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2019年02月23日
入学説明会のサポート
入学説明会で私が話をしないのは、今年が初めてのこと。
というわけで、駐車場の誘導係になった。
「外は寒かろう」、と思いきっり着込んで行ったが、日差しが暖かい。
山並みを見ると、雪も少ない…。
ちょうど4月の中頃の景色になっている。
季節が一ヶ月から二ヶ月進んでいる感じだ。
記念樹の桜がほころぶには、まだまだ時間がかかりそうだが、とにかく今年の冬は暖かい。
この冬は、もう何度も雨が降っている。
遠く、町の放送が聞こえてきた。
ひとしきりサイレンが鳴ったあと、
「○○町○○地区で、下草火災が発生しています。」
この時期、頻繁に下草火災が起こる。
田んぼや畑、その周辺の枯れ草を燃やしているうちに、自分自身ではコントロール仕切れず、消防署のお世話になるというものだ。
この地域は冬は強風の日が多いので、あっという間に火が回る。
幸い、民家は点々としているので、住宅に火が移ることは、まずない。
ほどなく、鎮火した旨の放送が流れた。
来年度の新中1、新高1が、次々と学校を訪れ、制服の採寸やら、体育着の注文などをして、昼からの入学説明会に備える。
4時間近くにも及ぶ入学説明会だから、生徒たちの集中力が続くはずもなく、小6たちのほとんどは、「もう、飽きた…」、という具合になる。中3の連中だって、似たようなものだろう。
冊子にすると一センチ近くにもなる資料をもとに、次から次へと話がなされるのだが、親子で一冊なので、子どもの集中力は切れて当然だろう。
もちろん、読めば分かることだが、おそらく読まれないので、サービスで話をしているのだ。
入学説明会の最後のイベントが、学年主任や担任の紹介になる。
ここでもう一度集中させ、ピリッとさせなくてはいけない。
これが、ある意味学年主任の初仕事なのだが、残念ながら、これができる先生は少ないのだ。
高校生しか教えたことのない先生には、そうした技術を持ち合わせていないのだ。
今年はどうだろう…。
駐車場誘導の仕事を終え、昇降口から校舎内に入ったところで、
「こんにちは。4月からよろしくお願いします。」
と、声を掛けられた。
私を知っているということは、兄弟関係なのだが、不覚にも誰だか分からなかった。
ちょうど、別の先生が通りかかったので、
「誰だっけ…。」
と聞くと、「M君だよ」と…。
よく知った生徒の保護者と弟君だった。
「ひょっとして、私は人の顔を見ていないのか…」、と不安になった。
そのことを兄貴に話をすると、
「シャレになりませんよ。」
と、怒られた。
というわけで、駐車場の誘導係になった。
「外は寒かろう」、と思いきっり着込んで行ったが、日差しが暖かい。
山並みを見ると、雪も少ない…。
ちょうど4月の中頃の景色になっている。
季節が一ヶ月から二ヶ月進んでいる感じだ。
記念樹の桜がほころぶには、まだまだ時間がかかりそうだが、とにかく今年の冬は暖かい。
この冬は、もう何度も雨が降っている。
遠く、町の放送が聞こえてきた。
ひとしきりサイレンが鳴ったあと、
「○○町○○地区で、下草火災が発生しています。」
この時期、頻繁に下草火災が起こる。
田んぼや畑、その周辺の枯れ草を燃やしているうちに、自分自身ではコントロール仕切れず、消防署のお世話になるというものだ。
この地域は冬は強風の日が多いので、あっという間に火が回る。
幸い、民家は点々としているので、住宅に火が移ることは、まずない。
ほどなく、鎮火した旨の放送が流れた。
来年度の新中1、新高1が、次々と学校を訪れ、制服の採寸やら、体育着の注文などをして、昼からの入学説明会に備える。
4時間近くにも及ぶ入学説明会だから、生徒たちの集中力が続くはずもなく、小6たちのほとんどは、「もう、飽きた…」、という具合になる。中3の連中だって、似たようなものだろう。
冊子にすると一センチ近くにもなる資料をもとに、次から次へと話がなされるのだが、親子で一冊なので、子どもの集中力は切れて当然だろう。
もちろん、読めば分かることだが、おそらく読まれないので、サービスで話をしているのだ。
入学説明会の最後のイベントが、学年主任や担任の紹介になる。
ここでもう一度集中させ、ピリッとさせなくてはいけない。
これが、ある意味学年主任の初仕事なのだが、残念ながら、これができる先生は少ないのだ。
高校生しか教えたことのない先生には、そうした技術を持ち合わせていないのだ。
今年はどうだろう…。
駐車場誘導の仕事を終え、昇降口から校舎内に入ったところで、
「こんにちは。4月からよろしくお願いします。」
と、声を掛けられた。
私を知っているということは、兄弟関係なのだが、不覚にも誰だか分からなかった。
ちょうど、別の先生が通りかかったので、
「誰だっけ…。」
と聞くと、「M君だよ」と…。
よく知った生徒の保護者と弟君だった。
「ひょっとして、私は人の顔を見ていないのか…」、と不安になった。
そのことを兄貴に話をすると、
「シャレになりませんよ。」
と、怒られた。
2019年02月22日
野球専門部の総会
学体連野球専門部の定例の会議(総会)があった。
冬の野球はオフシーズンなので、今の時期は比較的のんびりできるのだが、春になると、一気に試合が始まる。もっとも、私の地域では、冬は寒すぎて、試合などできないのだ。
そうした計画を、この時期に確認して、新年度からののロケットダッシュに備えよう、という訳だ。
各校の監督たちに会うのは、秋以来の久しぶりだ。
彼らは若い。地区で最も盛んな部活である野球部の顧問は、たいていは若手が務める。
