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2016年05月02日

オリンピック(四月廿九日)



 早いもので、ロンドンオリンピックから四年、今年もまたオリンピックの狂騒の夏がやってくる。ブラジルでは大統領の更迭を巡る政治上の混乱が起こっていたり、貧富の差を助長するものとして反対デモが起こったりしているようだけれども、おそらく問題なく開催されるのだろう。中国でも、ロシアでも、あれこれ問題がありそうなことが言われていたが、結局問題なく開催されたし。
 オリンピックに関しても、何と言うのか、複雑な心情を抱いている。愛憎入り混じると言うか何と言うか、普段はオリンピックなんて既に所期の目的を達成したのだし、金権まみれ汚職まみれの醜悪なイベントになってしまったのだから、廃止してしまえと広言しているにもかかわらず、実際にオリンピックが始まると、ついつい中継を見るようになってしまった。最近は、一部の例外を除いて、日本選手よりもチェコ選手を応援してしまうことが多いのだけれども、このあたりは自分もオリンピック好きの日本人に他ならないのだと思わされる。

 初めてオリンピックの存在を意識したのは、1980年のレークプラシッドオリンピックだっただろうか。ただし、ニュースなどで結果を見聞きしたぐらいで特に中継を見た記憶はない。かすかに覚えているのも、スピードスケートでいくつも金メダルを取った選手がいたんじゃなかったかなぐらいで、あまり印象には残っていない。
 それは、おそらく同じ年の夏に行われたモスクワオリンピックの印象が、スポーツ以外の面で強烈だったためにかすんでしまったという面もあったろう。ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に、オリンピックをボイコットしたアメリカに追随して、日本までもがボイコットしてしまったのには、当時は道理もわからぬ餓鬼だったが、日本という存在に幻滅するような思いがした。政治とスポーツを切り離すのがオリンピックの理念であったはずなのに、こういう部分では教条主義的なのが日本だったはずなのに、アメリカの一言で方針を変えてしまったのだ。アメリカ嫌いの発端はこの辺にあるのかもしれない。
 モスクワオリンピックへの個人としての出場を訴えて記者会見をしていたのは、柔道の山下選手だっただろうか。それともマラソンの宗兄弟だったか。結局出場は適わず、行われた競技についてもほとんど情報は入ってこなかったのではなかったか。もう一つ、モスクワオリンピックで覚えているものがあった。マスコットの熊のミーシャが描かれた銀色の小さな金属の薄い板を、友人が持っていたのが、非常にうらやましかった。あれは何かのおまけだったのかなあ。

 84年のサラエボ冬季オリンピックで覚えているのは、スピードスケートの黒岩選手が、メダル確実とかもてはやされていたのに、メダルを取れなかったときのマスコミの手のひら返しだ。このときは確か別の選手がメダルを取ったはずなのだけど、あんまり記憶にない。それでもこのときのサラエボオリンピックで刷り込まれたユーゴスラビアという幻想に後々まで縛られて、2000年ごろまでは、旧ユーゴ諸国のことを分離独立後の名称で呼ぶことを拒否していたんだよなあ。スロベニアから来ていたサマースクールの同級生に、ああユーゴスラビアねと言って起こらせてしまったことがある。
 ちゃんと自分の意思で見た、もしくは見ようとしたという意味では、同年夏のロサンゼルスオリンピックが最初と言っていいかもしれない。陸上の短距離のカール・ルイスの偉業も覚えていないわけではないのだけど、個人的にはマラソンが一番印象に残っている。それは、見ようとして見損なったという意味においてである。確か夏の暑さを考慮して、現地時間の早朝にスタートすることになっていて、それが日本時間の何時スタートだったのかは覚えていないが、ちょっとがんばれば起きてゴールまで見られそうな時間だったのに、気がついたらマラソンはおろか、中継そのものも終わっていた。スタートしてしばらくは見た記憶があるような気もするし、そうではなくて、スタート前のコース開設だったのかもしれない。こうして、82年のサッカーワールドカップのスペイン大会に続いて、睡魔に負けてしまったのである。

 次のソウルオリンピックと言えば、ベン・ジョンソンのドーピングなのだけど、この辺りから、オリンピックに、いやIOCという組織に胡散臭さを感じ始めたのではなかったか。高校生になってからは、テレビをほとんど見なくなっていたので、オリンピックもほとんど見ていないと思う。日本中のオリンピックに対する異常な盛り上がりについていけなくなったというのもある。人気がありすぎるもの、大騒ぎされるものからは、あえて遠ざかるというのが、ひねくれ者のひねくれ者たるゆえんである。サッカーのワールドカップも、82年のスペイン大会、86年のメキシコ大会までは、がんばって見ようとしたけど、90年のイタリア大会以降はあえて見なくなったしなあ。

 結局、チェコに来てチェコ語の勉強の一環として、見るようになるまで、オリンピックは結果だけ知れればいいやというものだった。応援していたスポーツや選手はいたけれども、無理して生放送で見ようと思うほどの思い入れは失われていた。目の前で何が起こっているのかを見ながらチェコ語の解説を聞くというのは、なかなかチェコ語の勉強によく、さまざまな表現を覚えることができた。その課程で、チェコテレビでの放送だから、チェコ代表の試合を見ることが圧倒的に多く、日本の選手よりもチェコの選手に詳しくなるという副作用もあったのだけど。

 一時期、プラハがオリンピック開催を目指すという話があったものだが、おそらく無理だろう。現在の異常に肥大化してしまったオリンピックの開催は、チェコのような小国に担えるものではない。無理してお金を集めて施設を作っても、無用の長物になるのは、火を見るより明らかである。建設だけでなく、以後の維持までもが重く財政的にのしかかってくるのだ。
 オリンピックの誘致からして、IOCとその関係者だけが、ときに不当に潤い、開催都市、開催国家の負担が大きすぎる現状は、オリンピックの理念からいうとまったく正しくないはずだ。昨年サッカーのFIFAに司法の手が入ったように、IOCも聖域にせずに、開催地選定の選挙などのさいの買収などが大々的に摘発されないものか。そんなことでもない限り、オリンピックの規模の縮小なんてことはありえそうもない。だからオリンピックなんてやめてしまえと思うのだけど、始まったら見てしまうのだろう。

4月30日23時。


 さてさて、東京でオリンピックを開催する意味はあるのだろうか。恥は十分以上に世界中にさらしてしまったから、今後はいいニュースを期待したいところである。5月1日追記。


東京オリンピック [ 講談社 ]


posted by olomoučan at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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