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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年01月18日

仏教講座の後すべきこと

どのようにあなたは仏教を聞かせてもらったのか

昔はあなたも語っていたのでしょうが、最近は全然話をしない、

蓮如上人は教えられています。


近頃はその信心ということはかつて是非の沙汰に及ばざるあいだ、
言語道断あさましき次第なり。
所詮自今已後はかたく会合の座中において、
信心の沙汰をすべきものなり。

 

こう教えられましてあなたが仏教講座に集まったのなら、
一体あなたはどのように聞かせてもらったのかお互いに唇で語りなさい。

必ず信心の沙汰をしなさい、

とくり返しおっしゃっているんですね。


そこで仏教講座のあと、講座でどんな話を聞かせてもらったのか、

家族や友人に話をするといいでしょう。

 

そしてこれから新しく仏縁を結ばれる方にも

話ができるようになりましょう。

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タグ:蓮如
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞法

2018年01月17日

在家と出家

普通家っていうと、煩悩を表すこともありまして、
あなたの自宅に行くとさも煩悩って自ありますよね。

 

まあインスタントラーメンの汁は転がっているは
あちこちで脱いだ物があって、
ドリブルで抜いていかないといけない。

 

ナイス煩悩の林って、
あなたの下宿以外の下宿に行くとあります。


お客さんが来るときには
一気にブルドーザーのように押し入れにぱつんと。

 

これ楽したい、煩悩の一杯の林にいると、
煩悩にまみれているという感じがします。

自宅の人も家族の恩愛というものがありまして
色々と喰いたいとか飲みたいとか
楽がしたいとかあの人憎いとか
煩悩に溢れています。

在家とはそういう煩悩に汚れたところにいる、私たちのことです。

 

それで、出家というのは、

家を出るというのは、

そのような煩悩を離れて、僧侶になり、

戒律を守って、さとりを求めて

修行をしようということです。

 

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年01月16日

仏教講座のあるべき姿

仏とも法とも知らなかった人が

「仏教の教えってこういうものだったのか」

と仏縁を結ばれます。

 

その中に、仏教の言葉に一体どう言う意味が
隠されていたのか分からないという人があります。

 

このブログでも、煩悩とか、彼岸とか、輪廻という
仏教の言葉が使われていますが、
意味がわからないという方々がたくさんあるから
そういう人は、仏教の講座にいって話を聞きます。


すると、仏教の言葉を出して、その意味を
分りやすく説明してもらえます。

 

仏教講座というのは、
仏教の文化とか歴史ではなく、
仏教の教えを分かりやすく学べるものであるべきなのです。

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タグ:歴史
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2018年01月15日

地獄の不安と阿弥陀仏の幸せ

仏教の結論は、

一向専念無量寿仏

です。

 

無量寿仏とは、阿弥陀仏のことです。

一向専念とは、たのむということで、

打ちまかせる、救われるということです。

 

本当に頼りになる本当に当てになる、
幸せにする力のあるのは阿弥陀仏一仏ですから、

その弥陀をたのめ。

 

その弥陀をたのんだ信心を他力の信心と言いまして

その弥陀の本願まことであったとハッキリした信心が

金剛心と言います。

 

絶対に崩れることのない

絶対に壊れることのない金剛堅固の信心なのです。

 

考えてみますと私たちの一生は死の前にあっては

全然たよりにならない当てにならない物ばかり頼って

生きているんですよね。

 

本当はやがてあなたの手を離れていくものを信じています。
死んでいくときには何の頼りにもならないものを

頼りにして生きているから不安と孤独から離れられずに

ビクビクして淋しい心を抱えて生きているんですよ。

 

そんな私たちに、後生に突っ込んでも壊れない、

そういう仏様が阿弥陀仏ですから、
弥陀の本願信ずべし

本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて

無上覚をばさとるなり

とか

『誰の人も後生の一大事を心にかけて、

 阿弥陀仏を深くたのみまいらせて』
とかね

『これによりてただ深く願うべきは後生なり、

 またたのむべきは弥陀如来なり』

と教えられていて

これが仏教の結論である

一向専念無量寿仏

と教えられています。
だからこの御文章はあなたが頼りにしていると

死ぬときに大変な後悔を残すというものと、

本当に頼りになるものは何かを教えられて、

弥陀の本願信ずべしと言われています。

 

