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2019年04月26日
明日登校したらGW
インフルエンザが猛威を振るっている…。
と、十日ほど前に書きたかったのだが、悪い話をわざわざ報告するのも気が引けるので、時が経ってしまった。
猛威を振るったインフルエンザも、ここに来て収束しつつある。
感染者は延べ70名を越え、状況によっては学校閉鎖になるところであった。
全員がマスクをしての登校。
少しでも調子がわるくなれば、すぐに休ませた。
中学一年生などは、友達がインフルエンザになったと聞くだけで、
「僕も、頭が痛いかも…。」
と、そのままインフルエンザになってしまう生徒もおり、まさに気が弱ってくると、一気に感染するようだある。
ウイルスはそのあたりをウヨウヨしているから、要は抵抗力の問題なのだろう。
今年は一月下旬にも流行ったので、ワンシーズンに二度も流行させてしまった。
「ゴールデンウイークが近づき、長い休みが来る」、という油断も、抵抗力を落とす隙になっているだろう。
このところ、姿を見なかった生徒が、続々と復活してきた。
出席停止なので、解熱後も二日間は登校できない。
発熱時は苦しかろうが、熱が下がったら、時間をもてあますに違いない。
「おっ、○○復活したか…。」
「はい」!」
幸せそうな笑顔を見せながら、が元気な声が返ってきた。
私の学校でも、明日登校すれば、史上最長のゴールデンウイークだ。
かつてなかった悲壮感が漂わない即位の礼もある。
「一生で何度も経験できることではないから、よく見ておくように…。」
生徒たちには、そう伝えている。
私は、ほぼ毎日部活動。
新しい我が家もできたので、忙しい連休になりそうだ。
明日から登校してくる生徒が言う。
「一日行ったら、GWか…。」
なんとも複雑なようである。
と、十日ほど前に書きたかったのだが、悪い話をわざわざ報告するのも気が引けるので、時が経ってしまった。
猛威を振るったインフルエンザも、ここに来て収束しつつある。
感染者は延べ70名を越え、状況によっては学校閉鎖になるところであった。
全員がマスクをしての登校。
少しでも調子がわるくなれば、すぐに休ませた。
中学一年生などは、友達がインフルエンザになったと聞くだけで、
「僕も、頭が痛いかも…。」
と、そのままインフルエンザになってしまう生徒もおり、まさに気が弱ってくると、一気に感染するようだある。
ウイルスはそのあたりをウヨウヨしているから、要は抵抗力の問題なのだろう。
今年は一月下旬にも流行ったので、ワンシーズンに二度も流行させてしまった。
「ゴールデンウイークが近づき、長い休みが来る」、という油断も、抵抗力を落とす隙になっているだろう。
このところ、姿を見なかった生徒が、続々と復活してきた。
出席停止なので、解熱後も二日間は登校できない。
発熱時は苦しかろうが、熱が下がったら、時間をもてあますに違いない。
「おっ、○○復活したか…。」
「はい」!」
幸せそうな笑顔を見せながら、が元気な声が返ってきた。
私の学校でも、明日登校すれば、史上最長のゴールデンウイークだ。
かつてなかった悲壮感が漂わない即位の礼もある。
「一生で何度も経験できることではないから、よく見ておくように…。」
生徒たちには、そう伝えている。
私は、ほぼ毎日部活動。
新しい我が家もできたので、忙しい連休になりそうだ。
明日から登校してくる生徒が言う。
「一日行ったら、GWか…。」
なんとも複雑なようである。
2019年04月25日
日本の誇り
「河合、思ったより良かったですよ。」
教え子の高3が声を掛けてきた。
「将来何をしたいの?」
と、尋ねると、
「軍事開発に興味があります。」
という。
左翼史観にどっぷりの先生方は、
「何言ってるの?」
と、怒り出すだろう。
だが、私はすかさず、
「それはいい…。」
と、答えた。
日本はいつから、かくも無防備になったのか。
近隣に、ひたすら軍事拡張をして、あわよくば日本をも奪ってしまおうという国家があるのに、ニコニコ笑って、パンダ外交をすれば、すべては丸く収まると思っている人もいる。
犯罪者が溢れている町で、「私は争いごとは嫌いですから…」、と無防備で、家に鍵もかけず、何か難癖をつけられたら、ヘラヘラ「どうぞどうぞ」、と相手のいいなりになっている。
私にはそんな風に見える。
自衛のための手段は、必要不可欠なのだ。
そのために必要ならば、核兵器を保持していたっていい。
「かつての戦争は、侵略戦争だったので、私たちは反省しているのです。」
という。
日本人は、この先も未来永劫、反省し続けなければならないのだろうか。
単なる侵略目的だ、という主張も極めて怪しい。
これもかの国の、巧妙な戦略かも知れない。
「自分の国は自分で護る」、という考えは、国として当然の権利だ。
国民の命を守る、国としての義務でもある。
相手の兵器を無能化する配備ができたたら、最高じゃないか。
世界に間違った指導者が現れる限り、そして世界から独裁政治国家がなくならない限り、国防を無視した国は、侵略され滅びていく。
日本の国に誇りを持とう。
かつての若人たちは、自らの命を賭してでも、国を護ろうとして戦ったのである。
その命の上に、今の日本の繁栄があるのだ。
「軍事開発」、大いに結構ではないか。
教え子の高3が声を掛けてきた。
「将来何をしたいの?」
と、尋ねると、
