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2021年03月28日
ワールドカップ予選開始(三月廿五日)
来年、なぜか灼熱のカタールで行われることになったサッカーのワールドカップに向けた予選が始まった。今回は水曜、土曜、火曜と、中二日で三試合行うというスケジュールである。対戦相手は順に、エストニア、ベルギー、ウェールズとなっていて、真ん中のベルギー戦だけがチェコで行われることになっている。
各国の感染症対策が代表の活動にも大きな影響を与えていて、チェコとの国境を封鎖している独逸のチームで活動する選手たちに関しては、最初のエストニアでの試合にしか出場できないことになっていた。チェコとウェールズは、イギリス型の変異ウイルスが蔓延していることで、ドイツによって危険レベルが最高の国に指定されている。そのため、チェコやイギリスからドイツに入国した場合には、検査と2週間の隔離が義務付けられており、リーグ戦も終盤を迎えた所属チームが出場を許可しなかったのである。
当初、ドイツから代表に呼ばれたダリダ、カデジャーベク、パブレンカ、シクの四人は、エストニアで現地集合、現地解散の予定だったのだが、直前になって試合会場がポーランドに変更された。エストニアでの試合開催が不可能になった理由はよくわからないが、エストニア代表の選手、スタッフから多くの感染者が出て、急遽チームを再編しなければならなかったことと関係しているはずである。
監督と10人ほどの選手がチェコとの試合に出場できなくなり、急遽コーチが代理監督をつとめ、追加で選手を招集してチェコとの試合に臨んだようだ。去年の秋、チェコ代表は、選手からスタッフまで総入れ替えでB代表を結成しだが、その辺の対応の仕方は、国によって違うのだろう。とにもかくにもポーランドが試合をさせてくれたことには感謝するべきなのだろう。
試合中だったか、試合後だったかは忘れたけれども、ドイツがウェールズ(イギリス全体かも)の危険レベルを下げるから、ドイツでプレーする選手がウェールズでの試合に出場できるかもしれないなんて話が出てきた。関係者は金曜日の公式発表までは決定ではないと繰り返していたが、出場が可能になれば言うことない。解説者は、ダリダはどうせ出場停止期間中だから、チームと交渉してプラハでの試合に出られるようにしたらどうだなんてことを言っていた。流石に無理だろうけど。
A代表だけではなく、U21代表のヨーロッパ選手権も開幕した。いや、正確にはグループステージが始まった。今回だけなのか、今回からなのかは知らないが、グループステージとプレイオフステージを別々に開催するようだ。開催国はスロベニアとハンガリーである。チェコ代表が入ったグループはスロベニアでの開催で、イタリア、スロベニア、スペインと、こちらも中二日で対戦する。上位2位に入って勝ち抜ければ、5月下旬に行われる準々決勝に進むことになる。
このU21代表は、予選で一度は勝ちぬけ不可能と思われるようなところまで追い詰められていて、出場は無理だと思っていたのだけど、何とかぎりぎりで予選を勝ち抜くことに成功した。ただ、その予選の中心だった選手のうち、スパルタのフロジェクは怪我から復帰したばかりで辞退し、守備の中心だったスラビアのジマは、A代表に招集されて、この大会には出場していない。イタリア、スペンと同組と、組み合わせも運がないし、グループステージ勝ち抜けは難しそうだ。勝ち抜ければ
それにしても、何で、開催期間を二つに分けるなんてややこしいことをしたのだろうか。今回だけの感染症対策となのか、今後はこのフォーマットで行うことになっているのかよくわからない。以前はシーズン終了後に行われていたんだったかな。今年はA代表のヨーロッパ選手権もあるし、国によってはオリンピックにも出場するしで、日程の調整が難しくなることから、今年だけの特例として導入されたと考えていいのだろうか。
最後に、水曜日の試合の結果を報告しておくと、A代表はソウチェクのハットトリックもあって、6−2で大勝。U21は、イタリアのオウンゴールのおかげで、1−1で引き分けた。どちらも、感染者を出さずに試合が行われることを願っている。
2021年3月26日24時
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2021年03月27日
陰謀論に組みしてみよう(三月廿四日)
世の中には、2011年の東日本大震災の原因は米軍の新兵器の実験だとか、放射線量をゼロベクレルにしなければ安全だとはいえないとか、ちょっと考えればありえないことがわかる、頭が悪いとしか言いようのない言説が飛び交うことがある。今回の武漢風邪の大流行に関しても、中国が生物兵器として開発していた人口のウイルスだとか、中国ではすでに2019年の夏にはワクチンの政策が始まっていたとか、震災のときの話よりは、ありえそうな話である。
中国に対して強硬な姿勢をとり始めていたアメリカのトランプ大統領の再選を阻止し、それに追随した安倍総理大臣を健康問題で辞任に追い込めたのだから、この大流行は中国にとって追い風だったのは間違いなかろう。ただ、流行当初の混乱振りを見ると、意図的にウイルスをもらしたようには見えない。もちろん、その疑いを消すために、あえて混乱しているふりをした可能性もあるけれども、生物兵器というには、今回のウイルスは性能が物足りない。