野球好きの生徒のために、身を粉にして、休日返上で彼らと野球をしている。
そう考えると、今年中に四捨五入すると60になってしまう私などは、最高齢の部類になる。
昨年の猛暑に県大会の審判をやったときは、さすがにキツかった。
「先生、そろそろ若い人に譲らないですか。」
同年代の顧問から、数年前にそんなことを言われたことがある。
その時は、「まだまだ」、と思っていたが、昨今の体調不良を考えると、「そろそろ、そういう時期かな…」、とも思う。
今まで、管理職も、何人か若手を副顧問としてつけてくれたが、一年ないし二年で、他の部に移り、審判の技術を教えても教えても、若手は去っていく…、という悲しい状況だった。
だから、「新年度こそは、若手をつけて欲しい」、とお願いし、とりあえず管理職の約束まではとりつけた。実際、年度が始まってみなければ、分からない。
日曜日には今年初の練習試合。
春が近づくと、試合が入ってくる。
暖冬とはいえ、まだまだ寒い時期だが、子供たちにとっては心待ちにした試合だろう。
私も精一杯のご奉仕だ。
会議では分厚い資料をもとに、皆が真剣になって話し合っている。
自分も野球好きということもあるが、子供たちの野球のために、すべてを捧げている。
専門部長を追えて、教頭、校長とステップアップしていく先生もいる。
懇親会では歴代の専門部長(校長)が来賓として招待される。
若手の先生方は、必死で、重鎮たちの時代の野球や、指導法に耳を傾ける。
そうやって、教員の世界は、技術と知恵が引き継がれていく…。
冬の野球はオフシーズンなので、今の時期は比較的のんびりできるのだが、春になると、一気に試合が始まる。もっとも、私の地域では、冬は寒すぎて、試合などできないのだ。
そうした計画を、この時期に確認して、新年度からののロケットダッシュに備えよう、という訳だ。
各校の監督たちに会うのは、秋以来の久しぶりだ。
彼らは若い。地区で最も盛んな部活である野球部の顧問は、たいていは若手が務める。
野球好きの生徒のために、身を粉にして、休日返上で彼らと野球をしている。
そう考えると、今年中に四捨五入すると60になってしまう私などは、最高齢の部類になる。
昨年の猛暑に県大会の審判をやったときは、さすがにキツかった。
「先生、そろそろ若い人に譲らないですか。」
同年代の顧問から、数年前にそんなことを言われたことがある。
その時は、「まだまだ」、と思っていたが、昨今の体調不良を考えると、「そろそろ、そういう時期かな…」、とも思う。
今まで、管理職も、何人か若手を副顧問としてつけてくれたが、一年ないし二年で、他の部に移り、審判の技術を教えても教えても、若手は去っていく…、という悲しい状況だった。
だから、「新年度こそは、若手をつけて欲しい」、とお願いし、とりあえず管理職の約束まではとりつけた。実際、年度が始まってみなければ、分からない。
日曜日には今年初の練習試合。
春が近づくと、試合が入ってくる。
暖冬とはいえ、まだまだ寒い時期だが、子供たちにとっては心待ちにした試合だろう。
私も精一杯のご奉仕だ。
会議では分厚い資料をもとに、皆が真剣になって話し合っている。
自分も野球好きということもあるが、子供たちの野球のために、すべてを捧げている。
専門部長を追えて、教頭、校長とステップアップしていく先生もいる。
懇親会では歴代の専門部長(校長)が来賓として招待される。
若手の先生方は、必死で、重鎮たちの時代の野球や、指導法に耳を傾ける。
そうやって、教員の世界は、技術と知恵が引き継がれていく…。
2019年02月21日
生徒会選挙が行われる
私の学校では、中高一貫ながらも、中学専門の生徒会も作っている。
高校生は秋に改選されるが、中学生はこの時期改選され、中3の卒業直前の3月に引き継がれる。
学校行事が中高合同なものが多いので、中学生徒会は、高校生徒会の一部という感じで、ほぼ一緒に活動する。
任期の関係で、中学で生徒会を務めていても、高校生になると、立候補するのに半年待たなくてはならないが、今のところ特に不都合はない。
今日は、中学生徒会の選挙。立候補者12人の演説ののち、投票が行われた。
生徒会長および、副会長には、4月から中3になる中2が立候補した。
どの演説も、「自分たちで学校を変えていきたい」、という熱意に溢れていた。
中でも、生徒会著に当選したO君の話は、多くの生徒を引きつけた。
「みなさん、おまんじゅうを食べたことがありますか? 食べたとき、もし、あんこが入っていなかったらどうでしょう。ものすごくがっかりしませんか。」
『あんこ』とは、コアの部分だ。今の学校では、「一部あんこが入っていない」、という。
立志式のスピーチを遙かに超えて、はち切れた演説をして、
「生徒会長になれてもなれなくても、僕は学校を変えていきます。」
と結んだ。
多くの生徒のハートをぐっとつかんだようである。
曲がりなりにも学校運営がなされ、ある程度の成功はおさめているが、生徒の目からも「まだまだ」、だと思っているということである。
立派なスピーチだった。
副会長にも、自己変革を重ねている、きわめて信頼できる生徒が当選した。
ここまで中2が育ってきたことはとても嬉しい。
中1、中2ともだらしない生徒もいるが、そうした彼らを冷ややかな目で見つつも、「変えていこう」、と決意した生徒たちが生徒会のメンバーになった。
残念ながら、やんちゃな生徒が、「自分も変わっていこう」と決意して、立候補したが、落選した。
しかし、その思いは評価したい。その気持ちが他に浸透し、理解されれば、いずれリーダーの立場につくことにもなるだろう。