「軍事開発に興味があります。」
という。
左翼史観にどっぷりの先生方は、
「何言ってるの?」
と、怒り出すだろう。
だが、私はすかさず、
「それはいい…。」
と、答えた。
日本はいつから、かくも無防備になったのか。
近隣に、ひたすら軍事拡張をして、あわよくば日本をも奪ってしまおうという国家があるのに、ニコニコ笑って、パンダ外交をすれば、すべては丸く収まると思っている人もいる。
犯罪者が溢れている町で、「私は争いごとは嫌いですから…」、と無防備で、家に鍵もかけず、何か難癖をつけられたら、ヘラヘラ「どうぞどうぞ」、と相手のいいなりになっている。
私にはそんな風に見える。
自衛のための手段は、必要不可欠なのだ。
そのために必要ならば、核兵器を保持していたっていい。
「かつての戦争は、侵略戦争だったので、私たちは反省しているのです。」
という。
日本人は、この先も未来永劫、反省し続けなければならないのだろうか。
単なる侵略目的だ、という主張も極めて怪しい。
これもかの国の、巧妙な戦略かも知れない。
「自分の国は自分で護る」、という考えは、国として当然の権利だ。
国民の命を守る、国としての義務でもある。
相手の兵器を無能化する配備ができたたら、最高じゃないか。
世界に間違った指導者が現れる限り、そして世界から独裁政治国家がなくならない限り、国防を無視した国は、侵略され滅びていく。
日本の国に誇りを持とう。
かつての若人たちは、自らの命を賭してでも、国を護ろうとして戦ったのである。
その命の上に、今の日本の繁栄があるのだ。
「軍事開発」、大いに結構ではないか。
2019年04月24日
GWの宿題
昨日、「GWでは、思いっきり楽しんで、10日後にみんな元気で登校してきてくれれば、それだけでいい。だから、GWには宿題はいらない」、というような小学校の先生とおぼしきツイートがあった。
「確かにその通り」、と思った私は、すかさず「いいね」を押す。
ただ、実は私の学校では、昨日の数学科の教科会で、「数学科としては、きちんとGWの宿題を出しましょう。毎日数学を解くことが大事ですから…」、という方針になってしまったので、残念ながら私も宿題を出さねばならない。
確かに高校受験や、大学受験を意識したら、「勉強しない」、ということはあり得ないだろう。
だが、「宿題があれば勉強する」、という訳でもなく、ただただ答えを写すだけの作業の宿題ならば、やらない方がいいかも知れない。
本当は、宿題など出さなくても、勉強する生徒を育てなければならないのだ。
『三日書籍を読まなければ、人は、普通の人以下になる。』
という話を聞いたことがある。
大人でも、お互い話をしていて、本を読んでいる人と、そうでない人とでは、その知識量が圧倒的に違う。
週刊誌から得られた情報だけで話をしている人と、その分野の深みを知っている人では、当然判断材料も変わり、簡単に世俗に流されなくなる。
昨今は、マスコミも嘘のニュースを報道する。
「スマフォを捨てて本を読もう。」
などと、日本一の最高学府の総長が、入学式で話をするくらいなのだから、日本人のレベルは、この先危ういことは間違いない。
「勉強の好きな人を育てて下さい。」
私の学校には、このような教育方針がある。
「勉強はやらされるものではなく、自分からやるもの。本来楽しいもの。知識を得ることは、人間にとって、大きな喜びなのだ。」
と、経験を通して分からせることができれば、「勉強は楽しくなる」し、「毎日、勉強することは当たり前のこと」にもなり、知的好奇心をさらに高めることができるだろう。
中国語では、「勉強」は、「無理強いする」、という意味だと聞いたことがある。
今の日本のスタイルにぴったりだ。
宿題を通して、勉強がたのしくなっていくならいい。
しかし、その逆に、宿題によって、ますます勉強が嫌になってしまうようなら、それは、教師の世金が大きいと言わざるを得ない。
ふと、今年の私の自由課題プリントのタイトルは、『楽しい数学』であったことを思い出した。
週に何度か、私が問題を出題し、解けた人が自由に提出できることになっているプリントだ。
すぐにあきらめず、じっくりと解いて欲しいので、あえて、期限も設けていない。
本来、学問は楽しいものなのだ。
それを諭し、伝え、そのような気持ちにさせていくものも、教師の役割だ。
さて、GWの宿題はどうすべきかな…。
「確かにその通り」、と思った私は、すかさず「いいね」を押す。
ただ、実は私の学校では、昨日の数学科の教科会で、「数学科としては、きちんとGWの宿題を出しましょう。毎日数学を解くことが大事ですから…」、という方針になってしまったので、残念ながら私も宿題を出さねばならない。
確かに高校受験や、大学受験を意識したら、「勉強しない」、ということはあり得ないだろう。
だが、「宿題があれば勉強する」、という訳でもなく、ただただ答えを写すだけの作業の宿題ならば、やらない方がいいかも知れない。
本当は、宿題など出さなくても、勉強する生徒を育てなければならないのだ。
『三日書籍を読まなければ、人は、普通の人以下になる。』
という話を聞いたことがある。
大人でも、お互い話をしていて、本を読んでいる人と、そうでない人とでは、その知識量が圧倒的に違う。
週刊誌から得られた情報だけで話をしている人と、その分野の深みを知っている人では、当然判断材料も変わり、簡単に世俗に流されなくなる。
