票の非常に多いこの制度、極右政党を排除するという目的があるとはいえ、いや、逆に特定の政治的な集団を排除することを目的としているのだから、非民主的で差別的だとEUから攻撃されるのではないかと思っていたのだが、不思議なことにお咎めがあったという話は聞いたことがない。ハンガリーやポーランドの選挙制度がチェコの以上に非民主的だという話は聞いたことがないので、両国の政府は民主的な手続きを経て誕生したと言っても問題はあるまい。
EUや、主要国家であるドイツやフランスなどが考えなければいけないのは、誰がEUの弱体化をもたらす敵であるのかではなく、どうしてEU全体を覆う右傾化の傾向が、ハンガリー、ポーランドで先鋭化して現れたのかである。それは、端的に言えば、EUとその政策に対する失望と、ドイツなどのEU内で主導権を握る国家に対する反感である。
かつて、いわゆる東欧の人々はEU諸国から多大なる支援を受け、感謝の気持ちと共に、EU加盟に対して大きな期待を抱いていた。それが、EU加盟後に失望に変わるのに長い時間は必要なかった。おそらく期待が大きかった人ほど、失望も大きかったはずである。一応、EU内では、加盟国の立場は対等ということになってはいるが、実際は旧共産圏の国家は、第二グループ的な扱いを受けることが多い。ドイツやフランスがやっても問題がないことでも、チェコやハンガリーがやると問題視されることもある。チェコはEUに禁止されているためできないことになっている、赤字に苦しむ農業従事者に対する直接の金銭的支援も、フランスには許可されている。その額が少ないと言って農家が抗議することもあるみたいだけど。
今回問題になっている不法移民の受け入れ問題にしてもそうだ。ドイツの意向に答える形で、EUは加盟国への強制的な受け入れを強行しようとしている。チェコやハンガリーなどの反対意見は、あまりまともに聞いてもらえず、最近は、金を出すから文句を言うなという態度を取り始めている。そういうことの積み重ねが、現在、旧共産圏のEU加盟国に広がりつつある反EUの雰囲気の原因となっている。EUがこちらの言うことを聞いてくれないのなら、こちらがEUの言うことを聞く意味があるのかという主張につながっていくのである。
長くなったので、ここまでを前編として、続きは次の日にまわすことにする。
5月15日23時。
2016年05月02日
オリンピック(四月廿九日)
早いもので、ロンドンオリンピックから四年、今年もまたオリンピックの狂騒の夏がやってくる。ブラジルでは大統領の更迭を巡る政治上の混乱が起こっていたり、貧富の差を助長するものとして反対デモが起こったりしているようだけれども、おそらく問題なく開催されるのだろう。中国でも、ロシアでも、あれこれ問題がありそうなことが言われていたが、結局問題なく開催されたし。
オリンピックに関しても、何と言うのか、複雑な心情を抱いている。愛憎入り混じると言うか何と言うか、普段はオリンピックなんて既に所期の目的を達成したのだし、金権まみれ汚職まみれの醜悪なイベントになってしまったのだから、廃止してしまえと広言しているにもかかわらず、実際にオリンピックが始まると、ついつい中継を見るようになってしまった。最近は、一部の例外を除いて、日本選手よりもチェコ選手を応援してしまうことが多いのだけれども、このあたりは自分もオリンピック好きの日本人に他ならないのだと思わされる。
初めてオリンピックの存在を意識したのは、1980年のレークプラシッドオリンピックだっただろうか。ただし、ニュースなどで結果を見聞きしたぐらいで特に中継を見た記憶はない。かすかに覚えているのも、スピードスケートでいくつも金メダルを取った選手がいたんじゃなかったかなぐらいで、あまり印象には残っていない。
それは、おそらく同じ年の夏に行われたモスクワオリンピックの印象が、スポーツ以外の面で強烈だったためにかすんでしまったという面もあったろう。ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に、オリンピックをボイコットしたアメリカに追随して、日本までもがボイコットしてしまったのには、当時は道理もわからぬ餓鬼だったが、日本という存在に幻滅するような思いがした。政治とスポーツを切り離すのがオリンピックの理念であったはずなのに、こういう部分では教条主義的なのが日本だったはずなのに、アメリカの一言で方針を変えてしまったのだ。アメリカ嫌いの発端はこの辺にあるのかもしれない。
モスクワオリンピックへの個人としての出場を訴えて記者会見をしていたのは、柔道の山下選手だっただろうか。それともマラソンの宗兄弟だったか。結局出場は適わず、行われた競技についてもほとんど情報は入ってこなかったのではなかったか。もう一つ、モスクワオリンピックで覚えているものがあった。マスコットの熊のミーシャが描かれた銀色の小さな金属の薄い板を、友人が持っていたのが、非常にうらやましかった。あれは何かのおまけだったのかなあ。
