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2018年11月21日

着ぐるみパーカーを着た生徒

「先生。プリント。」
と、叫びながら職員室に入ってきた中1の女子生徒。
ぬいぐるみパーカーで身をまとい、フードをかぶった頭からは、動物の耳が出ていた。
職員室は一瞬どよめいたが、誰も何も言わなかった。

彼女は、若い担任のところに直行し、用件を済ませると、さっと出て行った。
その後、驚くべき事が起こった。
職員室にいたある先生が、
「かわいい〜。」
と、叫んだのである。

「中1の学年主任がいれば、絶対に注意するだろうな。」
そう、思いながら、苦々しく一連の出来事を見ていたのは私である。
悲しいかな。私は何も声を掛けられなかった。

職員室に入室するときは、各校ともいろいろな約束事があるだろう。
私の学校でも、通り一遍の作法はある。
彼女は以前からそれを無視し、いきなり入室し、自分の用事のある先生の所へ直行し、「ため口」で会話した。
前回彼女が職員室にやって来た時も、「せんせー、打ち上げやろ!」ときた。

個性重視の時代だ。私のような老害は、口をつぐんだ方がいいか…。
彼女は、文化祭の劇では熱演を披露し、全校で最優秀演技賞もとった生徒だ。

余計なことだろうな、と思いながらも、結局、事の子細をを学年主任に伝えた。
彼女が職員室から出て行く際に、
「一時間これで過ごした…。」
と言っていたからである。
もしかすると、授業中も動物のフードをかぶっていたのかも知れないと思ったからだ。
授業中、そうした格好であるいることは、さすがに許されまい。

「本人ににも言いいますけど、学年全体としても注意しますね。」
と、学年主任。

普通なら、先輩ににらまれ、いじめられるタイプの生徒。
やはり、「場をわきまえる」ことは、教えなければならないだろう。
私服OKの学校でも限度はある。

それにしても、「かわいい〜」、はないだろう。
私もフードをかぶっていなければ、目をつぶったのだが…。

民間からやってきた新しい先生。
まだちょっと学校の先生になりきれていないようだ。
と同時に、私は、彼女からはもっとも遠くに位置する煙たい存在と思われている…。

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2018年11月20日

学校の生き残りをかけて…

「私の話や、校長の話なんて、挨拶程度のちょっとでいいんです。『生徒』が話せば、説得力もあるし、来ている人も『感動』するんです。そして、生徒を見れば、クレームだってが吹っ飛ぶんです。」
法人役員が、学校説明会について熱く語った。

参加した方が、あまりに感激したので、直接報告に来たのだと言う。

「ビデオで見たり、パンフレットでは伝わらない。何と言っても生徒の姿だ。」
そう力説され、その参加者は、「今度は自分が学校を薦める」と、張り切っておられたそうだ。

私立学校では、年に何度も学校説明会を行う。
その中では、授業見学、部活見学を行う。
しかし、たいていは校長が、延々学校の紹介をする。「こんなにいい学校なんだぞ」、と分かってもらうべく、ついつい長話しになる。

しかし、聞いている側からすると、「どこでも聞かれる自慢話よりも、実際の生徒はどうなのか…」、という方が関心が高いに違いない。

私はずっと私立畑で教員を続けてきたが、どこの学校でも同じような『学校説明会』をしていたと記憶する。

各校ともいろいろ苦慮しているようだが、一番驚いたのが、『学校説明に参加すると、入試で加点される』というものだった。今もやっているのか、また、法律的にOKなのか、分からないが、各校とも募集に命をかけていることが分かる。

何としてでも、学校に来てもらいたいのだ。
おそらくは、
「学校を見に来てさえくれれば、何とかなる。」
という考えなのだろう。

今回の学校公開は、受験希望者はもちろんだが、一番の目的は『学校のファンを増やす』というもので、彼らの口コミにより、学校の評判を上げようというものだった。しかも、彼らが募集活動の一翼を担ってくれるなら、もっといい。

「本当は、いい生徒ばかり出しているんですけどね…。」
こうした場合、学校の闇は封印される。
だが、
「こんないい子が通っているなら…。」
と、心変わりし、受験し、入学してくれるなら、それでいいのだ。

募集活動は、企業でいうところの営業活動。
もしかしたら、教員のもっとも苦手とする分野なのかも知れないが、昨今は、あれこれと新しいアイデアで、生き残りをかけてしのぎを削っている。

超少子高齢化社会。
老人は余っているが、子どもは少ない。

これから先、募集を停止し、店をたたむ学校も増えてくるだろう。
だが、その中でも輝き続け、人気のある学校は、必ず出てくる。
その人気の内容は、時代の流れで変わっていくものかも知れないが、学校の教育方針にぶれない一本の柱があり、それが普遍的なものであれば、生き残ってゆけるだろうと思う。

もはや、黙っていても生徒が集まる時代ではない。









2018年11月19日

24時間体制?

