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2019年03月08日

学年末考査が終わって

学年末考査が終わった。
私の学校は、中高で試験の日程を同じにしているので、学年末考査の期間は4日間。中学生にとって4日間は長いだろう。考査一週間前から部活動が停止になるので、10日ほどは原則として活動ができない。
こうなると、試験明けの身体がなまりすぎてしまい、元に戻すのにまた一週間くらいかかってしまうのだ。幸い野球はオフシーズン中でもあり、試験期間中に身体を動かすことに関しては、私は好き勝手にやらせている。

意識が高い生徒はこつこつと走ったりするが、普通の生徒および怠け者は、何もしない。
そして、考査の練習で苦しむ…。

勉強も同じだろう。
試験前にこつこつと勉強できる人は、上手に時間を使っている。

一方で、怠け者は、考査中の午後は昼寝をしている。
これでは何のために試験が午前中で終わるのかが分からない。

だったら、もっと日程を短縮した方がいい。

ところが、試験が終わると昼寝はしない。彼らは、部活をサボってでも遊びに行くのである。

最近はこういう刹那的な生徒が増えてきた。
彼らの親の世代も、これに近いのかも知れないが、どちらかというと、何もかもが無気力になった世代だ。

校内暴力が一段落つき、学校では教師の監視がさらに強化され、「静かに何ごともなく過ごそう」、と思う生徒が増えてしまった世代なのだろう。

時代の流れまでをも影響を与える教育は、本当に難しい。

こうして振り子のように揺れながら、何とか教育活動を行っていくが、そのツケは、20年から30年経ってから現象化する。

我々教師の務めは、『勉強の好きな生徒を作る』ことだ。
新しい知識を得る喜びを知り、分かる幸福をかみしめ、解けた感動を味合う。
これが、将来どこで効いてくるかは分からないが、一生学び続ける中に、人徳が生まれ、文明や文化を創り出していく基礎となるのだ。

怠け者ばかりの国は滅びの坂道を転げ落ちるのみである。
勤勉でこつこつ型の国民性のある国は発展していく。

刹那的ではなく、長いスパンでものごとを考えることができる、正義の判断のできる人を増やしていかなくてはいけない。

「先生、試験、上手くいきませんでした…。」
時期生徒会副会長が、ぼそっとささやいた。

「詰めが甘かったのかもね。そのままにしておいてはだめだよ。やり方からスケジュール、時間配分に、答案の間違えた箇所をよくよく分析して、次に活かさないといけないよ。やりっぱなしはだめだ。」

そう、アドバイスしてみた。
彼なら、きっと失敗を教訓として、次年度の新学年で、成果に結びつけることができるだろう。

試験はできれば嬉しいが、できなくても学びはたくさんある。もしかしたら、できなかったときの学びの方が多いかも知れない。

そのためには、時間的に試験が終わってはいけないのであって、終わっても終わらない試験勉強が必要だろう。

結果に一喜一憂するだけでは、実力はつかないのだから…。









2019年03月07日

業者の模試分析会

大手塾の模試分析があり、放課後担当者が来校、教科毎に分析報告を受けた。
今回は、中学生の成績。しかも成績上位者に対する分析。

「このA問題がもっと解けると、いいんですけどね…。」
「解けるべき問題がとけていませんね。」
「もうちょっと、解けるようにしたいですね。」
「こっちの問題は解けているのですから、解けないのはおかしいですね。できない人が多すぎますね…。」

中学生の上位クラスを担当している私にとっては、耳の痛い話ばかり。
最初は、「私が責められ続けているのではないか」、と錯覚するほどのコメントだった。

だが、話を聞いているうちに、「ここは、素直に受け止めて、来年度以降の参考にすべきではないか」、と思い直した。

そうなると、次から次へとアイデアが浮かんでくる。
「試行錯誤を訓練するなら、中1に『計算パズル』は適切だなぁ。」
「補講の添削コースも面白いかな。」
「字が雑でも、何をどう考えたかを書かせるのも面白いな。」
「数学好きにする施策を次から次へと打っていこう。」
などなど…。

