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2018年11月14日

全校生徒の祈り

重鎮のM先生が、授業中に具合が悪くなった。
病院に行ったら即入院。心筋梗塞だという。
翌日、一気に重篤な状態に陥ったため、全校生徒でM先生の快癒を祈って、回復の思いを向けた。

全校生徒500名余の集合想念が功を奏してか、祈りの後には、意識も回復し、話せ、笑えるくらいに持ち直した。この先、まだ根本的な治療が必要だが、まずは安心だ。

かつての私は、教員人生しか考えられなかった。
だから生徒には、
「授業中に倒れて、運ばれて、そのままあの世に還るのがいい…。」
と話していた。
生涯現役のまま、この世の人生を終えたいと思っていたのだ。

「私は、倒れる寸前に、断末魔で、○○と叫ぶ。叫ばれた生徒は、一生の思い出になるだろう。」
などと、冗談交じりに話をしていた。
もちろん、叫ばれた本人は、たまったもんじゃないだろう。

今は、また違う次の人生のビジョンがあるので、授業中に倒れて逝くという望みはない。

そんな折り、教え子の高校生から、
「先生は大丈夫なんですか?」
と尋ねられた。彼は、授業中倒れて云々を話した世代である。

「今は健康だよ。それに…別の夢ができたから。」
「夢は何ですか?」
と、聞かれたが、にこりと笑って退散。

教え子たちは皆、心遣いのある優しい生徒ばかりだ。
同じ校舎にいながらも、中学から高校へ進学し、少し距離を置いているのが、ちょうどいい関係になっているようだ。

「もし、私が倒れて病院に運ばれて、命が危険な状態になれば、やはり全校生徒で祈ってくれるのだろうな。」

いつの間にか、私もそうした年齢になった。

最近は、手の上の砂が、指の間からすり抜け、こぼれ落ちるかのように、時が流れる。

「本当に、一日を大切にしなくてはいけない。」
と、しみじみ感じる。

人生三万日と言われるが、それが毎日少しずつ、残りの日数が減っていく。

老獪な話術を駆使しながら、「聞かせる」授業は続けている…。








中3語学研修報告会

今朝の中学校朝礼は、中3の『語学研修報告会』であった。
私の学校では、中学3年の10月に、全員がオーストラリアの語学研修に出かける。
現地では、二人ずつホームステイをして、いわゆる英語漬けの生活をするのである。
シドニー近郊に出かけるのだが、市内観光は、初日と最終日のみ。中一日、現地の学校交流をする以外は、ホストファミリーと過ごす。

今朝は、テーマ別に分かれて、代表生徒4人が発表した。
自分たちが苦労してきたことを、中1、中2の後輩たちに熱く語ったのだ。

「まず初めに、私たちが、海外研修に行っている時、後輩の皆様が代わりに仕事をしてくれたことに感謝します。」
と、始まった。
中3の先生の仕込みだろうが、なかなか洒落たスタートだ。

「とにかくフレーズを覚えて下さい。そして、どんどん単語を覚えて下さい。それだけでも、なんとか会話はでできます。」

「テンションを上げて、自分の思いをぶつけて下さい。日本的な遠慮で、何も言わないと、コミュニケーションが全くとれません。」

「笑顔で話しかければ、絶対に大丈夫です。」

彼らの貴重な経験をもとに、実践的なアドバイスが続く。

ところが、予想を裏切ったのは、この報告会の最後だ。
合唱コンクール実行委員のリーダーのN君が、

「後輩の皆さんたちへの感謝を込めて、『大地讃頌』謳います。」
と、きた。『大地讃頌』は、現地の学校でも披露してきたものだ。
ピアノの伴奏なしのアカペラバージョン。

正直ぐっときた。
自分が好きな曲であることよりも、彼らのひたむきさに感動した。
「昨年、問題ばかりを起こしていた彼らが、ここまで成長したんだ。」
と、思うと、心を揺さぶられた。

それに比べて、私の受け持つ中2の情けなさに、ますます自己嫌悪に陥る。

集会が終わって、隣のクラスの担任が言う。
「来年、あそこまで歌えるんでしょうかね。」
私は、あえて答えなかった。

「来年、勤めているのかな。それまでに玉砕してしまって、どこかへ行ってしまっているかな。」
そういう思いがよぎる中、横を校長が通り過ぎる。

「頼む。話しかけないでくれ。今は、そんな気分じゃない。」

そういえば、一昨日、中3生徒会長が中2の学級委員らを集めて説教をしたらしい…。
「今のままの中2じゃ、まずいんじゃない。」
と言われたと、学級委員が報告してくれた。

