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2016年04月18日

原子力発電(四月十五日)



 この問題に関しては、自分の中でも考えがまとまっているとは言えないのだが、考えていることを垂れ流しに書いててみる。そこから何か見えてくるものがあるかもしれない。

 昔、原子力発電が、石油に代わるクリーンなエネルギーとしてもてはやされていたころは、原子力を推進する連中にものすごく違和感を感じていた。そもそも、将来石油がなくなるというのが眉唾物だったし、産油国が原油の価格を上げるために意図的に広めているものにしか思えなかった。本当に、数十年後に、枯渇するのなら、毎年残りの年数が減りそうなものなのに、いつまでたっても減らなかったし。考えてみたら、最近はそんなこと言われなくなったなあ。産油国の大油田が原油を採掘しつくしたなんて話も、本当はあったのかもしれないけど、聞いた覚えがない。だから、特に石油に代わるエネルギーなんて要らないんじゃないのなんて考えていた。
 それに、太陽電池の発電効率が非常に悪いこと、その効率がなかなか上がっていかないことを知らなかったから、原子力ではなく、太陽光発電こそ、将来のエネルギーだろうと思っていた。太陽光発電が普及した結果、現在のドイツやチェコの醜悪な状況が生まれるだなんて、思ってもいなかったのだ。
 核エネルギーという危険なものを扱っているというのに、安全が強調されるのもなんだか気持ちが悪かった。どんなに万全を期しても、危険なものは危険であろうに。もっとも、この原子力は安全でクリーンなエネルギーという主張は、反対派が声高に危険だ危険だと叫んでいたことに対する反論だったのかもしれないが。
 地球温暖化にも懐疑的だったから、クリーンなエネルギーというのもピンと来なかった。石油を燃やす火力発電では、二酸化炭素以外にもいろいろ出るのだろうけど、そこまでは考えが回っていなかった。

 その一方で、原子力反対の意見にも、賛成しがたいものがあった。原子力発電に関しては、ある種の都市伝説がつき物である。冷却水の排水口の周囲の生態系がおかしくなって変な生物が生息しているとか、原子力発電所の放射能を浴びそうな危険な職場では、日本人でなくアジアのどこぞの国から連れてこられた労働者が働かされているとか、そんな話をどこまで信じていいのかわからなかったし、そんな話を元に原子力発電はやめるべきだといわれても、賛成のしようもない。
 広島、長崎を経験した日本が、核エネルギーを使用してはいけないという主張には、心情的には賛成できないわけではなかったが、それを言ってしまったら議論にならないところがある。それに科学技術をこの手の感情論で判断するのは間違っているような気がした。
 結局、原子力発電への批判で説得力を持っていたのは、原子力発電所を受け入れた自治体に多額の補助金が流れ込み、その結果自体に規模に不相応な稼働率の低い施設が乱立していること、一度原子力発電所を受け入れた自治体が補助金欲しさに次を誘致してしまうことを批判したものと、そんなに原子力発電所が安全だというのなら東京の真ん中に建てろという主張ぐらいだった。冷却水の問題から、実際に東京に建てるのは難しいだろうけど、確かに東京電力が、電気を提供している関東地方に原子力発電所を建設していないのは、怪しいことではあった。

 そして、福島の爆発事故の後、世論は一気に原子力発電反対に傾き、原子力発電所廃止の声が高まるのだが、そんなに単純でいいのだろうか。確かに日本人の大好きなドイツは、原子力発電所をすべて廃止することを決定した。しかし、パニックも覚めやらない中でエネルギー政策という国の根幹にあたることを、短絡的に決定したのに幻滅するなら理解できるが、それを高く評価するのは間違っていないか。私はあれでドイツに対する幻滅が更に一段と進んだのだが。
 かつて、スウェーデンだったか、北欧のどこかの国が、国民投票で原子力発電の使用をやめることを決定し、新たに建設するのをやめ、現在稼動しているものは耐用年数が来るまで使うという決定をしたと記憶する。こちらを高く評価するのならわかる。問題なく稼動しているものを、大した議論もなしに廃止と決めてしまうのは、あらゆる意味で無責任である。エネルギーの面でもEU内の結びつきが強くなってしまった現在、ドイツの原子力発電所の廃止が影響を及ぼすのは、ドイツ国内だけではないのである。

 ところで、東日本大震災で、あれだけの地震と津波に襲われた東北地方で、問題を起こしたのが福島の一つだけだったというのは、実は日本の原子力発電所の安全対策が高いレベルにあることを示しているのではないのだろうか。危険極まりない核エネルギーを扱う以上、どれだけ安全対策をとっても危険を完全にゼロにすることはできないだろう。それは、原子力発電所を建ててしまった国が、将来にわたって引き受けていかなければならないリスクである。
 現在停止中の原子力発電所の再稼動を巡って議論が行われているが、知りたいのは、原子力発電所は停止していれば安全なのか、稼働中と停止中で安全性にどのくらい違いがあるのか、ということである。停止中であれ原子炉の中には放射性の物質はあるはずである。例えば、川内原子力発電所の再稼動に反対する声の中に、桜島が大爆発を起こして溶岩が発電所に流れ込んだ場合を心配するものがあったが、その場合、稼働中と停止中でどのぐらいの差があるのだろうか。正直な話、川内まで被害を及ぼすような桜島の激しい噴火が起こったとしたら、稼働中であっても停止中であっても大差はないような気がする。

 原子炉から出る核廃棄物の最終処理の方法も決定していないところで、原子力発電所の廃止を決定して、解体できるのだろうか。それとも解体しないでそのまま放置するのだろうか。そのうち予算を理由に最小限の保守もしないままに、本当に放置されるようになって、やがて建物が崩壊する未来図が頭に浮かんでしまう。稼動させても停止させても、山積する問題に突き当たる袋小路に入り込んでしまった観もある。
 結局、推進派も反対派も、初めに結論ありきの議論をしているのが問題なのだ。この批判は、反対派が推進派を批判するときに使われることの多い言説だけど、傍から見ていると、反対派の議論も初めに結論ありきでしかない。双方の議論がまったくかみ合っていないのは、見るにたえないので、稼動させるにせよ、廃炉にするにせよ、もう少し建設的な議論を経て最終的な結論を出してほしいものである。どちらを選んでも茨の道が待ち受けているに違いないけど。
4月16日23時。


 自分で読み直しても意味不明な、中途半端なものになってしまった。結局、今の日本での議論を見ていると、推進派も反対派もどっちもなんか嫌という感情論なのだけど、それに無理やり理由を見つけてみたらこうなったというお話。4月18日追記。





posted by olomoučan at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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