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2016年04月13日
イラク難民続報(四月十日)
以前、チェコに送り返されて、イラクへ戻ることが予想されていると書いた、チェコからドイツに向かったイラクのキリスト教徒たちのグループだが、今でもドイツに拘留されているらしい。ドイツ側とチェコ側でどちらが引き取るかで交渉中だという。チェコ側とすれば、ドイツに行きたいと言ってチェコを出た連中なのだから、ドイツにいてもらうのが一番ありがたいのだ。
チェコ政府はこの件で、イラクからのキリスト教徒の受け入れプログラムを停止したのだが、当初の予定では、150人ほどの受け入れを予定していた。その選別は既に終わっており、今月にも次のグループがチェコに来るはずだったのだ。それが、心ない25人の振る舞いのせいで、半分ほどの人がイラクに残されたということになる。さらに悪いことに出発は確定だと思われていたため、イラクに所有していた資産はすべて処分し、子供たちの学校も退校の手続きを済ませてしまっているらしい。これ、このままプロジェクトを停止していいのだろうか。
チェコに残っているイラクから逃げてきたキリスト教徒たちも、今回ドイツに向かった「仲間」の所業には腹を立てているようで、テレビのインタビューに答えて、「あいつらは自分のことしか考えていない利己的な連中だ」と批判していた。チェコのプロジェクトに関わっている人たちは、チェコに来てから心変わりしたんじゃないかと、弁護するようなことを言っていたが、チェコに来て一週間もたたないうちにドイツに行くと言い出したのだ。あまりにも好意的な見方としか言いようがない。いや、自分たちのプロジェクトの遂行に問題がなかったと言いたいだけなのだろう。
実際、ドイツに向かった連中は、ドイツに住んでいる親類のところに行きたいなどと言っていたのだから、最初からドイツに近づくための手段として考えていたに決まっている。ドイツが受け入れてくれるかどうかについて、正体不明の弁護士に相談していたという話もあるし、ドイツに行きたいと言い出す前のイースターの時期に、ドイツから親類が訪問してきたらしい。そこで何が話し合われたかはわからないが、おそらく ドイツが受け入れれるかどうか、受け入れられるためには何が必要かなどであろう。その話し合いのときの写真を、難民の一人がフェイスブックに公開していたらしい。これで難民の待遇が悪いと言われたら、チェコ政府でなくても腹を立てるだろうなあ。
そして、もう一人、この件に絡んでいるのではないかと見られている人物がいる。イラク出身のチェコに住んでいる人物で、最初はこのイラクのキリスト教徒のチェコへの受け入れプロジェクトの協力者だったらしい。それが自分の弟を、プロジェクトでチェコに受け入れるリストに押し込もうとして反対され、喧嘩別れすることになったのだという。
このイラク人は、袂をわかった理由を、プロジェクトの実行団体であるゲネラツェ21の責任者が、緑の党の関係者であることを理由にしている。そしてあてつけのように、反イスラムを叫ぶ、外国人排斥主義者達の集会の特別ゲストとして呼ばれて、嬉々として演説をしていた。オカムラ氏の場合と同じで、チェコ人だけでなく外国人も反イスラムを叫ぶというアリバイ作りの意味で呼ばれたに過ぎないと思うのだけど、本人が喜んでいるんだったら、それでいいのか。
この人物は、喧嘩別れをしたにもかかわらず、チェコにやってきたイラク人たちの歓迎の場などにも顔を出して、チェコに住むイラク人代表のような顔をしていた。そこで、ドイツ行きを希望する集団に接触して、いらんことを吹き込んだのかもしれない。正体不明の弁護士がこの人かどうかはともかくとして、ドイツから親類が来るのが早かったことなどを考えると、チェコ側に協力者がいたことは間違いない。
結局この問題で最悪なのは、現在の状況を金儲けや自分の立場の強化のために悪用するEU内の人間がいることなのだ。ギリシャ、マケドニアの国境地帯から難民達が離れようとしないのも、ありもしないデマを広める連中がいるからだという話である。この件に関しては、人間輸送業者だけでなく、現地で取材をしているマスコミ連中や、ボランティアと称して支援活動をしている連中も疑いから逃れ得ないと思う。
それにしても、と思わずにはいられない。どうして、あと一月、二月待てなかったのだろうか。プロジェクトが成功するにせよ、失敗するにせよ、一期目の受け入れが終わったら、いったん停止して第二期への準備を始めたはずである。その時期に、ドイツ行きを希望していれば、財産を処分してチェコ行きを待っているイラク人もチェコに着ていただろうから、その分問題も反感も少なくてすんだはずなのだが。
プロジェクトが今後も第二期以降も継続されるかどうかはともかくとして、第一期の残りのチェコ行きの準備の済んだ人たちだけでも、チェコに受け入れられるようになってほしいものである。特に、すでに家族の一部がチェコに来ている人についてだったら、特別に便宜を図る価値はあるのではないだろうか。
4月11日12時。
2016年04月06日
無意味な支援(四月三日)
以前、チェコではイラクに少数派として暮らすキリスト教徒を受け入れるプロジェクトを実施しているということをチラッと書いたが、このプロジェクトの主体はゲネラツェ(ジェネレーション)21というキリスト教系の団体で、政府は支援を与えているだけだった。このプロジェクトで、今年の二月から八十人を越えるイラク人がチェコに来て難民認定を受けているのだが、そのうちの一部がやらかしてくれた。
ある老人が、やっぱり自分の国で死にたいと言い出して、その家族が全員、イラクに帰ることになったのはいい。いや、よくはないけれども、心情は理解できる。老い先短い人生で、同じキリスト教徒の住む国ではあっても、言葉も含めて、まったく新しい環境に適応しなければならないのが、事前の想定を越えていたのかもしれないし、今年は暖冬だったとはいえチェコの寒さに耐えられなかったのかもしれない。ただ、本人が帰国するのはそれでいいだろうが、家族も一緒に帰ってしまうのはどうなのだろうか。今後はイラクでもキリスト教徒への弾圧の激しくない別の地方に住む親戚を頼って移住するという話である。
このプロジェクトでは、イラクでは弾圧が厳しくてキリスト教徒として生きていくのが大変な人々で、チェコに移住したいと希望する人たちが選ばれているはずなのだが、イラク国内で移住する伝があるなら、そしてそこが安全な地であるのなら、そちらに行くほうがましであろう。この辺りは、プロジェクトを実施する団体の調査不足、準備不足を責められても仕方がない。政府としても、EUから半ば強制されている難民受け入れの定数を拒否するための材料の一つとして、独自の難民受け入れをやっていることを、それがうまく行っていることをアピールする必要があって、あせっていたのかもしれない。