落選した生徒へのフォローも必要だろうが、とにかく、立派な生徒会長、副会長が決まって良かった。
高校生は秋に改選されるが、中学生はこの時期改選され、中3の卒業直前の3月に引き継がれる。
学校行事が中高合同なものが多いので、中学生徒会は、高校生徒会の一部という感じで、ほぼ一緒に活動する。
任期の関係で、中学で生徒会を務めていても、高校生になると、立候補するのに半年待たなくてはならないが、今のところ特に不都合はない。
今日は、中学生徒会の選挙。立候補者12人の演説ののち、投票が行われた。
生徒会長および、副会長には、4月から中3になる中2が立候補した。
どの演説も、「自分たちで学校を変えていきたい」、という熱意に溢れていた。
中でも、生徒会著に当選したO君の話は、多くの生徒を引きつけた。
「みなさん、おまんじゅうを食べたことがありますか? 食べたとき、もし、あんこが入っていなかったらどうでしょう。ものすごくがっかりしませんか。」
『あんこ』とは、コアの部分だ。今の学校では、「一部あんこが入っていない」、という。
立志式のスピーチを遙かに超えて、はち切れた演説をして、
「生徒会長になれてもなれなくても、僕は学校を変えていきます。」
と結んだ。
多くの生徒のハートをぐっとつかんだようである。
曲がりなりにも学校運営がなされ、ある程度の成功はおさめているが、生徒の目からも「まだまだ」、だと思っているということである。
立派なスピーチだった。
副会長にも、自己変革を重ねている、きわめて信頼できる生徒が当選した。
ここまで中2が育ってきたことはとても嬉しい。
中1、中2ともだらしない生徒もいるが、そうした彼らを冷ややかな目で見つつも、「変えていこう」、と決意した生徒たちが生徒会のメンバーになった。
残念ながら、やんちゃな生徒が、「自分も変わっていこう」と決意して、立候補したが、落選した。
しかし、その思いは評価したい。その気持ちが他に浸透し、理解されれば、いずれリーダーの立場につくことにもなるだろう。
落選した生徒へのフォローも必要だろうが、とにかく、立派な生徒会長、副会長が決まって良かった。
2019年02月20日
学年講話
「いやぁ、中2は『凡事徹底』ができていて、すごいじゃないですか。全員が登校できるし、時間も守れる…。これも、中1、中2の時に、きちんと指導したからでしょう。中3なんて、未だにできませんよ。ほんと、全然できません。」
中3の学年主任がそんなことを言った。
奇しくも、来年度、この学年の主任をしていただける先生だ。
私は、「全然駄目だったなぁ。これまで2サイクルやったが、うまくいかなかった所や、新たな取り組みをして、もう一サイクル頑張ろう」と、担任になったのだが、結局途中で投げ出すような形になった。公立学校で長く校長先生を務めた方が、学年主任になったので、当初から学年副主任という臨時に与えられた立場だったが、その方も、この夏に退職され、そのまま私が学年主任になった。
だが、うまくいかなかった。
反抗期は慣れていたが、私のキャパシティを越えてしまったようだ。
そうしているうちに、私もエネルギーがなくなってしまった。
「学年をこんなに、めちゃくちゃにしてしまって、申し訳ありません。」
と、謝らなくてはならないのだが、たとえ私に気を遣ったとしても、前述のように言って下さると、何となく、救われた気持ちになり、嬉しくなった。
もしかしたら、そんなに駄目ではなかったのかも知れない…。
今日は、学年全体に話す機会があった。
先の、発表会、立志式、そして明日に控えた生徒会選挙に向けたかれらの動きを、思い切りほめてみた。「こんなに成長してくれて、ありがとう」、と心から思ったからだ。
ほんの短い時間だったが、学年が私の話に一体になった気がした。
最近、生徒たちは私の話をよく聞く。
もしかしたら、これでお別れになることを、察知しているのかも知れない。
そういえば、昨日の授業中で、
「丹澤先生は、中3での修学旅行に行くんですか?」
と聞かれたとき、思わず、
「たぶん、行かないと思うよ。」
と、答えてしまった。
この回答は、間接的に担任も学年主任も外れることを意味しているのだが、彼らに察知されてしまっただろうか。
来週には高校の卒業式、そして学年考査を経て、あと一ヶ月で終業式だ。この日が中3の卒業式。
そして、学年が一年上がる。
副担の先生が、
「今日の丹澤先生の話、涙が出そうになりました。」
と言ってくれた。
「生徒への愛がこもっていましたね。」
とも…。
もう少し教育者を続けられそうだ。
中3の学年主任がそんなことを言った。
奇しくも、来年度、この学年の主任をしていただける先生だ。
私は、「全然駄目だったなぁ。これまで2サイクルやったが、うまくいかなかった所や、新たな取り組みをして、もう一サイクル頑張ろう」と、担任になったのだが、結局途中で投げ出すような形になった。公立学校で長く校長先生を務めた方が、学年主任になったので、当初から学年副主任という臨時に与えられた立場だったが、その方も、この夏に退職され、そのまま私が学年主任になった。
だが、うまくいかなかった。
反抗期は慣れていたが、私のキャパシティを越えてしまったようだ。
そうしているうちに、私もエネルギーがなくなってしまった。
「学年をこんなに、めちゃくちゃにしてしまって、申し訳ありません。」
と、謝らなくてはならないのだが、たとえ私に気を遣ったとしても、前述のように言って下さると、何となく、救われた気持ちになり、嬉しくなった。
もしかしたら、そんなに駄目ではなかったのかも知れない…。
今日は、学年全体に話す機会があった。