昨今は、マスコミも嘘のニュースを報道する。
「スマフォを捨てて本を読もう。」
などと、日本一の最高学府の総長が、入学式で話をするくらいなのだから、日本人のレベルは、この先危ういことは間違いない。
「勉強の好きな人を育てて下さい。」
私の学校には、このような教育方針がある。
「勉強はやらされるものではなく、自分からやるもの。本来楽しいもの。知識を得ることは、人間にとって、大きな喜びなのだ。」
と、経験を通して分からせることができれば、「勉強は楽しくなる」し、「毎日、勉強することは当たり前のこと」にもなり、知的好奇心をさらに高めることができるだろう。
中国語では、「勉強」は、「無理強いする」、という意味だと聞いたことがある。
今の日本のスタイルにぴったりだ。
宿題を通して、勉強がたのしくなっていくならいい。
しかし、その逆に、宿題によって、ますます勉強が嫌になってしまうようなら、それは、教師の世金が大きいと言わざるを得ない。
ふと、今年の私の自由課題プリントのタイトルは、『楽しい数学』であったことを思い出した。
週に何度か、私が問題を出題し、解けた人が自由に提出できることになっているプリントだ。
すぐにあきらめず、じっくりと解いて欲しいので、あえて、期限も設けていない。
本来、学問は楽しいものなのだ。
それを諭し、伝え、そのような気持ちにさせていくものも、教師の役割だ。
さて、GWの宿題はどうすべきかな…。
2019年04月23日
春の日差しに背中を温められて
暖かくなって虫が出てくるようになった。
一昨晩、東京にいたときは、夜、虫の音が聞こえてくるくらいだったが、ここ田舎でも、田植えにそなえ田んぼに水が入れられ、嫌われもののブヨも湧いてきた。
寒くてじっとしていたカメムシも、元気よく動いている。
「ぎゃー。」
朝の散歩で女子生徒が叫んでいた。
足下を毛虫が横切ったのである。
そういう季節になったわけだ。
毛虫は、鳥に食われなければ、蛾になるのだろう。
最近は、虫を怖がる生徒が増えてきた。
いわゆる虫嫌いの人も多い。
「カブトムシでもだめか…」、と尋ねても、「だめだ」、と言う。
幼少期から虫と遊んでいないことが原因かも知れない。
男子でも、教室に一匹のチョウが入り込めば、教室内を逃げ回るほどの大騒ぎになることだってある。
「わぁっ…。」
今度は私が叫んだ。
足下のカエルを潰さないように、踏み出す足の位置をずらしたら、そっちに方向にジャンプしてきたからである。
危うく踏み潰すところだったかが、何とかニアミスで済んだ。
「何かを発見しなさい。」
今朝も、「陽に当たるだけならば、中庭でいいじゃないですか」、と訴えてきた生徒に、諭した言葉だ。彼は、何を発見したのだろう。
私は、紅葉の花芽を見つけた。
最近、庭に紅葉を植えようと調べていたら、紅葉に実がなることを知ったのである。
実がなるということは、花が咲くということで、その花が咲き始めるようである。
「これはおもしろい…。」
と、一人ほくそ笑む。
花が咲き終わって種が取れたら、植えて育てみたいと思った。
春の柔らかな日差しが、そっと背中を温める…。
一昨晩、東京にいたときは、夜、虫の音が聞こえてくるくらいだったが、ここ田舎でも、田植えにそなえ田んぼに水が入れられ、嫌われもののブヨも湧いてきた。
寒くてじっとしていたカメムシも、元気よく動いている。
「ぎゃー。」
朝の散歩で女子生徒が叫んでいた。
足下を毛虫が横切ったのである。
そういう季節になったわけだ。
毛虫は、鳥に食われなければ、蛾になるのだろう。
最近は、虫を怖がる生徒が増えてきた。
いわゆる虫嫌いの人も多い。
「カブトムシでもだめか…」、と尋ねても、「だめだ」、と言う。
幼少期から虫と遊んでいないことが原因かも知れない。
男子でも、教室に一匹のチョウが入り込めば、教室内を逃げ回るほどの大騒ぎになることだってある。
「わぁっ…。」
今度は私が叫んだ。
足下のカエルを潰さないように、踏み出す足の位置をずらしたら、そっちに方向にジャンプしてきたからである。
危うく踏み潰すところだったかが、何とかニアミスで済んだ。
「何かを発見しなさい。」
今朝も、「陽に当たるだけならば、中庭でいいじゃないですか」、と訴えてきた生徒に、諭した言葉だ。彼は、何を発見したのだろう。
私は、紅葉の花芽を見つけた。
最近、庭に紅葉を植えようと調べていたら、紅葉に実がなることを知ったのである。
実がなるということは、花が咲くということで、その花が咲き始めるようである。
「これはおもしろい…。」
と、一人ほくそ笑む。
花が咲き終わって種が取れたら、植えて育てみたいと思った。
春の柔らかな日差しが、そっと背中を温める…。
2019年04月20日
心の中のわだかまり
年度末で退任した前校長の挨拶が、今朝、全校集会で行われた。
十年あまり校長として、学校を創り上げて下さったことに、敬意を表したい。
一方で、どちらかというと馬が合わず、「いずれは私が去ることになるのかな…」、と思っていたら、急遽、校長が交代になったということ面もある。
私は彼に話しかけられるのが苦手だった。
できるだけ声を掛けられないように、努めて世間話をして、作り笑顔をして、防御態勢をはかっていたことを思い出す。
また、朝の会を覗かれるときは、監視されているように思えた。
今から思えば、彼の息子を預かっていたということもあるが、それでも、何度か話している内容についえ、「駄目出し」された。
