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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年02月07日

王舎城の悲劇は何を教えられている?

王舎城の悲劇は、何を教えたものでしょうか。

一言で言えば、真実の自己を教えています。
真実の自己とは、本当の私の姿です。


王舎城の悲劇を通して、自分の姿、

私にもそういうことはないだろうか、
と見ていくことが大事です。

 

まず登場人物は、
ビンバシャラ王と韋提希夫人です。
王様夫婦で、何不自由のない生活を送っていました。
しかし、ただ一つ悩みがありました。
それは子供がないことです。

 

それで、二人はどうしたかというと、
占い師のところに行って、占いをしてもらいました。


占い師は何と言ったでしょうか。
「私の見ろところ、奥山で修行している修行者が死ねば、

王様夫婦の子供が産まれることになっています」

「では、その修行者の命はどれだけか」

「あと5年です」

そこで驚いたのは韋提希夫人です。
5年もすれば、子供の産めない身体になります。
「何とか早く生まれる方法はないの?」

 

占い師はこう言います。

「それはないこともございませんが・・・修行者さえ早く死ねば、

いえいえ私がすすめるのではございません」

 

韋提希夫人はそれで、殺してしまえと思うようになりました。
ビンバシャラ王は、家臣を呼んで会議を開きました。

 

家臣は「あと5年待たれては・・・」

そこで出てくるのが韋提希です。
あなた、ちょっとちょっと、と別室に連れていきます。

 

「あなた、しっかりしてよ。あの者たちの魂胆が分からないの」
「あと5年もすれば、私は子供の産めない身体になってしまう。
あいつらは後釜を狙っているのよ」

 

そして、ビンバシャラ王を説得します。
私たちの世継ぎの為、みんな喜ぶこと、修行者も喜ぶわ。

そう言いました。

 

そこで兵士を従えて殺しに行きます。
ビンバシャラ王は、

「今日はお前の為に来てやったのだ」

しかし修行者は、

「はい、では死にます」

とはなりません。
修行が成就するまでは死にたくありません」
そこでビンバシャラが激怒した。
「わしの命を聞けぬものは、この国では生かしておけんのだ。やれっ」

修行者は惨殺されます。

 

ビンバシャラ王と韋提希は、一言で言えば権力者です。
力を持つと、人は本性を表します。

 

このような自分が得するためなら

人はどうなってもかまわないという

自己中心的な心はないでしょうか?

 

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posted by 陽葵 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 罪悪

2018年02月06日

弱そうで強い心とは?

頼りにならないものを信じているのを
「自力の信心」といいます。
自力は強そうでいて大変もろい。

 

いつくずれるかという不安があります。

 

ところが、本当にたよりになるものがあったと
ハッキリしたものが、

「心を弘誓の仏地にたて」
といわれます。

 

他力というと何か弱そうに思うかもしれませんが、
変わらない心を金剛心と言います。

 

如何なる人来りて云い妨ぐとも、

すこしも変わらざる心を金剛心という。
(後世物語聞書)

 

と教えられています。

誰からどんな悪口を言われても、

決してゆるぎません。

 

それはどんな心かというと、

金剛心とは、

本当にたよりになるものが、一心一向に弥陀をたのんだ。

弥陀よりほかに後生を救ってくださるのはなかった

と知らされた心です。

 

これを
「心を弘誓の仏地にたて、念を難思の法海に流す」
と仏教でいわれています。

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2018年02月05日

生きてる人は何かの信心を持っている

私たちは、生まれてから死ぬ間での間に

色々なものを頼りにしたり、

心の支えが欲しいと思います。

 

 

よく、私たちは、愛しているかどうかを言うときに、
「信じている」という言葉をつかいます。
「ねぇあなた私愛してる?」
「愛してるよ」
「私のこと信じてる?」
「信じていないよ」
ということはありません。

 

「愛情」とは「信頼関係」が前提とも言えます。
愛しているということは、信じています。

 

信じるというのは頼りにするとか
あてにするということです。

 

たよりにしてアテになるような、
そういう人に愛したい、愛されたいとなってきます。
人間誰かをたよりにしなければ生きていけません。

 

生きているということは、

何かを信じているということです。

それが「信心」です。

 

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2018年02月04日

十二因縁の愛

仏教の十二因縁の中に「愛」という時代があります。
青年時代です。

 