先の、発表会、立志式、そして明日に控えた生徒会選挙に向けたかれらの動きを、思い切りほめてみた。「こんなに成長してくれて、ありがとう」、と心から思ったからだ。
ほんの短い時間だったが、学年が私の話に一体になった気がした。
最近、生徒たちは私の話をよく聞く。
もしかしたら、これでお別れになることを、察知しているのかも知れない。
そういえば、昨日の授業中で、
「丹澤先生は、中3での修学旅行に行くんですか?」
と聞かれたとき、思わず、
「たぶん、行かないと思うよ。」
と、答えてしまった。
この回答は、間接的に担任も学年主任も外れることを意味しているのだが、彼らに察知されてしまっただろうか。
来週には高校の卒業式、そして学年考査を経て、あと一ヶ月で終業式だ。この日が中3の卒業式。
そして、学年が一年上がる。
副担の先生が、
「今日の丹澤先生の話、涙が出そうになりました。」
と言ってくれた。
「生徒への愛がこもっていましたね。」
とも…。
もう少し教育者を続けられそうだ。
2019年02月19日
動画中毒
現在、情報の垂れ流し、善も悪も玉石混交、その中で子供たちは生きている。
今や、YouTubeなどの動画を見たことのない中高生はほとんどいないだろう。
あこがれの職業や、夢がYouTuber、という時代だ。
しかし、動画サイトには善も悪もある。
概して、面白い動画は、「悪」の方に偏りがちだ。
私が言う「悪」とは、生活を堕落させる方向に導くものだ。
中高生が見たときに、欲望をそそり、悪への道を促し、人生を誤る危険性のあるもの。
ここではあえて具体例を挙げないが、見ることで、誤った価値観や考え方、悪への誘惑をそそるものだ。
百歩譲って、ゲームの中継動画を見ているうちはまだいい。
だが、その合間に、いろいろ検索しているうちに、いわゆる「悪」と言われる動画やページにたどり着く。
ふと気づいてみたら、何時間もそのページを見ていた、ということはよくある。
「君たちが、YouTuberたちを稼がせているんだよ…。」
時折、そんな話もするが、一度楽しくなってしまった生徒は、その類いのページから離れることはない。
パソコンでもスマフォでも、中高生に動画は大人気だ。
自宅のパソコンが光回線ならばよいが、ポケットWifiなどならば、恐らくは月途中で速度がぐんと落ちる。
パケットを家族で共有しているスマフォも、娘や息子が使いすぎて、ネットがほぼ止まったという話もよく聞く。
それでも見たい彼らは、コンビニに行き無料Wifiで楽しむ。
ここまでくると、もはや中毒性だ。
楽しい動画のみならず、怪しい動画も、SNSでシェアされていく訳だから、この伝播力は強力だ。
スマフォがないと、話題について行けない、というのもよく分かる。
我慢を強いてばかりでもいけないだろうが、こと動画に関しては、ある種の『我慢』が必要ではないだろうか。
その心のコントロールが、将来必ず役に立つことになると思うのだが…。
大人も子どもの刹那的になってきている。
その中で、『我慢』を強いている学校現場は、ますます世間から遠ざかっているようにも思える。
だが、ここであきらめてはいけない。
正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると、言える勇気が欲しい。
「君たちは、どう考えるでしょうか。」
などと、結論を誤魔化した道徳教材は、私のこの考えには逆行している。
今や、YouTubeなどの動画を見たことのない中高生はほとんどいないだろう。
あこがれの職業や、夢がYouTuber、という時代だ。
しかし、動画サイトには善も悪もある。
概して、面白い動画は、「悪」の方に偏りがちだ。
私が言う「悪」とは、生活を堕落させる方向に導くものだ。
中高生が見たときに、欲望をそそり、悪への道を促し、人生を誤る危険性のあるもの。
ここではあえて具体例を挙げないが、見ることで、誤った価値観や考え方、悪への誘惑をそそるものだ。
百歩譲って、ゲームの中継動画を見ているうちはまだいい。
だが、その合間に、いろいろ検索しているうちに、いわゆる「悪」と言われる動画やページにたどり着く。
ふと気づいてみたら、何時間もそのページを見ていた、ということはよくある。
「君たちが、YouTuberたちを稼がせているんだよ…。」
時折、そんな話もするが、一度楽しくなってしまった生徒は、その類いのページから離れることはない。
パソコンでもスマフォでも、中高生に動画は大人気だ。
自宅のパソコンが光回線ならばよいが、ポケットWifiなどならば、恐らくは月途中で速度がぐんと落ちる。
パケットを家族で共有しているスマフォも、娘や息子が使いすぎて、ネットがほぼ止まったという話もよく聞く。
それでも見たい彼らは、コンビニに行き無料Wifiで楽しむ。
ここまでくると、もはや中毒性だ。
楽しい動画のみならず、怪しい動画も、SNSでシェアされていく訳だから、この伝播力は強力だ。
スマフォがないと、話題について行けない、というのもよく分かる。
我慢を強いてばかりでもいけないだろうが、こと動画に関しては、ある種の『我慢』が必要ではないだろうか。
その心のコントロールが、将来必ず役に立つことになると思うのだが…。
大人も子どもの刹那的になってきている。
その中で、『我慢』を強いている学校現場は、ますます世間から遠ざかっているようにも思える。
だが、ここであきらめてはいけない。
正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると、言える勇気が欲しい。
「君たちは、どう考えるでしょうか。」
などと、結論を誤魔化した道徳教材は、私のこの考えには逆行している。
