2011年07月12日
「津波の怖さ 伝えたい」新川広光さん
漂流されていた男性が自衛隊のイージス艦に救出されたニュースを皆さん
覚えておりますか?このニュースが流れた時、私は父と共に「おお!」と
声を上げてしまいました。この映像は言葉にならない驚きでした。
実際、漂流3日、43時間も孤独に海を漂っていた心境とはどのようなもの
なのだろうと考えてしまいます。
6月11日の新聞なので1か月前になってしまうのですが、その漂流男性こと新川広光さんへの
取材記事を掲載したいと思います。以下、読売新聞2011年6月11日(土)の記事より引用です。
とても真面目な優しい方なのだろうな…と感じました。
この体験を話されるのはとても辛いでしょうに、言葉少なな内容から、
その場面場面を想像してしまいました。
やはり震災・津波の体験は簡単には語りつくせないものであると思いました。
ましてやそれを饒舌に語ろうなんて、それはもう真実とは思えません。
辛かったり、悲しかったりという気持ちが強ければ強いほど、
なかなか口を開けない…痞えるような、咽喉がグッとした感じになります。
時はある程度癒しをもたらしてくれますが、心に刻まれた傷を本当に癒すことは難しいことです。
私事ですが、私も母が他界した当時には、話すよりも先に涙が溢れてしまって、
周りの方々へきちんと話すことが出来ませんでした。
時が癒してくれるなんてこと自体、信用できませんでした。
きっと新川さんもさまざまな思いを胸に秘め、古里から遠く離れた土地で
3か月という時を過ごされてきたのだろうな…と思います。
「体験したからこそ言わなくちゃいけない」との決意はとても大変なことに思います。
漂流中には孤独・渇き・空腹との闘いだったでしょうし、凄惨な場面も目撃されている
ことでしょうから。
以前『震災ヲ記録スル』にも書きましたが、新川さんにも津波を継承する語り部に
なっていただきたいと、私は切に願います。
真摯な姿勢で真実を語ってくださる方が、この震災を語り継ぐ上で必要だと感じています。
私は個人を支援することにはもう懲りてしまったので、
蔭ながら新川さんを応援したいと思います。
新川さんが普通の生活を送り、健康な毎日を送れますように…!
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王様であろうと百姓であろうと、
己の家庭で平和を見出す者が一番幸福な人間である。
義務の重荷から我々を解放する事のできるのは、
良心的な実行のみである。
ただわれわれの曖昧で散漫な教育が、
人間を不確かなものにする。
ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe)
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昨日で震災から4か月となりました。
先月終わり頃に
善意と優しさだけでは被災者を支援できないことを学びました。
気をつけないと足元をすくわれるのだと実感しました。
支援というもののあり方を考え直さなければならぬと思っています。
タケマツ
覚えておりますか?このニュースが流れた時、私は父と共に「おお!」と
声を上げてしまいました。この映像は言葉にならない驚きでした。
実際、漂流3日、43時間も孤独に海を漂っていた心境とはどのようなもの
なのだろうと考えてしまいます。
6月11日の新聞なので1か月前になってしまうのですが、その漂流男性こと新川広光さんへの
取材記事を掲載したいと思います。以下、読売新聞2011年6月11日(土)の記事より引用です。
「津波の怖さ 伝えたい」 43時間漂流男性 3か月後の決意
東日本大震災が発生して11日で3か月を迎えた。福島県南相馬市で自宅ごと津波に流され、漂流3日目に海上自衛隊イージス艦に救出された男性が読売新聞に取材に応じた。
あの時、すぐ逃げていれば……。一緒に流され、行方不明になった妻への思いと、自らを責める気持ちを胸に、男性は「地震が起きたらすぐに逃げるということを伝えるしかない」と、周囲に体験を語り始めた。
妻不明 避難遅れ悔やむ
「種もみを片づけないで、そのまま置いて避難所に行こうって言えばよかった」。
森林組合臨時職員だった新川広光さん(60)は3月11日午後4時頃、海岸から
約1キロの自宅にいたところを、妻の由布子さん(60)と共に津波に襲われた。
地震発生後、勤務先から急いで戻ると、農協で配布されたばかりの稲の種もみがあった。
「どうしようか」と思った末に納屋にしまい、2階ベランダから外を眺めていると、
濁流が迫ってきた。階下から「避難しましょう」と妻の声が聞こえた。
まもなく、衝撃を感じ、2人は離れ離れとなった。
新川さんは、濁流に浮かぶ自宅の屋根を見つけ、よじ登った。
海面はがれきで埋まり、陸地のようだった。
由布子さんの姿を捜したが見つからなかった。
翌日、漂流する屋根に漫画本と蛍光ペンが流れ着いた。
ページを破って「広光妻由布子も津波 12日広光」と書き、由布子さんの生年月日を記し、持っていた栄養ドリンクの空き瓶に入れた。「自分が死んでも、妻を見つけてもらえるように」。自分が生きていた証を残したかった。
漂流が始まって43時間後、イージス艦「ちょうかい」乗組員に発見された。
もらった飲料水を口に含むと、感謝の気持ちで涙があふれた。
その後、親族のいる川崎市が被災者を受け入れると知り、古里を離れた。
福島から避難してきたと知った市営住宅の住民は、気さくにあいさつしてくれる。
「みんな被災者に温かい言葉をかけてくれる」。恩返しのつもりで、地域に溶け込みたいと、
団地内の掃除にも積極的に参加した。
