2019年04月15日
今朝の学活は朝の散歩
「丹澤先生、今朝は散歩ですよ。」
学年主任が忘れっぽい私に声を掛けた。
この学年では、週に一度程度、朝の学活時に散歩をすることになったのだ。
「全然、日光に当たらない子がいるんです。」
そう、問題提起し提案されたのは覚えていたが、今日がその初日だとは覚えていなかった。
天気良く、まさに春爛漫の朝。
昨晩の雨も上がり、山も見えだし、満開の桜が私たちを迎えてくれる。
学年で近隣を歩いて、一時間目に間に合うように戻ってくる。
「ちょっと、歩くの早いと思いますよ。」
終了後、そう言って見たが、私のように、足下の小さな花を愛でながら歩けば、当然その歩みは遅くなる。だからといって、皆でそのように歩くわけにもゆくまい。
「あれ、八重桜がまだ咲いていない…。つぼみも小さい…。」
「レンギョウの開花が、いつもより遅いなぁ。」
「ようやくツクシが出てきたか。」
そんなことを思いながら、一人ほくそ笑み、最後尾にのんびり歩いていた私は、どんどん引き離され、追いつけないほどになった。
「お日様に辺りながら、ちょっとした運動になれば、目も覚めると思うんです。」
と、学年主任。
確かにその通りだろう。
おもしろいし、季節を感じられる、有意義な企画だ。
「天気にかかわらず行いますから…。」
学年主任は気合い十分である。
以前野球部でも、朝練の前に散歩を行ったことがある。
歩きながら体温を上げ、身体を目覚めさせる意味あるが、もう一つ目的があった。
それは『観察眼』である。
散歩の後には、必ず、「今朝発見したこと」を、発表させた。
歩きながら、何かしらを発見することで、『見る(観る』ことを養わせようと思ったのである。
そうした視点が、いざ野球のプレーの時の観察眼にもつながり、「考え、予想することができる」、と考えたのだ。
学年のこの朝の散歩も、何かしらの発見があるといい。
「先生、先生、先生、○○見つけました。」
と、言った具合に、幼稚園生や小学生のような、純粋な視点も欲しい。
自然の恵みも感じて欲しい。
私にとってもうってつけの企画だ。
学年主任が忘れっぽい私に声を掛けた。
この学年では、週に一度程度、朝の学活時に散歩をすることになったのだ。
「全然、日光に当たらない子がいるんです。」
そう、問題提起し提案されたのは覚えていたが、今日がその初日だとは覚えていなかった。
天気良く、まさに春爛漫の朝。
昨晩の雨も上がり、山も見えだし、満開の桜が私たちを迎えてくれる。
学年で近隣を歩いて、一時間目に間に合うように戻ってくる。
「ちょっと、歩くの早いと思いますよ。」
終了後、そう言って見たが、私のように、足下の小さな花を愛でながら歩けば、当然その歩みは遅くなる。だからといって、皆でそのように歩くわけにもゆくまい。
「あれ、八重桜がまだ咲いていない…。つぼみも小さい…。」
「レンギョウの開花が、いつもより遅いなぁ。」
「ようやくツクシが出てきたか。」
そんなことを思いながら、一人ほくそ笑み、最後尾にのんびり歩いていた私は、どんどん引き離され、追いつけないほどになった。
「お日様に辺りながら、ちょっとした運動になれば、目も覚めると思うんです。」
と、学年主任。
確かにその通りだろう。
おもしろいし、季節を感じられる、有意義な企画だ。
「天気にかかわらず行いますから…。」
学年主任は気合い十分である。
以前野球部でも、朝練の前に散歩を行ったことがある。
歩きながら体温を上げ、身体を目覚めさせる意味あるが、もう一つ目的があった。
それは『観察眼』である。
散歩の後には、必ず、「今朝発見したこと」を、発表させた。
歩きながら、何かしらを発見することで、『見る(観る』ことを養わせようと思ったのである。
そうした視点が、いざ野球のプレーの時の観察眼にもつながり、「考え、予想することができる」、と考えたのだ。
学年のこの朝の散歩も、何かしらの発見があるといい。
「先生、先生、先生、○○見つけました。」
と、言った具合に、幼稚園生や小学生のような、純粋な視点も欲しい。
自然の恵みも感じて欲しい。
私にとってもうってつけの企画だ。
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