2019年02月18日
中2で公開授業
公開授業を行った。
授業評価で上位だからと、毎学期、公開授業がやってくる。
今日は、中2の数学。実際は高校一年生の数学Tの内容の、『論証・命題』の導入部分。
数学の教員にとっては、いちばんやりにくい部分。
私としては、公開する分野はどこでも良かったのだが、今回はあえて難しい教材にしてみた。
私のいつも通りの授業で、自分としては面白みのない、つまらん授業だったが、見に来て下さった先生方の評価は高かった。
放課後の反省会で、いろいろアドバイスを頂いたが、何が良かったのか検証してみると、要は、「数学の授業でありながら、いろいろな分野に触れて生徒の興味関心を引き出していた」、ということらしい。
数学は真か偽かの二選択の世界。そのため、自然科学を勉強して、傾倒しすぎると、世の中ものも、この二者択一の世界に陥りやすい。
しかし、現実にはどちらとも言えないことは、世の中にはいくらでもある。
「数学的に証明できないから、認められない」
という、唯物的な考えに陥りやすくなるわけだ。
そんな危険性をはらんだ分野であることは、あえて指摘してみた。
併せていくつかの論理問題を紹介して、論理の難しさの奥深さも垣間見させた。
だから、今日の授業では、できるだけ数学用語を控え、あくまで私の提示する「論理」を考えられるような、そんな授業をしてみたのだ。
自分で点数をつけるとすれば、合格点は出せないが、それでも、見学した先生たちは、「大いに参考になった」、と持ち上げてくれた。
授業中の生徒たちの反応は、いつも通りなので、私としては、特に気負うことなく、いつも通りの授業をしただけのことなのだが、もう少し、「見せる」公開授業にした方が良かっただろうか…。
昨今の体調不良が響き、今回も授業の序盤、立ちくらみで倒れそうになったが、
「ここで倒れたら大騒ぎになる…。」
と、我慢しながらの授業だったが、だれもそのことには気づくまい。
それが、ある意味、「授業の見方が甘い」のであって、授業見学している先生ならば、そこまで見抜くくらいでないと、授業中の臨機応変な対応はできないだろう。
「授業力を上げたい」、と願う勉強熱心な若い先生に参考になるなら、いつでも授業を公開してもよいのだが、昨今はそうした先生方も少なくなったように思える。
「授業中、どこを切り取っても素晴らしい…」
という授業を目指して教員生活を送ってきたが、解脱することなく退きそうだ。
授業評価で上位だからと、毎学期、公開授業がやってくる。
今日は、中2の数学。実際は高校一年生の数学Tの内容の、『論証・命題』の導入部分。
数学の教員にとっては、いちばんやりにくい部分。
私としては、公開する分野はどこでも良かったのだが、今回はあえて難しい教材にしてみた。
私のいつも通りの授業で、自分としては面白みのない、つまらん授業だったが、見に来て下さった先生方の評価は高かった。
放課後の反省会で、いろいろアドバイスを頂いたが、何が良かったのか検証してみると、要は、「数学の授業でありながら、いろいろな分野に触れて生徒の興味関心を引き出していた」、ということらしい。
数学は真か偽かの二選択の世界。そのため、自然科学を勉強して、傾倒しすぎると、世の中ものも、この二者択一の世界に陥りやすい。
しかし、現実にはどちらとも言えないことは、世の中にはいくらでもある。
「数学的に証明できないから、認められない」
という、唯物的な考えに陥りやすくなるわけだ。
そんな危険性をはらんだ分野であることは、あえて指摘してみた。
併せていくつかの論理問題を紹介して、論理の難しさの奥深さも垣間見させた。
だから、今日の授業では、できるだけ数学用語を控え、あくまで私の提示する「論理」を考えられるような、そんな授業をしてみたのだ。
自分で点数をつけるとすれば、合格点は出せないが、それでも、見学した先生たちは、「大いに参考になった」、と持ち上げてくれた。
授業中の生徒たちの反応は、いつも通りなので、私としては、特に気負うことなく、いつも通りの授業をしただけのことなのだが、もう少し、「見せる」公開授業にした方が良かっただろうか…。
昨今の体調不良が響き、今回も授業の序盤、立ちくらみで倒れそうになったが、
「ここで倒れたら大騒ぎになる…。」
と、我慢しながらの授業だったが、だれもそのことには気づくまい。
それが、ある意味、「授業の見方が甘い」のであって、授業見学している先生ならば、そこまで見抜くくらいでないと、授業中の臨機応変な対応はできないだろう。
「授業力を上げたい」、と願う勉強熱心な若い先生に参考になるなら、いつでも授業を公開してもよいのだが、昨今はそうした先生方も少なくなったように思える。
「授業中、どこを切り取っても素晴らしい…」
という授業を目指して教員生活を送ってきたが、解脱することなく退きそうだ。
2019年02月17日
まもなく入学説明会
私の学校では、2月になると新年度人事に動き出す。たいていの場合、2月下旬に入学説明会があり、そこで新入生の学年主任や担任が発表されるからだ。
「この人が、学年主任ですよ。担任の先生方は、この面々ですよ。」
と、早めに保護者、生徒に知らせるのは、ある意味サービスでもある。
学年主任が決まっているので、入学前ながら、保護者や生徒全体に話をすることもできるし、逆に入学前の個別相談もしやすいという訳だ。
公立校のように地元から入学してくる訳ではないので、そういう情報は、入学後とても参考になる。
とは言っても、入学時の情報が果たして、その後の中学校生活の指導上どれだけ活かせるかどうかは、何とも言えない部分がある。