敵性国家の国力を下げたいのであれば、犠牲者になるのは、高齢者ではなくて、若者にしなければならないはずだ。100年前のスペイン風邪は、2年目に入って変異が起こって、20代から30代の労働の中核をになう世代の犠牲が増えたなんて話も聞いたことがあるけれども、今回もそんな都合のいい変異が自然に起こるとは限らない。
ということで、以下は、妄想である。仮にこのウイルスが中国が人工的に作り出したものだというのが事実だったとして、どんな目的のために作り出した可能性があるのかということを、考えてみようというお話である。外に出したのが意図的だったのか、事故だったのかということは考えないことにする。
最初に思いつくのは、多分誰でも思いつくだろうけど、中国なりの高齢化対策の切り札だったのではないかということだ。感染させては困る高齢の要人にはワクチンを接種しておいて、排除したい人にはワクチンと称して別のものを注射することもできるし、その上で、ウイルスを広げることで、自然に高齢者の人口が減っていくように見える。誤算があるとすれば、若い人の犠牲も出てしまったことだろうか。病気を抱えている人の中に犠牲者が多かったのは、医療費削減の観点から、狙ったものであろう。
そして、仮にウイルスの感染症の犠牲者をある程度制御できる技術があるとしたら、中国のウイルス開発がこんなところで終わるはずがない。現在、ウイグル人に対する人権侵害で、世界中から批判を、人権侵害の度合いに比べれば軽いものだけど、批判を受けている。国内の少数民族に対する人権侵害なんて、少数民族がいなくなれば成立しないものだ。それで中国が行っている政策の一つが、中国への同化政策、ウイグル人の中国人化政策である。ただそれがまたウイグルの民族性、文化を破壊するものとして批判されている。
ならば、少数民族が感染しやく重症化し死に至りやすいウイルスの開発をしていたとしても不思議はない。たまたま反体制派の少数民族の居住地域で悪質な感染症が発生したなんて体裁を作れれば、憶測はされても正面から批判されることはなかろう。いや、反体制派がウイルスを開発したとして責任を押し付けることも、信じられるかどうかはともかくとして、可能になる。
さらに、いや、これ以上の妄想はやめておこう。中国にそこまでのウイルス改変技術があるとは思いたくないし、ただ、中国という国は、一般の人々を数としてしか見てなかった共産主義国家の生き残りであり、歴史的に見れば、食糧不足のときには、人間の数を減らせばいいといわんばかりの対応を取る王朝もあったところである。自国民を犠牲にしながら、これぐらいの事はやりかねないような気もする。
2021年3月25日24時
2021年03月26日
政治とスポーツ(三月廿三日)
EUが、経済優先という言い訳で看過し続けていた、中国政府によるウイグル人に対する人権侵害に関して、経済制裁、とはいっても個人を対象にしたもので、ロシアに対するのと比べればあってないような制裁だけれども、とにかく制度的な人権侵害の存在を認定して制裁を科すことを決定した。アメリカ、カナダも追随したんだったかな。香港の民主化弾圧や、台湾に対する長期にわたる圧迫などを考えると遅すぎるという気もするが、これで中国は、中国政府がなんといおうと、世界が認める人権侵害国家となったわけだ。
ヨーロッパで人権侵害国家とみなされているのは、ベラルーシである。ルカシェンコ大統領のやっていることが、ロシアのプーチン大統領と比べてどうなのかというのは、よくわからないが、石油を握っているロシアに対しては、経済制裁をするといっても腰の引けたものになるEUも、そんな制約のないベラルーシに対しては強気の制裁を続けていて、東の外れとはいえヨーロッパの一部なのに、政治的には村八分状態に置かれている。以前、確かプラハで行われたヨーロッパ諸国を集めて行われた会議に、ベラルーシだけが独裁政権であることを理由に招かれていなかった。
ロシアは正式にだったか、オブザーバーだったか忘れたけれども招待されて参加していて、それに不満なウクライナの反ロシアのグループが、腐った卵だったかトマトだったかをロシアの代表に投げつけるという事件を起していた。とにかくベラルーシは、かなり前から政治的には、悪い意味で特別扱いを受けていたわけだ。
それに対して、スポーツの世界では、スポーツに政治は持ち込まないという、オリンピックの理念を名目にして、ベラルーシの選手やチームはこれまで通り国際大会に参加し続けている。それだけではなく国際大会の開催も禁止されておらず、今年のアイスホッケーの世界選手権は、ベラルーシとラトビアで共同開催されることになっていた。
それが、昨年の大統領選挙を巡る不正、反体制派に対する弾圧などに不満なヨーロッパの人権派の人たちが、ベラルーシの反体制派の求めに応じて、大会のスポンサーに圧力をかけて、ベラルーシでの開催を拒否させようという運動を始めた。その動きに、スポンサーのシュコダ社が乗って、主催者のIIHFに、ベラルーシで開催するならスポンサーを降りるという通告をした。その結果IIHFは、ベラルーシから開催権を剥奪し、最終的にはラトビア単独での開催ということになった。
一応安全上の理由という名目上の理由は立てられているが、この開催地の変更は政治的な決断であることは否定できまい。アイスホッケーの世界選手権が、反体制派を支援する人たちに政治的に利用されると同時に、アイスホッケー協会、ひいてはスポーツがベラルーシの国内政治に口を出したことになる。いや、ヨーロッパの良識派たちがスポーツを通して口を出したというほうが正しいか。