84年のサラエボ冬季オリンピックで覚えているのは、スピードスケートの黒岩選手が、メダル確実とかもてはやされていたのに、メダルを取れなかったときのマスコミの手のひら返しだ。このときは確か別の選手がメダルを取ったはずなのだけど、あんまり記憶にない。それでもこのときのサラエボオリンピックで刷り込まれたユーゴスラビアという幻想に後々まで縛られて、2000年ごろまでは、旧ユーゴ諸国のことを分離独立後の名称で呼ぶことを拒否していたんだよなあ。スロベニアから来ていたサマースクールの同級生に、ああユーゴスラビアねと言って起こらせてしまったことがある。
ちゃんと自分の意思で見た、もしくは見ようとしたという意味では、同年夏のロサンゼルスオリンピックが最初と言っていいかもしれない。陸上の短距離のカール・ルイスの偉業も覚えていないわけではないのだけど、個人的にはマラソンが一番印象に残っている。それは、見ようとして見損なったという意味においてである。確か夏の暑さを考慮して、現地時間の早朝にスタートすることになっていて、それが日本時間の何時スタートだったのかは覚えていないが、ちょっとがんばれば起きてゴールまで見られそうな時間だったのに、気がついたらマラソンはおろか、中継そのものも終わっていた。スタートしてしばらくは見た記憶があるような気もするし、そうではなくて、スタート前のコース開設だったのかもしれない。こうして、82年のサッカーワールドカップのスペイン大会に続いて、睡魔に負けてしまったのである。
次のソウルオリンピックと言えば、ベン・ジョンソンのドーピングなのだけど、この辺りから、オリンピックに、いやIOCという組織に胡散臭さを感じ始めたのではなかったか。高校生になってからは、テレビをほとんど見なくなっていたので、オリンピックもほとんど見ていないと思う。日本中のオリンピックに対する異常な盛り上がりについていけなくなったというのもある。人気がありすぎるもの、大騒ぎされるものからは、あえて遠ざかるというのが、ひねくれ者のひねくれ者たるゆえんである。サッカーのワールドカップも、82年のスペイン大会、86年のメキシコ大会までは、がんばって見ようとしたけど、90年のイタリア大会以降はあえて見なくなったしなあ。
結局、チェコに来てチェコ語の勉強の一環として、見るようになるまで、オリンピックは結果だけ知れればいいやというものだった。応援していたスポーツや選手はいたけれども、無理して生放送で見ようと思うほどの思い入れは失われていた。目の前で何が起こっているのかを見ながらチェコ語の解説を聞くというのは、なかなかチェコ語の勉強によく、さまざまな表現を覚えることができた。その課程で、チェコテレビでの放送だから、チェコ代表の試合を見ることが圧倒的に多く、日本の選手よりもチェコの選手に詳しくなるという副作用もあったのだけど。
一時期、プラハがオリンピック開催を目指すという話があったものだが、おそらく無理だろう。現在の異常に肥大化してしまったオリンピックの開催は、チェコのような小国に担えるものではない。無理してお金を集めて施設を作っても、無用の長物になるのは、火を見るより明らかである。建設だけでなく、以後の維持までもが重く財政的にのしかかってくるのだ。
オリンピックの誘致からして、IOCとその関係者だけが、ときに不当に潤い、開催都市、開催国家の負担が大きすぎる現状は、オリンピックの理念からいうとまったく正しくないはずだ。昨年サッカーのFIFAに司法の手が入ったように、IOCも聖域にせずに、開催地選定の選挙などのさいの買収などが大々的に摘発されないものか。そんなことでもない限り、オリンピックの規模の縮小なんてことはありえそうもない。だからオリンピックなんてやめてしまえと思うのだけど、始まったら見てしまうのだろう。
4月30日23時。
さてさて、東京でオリンピックを開催する意味はあるのだろうか。恥は十分以上に世界中にさらしてしまったから、今後はいいニュースを期待したいところである。5月1日追記。
2016年04月30日
チェルノブイリ(四月廿七日)
今年がチェルノブイリの原子力発電所で事故が起こってからちょうど三十年になるせいか、最近、チェルノブイリの現在の、場合によっては番組が制作された当時の、姿をテレビで見ることが多い。数年前の映像だと、うち捨てられた無残なとしか言いようのない姿をさらしているが、現在では新しいシェルターの建設が始まったおかげか、爆発を起こした原子炉周辺も多少見られるようになっているようである。