得た情報をもとに、こちらが身構えていると、結局は何も起こらない。そうでなくて、ノーマークの生徒の方が、いろいろな事をしでかすのである。そちらの方が割合的にも多いのだ。
来週末には、入学説明会が行われる。
入学前の説明と共に、制服や体育着の採寸など、入学前の準備を一気に行う。
まさに教員総出で、この説明会を迎えるのである。
入学学年のスタッフになれば、入学生対応になるが、そうでなければ、さまざまな役割を果たす。
校内誘導やら、駐車場誘導など、ありとあらゆる仕事がある。
一方で、土曜日開催となれば、在校生は授業があるので、授業を行いながら、平行して入学説明会を運営していく訳だ。
入学生対応のときには、
「すいません。実は…。」
と、ビックリするような情報を持ち込んでくる保護者もいる。
学年主任や教科主任は、入学前の説明も行うが、ホールの舞台壇上から、新入生を見ると、だいたい雰囲気は見えてくるものだ。
中学入学ならば、相手は小学六年生。
緊張してる児童もいれば、親に甘えてべったりの子もいる。友達同士リラックスしすぎて、休憩時間に校内を駆けずり回っている子もいる。
そんな時は、遠慮せずに注意する。
新しい学校の厳しさも教えなければならないからだ。
この春高校を卒業していくT君は、2年上の兄に続いて入学してきたが、説明会時の態度がとてもよかった。
一番前の席に、親と離れて一人座り、数時間に及ぶ説明会の最中、微動だにせず、姿勢良く座り、話している人を凝視していた。
「こんなに緊張状態で大丈夫かな…。」
と、思ったが入学後は少し砕けて、心配するほどではなかった。
すぐに野球部に入り、中学、高校と六年間続けた…。
成績も優秀で、他の範にもなった。
昨日久しぶりに声をかけたが、今でも元気が良かった。
国立大学受験のために、最後の仕上げをしているのだろう。
自分は歳をとっていないつもりでも、生徒はどんどん成長していく。
学校説明会時の小6の面影は、もはやない…。
「この人が、学年主任ですよ。担任の先生方は、この面々ですよ。」
と、早めに保護者、生徒に知らせるのは、ある意味サービスでもある。
学年主任が決まっているので、入学前ながら、保護者や生徒全体に話をすることもできるし、逆に入学前の個別相談もしやすいという訳だ。
公立校のように地元から入学してくる訳ではないので、そういう情報は、入学後とても参考になる。
とは言っても、入学時の情報が果たして、その後の中学校生活の指導上どれだけ活かせるかどうかは、何とも言えない部分がある。
得た情報をもとに、こちらが身構えていると、結局は何も起こらない。そうでなくて、ノーマークの生徒の方が、いろいろな事をしでかすのである。そちらの方が割合的にも多いのだ。
来週末には、入学説明会が行われる。
入学前の説明と共に、制服や体育着の採寸など、入学前の準備を一気に行う。
まさに教員総出で、この説明会を迎えるのである。
入学学年のスタッフになれば、入学生対応になるが、そうでなければ、さまざまな役割を果たす。
校内誘導やら、駐車場誘導など、ありとあらゆる仕事がある。
一方で、土曜日開催となれば、在校生は授業があるので、授業を行いながら、平行して入学説明会を運営していく訳だ。
入学生対応のときには、
「すいません。実は…。」
と、ビックリするような情報を持ち込んでくる保護者もいる。
学年主任や教科主任は、入学前の説明も行うが、ホールの舞台壇上から、新入生を見ると、だいたい雰囲気は見えてくるものだ。
中学入学ならば、相手は小学六年生。
緊張してる児童もいれば、親に甘えてべったりの子もいる。友達同士リラックスしすぎて、休憩時間に校内を駆けずり回っている子もいる。
そんな時は、遠慮せずに注意する。
新しい学校の厳しさも教えなければならないからだ。
この春高校を卒業していくT君は、2年上の兄に続いて入学してきたが、説明会時の態度がとてもよかった。
一番前の席に、親と離れて一人座り、数時間に及ぶ説明会の最中、微動だにせず、姿勢良く座り、話している人を凝視していた。
「こんなに緊張状態で大丈夫かな…。」
と、思ったが入学後は少し砕けて、心配するほどではなかった。
すぐに野球部に入り、中学、高校と六年間続けた…。
成績も優秀で、他の範にもなった。
昨日久しぶりに声をかけたが、今でも元気が良かった。
国立大学受験のために、最後の仕上げをしているのだろう。
自分は歳をとっていないつもりでも、生徒はどんどん成長していく。
学校説明会時の小6の面影は、もはやない…。
2019年02月16日
生徒の成長と共に歩む
中学の生徒会の改選時期が近づき、昨日、立候補の締め切りとなった。
「誰も立候補しなかったらどうしよう…。」
という、私の不安は払拭され、生徒会長に4名(1名枠)、副会長に2名(1名枠)、執行役員に6名(2名枠)が立候補した。いよいよ来週から選挙活動が始まり、木曜日には投票だ。
「なかなかリーダーが出てこなくて…。」
と、以前の校長面談では泣きを入れていたのだが、「自分から進んで生徒会をやろう」、という生徒が何人も出てきたのはとても嬉しい。
もしかしたら、「3月で学年主任が終わりだ」と、ほっとした私の吹っ切れた気持ちが、押さえつけていた生徒の心を解放したのかも知れない。
立候補の決意文もすべて読んだが、どれも思いがこもっていて立派だった。
誰が生徒会役員になっても大丈夫だろう。
先週の立志式を終えて、学年が少し成長したようだ。
「黙っていても、彼らは良くなる…。」
と、昨今は半ば諦めかけつつあったが、彼らも大人への一歩を歩み出している。
「未熟な彼らを支え、思う存分羽ばたかせてやろう。」
というのが、我々教師の役割だ。