私の力不足で申し訳ない…。








2018年11月13日

ストレスチェック

先週、私の机上に「ストレスチェック」なるものが置かれていた。
提出は任意だという。
私自身、以前記入した記憶がないので、おそらく、以前この書類を置かれた頃は、元気もりもり、ストレスなどほとんどなかったのかも知れない。

昨今、ストレスが多くなり、
「今、記入したらやばいぞ…。」
と、しばらく放置しておいたのだが、今日になって広げて見ていたら、同僚のA先生が、
「先生、これ記入するんですか?」
と、問う。

聞けば、その先生は、ストレスがたまり、「今の状態で記入したら、やばい…」とのこと。
「変なこと書くと、呼び出されるのでしょうかね…。」
とも言う。
「どこぞの学校の先生は、校長が原因でストレスがたまったにも関わらず、このストレスチェック後、校長から面談を受けた、という話を聞いたことがあります。」
と、最近見たツイートを伝えてみた。

6時間目に、再びA先生から、「相談があるので時間を作って欲しい」、というので、「今ならば…」と、相談を受けた。

A先生によると、「中学生の指導に苦手意識がある」とのこと。
特に、ある二人の生徒がどうしても苦手で、指導が上手くいかないのだそうだ。
ご自身の、中学時代のトラウマがあり、なかなか自信が持てないと言う。
この二人は、私の言うことは聞く生徒なのだが、確かにヤンチャだ。

A先生は、本年度、系列の学校から赴任してこられた方だ。新しい職場で勝手も分からず、また、前任者の引き継ぎがあまり意味をなしていなかったようで、すべてゼロから築き上げようとしている。その仕事量の多さも、ストレスになっているようだ。

「どう中学生と関わっていいか分からない。」
と、言われるので、私の拙い経験をお話申し上げた。

「丹澤先生は、ストレスはなさそうに見えるのですが…。」
と、言われたので、「そんなことはありません。そろそろ限界です」と答えた。

話は一時間ほど続いた。
どちらも『生徒指導における自分自身の力不足』と、『管理職からのプレッシャー』によるストレス。
何のことはない、お互いのストレスのことを共有し合い、
「ため込まないように頑張りましょう。」
と、語り合うことになった。

「私は、周りからは、機嫌良く務めていて、ストレスなど感じていないように見えているのか…。」

「本当はそうではないんだ…」
と、叫びたくなるのを抑えつつ…。
そんな中でも、生徒と関わりの中で、彼らからのエネルギーを受け続けていることも事実。

「まだ、もう少し頑張れる…。」
心の中でつぶやいた。








修理代がかかるので…

「ボールを蹴りながらグランドに行かないで下さい。」
今朝の打ち合わせで、そういう要請が来た。聞けば、生徒がグランドに向かいときに、ボールを蹴りながら歩いているので、そのボールがエアコンの室外機に当たってへこんだり、電灯に当たって壊れたりするというのだ。
「修繕には修理代がかかるのです。」
と、言う。

「そもそも校舎の配置がまずいんだよなぁ…。」
その話を聞いて、私はそう思った。

昇降口の前は、大きな花壇がある。それを抜けてグランドに向かうには、体育館の横をすり抜けていく。その道は車一台が通れるくらいの幅、体育館側は、体育館一階の窓ガラスがある。室内側には防御柵で、ボールなどがガラスに当たらないようにしてあるが、外側はそのままだ。体育館の反対側は山だ。ちょうど山際にエアコンの室外機が、柵もなく置かれている。

確かに、サッカー好きなら、ドリブルをしながらグランドへ、という生徒もいるだろうが、果たしてそんなにぶつけるものかな…、と思う。

学校現場は何か起こると、すぐに規制が入る。
新たな規則ができて、どんどん生徒の行動が制限されるのだ。
こうやって、次々と、暗黙の約束事が増えていく。
見直しが図られて、廃止される規則はほとんどないので、年数が経てば経つほど、規則や規制だらけの学校になる。