許せないのは、いったん手にした難民認定を返上して、当初の目的地であったらしいドイツに向かったグループである。特別なプロジェクトでチェコに呼んだということで、本来難民申請者は、不法入国者が入れられる収容所に入れられて、不自由な生活を強いられるのだが、この連中は、チェコ政府の特別機でプラハの空港まで連れてこられ、収容所ではなくキリスト教系の団体が保有する宿泊施設に、賓客扱いで宿泊し、チェコ社会に適応できるようにチェコ語の授業も受けていたのである。
これでは、チェコが差し伸べた善意の手を悪用したと言われても仕方がない。ヨーロッパまで行けば何とかなると思ったのか、チェコの関係者が優しいのでお願いすればドイツに行かせてくれると思ったのか、困ったものである。もちろん、ドイツに行ったからといって受け入れられるわけがなく、最初に難民申請をした国、つまりチェコに送還されてしまった。EUの規定から言えば、これで当然なのである。 チェコに戻された後は、難民収容施設に放り込まれ、イラクに送り返されるのではないかと言われている。チェコで再度難民の受け入れ申請をすることは可能らしいが、認定するのかね、こんなの。
チェコ政府は、今回の件を受けて、このプロジェクトを全面的に停止する決定をした。つまり、今後チェコに逃げて来られたかもしれないキリスト教徒たちは、今回チェコ側の善意を悪用した連中のせいで、来られなくなってしまったのである。実際に、イラクのキリスト教徒で、イスラム国の脅威にさらされていて、チェコで新しい人生を送りなおしたいと考えている人がどのぐらいいるのかは知らないが、その人たちの可能性を摘んだのが、右翼の外国人排斥主義者たちの行動ではなく、同じ境遇にある一部の人間の所業であると言う事実は、非常に重い。
今回の件を喜んでいるのは、政府の政策を批判するのが仕事の野党を除けば、右翼の外国人排斥主義者たちだけだろう。現在イラクから逃げてきた人々が暮らしている場所の一つ、オストラバの近くの村では、受け入れを巡って住民の反対運動が起こっていたが、今後はその手の反対運動が、他の受け入れた町でも発生する可能性がある。それにこの件で、難民受け入れプロジェクト自体が、世論から嫌われるのではないかという恐れもある。
結局、チェコで生活したいという意思を持たない難民を受け入れてもうまく行かないということなのだ。チェコ社会に受け入れられようと努力する難民たちの姿を見れば、一部の例外を除いては、受け入れに寛容になるだろうし、今回のような善意を土足で踏みにじるようなまねをされれば、反対派の声が強くなる。これは何もイラクからチェコへの難民に限った話ではない。シリアからの難民達でも、自分さえ、自分たちさえドイツにいければ、通行する国の人も含めて他人はどうでもいいという態度を取る連中がいるから、自分たちがドイツにたどり着けたから後はどうでもいいという態度を取る連中がいるから、ただでさえ難民のあまりの多さに根を上げかけているヨーロッパで難民排斥の意見が強くなっていくのだ。
現在ヨーロッパに押し寄せている難民達に、難民になったことに対する責任はないと言ってもいいだろう。ここまで状況が悪化した原因は、EUやNATOの失策にあるのだから。しかし、現在ヨーロッパで難民の受け入れ条件が厳しくなり、いわゆるバルカンルートが閉鎖されている原因の一端は、すでにヨーロッパに入った難民達の振る舞いにある。そして現在の悪循環をとく鍵も、難民達の行動にあると思うのだが、どうだろうか。
4月4日23時。
2016年03月31日
潔癖症国家(三月廿八日)
もう廿年近く前になるだろうか。渡辺淳一なる作家の小説がベストセラーになり、映画化だかドラマ化だかされて、「不倫」という言葉が市民権を得たのは。当時から嫌な言葉だなあと思っていたのだが、マスコミにはなぜかもてはやされていた。「不倫は文化だ」とか叫んでいたのは、作家本人だったか、出演者だったか、いずれにしても聞くに堪えなかった。
それが、最近は、どこぞの芸人が、どこぞの誰と不倫したというニュースが、ネット上を騒がし、それだけならまたかよと思えば済むのだが、よってたかって袋叩きにして謝罪を強要しているように見えるのはどうなんだろう。こういうのを見ると、いじめが日本社会の縮図だというのがよくわかってしまう。
正直な話、芸人の誰が誰とくっつこうと、それがいわゆる不倫の関係であろうとなかろうとどうでもいいし、公私の区別で言えば、私にあたるプライベートな部分をつつかれて、一点の恥もないという人物が、報道するマスコミや声高に批判する人たちの中にどれだけいるのだろうと考えてしまう。他人のプライバシーを穿鑿するのは楽しいのだろうけど、穿鑿ぐらいでやめておいて、批判や罵詈雑言を投げるのは、当事者に任せておけばいいのに。こんなことは関係のない人間が、あれこれ言っても仕方がない。
ただ、チェコのこういう点に関する寛容さもどうかとは思う。ここ十年ほどの首相のうち三人までが、在職中にいわゆる「不倫」関係にあり、首相を辞めてから前の奥さんと離婚して不倫相手と結婚している。いや、トポラーネク氏は、前の奥さんが離婚を拒否してるんだったかな。それはともかく、この女性問題は、在任中から一般にも知られていたが、首相をやめる原因にはなっていないのである。
三人のうち、最後のネチャス氏の辞任だけは、女性問題のせいだとは言える。首相府(この言い方が正しいかどうかは確信がない)の事務局長をしていた今の奥さんが、軍の情報部を使って前の奥さんの動向を監視していたのが、職権乱用に当たるとして逮捕されたことがきっかけであって、二人がそういう関係にあったことが原因にはなっていない。一応、前の奥さんが、首相夫人が関係するには危険な宗教団体とつながりがあるという疑惑があって、それを確認するためだという言い訳がなされていたけど、実際は離婚につながるネタを探させていたんだろうなあ。
結局、実際に職権乱用の指示を出したのがネチャス氏本人じゃないのかという疑惑が起こったことで辞任に追い込まれた。ただ、本人が頑張れば首相を続けられそうな雰囲気だったのに、政党ODSでクラウス氏の秘蔵っ子として日の当たる道ばかりを歩いてきて、批判を受けるのに慣れていない本人が、やってらんねえやとばかりに政権を投げ出したような印象を受けた。90年代の日本で政権を投げ出した細川首相の辞任に通じるものを感じる。
このネチャス氏の件に関しては、批判されるべきは、むしろ愛人の女性を自分の管轄する役所の高官として採用したことだと思うのだが、そこをつつくと収拾がつかなくなるのか、それほど批判はされていなかったようである。ちなみに、このネチャス氏、今回の習近平氏の来チェコに際して、ゼマン大統領と、誰が中国との関係改善を始めたかでメディアを通して争っている。どちらが始めたにしろ、さして名誉なことでもないと思うのだが。