今はハローワークに通い、仕事を探す毎日。先月31日、81日ぶりに帰宅した。
先祖の墓は流されていたが、花を手向けて由布子さんの無事を祈った。
自宅は風呂場の一部を残し、跡形もなくなくなっていた。
「原発事故が収束するまでは、今の場所で朝、仕事に出かけ、夕方帰る普通の生活がしたい。でも、いずれは南相馬に帰りたい」
時間の経過とともに漂流当時のことも周囲に話せるようになった。
最近、人に会うたびに「津波警報が出たら早く逃げて」と伝えている。
「体験したからこそ言わなくちゃいけない」
東日本大震災が発生して11日で3か月を迎えた。福島県南相馬市で自宅ごと津波に流され、漂流3日目に海上自衛隊イージス艦に救出された男性が読売新聞に取材に応じた。
あの時、すぐ逃げていれば……。一緒に流され、行方不明になった妻への思いと、自らを責める気持ちを胸に、男性は「地震が起きたらすぐに逃げるということを伝えるしかない」と、周囲に体験を語り始めた。
妻不明 避難遅れ悔やむ
「種もみを片づけないで、そのまま置いて避難所に行こうって言えばよかった」。
森林組合臨時職員だった新川広光さん(60)は3月11日午後4時頃、海岸から
約1キロの自宅にいたところを、妻の由布子さん(60)と共に津波に襲われた。
地震発生後、勤務先から急いで戻ると、農協で配布されたばかりの稲の種もみがあった。
「どうしようか」と思った末に納屋にしまい、2階ベランダから外を眺めていると、
濁流が迫ってきた。階下から「避難しましょう」と妻の声が聞こえた。
まもなく、衝撃を感じ、2人は離れ離れとなった。
新川さんは、濁流に浮かぶ自宅の屋根を見つけ、よじ登った。
海面はがれきで埋まり、陸地のようだった。
由布子さんの姿を捜したが見つからなかった。
翌日、漂流する屋根に漫画本と蛍光ペンが流れ着いた。
ページを破って「広光妻由布子も津波 12日広光」と書き、由布子さんの生年月日を記し、持っていた栄養ドリンクの空き瓶に入れた。「自分が死んでも、妻を見つけてもらえるように」。自分が生きていた証を残したかった。
漂流が始まって43時間後、イージス艦「ちょうかい」乗組員に発見された。
もらった飲料水を口に含むと、感謝の気持ちで涙があふれた。
その後、親族のいる川崎市が被災者を受け入れると知り、古里を離れた。
福島から避難してきたと知った市営住宅の住民は、気さくにあいさつしてくれる。
「みんな被災者に温かい言葉をかけてくれる」。恩返しのつもりで、地域に溶け込みたいと、
団地内の掃除にも積極的に参加した。
今はハローワークに通い、仕事を探す毎日。先月31日、81日ぶりに帰宅した。
先祖の墓は流されていたが、花を手向けて由布子さんの無事を祈った。
自宅は風呂場の一部を残し、跡形もなくなくなっていた。
「原発事故が収束するまでは、今の場所で朝、仕事に出かけ、夕方帰る普通の生活がしたい。でも、いずれは南相馬に帰りたい」
時間の経過とともに漂流当時のことも周囲に話せるようになった。
最近、人に会うたびに「津波警報が出たら早く逃げて」と伝えている。
「体験したからこそ言わなくちゃいけない」
とても真面目な優しい方なのだろうな…と感じました。
この体験を話されるのはとても辛いでしょうに、言葉少なな内容から、
その場面場面を想像してしまいました。
やはり震災・津波の体験は簡単には語りつくせないものであると思いました。
ましてやそれを饒舌に語ろうなんて、それはもう真実とは思えません。
辛かったり、悲しかったりという気持ちが強ければ強いほど、
なかなか口を開けない…痞えるような、咽喉がグッとした感じになります。
時はある程度癒しをもたらしてくれますが、心に刻まれた傷を本当に癒すことは難しいことです。
私事ですが、私も母が他界した当時には、話すよりも先に涙が溢れてしまって、
周りの方々へきちんと話すことが出来ませんでした。
時が癒してくれるなんてこと自体、信用できませんでした。
きっと新川さんもさまざまな思いを胸に秘め、古里から遠く離れた土地で
3か月という時を過ごされてきたのだろうな…と思います。
「体験したからこそ言わなくちゃいけない」との決意はとても大変なことに思います。
漂流中には孤独・渇き・空腹との闘いだったでしょうし、凄惨な場面も目撃されている
ことでしょうから。
以前『震災ヲ記録スル』にも書きましたが、新川さんにも津波を継承する語り部に
なっていただきたいと、私は切に願います。
真摯な姿勢で真実を語ってくださる方が、この震災を語り継ぐ上で必要だと感じています。
私は個人を支援することにはもう懲りてしまったので、
蔭ながら新川さんを応援したいと思います。
新川さんが普通の生活を送り、健康な毎日を送れますように…!
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王様であろうと百姓であろうと、
己の家庭で平和を見出す者が一番幸福な人間である。
義務の重荷から我々を解放する事のできるのは、
良心的な実行のみである。
ただわれわれの曖昧で散漫な教育が、
人間を不確かなものにする。
ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe)
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
昨日で震災から4か月となりました。
先月終わり頃に
善意と優しさだけでは被災者を支援できないことを学びました。
気をつけないと足元をすくわれるのだと実感しました。
支援というもののあり方を考え直さなければならぬと思っています。
タケマツ
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