このことの是非を云々するつもりはないが、スポーツに政治を持ち込まないということは、逆に言えばスポーツが政治に口を挟まない、スポーツを政治的に利用しないということでもあったはずだ。その理念を破る前例がここに生まれたわけである。ならば、人権を守ることを第一義として活動している人たちに、次に期待されるのは、人権侵害のひどさではベラルーシどころではない中国で行なわれる国際大会の開催地変更を訴えることだろう。
当然、オリンピックもその対象になるから、IOCのオフィシャルスポンサーなんかに対して不買運動を展開して、北京オリンピックの開催中止を求めなければならない。本気で世界から人権侵害をなくそうと考えているのなら、それぐらいのことは期待してもいいよなあ。やってくれたら、この手の正論好きの人のことを見直してもいいのだけど実現はしないだろうなあ。親玉のEU自体が中国に対しては、経済的なことを考えて及び腰だしさ。
東京、北京と中止になれば、オリンピックを開催し続ける意味があるのかという議論も巻き起こるのだろうけど、何があっても惰性で次の大会が行われ続けるということになりそうだ。うーん、うまく落としどころを見つけられなかった。
2021年3月24日24時30分
2021年03月25日
ヨゼフ・トポル(三月廿二日)
チェコという国は、演劇が盛んな国で、各地にたくさんの劇場がある。人口十万人ほどのオロモウツにも、オロモウツ市が運営するモラビア劇場以外にも、私営の劇場が複数存在している。もちろんこれらの全ての劇場が、入場料の収入だけで活動を続けているわけではなく、国や地方公共団体からの補助金が収入のうちの大きな割合を占めているはずである。それは、劇場、ひいては演劇の伝統を補助金を出してまで守る必要があると考える人が多いことを示しているのだろう。
チェコの文学においても、戯曲の果たした役割は、非常に大きく、それは最初に日本語に翻訳されたチェコの文学作品が、チャペクの戯曲だったことにも現れている。そんなチェコで、第二次世界大戦後、1950年代の半ばから活躍を始めた劇作家が、ヨゼフ・トポルである。生年は1935年だというから、これも劇作家のハベル大統領(1936年生)とほぼ同世代ということになる。
チェコ語版のウィキペディアによれば、高校を卒業した後、劇場で仕事をしながら、芸術大学の演劇学部で学び、在学中に最初の作品を発表している。プラハの春も近づく1965年には、俳優のヤン・トシースカらとともに独自の劇場を設立するが、正常化の時代の1972年に活動を禁じられてしまった。トポルはまた、「憲章77」に署名したため、演劇界で活動すること自体ができなくなり、
1989年のビロード革命までは、演劇とは関係ない仕事を強要されたようだ。翻訳を偽名(友人の名前)で劇場に提供するなんてこともあったようだから、演劇の政界でもコメンスキー研究のように、役割分担があったのかもしれない。
トポルの作品の日本語訳は以下の三つ。
@村井志摩子訳「線路の上にいる猫」(「テアトロ」第33巻7号、カモミール社、1966.6)
チェコ語の原題は「Kočka na kolejích」で1964年に発表されている。その2年後に日本語訳が出たのは、当時の国際状況を考えると早いと言ってもよさそうだ。冷戦期とはいえ、左翼的な人脈のつながりは、意外と強く遠くまで伸びていたのだと感心させられる。訳者の村井志摩子氏も劇作家で、プラハ留学の経験があり、ハベル大統領とも親交があった人。戯曲だけではなく、チェコ語オペラの翻訳をレコードやCDのブックレットに提供していたらしい。
掲載誌の「テアトロ」は、1934年創刊の演劇雑誌で、現在でも月刊誌として刊行が続いているようだ。版元のカモミール社は演劇関係の専門出版社で、2011年以来更新されていないHPを見ると、この雑誌を刊行するために設立された出版社のようにも見える。
この「線路の上にいる猫」は、思潮社から1969年に刊行された『線路の上にいる猫 : 現代チェコ戯曲集』にも収録されている。この本には、トポルの作品以外に、ハベルとクンデラの作品も収められている。
A村井志摩子訳「スラヴィークの夕食」(『線路の上にいる猫 : 現代チェコ戯曲集』(思潮社、1969)
チェコ語の現代は「Slavík k večeři」で1965年に発表されたもの。スラビークは鳥の名前か、人の名字か、題名だけでは分からない。ちなみにトポルは木の名前である。
B訳者不明「一時間の恋」(『世界文学全集 : カラー版』別巻 第2巻、河出書房新社、1969)
チェコ語の原題は「Hodina lásky」、発表は1966年。訳者名は、オンライン目録では確認できなかった。村井志摩子訳の可能性もありそうだ。
ヨゼフ・トポルの息子のヤーヒム・トポルも作家として活動しているようで、作品の日本語訳はまだだが、旧共産圏の作家を網羅的に紹介した『東欧の想像力 : 現代東欧文学ガイド』(松籟社、2016年)にも、取り上げられている。チェコの部分の執筆を担当した阿部賢一氏が、近い将来翻訳されることを願っておこう。
2021年3月23日24時
2021年03月24日
規制は続く、意味もなく(三月廿一日)
今月初めから、強化された規制については、三週間と期限が切られていたはずなのだが、延長されることが決まった。非常事態宣言も、野党のあの反対は何だったんだといいたくなるような対応で延長されることが確実視されている。最悪なのは、実際に規制が効果を発揮したのかどうかの検証もないままに、規制が継続されることである。