以前の映像のうち捨てられた廃墟が、福島の原子力発電所、あるいは廃炉が決定して解体されないまま放置される可能性のある日本のほかの原子力発電所の未来の姿に見えて、暗澹たる気分になってしまったのだが、チェルノブイリですらこうして忘れられずに、新たな対策がとられているということは、日本の原子力発電所の廃炉後の未来も真っ暗ではないと考えていいのだろうか。
数年前の原子力発電所とその周囲の映像を見たときには、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」「無残やな甲のしたのきりぎりす」なんて句が頭に思い浮かんでならなかった。放射能の影響で人間の住めない土地になってしまってからも、植物はたくましく生育していたし、原子炉は石棺とかいう建物の下に隠されているらしいし。まあ無駄に文学的な人間の感傷に過ぎないといわれればそれまでなのだけど。
さて、当時のことを思い返すと、わけがわからないまま見ていたテレビのニュースの特集では、ソ連の原子力発電所は、軽水炉とかいうタイプで、日本の原子力発電で使われているものとは違って、安全性を重視したものではないから、ソ連で事故が起こったからといって日本の原子力発電所が危険だというわけではないとかいう解説が行われていた。もちろん、原子力発電に反対する人たちも声高に危険性を訴えていたわけだけれども、当時から議論がまったくかみ合っていなかったのを思い出す。原子力推進派は、反対派がどんな危険だという「証拠」を持ち出してきても、安全性を主張し、反対派は、推進派が何を言っても、とにかく危険だといって譲らなかった。このときの経験が、現在の推進派にも反対派にもうんざりで付き合いきれないという意見を作り出したのだろう。
では、お前は原子力発電を続けていくべきだと思うのかと問われたら、信頼できる情報が不足している以上、保留としか答えられない。仮に本当に安全性が確保されるのであれば、少なくとも廃炉にしてしまった後の処理の仕方が決定するまでは、稼動させるのが建設してしまった国の責任であろうとは思う。もちろん逆に十分な安全が確保されないのなら、稼動させずに廃炉にするべきだとは思うが、その場合には早急に廃炉後の処理についての決定が必要である。最悪なのは現状を放置してしまうことである。しかし、現在の議論のかみ合わなさを見る限り、大半の原子炉は何も決まらないまましばらく放置されることになりそうだ。
チェコ、当時のチェコスロバキアでは、ソ連の影響下にあったので、最初はまったく情報が入ってこなかったらしい。西側のメディアがチェルノブイリの爆発の疑いを報道し始めてから、ソ連の国営メディアが小出しに情報を出していくのに合わせて、チェコでも少しずつ報道がなされたようである。ただしもちろん正確な事実が報道されたわけではなかった。今回ニュースで引用された当時のニュースのアナウンサーが、具体的な内容は聞き取れなかったが、「西側ではこのようなことが言われているけれども、ソ連が発表したように、それはまったく真実ではない」というようなことをコメントしていた。
チェルノブイリの爆発で大気中に飛び出した放射性物質が、西に向かって流されてチェコのほうに飛んできて降り注いでいた時期にも、チェコ人は何も知らされないままに、外で動き回っていたんだなんてことを言って当時の政権を批判する人たちもいる。問題は、当時のチェコスロバキア政府にソ連から正確な情報が入ってきていたのかどうかである。
チェルノブイリの事故が起こったのと同じ四月廿六日のニュースでは、チェコに二つある原子力発電所のうち、新しくて大きいほうのテメリン原子力発電所の安全対策についても報道された。原子力の専門家の女性が出てきて、チェルノブイリの安全対策(放射能漏れを防ぐための最低限の壁すらなかったようなことを言っていた)との違い、福島の事故以後に追加された安全対策(停電時に備えて、確か十二系統の独立した電源設備があるのだとか)などを、わかりやすく説明してくれた。地震のない地盤の安定したチェコでここまでやれば安全だろうと安心する一方で、それでも一抹の不安をぬぐいきれないような気がするのは、広島、長崎の記憶を受け継ぐ日本の人間だからだろうか。
いずれにしても、日本でも福島以前に、チェルノブイリの事故の際に、あるいはその前のスリーマイル島の事故の際に、原子力発電の危険性に気づいて、やめるという選択肢はあったはずなのだ。そのときやめなかった以上、原子力発電は日本人全体が将来にわたって背負い続けていかなければならない重荷なのだ。それが、他の誰でもない我々日本人自身の責任である。
チェルノブイリの現実ではない側面に目を向けると、犠牲者には申し訳ないが、さまざまなフィクションに登場して楽しませてくれた。事故の原因は原子炉内でダイヤモンドを生成させようとした実験が失敗に終わった結果だったとか、チェルノブイリの事故で放射能に汚染されたヨーロッパを壊滅させるために、テロリストたちが核廃棄物を盗み出しそれを季節風に乗せてヨーロッパ中に拡散させる計画を立てるとか、八十年代後半の日本のフィクションの中で情報のなさを逆用するような形で、さまざまな話が作り上げられていた。中には噴飯物もあったのだろうけど、くだらない話を読んでぼろくそにけなすのも読書の楽しみではあるのだ。
