2017年01月09日
”喋れない”・・・ということ
喋れないという感覚
聞こえるが話せない・・・しゃべることが出来ない人は
この世にたくさんいる。
そしてその理由や原因も・・・。
私の父が話が出来ないということは常々記事にさせていただいている。
自分の家族に障害者がいるということで
人にはわからない何かを知ったような気になっていた。
そんな自分に気づいたのは最近だった。
他人さまから、「大変だね」とか
「親孝行だね」とか、そんな社交辞令に
鼻を高くしていた瞬間があったことさえも恥ずかしい。
その場では「そんなことないですよ」
・・・などと言いつつも・・・。
お前に父親の何がわかるというんだ・・・と自分に問う。
自問できても自答は出来ない。
当たり前だ、何もわかっていないのだから・・・。
耳が聴こえなかったり、喋れなかったりすると
コミュニケーション障害という二次的な副作用が発生する。
人と接することが怖くなったり、億劫になったりする。
それが原因で心を閉ざしてしまう人もいる。
毎日言いたいことを言っている私のような人間には
「喋れない」という感覚を理解することはできないだろう。
少なくとも、今現在の自分には・・・。
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ヘレンケラー
小学生の頃・・・時は昭和50年代後半。
授業中に担任の先生が「ヘレンケラー」について話し始めた。
視覚と聴覚の障害を持ちつつも、障害者の教育と福祉の発展に尽くした。
著作家としての顔も持つ、歴史に名を残した女性だ。
そのヘレンケラーの気持ちを味わってみましょう・・・
とのことで、クラスのみんなに目を閉じさせて、
両耳をふさがせて1分間の時を過ごす・・・
という試みだった。
それで何がわかったか・・・何もわからない。
わかるはずもない・・・そこに恐怖はないからだ。
そこには不安も煩わしさも、イライラもない。
むしろ感じたのは優越感だったのかもしれない。
・・・父と、もっとコミュニケーションを取りたい。
そうするために、今の自分にできること・・・とは。
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