人は思い一つで、プラスにもマイナスにもなる。
午前は体調が悪く、この企画をコーディネートした進路主任に、欠席をほのめかしたが、少し頑張って参加してよかった。

商売とは言え、業者がわざわざ田舎の学校まで来てくれる機会はあまりない。

中学三年間だけではなく、その後の三年間をも視野に入れた、東大を目指せる生徒を育てるためのヒントをたくさんもらったように思う。

「生徒の力を伸ばそうと、その手助けになるのなら、弊社の教材だって、どんどんコピーして、切り貼りして使ってくださっていいんです。法的にはだめですけど…。」

と、何度も笑いながら話す姿が新鮮だった。

もとは学習塾を開いていた方で、教育に対する思いは、立場の違いこそあれ、我々とは変わらない
教育活動は、さまざまな方々の、目に見えないネットワークと、協力のもとで行われている、ということがよく分かった。

新しく変わっていく大学入試に関する情報も聞けて良かった。

50%以上いると言われる数学嫌いを少しでも少なくするために、もう少し頑張ってみようと思った。

数学嫌いを作っているのは、他ならぬ数学教師自身なのだから…。

明日を、もっと、ハッピーに!『ショップジャパン』

楽天西友ネットスーパー

2019年03月05日

教師としての原点

人は嫌われてると感じると、どんどんエネルギーを消費する。
私が担任しているある保護者も、私を嫌っている人の一人らしい。

先日の卒業式で、高3の兄が卒業するに際し、両親とも来校していたのだが、私の挨拶には一瞥するだけで、笑顔すら見せなかった。

この二年間、私の不徳により、こうした保護者が何人かいる。

昨年の3月にも、
「丹澤先生だけは、担任につけないでください。」
と、当時の学年主任に直訴していたようだが、彼はそれを突っぱね、さらに私を担任につけた。
その生徒をもう一人の若手担任に任せることができない、と判断したからである。

こうした保護者の態度は、自然に子どもである生徒にも影響を与え、いわゆる利かん坊の性格を作りやすい。
叱られてもへっちゃらで、説教が通じない。
「そうですか。」
の一言で片付けてしまうこともあった。

だが、その生徒を育ていているのは担任であり、学年主任である私自身だ。
彼が、まっすぐ育たなかったのは、私の責任。
私のマイナス面の心の思いが、クラスや学年に影響を与え、そうした生徒を生む。

だが最近、その利かん坊の彼が、少し素直になった。
始めは、「もうすぐ中3だから、少しは精神的に成長したのかな」、とも思ったが、それだけではなかった。

変わったのは私自身の心だった。
相手の良くないところばかりを見てしまうと、生徒が可愛くなくなる。欠点ばかりが目につき、本来の姿が見られなくなる。

だが、良い部分を強調して見ていると、欠点は目につかない。逆に個性としてみて、それでも注意しなければならないときでも、冷静に、彼の将来のための話ができるものだ。

私は少し慢心していたのかも知れない。
事実、私の前で言うことを聞かない生徒はいない。
だが、真に心の絆でつながっていなければ、結局は私の目の届かない所では、反発するし、悪さを繰り返す。

教育は、見てくれだけを整えればいいわけではない。
生徒たちの一人ひとりの、その後の人生がかかっているのだ。

「いつもギリギリの生活しているとね。社会に出るととても困ることになるんだよ。ちょっと甘えすぎじゃないか?」

以前ならば、「ふざけるな。遅れてくるんじゃない!」と、一喝していただけだったかも知れない。

もう一度、教師に成り立ての頃の原点を思い起こし、「すべては生徒の成長のため」、とマインドを切り替えてみようと思う。








2019年03月04日

まだまだ事務作業が続く

昨日は、2回目の入学説明会だったが、だからといって先生方に代休が与えられるわけではない。お休みは授業等に差し障りのない範囲で、各自調整しなさい、というのが学校の方針だ。
だが、明日から学年末考査。