感染状況は、改善しつつあるというが、政府が期待したほどのものではなく、それが規制の延長が必要な理由だというのだが、それは規制にあまり意味がなかったということではないのか。ゆっくりながら進むワクチン接種と、感染経験者の数が全人口の15パーセントほどになりつつある事実が、感染の拡大の鈍化に寄与してはいまいか。なんてことをちゃんと分析して語ってくれる人は、存在しない。
とりあえず、規制を強化したら多少感染の拡大が鈍化したから、効果があったということだろうという評価は短絡的に過ぎる気がする。実際、三月から外を歩く際にも、普通のマスクではなく、FFP2レベル以上のものを使うことが強制されることになったが、マスクをせずに歩いている人の数は、相変わらず多く、この規制の変更が大きな効果をもたらしたとは思えない。以前から屋内の、屋外でもバス停などの人の集まるところでは、FFP2レベル以上のマスクの着用が求められていたのだから。
ニュースで流される映像だと、ほとんどの人がマスクをしているけれども、実態とはちょっとかけ離れた印象である。笑ってしまったのは、この規制、屋外で煙草を吸う人のことを想定していないため、マスクをはずして煙草を吸うと規制に違反しているとして、警察から注意されたり、罰金を取られたりする可能性があるという。ということは、飲食も禁止されていると思うのだけどね。
もう一つの目玉だったオクレス間の移動を禁じるという規制についても、政府は、移動する人の数が減ったと非常に肯定的に評価しているが、実態はどうなのだろう。オクレスの境界の道路上では警察が自動車を止めて、仕事など不可欠な用のない人はUターンさせているというニュースも流れていた。しかし、実際は全ての車を止めているわけではなく、チェックしているのは何台かに一台に過ぎないようだ。
公共交通機関を使った移動でも、規制が始まったときには、駅や電車の車内で書類をチェックする警察の姿が報道されたが、知り合いの話によると、全く警察の姿はないらしい。その人は、3月に入ってスロバキアに戻ったのだが、チェックがあったのは国境を越えるときだけだったと言っていた。さらに最近オロモウツに戻ってきたときには、何のチェックもなかったという。つまり、その気になればオクレスの境界どころか、スロバキアなら国境も問題なく越えられるのである。
考えてみれば、警察の仕事が多すぎる。ある程度は各自治体の警察に任せられるとは言え、街中でのマスクの着用状況もチェックしなければならず、非常事態宣言下だからといって犯罪捜査がなくなるわけではない。レストランなどの営業禁止違反を摘発するのにも人員を割く必要があるし、監禁生活で増えている家庭内暴力にも対応しなければならない。
そんな状況を考えると、警察が全てのオクレスを越える道路に検問を張ったり、全ての長距離列車の乗客の確認をしたりするのは不可能なのである。だから、政府を、ひいては政府の導入した規制を信じられない人の中には、移動の禁止を無視して、穴を見つけてあちこち動いている人もいるはずだ。オクレスを越えて移動することに対する心理的抵抗は大きくなった可能性はあるけど、それで移動をやめる人は、規制の導入前から外出をできるだけ控えていたのではないかとも思う。
散歩やスポーツなどで住んでいる市町村の外に出てはいけないという規制は、さすがに撤廃されてオクレス内であれば出かけられるようになる。これはそもそもの規制がおかしかったのであって、どこまでがその市町村に属するのか、道端に表示がないし、オロモウツなら、スバティー・コペチェクに行こうと思ったら、サモティシュキという別の村に入ってしまうので同じ市内だけど、事実上禁止になる(守ってない人も多いけど)という意味不明なことが起こってしまうのである。
企業や役所に義務付けられた従業員の検査も、これまでの週に1回から、週に2回に拡大しようという声もある。また中国から余剰の検査キットの押し付けを受けているのかな。ワクチンに関してはゼマン大統領の圧力を撥ね退けて、ロシア、中国製の者は使わずに済ませることになりそうだけどさ。この自宅からほとんど出ない、気のめいる生活が何かの役に立っているのか、それが問題である。
2021年3月22日24時30分。
2021年03月23日
チェコの君主たち11(三月廿日)
1306年のバーツラフ3世の死によって、400年以上の長きにわたって、チェコの支配者として君臨してきたプシェミスル家は、男系で断絶した。庶子の家系で、この時点ではまだ生き残っていた家はあったようだが、嫡系ではなく継承権はなかったようだ。それに加えて、バーツラフ二世の子か、三世の子かは知らないが、幼少の男子が残されていたが、山中の修道院に追放され、後に暗殺されたという伝説もある。モラビアのビシュコフの近くで、実はこんな伝説があるという話を聞いたのを覚えているけど、チェコ各地に同じような伝説が残っているに違いない。
それはさておき、チェコの君主の地位は、当時の慣例に倣って、貴族の選挙によって選ばれることになった。継承権を主張できるのは、プシェミスル家の王の娘たちの配偶者、もしくは、王妃の新たな配偶者だったようだ。そして、このときチェコの貴族たちが選出したのは、バーツラフ2世の娘で3世の妹のアナと、同年に結婚したばかりのインドジフ・コルタンスキーだった。ケルンテン公のハインリヒということになるのかな。