中学生時代は、人生のほんの一時期の三年間。
「子供から大人への端境期に、暴走しないよう押さえつけておくべきだ。」
と言う考えもあるが、個性を伸ばすという観点からすれば、ベクトルが逆だろう。

「せめて休み時間や放課後くらいは、生徒にのびのびとさせてやりたい。」
教育者なら、誰もがそう思うだろう。

あれも駄目、これも駄目…では、生徒たちも気の毒だ。

少し前に、
「教室のドアは静かに閉めて下さい。」
というお願いもあった。

休み時間に生徒がふざけて、追いかけっこをする中で、教室のドアを乱暴に閉めたのだ。その衝撃で扉のストッパー機能が壊れた。

「先生のクラス、よくドアが壊れますよね。」
と嫌味を言われる。
報告をしないで、放っておいた所は、次の年の管理者に押しつけられる。

「生徒が元気なのは、いいことなんじゃないのか?」
と、反論したくなったがやめた。

彼らが気にしているのは、学校経費の修理代だ。









2018年11月11日

日々、自己変革をしているK君

「一年のときよりも、自己変革が足りないと思います。」
三者面談の最後は、K君との面談だった。
真面目な生徒で、常に向上を目指し、日々一日を振り返っている。

たまたまピアノが少し弾けたので、おそるおそる伴奏者に指名したら、こつこつ練習して、すでに夏休みのうちに弾けるようになっていた。つい先日も、プレリハーサルのようなイベントで、立派に演奏した。本番は12月。まだまだ上達するだろう。本人は、
「手を抜かずに、練習し続けたいと思います。」
と言う。

勉強面でも手を抜かない。授業だって真剣そのもの。少し積極性が足りないが、それも自分自身の課題として、「授業中も、勇気を持って発言したい」などと、面談で宣言する。

母親は、温かく見守るタイプ。
信じて成長を待つ、といった感じ。

「優しい子です。本人の意志に任せています。」
と言った具合で、信頼感も高い。
この時期、反抗期で母親とは口も効かない状態の生徒が多いが、お互いが頼りすぎず、離れすぎずのとてもいい距離感だ。

「ちょっと体力がない感じがするので、毎日マラソンをすることにしました。」
一日を振り返ってみると、あまり運動をしていないことに気づいたK君は、そんな目標も語ってくれた。

その向上心と、志の高さに、面談している私自身、話を聞いていながら泣けてくる。

これまでも、自分で言ったことはたいてい達成している。

近年にはないタイプの生徒だ。

将来は理系に進みたいという。
まだ、「これをやる」というものは思い描いてはいないようだが、いろいろ学んでいくうちに、ビジョンが見えてくるだろう。

入学以来、順調に学力も向上。他への思いやりの気持ちも人一倍だ。

「思春期を迎えたこの時期、生徒によってこんなにも差があるのか。」
と、私自身もびっくり…。
改めて、人の個性の違いに神秘性を感じる。

こういうタイプの生徒は、ヤンチャタイプの生徒からは疎まれるだろう。
真面目で、融通がきかないと思われるからだ。

しかし、なぜか、誰からも一目置かれる生徒もいる。
その生徒の『人徳』の持てる技だ。

この先K君がどうなるのか、しばらく、K君の成長を見守ることにしよう。

私自身、何だが勇気をもらった。








去年はこうやりました

学校行事は、毎年の恒例行事も多く、ややルーチン化されていることも多い。
だからと言って、「前年度のままそのまま踏襲してもよい」という訳ではないと思う。
その一番の理由は、「生徒は同じではない」ということだ。

保守的な学校組織では、
「去年もこうやったから、今年もこうやるべきだ。」
という意見が強くなる。
だか、それこそ組織としての思考停止に陥っていないだろうか。

生徒も教員も、「考えないことは楽なこと」である。
だが、考えることを拒否したならば、発展も進歩も改善もない。

過度な前例主義、新しいチャレンジをしないという考え方。
失敗を恐れ、責任を取らされることを恐れ、去年と同じように運営しようとする、その考え方は改めなければならないだろう。

ちょうど先週末に、恒例の校外行事が行われたのだが、あまりに保守的であった。
また、その守るべき前例のために、生徒不在に陥った。

「こういうことができないと、迷惑をかけて、恥ずかしいですから…。」
などと、教員たちを動かそうとする、陰の責任者がいたが、恥ずかしいのは、本当は自分自身なのだと思う。
自分が恥ずかしいから、それを生徒や他の教員に押しつけているだけなのだろう。