ところが私たちは迷いが深くて

たよりにならないものを頼りにしていてだから
地獄に堕ちるだから幸せになれずにいるのだ。
これを自力の信心を捨てて他力の信心に入れと

仏教で教えられています。

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2018年01月14日

イライラと不安と信念

最近17歳の少年、心の闇とか、
昔は14歳の神戸の酒鬼薔薇聖斗が
『透明な存在であり続ける』とか言っていたけど
自分に自信が持てない確かに生きている実感が持てません。

 

何にエネルギーを費やして良いか分からないだからイライラします。

ビクビクします。

 

そういう17歳の子が多いからとんでもないところに
自分のエネルギーを発散して殺人をしてみたいだの
ばっとを振り回して殺したりします。

 

心の中に確かなものが持てずに不安極まりない世の中の
人の心の写しのような感じがします。

 

私はもっと強くなりたいんだと。
こういう気持ちを持っている若者達は実際のところ非常に多いです。

 

かくいう私たちも高校三年の時に空手を習おうと思って
道場を見学に行ってかえってきて辞めた。

大学に入って半年間だけボクシングやってたんですよ。
タイのボクサーと間違われて辞めました。
肉体的にも精神的にももっと強くなりたいです。

自分が臆病者で小心者でビクビクしている、
だけどそれを周りの人に分からないように振る舞っているけれど、
その当時の私からしますと

どんなことが起きてもへっちゃらな人はすごいと思います。

 

松田聖子とか。
あれだけのスキャンダルがあるのにへっちゃら。
びびびと結婚してびびびと離婚。

それでも紅白に出てきて歌っています。
すごいねあんたは。
もっと心の中に確かなものを持ちたいです。
そして誰に何と言われようとも吹き飛んでいかない、
心に信念を持ちたいという気持ちでありましたね。

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2018年01月13日

どんなときショック?

これみなさんにどんなときにショックを受けたのか
インタビューしてみますと、いつも乗っていた僕の愛車。

その自転車が駅に行ってみるとなくなって盗まれています。

その時に私は総崩れになりました。

 

こういう人もいますし、漫画の本に
「おたんこナース」というのがありますが、
マニアックな人に大変な人気を持っています。

 

毎週毎週あのおたんこナースが連載されているのを
当てにして生きていた。
ところが何の前触れなしに終わってしまった。
その時私は地獄に堕ちたという人もあります。

 

或いは道を歩いて弁当屋にたどり着いて弁当を買おうとして
自分のお尻に手を当てると確かに入れたはずの財布がなくなっています。

その時に『あーーっ!!』と大きな声を上げて財布がなくなる、

これで苦しいという人もあります。

 

高校生の時世界史をとった人が教科書の中に一生懸命ここは重要、

いっぱい書き込んだ本をある予備校に行って置き忘れてきました。

そして戻ってきて、世界に一つしかない私の教科書がなくなりました。
その時地獄に堕ちるという人もあります。

 

諸行無常ですから、

力にしていたものが何の前触れなしに消えてしまう。
続かなくなってしまうというときに幸せが崩れ、

苦しみを感じるんですね。

 

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2018年01月12日

幸せになる方法のありか

宗教っていうのも、世の中には色々あって、
多くの人が区別がつきません。

 

『このブログは宗教ですか』と聞いてきます。
『そうです宗教です』と答えて、
『ああそうですか、宗教待っていました』
という人はいないと思います。

 

変な宗教、足の裏みせろとか、
私と一緒にこの血を飲むんだ、と
どうも怪しい宗教が跋扈していて
その宗教が勧める信心の真偽が区別できない人ばかりなんですね。

 

ところが、科学や経済ではどんなに頑張っても

本当の幸せになれませんから、

本当の幸せになるためには、何らかの宗教が必要です。

 

人々を幸せにするのが

宗教の役割なのです。

 

宗教には、幸せになる方法が教えられているのです。

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タグ:科学

2018年01月11日

幸せになる方法

私たちはどうすれば絶対の幸福になれるのでしょうか。

幸せになろうとしても、その幸せはなかなか続きません。

 