私は考査の監督を割り当ててるが、先生方から、「試験中お休みをいただきます」という連絡は来ていないので、ほとんどの先生方は、そのまま突っ走ろう、ということだろう。
考査中の午後は、比較的時間があるのだが、今年は違う。
すでに来年度の配置が発表されており、その全体方針説明が、執行部からなされたり、新年度に向けて、各教科ごとに集められ、新管理職からの指示がある、というものだ。
となると、なかなかお休みは取れまい…。

試験が終われば、答案の採点もあるから、お休みどころではないのだ。
私の学校にも採点日なるものはあり、生徒は別の行事をしているが、それは翌日すべての答案を返却するための苦肉の策でもある。

答案を返却後は、中一日で総合成績を作り報告。すぐに成績会議となる。そして、通知表だの要録だの書類作りが佳境に入り、あれよあれよと終業式を迎える。
その間に、配置転換の引き継ぎだの、新年度の準備だの、まさに三月は、教員の師走のようなものだ。

近隣の同僚によると、通知表の所見は教務、教頭、校長がチェックするとのことだが、私の学校ではそうしたシステムはなく、各自、間に合うように作ればいい。

「もう、20年もやっていると、例文ができているので、うまく作文しています。」
とも言っていたが、文章を作るのに、一時間で数人がやっと、という人もいるわけで、それはそれで大変な仕事だ。もっとも、近隣の中学校は、二期制だから、これが年に二回で済むわけで、三学期制よりもやや仕事は低減されているのかも知れない。

終業式が終われば、教務の私は新年度に向けての校務ソフトのシステム設定。そして時間割作成となる。

「丹澤先生が、一人で時間割を作っているのですか?」
二年前に赴任した隣の副担が叫ぶ。

中高ある学校なので、なかなか複雑な時間割作成作業。
一人で行っている学校は、数少ないのだろうが、この学校ができてから、私がずっと一人で時間割を作っている。

「そろそろ、誰かに振りたいんですけどね…。」
この仕事のために、春休みは毎日が仕事になる。

もちろん自分のペースでできるのではあるが、大きな仕事なので、結構プレッシャーがかかる。

新年度最初の出勤日に、毎年、教頭から、
「丹澤先生、時間割できましたか?」
と聞かれるのが、恒例になっているが、その時に、
「もう少しです。」
と、答えるのも、私の恒例行事。

そんなこと考えているより、学年末考査の問題を完成させなきゃ。
明後日のテストの完成率が、まだ8割だ。
まだまだ事務作業が続く

昨日は、2回目の入学説明会だったが、だからといって先生方に代休が与えあられるわけではない。お休みは授業等に差し障りのない範囲で、各自調整しなさい、というのが学校の方針だ。
だが、明日から学年末考査。

私は考査の監督を割り当ててるが、先生方から、「試験中お休みをいただきます」という連絡は来ていないので、ほとんどの先生方は、そのまま突っ走ろう、ということだろう。
考査中の午後は、比較的時間があるのだが、今年は違う。
すでに来年度の配置が発表されており、その全体方針説明が、執行部からなされたり、新年度に向けて、各教科ごとに集められ、新管理職からの指示がある、というものだ。
となると、なかなかお休みは取れまい…。

試験が終われば、答案の採点もあるから、お休みどころではないのだ。
私の学校にも採点日なるものはあり、生徒は別の行事をしているが、それは翌日すべての答案を返却するための苦肉の策でもある。

答案を返却後は、中一日で総合成績を作り報告。すぐに成績会議となる。そして、通知表だの要録だの書類作りが佳境に入り、あれよあれよと終業式を迎える。
その間に、配置転換の引き継ぎだの、新年度の準備だの、まさに三月は、教員の師走のようなものだ。