人から愛情を求める人の特徴として、簡単に傷つきやすいものです。

それほど、愛欲が強いからです。


それがうまくいけば、恋人、結婚、家族……となりますが、
死ぬまで愛欲というのは変わらずもっています。

 

しばらく付き合う人がいます。
家族の場合には、生まれてくるときから50までとかです。
私たちがつきあう友達、家族、基本的には一人ですが、

さみしいから、しばらくの間付き合います。

 

ブッダは、

独生独死独去独来

と教えられていまい素。

 

生まれてくるときは独り、死ぬときも独り。

来た時も去る時も独り、

生まれてから死ぬまでひとりぼっちです。

 

一人じゃあまりにもさみしい、孤独な魂がふるえています。
みんな求めている、しばしの間つきあっているが、ほんの一時です。
「骨まで愛している」
しかし骨までである。
歌だけです。
わずかでサヨナラ

どんな一時の付き合い、ほんのひととき、という特徴をもっています。

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タグ:結婚

2018年02月03日

孤独になりたくない欲望

人間がこの世に生まれて死んでいく人の一生を人生といいます。

 

人間は孤独になりたくないので、

ずっと愛されたいと

愛に飢えています。

 

この世に生まれてきたとき、子供は親に愛を求めます。
普通は惜しげない愛情で、子供を育てます。


「親」という字は、「木の上に立って見る」と書きます。
子供がどこかにでていくと、見えなくなるまで、ずーっと心配し、
惜しみない愛情をそそぐのが親の愛情です。

 

赤ん坊はすぐに泣きます。
それは何か要求がある場合です。
「どうした?」
「ミルクー」
まだしゃべれない時泣きます。
「おなかすいたー」とか。

生意気なこというくせにすぐ泣きます。

 

印籠を見せるみたいに、
これはもう泣けば許してくれると読んでいます。
泣き落としみたいです。
なんぴともかないません。

 

ようは最初から愛に飢えています。

そして、人生の間、ずっと愛されたいと思い続けます。

仏教では、これは欲望の一つです。

 

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2018年02月02日

人生の孤独と不安を解決する仏教

居場所がないと感じている人が多くあります。

居場所がないというのは不要品ということです。

 

 

自分がここにいていいんですか?
こういう気持ちを持つ人が実に多くあります。

 

何のためにここにいるのか、どれほどの意味があるのか、
今こうして生きているのはどれほどの意味があるのか、
生きる目的が分かりません。

 

今がすごくつまんなくって、未来になると変化して、
必要とされたりするのがあるのかって思うと、
そう思えません。

 

今が暗くて、未来も暗い。

「今生きている意味が分からない」

孤独不安をストレートに歌っている「自己紹介」だと評されています。

 

わたしはこうだったと歌っているのと、
現代社会の思っている気持ちとオーバーラップして
メガヒットを出しています。

 

しかし、その心を解決して、
かけがえのない人間として生を受けて、
自分の居場所をつくってもらって、
生きてきてよかったーということは、
残念ながら分かりません。


これについて答えているのは、ブッダです。
仏教を聞けば、このような、空しい、居場所がない、

何のために生きているのか分からない

心の闇を晴らすことができます。

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2018年02月01日

繰り返してく毎日に物足りなさ

以前、NHKクローズアップ現代で
「自分を歌う少女」というのがやっていました。

 

 

キャスターが、去年一年で売れた曲は、

これまで売れた曲とは大きく異なると言います。


1〜10位の内、上位5位は「ギャル」です。
1、浜崎あゆみ
2、倉木
3、椎名林檎
4、Misia
5、小柳ゆき

 

年齢は
浜崎22才、

倉木18才、

椎名22才、

Misia23才、

小柳18才

です。


昔はBz、サザンだった。

この中でも「浜崎あゆみ」
19枚のシングル全部ミリオンセラー、

19発連発はない、
CD、LD、VCDの3つを出すが、

たいていCDだけしか売れません。

 

しかし浜崎あゆみは、3つ全部1位です。
支持するファンは男性も、女性もいます。

 

鈴木あみの場合はほとんど男だが、浜崎は両方います。

なぜあなたは浜崎か?
ほとんど「歌詞がいい」と答えます。

 

私の胸の中にもある、私も思っていることをよくぞ言ってくれた、と。

真実を開くためには浜崎の歌詞をみなければなりません。

 

紅白では、SEASONSを歌いました。
すごい売れました。

 