しかし、当時神聖ローマ帝国の皇帝だったハプスブルク家のアルブレフト1世は、この選出とチェコ王への即位を認めず、ボヘミアなどからなるいわゆるチェコの王冠領を君主を失った空領として、自らの息子であるルドルフに与えてしまう。チェコの貴族たちに受け入れやすくするためか、ルドルフはバーツラフ2世の王妃だったエリシュカ・レイチカを妻として迎え入れている。
ルドルフは、プシェミスル家の断絶によって、弱体化した王権の強化と、低下したヨーロッパの政治上の地位の向上に尽力したが、その結果「クラール・カサ」というあまりありがたくないあだ名を頂戴したという。「カサ」というのは、お城の見学などに行くと、入場権を買う場所のことを指す言葉として使われているから、お金の管理に関る言葉とみてよかろう。つまり「出納王」とか「徴収王」とか呼ばれていたということだろうか。お金集めに腐心していたと見える。
一方で、チェコの貴族たちの中には、プシェミスル・オタカル2世の野望をくじき、敗死させたルドルフ1世の直系の孫であるルドルフの即位に賛成しない一派があり、内乱となった。即位の翌年の1307年には反対派の貴族を、西ボヘミアのホラシュデョビツェに押し込めることに成功し、後一歩で反乱を鎮圧することができるところまで行ったのだが、陣中で没してしまう。当時は毒を盛られたとか、妻のエリシュカとの房事に耐えられなかったとか噂が流れたらしいが、実際には単なる病死だったようだ。赤痢だったかな。
その結果、一度はチェコの王位につきかけたインドジフ・コルタンスキーが再びチェコの王位を求めて認められる。皇帝アルブレフト1世がこの即位を認めたのかどうかはわからないが、翌1308年に皇帝が没した結果、即位したルクセンブルク家のハインリヒ7世によって認められたのかもしれない。ハインリヒ7世は、インドジフがチェコの王座から追われるのにも関っているので、そうだとすればなかなか皮肉である。
チェコの貴族たちによって王に選出されたインドジフだが、チェコの貴族たちを満足させられるような能力はなく、侮りを受けることになる。このままでは、チェコの復興は難しいと考え、不満をためた貴族たちは、王の首を挿げ替えることを考え、候補者の選定を始める。白羽の矢が立ったのは、皇帝ハインリヒ7世の息子のヤンだった。継承権を与えるために、プシェミスル家のバーツラフ2世の娘で未婚だったエリシュカと結婚させた上で、チェコ王として迎え入れたいというチェコ貴族の提案を、ハインリヒ7世が受け入れた結果、チェコ史上に燦然と輝く全盛期を作り出したルクセンブルク朝がチェコの王位を手に入れたのである。チェコの貴族たちの望みはかなえられたといっていい。
インドジフ・コルタンスキーは再度皇帝の意向で、手に入れたチェコの王位を失うことになってしまった。プシェミスル家のアナは子供のないまま1313年に没し、後妻との間にも王子は生まれていないるから、インドジフがチェコの王であり続けていたとしても、そのゲルツ家出身の王は一代限りということになったはずだ。
意外なのは、後に長きにわたってチェコを支配することになるハプスブルク家の初代の王が、足掛け2年、実質1年ほどしか王座についていなかったという事実である。チェコ語では、数字をつけることなく、「ルドルフ・ハプスブルツキー(ハプスブルク家のルドルフ)」と呼ばれているのもなんだか不思議である。
ハプスブルク家の君主@
初代 ルドルフ・ハプスブルツキー 1306-1307年
ゲルツ家の君主
インドジフ・コルタンスキー 1307-1310年
(1306年に一時即位した可能性あり)
今回取り上げた時代は、日本では鎌倉末期ということになるのか。ルクセンブルク家のヤンについては、改めて次回取り上げる。
2021年3月21日24時。
2021年03月22日
愚者どもの宴その2(三月十九日)
試合中に醜態をさらしたレンジャーズだが、試合後にはさらにひどかった。もうこのチーム迷惑以外の何物でもない。圧倒的な人気に胡坐をかいて何をやっても許されると甘やかされたガキのような選手、チームになってしまったのだろう。
試合後の記者会見で、監督のジェラルドが、差別的な発言があったと聞いていると言い、自分は選手を信じていると言ったところまではいい。しかし、その後に続けた、言われた本人だけでなく複数の選手が聞いたといっているというのは大嘘である。嘘をついているのは監督ではなく、選手たちだろうけど、ビデオを見ると、クーデラは開いて本人にしか聞こえないように、手で口元を囲むようにして、直接相手の耳にささやいているのである。他の選手たちがそちらを見ていないことを考えても、クーデラの発言が聞こえたとは思えない。
何を言ったのかは知らないが、試合を見ていると、いわれなき暴力に対して、言葉で抵抗したなんて弁護したくもなる。それにあのときのレンジャーズの選手たちの精神状態なら、「ちゅうちゅうたこかいな」とか意味のない言葉を言われたとしても、差別用語に聞こえてしまうだろうという気もする。勝って当然と、スラビアを見下していたのに、敗戦間際まで追い詰められて精神的にパニックになっているようだったし。クーデラのキャリアを考えると、とっさに英語で適切な差別用語が出てくるかというのも疑問である。実は英語に堪能だったという可能性もあるけど、この手の話は、言った言わないの水掛け論になりがちである。