授業も、生徒からの評価が比較的高かったこともあり、よく見に来た。
だが、必ず厳しい一言をいただいた。
そうこうしているうちに、自然に校長を避けるようになり、心を閉ざすようになってしまった。
そうなってくると、彼のどんな言葉も、素直には受け止められず、そのたびにその一言が突き刺さった。
そして、教員人生最大の深みにはまった。
まだ完全には這い上がれないが、今はずいぶん楽になっている。
仕事ぶりは尊敬できる。
ただ、私と性格的に合わなかっただけなのだが、長くそうした環境にいると、苦しさは増していく。
教員のみならず、およそ勤め人は、環境の変化や、時代の流れ、そして自己研鑽において、つねに自己変革を求められる。
私はその意味で、キャパオーバーになったのだろう。
自己変革が追いつかなかった、というより、変わることを自分自身が拒否していたのかも知れない。
一番悲しかったのは、私の言うことよりも、保護者の声を信じ、「いつも尻拭いさせられる」、と苦言を呈されたことだ。
今となっては、誤解なのだろうが、私はその言葉に未だに成仏できずにいるのだから、結構なダメージだったと思われる。
今朝は、講話のあと、職員室でいろいろな先生方と談笑していた。
だが、やはり私は話しかけられることを怖れた。
「丹澤先生、最近どうですか?」
と、尋ねられることを、心の奥底では拒否していたように思う。
それでも、必死に世間話をした。
本当にお世話になった先生なのに、この歳になってまで素直になれないのは、何故だろう。
きっと私の肝っ玉が小さいからに違いない。
「前校長、本当にお世話になりました。いろいろ学ばせて頂きました。」
勇気を出して、そう伝えればよかった…。
十年あまり校長として、学校を創り上げて下さったことに、敬意を表したい。
一方で、どちらかというと馬が合わず、「いずれは私が去ることになるのかな…」、と思っていたら、急遽、校長が交代になったということ面もある。
私は彼に話しかけられるのが苦手だった。
できるだけ声を掛けられないように、努めて世間話をして、作り笑顔をして、防御態勢をはかっていたことを思い出す。
また、朝の会を覗かれるときは、監視されているように思えた。
今から思えば、彼の息子を預かっていたということもあるが、それでも、何度か話している内容についえ、「駄目出し」された。
授業も、生徒からの評価が比較的高かったこともあり、よく見に来た。
だが、必ず厳しい一言をいただいた。
そうこうしているうちに、自然に校長を避けるようになり、心を閉ざすようになってしまった。
そうなってくると、彼のどんな言葉も、素直には受け止められず、そのたびにその一言が突き刺さった。
そして、教員人生最大の深みにはまった。
まだ完全には這い上がれないが、今はずいぶん楽になっている。
仕事ぶりは尊敬できる。
ただ、私と性格的に合わなかっただけなのだが、長くそうした環境にいると、苦しさは増していく。
教員のみならず、およそ勤め人は、環境の変化や、時代の流れ、そして自己研鑽において、つねに自己変革を求められる。
私はその意味で、キャパオーバーになったのだろう。
自己変革が追いつかなかった、というより、変わることを自分自身が拒否していたのかも知れない。
一番悲しかったのは、私の言うことよりも、保護者の声を信じ、「いつも尻拭いさせられる」、と苦言を呈されたことだ。
今となっては、誤解なのだろうが、私はその言葉に未だに成仏できずにいるのだから、結構なダメージだったと思われる。
今朝は、講話のあと、職員室でいろいろな先生方と談笑していた。
だが、やはり私は話しかけられることを怖れた。
「丹澤先生、最近どうですか?」
と、尋ねられることを、心の奥底では拒否していたように思う。
それでも、必死に世間話をした。
本当にお世話になった先生なのに、この歳になってまで素直になれないのは、何故だろう。
きっと私の肝っ玉が小さいからに違いない。
「前校長、本当にお世話になりました。いろいろ学ばせて頂きました。」
勇気を出して、そう伝えればよかった…。
2019年04月19日
時間割作成から開放
「丹澤先生、ちょっといいですか? 時間割の件で、お話があるんです。」
と、教務主任に会議室へ連れて行かれた。
たいていそういう時は、私にとって都合の悪いときが多い。
前校長の時も、たいていは、私の心を揺さぶるほどの話が多かったと記憶している。
ただ、昨今は、何を言われても、あまり動揺しなくなった。
達観したと言えば、聞こえが良いが、ある意味こだわりがなくなったのである。
この世を去るときは、執着を捨てなければならないと言う。
有名な三途の川は、執着を捨てるための仕組みだ。
今の心境は、どちらかと言えば、そういう境地かも知れない。
「丹澤先生だけが、時間割を担当しているのは、よくないと思うんです。今回のようにお父様のこともありますし、ぜひ私に引き継がせて下さい。GW後には、何とか完成させたいと思うんです。ここまで作っていただきながら、そのままいただいてしまうのは、心苦しいのですが…。」
「それはそれはありがたいです。やっていただけるのなら、どうぞお願いいたします。私も今年限りにしたいと思っていましたので…。幸い、新しいバーションの時間割ソフトは、複数のコンピューターにインストールできますから…。」
「次年度からは、教科の代表者にも手伝っていただこうと思っています。」
「どうぞ、よろしくお願いします。」