話を日本に戻すと、最近叩かれている乙武氏だけは、ちょっと違うのではないかという気がしてきた。この人が自らの言動を通して主張しているのは、おそらく、障碍者だからと言って腫れ物に触るように扱わないでほしいということである。多少の配慮が必要であるにせよ、障害者を特別扱いをして、何をしても、しなくても、許されるアンタッチャブルな存在にはしないでほしいと考えているのなら、今回袋叩きにされているのは、実は本人の望む所なのではなかろうか。
マスコミがそれをわかって協力しているのなら、捨てたもんじゃないという気もするが、実際のところは乙武氏に振り回されているだけのようである。更にひどいのは、どこかの政党が、計画していた選挙への擁立を見直すといっていることだ。お妾さんとか、二号さんとか、昔は政治家のためにあるような言葉だったのだが、今では変わったのだろうか。
それはともかく、著書『五体不満足』というタイトルからもわかるように、乙武氏のスタイルは多分に露悪的である。今回の騒動にも、どうしてそこまでと言いたくなるような、そう、障碍者プロレスに関する記事を読んだときに感じたのと同じような感想を抱いてしまう。目的は理解できるし、理念に共感もできるのだけど、痛々しくて見ていられない。とまれ、乙武氏のように、自らを自らのハンディを冗談にできる、もしくは笑い飛ばせてしまう人は強い。
チェコにルツィエ・ビーラーという女性歌手がいる。この人、実はチェコでも差別されることの多いロマ人(ジプシーと書いたほうがわかるかもしれない)らしいのだが、出自を隠さないどころか、自分がロマ人であることを冗談にしたり、他の人が言うと人種差別だと批判されてしまいそうなロマ人をネタにしたどぎつい冗談を平然とテレビの生放送で口にしたりしてきたらしい。この強さが、おそらくビーラーが共産主義の時代から変わらぬ人気を得て続けている理由の一つだろう。
乙武氏にもビーラーにつながるしたたかさを感じてしまう。障碍者である、しかも重度の障碍者である乙武氏が、健常者(これも嫌な言葉だ)と同じような行動を取って、健常者と同じように批判され、健常者と同じようにあれこれ暴露されている現状は、乙武氏にとっては計算どおりなんじゃなかろうか。最初のリークも本人がというのはさすがに違うだろうが、少なくとも状況を十分以上に活用して、マスコミの大騒ぎぶりをにやにや満足げに眺めているような気がしてならない。もちろん、勝手な想像に過ぎないけど。
また、当初の予定と内容が微妙に変わってしまった。これも看板に偽りありだけど、題名はそのままにしておく。
3月29日23時。
2016年03月01日
健康テロリスト(二月廿七日)
半月ほど前だっただろうか、日本から来られた方と話していて、面白い話を聞いた。その方も知人から聞いた話だというのだが、チェコに来た方が、レストランで料理を注文するときに減塩にしてほしいというお願いをしたというのだ。それで、減塩調理なんてしたことのないチェコ人シェフは塩を使わずに料理を作って出してきたらしい。高血圧なのか、脳卒中になる危険性を下げたいということなのか、よくわからないが、旅行中ぐらい開放感に浸って、そんな制限は外してしまえばいいのにとも思ったが、私のこの文章書きと同じで、一日ナアナアにしてしまうとずるずると行きそうで怖いと言う気持ちはわからなくはない。
ただ、どうなのだろう。我が知り合いたちがよく言うように、食事制限に気を使いすぎると、料理に何が入っているのかをいちいち確認しなければ食べられなくなって、そのストレスの方が塩分を多少多めによるよりも、はるかに健康に悪いのではないかという気もする。ときどき日本から食品を送ってもらうことがあるのだが、減塩のインスタント味噌汁が出てくると、うーんと思ってしまう。健康にはいいのだろうけれども、日本にいるならともかく、チェコでたまにしか食べられない和食ぐらいは、そんなことを気にせずに食べたいものである。
すでに旧聞に属してしまうが、昨年の秋ごろに世界保健機構の何とか言う下部組織が、ソーセージやハム、燻製の肉などを食べると発ガン率が上がると発表したというニュースに一瞬びっくりした。そして、正確には覚えていないが、発ガン性が高くなる分量と食べ方、上がるという発ガン率の差に、そういうのは誤差の範囲じゃないのかと言いたくなった。同じものを毎日大量に食べたり飲んだりすれば体によくないのは、別にこの手の加工肉に限った話ではないだろう。
ワインにしても、コーヒーにしても、健康にいいとか悪いとかいう研究と称されるものが発表されることがある。しかし、適量であれば健康にいいが、摂取しすぎると健康によくないと言うのでは、何も言っていないのと同じである。しかも適量には個人差があると来ては、そんなものを信じて、自分の健康な生活に生かそうとする人がいるのが信じられない。健康にいいからと言っても、そればかり摂取していれば、体によくないのは当然である。本来、小学校の給食には、そういうことを子供たちに教えるという機能もあったのではなかったか。
1980年代の半ば、日本では科学雑誌が一時代を築いていた。若者の理科ばなれを憂えた竹内均が創刊した「ニュートン」を筆頭に、小学生向けの学習雑誌「科学」「学習」につながるものとして学研が発行していた「ウータン」、とりあえず売れそうな分野には手を出す日本最大の出版社講談社から出ていた「クオーク」の三誌がその中心を担っていたといえようか。うちでは「科学」「学習」時代からの付き合いで「ウータン」を購読していたのだが、学研ではオカルト雑誌の「ムー」も発行していた影響なのか、時々、麻原彰晃の記事のようなこれは何か変だと思う記事も載っているが不満で、「ニュートン」を購読していた友人の家がうらやましかったのを覚えている。「クオーク」は高校の図書館に入っていて目にする機会があったのだったか。
この三誌のうちのどの雑誌の別冊だったかは覚えていないが、分厚い科学関係の百科事典のような内容のハードカバーの別冊があった。その本ではさまざまな科学的な知識を得ることができたのだが、中でも、人間の体にとっては、本来あらゆる物質が毒であるという記事には衝撃を受けた。どんなに栄養のある物質であっても、人間の体にとっては異物であり、害よりは益の方が大きいから、毒だとみなされずに食べ物とみなされるのだと言う。摂取した際に害の方が、大きくなる分量に多寡の差があるに過ぎず、地球上で一番毒性の低い水でさえも、摂取量が多すぎれば死に到るのだとも書かれていた。たしか五リットルの水を一度に摂取すると、半数の人間が死ぬだったかな。
