2016年10月19日
”栗”から”マロン”に変身した父
栗のような人格
父は基本物静かな人だった。
アルコールが入ると陽気にもなったが、暴力的にもなった。
しかし、「シラフ」の父は人見知りが激しく、言葉も少ない。
初対面の人となんか目も合わせない程だった・・・
私の知る限りでは・・・。
時に父は攻撃的で、心を開きにくい。
だんだん慣れてきても、その向こう側には
もう一つ殻がある。
その様はまるで栗の様・・・
イガイガの外見に覆われて、人を地被けない様は
正にいがぐりそのもの・・・
その殻を破って・・・心の扉を開いて見せたところで
その扉は第一扉で、中に入っている栗の実もまた
硬い殻で覆われている。
そしてその殻を破ったところで、その実は硬い。
強い渋みを含んだ肌に覆われた実もまた父の様だ。
父という人柄は、自分自らの意志では心を開けない人だ。
調理されることで、本当の良さが現れる。
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マロンになった父
父は60年以上、そうやって生きてきた。
現在70歳・・・ここ数年で劇的に変わった。
母が他界してさらに変わった・・・。
父は栗からマロンになった。
ここでいうマロンはスイーツ的表現である。
父はとてもとても甘くなったと言える。
物腰も柔らかくなった。
何より笑顔が多く見られる・・・「シラフ」で笑うような人ではなかった。
というより、笑っている時はご機嫌の時で、ご機嫌の時は
アルコールをたしなんでいる時だった・・・だからそういう印象しかない。
アルコール依存症を経て、脳梗塞を患ったことで体の自由を失った。
身体の自由と引き換えに、笑顔を得た・・・満面の笑顔・・・
もちろん素面の状態での笑顔だ。
おまけでヨダレ付きだ・・・口も麻痺しているから
しまりが悪い・・・ひとたび笑い出せば
ヨダレは止まらない・・・1〜2歳の子供の様である。
それが父の人生なのだ・・・良くも悪くも・・・
それは父の心が決めることである。
痴呆が気になるが、常に心から笑っていてほしいと願う。
振り返ってみて改めて思うが、
いろんな意味で、劇的な変化を遂げた十数年だ。
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