近隣の同僚によると、通知表の所見は教務、教頭、校長がチェックするとのことだが、私の学校ではそうしたシステムはなく、各自、間に合うように作ればいい。

「もう、20年もやっていると、例文ができているので、うまく作文しています。」
とも言っていたが、文章を作るのに、一時間で数人がやっと、という人もいるわけで、それはそれで大変な仕事だ。もっとも、近隣の中学校は、二期制だから、これが年に二回で済むわけで、三学期制よりもやや仕事は低減されているのかも知れない。

終業式が終われば、教務の私は新年度に向けての校務ソフトのシステム設定。そして時間割作成となる。

「丹澤先生が、一人で時間割を作っているのですか?」
二年前に赴任した隣の副担が叫ぶ。

中高ある学校なので、なかなか複雑な時間割作成作業。
一人で行っている学校は、数少ないのだろうが、この学校ができてから、私がずっと一人で時間割を作っている。

「そろそろ、誰かに振りたいんですけどね…。」
この仕事のために、春休みは毎日が仕事になる。

もちろん自分のペースでできるのではあるが、大きな仕事なので、結構プレッシャーがかかる。

新年度最初の出勤日に、毎年、教頭から、
「丹澤先生、時間割できましたか?」
と聞かれるのが、恒例になっているが、その時に、
「もう少しです。」
と、答えるのも、私の恒例行事。

そんなこと考えているより、学年末考査の問題を完成させなきゃ。
明後日のテストの完成率が、まだ8割だ。







2019年03月03日

さよなら若人たちよ

久しぶりに休みをとった。
今日は入学説明会だったので、本来全職員体制なのだが、仕事を外してもらった。

もっとも、朝早く出勤して、緊急の仕事を確認してのことだが、こうして一日のんびり過ごすのは、正月休み以来だ。

そんな折、何人もの卒業生が訪ねて来た。
これから出発するという。

また、職員室の机の上には、何人かの卒業生のメッセージカードも置かれていた。

一昨日の卒業式では、ほとんど表舞台に出なかったが、彼らは私がそうすることを知っている。
だから、わざわざメッセージを置いてくれたのだ。

「先生のおかげで数学の面白さに目覚めることができました。算数チャチャチャのメロディが、今でも耳に鳴り響いています。また、先生の目は、いつも心を見透かされているような気がして、心のコントロールができました。お元気でいて下さい。」
卒業式で答辞を務めた生徒からのメッセージだ。センター試験もほとんど満点。東大にも合格しているだろう。

「とうとう卒業の時が来てしまいました。丹澤先生には、自分がキツい時に話しかけてくれて、愛そのものだと思います。丹澤先生の数学の授業は、楽しかったな…また受けないな…。歌を作ってもらえた時は、嬉しかったなぁ…。野球部の助っ人もたのしかったなぁ…。丹澤先生は、家族のような存在でした。また、会いたいです。ありがとうございました。」
私は、何か問題を起こしてしまった生徒には、学年に関わりなく、さりげなく声を掛けるようにしてきた。そんなことが、彼らの記憶に残っているのだろう。

「僕の人生の原点は、間違いなく中学野球に集約されると思います。野球部に入っていなければ、根性論を理解できる人になっていなかっただろうし、部活の大切さも分からなかっただろうし、組織とは何か、礼儀とは何かも、よく分かっていなかったと思います。毎日夜食を作ってくれたり、福島や宮城、静岡に連れて行ってもらえたのも、すべてが僕の血肉になっています。あの時のことは、一生忘れません。」
そう言えば、夜食を作っていたときもあったし、年に何度もリフレッシュで旅行にも行ったし、全国大会見学にも出掛けた。