動物実験の結果から導き出された数値を駆使した記事には、説得力があり、どんなに好きなものでも毎日食べ続けることはしないという以後の生活の指針の一つとなる。お酒とかコーヒーとか、例外はあるし、どうしようもなく忙しくて毎日ファーストフードのお世話になった時期はあったけれども。
だから、毎日たくさん食べ続けると発ガン性が上がるなどと言われても、当たり前すぎて、無意味な言葉にしか聞こえない。こんな誤差としか言いようのない結果を発表するぐらいなら、毎日毎日ハンバーガーだの、牛丼などを食べ続ける食生活の危険性を訴えるキャンペーンをしたほうがはるかにましである。吉野家が牛丼は毎日食べても健康に悪くないなどという「研究結果」を発表していたが、冗談ではない。この手の健康にいい研究も、悪い研究も、いわゆるためにする研究のように感じられてならない。最初から求められる結果が決まっている研究などないほうがましである。
塩分や砂糖などいろいろな食品に含まれているものについては、ある程度意識する必要はあるのかもしれないが、一回一回の分量に神経質になるのではなく、長期的に考えたほうがいい。だから、一週間に一回ぐらいなら、ファーストフードのお店でハンバーガーと得体の知れない飲み物を買っても問題ないのではないだろうか。もちろん食べたい飲みたいという欲求があればの話だが。私自身はハンバーガーを食べたいと思うことはないが、たまに無性にポテトチップスやカップラーメンが食べたくなってしまって、体にはよくないだろうなあと思いながら食べてしまうことがある。
煙草にしても、今では麻薬になってしまったコカインにしても、かつては健康に害があるなどとは思われていなかったし、薬のように扱われていた時代もあるのである。薬とは役に立つ毒のことであると言う名言もあるが、現在健康にいいとされているものが、将来実は有害なものだったということにならないとも限らない。
煙草に関しては、本当にそんなに有害なのなら、子供が見たら泣き出してしまいそうな写真をつけるなんて方法は取らずに、常習性の高い麻薬として禁止してしまえばいいのに。禁止できない事情があるなら、薬品扱いして処方箋がないと買えないようにしてしまえばいい。煙草にだって適量というものがあるはずだから、医師がそれを指定することはできるはずだ。
書き上げるのに、これまでで一番苦労したかもしれない。その割には大した文章になっていないのが残念。ブログに載せるということで、無意識に穏当な表現を求めてしまうせいか、頭の中で考えているように文脈が流れていかないような気がする。うーん。
2月28日11時。
これも題名に偽りありかなあ。今回の敗因は、書いている途中、テレビでジェイミー・オリバーが、アメリカの学校給食を変えようとしてロサンゼルスで奮闘する番組が流れていたことに違いない。あれを見ていると、健康にいい食事とか考えなくてもいいじゃないなんてことは、書ききれなかった。2月29日追記。
2016年02月25日
ヨーロッパの傲慢一 羊頭狗肉篇(二月廿二日)
このテーマも以前から温めていたものなのだが、考えがとっちらかっているのと、いちゃもんを付けたいことが多岐にわたっているとでなかなか書き始められなかった。とりあえず一度ぐらいはこのテーマで書いておこうということで見切り発車する。どんな方向に話が広がって、どこに着地するのか自分でもさっぱりわからない。おそらく今後も何度かこのテーマで書くだろうということで数字をつけておく。
ヨーロッパの人は、チベットが大好きである。私には理解のできない理由で理解できないレベルでチベットのことが大好きである。中国に併合されて独立を求める運動をしているという点では同じである新疆のウイグル人にはまったく冷淡であるのに、インドに併合されてしまったシッキムなんて知っている人もいないのに、チベットにだけは異常な共感を示すのである。
おそらく、ダライ・ラマという人物が鍵を握っているのだろうが、この人物がどうにも評価しづらい人物である。ラマ教、もしくはチベット仏教の僧衣を身に付けて、眼鏡をかけて腕時計をしている姿には、どうしようもない違和感を感じてしまう。実際のところがどうだったのかは知らないが、オウム真理教の麻原彰晃がダライ・ラマにすり寄っていたと言うか、麻原がダライ・ラマの名前を悪用したという話も納得できてしまう。だからダライ・ラマが悪というわけではないが、何ともいえない胡散臭さを感じてしまうのだ。
おそらく、ダライ・ラマという存在は、欧米の人たちのオリエンタリズムを刺激してしまうのだろう。ヨーロッパが期待するアジア人を、見事に演じているといってもいい。オリエンタリズムの裏返しとして、異質なはずのアジア人の口から、ヨーロッパ的な自由、民主主義を称揚する言葉が出てくることに喜びを感じるのかもしれない。
それで思い出してしまったのが、プレスター・ジョンの伝説である。キリスト教がイスラム教の攻勢に悩まされていた時代、かつて東方に向かったプレスター・ジョンがイスラム教徒の向こうに、つまりアジアにキリスト教を広めたおかげでキリスト教徒の国があるという伝説が流布していた。イスラム教の向こう側にモンゴル帝国が起こってイスラム教徒の国々と戦い勝ち始めたとき、ヨーロッパの人々はこれこそプレスター・ジョンの国だと考えて、熱心に使節を送りつけたりしたらしい。チベットが、ヨーロッパからイスラム世界を越えたところに位置することと、モンゴルではラマ教が信仰されていたことを考えると、奇妙な符合を感じてしまう。
ところで、ヨーロッパの人たちは転生ラマというものを本気で信じているのだろうか、それとも、だだの社会制度として理解しているだけなのだろうか。いずれにしても政教分離の原則からは外れそうである。そして、もう一つ気になるのは、チベットへの共感が、政治的には相容れないはずの中国と経済的な結びつきを強めていかざるを得ない状況の中で、口に出せない中国への反感の裏返しではないかということだ。ヨーロッパが見ているのは、実はチベットではなく中国なのではないだろうか。ダライ・ラマはしたたかな人物のようなので、そんなことは百も承知で、ダライ・ラマを演じているような気もする。
ただし、チェコ人にはチベットに共感する大きな理由が二つある。一つは、プラハの春以降の正常化の時代のチェコとソ連の関係を、チベットと中国の関係に見立てることができる点である。そして、もう一つが、近年チベットで増えているらしい、現体制に抗議するための手段としての焼身自殺である。ワルシャワ条約機構軍の侵攻に対して抗議の焼身自殺を遂げたヤン・パラフとヤン・ザイーツは、チェコでは民族の英雄となっているし現在でもしばしば社会に対する不満を訴えるために焼身自殺を図る人がいるのである。
記事のタイトルと内容に乖離が生じてしまって、しかもおさまりが全くついていないのは、酒が入ってしまったからということにしておこう。
2月23日23時30分。