4月28日22時。
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2016年04月27日
日本ちょっと変(四月廿四日)
昨年の秋ぐらいから、マスコミをにぎわしているスポーツ選手の違法賭博問題だけれども、インターネット上での報道を見ていると少し気になる点がある。
本人たちがあれこれ処罰を受けているのは、当然だろう。不本意かもしれないが、こんな形で発覚し処罰を受けた以上は、違法賭博からは足を洗うことになり、関係者とも絶縁することになるだろうから、本人たちにとってはトータルで見るとよかったのかもしれない。しかし、本当にやめられるのだろうか。
知り合いに誘われてなどの事情はあるにしても、違法であることがわかる賭博に手を出し、続けてしまうということは、賭け事依存症と言ってもいいのではなかろうか。少なくとも依存症になりかけの状態ではあるはずである。だから、永久追放で二度とこのスポーツにかかわるなというのではない限り、処罰をといて復帰させる条件としては、年数の経過ではなく、依存症の治療を受けることを条件にするべきだろう。そうでなければまた同じ問題を繰り返す可能性は高い。
依存症というと、どうしてもアルコールや薬物への依存症を思い浮かべてしまい、賭け事への依存症は過小評価される傾向にあるけれども、厄介さでは勝るとも劣らない。依存症であることが看過されてしまって、気づくのは手遅れになってからということもありそうだ。とまれ、依存症を抱えているスポーツ選手選手の成績というものは、不安定で活躍が長続きせず、才能を十分に発揮できないままに消えていくことが多い。
チェコにエゴン・ブーフというサッカー選手がいる。現在はプゼニュの選手でレンタル先のリベレツでプレーしているが、期待の若手としてガンブリヌスリーガでデビューして活躍し始めたのはテプリツェでのことだった。U21の代表でも活躍し、将来はA代表に呼ばれるだろうと思われていたのに、いつの間にか名前を聞かなくなっていた。出場はしていたのかもしれないが、ニュースで取り上げられるほどではなかったのだろう。
それが、久しぶりに名前を聞いたと思ったら、サッカーではなく、八百長疑惑に関してだった。当時各地で発覚したアジアのギャングが主導したといわれる八百長事件で、八百長に誘われたことを警察に通報して、それがチェコにおける八百長疑惑の発覚のきっかけの一つになったというのだ。当時のブーフは私生活が荒れていたらしく、それでAチームでなかなか活躍できずBチームでくすぶっていることもあったらしいのだが、そこで目を付けられたらしい。ブーフの私生活の問題がギャンブル依存症だったのかどうかはわからない。しかし八百長に誘う側としたら、ギャンブルにおぼれている選手のほうが誘いやすいだろう。
ブーフが偉かったのは、その誘いを跳ね除けて警察に行ったことだ。これをバネにしたのか、ブーフは復活を遂げて、ここ数年のチェコ最強チームプルゼニュへの移籍を勝ち取った。しかし、プルゼニュでは活躍はおろか、出場機会を得ることもほとんどなかった。それはサッカーそのものではなく、再び私生活が荒れてしまったのが原因だという。一度、そういう方向に流れてしまうと、完全に全うな生活に戻るのは難しいということなのだろう。幸いにしてプルゼニュからリベレツにレンタルされたことで再び目を覚まし、レギュラーとして活躍できるようになった。ただ、また私生活の問題で、活躍できなくなるのではないかという危惧は拭い去れない。
もう一つの疑問点は、マスコミが賭け事関係で問題を起こした選手たちは袋叩きにする一方で、違法賭博の胴元や闇カジノとか言われるものの経営者については、特に批判することなく放置というか、そういうものが存在することは当然であるかのような報道をしていることだ。闇カジノに出入りした人間と、その経営者を比較したら社会的に問題が大きいのは、後者であるのは当然だと思うのだが。日本のマスコミにとって重要なものが、話題性でしかないというのは、嘆かわしいことである。
薬物関係の報道にしてもそうだ。大きく取り上げられて、面白おかしく袋叩きにされるのは、薬物使用が発覚した人だけで、問題の根本である薬物の製造者に関して追求しようという姿勢はまったく見えない。
