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2016年02月14日

通訳商売(二月十一日)



 通訳という仕事は、本当に語学の才能があって外国語がよくできる人がするものだと思っていたので、チェコ語がある程度できるようになってからも、通訳をしようなどという勇気は持ちえなかったのだが、ある日、知人からの電話でまどろみの時代は終わりを告げた。
 日本政府からある施設の改修工事に補助金が出て、設備の設置の監督に日本から人が来るので、通訳が必要だという。突然のことで、夏休みの後半、チェコ語のサマースクールが終わってのんびりしたいと思っていた時期でもあり、前年のサマースクールに来ていて私のことを先輩と呼んでいた後輩がチェコに遊びに来ると言っていたこともあって、できれば引き受けたくはなかった。ただ、その知人にはお世話になっていたし、引き受けると言っていた知り合いに直前になって逃げられて途方に暮れているのを見捨てるようなことはできず、結局引き受けることになった。最初の話では、日本からの人が滞在する二週間のうち、二日か三日だけ行けばいいと言う話だったのも、決断を後押しした。かくして、初めて通訳商売をすることになったのだった。

 正直、初日のことはほとんど覚えていない。駅まで迎えが来たのかも自分で現場まで出向いたのかも覚えていないし、最初の打ち合わせに、日本から来た二人の方以外に誰がいたのかも思い出せない。あれこれメモを取った記憶はあるが、それが役に立った記憶はない。覚えているのは、チェコ側の設備の設置を担当した会社の人たちに連れられて、昼食に行ったことだ。そして、通訳をしながら食事をするのは非常に難しいという今日につながる教訓を得たことだ。
 その日の終わりにチェコ人側から当初の予定を変更して、毎日来てくれないかと求められ、すでに予定の入っていた日を除いて二週間仕事を引き受けることになってしまった。宿舎としては通訳の職場である工事の行われている施設の上にある宿泊施設を用意してくれるという。結構な有名人も利用したことがあるらしいところに宿泊できるのはありがたかったが、私一人の利用のために特別に開けてくれたようだったのは申し訳なかった。かなり大きな施設で、ボイラーまでの距離が遠いのか、シャワーを浴びる際に、なかなかお湯が出てこずに凍える思いをしたのを覚えている。あのころのチェコの夏は、八月も後半になれば肌寒い日が続いていたのだ。
 通訳の仕事自体は思ったほど大変ではなかった。本来は日本から来た人たちの監督の下に行われることになっていた設置の工事は、すでにチェコ人側が終わらせており、日本から来た方々は、こんなはずじゃなかったのにと困惑していた。仕事としては、チェックぐらいしかなく、通訳をしている時間よりも、日本から来た方々とあれこれ話をしている時間のほうが長かったぐらいだ。そのおかげで、通訳の一番大変な仕事は待つことであるという、これも今日までつながる教訓を得られたのである。
 もちろん問題が発生して、日本人側とチェコ人が意見をぶつけ合うようなことも何度かあり、日本語で聞いてもよくわからない専門的なことを、語彙の知識だけを頼りに通訳していくのは大変だった。口から出す言葉を自分自身が理解できていないというのは、苦痛だったが、あるチェコ人の言葉に救われた。
「俺達は、どちらも専門家で、仕事に関しては分かり合える。ただそこに言葉の壁があるだけなんだ。その壁をお前が取り去ってくれてるんだから、心配しなくても当然理解し合えてるんだよ」
 泣き言を漏らしかけたところに、こんなことを言われて、苦労が報われた気がしたし、通訳と言う仕事も悪くないと思ったのだった。その後あちこちで通訳の仕事を引き受けることになるのは、この経験が大きい。
 チェコ人側が予定を組んで、近所の観光地のお城に出かけたり、博物館などを見学したりすることもあった。これは通訳初心者には結構辛い体験だったが、初めてであるということで開き直って、ガイドの言葉がわからないときには、何度も聞き返すようにしていた。最初の通訳体験がこれだったおかげで、わからない言葉をわからないままに通訳しないで、質問して説明してもらってから通訳するという習慣を身に付けることができた。

 思えば、初めての通訳がこのようなものであったことは、幸せなことだったのだろう。完全にうまく行ったわけではなく、あれこれ失敗をして頭を抱えたり、穴があたっら入りたいという思いに駆られたりもしたのだが、一緒に仕事をした人たちのおかげで、前向きに仕事を続けることができた。最終日に、日本から来た方々だけでなく、通訳の私にまでも懇切丁寧にお礼の言葉をかけてくれ、一緒に仕事をした人たちからお礼として記念品をもらったときには、不覚にも涙がこぼれそうになった。
  機械のようにある言葉からもう一つの言葉に意味だけを移し変えていくという、通訳学会などが称揚する本物の通訳になれたとは思えないし、今後もなれるとは思えないが、言葉だけの問題で理解し合えない人たちの手助けはできたのではないかと思う。通訳としての私にはそれで精一杯で、それができれば満足なのだ。もっとも、自分の通訳に完全に満足できたことは一度もなく、これからもないだろうが。

 最初は、具体的な地名などの固有名詞を使って書いていたのだが、ブログという不特定多数(現状では少数だが)の人に読まれる可能性のある形で表に出すのはよくないような気がして、書き直すことにした。そのせいでただでさえわかりにくい文章が、更にわかりにくくなってしまったかもしれない。

2月12日18時30分。




 オロモウツに帰ってきたので昨夜の分を投稿。私のやっているのは多分本当の意味の通訳ではないのだろう。だが、工場などの現場の通訳を使い慣れていない人たちの間で仕事をする際には、それでかまわないのだと開き直っておく。2月14日追記。


通訳とはなにか [ 近藤正臣 ]



タグ:通訳 仕事
posted by olomoučan at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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