いつの間にかダライ・ラマ関係の本、しかも専門書ではない一般向けの軽めの本が増えていてちょっとびっくりした。ブームなのだろうか。2月24日追記。
2016年02月15日
難民? 不法移民?(二月十二日)
シリアやイラク、アフリカなどからヨーロッパに押し寄せる人々と、それに対する政策については以前から考えをまとめたいと思っていたのだが、なかなか考えがまとまらない。いろいろな立場からあれこれ考えて結論めいたものを引っ張り出しても、どうにも納得できないのである。
その理由をつらつら考えるに、関係者のいずれに対しても、違和感と言うか、納得できないところと言うか、理解できないところがあって、共感しきれないことがその原因のようである。考えをまとめるために、それぞれに感じる違和感を並べ立ててみることにする。
まず、恐らく最も多くの反対者と最も熱狂的な支持者を擁する急進的な移民排斥を主張するグループから始めよう。外国人としてチェコに住んでいる私には、このグループには共感のしようもないのだが、この連中が掛け声に使うスローガンは、「チェヒ(=ボヘミア)はチェコ人に」というものである。じゃあモラビアとシレジアはいらないのかという揚げ足取りは置くにしても、納得できないのは、この連中がドイツのネオナチと手を組んで、ヒトラーを信奉しているところだ。今回の難民問題が発生する前から不思議だったのだが、チェコスロバキアに侵攻し、チェコをドイツの保護領にしてしまい、ユダヤ人の次にはスラブ人を絶滅させることを計画していたとも言われるヒトラーを信奉することが、「チェヒはチェコ人に」にどのようにつながると言うのだろうか。
また、最近このグループに接近して積極的に活動発言している政治家に、自称日系人のトミオ・オカムラ氏がいる。この人物に関してはいろいろ言いたいこともあるだが、簡単に言えば日本人であることを声高に主張して、それを売り物に支持を集め、大統領選挙への出馬を画策した挙句に、国会議員にまでなってしまった人物である。こんな人物を擁するグループが叫ぶ「チェヒはチェコ人に」の「チェコ人」の中に誰が含まれるのか私には理解できそうもない。
言葉の通じない文化の異なる人々を、その人々との接触を恐れる気持ちは、恐らく自然なものだろう。そこから外国人との接触を避けて近づかないという方向に向かうのは、自分の経験からも理解できるのだが、それが、外国人に対する攻撃性につながる裏には何があるのだろうか。日本の幕末の尊王攘夷運動は、外国、外国人への恐怖感が政治的に利用された事例だが、誰かが同じようなことを画策しているのかもしれない。
難民の受け入れと支援を主張するグループは、偽善が好きな私としては支持しやすいのだが、それでも理解できない点がある。目の前で困っている人を助けたいと思う心は賞賛に値する。ただ、人間の食料になる鯨には同情しても、戦争や飢えで死んでいく人には何も感じないらしい環境保護テロリスト達の轍を踏んではいまいかと危惧するのみである。つまり、国内で生活苦にあえいでいる人には、冷淡でありながら、外国人だから支援してやろうと言う気持ちになるという面はないだろうかということなのだが、これはささいなことである。
難民の受け入れを主張するのはいい。ただ、その難民の大半は、チェコに残ることを望んでいないのである。このグループは、難民の意思を無視してチェコに受け入れることを主張しているのだろうか。それとも、チェコを自由に通過させてドイツに行かせろというのだろうか。前者であれば難民がチェコに恨みを感じるきっかけを作ることになるし、後者であれば裏社会ともつながりがあるといわれる難民輸送業者の活動に正当性を与えてしまうことになりはしまいか。逃げてきてしまった以上は仕方がないから、物資や金銭の支援をするというのであれば、思考停止のそしりは受けるにしても、まだ納得もできるのだが。
その意味で、チェコ政府がEUによる難民の受入数の強制を拒否して、チェコへの居住を求めるもののみを受け入れると主張しているのはおそらく正しい。ドイツ行きを希望する者を、無理やりチェコで受け入れたときに、何が起こるのかはあまり想像したくない。その一方で、チェコ政府はイラクなどから少数派のキリスト教徒の家族を積極的に受け入れている。この事業が政府主体で行われているのか、実際に面倒を見ているキリスト教系の団体主導で政府は便宜を与えているに過ぎないのかはわからないが、いずれにしても、同化しやすいというと語弊があるので、社会に適応しやすそうな難民を優先的に受け入れようとするのは、国家の安全を司る為政者としては当然のことであろう。
難民と言い、不法移民と言う。どちらの呼称を使われても、テレビの画面に映る姿を見ると違和感をぬぐえないのだが、このグループにも同情はできても共感はしづらい。難民と言われて思い浮かべるのが、食うや食わずの半死半生の状態で日本に流れ着いた80年代のベトナム難民なので、携帯端末を片手に荷物を担いで闊歩する姿には違和感しか感じられない。
それは時代の移り変わりとして受け入れるにしても、受け入れを求めるEUのルールを無視し、通過する国々に対する敬意を感じさせないのはどうかと思う。彼らの多くは、目的の国、特にドイツにたどり着くためだったら、何でもするという感じで、途中にある国など障害物としてしか考えていないところが見受けられる。受け入れ先のヨーロッパに適応しようという意志はあまり感じられず、これでは通過する国の、国民の共感を得るのは無理な話だろう。自らの行動で立場を悪化させていることに、気づかないのだろうか。難民保護の世論が高まるのは、お涙ちょうだいのストーリーが大好きなマスコミが、悲しくも逃走の途中で命を落としたいたいけな子供の写真を公開したときぐらいでしかないという、残酷な、あまりに残酷な事実は、何かを物語っているに違いない。
もっとも、このようなヨーロッパに逃げてくる人々の態度を生み出したのは、「ヨーロッパ、特にドイツに行けば何とかなる、困ったらヨーロッパが助けてくれる」という偽りの希望をばら撒き続けたドイツを中心とするヨーロッパの政策なのだから、最も責められるべきは、批判されるべきは、EUなのだ。そして、偽りの希望すらも失い、ヨーロッパに裏切られたと感じて絶望した人々の一部が、イスラム国に、テロリズムに走るというのが、現状なのであろう。
この件に関してのEUに対する批判は、山ほどあるが、考えがまとまらないので、稿を改めることにしよう。本稿も決してまとまっているとはいえないが、とりあえず現時点でのまとめとして、形にしておく。
2月13日15時。
こういうテーマには、この広告を。EUのやっている、ありもしない理想の押し付けや、ボランティアとは名ばかりのバカンスよりは、この手の偽善の方がはるかにましであろう。2月14日追記。
タグ:EU批判
2016年02月14日