普段学校でできていないことが、いきなり学校外に出たからと言って、できるようになるものではない。

「態度が悪いから、個別指導してください。」
などと、上から目線で言ってきたのだが、自分自身が学校で指導できていないことを、校外時に学年主任に押しつけようとする態度は、やはり、その根本的な考えが、自分の都合中心になっているとしか思えないのだ。

本人は、よかれと思い、必死にやっていたのだと思うが、結果的に相手を縛っていることになっていた。

人は、得意になると慢心しやすい。
しかしその慢心は、自分自身ではなかなか気づかない。
ところが、他の人からはよく見える。

「反省会をしたいと思います。」
という連絡があったが、今のところ、私はその開催を認めない。
お互いの非難合戦の会議など、不要だからだ。








2018年11月10日

聞くだけの面談

私が三者面談で設定した時間は一人あたり20分。
一般的な平均より、少なめなのかも知れないが、中学二年生くらいならこのくらいでも十分だ。

さて、今日は、女子生徒Nさんの面談。
この生徒、お姉さんも三年間担任したので、母親とはよく知った仲。
母親も教育熱心なので、面談中は私はずっと母子の会話を聞いていた。

Nさん。何事も決心がつかない様子。
何かを決意しようとしても、「できるかな…。やっぱ無理かな…」の堂々巡り。
そのたびに、母親がいろいろなたとえ話を出しながら、時に励まし、時に厳しく…。

話の内容は、勉強面から生活面、部活や将来について、はたまた尊敬する人物、そして目標の設定から、次の試験のことまで、母子の会話はずっと続いた。

私は、にこにこしながら、時々相づちをいれながら、ただただ聞き役。
いや、聞き役というよりも、その場に座っているだけであった。
もはや、私がアドバイスしようとしようという余地はなく、ただただ一時間、母子の話を聞いていた。

さすがに、長すぎるので、
「そろそろ終わりにしましょう。」
と促したら、
「もう少し、続きを話しましょ…。」
と母親が娘に一言。

「先生、すいません。時間を奪ってしまって…。」
母親は、恐縮しているようではあったが、まだまだ話したりない様子。

「いやいや、こうした場を提供できるだけでいいんですから…。」
と、負け惜しみを言って面談を終えた。

私がほとんど話をしない中でも面談はこれだけ…。
姉貴の時もそうだったかは、思い出せない。

三者面談を通して、少しでも親子の会話の機会にできれば、それでよしとするか…。








祭りと飲酒、喫煙

「祭りもいいんだけどね。これで、中学生が酒と煙草を覚えるんだよね…。」
近隣の先生が、そう嘆く。

確かに、祭りのお囃子の練習だの、祭り本番だので、
「ほれ、祭りなんだから飲んでみろ。」
などと、中学生が大人から酒を勧められることがある。
ちょうど興味を持ち始めた年頃でもあり、長老などから勧められれば、断るという選択肢はないだろう。
「俺なんて、中学生のときから吸っていたぞ。」
などと言いながら、煙草を勧められることだってあるだろう。

日本の祭りは酒を飲む。
御神酒というだけあって、お酒は神様への奉納されるものだ。
その御神酒は、ある意味、神様からの下さりもの。
頂かなくてはならないものでもある。

最近は少なくなっているだろうが、日本ではお正月にはお屠蘇をいただくが、これだって、子どもにも勧められる。

結局、酒だの煙草だのは、中高生が興味本位でというより、近くの大人が誘っている方が多いのかも知れない。

成人年齢が18歳になるそうだが、酒や煙草は20歳からの据え置きだ。
成長期の子供たちには、どちらも有害であったり、正しい判断基準ができないことを想定しているのだろう。

「なるほど、地方の喫煙率が高いのは、祭りのせいか…。」
などと、納得。

先日祭りに参加したとき、一番最初に言われたことがある。
「生徒さんたちを、絶対にアルコールには近づけませんから…。」
だ。

その時は、「ずいぶんおかしなことを言うんだな。誰かが、念押ししたりしたのかな…」、などと思っていたが、祭りと酒は、切っても切れない関係。祭りに参加することと、酒を勧められることは、極めて近いことだったのか…。