賭け事や薬物におぼれてしまった人を擁護する気はない。処罰を受けたことをきっかけに、依存症の治療を受けて、いつか復帰できたらいいねと思うだけである。ただ、同時に、たかだか薬物使用者について報道するだけで、鬼の首を取ったように大はしゃぎをしているマスコミには幻滅しか感じない。いつの日にか、マスコミ報道がきっかけで、覚醒剤の大規模製造施設が発見されて警察が捜索に踏み切るなどということが起こらないものだろうか。そうしたら多少羽目を外して大騒ぎをしても、許そうという気になれそうなのだけど。
4月25日23時。
2016年04月20日
新しいOSなんていらない(四月十七日)
最近、自宅でも職場でも、コンピュータの電源をを入れると、ウィンドウズ10へのアップデートを促す表示が現れて、いい加減にしろと言いたくなることが多い。最近は、勝手にこの日のこの時間にアップデートを予定するなんて表示も出て、ちゃんと処理しないと勝手にアップデートされそうで、たまったもんじゃない。ウィンドウズなんてやめてしまおうかと思っても、他に使えそうなOSがない。今更、マイクロソフトのあこぎな商売のモデルになったアップルに手を出す気にはなれないし、リナックスは敷居が高いし、日本のトロンは、チェコのコンピューターで使えるかどうかわからないし。
初めて、コンピューターに触ったのは、今から三十年ほど前、友人が持っていた、おそらく日本の独自規格だったMSXのパソコンで推理ゲームなるものをやったときにさかのぼる。記憶媒体がカセットテープで、読み込みに失敗することも多く、ゲーム自体も、こんなに苦労してまでするかいのあるものではなかった。友人はベーシックがどうこうとか言っていたけれども、興味は持てなかった。
その後、大学に入ってから高校時代の先輩が使っていた98シリーズに触らせてもらったが、ワープロソフトで文章を書くためにはフロッピーディスク(5インチ)を抜き差しする必要があって、反応も欠伸が出るほどに遅く、これなら手で書いたほうが早いし正確だと思ったのだった。父親が購入したので使ったことがあった同じくNECのワープロ文豪のほうがはるかに使えたので、その後、文章をを書くための機械が必要になったときに、本体を買っただけでは使えず、それ以外にもモニター、プリンター、それにソフトも購入しなければいけないコンピューターではなく、ワープロ専用機を購入することにした、選んだのは現在では凋落してしまったシャープの書院だった。
文章を書くという目的において、現在までこの書院以上のものは使ったことがない。日本人の中に推奨する人の多かった一太郎にも、もちろん今この文章を書いているワードにも、満足したことがないのは、ノスタルジーも加わった書院の印象が強いからに他ならない。
さて、本当の意味でコンピューターを使うようになったのは、ウィンドウズ95がブームを巻き起こしたころのことだ。書院は既に手放していたあのころ、機械が必要になったとき、知り合いが95へのアップデート前提で、ウィンドウズ3.1のパソコンを購入したのにあおられて、自分でも3.1のパソコンを購入したのだった。高々、ワードで文章を書いて印刷するためだけに、プリンターまで合わせて、30万円ほど。当時は、新しいものを買った喜びで不満もなかったけど、今考えたら高い買い物だったよなあ。
そのコンピューターはすぐにウィンドウズ95にアップデートしたが、3.1を使い慣れるほど使っていたわけでもないので、特に不満は感じなかった。その後、新しいコンピューターを買うたびに、新しいバージョンのウィンドウズを使うことになり、2000、98、vista、 7と使い次いできた。そのたびにコンピューターを、あれこれ設定し直す必要はあったけれども、基本的な使い方は変わらなかったので、OSに関しては許容範囲と言えた。
いい加減にしてほしいのは、ワードの余計な機能が最初からオンになっていることだ。改行を入れると勝手に一時下げになって段落を作るとか、行頭に数字を入れて行末で改行すると、勝手に連番になってしまうとか、勝手に人の日本語を判断して間違っているとクレームをつけてくるとか、そんな編集補助機能は、どうしても必要な人が追加で設定するものであって、最初から使えるようになっていて便利でしょう、すごいでしょうという感じで威張られても、ちっともありがたくない。文章を書くのにはリズムがあって、改行を入れた後に、一時下げのスペースを入れるのも、ちょっと前の部分を読み返して間違いに気づくのも、そこに含まれるのだ。
だから、新しいコンピューターを手に入れて最初にするのは、毎回ワードの余計な設定を解除することなのである。しかも何年に一回かしか操作しないことので、やり方を忘れていたり、バージョン違いで操作が微妙に変わっていたりで、無駄な時間を費やしてしまうことになる。それに、チェコで買ったコンピューターを使い始めたときには、日本語版のウィンドウズ2000で作ったワードのファイルを、チェコ語版のウィンドウズ98上で開くと書式が微妙に変わってしまうのにも悩まされた。特に読み仮名や表などがずれてしまって、修正に多大な時間を取られた。