通訳商売(二月十一日)
通訳という仕事は、本当に語学の才能があって外国語がよくできる人がするものだと思っていたので、チェコ語がある程度できるようになってからも、通訳をしようなどという勇気は持ちえなかったのだが、ある日、知人からの電話でまどろみの時代は終わりを告げた。
日本政府からある施設の改修工事に補助金が出て、設備の設置の監督に日本から人が来るので、通訳が必要だという。突然のことで、夏休みの後半、チェコ語のサマースクールが終わってのんびりしたいと思っていた時期でもあり、前年のサマースクールに来ていて私のことを先輩と呼んでいた後輩がチェコに遊びに来ると言っていたこともあって、できれば引き受けたくはなかった。ただ、その知人にはお世話になっていたし、引き受けると言っていた知り合いに直前になって逃げられて途方に暮れているのを見捨てるようなことはできず、結局引き受けることになった。最初の話では、日本からの人が滞在する二週間のうち、二日か三日だけ行けばいいと言う話だったのも、決断を後押しした。かくして、初めて通訳商売をすることになったのだった。
正直、初日のことはほとんど覚えていない。駅まで迎えが来たのかも自分で現場まで出向いたのかも覚えていないし、最初の打ち合わせに、日本から来た二人の方以外に誰がいたのかも思い出せない。あれこれメモを取った記憶はあるが、それが役に立った記憶はない。覚えているのは、チェコ側の設備の設置を担当した会社の人たちに連れられて、昼食に行ったことだ。そして、通訳をしながら食事をするのは非常に難しいという今日につながる教訓を得たことだ。
その日の終わりにチェコ人側から当初の予定を変更して、毎日来てくれないかと求められ、すでに予定の入っていた日を除いて二週間仕事を引き受けることになってしまった。宿舎としては通訳の職場である工事の行われている施設の上にある宿泊施設を用意してくれるという。結構な有名人も利用したことがあるらしいところに宿泊できるのはありがたかったが、私一人の利用のために特別に開けてくれたようだったのは申し訳なかった。かなり大きな施設で、ボイラーまでの距離が遠いのか、シャワーを浴びる際に、なかなかお湯が出てこずに凍える思いをしたのを覚えている。あのころのチェコの夏は、八月も後半になれば肌寒い日が続いていたのだ。
通訳の仕事自体は思ったほど大変ではなかった。本来は日本から来た人たちの監督の下に行われることになっていた設置の工事は、すでにチェコ人側が終わらせており、日本から来た方々は、こんなはずじゃなかったのにと困惑していた。仕事としては、チェックぐらいしかなく、通訳をしている時間よりも、日本から来た方々とあれこれ話をしている時間のほうが長かったぐらいだ。そのおかげで、通訳の一番大変な仕事は待つことであるという、これも今日までつながる教訓を得られたのである。
もちろん問題が発生して、日本人側とチェコ人が意見をぶつけ合うようなことも何度かあり、日本語で聞いてもよくわからない専門的なことを、語彙の知識だけを頼りに通訳していくのは大変だった。口から出す言葉を自分自身が理解できていないというのは、苦痛だったが、あるチェコ人の言葉に救われた。
「俺達は、どちらも専門家で、仕事に関しては分かり合える。ただそこに言葉の壁があるだけなんだ。その壁をお前が取り去ってくれてるんだから、心配しなくても当然理解し合えてるんだよ」
泣き言を漏らしかけたところに、こんなことを言われて、苦労が報われた気がしたし、通訳と言う仕事も悪くないと思ったのだった。その後あちこちで通訳の仕事を引き受けることになるのは、この経験が大きい。
チェコ人側が予定を組んで、近所の観光地のお城に出かけたり、博物館などを見学したりすることもあった。これは通訳初心者には結構辛い体験だったが、初めてであるということで開き直って、ガイドの言葉がわからないときには、何度も聞き返すようにしていた。最初の通訳体験がこれだったおかげで、わからない言葉をわからないままに通訳しないで、質問して説明してもらってから通訳するという習慣を身に付けることができた。
思えば、初めての通訳がこのようなものであったことは、幸せなことだったのだろう。完全にうまく行ったわけではなく、あれこれ失敗をして頭を抱えたり、穴があたっら入りたいという思いに駆られたりもしたのだが、一緒に仕事をした人たちのおかげで、前向きに仕事を続けることができた。最終日に、日本から来た方々だけでなく、通訳の私にまでも懇切丁寧にお礼の言葉をかけてくれ、一緒に仕事をした人たちからお礼として記念品をもらったときには、不覚にも涙がこぼれそうになった。
機械のようにある言葉からもう一つの言葉に意味だけを移し変えていくという、通訳学会などが称揚する本物の通訳になれたとは思えないし、今後もなれるとは思えないが、言葉だけの問題で理解し合えない人たちの手助けはできたのではないかと思う。通訳としての私にはそれで精一杯で、それができれば満足なのだ。もっとも、自分の通訳に完全に満足できたことは一度もなく、これからもないだろうが。
最初は、具体的な地名などの固有名詞を使って書いていたのだが、ブログという不特定多数(現状では少数だが)の人に読まれる可能性のある形で表に出すのはよくないような気がして、書き直すことにした。そのせいでただでさえわかりにくい文章が、更にわかりにくくなってしまったかもしれない。
2月12日18時30分。
オロモウツに帰ってきたので昨夜の分を投稿。私のやっているのは多分本当の意味の通訳ではないのだろう。だが、工場などの現場の通訳を使い慣れていない人たちの間で仕事をする際には、それでかまわないのだと開き直っておく。2月14日追記。
2016年01月25日
寒かりし冬の記憶(一月廿二日)
年の初めにあんな文章を書いたからか、年明けから寒くなって気温が氷点下に下がるようになった。そして今朝は、オロモウツのホルニー広場に設置されたウェブカメラのページの表示によれば、マイナス十度以下まで下がったらしい。うわあ寒そうと思ったのだが、外に出てみたらそれほどでもなかった。
いや、寒いのは寒いのである。今年一番どころか、ここ二、三年では一番の冷え込みではあるので、いやになるぐらい寒くはあるのだ。でも、こちらに来たばかりの十五年ほど前のことを考えると、大したことないと言うか、普通なのである。あのころは毎年真冬にはずっと雪が積もっており、気温も最高気温がプラスにならないという日が続くのが普通だったのだ。最高と最低の差があまり大きくなく、マイナス十度を越えることは滅多になかったけれども。そんな日にはマイナス五度までなら日本で経験があるから何とか耐えられるけど、マイナス十度は耐えられないなどとわめいていたのだから。