「校長は、今朝連絡があって、7度の発熱だそうです。先週、今週と募集関係の出張が続いているので、今日はお休みとのことです。急ぎがあれば、ご自宅におりますので、お電話下さい。」
そう、教頭が言う。

「ずいぶん詳しく言うものだなぁ…。校長はずっと出張続きか…。」
などと、人ごとのように思いながらも、
「ほとんど休みないのだろうな…。」
だからこそ、立場もあり報酬も多いのだ。もちろん責任も取らされる。まさに、「ご苦労様」だ。

体調が少し悪くなると、気持ちが弱くになる。
その上、この先の休みが見えないと、ますます不安になる。
微熱ともなれば、『休みたい』という気持ちも大きくなるものだ。

私も、最近はしょっちゅう時間休を使っている。
終日休みの日は、二ヶ月に一度くらいしかないので、適当に体を休めながら、ルーチンをこなしているという感じだ。

十年近く前、何ヶ月も微熱が続いたことがあったが、さすがにその時は辛かった。
病院で検査はしたが、結局医者にはその原因が分からなかった。
それでも、休むことなく出勤していた。

私の場合、子供たちと遊んでいたり、授業をするなど、生徒と関わっていると、具合の悪いことなど忘れてしまう。おそらく、生徒たちは、私の調子の悪さなど気づかないだろう。
「それがプロだ」、という考えもあるが、それよりむしろ、生徒たちとの関わりこそが、私のカンフル剤になっているのだろう。

だから、若い頃は
「先生、大丈夫ですか? 具合悪そうですね。」
などと言われることを恥と考えるほどの傲慢さがあった。

今は、
「最高のパフォーマンスを維持できてこそ、最高の教育ができるはずだ。」
という考えの下、健康管理には気を遣っている。

夕方、校長が出勤した。何かの呼び出しがあったのかも知れない。

「私だって、インフルエンザの時ですら、何度も電話がかかってきて、遠隔で仕事をしたこともあったなぁ…。」
と、昔を懐かしむ。

ひょっとすると、うちの学校は24時間体制なのかも知れないな。
ほとんど気が抜けない中で、毎日を生活をしている感があるのは、そのせいかもしれない。

私は、朝型なので、早々に退散するのだが、多くの教員が日付が変わるころまで何やらやっている。

本当に仕事をしているのかどうか、やや怪しい面もあるが、先生たちは夜が遅いことは事実だ。
日直の校舎施錠だって22時から始まる。

巷の言い方をすれば、超ブラックということになるのだろう。

それでも皆さん、機嫌良く教員の仕事をしている…。








2018年11月18日

「攻め」の学校公開

昨日、学校公開を行った。
通常は、『学校説明会』を月一回程度行うのだが、今回は少し戦略的に実施した。

私立学校にとって、ファンを増やすことは切実な問題。
ファンが増えれば入学希望者が増える。
これは公立学校でも同じだが、私立学校は学校そのものの存続にもかかわる重大な問題になる。

今回のイベントは、「学校の教育に賛同している人や保護者を招き、学校や生徒の素晴らしさを実感してもらって、彼らの口コミで、さらにファンを増やそう」、というものだ。

授業見学はもちろん、随所に生徒と関わる場面がある。
先日後輩たちにも歌ってくれた中3の『大地讃頌』の合唱。(『中3語学研修報告会』)
前生徒会メンバーを中心とした高2有志とのディスカッション。
チアダンス部の演技。
吹奏楽部の演奏。
合唱部の演奏。

これらを、型どおりに舞台で公開するのではなく、随所で、意表を突く形で行った。
なかなか気合いの入った企画である。

参加した方は50名を超える程度だったが、ほとんどの方が、涙の感動をしていただき、こちらの意図通り、『学校のファン』になって頂けたようだ。

実際経験した方の言葉には説得力がある。
たとえ、
「あの学校の食事はまずい。」
と、発言していた人がいたとしても、
実際に食べた方が、
「そんなことはない。とても美味しかったよ。」
と、語れば、その勢力が多ければ,少数の声はあまり目立たない。
そうした声がホームページなどで紹介されていれば、
「あれは、噂だったんだ。」
と、マイナスの発言ばかりが目立たなくなる。