変わらない幸せになる方法は、

どうすればいいのかというと、

名号を頂けば絶対変わらない絶対の幸福になれます。

 

私たちを絶対の幸福にする働きがあるのが
名号です。

 

名号を頂けば絶対の幸福になれます。

名号を頂くにはどうすればいいかというと、
聴聞です。

 

聴聞しなければ名号は頂けません。

名号を頂くというのが、聴聞の「聞」。
聞即信。
聞=信(信心決定)
正信偈には
「聞信如来弘誓願」正信偈)(如来の弘誓願を聞信すれば)
とあります。

 

聞と聞かせていただくということは、
南無阿弥陀仏を頂くということです。
名号と私は、一体になる。
これが、人間に生まれてきた目的。
本当の生きる目的です。
その他では人間に生まれてよかったという喜びは絶対におこりません。
この世に生まれてきたのは幸せになるため。


南無阿弥陀仏の名号を頂くためです。

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posted by 陽葵 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞法

2018年01月10日

あなたの裏でなされている会話

阿弥陀仏がまだ仏のさとりを開かれる前、

法蔵菩薩といわれる菩薩だったとき、

世自在王仏という仏のお弟子となっておられました。

 

ある日、法蔵菩薩が世自在王仏に
「すべての人を助けさせてください」
とお願いしました。

 

すると世自在王仏は、私たちの姿をよくよくご存知だから、
「とてもできないからやめておけ」
といわれました。

「なるほど、じゃあやめておきます」
と降りられたら、阿弥陀仏の本願もなかった。

私たちが人間に生まれた意味も、

生きる目的もなかった。

 

しかし、法蔵菩薩は
「それはよく分かっています。
しかし、私が助けなかったら、すべての人は
永遠に苦しみつづけなければなりません。
どうか助けさせてください」

と食い下がられました。

 

「無理だ。やめておけ」

「助けさせてください」
こういうことが繰り返されます。

 

当の助けて頂く私たちはこういう会話をぜんぜん知りません。

 

たとえて言うならば、何人かの医者が、

この人はもう無理だといっているところ、
法蔵という研修医が、命がけで私にやらせてくださいというようなものです。

こういう会話がなされているのに、
あなたはこんこんと深い眠りについていて、

全然知らないのです。

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タグ:阿弥陀仏

2018年01月09日

祭りには皆とはいえど気は娘

阿弥陀仏の本願とは、阿弥陀仏のなされているお約束です。

約束は一人ではできません。必ず相手があります。

 

では、誰と約束されているかというと、

阿弥陀仏の本願36文字の中に、約束の相手を誓われています。

 

それが十方衆生とあります。

十方衆生とは、すべての人ということです。

 

阿弥陀仏がすべての人と約束されていることを、

親鸞聖人はどのように味わっておられるか。

 

弥陀五劫思惟の願をよくよく按ずればひとえに親鸞一人がためなり。

 

「弥陀五劫思惟の願」とは、阿弥陀仏の本願のことです。

 

浄土真宗を明らかにされた親鸞聖人は、

阿弥陀仏の本願の相手は親鸞一人と読んでおられます。
十方衆生を助けてみせるのみ心を
親鸞一人を助けてみせるのみ心と味わっておられる。

 

これはどういうことでしょうか。

昔から

「祭りには皆とはいえど気は娘」
といわれます。

 

昔の人は結婚したらそんな簡単に実家に帰れません。
帰れるとしたら、お盆や正月です。
実家のお母さんは娘がかえってくることを楽しみでならない。

 

そのお母さんが夏祭りになると、

嫁ぎ先の家へ行って、

「もうすぐうちの村で祭りがありますから、みんなできて下さい」

と招待する。


しかし「気は娘」

あなたとは言ってあるけれども、気は娘です。

みんなで行ったら大変なことになります。


これは、日本独特のわびさびです。
難しいところ。
「皆」というのは十方衆生。
しかし親鸞聖人は「気は親鸞一人」と頂いておられます。

 

阿弥陀仏のお約束の相手の十方衆生には、

あなたの名前が入ります。

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posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 聞法