それにしても、ニュースでは取り上げられなかったけど、レンジャーズ側からコラーシュを負傷させたことに対する謝罪の言葉はあったのだろうか。他にもラグビーでも退場になりそうな、プレーが終わった後のショルダーチャージをくらったバフも心配である。とにかくそれを許したらサッカーじゃなくなるだろうと言いたくなるプレーが最初から最後まで多かったのだけど、それが当然というスポーツ文化なのだろうか。ならば、チェコの選手たちにはスコットランドには移籍してほしくない。
それにしてもクーデラが余計なことをしなければ、レンジャーズの暴力サッカーに注目が集まり糾弾される可能性もあったのに、差別的な発言を受けたという言い訳を与えてしまった。いや非難の矛先ができたことで、そもそもの原因であるレンジャーズの暴力プレーが看過されてしまう可能性がある。
そして、選手だけではなくチーム全体が反省をしていないことも明らかになった。試合後スラビアの選手たちが、控え室から外に出られないように監禁されたとか、その後ホテルに向かうバスや、宿泊しているホテルにまで、押しかけてきてスラビアの選手、とくにクーデラを襲おうとしたという話もある。お前ら、それでもスポーツチームなのか。やり口がヤクザまがいじゃねえかよ。日本もそんな感じのチームが以前は結構あったものだけど、ヨーロッパにも存在するとは。
怒りが大きいことを示して、クーデラの差別発言を既成事実化しようとしている可能性もあるのか。クーデラのささやき戦術もせこかったけど、レンジャーズのやり口も感心できたものではない。これがスコットランドのスポーツ文化なんだろうなあ。大きな声でごねたほうが勝ちというやり口は、ラグビーのワールドカップでもそうだった。
今日のニュースでは、クーデラに差別的なことを言われたと主張している選手が、無理やり控え室に入りこんできて、クーデラを殴り倒したという話を伝えていた。それに対してスラビアでは、傷害罪でスコットランドの警察に告発したというけれども、処分なしで終わるんだろうなあ。何せ差別を受けたという免罪符をかざしているわけだから。差別差別と騒ぐ連中が、自らの暴力を差別的扱いを受けたということで正当化しがちなのも、それを認めなければ差別主義者だという風潮があるのも、大きな問題で、差別反対を叫ぶデモにうんざりとしか思えない理由である。その手のデモはえてして暴動と化すものだし。
それにしても、ひでえ試合だった。二度とこんな試合は見たくない。無観客試合だったのが唯一の救いか。
2021年3月20日12時30分。
2021年03月21日
ひっでえ試合(三月十八日)
いやあ、ひでえ試合だった。昔、日本のサッカーファンが、韓国や中国との試合があると、テコンドーサッカーとかカンフーサッカーなんて言って、試合前には日本選手に怪我人が出ることを恐れるような発言をし、試合の後には怪我人が出たこと嘆く発言をしていたのを思い出すぐらいひどい試合だった。誰だ、レンジャーズのことを称賛していたのは。ラフプレーどころか、暴力サッカー、殺人サッカーと評されても不思議はないレベルでひどかった。よかったのはスラビアがまたまた2―0で勝って準々決勝に進出を決めたことだけ。いやそれを入れても近年見たことのない最悪の試合だった。
それでも、怪我人が出なくてよかったと言えればよかったのだけど、後半に入って強烈な顔面キックを食らったキーパーのコラーシュが脳震盪に加えて流血で顔面血まみれの状態で、立ち上がることもできずに担架で搬送された。正直この時点で、没収試合にして試合を終わらせてくれんかなと思ってしまうほど衝撃的なプレーで、レンジャーズの選手たちのプレー振りを見ていると次なる惨劇が起こるのは時間の問題にしか思えなかった。
次の惨劇は幸いにして負傷退場なんてことにはならなかったけど、その内容はコラーシュがやられたのよりもはるかに悪質で、後味も悪いものになってしまった。ボールを持ったクフタを明らかなファウルで倒したレンジャーズの選手が、明らかに意図的に、倒れているクフタに蹴りを入れようとしたのだ。幸い足があたったのが頭ではなく、偶然ボールが間に入るような形になったから、大事には至らなかったが、やらかした選手は悪びれる様子もなく、倒れたほうが悪いというそぶりを見せてスラビアの選手を激高させ乱闘になりかけた。
その激高したスラビアの選手の中で、前半から暴力ファウルにさらされてきたクーデラが、下手すりゃ命に関るような暴力的なプレーを仲間が受けたことにぶちきれて、相手選手の耳元に差別的な(とレンジャーズの選手が主張する)言葉をささやいて、収まりかけていた乱闘が再び起こりそうになった。クーデラとレンジャーズの犯人がイエローカードをもらっていたけど、これをイエローで済ますような判定をするから、こんな糞試合になってしまうのだ。
それにしても、特にスラビアが2点目を取ったあとのレンジャーズの選手たちは、スラビアの選手たちに怪我をさせるのが目的のようなファウルを繰り返し、審判がイエロー出さないどころファウルすらとらないこともあって、クーデラがぶちきれたのもわからなくはない。相手の耳にささやくなんてせこいことしないで、面と向かって大声で罵ってやればよかったのにとさえ思う。クーデラがなんと言ったのかは知らないが、明らかに自分がファウルで倒した選手に蹴り入れて、倒れるほうが悪いなんて態度を取られたら、お前らなんざ人間じゃねえぐらいのことは言ってもしかたなかろう。