これが、教員としての醍醐味なのかも知れないな。

「よく生徒と一緒にいられるね。俺には無理だ。」
最近、そんなことを同僚から言われた。

どうやら、私は、子供たちと過ごすことが、生活の一部であり、何も気負うことなく自然に振る舞えるらしい。最近、誰にでも真似できることではないことに気がついた。

人生の宝物が、また一つ増えた…。








2019年03月02日

交流大会

合同チームで交流大会に出掛けた。
私の学校は土曜日も授業なのだが、こういうときは公欠を頂いて試合に臨む。

いつもの季節ならば、まだまだ雪が残っているのだが、今年はどこにも雪はない。
それでも、冷たい風が吹く中、野球場の芝生も茶色いまま。
まだまだ野球をするシーズンではないのだが、今日も比較的暖かく、午後には厚着の私にも、燦々と春の日差しが照りつけ、暖かさすら感じた。

合同チームのおかげで、今年初めてこの交流大会に参加できたが、シーズン始めの試合としては、とても有意義なものだと思う。

このために、先週練習試合も行ったわけだが、今日の試合はよかった。

「今シーズン初勝利です。」
一試合後に監督を務めてもらっている若い先生がそう叫ぶ。

正直、負けが多くなると、生徒たちは、「勝っても負けても関係なく、ただただ試合ができればいい。野球ができればいい…」、というような、およそ勝負の世界とはほど遠い考えに染まってしまいがちだ。

「あぁ、今日も惜しかったね。」
が連発しても、技術も精神力もほとんど向上することなく、時間だけが過ぎていくのだ。

よく、
「勝負だけがすべてではない。」
などと言う人がいるが、ひとたび勝負の世界に身を投じるのであれば、それが野球のゲームであれ、その試合中は、勝負にこだわらなければ、彼らの成長は得られない。

「遠足に来ているんじゃないんだ。」
同僚の先生が、そうぼやく。
だが、昨今は、親子共々そういう意識になってしまっている野球部員が増えてきた。

熾烈な戦いをするが、選挙が終われば、戦いの相手とは仲良くするように、スポーツの世界において、こうした面があると思う。

負ける悔しさがが、練習のモチベーションを高め、自分を追い込む精神力を培う。

競った試合で、成功体験を得させてこそ、そうしたプレッシャーを乗り越える力をつけることができるし、次につながる。そして、チームもどんどん強くなっていく。

このチームで活動するのも、来週の試合を残すだけになった。

「ずっとこのチームで戦いたい…。」
各校の保護者たちも口をそろえてそんなことを言う。

確かに、このチームは、私にとっても大いに学びになった。








2019年03月01日

七回目の卒業式

中2にとっての高3は、少し遠い存在なのかも知れないが、答辞でY先輩が話をし出すと、皆が彼の話に注目した。モニター会場で、それまでうとうとしていた生徒も、彼の話が始まると、ピリッとした。

淡々と話をする中に、人を引きつけるものがある。
「私たちは、これまであまりに多くの『愛』を与えられてきました。」
この言葉に誰もが「はっ」とする。

「だけど、私たちは、時々調子に乗って。その『愛』が当然のことのように、好き勝手に過ごしてきましたが、今、受けてきたすべての『愛』に重い責任を感じます。」

「そしてこの責任を、世界の未来のために発揮していきたいという思いが、心の底から湧いてきます。」

「新しい時代のロマンと夢を作るのが僕の夢です。」

「どうかもっと強くなれますように。どうかもっと優しくなれますように。どうか世界の希望となって、願いを叶えていけますように。」

我々中1と中2は、会場前に移動。一年に一度だけ開けられる青銅の扉が開けられ、そこから敷かれた赤絨毯を卒業生が退場してくる。その両脇に立ち、卒業生を祝福するのだ。

彼らの姿を見ると、これまでの思い出が走馬灯のように思い出される。

私は、カメラを構え、彼らと目を合わせないようにした。
見たら泣いてしまいそうだからだ。

夕方、最後のHRを終えた卒業生が訪ねて来た。
中学野球部でかかわった生徒だ。

「中学野球をやり切ったから、今の僕があります。」
と、涙を浮かべながら語ってくれたI君の活躍を祈りたい。

「君たちの活躍が、風の便りに聞こえてきたならば、俺はそれだけで幸せなんだ。」
そう言って送り出す。

私の学校の場合、中学の卒業式よりも高校の卒業式の方が華やかだ。
親たちはこれが学校に来る最後になるのだろう。
保護者会長の、「お疲れ様でした」、という親たちへのねぎらいの言葉が、すべてを語っている。