とにかく便利は便利な機械であるけれども、機械に振り回されている気がしてならなかった。その機械ごときが何様のつもりだという怒りが爆発したのが、職場のコンピューターが新しくなりウィンドウズ8に初めて触れたときだ。これまでのウィンドウズとは操作性がまったく違っているのだから、ウィンドウズを名乗るなとまで思ってしまった。
結局、そのままでは使う気になれなかったので、フリーウェアでウィンドウズ7風にカスタマイズしてくれるものを見つけ出して、インストールすることで何とか仕事に使えるようになった。快適に仕事ができるように新しいコンピューターにしてくれたのだろうが、そのコンピューターを使うために大きなストレスを感じるのでは、本末転倒である。一度は古いコンピューターを再度引っ張り出そうかとさえ思ったのだ。
やはり、OSは軽くて余計な機能は付いていなくて基本的な部分では変わらないほうがいい。OSになくてもいい機能はアプリケーションを使うか、必要だと感じる人が追加するようなシステムにしてくれればいいのだ。電源を入れてから使えるようになるまでの長さが、ソニーのリーダーに200冊以上の本が入っているときと大差ないと言うのは、遅すぎる。
そして、執拗に繰り返されるウィンドウズ10へのアップグレードの要求は、押し売りと言う言葉を思い出させる。金は取らないのだから押し売りではないと言うのなら、嫌がらせである。訴訟大好き社会のアメリカで、誰か仕事の効率が下がったとか言って裁判起こしてくれないかな。一応ネットで調べて、アップグレードの表示が出ないようにする対策をしてみたが、効果のほどはわからない。これで効果がなかったら、ウィンドウズなんてやめてやると思っても、上にも書いた通りほかに選択肢がない。仕方なく、本当に仕方なく使っているのだから、マイクロソフトには、もう少し謙虚になってもらえないものかね。
4月18日23時。
2016年04月18日
原子力発電(四月十五日)
この問題に関しては、自分の中でも考えがまとまっているとは言えないのだが、考えていることを垂れ流しに書いててみる。そこから何か見えてくるものがあるかもしれない。
昔、原子力発電が、石油に代わるクリーンなエネルギーとしてもてはやされていたころは、原子力を推進する連中にものすごく違和感を感じていた。そもそも、将来石油がなくなるというのが眉唾物だったし、産油国が原油の価格を上げるために意図的に広めているものにしか思えなかった。本当に、数十年後に、枯渇するのなら、毎年残りの年数が減りそうなものなのに、いつまでたっても減らなかったし。考えてみたら、最近はそんなこと言われなくなったなあ。産油国の大油田が原油を採掘しつくしたなんて話も、本当はあったのかもしれないけど、聞いた覚えがない。だから、特に石油に代わるエネルギーなんて要らないんじゃないのなんて考えていた。
それに、太陽電池の発電効率が非常に悪いこと、その効率がなかなか上がっていかないことを知らなかったから、原子力ではなく、太陽光発電こそ、将来のエネルギーだろうと思っていた。太陽光発電が普及した結果、現在のドイツやチェコの醜悪な状況が生まれるだなんて、思ってもいなかったのだ。
核エネルギーという危険なものを扱っているというのに、安全が強調されるのもなんだか気持ちが悪かった。どんなに万全を期しても、危険なものは危険であろうに。もっとも、この原子力は安全でクリーンなエネルギーという主張は、反対派が声高に危険だ危険だと叫んでいたことに対する反論だったのかもしれないが。
地球温暖化にも懐疑的だったから、クリーンなエネルギーというのもピンと来なかった。石油を燃やす火力発電では、二酸化炭素以外にもいろいろ出るのだろうけど、そこまでは考えが回っていなかった。
その一方で、原子力反対の意見にも、賛成しがたいものがあった。原子力発電に関しては、ある種の都市伝説がつき物である。冷却水の排水口の周囲の生態系がおかしくなって変な生物が生息しているとか、原子力発電所の放射能を浴びそうな危険な職場では、日本人でなくアジアのどこぞの国から連れてこられた労働者が働かされているとか、そんな話をどこまで信じていいのかわからなかったし、そんな話を元に原子力発電はやめるべきだといわれても、賛成のしようもない。
広島、長崎を経験した日本が、核エネルギーを使用してはいけないという主張には、心情的には賛成できないわけではなかったが、それを言ってしまったら議論にならないところがある。それに科学技術をこの手の感情論で判断するのは間違っているような気がした。