しかし、この試合がここまでひどいものになった最大の原因は、審判がスコットランドのサッカーに配慮して、イエローカードをあまり出さなかったことにある。明らかなイエローレベルのファウルがノーファウルで流されることも多かったし、前半の笛がレンジャーズの選手たちにここまでやっても大丈夫だという意識を持たせ、負けていて焦りが募る中でその大丈夫のラインがどんどん上がっていって、殺人サッカーのレベルにまで至ったわけだ。
レンジャーズのファウルは前半だけで12だったというけれども、見逃されたのを入れれば実際の数は20に近かったし、少なくともそのうちの半分はイエロー、まともな判定なら一発退場物のファウルも一つ二つはあった。それなのに、出されたカードはイエロー2枚だけ。ビデオ審判は何やってたんだという話である、これがスコットランドのサッカーだというなら、そんなものは国内リーグでだけやればいいのであって、ヨーロッパの舞台ではそれにふさわしい判定をしてほしいものである。あれが許容されたら、選手が次々に壊されてサッカーにならなくなる。負傷退場がコラーシュ一人で済んだのは、運がよかったとしか思えない。
レンジャーズの選手たちの悪質なファウルには、どうせファウルするなら相手を痛めつけなきゃ損だと考えているような印象を受けたし、明らかなファウルなのに倒れたほうが悪いといちゃもんを付け、自分がファウルされる場合には、大してあたってもいないのに大げさに声を上げて審判に訴えるというみっともないプレーが多くて、正直幻滅しか感じられなかった。そういえば、去年のネイションズリーグで当たったスコットランド代表も、ここまでひどくはなかったけど似たような印象だったなあ。
そういえば、2019年のラグビーのワールドカップで、品性のなさをさらして世界中の笑いものになったのもスコットランドのチームだったか。この国、明らかに実際よりもはるかに高く評価されているよなあ。
2021年3月19日9時。
2021年03月20日
キラキラネーム(三月十七日)
ヤフーでこんな記事を見つけて読んでしまった(リンク先はヤフーではなく出稿元のもの)。ユーチューバーなるものには全く興味はないのだが、名前の付け方、漢字の読ませ方は気になるところである。記事では、読みにくい名前全体を問題にしているようだが、難読の名前でも読み方を聞いて納得できるものと、納得できないものがある。いわゆるキラキラネームは、後者の読み方が納得のできないものを指すのだろう。確か呉智英が「暴走万葉仮名」と名付けていたのがこれだと思う。
ヤフーのコメント欄にもいろいろ自分の体験を書いている人がいたけれども、以前に比べると、小説の中なんかでも、漫画の登場人物じゃないんだからと言いたくなるような名前が増えているような気がする。芸能界なんかだと以前からその手の名前をたまに見かけることがあったことを考えると、親の自己顕示欲が子供の名前に現れたと考えるのがいいのだろうか。子供にとってはたまったものではないだろうけれども。
この手の当て字の名前を全て否定する気はない。森鴎外の子供たちの名前のように、外国語の名前に漢字を当てて付けられた名前でも、漢字の読み方が納得できるものであれば、特に気にはならない。一般的な音読み訓読みが組み合わされたものであれば、文句はないのだ。しかも鴎外の子供の場合には、名前の音自体が、「オト」とか「マリ」とか、日本語に存在する音の並びであることも、違和感を持てない理由になっている。「マクス」はどうかなと思わなくもないけど、「真樟」という字を見るとあってもおかしくない気がしてくるから、鴎外はやはり流石である。
最近のこの手の当て字名前の中で、個人的に読ませ方が気になるのは「心」だろうか。この字を名前で使うこと自体が以前は一般的ではなかったと思うのだが、一字名で「こころ」と読ませるものならまだ納得がいく。名前ではなく号のようにも聞こえるけど、「○心」で音読みの「しん」を使うのも理解できる。だけど、いくつかの小説の登場人物の中には「ここ」とか「こ」とか読ませているものがあって、それだけで登場人物の魅力が失われるような気がした。ギャグ漫画なら何でもありだけど、真面目な話で重要な登場人物がこんな名前だとついていけなくなる。
もちろん、「心」よりもはるかにひどいのはいくらでもある。しかし、そんなのは脳が受け入れるのを拒否するので、覚えていないのである。つまり文章に取り上げることもできない。幸いにして、外国にいるおかげで、そういう名前の人と個人的には会う機会はないのだけど、会ったときにどんな反応をすればいいのか悩んでしまう。名字なら、読めなければ聞けばいいし、というよりは、いくつか読み方が考えられる場合には、聞いておかないと困ったことになる。「やまざき」と「やまさき」、「なかだ」と「なかた」など、どちらで読むかこだわっている人も多いしさ。
また、例によって枕が長くなってしまったのだが、チェコ語には、この手のキラキラネームのようなものはないのかと言うと、なくはないのである。漢字がないので当て字のひどい名前というのはないのだが、チェコ語の名前の体系から完全に外れた名前を付けようとする親がいるのである。チェコではカレンダーのそれぞれの日の下に、その日の聖人の名前が書かれている。一般にはその名前の中から子供の名前を選ぶのだが、外国の有名人やドラマの登場人物の名前を子供につけて喜んでいる親もいるんだとかつて師匠が愚痴っていた。