と、言うことで、私は時間割係から解放された。
これで校務ソフトの設定に注力出来る…。
ほったらかしになっている、指導要録の所見にも取りかかれる。
少し数学の勉強時間も取れるだろう。
「ちょっといいですか。」
が、幸いした。
わがままで、思い通りに動いてくれない、初老の扱いにくい教員として、なんとか組織の中にいる。
老害にならないうちに、栄光がかすかに残っているうちに、職場を去ろうとも思ったが、退職金も次の仕事もない、ということが人質のようにのしかかっては来る。
一般的にも、たとえ60歳で定年退職しても、まだ二十年くらいは生きていることが多いのだから、その後、稼ぎもなく生活するというのは、とても困難なことだと思う。
二十年、遊んで暮らしてゆける収入など、そうそう得られるものでもない。
「やりがい」を感じられない仕事は続かない。
今回の出来事も、私への配慮だろうか。
まだまだ子どもたちへの情熱は失ってはいないはずなのだが…。
と、教務主任に会議室へ連れて行かれた。
たいていそういう時は、私にとって都合の悪いときが多い。
前校長の時も、たいていは、私の心を揺さぶるほどの話が多かったと記憶している。
ただ、昨今は、何を言われても、あまり動揺しなくなった。
達観したと言えば、聞こえが良いが、ある意味こだわりがなくなったのである。
この世を去るときは、執着を捨てなければならないと言う。
有名な三途の川は、執着を捨てるための仕組みだ。
今の心境は、どちらかと言えば、そういう境地かも知れない。
「丹澤先生だけが、時間割を担当しているのは、よくないと思うんです。今回のようにお父様のこともありますし、ぜひ私に引き継がせて下さい。GW後には、何とか完成させたいと思うんです。ここまで作っていただきながら、そのままいただいてしまうのは、心苦しいのですが…。」
「それはそれはありがたいです。やっていただけるのなら、どうぞお願いいたします。私も今年限りにしたいと思っていましたので…。幸い、新しいバーションの時間割ソフトは、複数のコンピューターにインストールできますから…。」
「次年度からは、教科の代表者にも手伝っていただこうと思っています。」
「どうぞ、よろしくお願いします。」
と、言うことで、私は時間割係から解放された。
これで校務ソフトの設定に注力出来る…。
ほったらかしになっている、指導要録の所見にも取りかかれる。
少し数学の勉強時間も取れるだろう。
「ちょっといいですか。」
が、幸いした。
わがままで、思い通りに動いてくれない、初老の扱いにくい教員として、なんとか組織の中にいる。
老害にならないうちに、栄光がかすかに残っているうちに、職場を去ろうとも思ったが、退職金も次の仕事もない、ということが人質のようにのしかかっては来る。
一般的にも、たとえ60歳で定年退職しても、まだ二十年くらいは生きていることが多いのだから、その後、稼ぎもなく生活するというのは、とても困難なことだと思う。
二十年、遊んで暮らしてゆける収入など、そうそう得られるものでもない。
「やりがい」を感じられない仕事は続かない。
今回の出来事も、私への配慮だろうか。
まだまだ子どもたちへの情熱は失ってはいないはずなのだが…。
2019年04月17日
春が来た
今年は何人もの中1が来てくれて、野球部も賑やかになった。
これまで数人で、ちまちまやっていたが、近々これで、ようやく単独チームも組めそうだし、練習も充実させることができる。
中3の連中が一年半かけて、一人そしてまた一人と抜けて、今は誰もいないので、じっくりと一年くらいかけてチームを作ることもできる。
幸い、高校生コーチも、新たに顧問になった野球部経験者もおり、ようやく浮上できそうな気配になっきた。
それでも、近隣のチームは、どこもレベルが高く、今戦えば、おそらく三回コールドだろう。
コールドは普通5回だが、我が地区には特別ルールがある。
以前、加盟していた私立学校が、なかなかアウトを取れず、何十点もの得点を取られ、それでいて、コールド成立は5回であったので、大会運営に支障を来したのだ。
以来そのルールは消えてはおらず、私も何度か、「もうなくしましょう」、提案したが、「また、そういうチームが出てくるかも知れない」、と変えてはもらえなかった。今度は、そういうチームは私の学校のチームになるかも知れない訳だ。
グランドまでは学校から5キロある。
放課後、4時になると、私の運転で部員たちをグランドまで連れて行く。
居残りなど、遅れる部員は、走ってグランドに来ることになっている。
さすがに往復走るのは大変だが、5キロくらい、野球部なら、よろしかろう。
今日も一人、中1が走ってやってきた。
近くの施設を遊んでいて壊してしまったので、その謝罪があり、そのため出発時に間に合わなかったのだ。
その生徒は、「走って行かないと、怒られますから…」、と言ったそうだが、私は、「そんな指示を出したっけ」、とも思う。
それでも、道の怪しい中一が一人走ってくるのだから、褒めてやらねばならないだろう。
「先生、遅れました。」
と、報告に来て、無事練習に参加できた。
後から聞いたのだが、道のりの半分を、担任が自動車で送ってくれたらしい。
一生懸命な生徒には、いろいろな先生が手を差し伸べる…。
今日は、地元の方がずっと練習を見ていた。
私たちが借りているグランドは、町の管理するものだが、もとは数十年前に廃校になった中学校の跡地でもあるのだ。