「酒を飲んだことある人、いる?」
たまに私も、生徒たちに聞くことがある。

「ビールって苦いんだよね。あれがなんで美味しいんだろ。」
「日本酒って、おえって感じ…。」

結局、かなりの中学生が、すでに飲んでいるということだ。
「大人になれば、味が分かるよ。」
と、心で思いながら、
「飲んだの?」
と、驚いて見せる。








ネット通販の闇

「この間、ネット通販でスタットレスタイヤを注文したんだけど、振り込んだけど、全然送ってこないんだよね。」

今朝、近隣の学校の先生から相談を受けた。振り込んだ金額は三万円だそうだ。
「やっぱり、騙されたのかなあ。」
と、ご心配のご様子。

「支払い方法が銀行振り込みだったから、不安には思ったんだよ。振り込み後、三日以内に発送しますって事だったんだけど、駄目かな…。何度もメールを送ってるんだけど…。」
とのこと。

「ホームページはまだあるんですか? 私が振り込んで騙されたときは、すぐにホームページもメールも閉鎖されたので…。」

「えっ? 丹澤先生も騙されたの?」
「はい、もう大分前ですが、35万ほど…。」

「安物買いの銭失い」どころではない。ただ単にお金を取られただけ。一番安い業者だと思って信用したら、詐欺だったという訳だ。

数日後、ネットで検索していたら、同じように騙された人が何人もいたことが分かった。
匿名性の高いネットでは、
「何をしても、どうせ駄目だろう。」
と、私は何もしなかったが、
「高い授業料だったな。」
と、あきらめた。もしかしたら、こういうあきらめる人がいるから、詐欺商法が成立するのだろうが、その時には、なすすべがなかったのだ。

さて、ご心配の近隣の学校の先生。ホームページもまだあるし、メールも生きているようだとのこと。
契約通り、商品が送られてきたらラッキーだが、何も届かなかったら、あきらめるしかないのだろう。

ネット通販は、大変便利だ。
生徒も親のアカウントなどで利用している人が多いようだ。

だが、ネット通販にも闇が潜んでいることを、どこかで教えなくてはならないだろう。

人を信じることを教えるはずが、人を疑うことを教えなければならないのは、何より悲しい。

「世の中には、悪人もいるんだよ。そういう人に騙されるときは、自分自身にも隙があるんだ。たいていは、欲が過ぎてるときだ。だから、慎重にネット通販を使わないといけないんだ。」

「実は私もね…。」

私の経験もそうやって生徒たちに教えて注意を喚起しなくてはいけないんだろうな…。








2018年11月09日

遅刻一回500円

遅刻ばかり、授業中寝てばかり、宿題出さない常連のある女子生徒との三者面談。
父親は10分前からスタンバイしているのだが、娘は10分過ぎても教室に来ないので、探しに行ったら、のんびりご飯を食べていた。
一緒に食べていた友達に、「それはひどいよ…」と非難されて、あわてて教室にやってきた。
父親は、特に怒らなかった。
面談時間に余裕があってよかった…。

成績表を見ながら、父親が娘に問う。
「ところで、勉強しているの?」
「いやぁ…。」
「宿題は?」
「いやあ…。」
「授業は聞いているの?」
「いやあ…。」
「授業、分かる?」
「いやあ…。」
「勉強したいと思わない。」
「そんな気はないです…。」
「このままじゃ、赤点になっちゃうでしょ。」
「はあ…。」
「冬休みの宿題だって増えちゃうよね。」
「それは…。」

父親が何を言っても埒があかない。
ところが、娘が言う。
「自分でやる気にならなきゃ、できないから…。」

『やる気』が出ないのだから、親や担任があれこれアドバイスしても無駄であるという訳だ。
しかし、今は、その『やる気』が出ないらしい…。

「じゃあ、『やる気』を出すために、お小遣いと結びつけよう」
と父親。
「一回遅刻するたびに500円ずつお小遣いを減らそう…。」
となった。
「えっそれは…。でも、最近はしてないか…。」
といいながらも、渋々承諾。
二学期の約二ヶ月間での遅刻は16回。
「おいおい、だいじょうぶか…。」

「えっ、パパもう帰るの?」
レインコート着込んでバイクで来校した父親は、帰宅の準備を始めた。








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