その名前が英語起源、ドイツ語起源の名前なら、国際化の名の下にあまり問題にされることはない。以前は名前も翻訳していたので、チェコ語で使う名前と、ドイツ語で使う名前が違うなんてこともよくあったのだが、最近は普通に英語っぽい名前、ドイツ語っぽい名前を使っている人も多い。ただ普段は、その名前のチェコ語形から作られたあだ名で呼ばれることが多いだろうけど。
問題は、ラテンアメリカあたりのテレノベラとよばれる安っぽいつくりのドラマの主人公の名前を付けられた子供たちで、師匠が教えてくれたのは、エスメラーダだったかな。こんなのチェコ語のバージョンも存在しないし、チェコ語の中では浮いてしまって子供がかわいそうだと言っていた。
最近は、日本語のできる知り合いが、チェコの役所から「キララ」とかいう名前をつけたいという親がいるんだけどという相談を受けて、日本語の名前としてどうなのという質問がこちらにまで回ってくるなんてことがあった。漫画かなんかの登場人物の名前なんだろうけど、とりあえず普通の名前ではないよと答えておいた。それにしても、男の子だったのだろうか、女の子だったのだろうか。命名が認められたのだろうか。
2021年3月18日20時30分。
2021年03月19日
久しぶりに街へ(三月十六日)
政府の決定で始まった企業や役所などで仕事をする人たちに対する定期検査の義務化は、うちのの職場でも導入され、先週の木曜だったか金曜だったかに受けに出かけて、連絡が来ないから陰性だったようだと言っていた。これからは毎週一回検査を受けることになるようだ。こちらは検査を受けに行くのが面倒だという理由で、在宅勤務に切り替えたわけだが、自宅で仕事をしていると外に出てはいけないような気がして来て、先週の火曜日に職場に必要なものを取りに行って以来、外にまったく出なかった。
さすがにこれはちょっとまずかろうということで、運動不足も感じ始めていたし、たまったプラスチックゴミを捨てに行くついでに、残り少なくなったコーヒーを買いにコドーまで足を伸ばすことにした。買い物に行くのでレスピレーターは必須である。ただ直接つけると不快感があるので、先ず布のマスクをつけてその上にレスピレーターを重ねた。このつけ方が禁止されている可能性もなくはないけど、外から見ただけではわからないから、警察に止められることもあるまい。
テレジア門の近くの横断歩道を渡って旧市街に入ったのだが、入り口となる通りのところにパトカーが止まっていて、街に入る人がマスクをしているかどうかチェックしているようだった。街を歩いている人の数は、先週と比べるとずっと減ったような印象で、マスクをしている人の割合も高かったように思う。この一週間の警察の仕事の成果といっていいのだろうか。人出が減ったのは職場での検査のわずらわしさに、在宅勤務に移行した人が多いからに違いない。
コドーの前に薬屋によって歯磨き粉を購入。意外なことにこちらが店に入るまで客は一人もいなかった。暇そうにしていた店員がどの歯磨き粉がいいかの説明までしてくれた。支払いの際に仕事の話になって、オンラインになって云々と言ったら、それでも仕事が続けられるだけましだよと返された。小売業界では廃業や、従業員の解雇が進んでいるから、他人事ではないのだろう。
コドーに向かう通りでも、開店して一年ほどにしかならないペット用品のお店が廃業したのか、店内が空っぽになっていたし、靴屋だったところが、改装中かと思ったら、中身がマスク屋に変わっていた。まだ営業は開始されたいないけど、外から箱入りのレスピレーターが山積みになっているのが見える。確認していないけれども、最近国内の生産量が、台湾から贈られた全自動のマスク生産機械のおかげもあって急激に増えているらしいから、一時品薄になっていたチェコ製のものが買える可能性はある。
去年の春は何とか生き延びたお店も、流石に一年も営業禁止が続くと体力が持たずに倒産廃業となるところが多いのだろう。去年の初めに夢が叶ってようやく開業にこぎつけて喜んでいた人が、すぐに営業禁止を命じられて絶望的な状態に陥ったなんて話も聞くし、政府の規制のせいで仕事を失い貧困に堕ちていく人は少なくない。そして最初の約束とは裏腹に政府からの支援は不十分なものに終わっている。
この感染対策に関しても、もう少し全体的な視点から語れる人がいるといいのだけど、大半は、疫学者が医療崩壊を防ぎ死者を減らすためには全てを閉鎖しなければならないというか、経済の専門家がこのままでは経済が死ぬと主張するかである。社会が支払うべきコストとして、学校で勉強できない生徒、学生たちの未来と、感染しなかった場合に伸びていたはずの人々の寿命、中小企業の寿命、国が抱える赤字の山、どれが最もふさわしいのか、誰か具体的に計算して説明してくれないものかね。
その意味で、フランス政府が学校の閉鎖だけは頑として拒否しているのは、見識のある政策だと感心する。子供たちの教育を至上のものとして、一見反論の仕様のない、命以上に大切なものはないという考えに、屈さないだけの強さがある。命が大切だというのはそのとおりだとしても、誰の命なのかというのをはっきりさせないと意味はないと思うのだけどね。現状では、感染症で亡くなる人の命の重さと、それ以外の死因で亡くなる人の命の重さに違いがありすぎる。政府の仕事は、ピンポイントで現在の特定の病気の死者を減らすことではなくて、総計での死者を減らすことだと思うのだけど。できれば現在だけではなく将来も見通した上でさ。なんてことを、街を歩きながら考えた。
2021年3月17日24時。