後に植えた桜がちょうど見頃なので、この時期は、卒業生がちょこちょこやってくる。
もちろん、一升瓶を広げて花見をする御仁もおられる。
この町にも春が来たのだ。
季節にも合わせて、野球部に春がきた感じだ。
私も少し元気が湧いてきたぞ。
これまで数人で、ちまちまやっていたが、近々これで、ようやく単独チームも組めそうだし、練習も充実させることができる。
中3の連中が一年半かけて、一人そしてまた一人と抜けて、今は誰もいないので、じっくりと一年くらいかけてチームを作ることもできる。
幸い、高校生コーチも、新たに顧問になった野球部経験者もおり、ようやく浮上できそうな気配になっきた。
それでも、近隣のチームは、どこもレベルが高く、今戦えば、おそらく三回コールドだろう。
コールドは普通5回だが、我が地区には特別ルールがある。
以前、加盟していた私立学校が、なかなかアウトを取れず、何十点もの得点を取られ、それでいて、コールド成立は5回であったので、大会運営に支障を来したのだ。
以来そのルールは消えてはおらず、私も何度か、「もうなくしましょう」、提案したが、「また、そういうチームが出てくるかも知れない」、と変えてはもらえなかった。今度は、そういうチームは私の学校のチームになるかも知れない訳だ。
グランドまでは学校から5キロある。
放課後、4時になると、私の運転で部員たちをグランドまで連れて行く。
居残りなど、遅れる部員は、走ってグランドに来ることになっている。
さすがに往復走るのは大変だが、5キロくらい、野球部なら、よろしかろう。
今日も一人、中1が走ってやってきた。
近くの施設を遊んでいて壊してしまったので、その謝罪があり、そのため出発時に間に合わなかったのだ。
その生徒は、「走って行かないと、怒られますから…」、と言ったそうだが、私は、「そんな指示を出したっけ」、とも思う。
それでも、道の怪しい中一が一人走ってくるのだから、褒めてやらねばならないだろう。
「先生、遅れました。」
と、報告に来て、無事練習に参加できた。
後から聞いたのだが、道のりの半分を、担任が自動車で送ってくれたらしい。
一生懸命な生徒には、いろいろな先生が手を差し伸べる…。
今日は、地元の方がずっと練習を見ていた。
私たちが借りているグランドは、町の管理するものだが、もとは数十年前に廃校になった中学校の跡地でもあるのだ。
後に植えた桜がちょうど見頃なので、この時期は、卒業生がちょこちょこやってくる。
もちろん、一升瓶を広げて花見をする御仁もおられる。
この町にも春が来たのだ。
季節にも合わせて、野球部に春がきた感じだ。
私も少し元気が湧いてきたぞ。
2019年04月15日
今朝の学活は朝の散歩
「丹澤先生、今朝は散歩ですよ。」
学年主任が忘れっぽい私に声を掛けた。
この学年では、週に一度程度、朝の学活時に散歩をすることになったのだ。
「全然、日光に当たらない子がいるんです。」
そう、問題提起し提案されたのは覚えていたが、今日がその初日だとは覚えていなかった。
天気良く、まさに春爛漫の朝。
昨晩の雨も上がり、山も見えだし、満開の桜が私たちを迎えてくれる。
学年で近隣を歩いて、一時間目に間に合うように戻ってくる。
「ちょっと、歩くの早いと思いますよ。」
終了後、そう言って見たが、私のように、足下の小さな花を愛でながら歩けば、当然その歩みは遅くなる。だからといって、皆でそのように歩くわけにもゆくまい。
「あれ、八重桜がまだ咲いていない…。つぼみも小さい…。」
「レンギョウの開花が、いつもより遅いなぁ。」
「ようやくツクシが出てきたか。」
そんなことを思いながら、一人ほくそ笑み、最後尾にのんびり歩いていた私は、どんどん引き離され、追いつけないほどになった。
「お日様に辺りながら、ちょっとした運動になれば、目も覚めると思うんです。」
と、学年主任。
確かにその通りだろう。
おもしろいし、季節を感じられる、有意義な企画だ。
「天気にかかわらず行いますから…。」
学年主任は気合い十分である。
以前野球部でも、朝練の前に散歩を行ったことがある。
歩きながら体温を上げ、身体を目覚めさせる意味あるが、もう一つ目的があった。
それは『観察眼』である。
散歩の後には、必ず、「今朝発見したこと」を、発表させた。
歩きながら、何かしらを発見することで、『見る(観る』ことを養わせようと思ったのである。
そうした視点が、いざ野球のプレーの時の観察眼にもつながり、「考え、予想することができる」、と考えたのだ。
学年のこの朝の散歩も、何かしらの発見があるといい。
「先生、先生、先生、○○見つけました。」
と、言った具合に、幼稚園生や小学生のような、純粋な視点も欲しい。
自然の恵みも感じて欲しい。
私にとってもうってつけの企画だ。
学年主任が忘れっぽい私に声を掛けた。
この学年では、週に一度程度、朝の学活時に散歩をすることになったのだ。
「全然、日光に当たらない子がいるんです。」
そう、問題提起し提案されたのは覚えていたが、今日がその初日だとは覚えていなかった。
天気良く、まさに春爛漫の朝。
昨晩の雨も上がり、山も見えだし、満開の桜が私たちを迎えてくれる。
学年で近隣を歩いて、一時間目に間に合うように戻ってくる。
「ちょっと、歩くの早いと思いますよ。」
終了後、そう言って見たが、私のように、足下の小さな花を愛でながら歩けば、当然その歩みは遅くなる。だからといって、皆でそのように歩くわけにもゆくまい。