「生徒が荒れてるんだって。」
と、噂で話しをする人がいても、
「生徒たちにの姿には感動した。」
という声が大きければ、それは見えなくなってくる。

世の中、マイナスの声ほど広がりやすいので、プラスを広げようという考えである。

日本人の性質として、『良かったことに対しては、何も語らない』というものがある。
つまり、「語らないことが、『良くも悪くもない』のではなく、良ければ黙っている」、というスタイルだ。
一方、悪い噂は、どんどん脚色化されて広がっていく。

ちょっと「攻め」の学校公開。
まずは成功であったようだ。・








いきなり『C言語』かぁ?

高校生くらいになると、ちらほら
「プログラミングを勉強したいんです。」
という生徒が出てくる。

何事も興味を持つのは良いこと。
ただ、彼らが最初に始めようとするのが、『C言語』なのだ。
私は、プログラミング経験があるので、一番始めに『C言語』を学ぼうとするのは、あまりお勧めしない。
いくつかの理由を述べると、まず第一に「『C言語』は難しい」ということだ。
だから独学で、この言語の勉強を進めようとすると、たいていは挫折する。
Windows系のアプリケーションの多くが、『C言語』で作られているようだが、「憧れ」だけでできるようになるほど、プログラミングは甘くない。

また、『C言語』は、省略表記ができるので、「初学者には出来上がったプログラムのデバッグがしにくい」という理由もある。

プログラム言語を学ぶには、言語の規則を覚えれば良いのではなく、自分が実現したいプログラムのための、アルゴリズムを知らなければならない。このアルゴリズムさえ分かれば、はっきり言ってどんな言語でもやりたいことは実現できる。
そのアルゴリズムを学ぶ上で、『C言語』は、初心者には分かりにくい。

以前は、どんなパソコンにも『BASIC』という言語が「おまけ(?)」でついてきた。
だから、簡単なプログラムなら、それで体験できた。
実際に、自分で作ったプログラムが、「思い通り」に動くことは、感動するものだ。
だが、その中で、うまく動かない部分が見つかり、それを一つひとつ検証する中で、プログラミング技術が向上する。

実際プログラムを組むコーディング時間と、不具合を直すデバッグ時間では、場合によってはデバッグ時間の方が長い。

「まずはアルゴリズムの勉強をすべきだ。」
というのが、私の考えだ。

実際、私が中学生のときからアドバイスしながら勉強を続けた生徒は、高校一年生ながら、いろいろな言語を駆使することができるようになっている。

一つ、言語を制覇できれば、あとは次々とプログラム言語を学ぶことは、そう難しいことではない。
それも、根本に、アルゴリズムが分かっているからだ。

「ちょっとかじってみる。」
というなら、否定はしないが、将来そうした職業で活躍したいというならば、基本として学ばなければならないことがあることは、強調しておきたい。

学校でもプログラミング教育が始まるようだが、『C言語』のような高級言語を使ってやるわけではない。言語体系を簡単ににした、アルゴリズム重視となるはずである。

それが、論理的な思考を磨き、こうした論理的な思考や問題解決能力が、他の教科に波及していくことを狙ってのことだろう。

確かに、自分のプログラムで、ちょっとしたロボットやら、動画撮影が自動で行えたら、新しい世界が拓け、楽しいだろう。

最近、何人かの高校生が、プログラミングをやりたい、と『C言語』を始めたそうだ。

なかなか苦しい、茨の道に足を踏み入れてしまったように思える。








2018年11月17日

中高合同強化練習会

今日は、中高合同での強化練習会が行われた。

私の県では、高野連と学体連で、年一回合同の練習会が行われている。
高校野球の関係者が中学生に野球の指導するという練習会だ。

高校側からすれば、「中学校野球部の選手をできるだけ高校野球に取り組みたい」訳で、高校野球(硬式野球)の魅力をアピールできる場でもある。

一方、中学側からすれば、「高校野球のレベルの高さを知ると共に、高校の野球部監督らから直接教わることで、また新たな気持ちで野球の練習のモチベーションを高めることができる」という訳である。
また、地元の高校ならば、中学野球部経験者も多いので、中学側の監督からすれば、「高校で野球を続けている教え子たちの活躍の姿を見ることのできる貴重な機会」でもあるのだ。
事実今日は、あちらこちらでミニ同窓会が行われていた。

