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2018年09月21日

部活をサボる生徒、急増中

文化部そのものを設置していない中学校もあると聞くが、私の学校には理科部なるものがある。

ここでは、運動部で半ば強制的に身体を鍛えられることに自信のない生徒たちが、それなりに自分の居場所を見つけ、好きな理科的研究活動をしている。

だが、最近人数が増えた。中学2年を中心に、運動部から逃れた生徒が、次々と理科部に集まってきたのだ。週3回、理科室に集まっては、自分の興味あるテーマで、楽しい時間を過ごし、それを研究成果として発表するのなら、大変結構なのだが、彼らの多くは参加すらしていない幽霊部員なのだ。

顧問に、どんな活動しているのかを尋ねたところ、一人ひとりやりたいことをやっているのだ、と言う。それでは、「それぞれ課題を与えたりしているのですか。」と尋ねたら、手が回らないので、そんなことはできない、と言う。

「○○も△△も□□も、所属しているけど、全然部活に行っていませんよね。」
と、たたみかけると、
「そうですね、□□は一度は来ましたけど…。」
と、つれない答え。

全員加入の部活動だから、どこかに所属しなければ行けないわけだが、一度楽を覚えた生徒は、こうした部活に入部し、加入したことにして、結局は何もしないで時間をもてあます。

昨今は、運動部でも似たようなことが起こっている。

ユニフォームの洗濯が間に合わないと休み、履いている靴がきついからと休み、はたまた、キャプテンでありながら休み続けたりする。しかも、無断欠席だ。これにはさすがに顧問も声を荒らげた。

私は部活の出席はとっていない。それはいつも全員が参加しているという前提だからであるが、各部とも、参加するしないが自由という訳ではない。こうなると、出欠を記録してもらいたい、そしてその参加状況を報告してもらいたい、とすら思う。

『面倒なことから避けたい、きついことはやりたくない』
という生徒が増えていることは事実だが、もしかしたら、顧問である教員側も同じように考えているのではないだろうか。部活に来ない生徒を、探したり、呼び出したりして話をするのは、面倒なので、「自己責任に任せる」と言って逃げている無責任体質であり、教員の仕事の放棄である。

部活をサボる生徒が増えるというのは、学校としての危機なのだ。

ブラック部活などと、部活動のあり方が求められているが、ここではそれ以前の問題である。人間として最低限のマナーやルールすら、守られていないし、守らせるべく指導がされていないということだろう。

そんな中で、補講必修、まずは学力を向上させよう、という号令だけが、虚しく響く…。
確かに親の願いは、『学力向上』であるし、私立学校はそれが募集に直結する。

部活動を通してこそ学べることは数多い。
私はそれをきっちりを経験させたいと思うのだが…。

学校指定の体操着

気温15℃。昨日からの雨で、この秋一番涼しい朝になった。

私の学校は、式典以外は、私服で、中学生が好き勝手な服装をしている。
体育の授業があるときは、体操着を着ているが、そうでないときも、結構ラフな格好だ。
暖かい時期なら、男女も、ハーフパンツにTシャツが定番だ。

一方、近隣の多くの学校は、制服はあるが、通常は体操着で生活している。
通学時も、体操着ならば、どこの学校の生徒かすぐに分かるし、私服を許可して、先生と生徒との、「この服は良いが、この服はだめだ」、などという無用のバトルを避けたいというねらいもあるだろう。

先日、近隣の学校の先生から、服装を注意したら不登校になってしまった、という話を聞いた。
この時期、ハーフパンツに指定のシャツで過ごすことが規則らしく、その生徒は、別の服を着ていたらしい。善意に考えれば、寒いからもう一枚服を着ていたことになるが、規則ではだめな訳で、当然、学校としての指導が入る。
「まだ衣替え前なのだから、その服は着てはいけません」
先生との、そんなやりとりの後、一悶着があって、その後、その生徒は不登校になったと言う。
いろいろな背景があるので、ここでは推測の域を出ないが、先生の指導が、トリガーを引いたことだけは間違いない。

寒いなら着させれば良いではないか、その指導は理不尽ではないか、と多くの方が思うだろうが、そう簡単でないのが学校現場だ。

一人を認めれば、次々と次の一人が出てくる。あの人は良くて、この人はだめ、などということも起こり、規則を守らせることはできなくのだ。この考え方が、学校は社会とかけ離れ、特殊な空間だと言われる一因でもある。

一方で、『規則は守るべきこと。守らせるべきこと』であることの事実だろう。

多少の我慢を強いたとしても、強要しなければならないことも、教育の一面ではある。

「体育の時間に、きちんと体操着を着させてはどうですか?」
私の学校で、体育の時間ですら、体操着を着ていない生徒が多かったので、せめて中学生くらいはきちんと体操着を着させたいな、と思って、体育科の先生に問いかけてみた。

「そうしたいんですけど…。」
この言葉がすべてを象徴している。

実際うちでは、違うシャツを着ていても、別のズボンを着ていても、たとえ運動に適さないジーンズをはいていたとしても、体育の授業は参加させてもらえる。

本当は、許したくないのかも知れないが、「やらせないよりやらせた方がいい…」という考えと、「洗濯したけど、乾かなかった」という声をきちんと聞く。

でも結局は、「指導しきれない」、ということだ。と同時に、「服装などどうでも良い。それよりのびのびと身体を動かし、精一杯運動して欲しい。」という考えだろう。

生徒たちは、注意されなければ、許されたと思うし、他の多くが体操着を着ていなければ、それで良いのだと思う。

公立の中学校では起こりえないことが、私立では起こる。

『強圧的な指導ではなく、一人ひとり語りかけ、因果を含めて納得させる。』

そういう方針だからなのだろうが、それでも私はちょっとズレていると思うのだが…。
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