結局、原子力発電への批判で説得力を持っていたのは、原子力発電所を受け入れた自治体に多額の補助金が流れ込み、その結果自体に規模に不相応な稼働率の低い施設が乱立していること、一度原子力発電所を受け入れた自治体が補助金欲しさに次を誘致してしまうことを批判したものと、そんなに原子力発電所が安全だというのなら東京の真ん中に建てろという主張ぐらいだった。冷却水の問題から、実際に東京に建てるのは難しいだろうけど、確かに東京電力が、電気を提供している関東地方に原子力発電所を建設していないのは、怪しいことではあった。
そして、福島の爆発事故の後、世論は一気に原子力発電反対に傾き、原子力発電所廃止の声が高まるのだが、そんなに単純でいいのだろうか。確かに日本人の大好きなドイツは、原子力発電所をすべて廃止することを決定した。しかし、パニックも覚めやらない中でエネルギー政策という国の根幹にあたることを、短絡的に決定したのに幻滅するなら理解できるが、それを高く評価するのは間違っていないか。私はあれでドイツに対する幻滅が更に一段と進んだのだが。
かつて、スウェーデンだったか、北欧のどこかの国が、国民投票で原子力発電の使用をやめることを決定し、新たに建設するのをやめ、現在稼動しているものは耐用年数が来るまで使うという決定をしたと記憶する。こちらを高く評価するのならわかる。問題なく稼動しているものを、大した議論もなしに廃止と決めてしまうのは、あらゆる意味で無責任である。エネルギーの面でもEU内の結びつきが強くなってしまった現在、ドイツの原子力発電所の廃止が影響を及ぼすのは、ドイツ国内だけではないのである。
ところで、東日本大震災で、あれだけの地震と津波に襲われた東北地方で、問題を起こしたのが福島の一つだけだったというのは、実は日本の原子力発電所の安全対策が高いレベルにあることを示しているのではないのだろうか。危険極まりない核エネルギーを扱う以上、どれだけ安全対策をとっても危険を完全にゼロにすることはできないだろう。それは、原子力発電所を建ててしまった国が、将来にわたって引き受けていかなければならないリスクである。
現在停止中の原子力発電所の再稼動を巡って議論が行われているが、知りたいのは、原子力発電所は停止していれば安全なのか、稼働中と停止中で安全性にどのくらい違いがあるのか、ということである。停止中であれ原子炉の中には放射性の物質はあるはずである。例えば、川内原子力発電所の再稼動に反対する声の中に、桜島が大爆発を起こして溶岩が発電所に流れ込んだ場合を心配するものがあったが、その場合、稼働中と停止中でどのぐらいの差があるのだろうか。正直な話、川内まで被害を及ぼすような桜島の激しい噴火が起こったとしたら、稼働中であっても停止中であっても大差はないような気がする。
原子炉から出る核廃棄物の最終処理の方法も決定していないところで、原子力発電所の廃止を決定して、解体できるのだろうか。それとも解体しないでそのまま放置するのだろうか。そのうち予算を理由に最小限の保守もしないままに、本当に放置されるようになって、やがて建物が崩壊する未来図が頭に浮かんでしまう。稼動させても停止させても、山積する問題に突き当たる袋小路に入り込んでしまった観もある。
結局、推進派も反対派も、初めに結論ありきの議論をしているのが問題なのだ。この批判は、反対派が推進派を批判するときに使われることの多い言説だけど、傍から見ていると、反対派の議論も初めに結論ありきでしかない。双方の議論がまったくかみ合っていないのは、見るにたえないので、稼動させるにせよ、廃炉にするにせよ、もう少し建設的な議論を経て最終的な結論を出してほしいものである。どちらを選んでも茨の道が待ち受けているに違いないけど。
4月16日23時。
自分で読み直しても意味不明な、中途半端なものになってしまった。結局、今の日本での議論を見ていると、推進派も反対派もどっちもなんか嫌という感情論なのだけど、それに無理やり理由を見つけてみたらこうなったというお話。4月18日追記。
2016年04月17日
地震雑感(四月十四日)
以前もちょっと触れたような気がするが、チェコの原子力関係の報道は極めて正確である。解説のために登場するのは本物の原子力の専門家で、事実に基づいた説明は説得力にあふれている。ヒステリックに原子力発電反対を叫ぶような、自称専門家が登場することはない。福島の原子力発電所の爆発の際にも、正確な発言でパニックを抑えていた。
それに対して、不満なのは地震に関する報道である。チェコでは地震など起こらない、いや起こらないわけではないが、被害がほとんど出ないため、細かい情報が必要ないのかもしれない。震度はおそらく日本独自の基準なので、なくても許そう。でも地震に関する情報が、マグニチュードだけというのは問題である。チェコの人の中には、マグニチュードが大きければ大きいほど、揺れも被害も大きくなると思っている人もいそうである。