「型にはめられては困る。彼ら成長力を信じて欲しい…。」
どこかで、校長にそんな話をされたことを思い出す。
生徒が悪さをすれば、それは、担任やら学年主任の責任だから…、と小さくなりながらビクビクする。しかし、それよりも、
「そんなことは、当然想定済み。起こるべくして起こったことで、彼らの成長の証しだ。」
と、考えられる方が絶対的に優れている。
ある程度の経験と、ある程度の年齢にならないと、そうした達観した境地には慣れないのだろうが、私も、そう気づかなければならない状況になった。
生徒の成長を見守りつつ、我々教師も心の成長をしているのだ。
だからこそ教師は面白いし、やりがいがある。
と共に、日々の精進の継続が求められる。
授業のときも、知識の切り売りのようなことはしたくないものだ。
我々教師が、日々学んだことを、生徒に伝え続けたい。
私の存在が、彼らの成長のよすがになったかどうかは分からないが、そばにいて見守らせて頂けたことは事実。
貴重な経験をさせて頂いていることに感謝だ。
「誰も立候補しなかったらどうしよう…。」
という、私の不安は払拭され、生徒会長に4名(1名枠)、副会長に2名(1名枠)、執行役員に6名(2名枠)が立候補した。いよいよ来週から選挙活動が始まり、木曜日には投票だ。
「なかなかリーダーが出てこなくて…。」
と、以前の校長面談では泣きを入れていたのだが、「自分から進んで生徒会をやろう」、という生徒が何人も出てきたのはとても嬉しい。
もしかしたら、「3月で学年主任が終わりだ」と、ほっとした私の吹っ切れた気持ちが、押さえつけていた生徒の心を解放したのかも知れない。
立候補の決意文もすべて読んだが、どれも思いがこもっていて立派だった。
誰が生徒会役員になっても大丈夫だろう。
先週の立志式を終えて、学年が少し成長したようだ。
「黙っていても、彼らは良くなる…。」
と、昨今は半ば諦めかけつつあったが、彼らも大人への一歩を歩み出している。
「未熟な彼らを支え、思う存分羽ばたかせてやろう。」
というのが、我々教師の役割だ。
「型にはめられては困る。彼ら成長力を信じて欲しい…。」
どこかで、校長にそんな話をされたことを思い出す。
生徒が悪さをすれば、それは、担任やら学年主任の責任だから…、と小さくなりながらビクビクする。しかし、それよりも、
「そんなことは、当然想定済み。起こるべくして起こったことで、彼らの成長の証しだ。」
と、考えられる方が絶対的に優れている。
ある程度の経験と、ある程度の年齢にならないと、そうした達観した境地には慣れないのだろうが、私も、そう気づかなければならない状況になった。
生徒の成長を見守りつつ、我々教師も心の成長をしているのだ。
だからこそ教師は面白いし、やりがいがある。
と共に、日々の精進の継続が求められる。
授業のときも、知識の切り売りのようなことはしたくないものだ。
我々教師が、日々学んだことを、生徒に伝え続けたい。
私の存在が、彼らの成長のよすがになったかどうかは分からないが、そばにいて見守らせて頂けたことは事実。
貴重な経験をさせて頂いていることに感謝だ。
2019年02月15日
学年の先生方の指導!?
「丹澤先生、ちょっとT先生の件で、お話があるんです。」
近くの席に座っている二人の女性の先生が、深刻な顔をして相談に来た。
聞けば、「T先生の臭いが気になる」、と言う。
「お風呂に入るんでしょうか。」
「いつも来ている背広やシャツも気になります。着替えていないのではないでしょうか。」
矢継ぎ早だ。
学者肌で、マイペースの新人T先生、
どちらも当たっているだろう。
要は、女性から男性にあからさまに言うのははばかれるので、学年主任でもある私から注意しろ、という訳だ。
正直、「こんなことまで注意しなくてはいけないのか」、というジェネレーションギャップに悩乱されながらも、承諾した。
後日、この件は本人を呼んで注意した。
今朝は、最近不登校気味のSさんのことで、一悶着があった。
登校しているはずなのに教室にいないので、校内を探し回ったのだ。
ところが、Sさんは登校していなかった。
出欠をチェックするP先生が、見逃していたのだ。
「先生、困るんです。P先生、仕事してくれないんですよ。まだ二年目だから、仕方ないかも知れませんが、生徒に関することなので、責任を持って欲しいんです。今日だって、授業は一つしかないのに、『英検で忙しい…』、ってSさんのフォローしてくれないんです。丹澤先生から注意してもらえませんか。」
隣の担任が、そう訴えてきた。
学年主任である私に、きちんとさせるべくけじめをつけろ、と言うわけである。
学年のいろいろな行事でも、積極的に動く人がいないと、動いている人への負担が増える。
せめてその場にいてくれるだけでも、ありがたいのだが、顔すら見せなければ、「○○先生、何やってるの?」、という思いが湧いてくる。
「私の仕事ではない…」、と思われても困る。
皆でやらなければ、行事は回せない。
学年会でも
「全員で仕事をしてください。ほんと、困るんです。」
と、隣の先生から苦言があった。
新人ばかりの学年だが、動きが鈍いのは、私の責任だ。
「申し訳ありません。」
と、心の中でわびながら、いろいろな先生の動きを見る。
もう少し一体感が出せればいいのだが、私には力不足のようだ…。
近くの席に座っている二人の女性の先生が、深刻な顔をして相談に来た。
聞けば、「T先生の臭いが気になる」、と言う。
「お風呂に入るんでしょうか。」
「いつも来ている背広やシャツも気になります。着替えていないのではないでしょうか。」
矢継ぎ早だ。
学者肌で、マイペースの新人T先生、