考えるだにおぞましいのだが、そんな冬に鍛えられて、寒さへの耐性がついてしまったのだろうか。「自称南国」の地域で育った人間としては、最近の軟弱な冬を物足りなく思ったりしてしまったのだとしたら、慙愧の念に耐えない。寒さだの雪だのいうものは、須く敵たるべきであるのだ。
それはともかく、こちらに来たばかりのころに、当時オロモウツに住んでいた日本人の女性が、冬場にプールに行くと、上がった後にドライヤーでちゃんと乾かしたつもりでも水分が残っていて、外に出ると髪の毛がシャリシャリいって気持ちが悪いと言っていたのを思い出した。
それに真冬になるとレストランや、喫茶店の入り口を入ったところに、分厚いカーテンで三方を囲まれた小部屋みたいなのが作られることが多かった。ドアを開けても、寒気が直接中に入らないように、暖かい空気が外に逃げていかないように、工夫したものだと師匠は言っていたが、最近はトンと見かけなくなった。来たばかりのころは、冬場に買い物に行くと店内の熱気で汗をかき、外に出るとそれが冷え込んで風邪を引くなんてこともあった。クーラーがききすぎた日本の夏と同じで、内外の気温差に体が対応しきれなかったのだ。
私がこちらに来てからの十五年ほどで一番厳しかった冬は、十年ほど前の冬だった。あの年は絶望的なまでに冬が長かったし、気温もやめてくれと言いたくなるほど下がった。知り合いの日系企業の社長は、朝の出勤時に自動車の外気温の表示がマイナス二十五度になっているのを見て、思わず写真を撮って、知り合いに片っ端からメールで送りつけたと言っていたが、その気持ちはものすごくよくわかった。
寒さが痛いと言うのは、マイナス五度でも十度でも感じられることだが、トラムの停留所まで歩いただけで筋肉痛と言うのは、この年が初めてだった。恐ろしく気温が下がった日の翌日、朝起きると手足の筋肉が、運動をした翌日のように痛かったのだ。前日した運動と呼べるものは、自宅から職場まで往復する際に、トラムの停留所まで歩いただけだった。
気がめいったのが、部屋の中から太陽が出ているのを確認して、少し暖かくなるという期待と共に外に出ると、逆に恐ろしく寒い日が続いたことだ。太陽は黄色く見えるものの、その光に熱はなく、晴れているのに空は青いというよりは水色に近い白色で、何かの悪い夢を見ているような気がした。どこかの本で読んだ「エントロピーの消滅した世界」とか、1980年代に話題を集めた核戦争後の地球のいわゆる「核の冬」というのはこんな感じなのだろうかという怖れが、唐突に頭に浮かんだのを思い出す。
当時は毎週一度朝早くおきて、オストラバに通訳のアルバイトに出かけていたのだが、寒さのせいでものすごく遅刻したことがある。ちょうどいい時間に直通の電車がなく、プシェロフの駅で乗り換えのためにブルノから来てオストラバに行く電車を待っていたのだが、いつまでたっても来そうにない。アナウンスで電車が遅れている理由を説明していたのだが、最初は理解できなかった。何度も繰り返し聞いて内容はわかったのだが、やはり理解できなかった。寒さでレールが破裂したってどういうことなのだろう。チェコの道路や鉄道は、涼しい夏より、厳しい冬に耐えられるように設定されているはずである。いや、その前に、レールって寒さなんかで破裂するものなのだろうか。「昨日は線路が盗まれてオロモウツに来られなかった(実話)」という友人の言い訳を聞いた時と並ぶ衝撃の事実だった。
あの冬を乗り切って以来、認めたくはないのだが、寒さがそんなにこたえなくなったような気はする。それでもやはり寒さは敵である。そしてこちらが寒さに震えているのに、嫌がらせのように半袖のTシャツを着ているチェコ人、あまつさえ半ズボン、サンダルで闊歩しているチェコ人もまた敵なのである。
1月22日23時30分
『太陽の世界』発見。いくら古本屋を回っても発見できなかった18巻だけでも入手したいものだ。そのためにはkoboが必要なのだろうか。1月24日追記。
価格:7,452円 |
2016年01月12日
太陽光発電(一月八日)
2011年に福島の原子力発電所で爆発が起こった際に、ドイツなどではかなり的外れな報道が行われたらしいが、チェコの報道はきわめて正確だった。花粉症のマスクなど人々の振る舞いについても、東京在住のチェコ人が取材に応じて、外国ではあれこれ言われているけれども、実際は違うなどと正しいことを言っていたし、原子力発電所そのものについても、ヨーロッパで測定された福島起源の放射性物質についても、本物の原子力エネルギーの専門家が出てきて、日本での報道に比べてもきわめて正確な予測、発言をしていた。また、共産主義時代に、ある原子力発電所で働いていた人が、爆発事故の一歩手前までいって、瀬戸際で食い止めたことがあるという回想と共に、福島で奮闘している人たちを応援するコメントをしていたのも覚えている。
ドイツ政府は、ほとんどパニック状態で原子力発電所をすべて廃止することを決めるのだが、現実的なチェコ政府は、原子力を使い続けることを決め、国民もそれに対して特に大きな抗議活動をするようなことはなかった。ドイツが原子力発電所を廃止するのは、それはそれでかまわないのだが、フランスやチェコの原子力で発電された電気を購入するのは気にならないのだろうか。
しかし、ドイツで、原子力に変わるエネルギーとして、回復可能なエネルギーの利用を促進することが決められ、太陽光発電に対して、過大な補助金を出して電力の高額での買取を保証する制度が始まったとき、残念ながら、チェコもこれに巻き込まれてしまったのである。
ドイツからしばらく遅れて、この制度がチェコに導入されたとき、それまで多くは家屋の屋根などに設置されて、家庭で使用する電力の一部をまかなうという健全な形で活用されていた太陽光発電が、全く違う形で行われるようになった。チェコ中のあちこちに、農地をつぶして設置された広大な太陽光発電所が、それこそ雨後の竹の子のように、生まれることになったのである。当時は、オロモウツから南、ホドニーンの方に向かう電車に乗るたびに、同じ方向に車で走るたびに太陽光発電所が増え、うんざりさせられたものである。その中にはチェコ国内で最も肥沃だといわれる農地をつぶして出来上がったものもあるらしい。
これは、政府が電力の買い取り価格を長期間保証する形を取っていたため、金儲けのチャンスとばかりに、みんな飛びついたものらしい。政府もさすがにこれはまずいことに気がついて、特別税などの導入で、買い取り価格の実質的な引き下げを行おうとしたようだが、裁判を起こされたりしてあまりうまく行かなかったようだ。
とまれ、それまでの時期が来れば菜の花が一面に黄色い花を咲かせていた畑が、醜悪な黒いパネルが斜めに立ち並んでいる発電所に換わったのを見ても、莫大な補助金を出してまで太陽光発電を推進するべきだと言える人はいるのだろうか。環境と言う言葉に、景観も含まれるのであれば、山中に林立する風力発電のプロペラも、畑に敷き詰められた太陽光発電のパネルも立派な環境破壊である。