だから、大きな地震で被害が出たというニュースを見ても、震源や震源の深さなどの情報が足りないので、揺れが大きかったから被害が大きかったのか、建築物が耐震構造じゃなかったから被害が大きかったのかさっぱりわからない。わかったからどうなるというものでもないのだが、日本の地震報道に慣れていると、情報の少なさに不満を禁じえないのである。
そう考えると、震度という発明は、素晴らしいものであったのだなあ。外国の地震にも適応されないものだろうか。ヨーロッパでも地震の多い国ならマグニチュードだけでなく、揺れの大きさを知りたいと考える人々はいそうな気はするのだけど、チェコ以外のほかの国のことは知らない。
実際にその場にいなくても、震度のおかげで、大体どのぐらいの揺れだったのか、過去の経験から想像することができる。いや、私が経験したのはせいぜい震度3から4ぐらいまでだけど、中学校の理科で習った震度についていた「烈震」「強震」などの言葉と、「家屋が倒壊する」などの説明を思い出せば、被害はある程度想定できる。いや、想定できると思っていた。
2011年の東日本大震災が起こったときも、チェコのニュースではマグニチュードを伝えるだけだったが、インターネットで各地の震度を確認して、震度7が出ているのに驚いた。これは、たしか阪神淡路大震災の後に新しく設置されたカテゴリーではなかったか。震度3か4でも、当時住んでいた家は軋みを上げ、天井が落ちてくるのではないかという恐怖に震えたのだ。震度6や7に襲われた地域では、家屋の倒壊が相次いでとんでもないことになっているのではないかと思った。阪神淡路大震災のときの高速道路の高架の倒壊が頭にこびりついていて、あれ以上の壊滅的状態を想像して、暗澹たる気分になってしまった。
それが、今回の熊本での大地震もそうだけれども、意外と倒壊している家屋は少なかった。こんなことを言うのは、地震で被害を受けた方々には、申し訳ないけれども、意外なほど被害が小さいことにほっとしてしまった。東日本大震災に関しては、言ってもせん無きことながら、津波さえ来なければ、今回は本震と同程度の余震が繰り返さなければ、被害は格段に少なかったはずである。
当時、オロモウツにいた宮城県の人に話を聞いたら、自宅は二段組のたんすの上段が落ちていたぐらいで、大きな被害はなかったと言っていた。自宅を新築する際に、工務店の人の勧めで当時最新だった耐震工法を使うことにしたらしい。高かったけれども、あの時、お金を出しておいてよかったとは、その方の言葉だが、阪神淡路大震災を機に、日本の耐震建築は格段と進歩を遂げたようだ。
日本では地震慣れして、多少の地震では被害が出ないことが当然のようになっているけれども、実はものすごいこと、ある意味で奇跡的なことなのではないだろうか。過去に起こった地震の悲劇を繰り返さないこと、被害、犠牲を無駄なものにしないことを目標として、これだけ地震に強い社会を作り上げたことこそ、誇るべき日本である。クールジャパンだか何だか知らないが、アニメだのマンガだのは、放っておいても関心を持つ人は出てくるのだから、これだけ地震に強い社会を作っておいて、なお被害を減らすために対策を積み重ねていく日本の姿を発信してほしいと、外国在住の日本人としては強く思う。
世界各地で地震で建物が倒壊して大きな被害が出ているのを見るたびに、日本だったら、ここまでの被害は出なかったのではないかという思いを抑えきれない。結果の出ない地震予知はほどほどにして、日本以外にもある地震地帯に、耐震技術、地震対策を伝えていけないものだろうか。日本の技術がどこでも使えるというわけではないだろうから、それを現地に適応させる研究などにも支援を与えていく必要があるだろう。もし、すでにそのようなプロジェクトが進行していると言うなら、それを拡大して、情報を世界に発信してほしい。それは、世界に恥をさらし続けている東京オリンピックを開催するよりもはるかに価値のあることである。
そして、今回の熊本の地震を受けて、東日本大震災のときと同じように、自然への敬意や感謝を忘れた日本人への警告だとか妄言を吐くやつらが出てきて、それに同調する愚か者も続出することだろう。冗談ではない。人間の敬意のあるなし如きで自然の動向を左右できると考えているお前らのほうが、自然に対する敬意を欠いているのだ。人間の手で地震という自然災害をどうこうできると思っている時点で、自然に対する冒涜だとしか言えない。我々ちっぽけな人間にできるのは、せいぜい地震の恐怖に震えながら、それでも前を見て生き続けることだけである。
余震が続いているらしい熊本の地震が、できるだけ早く収束に向かい、これ以上犠牲者が増えないことを願うのみである。
4月15日22時。
東北のときにも思ったが、どうして大地震のあとには天気が崩れるのだろうか。今後は、震度6の地震が連続しても耐えられるような耐震建築と、その後の天候の悪化に対応できるような建築を生み出すことが、東京オリンピックで懐の潤う建築業界に課された課題ということになる。4月16日追記。