このシステムが始まって、もう二十年近くになるらしい。
以前は、各校から代表4名だけが参加して、それを各チームに戻って伝達するシステムだったが、今年からは、希望する中学2年生は全員が参加できるように、高校の会場も増やされた。

中高の指導者たちは、事前に打ち合わせもしており、「飲み会」もあるので、お互いが顔見知りだ。地方の先生の交流は深いのだ。

さて、各中学校からやってきた野球部員は、先生の指導が徹底されているだけあって、元気はいいし、挨拶や返事も完璧。動きもキビキビしている。しかも、それぞれの学校のリーダー的役割も兼ねていることが多いこともあって、人数が多くても整然としている。

私は、何だか久しぶりに、往年の『運動部としての姿』を見たような気がした。
昨今は、こうしたある意味保守的な指導が、保護者や他の教員から嫌われる傾向があるが、実際にこの姿を見れば、生徒の教育としては間違っていないように思える。

もちろん、超保守的な高野連の体質が、行き過ぎになりがちだということも知っている。
ただ、そこに所属している部員たちが、「楽しく機嫌良く、さらには自分の夢や希望を持ちつつ、勝負の世界の厳しさを知りながら、社会で必要な徳目を一つひとつ学んでいる姿」は、決して否定できるものではないだろうと思う。

教育には、いろいろな方法があるので、この方法が「気持ち悪い」という人は、やらなければいい。
別の方法があるだろう。ただし、「この方法がいい」と思っている、生徒や保護者もいることも事実だ。

実際の練習内容だが、今年はかなり実践的で、中学生にはかなり刺激的なものであった。
ここでは詳しくは触れないが、高校の監督のノックを受けたり、個別指導を受けたり、体験として公式でフリーバッティングさせてもらったり、マシンで硬球を打つ、という経験は、野球好きの中学生にはたまらないメニューだったに違いない。

私たち中学側の指導者は、とにかく「怪我のないように」、ドキドキしながらも、そっと見守る。

以前の私なら、自分の学校の生徒のプレーが情けなかったら、
「普段何を指導しているんだ…。」
と、思われるのではないかと、ビクビクしていただろうが、最近はそんな思いは全く起こらない。
自分の指導に自信が出てきたということではなく、自分が逆の立場に立っていたとしたら、「そうした思いは絶対に抱かない」と、確信しているからである。

練習会後、うちの選手には
「緊張感の中で、少し背伸びをするくらいが、いい練習になるし、ぐーんと向上するんだよ。」
と、諭してみた。
彼らも満足げであった。

熱心な中高の野球指導者に囲まれ、私自身も刺激を与えられた一日となった。
時折、
「来年、自分はこの場にいるのかな…。」
という思いがよぎったことは、銘記しておくことにする。









2018年11月16日

遺伝子は引き継がれる

先日、A君が英語の時間をサボって校内をぶらぶらしていたが、今日は音楽の時間にA君に加え、K君もサボっていた。
「正直、やる気が起きないんですよね…。」
先生たちが探し回ったが、見つからず、授業終わる寸前に教室横のトイレに戻ってきた。
「お腹、痛かったんです。」
どちらも理由にならない。

そう言えば、去年の中2も男女問わず、何人もの生徒が授業に出ないで、いろいろな所でぶらぶらしていた。先生に見つかって教室に戻される場合もあったが、たいていは、隠れていて、見つからないことが多かった。

「今年は、そうした『さぼり』はないな…。」
と思っていた矢先に、やっぱり起こった。
こうした遺伝子は、確実に引き継がれるのだ。

また今日は、技術でじゃがいものチェックに外に出たが、一人の生徒S君がそのまま消えた。
聞けば、友達に松ぼっくりをポケットに入れられ、トラブルになったらしい。

人一倍怖がりなS君は、虫を入れられたと思い大騒ぎ。
「謝れ」、「本気で謝れ」などと言い争いになり、結局S君は、そのままどこかに去り、外で傷心を癒やす。

次の時間の家庭科の先生が、S君がいないことを報告してくれて、ようやくその事実に気がつく。
授業中に、
「S君、どうしたの?」
と、尋ねた所、
「いろいろありまして…。」
と、ごまかされたと言う。