「あれ、八重桜がまだ咲いていない…。つぼみも小さい…。」
「レンギョウの開花が、いつもより遅いなぁ。」
「ようやくツクシが出てきたか。」
そんなことを思いながら、一人ほくそ笑み、最後尾にのんびり歩いていた私は、どんどん引き離され、追いつけないほどになった。
「お日様に辺りながら、ちょっとした運動になれば、目も覚めると思うんです。」
と、学年主任。
確かにその通りだろう。
おもしろいし、季節を感じられる、有意義な企画だ。
「天気にかかわらず行いますから…。」
学年主任は気合い十分である。
以前野球部でも、朝練の前に散歩を行ったことがある。
歩きながら体温を上げ、身体を目覚めさせる意味あるが、もう一つ目的があった。
それは『観察眼』である。
散歩の後には、必ず、「今朝発見したこと」を、発表させた。
歩きながら、何かしらを発見することで、『見る(観る』ことを養わせようと思ったのである。
そうした視点が、いざ野球のプレーの時の観察眼にもつながり、「考え、予想することができる」、と考えたのだ。
学年のこの朝の散歩も、何かしらの発見があるといい。
「先生、先生、先生、○○見つけました。」
と、言った具合に、幼稚園生や小学生のような、純粋な視点も欲しい。
自然の恵みも感じて欲しい。
私にとってもうってつけの企画だ。
2019年04月14日
校長視察の部活動
久しぶりに10人を超える人数で練習を行えた。
元気な野球経験者の中1が、体験入部として友人を誘ってきたのである。
高校生コーチもやる気十分。
ノックだって、相手を見ながら強さや位置をさりげなく変えて打つ。
そんな折り、校長と監事の二人が練習を見に来た。
野球部は外部のグランドを借りて練習しているので、普段学校では練習しない。
だから、その活動の様子を皆に見られることはめったにないのだ。
彼らはノックの様子を見て、フレッシュな中1が上手に捕球するたびに完成をあげる。
何とも可愛くて可愛くて仕方ないのだろう。
外部のグランドを使うようになってから、校長が練習を見に来たのは初めてのことだ。
この春、変わったばかりの校長。なかなかフットワークが軽い。
…というか、これが本来の姿なのだが。なんだか新鮮さを感じる。
なんだか満足げに練習の様子を見て、野球部員の挨拶を受けながら帰っていったら、また30分くらいして、今度は差し入れを持ってまた現れた。
折しも、たき火で焼きいもを配っている時で、一緒にご相伴してもらった。
サツマイモは、焼くと甘みが増して、とても美味しい。
今日は、ちょっと火力が強すぎたようだ。
次はちょうどマシンでバッティング練習をするところ。
新入生に『打てた』感動を与えると、体験入部ながらも定着率が高く、その後入部する確率が上がるのだ。
初めてのマシンバッティング体験で、見ていないと危ないが、彼らもそれなりの緊張感があるので、その意味では安全だ。
山の中のグランド。
自作の木のブランコや、木登り練習用のロープも常設している。
彼らの好奇心をくすぐるには十分すぎる環境なのだ。
ちょうどグランド周りの桜も満開。
気温も高い。
「お昼はここで食べるのですか?」
監事が尋ねる。
「学校に戻って一息つくと、その後練習がきつくなるので、めったに午後までは練習しません。」
と、答えておいた。
日曜日フル出場だと、私の体力だってつらい…。
それでも、「彼らの希有な経験と、学びとなれば」、と部活動を続けている。
部屋に閉じこもり、保護者からあたえられたゲーム三昧の生活よりよほどいいではないか。
なるほど家庭の教育力低下が、部活負担増につながっているのか。
その保護者を教育したのも、我々なのだが…。
元気な野球経験者の中1が、体験入部として友人を誘ってきたのである。
高校生コーチもやる気十分。
ノックだって、相手を見ながら強さや位置をさりげなく変えて打つ。
そんな折り、校長と監事の二人が練習を見に来た。
野球部は外部のグランドを借りて練習しているので、普段学校では練習しない。
だから、その活動の様子を皆に見られることはめったにないのだ。
彼らはノックの様子を見て、フレッシュな中1が上手に捕球するたびに完成をあげる。
何とも可愛くて可愛くて仕方ないのだろう。
外部のグランドを使うようになってから、校長が練習を見に来たのは初めてのことだ。
この春、変わったばかりの校長。なかなかフットワークが軽い。
…というか、これが本来の姿なのだが。なんだか新鮮さを感じる。
なんだか満足げに練習の様子を見て、野球部員の挨拶を受けながら帰っていったら、また30分くらいして、今度は差し入れを持ってまた現れた。
折しも、たき火で焼きいもを配っている時で、一緒にご相伴してもらった。
サツマイモは、焼くと甘みが増して、とても美味しい。
今日は、ちょっと火力が強すぎたようだ。
次はちょうどマシンでバッティング練習をするところ。
新入生に『打てた』感動を与えると、体験入部ながらも定着率が高く、その後入部する確率が上がるのだ。
初めてのマシンバッティング体験で、見ていないと危ないが、彼らもそれなりの緊張感があるので、その意味では安全だ。
山の中のグランド。
自作の木のブランコや、木登り練習用のロープも常設している。
彼らの好奇心をくすぐるには十分すぎる環境なのだ。
ちょうどグランド周りの桜も満開。
気温も高い。
「お昼はここで食べるのですか?」
監事が尋ねる。