とにかくおめでとう。
来年は、中学時代に私が担当した学年の卒業式だ。












2019年02月27日

間もなく高3生とお別れ

高校3年生を送る会としての『昇龍祭』が行われた。
全校生徒で、卒業式を二日後に控えたこのときに、「高校三年生への感謝を伝える」行事である。

お楽しみ的な要素もあるが、高校一年生が中心となって、生徒が作り上げる。
このために、委員会が作られているくらいなので、大きな学校行事でもある。

毎年卒業式が近づくと、校内に寂しさが漂う。
卒業式が嫌いな私にとっても、何とも言えないこの雰囲気は、なかなか辛い。

「F君さようなら…。」
掃除の時間の始まる前に、外を歩いていた高3のF君に声を掛けた。
F君は、元気な笑顔をで返してくれた。

私は卒業式の式場内には入れない。
会場の関係で、中1、中2はモニターで卒業式を見る。
私は中2の担当なので、式場内には入らないのだ。
それでは、あまりに淋しかろうということで、高校3年井蛙会場から出たところに、赤絨毯を引き、その両サイドで中1と中2が見送るというイベントがある。

「今年も高3を、涙をこらえながら、一生懸命笑顔を作って、拍手で見送るのか…」、と思うと、辛くなる。

そんなことを思いながら、『昇龍祭』を見ていたら、何度も涙が出てきた。

学年や有志の出し物や思いでビデオや、退職された方のメッセージビデオ、最後には高3が後輩たちに人生を語る。

中1のときは泣き虫だったY君も卒業していく。
野球部の黄金期を作ってくれた世代だ。

保護者からは、散々クレームを受けたが、私も若かった…。

イベントの最後は、高1の合唱。
ものすごく心に響いた。
そして、最後のワンコーラスになると、高3以外の全校生徒がスッと立ち上がり、全員で歌う。

泣ける…。

「あぁ、彼らともお別れなんだな…。」
としみじみ思う。

最近は、高3と会うたびに、
「さよなら。」
と、声を掛けている。

それだけで、彼らは私との学園生活を思い出す。
だから、その一言だけでいい。

将来どこかで出会うことになるのだろうけれど、この中高という青春期に、彼らに関われたことは、至上の幸福だ。

「一番感謝しているのは、私なのだよ…。」
と、彼らの今後の成功を、密かに祈る。











2019年02月25日

ネット詐欺

昨日の練習試合の時に、久しぶりにあった近隣の先生に、スタットレスタイヤ購入(『ネット通販の闇』)の後日談を聞いた。

「安いタイヤを見つけようとネットで検索したら、安売りの商品が見つかったので、代金を振り込んだが、商品が届かない…」、という出来事だ。

結論から言えば、一種の詐欺事件。
警察には被害届を出したそうだ。

販売会社に連絡してもつながらないので、振り込んだ大手銀行に連絡すると、その会社は「潰れた」という。しかし、ホームページはそのままになっており、その口座も閉鎖されていなかったのだ。