問題はそれだけではない。一度に太陽光発電所が電力網に接続された時期には、電力会社が、太陽光発電の発電量の急激な変化を吸収しきれず電力網が全体的にダウンする恐れがあると言っていた。幸いにしてそういう事態にはならなかったのだが、電力会社がアリバイ作りにそういう発言をしなければならないほどの状況であったわけである。やはり、太陽光発電や風力発電のような人間の手で発電量を左右することのできない発電方法を電力政策の基礎に据えることには、問題があるのだ。いや、まずしっかりとした蓄電方法を開発するべきなのだ。そうすれば、電気が不要なときに発電したものを、必要なときに使用することができるようになるのだから。
現在でも続いているのかどうか走らないが、ひところ、ドイツの太陽光発電所では、夜間に照明を当てて発電させるという方法が取られていたらしい。電気代よりも電気を売る価格のほうがはるかに高いので、発電量よりも使用量のほうが多くても採算が取れたのだという。こんなのを以て、環境大国とか、環境保護先進国と言うのであれば、そんなものになる必要はない。
一体に、日本においては、ドイツという国は非常に評価が高い。私自身もものすごく高く評価していた。しかし、ヨーロッパに来て思うのは、それは過大評価なのではないかということだ。第二次世界大戦の戦後処理も含めて、ドイツの政策に日本のあるべき姿を見るのは、実は大いなる勘違いなのではなかろうか。われわれ日本人が見ているドイツの姿と言うのは、明治以来、鴎外以来、われわれが抱き続けてきたドイツへの憧れが見せている幻影なのかもしれない。ドイツに対する愛憎入り混じった複雑な感情を抱いているチェコに暮らしていると、そんな気がしてならないのである。
1月9日0時30分
とりあえず、以下に広告のバナーをはってみる。1月11日追記。
2016年01月08日
地球温暖化?(一月四日)
クリスマスには、いやチェコ語でバーノツェには雪が積もっていてほしいと言っていたのは、チェコを出てタイに行ってしまった友人だっただろうか。それが何年前のことだったかは覚えていないが、あの年も雪はあまり降らなかったような気がする。こちらに来たばかりのころ、二千年代の初めには、雪の多い年が多かったのだが、ここ数年は、今年も含めて雪の少ない年が多く、気温もあまり下がらないので、寒がりにとっては非常にありがたい。ただ、雪が少ないのは、水不足につながるので、一番いいのは雪は多いけれども気温はあまり下がらない(具体的には氷点下5度までだったら許せる)冬なのだろうが、一体に雪の多い年は気温も低いものである。
とまれ、今年のと言うべきか、去年のと言うべきか、とにかく2015年の夏はチェコとは思えないぐらいに暑かったし、冬は暖かい。共産主義の時代には、毎年冬には大雪が降って暖房用の燃料不足で学校が臨時休校になることもままあったという話だから、これは、いわゆる地球温暖化が進んでいる証と言ってもいいのかもしれない。
チェコの前の大統領バーツラフ・クラウス氏は、南米のどこかの国を公式訪問した際にセレモニーでサインするのに使ったペンをポケットに入れてそのまま持ち帰ってしまったことと、地球温暖化を否定する考えを公言していることで有名で、特に後者に関しては環境保護団体などから強い批判を受けている。私自身は、地球温暖化を否定するつもりはないし、クラウス氏の著書も読んでいないのだが、クラウス氏が地球温暖化論者を批判する気持ちもわからなくはない。
それは、温暖化論者や環境保護団体は、声高に地球温暖化の危機を訴え、自慢げに気温上昇のデータを提示するが、ある重要な事実を無視して議論を進めるからである。
人間の活動による二酸化炭素の排出があろうがなかろうが、地球の気候は常に変動している。その証拠としては氷河期というものを思い出せば十分だろう。中学校か高校の理科だったか社会科だったかの授業を思い出すと、これまで地球の歴史の上で、気温が低い氷河期と、気温の高い間氷期が何度も繰り返されてきており、また暖かい間氷期であっても、気温が比較的下がる小氷期と呼ばれる時期が存在するなど、気候は常に一定ではないということだった。気候の変動が、歴史上のさまざまな出来事に影響を与えているという説も読んだ記憶がある。
それに、恐竜の絶滅にも気温の変化が関係していたのではなかったか。昔から恐竜の絶滅の原因についてはさまざまな説が唱えられてきたが、恐竜が栄えた中生代には気温が高かったのに、中生代の終わりに気温の低下が始まり、恐竜はそれに適応できなかったという方向でまとまりつつあるようだ。その気温の低下の原因に関して、巨大隕石落下説とか、巨大火山噴火説とか、見出しを読むだけでもわくわくするような説があって楽しいのだけれども、一番説得力を持っていたのは、一見地味な、植物の進化と繁栄によって光合成が盛んに行われた結果、高かった大気中の二酸化炭素の濃度が下がったからではないかという、現在の地球温暖化の裏返しのような説だった。
そうなのだ。知りたいのは、現在の地球の気候が、人間の排出する二酸化炭素がなかったとした場合に、気温の上昇する過程にあるのか、下降する過程にあるのか、その大まかな傾向なのだ。同じ気温の上昇が二度でも、上昇傾向の中での二度上昇と、下降傾向の中での二度上昇では、意味が全く違ってしまう。そのあたりに触れないまま、あるいはあいまいにしたまま、ヒステリックに地球を守るために温暖化を防がなければならないなどと言われても、ため息を吐くしかない。
気候の変動は何万年単位で起こるものなので、たかだか数百年レベルの測定値では、はっきりした傾向が見えてこないのかもしれない。それならそれで、そのことを明記した上で、仮説を提示してその中に現在の気温の上昇を意味づけてくれれば、大満足なのだが……。「地球にやさしい」だの「地球を守ろう」だの御大層なことをのたまうのであれば、現在の温暖化が、人類の歴史においてではなく、地球の歴史においてどのような意味を持つのかを明らかにしてほしいものだ。現在の温暖化に関する議論に、80年代に盛んだった石油枯渇説と同じような臭いを感じているのは私だけではないはずだから。
もっとも、地球という惑星の存在からすれば、地表でうごめく我々人類など取るに足らない存在であり、地表の気温が多少上がろうが下がろうが誤差の範囲でしかなく、仮に人類を含めた生物がすべて絶滅しようが地球は地球として残るという結論しか出てこないのかもしれないが。だから、人類が「地球を守る」とか「地球にやさしい」などというのは、傲慢さの表れにしか聞こえない。これが「人間の住める地球を守る」だったら、全く異論はないのだけれども、語呂が悪いのだろうか。
1月5日17時20分
これも文字を大きくする。2月11日追記。