休み時間に生徒に尋ねても、ニヤニヤして
「いなくなりました。」
と、言うばかり…。
技術の先生が、探しに行ったら、外にいたという具合だ。

時代が変わり、私自身も生徒たちを理解できなくなってきたのだろうか。

放課後、隣の担任が叫ぶ。
「数学の補講に人が来ていなくて、先生が怒っているんです。」
という。
強制的に補講に参加しなければいけないメンバーがこぞって逃げたのだ。

こんな追いかけっこはしたくない。

何かが間違っている。

生徒たちは、
「もっと本気でぶつかってきて欲しい。」
と、思っているのかも知れない。

最近、教員の生徒との関わりがどんどん薄くなっているような気がする…。








やはり仕事には関心あるらしい

昨日の『仕事について』集会の感想。
日常ではやんちゃな生徒たちも、やはり、仕事には関心があるらしい。
なかなかの感想を書いてきた。

「根本的なルールや、物の管理をしっかりして、人からの信用を受けられるようにすることが大事だと分かりました。」
「一つひとつの行動、言葉に責任を持てていないな、と思った。表では良いことを言っても、裏で愚痴ばかり言っていることを反省しました。」
「『信用』、『約束』、『時間』、『お金』、『礼儀』、『言葉遣い』が、社会に出て成功するために必要なものであることがよく分かりました。」
「社会人としての厳しさを知りました。仕事をすることは、覚悟と責任が課せられるのだ、と改めて感じました。」
「将来仕事をするときに、信用してもらえるように、日常生活の中でも、凡事徹底や自己管理をしっかりできるように頑張ります。」
「礼儀と言葉を正していこうと思いました。僕は、思ったことをすぐ言ってしまうところがあるので、気をつけていきます。」
「体調が悪くても、意地で仕事に行くようなことが、仕事では常識だということが分かりました。また、それが責任につながくるのいだ、ということも分かりました。」
「社会の恐ろしさが分かりました。いかに学校がありがたいかが分かりました。」
「生暖かく暮らしている中で不満を言っているようじゃ、まだまだ甘い、と思いました。」
「いつもルールを守れと注意してもらっているのは、将来のためなのだ、ということがよく分かりました。」
「ほめられることを求めすぎないようにしたいと思いました。」
「今、英語をしっかり勉強する意味が分かりました。」
「今の生活が、社会では通用しないということが、よく分かりました。」

今朝になって、生徒たちが書いた感想を読んだのだが、どの方の話も、彼らの心に響いているようで、感動した。
やはり、身近な人が、身近な話題の中で、その体験を語ることは。、とても説得力がある。

教師がすべてを体験することはできないが、さまざまな人の生き方を学び、研究し、生徒たちに伝えることは、とても大切なことだと思う。

教師自身も、いろいろな経験を通して、学びを深め続けるべきだろう。

一人、感想の中に、
「ブラックだと思った。」
というものがあった。「熱があっても、頑張って仕事に行き、時折嘔吐しながらも仕事を続けた」と、話をした方がいたのだ。
仕事に対する責任の大きさを語ったのだが、昨今のメディアの『ブラック報道』で、正しく伝わらなかったようだ。

もちろん、体調の悪い時まで、無理して仕事をすることまで求められているわけではない。
だが、ちょっとの事で、簡単に仕事を休むことも、許されるものでもない。
仕事はチームでやっている場合が多いので、急に休めば仕事に穴が空く。
それでも周りの人でカバーして、仕事を回していく。
緊急の時には、そうせざるを得ないが、明らかにそうではない場合もあるわけで、このあたりの上司の見極めは、とても難しい。そこにトラブルと、人間関係の崩壊が起こる。

たまには、校長に報告しようと、昨日の集会を報告。
そのとき、校長も民間企業経験者であることを思い出した。
「僕も、会社にいたよ…。」
「よく存じています。校長先生に、学年で話してもらうなんて、恐れ多くて…。学校全体でお話していただきたいのです。」
と、その場を取り繕った。

とにかく仕事は甘くない…。








2018年11月15日

こんな仕事をしていました!