「学校に戻って一息つくと、その後練習がきつくなるので、めったに午後までは練習しません。」
と、答えておいた。
日曜日フル出場だと、私の体力だってつらい…。
それでも、「彼らの希有な経験と、学びとなれば」、と部活動を続けている。
部屋に閉じこもり、保護者からあたえられたゲーム三昧の生活よりよほどいいではないか。
なるほど家庭の教育力低下が、部活負担増につながっているのか。
その保護者を教育したのも、我々なのだが…。
2019年04月13日
野球の指導者講習会
県の中心部まで野球の指導者講習会に出掛けた。
久しぶりに校外に出ると、何となくほっとするが、運転していて、しょっちゅう信号で引っかかるのは、もはや耐えられなくなった。
東京生まれの東京育ちだから、信号の多さも、渋滞も慣れっこのはずだったが、この十年ですっかり田舎の生活に変わってしまったようだ。
もう一つ変わったことがある。
以前は、地図を見ないと不安だったのが、最近は地図がなくても、スマホの音声だけのカーナビ(実際運転中には地図が見えないため…)でも、安心して出掛けられるようになった。
地図を頭に入れて、自分が運転していた頃は、カーナビも訳が分からない道ばかりを案内していたことも事実だが、昨今は非常に正確なナビをしてくれるようになった。
私は運転すら面倒なので、できたら早く自動運転になって欲しいと思う。
指導者講習会には、県内の野球部の顧問が全員集合する。
普段はユニフォームやらジャージ姿なのだが、野球関係者はこのときばかりはと、全員が背広なのである。そのギャップが面白い。
私もそうした服装で出掛けたのだが、「丹澤先生、背広なんすね…」、と言われるくらいなので、私自身にもギャップがあるのだろう。
「みんな子どもたちのために一生懸命なんだよな…。」
彼らの熱心な姿を見ていると、本当に教育者だと思う。
東日本では野球人口よりサッカー人口が増えてしまったが、それでも中学野球はまだまだ規模が大きい。ほぼすべての学校で野球部はあるし、少子化で人数は減ってきたとは言え、まだまだ活発だ。
だから一方で、野球部の顧問を、野球をまったく知らせない先生が受け持たなければならないことがある。
今回の講習会も、そうした先生たちを引き上げるという意味もあるのだろう。
中学の野球では、基本的に顧問が大会の審判を務める。
野球を始めて学んだ人にとって、この仕事は重いはずだ。
初めての審判など、先輩たちに叱られ、注意されながら、覚えていくのだ。
もちろんミスジャッジに、生徒や保護者の冷たい視線を感じながら…、である。
もちろん、さらに野球の指導技術、審判技術の向上を目指しての講習会だ。
こうした規模の集まりは、おそらく野球界だけのことではなかろうか。
行く度に、他校の熱心な先生方の熱い気持ちが伝わってくる。
基本体育会系ではあるが、私も、「もう少し頑張らねば…」、と力が湧いてくる。
これも教師としてのスキルアップの一つの方法なのだ。
指導技術は、授業技術にもつながっているはずだ。
久しぶりに校外に出ると、何となくほっとするが、運転していて、しょっちゅう信号で引っかかるのは、もはや耐えられなくなった。
東京生まれの東京育ちだから、信号の多さも、渋滞も慣れっこのはずだったが、この十年ですっかり田舎の生活に変わってしまったようだ。
もう一つ変わったことがある。
以前は、地図を見ないと不安だったのが、最近は地図がなくても、スマホの音声だけのカーナビ(実際運転中には地図が見えないため…)でも、安心して出掛けられるようになった。
地図を頭に入れて、自分が運転していた頃は、カーナビも訳が分からない道ばかりを案内していたことも事実だが、昨今は非常に正確なナビをしてくれるようになった。
私は運転すら面倒なので、できたら早く自動運転になって欲しいと思う。
指導者講習会には、県内の野球部の顧問が全員集合する。
普段はユニフォームやらジャージ姿なのだが、野球関係者はこのときばかりはと、全員が背広なのである。そのギャップが面白い。
私もそうした服装で出掛けたのだが、「丹澤先生、背広なんすね…」、と言われるくらいなので、私自身にもギャップがあるのだろう。
「みんな子どもたちのために一生懸命なんだよな…。」
彼らの熱心な姿を見ていると、本当に教育者だと思う。
東日本では野球人口よりサッカー人口が増えてしまったが、それでも中学野球はまだまだ規模が大きい。ほぼすべての学校で野球部はあるし、少子化で人数は減ってきたとは言え、まだまだ活発だ。
だから一方で、野球部の顧問を、野球をまったく知らせない先生が受け持たなければならないことがある。
今回の講習会も、そうした先生たちを引き上げるという意味もあるのだろう。
中学の野球では、基本的に顧問が大会の審判を務める。
野球を始めて学んだ人にとって、この仕事は重いはずだ。
初めての審判など、先輩たちに叱られ、注意されながら、覚えていくのだ。
もちろんミスジャッジに、生徒や保護者の冷たい視線を感じながら…、である。
もちろん、さらに野球の指導技術、審判技術の向上を目指しての講習会だ。
こうした規模の集まりは、おそらく野球界だけのことではなかろうか。
行く度に、他校の熱心な先生方の熱い気持ちが伝わってくる。
基本体育会系ではあるが、私も、「もう少し頑張らねば…」、と力が湧いてくる。
これも教師としてのスキルアップの一つの方法なのだ。
指導技術は、授業技術にもつながっているはずだ。