口座にある金額は、債権者に回っていくわけで、悲しいかな、商品を買おうと代金を支払った消費者のお金も、そちらに回っていく…。

おかしな話だが、債権者から見れば、あらゆる財産から回収する訳だ。

その後、警察にも連絡したが、「こうした案件は増えているが、お金が戻ってくることはほぼない」、と言われたそうだ。

債権者への支払いが終わり、余裕があれば、いくばくかの返金はあるだろうが、期待できないだろう、という話だ。余裕が出るならば、会社は潰れない。

仮に会社が潰れたという、この話が真実だったとしても、納得できないが、これが核心的な詐欺事件であったとすれば、もっと納得できないだろう。

その先生は、「もうあきらめました…」、と言ってはいたが、奥さんには散々怒られたに違いない。

かく言う私も、ネットでは百万単位で騙されているが、相手が確定できる場合は、法律事務所の弁護士を経由して、若干のお金が戻ってくることはある。

例えば100万の返金を求めたところ、弁護士との話し合いで、「50万ならば返金しても良い」、となった場合は、成功報酬の40%を引いた、30万が戻ってくることになる。
「何もしなければ、100万を失うが、せめて30万が戻ってくるならば…」、と私も依頼したことがある。

ネットには、こうした闇の部分が多い。
騙されないようにするには、『欲』を出さないことだが、そもそも人間、いい意味でも悪い意味でも『欲』が生命エネルギーを支えている部分もあり、なかなか難しい。

生徒たちがスマフォなどで騙されるとしたら、アダルトサイトへのアクセスで、「会員登録されたから30万払え」などという、詐欺ページくらいだろう。だが、この先、ネットとの付き合いは一生続くわけで、やはりどこかで教育しておかなくては、次から次へと被害者を生み出すことになるだろう。

ネットでの詐欺は、ことのほか多いのだ。












2019年02月24日

今年最初の練習試合

今日は、今年最初の練習試合。
「来週のミニ大会に向けて、秋以来の試合をやっておいた方が良いだろう」、ということで、練習試合を組んでもらえた。

「部活は先生の仕事ではない」、と思っている先生方からは、信じられないだろう。だが、生徒たちや保護者が満足できるなら、それでもいい。

およそ教師は、教育に関わることすべてがその仕事の範疇であり、法律で規定される云々の問題ではないのだ。

昨今のそうした、安直な逃げが、教師の信用を失墜させ、「ブラックだ」と、評判を立て、風評被害的に教員のなり手を減らしている。

まだまだ、「教育に命をかけよう」という学生たちは、潜在的にいるはずだ。
教師が身を粉にして働いているからこそ、その尊敬を得ると言っても良い。

今日は2チーム対戦として、午前に一試合、間にランチゲームとして、レギュラー外たちの試合を5回まで。その後、昼食をとって、もう一試合行った。

風もなく、雲もなく、穏やかな日で、私としては助かった。
寒さに震えることなく、暖かい日差しにさせられながら、3試合を終えた。
5時に起きて、帰宅が午後4時くらいである。

相手校は、久しぶりの学校で、若干、道に迷いながら着くと、何人もの先生に
「丹澤先生、体調が悪いと聞きましたが、大丈夫ですか?」
と声を掛けられた。

地域柄、噂はあっという間に広まっている。
幸い私も、少しずつ体重を元に戻しつつある。
さすがに一気に体重が減ると、ここまで体力が落ちてしまうのか、ということがとてもよく分かった。

しかし、久しぶりに地区の先生たちといろいろな教育談義をするのは楽しい。
みんな熱く語ってくれる。

ある意味これが、私のモチベーション源にもなるのだ。

何気ない会話のやりとりの中にも、経験豊かになるいろいろなヒントがある。
また、試合中の生徒への声かけも、大変勉強になる。
今日も、若い監督は熱く生徒と関わった。

体力的には少し辛かったが、とても充実した日曜日になった。

3校合同チームでの活動も、いよいよ終盤に近づいてきた…。
来年度は、合同チームを組んでいる学校は、どちらも9人そろって、単独チーム化できるらしい。

ただ、既定が改正されて、「足りないチーム」も、「足りているチーム」と組むことが可能となるそうである。
私の学校が、昨年欠場したことも、少しは改正に寄与しているのかも知れない、と思うことにしよう。








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