2018年09月21日
学校指定の体操着
気温15℃。昨日からの雨で、この秋一番涼しい朝になった。
私の学校は、式典以外は、私服で、中学生が好き勝手な服装をしている。
体育の授業があるときは、体操着を着ているが、そうでないときも、結構ラフな格好だ。
暖かい時期なら、男女も、ハーフパンツにTシャツが定番だ。
一方、近隣の多くの学校は、制服はあるが、通常は体操着で生活している。
通学時も、体操着ならば、どこの学校の生徒かすぐに分かるし、私服を許可して、先生と生徒との、「この服は良いが、この服はだめだ」、などという無用のバトルを避けたいというねらいもあるだろう。
先日、近隣の学校の先生から、服装を注意したら不登校になってしまった、という話を聞いた。
この時期、ハーフパンツに指定のシャツで過ごすことが規則らしく、その生徒は、別の服を着ていたらしい。善意に考えれば、寒いからもう一枚服を着ていたことになるが、規則ではだめな訳で、当然、学校としての指導が入る。
「まだ衣替え前なのだから、その服は着てはいけません」
先生との、そんなやりとりの後、一悶着があって、その後、その生徒は不登校になったと言う。
いろいろな背景があるので、ここでは推測の域を出ないが、先生の指導が、トリガーを引いたことだけは間違いない。
寒いなら着させれば良いではないか、その指導は理不尽ではないか、と多くの方が思うだろうが、そう簡単でないのが学校現場だ。
一人を認めれば、次々と次の一人が出てくる。あの人は良くて、この人はだめ、などということも起こり、規則を守らせることはできなくのだ。この考え方が、学校は社会とかけ離れ、特殊な空間だと言われる一因でもある。
一方で、『規則は守るべきこと。守らせるべきこと』であることの事実だろう。
多少の我慢を強いたとしても、強要しなければならないことも、教育の一面ではある。
「体育の時間に、きちんと体操着を着させてはどうですか?」
私の学校で、体育の時間ですら、体操着を着ていない生徒が多かったので、せめて中学生くらいはきちんと体操着を着させたいな、と思って、体育科の先生に問いかけてみた。
「そうしたいんですけど…。」
この言葉がすべてを象徴している。
実際うちでは、違うシャツを着ていても、別のズボンを着ていても、たとえ運動に適さないジーンズをはいていたとしても、体育の授業は参加させてもらえる。
本当は、許したくないのかも知れないが、「やらせないよりやらせた方がいい…」という考えと、「洗濯したけど、乾かなかった」という声をきちんと聞く。
でも結局は、「指導しきれない」、ということだ。と同時に、「服装などどうでも良い。それよりのびのびと身体を動かし、精一杯運動して欲しい。」という考えだろう。
生徒たちは、注意されなければ、許されたと思うし、他の多くが体操着を着ていなければ、それで良いのだと思う。
公立の中学校では起こりえないことが、私立では起こる。
『強圧的な指導ではなく、一人ひとり語りかけ、因果を含めて納得させる。』
そういう方針だからなのだろうが、それでも私はちょっとズレていると思うのだが…。
私の学校は、式典以外は、私服で、中学生が好き勝手な服装をしている。
体育の授業があるときは、体操着を着ているが、そうでないときも、結構ラフな格好だ。
暖かい時期なら、男女も、ハーフパンツにTシャツが定番だ。
一方、近隣の多くの学校は、制服はあるが、通常は体操着で生活している。
通学時も、体操着ならば、どこの学校の生徒かすぐに分かるし、私服を許可して、先生と生徒との、「この服は良いが、この服はだめだ」、などという無用のバトルを避けたいというねらいもあるだろう。
先日、近隣の学校の先生から、服装を注意したら不登校になってしまった、という話を聞いた。
この時期、ハーフパンツに指定のシャツで過ごすことが規則らしく、その生徒は、別の服を着ていたらしい。善意に考えれば、寒いからもう一枚服を着ていたことになるが、規則ではだめな訳で、当然、学校としての指導が入る。
「まだ衣替え前なのだから、その服は着てはいけません」
先生との、そんなやりとりの後、一悶着があって、その後、その生徒は不登校になったと言う。
いろいろな背景があるので、ここでは推測の域を出ないが、先生の指導が、トリガーを引いたことだけは間違いない。
寒いなら着させれば良いではないか、その指導は理不尽ではないか、と多くの方が思うだろうが、そう簡単でないのが学校現場だ。
一人を認めれば、次々と次の一人が出てくる。あの人は良くて、この人はだめ、などということも起こり、規則を守らせることはできなくのだ。この考え方が、学校は社会とかけ離れ、特殊な空間だと言われる一因でもある。
一方で、『規則は守るべきこと。守らせるべきこと』であることの事実だろう。
多少の我慢を強いたとしても、強要しなければならないことも、教育の一面ではある。
「体育の時間に、きちんと体操着を着させてはどうですか?」
私の学校で、体育の時間ですら、体操着を着ていない生徒が多かったので、せめて中学生くらいはきちんと体操着を着させたいな、と思って、体育科の先生に問いかけてみた。
「そうしたいんですけど…。」
この言葉がすべてを象徴している。
実際うちでは、違うシャツを着ていても、別のズボンを着ていても、たとえ運動に適さないジーンズをはいていたとしても、体育の授業は参加させてもらえる。
本当は、許したくないのかも知れないが、「やらせないよりやらせた方がいい…」という考えと、「洗濯したけど、乾かなかった」という声をきちんと聞く。
でも結局は、「指導しきれない」、ということだ。と同時に、「服装などどうでも良い。それよりのびのびと身体を動かし、精一杯運動して欲しい。」という考えだろう。
生徒たちは、注意されなければ、許されたと思うし、他の多くが体操着を着ていなければ、それで良いのだと思う。
公立の中学校では起こりえないことが、私立では起こる。
『強圧的な指導ではなく、一人ひとり語りかけ、因果を含めて納得させる。』
そういう方針だからなのだろうが、それでも私はちょっとズレていると思うのだが…。
この記事へのコメント
コメントを書く