どちらも当たっているだろう。
要は、女性から男性にあからさまに言うのははばかれるので、学年主任でもある私から注意しろ、という訳だ。
正直、「こんなことまで注意しなくてはいけないのか」、というジェネレーションギャップに悩乱されながらも、承諾した。
後日、この件は本人を呼んで注意した。
今朝は、最近不登校気味のSさんのことで、一悶着があった。
登校しているはずなのに教室にいないので、校内を探し回ったのだ。
ところが、Sさんは登校していなかった。
出欠をチェックするP先生が、見逃していたのだ。
「先生、困るんです。P先生、仕事してくれないんですよ。まだ二年目だから、仕方ないかも知れませんが、生徒に関することなので、責任を持って欲しいんです。今日だって、授業は一つしかないのに、『英検で忙しい…』、ってSさんのフォローしてくれないんです。丹澤先生から注意してもらえませんか。」
隣の担任が、そう訴えてきた。
学年主任である私に、きちんとさせるべくけじめをつけろ、と言うわけである。
学年のいろいろな行事でも、積極的に動く人がいないと、動いている人への負担が増える。
せめてその場にいてくれるだけでも、ありがたいのだが、顔すら見せなければ、「○○先生、何やってるの?」、という思いが湧いてくる。
「私の仕事ではない…」、と思われても困る。
皆でやらなければ、行事は回せない。
学年会でも
「全員で仕事をしてください。ほんと、困るんです。」
と、隣の先生から苦言があった。
新人ばかりの学年だが、動きが鈍いのは、私の責任だ。
「申し訳ありません。」
と、心の中でわびながら、いろいろな先生の動きを見る。
もう少し一体感が出せればいいのだが、私には力不足のようだ…。
2019年02月14日
活躍する中3
今年の冬は本当に暖かい。
私が住む地域では、この時期はたいてい夕方4時頃になると、気温は氷点下に突入するのだが、今年は日没後もなかなか気温が下がらない。
外の部活を毎日している私にとっては、とてもありがたいのだが、本来の姿からかけ離れていると、何となく不安を感じるものだ。
近くの少し標高の高いところも、今年は積雪が少ないようだ。
毎年11月下旬から4月初めまでは、降れば雪になるのだが、今年は時折雨が降る。
ある高校生が言う。
「これで、地球温暖化論者が元気づかないといいですね…。」
ずいぶん洒落たことを言う。
炭酸ガスで地球は温暖化して、環境が破壊されていると言うが、真実はそうではない。
長期的に見れば、地球は暖かくなったり寒くなったりしているのだ。
ひと頃、「温暖化対策だ!」、と叫ばれていたが、原発稼働中止で、その声は小さくなった。
原発を補うため、ガンガン火力で対応している。
それでも日本の電力供給は、今でも綱渡りだ。
私の学校は、各教室にエアコンがあり、一年中好き勝手に使うことができる。
原則、生徒は操作しないことになっているが、これまた徹底できない。
だから、
「誰だ、28℃の強に設定したのは!」
などと叫んでも、
「○○先生です。」
などと、答えられ、こちらもカクンとする。
それでも私は必死の抵抗、
「チョコレート溶けちゃうよ…。」
などと、おどけて見せる
毎年2月14日、この日ばかりは、持ち込みが黙認されている…。
廊下に差してくる日差しは、まさに春。
なんだか二月とは思えない気候だ。
今日の学活は、中学生全員でスポーツ大会。
全員を縦割りのチームに分け、体育館でドッチボールを行った。
毎年のことながら、「寒くない」スポーツ大会は珍しい。
このスポーツ大会も中3が企画した。
そして、運営でも活躍した。
今朝の、全校朝会でも中3が立派に務めた。
何人もの先生を悩乱させ、退職させたあの学年も、3月には卒業だ。
私が住む地域では、この時期はたいてい夕方4時頃になると、気温は氷点下に突入するのだが、今年は日没後もなかなか気温が下がらない。
外の部活を毎日している私にとっては、とてもありがたいのだが、本来の姿からかけ離れていると、何となく不安を感じるものだ。
近くの少し標高の高いところも、今年は積雪が少ないようだ。
毎年11月下旬から4月初めまでは、降れば雪になるのだが、今年は時折雨が降る。
ある高校生が言う。
「これで、地球温暖化論者が元気づかないといいですね…。」
ずいぶん洒落たことを言う。
炭酸ガスで地球は温暖化して、環境が破壊されていると言うが、真実はそうではない。
長期的に見れば、地球は暖かくなったり寒くなったりしているのだ。
ひと頃、「温暖化対策だ!」、と叫ばれていたが、原発稼働中止で、その声は小さくなった。
原発を補うため、ガンガン火力で対応している。
それでも日本の電力供給は、今でも綱渡りだ。
私の学校は、各教室にエアコンがあり、一年中好き勝手に使うことができる。
原則、生徒は操作しないことになっているが、これまた徹底できない。
だから、
「誰だ、28℃の強に設定したのは!」
などと叫んでも、
「○○先生です。」
などと、答えられ、こちらもカクンとする。
それでも私は必死の抵抗、
「チョコレート溶けちゃうよ…。」
などと、おどけて見せる
毎年2月14日、この日ばかりは、持ち込みが黙認されている…。
廊下に差してくる日差しは、まさに春。
なんだか二月とは思えない気候だ。
今日の学活は、中学生全員でスポーツ大会。
全員を縦割りのチームに分け、体育館でドッチボールを行った。
毎年のことながら、「寒くない」スポーツ大会は珍しい。
このスポーツ大会も中3が企画した。
そして、運営でも活躍した。
今朝の、全校朝会でも中3が立派に務めた。
何人もの先生を悩乱させ、退職させたあの学年も、3月には卒業だ。