それによると、

繰り返してく毎日に物足りなさを感じながら
不自然な時代のせいだよと先回りしてあきらめていた

 

物足りなさを感じています。


毎日、似たようなことの繰り返しで物足りない、

仏教では流転輪廻といいます。


似たようなことをくりかえして、といえば、

昔はおよげたいやきくん
同じ事の繰り返しで、楽しければいいですが物足りないのです。

生きる目的も分かりません。

 

 

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2018年01月31日

仏教講座でどうあるべきか

蓮如上人の御文章1帖目12通 年来超勝寺。
その最後にこうあります。

 

せめて念仏修行の人数ばかり道場に集りて
「わが信心はひとの信心は如何あるらん」
という信心沙汰をすべき用の会合なるを
近頃はその信心ということはかつて是非の沙汰に及ばざるあいだ
言語道断あさましき次第なり。
所詮自今已後はかたく会合の座中に於て信心の沙汰をすべきものなり。

 

一言でいうと、あなたが仏教を聞きにこられたということは、
仏教の説かれているところで、信心の沙汰をするのが目的、
そのために集まっている、ということです。

 

「道場」とは、仏教講座の会場です。
「念仏修行」とは思い切り念仏を称えるのではなく、

真実の仏法を聞き求めている人のことです。


生きる手段で一生懸命の人の中から、
本当の生きる目的を明らかにされた
仏教の説かれている場所に集まってきたならば、
我が信心は人の信心は、と沙汰をします。

 

蓮如上人が一人の人に対して話しているのではない事は明確です。
集まった一人一人に信心沙汰をすべきといわれています。
どういうように分かったということを自分の唇で一人一人が話をします。
それが目的です。

 

ところが最近はどうもそれがない。

 

近頃はその信心ということはかつて是非の沙汰に及ばざる


自分で仏法を話す、一対一で話をする機会がありません。
口から先に生まれた、顔には口しかない。
そういう人に話しなさい、ではありません。
話せないなら、話せばいいのではない。
エレガントに話をするのがいいというのではありません。


「えーと・・」

「ほら・・」と、

ポツポツと出てくるようなものでも構いません。
もし分からなければ、よく分かっている人から、聞けばいいのです。
しかし、最近はどうもそれがない、けしからん。

 

言語道断あさましき次第なり。
所詮自今已後はかたく会合の座中に於て信心の沙汰をすべきものなり。

 

これからは、会合、仏教講座の会場に来たら、

自分の唇で話をしてください、と教えられています。

 

あなたの立場で考えてみますと、ただ聞いているだけでは面白くありません。

 

私一人が話をすると多く内の一人になってしまいます。
あなたが、話をすると、あなたが主役です。
一人一人が話を受け取る事になります。

 

だから、多いに話をしましょう。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞法

2018年01月30日

生きる目的が分かって幸せ

使命というのは、命を使うと書くように、
命の使い場所です。

 

仏教に本当の生きる目的を学んで、

命を使うところを知っているというのは本当に幸せです。

 

例えばこの口、仏法を知らなかったら何の為に使っているでしょうか?

 

高校時代の飲み会とかであるのは、
遠回しな悪口や自慢しか会話にありません。
盛り上がりません。

 

悪口、罪を造らないと盛り上がれない、
しかし、悪口を言わないと盛り上がれない
つまらない人生になります。

 

ところが口の使い道知っているわけですから、
仏法をお伝えするためにできるのですから、幸せです。

お金の使い方知っているのも素晴らしいことです。

 

本当の生きる目的を教えられた仏教を聞いて、

人生の使い方、時間の使い道知らされたことは本当に素晴らしいことです。
仏法の為に時間と悩ませて頂きましょう。

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2018年01月29日

財施の多寡は法施の多寡をあらわす

「財施の多寡は法施の多寡をあらわす」
といわれます。

 

財施が多いかどうかは法施が多いかどうかだ!
ということです。

 

私達が僧侶のように、
仏教を伝えるときには
常に忘れてはいけません。

釈尊以来のことです。

 

なぜこのような話をするかというと、
は法施しません、できません。


それなのに金を出せ!!

といいます。

税金みたいに思います。

 

何もしてもらっていないのに出さないといけない。
嫌ですからお布施しなくなります。

 

それで葬式法事、駐車場や幼稚園経営、

公務員や教員になっています。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践