今日の学級活動は、学年集会。
『仕事』をテーマとして、学内の3人の職員にご自身の経験をお話してもらった。

近隣の中学校では、この時期、職業体験をする。
しかし、私の学校ではどうしても実施できない。
だから、せめて『仕事』について知識を与え、来年実施予定の『立志式』に向けて、『社会人の心構え』なども話をしてもらえれば…、という企画したものだ。

イギリスで引っ越し会社で働いていた先生。
引っ越し見積もりを作る仕事の経験をお話しされ、
「何があっても、お客様が第一なのだ。」
と強調された。
また、「時間を守らなければならない」ことも、失敗談を入れてご紹介くださった。

証券会社でセールスマン取りまとめ、経理事務をしていた女性職員。
「仕事は具合が悪くても休めない。」
「何としても責任を果たさなければならない。」
「理不尽に非難をされることは数多いが、褒められることはほとんどない。」
「多くの人に、『いてもらって良かった』と、言えるような仕事をすべき。」
と熱く語ってくださった。

有名小売業の立ち上げに関わった、大手会社の営業マンをしていた職員。
「『時間を守る』ことの大切さ。」
「営業で一番大切なのは、自分自身が『信頼される人』であること。」
「『約束を守る』ことの大切さ」
など、先輩トップセールスマンが、『お金の管理』で失敗して、左遷され、退職していくことになったという経験談などを語り、
「今、社会人に出るための『訓練』をしているのだ。」
と、語ってくださった。

三人三様、どれも説得力があり、聞いている私も面白かった。

生徒たちはメモをしながら、熱心に話を聞いてくれた。

この企画を通して、
「仕事をすることは、生半可なことではない。」
ということは、少し理解できたのではないか、と思う。

また、
「自分たちの今の生活が、いかに甘いか。」
も、薄々ながら、感じてもらえたら嬉しい。

「ご両親に、どんな仕事をしているのか。聞いてごらん。そして、その苦労話を聞いてみるといい。さらに、その責任の重さを、聞いてみるといい。」
と、結んだ。

珍しく誰も寝ることなく、よく聞いてくれた。
ほっと、胸をなで下ろす。

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やんちゃな男子生徒たち

昼食後の出来事。
ある男子生徒と女子生徒がぶつかった。
ぶつかりそうなったので、お互い避けようとしたが、同じ方向に避けてしまった。
そのため二人はぶつかる…。

女子生徒が、「やだ、きもーい」と叫ぶ。
それを聞いた男子生徒が、「うるせ、死ね」と応酬。
二人の怒りは収まらない。
その後も、クラスは違っているのに、お互いの顔を見るたびに悪態をつく。

この事件は、男子生徒が夕方、面談をしたときに、
「最近、反省すべきことはないか?」
という問いかけに、「実は今日の昼…」と、自らの口から反省の弁で出たものだ。

その話から、今度は女子生徒が呼び出され、言葉遣いの指導になったのだ訳だ。
女子生徒とはゆっくりと話をして、「さすがにまずかったかな…」、と思うに至ったとのことである。

今年の中学二年生。「あまりの男子の幼さに、女子生徒があきれ果て、馬鹿にする」、という構図になっている。そのムードを察知した男子が、女子の陰口を言う。今度は、その陰口に女子が傷つき訴えて来る。男子は、なぜ自分が叱られるのかが分からない。今度は、叱られたことに対して、互いに不平不満をぶつけ、さらに闇が広がっていく。

総合的な学習や遠足班では、男女一緒なのだが、そのときは仲良くやっている。
ただ、こいいう場合でも、リーダーシップをとろうとするのは、女子の方だ。

陰でこそこそする数人の男子が、一種異様な雰囲気を作っている。
そこへ、その取り巻きやら、彼らの嫌われたくないと思う生徒、真面目な生徒までもが近づいていく。
休み時間になると、集まった男子の間に、なんとも言えない嫌なムードが漂う。
時折、奇声をを発したり、わざと大声でふざけてみて、皆の笑いをそそう奴もいる。
それを見て、女子や後輩が、避けるようにして通り抜ける。
それが、今の現状だ。まさに無頼漢地獄。
これが私の指導の結果なのだが…。

「丹澤先生、○○は、彼らと切れたら、来年生徒会長できるんじゃないですかね。」
いつもポジティブな隣の担任が言う。

「いやあ、うちの学年辞退して、後輩にやらせたら?」
と、言いつつも、
「確かに…。○○なら、やれそうですね。」
と、答える。

今から、手を打っておかないと、来年2月の改選で困ったことになるだろうな。
「果たして彼らの成長を見ることできるのだろうか。」
と、嘆息。

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