2019年02月19日
動画中毒
現在、情報の垂れ流し、善も悪も玉石混交、その中で子供たちは生きている。
今や、YouTubeなどの動画を見たことのない中高生はほとんどいないだろう。
あこがれの職業や、夢がYouTuber、という時代だ。
しかし、動画サイトには善も悪もある。
概して、面白い動画は、「悪」の方に偏りがちだ。
私が言う「悪」とは、生活を堕落させる方向に導くものだ。
中高生が見たときに、欲望をそそり、悪への道を促し、人生を誤る危険性のあるもの。
ここではあえて具体例を挙げないが、見ることで、誤った価値観や考え方、悪への誘惑をそそるものだ。
百歩譲って、ゲームの中継動画を見ているうちはまだいい。
だが、その合間に、いろいろ検索しているうちに、いわゆる「悪」と言われる動画やページにたどり着く。
ふと気づいてみたら、何時間もそのページを見ていた、ということはよくある。
「君たちが、YouTuberたちを稼がせているんだよ…。」
時折、そんな話もするが、一度楽しくなってしまった生徒は、その類いのページから離れることはない。
パソコンでもスマフォでも、中高生に動画は大人気だ。
自宅のパソコンが光回線ならばよいが、ポケットWifiなどならば、恐らくは月途中で速度がぐんと落ちる。
パケットを家族で共有しているスマフォも、娘や息子が使いすぎて、ネットがほぼ止まったという話もよく聞く。
それでも見たい彼らは、コンビニに行き無料Wifiで楽しむ。
ここまでくると、もはや中毒性だ。
楽しい動画のみならず、怪しい動画も、SNSでシェアされていく訳だから、この伝播力は強力だ。
スマフォがないと、話題について行けない、というのもよく分かる。
我慢を強いてばかりでもいけないだろうが、こと動画に関しては、ある種の『我慢』が必要ではないだろうか。
その心のコントロールが、将来必ず役に立つことになると思うのだが…。
大人も子どもの刹那的になってきている。
その中で、『我慢』を強いている学校現場は、ますます世間から遠ざかっているようにも思える。
だが、ここであきらめてはいけない。
正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると、言える勇気が欲しい。
「君たちは、どう考えるでしょうか。」
などと、結論を誤魔化した道徳教材は、私のこの考えには逆行している。
今や、YouTubeなどの動画を見たことのない中高生はほとんどいないだろう。
あこがれの職業や、夢がYouTuber、という時代だ。
しかし、動画サイトには善も悪もある。
概して、面白い動画は、「悪」の方に偏りがちだ。
私が言う「悪」とは、生活を堕落させる方向に導くものだ。
中高生が見たときに、欲望をそそり、悪への道を促し、人生を誤る危険性のあるもの。
ここではあえて具体例を挙げないが、見ることで、誤った価値観や考え方、悪への誘惑をそそるものだ。
百歩譲って、ゲームの中継動画を見ているうちはまだいい。
だが、その合間に、いろいろ検索しているうちに、いわゆる「悪」と言われる動画やページにたどり着く。
ふと気づいてみたら、何時間もそのページを見ていた、ということはよくある。
「君たちが、YouTuberたちを稼がせているんだよ…。」
時折、そんな話もするが、一度楽しくなってしまった生徒は、その類いのページから離れることはない。
パソコンでもスマフォでも、中高生に動画は大人気だ。
自宅のパソコンが光回線ならばよいが、ポケットWifiなどならば、恐らくは月途中で速度がぐんと落ちる。
パケットを家族で共有しているスマフォも、娘や息子が使いすぎて、ネットがほぼ止まったという話もよく聞く。
それでも見たい彼らは、コンビニに行き無料Wifiで楽しむ。
ここまでくると、もはや中毒性だ。
楽しい動画のみならず、怪しい動画も、SNSでシェアされていく訳だから、この伝播力は強力だ。
スマフォがないと、話題について行けない、というのもよく分かる。
我慢を強いてばかりでもいけないだろうが、こと動画に関しては、ある種の『我慢』が必要ではないだろうか。
その心のコントロールが、将来必ず役に立つことになると思うのだが…。
大人も子どもの刹那的になってきている。
その中で、『我慢』を強いている学校現場は、ますます世間から遠ざかっているようにも思える。
だが、ここであきらめてはいけない。
正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると、言える勇気が欲しい。
「君たちは、どう考えるでしょうか。」
などと、結論を誤魔化した道徳教材は、私のこの考えには逆行している。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8571017
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック