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2019年05月15日
授業準備のこと
「丹澤先生の話、本当に面白い。」
私自身も楽しく授業をしているので、「まあ、面白い授業であろう」とは思うのだが、授業中にこうした声が聞こえてくるのも珍しい。
それでも、最近は授業準備が、やや疎かになっており、「もっと気合いを入れて授業に臨まなければ…」と、このところ反省している。
私の授業準備は、大きく分けると3種類ある。
一つは、授業教材の準備。いわゆる教科の授業内容の準備である。
二つ目は、演習プリントの準備。これは、授業内容とリンクする場合もあれば、そうでない場合もある。初見で思考力を求められる問題や、パズル的な問題など、授業内容の宿題とは別に課される自由参加の宿題プリントでもある。こうした課題を通して、『考える力』を育てようというのが狙いである。
三つ目は、授業中の話題の準備である。数学のみならず、生徒たちに参考になると思われる話題は、何でも話す。たとえ、その話によって教科内容の説明が少なくなっても構わない。そうした『話題』を聞くことで、ちょっとした気分転換になったり、モチベーションアップにつながるのだ。格好の眠気対策にもなる。
通常は、一つ目だけで授業に臨む先生方が多いだろうが、私はずっと以前からこの三本立てだ。
中でも、一番時間をかけてているのが三つ目の『話題』。
これは、まとまった時間に準備するのではなく、常日頃、一日中話題を探している。
毎日三つから四つくらい準備できていれば、日々の授業で困ることはないし、まとめて二十位持っていれば、一週間は安泰である。
ただ私の場合、すべては記憶に頼ろうとして、メモを取っていないので、その蓄積も残っていなければ、いろいろ仕入れているうちに、忘れてしまうものもあり、あまり効率的であるとは言えない。
やはり、記録は必要だろう。
それが、将来きっと役に立つに違いない。
さて授業中の様子なのだが、上級生は私の話を聞きながらでも、せっせと問題を解く。
聞いていないわけではないが、時間効率のアップである。
しかし、一年生はそうはいかない。
私が話をしてしまうと、ピタッと鉛筆が止まってしまうのだ。
「ながら」を勧める訳ではないが、学年が上がると、情報の取捨選択が上手になるのだろう。
私は興味を持ったことは、何でも調べる。
かなり詳しく調べるのは、性格の「しつこさ」だろうが、実はこれが効いてくる。
「分からないことを新たに知る」、ということは喜びであり、それが学びのモチベーションだ。
私自身も楽しく授業をしているので、「まあ、面白い授業であろう」とは思うのだが、授業中にこうした声が聞こえてくるのも珍しい。
それでも、最近は授業準備が、やや疎かになっており、「もっと気合いを入れて授業に臨まなければ…」と、このところ反省している。
私の授業準備は、大きく分けると3種類ある。
一つは、授業教材の準備。いわゆる教科の授業内容の準備である。
二つ目は、演習プリントの準備。これは、授業内容とリンクする場合もあれば、そうでない場合もある。初見で思考力を求められる問題や、パズル的な問題など、授業内容の宿題とは別に課される自由参加の宿題プリントでもある。こうした課題を通して、『考える力』を育てようというのが狙いである。
三つ目は、授業中の話題の準備である。数学のみならず、生徒たちに参考になると思われる話題は、何でも話す。たとえ、その話によって教科内容の説明が少なくなっても構わない。そうした『話題』を聞くことで、ちょっとした気分転換になったり、モチベーションアップにつながるのだ。格好の眠気対策にもなる。
通常は、一つ目だけで授業に臨む先生方が多いだろうが、私はずっと以前からこの三本立てだ。
中でも、一番時間をかけてているのが三つ目の『話題』。
これは、まとまった時間に準備するのではなく、常日頃、一日中話題を探している。
毎日三つから四つくらい準備できていれば、日々の授業で困ることはないし、まとめて二十位持っていれば、一週間は安泰である。
ただ私の場合、すべては記憶に頼ろうとして、メモを取っていないので、その蓄積も残っていなければ、いろいろ仕入れているうちに、忘れてしまうものもあり、あまり効率的であるとは言えない。
やはり、記録は必要だろう。
それが、将来きっと役に立つに違いない。
さて授業中の様子なのだが、上級生は私の話を聞きながらでも、せっせと問題を解く。
聞いていないわけではないが、時間効率のアップである。
しかし、一年生はそうはいかない。
私が話をしてしまうと、ピタッと鉛筆が止まってしまうのだ。
「ながら」を勧める訳ではないが、学年が上がると、情報の取捨選択が上手になるのだろう。
私は興味を持ったことは、何でも調べる。
かなり詳しく調べるのは、性格の「しつこさ」だろうが、実はこれが効いてくる。
「分からないことを新たに知る」、ということは喜びであり、それが学びのモチベーションだ。
2019年05月13日
頼れる先生が帰ってきた
彼女は非常に優しい。
無私無我で、常に他の人の幸福を考えている。
誰に対しても親切で、相手の良いところをたくさん発見する。
しかし、いざ事が起こると、その解決能力はきわめて高く、あっという間にことを収拾される。
宗教性も高く、本当に聖女のような方である。
そんな頼れる存在の先生が、戻ってこられた。
私にとっても、とても嬉しい。
人は誰か一人くらいは、悩めるときに相談したい人が欲しいものだ。
私のように、友達の少ない人生を生きていると、結局は自分の中にとどめ置こうとして、かえって物事を悪化させ、精神的に大きなダメージを受ける。
そんな私でも、困ったときに相談できる人は欲しい。
本当に苦しいときこそ、誰かに聞いて欲しいのだ。
その相談相手だったら、どんなに救われたかと思った一人が、彼女である。
波乱万丈の人生を生きてこられたから、ご自身も数多くのご苦労を乗り越えてきたのだろう。
だからこそ、人の痛みが分かるのだ。
「先生が戻ってこられると聞いて、涙が出そうになりました。」
挨拶回りにいろいろな先生をつかめてはお話されている彼女が私のもとを訪ねたとき、私は、そう答えた。
その場で、ほんの立ち話ではあったが、話が出来た。
「そういうときは、ゆっくりをお休みされたらいいんですよ。またエネルギーが溜まってきますから…。今まで、本当にお疲れ様でしたね。」
涙が出そうになった。
「大丈夫ですよ。丹澤先生…。」
そういいながらニコっと笑って去って行かれた。
「世の中には、こういう方がいらっしゃるのだなぁ」、と思う。
逆に、私が生徒に対して、こんな風に接することができれば良いのだろうともう思う。
だが、まだまだ修行の足りない私は、そうそうこんな優しさで生徒を包み込むことはできない。
これは、一生の課題なのかも知れない…。
無私無我で、常に他の人の幸福を考えている。
誰に対しても親切で、相手の良いところをたくさん発見する。
しかし、いざ事が起こると、その解決能力はきわめて高く、あっという間にことを収拾される。
宗教性も高く、本当に聖女のような方である。
そんな頼れる存在の先生が、戻ってこられた。
私にとっても、とても嬉しい。
人は誰か一人くらいは、悩めるときに相談したい人が欲しいものだ。
私のように、友達の少ない人生を生きていると、結局は自分の中にとどめ置こうとして、かえって物事を悪化させ、精神的に大きなダメージを受ける。
そんな私でも、困ったときに相談できる人は欲しい。
本当に苦しいときこそ、誰かに聞いて欲しいのだ。
その相談相手だったら、どんなに救われたかと思った一人が、彼女である。
波乱万丈の人生を生きてこられたから、ご自身も数多くのご苦労を乗り越えてきたのだろう。
だからこそ、人の痛みが分かるのだ。
「先生が戻ってこられると聞いて、涙が出そうになりました。」
挨拶回りにいろいろな先生をつかめてはお話されている彼女が私のもとを訪ねたとき、私は、そう答えた。
その場で、ほんの立ち話ではあったが、話が出来た。
「そういうときは、ゆっくりをお休みされたらいいんですよ。またエネルギーが溜まってきますから…。今まで、本当にお疲れ様でしたね。」
涙が出そうになった。
「大丈夫ですよ。丹澤先生…。」
そういいながらニコっと笑って去って行かれた。
「世の中には、こういう方がいらっしゃるのだなぁ」、と思う。
逆に、私が生徒に対して、こんな風に接することができれば良いのだろうともう思う。
だが、まだまだ修行の足りない私は、そうそうこんな優しさで生徒を包み込むことはできない。
これは、一生の課題なのかも知れない…。
2019年05月11日
子どもは草食系、親は肉食系
何年かぶりに自チームだけの9人で野球の練習ができた。
夏の大会は、このメンバーに若干の助っ人を加えて試合に出なければならない。
正味二ヶ月だが、できる限り頑張ってみようと思う。
少子化が進んでいる私の地域では、ギリギリの人数でチームを組んでいる学校が多い。
クラス数の多い学校ならば、小学校から野球人気の地域なので、部員獲得には困らないのだが、各学年一クラスずつ、のように規模の小さい学校での野球部員の獲得は大変難しいのだ。
今回県大会に出場することになった学校も、部員数は10人。夏の大会後中学3年生が抜けると、4人になるという。今日の反省会で、事前調査をしたところ、秋以降単独でチームが組めない学校が、6校ほどあった。
そんな中でも、県大会に出れば、上位へ進出するのが当たり前になっている地域なので、極端にレベルの低いチームは存在しない。
先生方の努力は、並々ならぬものだろう。
「今回の負けは、私の指導不足でしょうか…。」
近隣の若手の先生が、そんな風に私に聞いてきた。
中高生の野球は、一度歯車が狂うと、坂道を転げ落ちるように、どんどんマイナス方向に加速していく。そうなると、もう監督の力だけでは止められなくなってしまう。
要は、いかに精神的ダメージが小さいうちに、押しとどめて、ポジティブの方向へマインドをチェンジさせるかが大切になってくる。
「先生は、そうした声かけが上手いじゃないですか…。」
私はそう答えたが、今回は読み切れなかったと言う。
初回に連打され、立ち上がりのピッチャーとしては、大きなショックを受け、結局、「どこに投げても打たれそうだった」、と後から知る。
それをどう励まし、安心感と奮起を促すか、それが教師の言葉かけにかかっている。
ここ10年で、生徒と保護者の様子はがらりと変わった。
一言で私が表現すれば、『子どもは草食系、親は肉食系』のように見える。
子羊を護るライオンは、時に猛獣の本能をむき出しにする。
「楽しく野球をやりましょう。」
これが、同じく県大会に出場することになった別のチームの年間方針だそうだ。
彼らの野球のポテンシャルは高い。
生徒が変わってきたら、それに伴って教員も変わっていかないと、トラブルばかりが起こって、結局何もかもが上手くいかなくなる。
試行錯誤でもいいから、自ら変わってゆこうという、そういう柔軟さが教員に求められる時代になった。
夏の大会は、このメンバーに若干の助っ人を加えて試合に出なければならない。
正味二ヶ月だが、できる限り頑張ってみようと思う。
少子化が進んでいる私の地域では、ギリギリの人数でチームを組んでいる学校が多い。
クラス数の多い学校ならば、小学校から野球人気の地域なので、部員獲得には困らないのだが、各学年一クラスずつ、のように規模の小さい学校での野球部員の獲得は大変難しいのだ。
今回県大会に出場することになった学校も、部員数は10人。夏の大会後中学3年生が抜けると、4人になるという。今日の反省会で、事前調査をしたところ、秋以降単独でチームが組めない学校が、6校ほどあった。
そんな中でも、県大会に出れば、上位へ進出するのが当たり前になっている地域なので、極端にレベルの低いチームは存在しない。
先生方の努力は、並々ならぬものだろう。
「今回の負けは、私の指導不足でしょうか…。」
近隣の若手の先生が、そんな風に私に聞いてきた。
中高生の野球は、一度歯車が狂うと、坂道を転げ落ちるように、どんどんマイナス方向に加速していく。そうなると、もう監督の力だけでは止められなくなってしまう。
要は、いかに精神的ダメージが小さいうちに、押しとどめて、ポジティブの方向へマインドをチェンジさせるかが大切になってくる。
「先生は、そうした声かけが上手いじゃないですか…。」
私はそう答えたが、今回は読み切れなかったと言う。
初回に連打され、立ち上がりのピッチャーとしては、大きなショックを受け、結局、「どこに投げても打たれそうだった」、と後から知る。
それをどう励まし、安心感と奮起を促すか、それが教師の言葉かけにかかっている。
ここ10年で、生徒と保護者の様子はがらりと変わった。
一言で私が表現すれば、『子どもは草食系、親は肉食系』のように見える。
子羊を護るライオンは、時に猛獣の本能をむき出しにする。
「楽しく野球をやりましょう。」
これが、同じく県大会に出場することになった別のチームの年間方針だそうだ。
彼らの野球のポテンシャルは高い。
生徒が変わってきたら、それに伴って教員も変わっていかないと、トラブルばかりが起こって、結局何もかもが上手くいかなくなる。
試行錯誤でもいいから、自ら変わってゆこうという、そういう柔軟さが教員に求められる時代になった。
2019年05月10日
春季大会初日
合同チーム最後の試合となる春季大会。
初戦はなんとか勝利した。
組んでいる監督からすれば、もしかしたら公式戦初勝利かも知れず、喜びもひとしおだろう。
今回も、私の学校の選手たちは、徹底的にサポートにあたる。
部長先生にはスコアラーをしてもらったし、ベンチで何をしていいか分からない一年生は、たとえ登録していたとしても、ベンチ外に出した。
そんな中で、積極的にランナーコーチに行ったり、ボールボーイやバットボーイをしたり、代理キャッチャーを務めたりと、なかなか健気であったと思う。
「何から何まで、本当にありがとうございました。」
と、相手校の校長先生が言って下さるのも、確かにうなずける。
生徒たちには、
「君たち、何の役に立ったの?」
などと、圧力をかけてはみたが、まずまずだと思う。
もちろん、私の理想にはまだまだほど遠い…。
というわけで、二試合とも、私の学校の選手は、一人も守備につくことも、バッターボックスにはいることもなく終わった。
合同チームを組む条件がそうだったのだから仕方がない。
「自分たちで勝った。」
という実績を作りたかっただろうが、私のチームがチャチャを入れる形で合同チームを組ませてもらったのだ。
試合後、相手校の監督から
「どうして出なかったのですか?」
と、尋ねられた。
「徹底的なサポートもできないで、試合には出られません。」
と、答えておいた。
夏は、自チームで出場しなくてはならない。
「あー疲れた。」
「帰ったらすぐお風呂かな…。」
などと、試合中に話をしてしまう一年生たちを、何とか戦う集団に育て上げなければ、相手チームに多大な迷惑をかけてしまう。
野球以前の問題を解決することなく、試合レベルには達しないのだ。
「丹澤先生、ばらばらになっても、練習試合みたいに一緒にやってもらえませんか。」
合同チームの相手校の監督が申し訳なさそうに相談に来る。
「いいですよ…。」
と、にこやかに私は答える。
まずは一勝できて、チームの皆も、その保護者たちも満足だろう。
湿度は低いとはいえ、一日屋外で過ごすのは、さすがに体力を消耗する。
明日も、出掛けて審判だ。
初戦はなんとか勝利した。
組んでいる監督からすれば、もしかしたら公式戦初勝利かも知れず、喜びもひとしおだろう。
今回も、私の学校の選手たちは、徹底的にサポートにあたる。
部長先生にはスコアラーをしてもらったし、ベンチで何をしていいか分からない一年生は、たとえ登録していたとしても、ベンチ外に出した。
そんな中で、積極的にランナーコーチに行ったり、ボールボーイやバットボーイをしたり、代理キャッチャーを務めたりと、なかなか健気であったと思う。
「何から何まで、本当にありがとうございました。」
と、相手校の校長先生が言って下さるのも、確かにうなずける。
生徒たちには、
「君たち、何の役に立ったの?」
などと、圧力をかけてはみたが、まずまずだと思う。
もちろん、私の理想にはまだまだほど遠い…。
というわけで、二試合とも、私の学校の選手は、一人も守備につくことも、バッターボックスにはいることもなく終わった。
合同チームを組む条件がそうだったのだから仕方がない。
「自分たちで勝った。」
という実績を作りたかっただろうが、私のチームがチャチャを入れる形で合同チームを組ませてもらったのだ。
試合後、相手校の監督から
「どうして出なかったのですか?」
と、尋ねられた。
「徹底的なサポートもできないで、試合には出られません。」
と、答えておいた。
夏は、自チームで出場しなくてはならない。
「あー疲れた。」
「帰ったらすぐお風呂かな…。」
などと、試合中に話をしてしまう一年生たちを、何とか戦う集団に育て上げなければ、相手チームに多大な迷惑をかけてしまう。
野球以前の問題を解決することなく、試合レベルには達しないのだ。
「丹澤先生、ばらばらになっても、練習試合みたいに一緒にやってもらえませんか。」
合同チームの相手校の監督が申し訳なさそうに相談に来る。
「いいですよ…。」
と、にこやかに私は答える。
まずは一勝できて、チームの皆も、その保護者たちも満足だろう。
湿度は低いとはいえ、一日屋外で過ごすのは、さすがに体力を消耗する。
明日も、出掛けて審判だ。
2019年05月07日
ツバメの巣
この時期、家の軒下にツバメが巣を作り子育てをする。
学校も校舎の屋根や、換気口あたりに巣を作る。
先日訪ねた学校は、ツバメが巣を作るであろうと予想される場所のすぐ下に、小さな板を設置してあった。はじめは、その板にツバメが巣を作るのかと思ったが、そうではなく、糞が下に落ちないようにするための板だった。
人間とツバメが上手く共存していると思う。
毎年のことで、特に珍しくはないであろうツバメの巣作りと子育てだろうが、何とも『優しさ』を感じる取り組みだ。
先生方にとっては面倒なのだろうが、子どもたちにも良い影響を与えるに違いない。
一方、私の学校にもツバメの巣が作られた。ちょうど昇降口のど真ん中。少し前から糞が落ちていたので見上げてみると、毎日少しずつ、巣が作られ完成していたと思われた。
しかし、今日の夕方、落ちた糞が綺麗になくなっていたので、ふと上を見ると、巣が撤去されていたのだ。
昇降口に近づくと、なかなかつがいのツバメが鳴きながら飛び出してきたから、てっきり巣があるのだろうと思ったが、跡形もなく消えていた。
つがいのツバメは、近くに羽を休めるも、何とも困惑しているように見えた。
恐らくは用務員の独断か、事務長の一声で、巣が撤去されたのだろう。
以前の用務員の時は、注意を喚起する張り紙があったが、今回の対処には若干失望した。
板を設置して、ツバメと共存している近隣の学校とは大違いである。
「愛がない」と思う。
ゴールデンウイーク明け、私も10日振りの授業になったが、以前と変わらず、楽しく授業ができた。生徒たちも全員が登校。
変わったことは、日差しが強くなって紫外線もアップしていること。日中があたたかくなったこと。たいていの田んぼで田植えが終わったことだろう。
こうして時が流れていくのだ。
ツバメのつがいは、また別の場所に巣を作るのだろうか。
産卵のタイミングに間に合うのだろうか。
「うちの子がツバメの糞が降ってきたって言うんです。学校はどうなっているんですか?」
というような、こんなクレームを怖れているのだろうか。
私自身、そういう思想にはついてはゆけない。
何かがおかしい…。
学校も校舎の屋根や、換気口あたりに巣を作る。
先日訪ねた学校は、ツバメが巣を作るであろうと予想される場所のすぐ下に、小さな板を設置してあった。はじめは、その板にツバメが巣を作るのかと思ったが、そうではなく、糞が下に落ちないようにするための板だった。
人間とツバメが上手く共存していると思う。
毎年のことで、特に珍しくはないであろうツバメの巣作りと子育てだろうが、何とも『優しさ』を感じる取り組みだ。
先生方にとっては面倒なのだろうが、子どもたちにも良い影響を与えるに違いない。
一方、私の学校にもツバメの巣が作られた。ちょうど昇降口のど真ん中。少し前から糞が落ちていたので見上げてみると、毎日少しずつ、巣が作られ完成していたと思われた。
しかし、今日の夕方、落ちた糞が綺麗になくなっていたので、ふと上を見ると、巣が撤去されていたのだ。
昇降口に近づくと、なかなかつがいのツバメが鳴きながら飛び出してきたから、てっきり巣があるのだろうと思ったが、跡形もなく消えていた。
つがいのツバメは、近くに羽を休めるも、何とも困惑しているように見えた。
恐らくは用務員の独断か、事務長の一声で、巣が撤去されたのだろう。
以前の用務員の時は、注意を喚起する張り紙があったが、今回の対処には若干失望した。
板を設置して、ツバメと共存している近隣の学校とは大違いである。
「愛がない」と思う。
ゴールデンウイーク明け、私も10日振りの授業になったが、以前と変わらず、楽しく授業ができた。生徒たちも全員が登校。
変わったことは、日差しが強くなって紫外線もアップしていること。日中があたたかくなったこと。たいていの田んぼで田植えが終わったことだろう。
こうして時が流れていくのだ。
ツバメのつがいは、また別の場所に巣を作るのだろうか。
産卵のタイミングに間に合うのだろうか。
「うちの子がツバメの糞が降ってきたって言うんです。学校はどうなっているんですか?」
というような、こんなクレームを怖れているのだろうか。
私自身、そういう思想にはついてはゆけない。
何かがおかしい…。
2019年05月02日
五月晴れの練習試合
練習試合で出かけた近隣の中学校。
グランドの隣ではソフトボールの練習試合。
聞けば相手校のピッチャーは全国選抜の選手とのこと。
体育館からは剣道部の声が聞こえてくる。
テニスコートでは、テニス部がソフトテニスのボールを打つ。
かくいう私は野球の試合。
活気ある学校だ。
抜けるような五月晴れの空の下、いよいよ春の大会を来週に控え、これが最後の練習試合となる。
時折強風が吹いたが、おかげでにわか雨の心配も薄れ、乾燥しいて青空もきれいだ。
日差しも強いが、とても爽やかだ。
合同チームの監督は今日も熱い。
聞けば、今年の一年生で野球部の募集を中止するのだという。
あとは合同チームで細々と活動し、三年後の廃部を待つばかりなのだそうだ。
最後に一花咲かせようと、頑張っている。
試合展開は早く、昼食を挟んでの3試合も午後2時過ぎには終わった。
てきぱき試合ができれば、こんな風に時間の短い締まった試合になる。
ピッチャーがそこそこ良くて、守備が固いと、試合展開が早くなるのだ。
中学の軟式では一時間半でもやや長めに感じる。
この試合に連れて行った私の学校の新人の部長先生は、せっせと審判。
次の大会では、公式戦審判デビューをさせようと、審判練習させたのだ。
一気に3試合も審判をすれば、大分慣れてきたに違いない。
これで、大会でも任せられるだろう。
昨年の夏は、猛暑で倒れそうになったので、とてもありがたい。
なんと言っても22歳の若者だ。
私がその年齢の時は、そんな責任ある仕事はしていなかったから、期待の新人なのだ。
高校まで野球をやってきただけあって、野球をよく知っている。
野球部の顧問は、試合時には勝負にむきになる。
自分たちで考える習慣のない選手は、先生から指摘されて、初めて気づくことも多い。
「どうして単調なピッチングをさせるんだ!」
たいてい注意されるのはキャッチャーなのだ。
良い投球をすればピッチャーが褒められ、打たれればキャッチャーの責任になることが多い。理不尽だが、その分キャッチャーはやりがいもある。
相手チームの監督が言う。
「一つひとつ教えてあげたらいいんだよ。」
焦る気持ちも分かるが、焦ってはいけない。
教えたことを、忘れさせない工夫も必要だ。
なんだが、学校での授業のようだ。
私の学校の選手たちは今日もサポート。
一度、自打球で2ストライクから代打で出たが、見逃し三振になった。
「チャンスは一度きりなのだよ。」
と、諭す。
野球は準備のスポーツだから、いつでも試合に出られるように準備をしておかないと、成果を残すことは難しい。
学校に戻ったあとは、新しい家で畑の準備。
そろそろ夏野菜を植えねばなるまい。
そして、アンテナ調整に電気屋も来る。
ゴールデンウイークも半分を過ぎた。あっという間だ。
グランドの隣ではソフトボールの練習試合。
聞けば相手校のピッチャーは全国選抜の選手とのこと。
体育館からは剣道部の声が聞こえてくる。
テニスコートでは、テニス部がソフトテニスのボールを打つ。
かくいう私は野球の試合。
活気ある学校だ。
抜けるような五月晴れの空の下、いよいよ春の大会を来週に控え、これが最後の練習試合となる。
時折強風が吹いたが、おかげでにわか雨の心配も薄れ、乾燥しいて青空もきれいだ。
日差しも強いが、とても爽やかだ。
合同チームの監督は今日も熱い。
聞けば、今年の一年生で野球部の募集を中止するのだという。
あとは合同チームで細々と活動し、三年後の廃部を待つばかりなのだそうだ。
最後に一花咲かせようと、頑張っている。
試合展開は早く、昼食を挟んでの3試合も午後2時過ぎには終わった。
てきぱき試合ができれば、こんな風に時間の短い締まった試合になる。
ピッチャーがそこそこ良くて、守備が固いと、試合展開が早くなるのだ。
中学の軟式では一時間半でもやや長めに感じる。
この試合に連れて行った私の学校の新人の部長先生は、せっせと審判。
次の大会では、公式戦審判デビューをさせようと、審判練習させたのだ。
一気に3試合も審判をすれば、大分慣れてきたに違いない。
これで、大会でも任せられるだろう。
昨年の夏は、猛暑で倒れそうになったので、とてもありがたい。
なんと言っても22歳の若者だ。
私がその年齢の時は、そんな責任ある仕事はしていなかったから、期待の新人なのだ。
高校まで野球をやってきただけあって、野球をよく知っている。
野球部の顧問は、試合時には勝負にむきになる。
自分たちで考える習慣のない選手は、先生から指摘されて、初めて気づくことも多い。
「どうして単調なピッチングをさせるんだ!」
たいてい注意されるのはキャッチャーなのだ。
良い投球をすればピッチャーが褒められ、打たれればキャッチャーの責任になることが多い。理不尽だが、その分キャッチャーはやりがいもある。
相手チームの監督が言う。
「一つひとつ教えてあげたらいいんだよ。」
焦る気持ちも分かるが、焦ってはいけない。
教えたことを、忘れさせない工夫も必要だ。
なんだが、学校での授業のようだ。
私の学校の選手たちは今日もサポート。
一度、自打球で2ストライクから代打で出たが、見逃し三振になった。
「チャンスは一度きりなのだよ。」
と、諭す。
野球は準備のスポーツだから、いつでも試合に出られるように準備をしておかないと、成果を残すことは難しい。
学校に戻ったあとは、新しい家で畑の準備。
そろそろ夏野菜を植えねばなるまい。
そして、アンテナ調整に電気屋も来る。
ゴールデンウイークも半分を過ぎた。あっという間だ。
2019年05月01日
令和元年初日のトレーニング
昨日までの雨でグランドが使えなかったので、トレーニングがてら山に向かう。
早朝のライブカメラでも山は晴れている。
きっと、爽やかな気候だろう。
標高1400mあたりまで30分もあれば自動車で着ける。
GW中だが、早朝ならば、道路も混雑していないだろう。
雄大な景色の中でのトレーニングはさぞ楽しかろう、と思うのだが、生徒たちはいつしかその景色にも慣れてしまっているようだ。
雪は少ない。
山の谷筋にある残雪が、しきりとけて、滝になっている。
その音が聞こえてくる。
大自然の息づかい…。
こうした雪解け水が川を作る。
あたりは、ようやくフキノトウが生えてきたばかりだ。
令和元年の初日にしては、ふさわしいではないか。
雨の予報が晴れたので、これからどんどん観光客がやってくるだろうから、そうそう山を引き上げる。
案の定、10時を過ぎると山への道は大渋滞になった。
グランドに戻ると大分乾いていたので、少し練習をする。
明日はまた練習試合だ。
午後からまた雨になった。それでも明日は晴れるらしい。
近隣の学校では、今日5月1日は部活をしてはいけないらしい…。
日本にとって、とても大切な日ではある。
だが、大切なのはその思いなのではないだろうか。
テレビに出ている識者と言われるゲストたちは、時にずいぶん失礼なことも言っている。
これほど長く続いた天皇家は、世界でも例を見ない。
新たな天皇が本日をもって即位した。
「譲位という一連の出来事は、天皇制の危機を招く。」
という意見の人もいる。
何とか日本の伝統を守ってゆきたいものだ。
生徒たちにとっても、記念すべき令和元年の初日になったであろうと信じよう。
早朝のライブカメラでも山は晴れている。
きっと、爽やかな気候だろう。
標高1400mあたりまで30分もあれば自動車で着ける。
GW中だが、早朝ならば、道路も混雑していないだろう。
雄大な景色の中でのトレーニングはさぞ楽しかろう、と思うのだが、生徒たちはいつしかその景色にも慣れてしまっているようだ。
雪は少ない。
山の谷筋にある残雪が、しきりとけて、滝になっている。
その音が聞こえてくる。
大自然の息づかい…。
こうした雪解け水が川を作る。
あたりは、ようやくフキノトウが生えてきたばかりだ。
令和元年の初日にしては、ふさわしいではないか。
雨の予報が晴れたので、これからどんどん観光客がやってくるだろうから、そうそう山を引き上げる。
案の定、10時を過ぎると山への道は大渋滞になった。
グランドに戻ると大分乾いていたので、少し練習をする。
明日はまた練習試合だ。
午後からまた雨になった。それでも明日は晴れるらしい。
近隣の学校では、今日5月1日は部活をしてはいけないらしい…。
日本にとって、とても大切な日ではある。
だが、大切なのはその思いなのではないだろうか。
テレビに出ている識者と言われるゲストたちは、時にずいぶん失礼なことも言っている。
これほど長く続いた天皇家は、世界でも例を見ない。
新たな天皇が本日をもって即位した。
「譲位という一連の出来事は、天皇制の危機を招く。」
という意見の人もいる。
何とか日本の伝統を守ってゆきたいものだ。
生徒たちにとっても、記念すべき令和元年の初日になったであろうと信じよう。
2019年04月29日
教員運転の引率
今日から4日間、合同練習で往復100kmの学校に通う。
同じ地区の端から端同士の学校で、こんな距離になってしまうのだ。
私はこれが苦しいので、この学校との合同練習を避けてきたのだが、とりあえず春の大会までは、今日を含めた4日間で終わるので、辛抱しようと思う。
とは言っても、引率は私。
運転して生徒を連れて行くのも私。
それなりに体力と精神力を消耗する。
だが、最近私は、運転中眠くなったら、臆面もなく途中で寝ることにしている。
道路の少し広い所や、コンビニ駐車場で仮眠をする。
時間にして恐らく15分から30分。
運転席で、頭をもたげるだけだから、熟睡とまでもいかないが、その後すっきり眼が覚めることは事実。
同乗している生徒からすれば、いきなり先生が寝てしまい、運転が止まってしまうわけで、内心は「早く学校に戻りたい」だろうとは思う。
だが、居眠り運転をして事故を起こしたら、さらに面倒なことになる。
私は学校の交通安全委員会の委員長でもあるのだ。
本来は、教員が運転して生徒を連れて行くものではない。
多くの学校では、禁止されているか、特別な事情がない限りは許可されない、というのが一般的であろう。
だが、私の学校では、教員が運転して出掛けなければならない事情がある。
それは親元を離れて生活しているためだ。
地元の学校は、出掛けるときは、年数回の大きな大会以外はすべて保護者の送迎。
公共交通機関のほとんどないこの地域では仕方のないことだが、全国的にもこうした方法が一般的なのだろう。
私は、乗用車のみならずマイクロバスも運転する。
学校として、中型免許の取得を勧められる、というシステムすらあるのだ。
たとえ免許取得にかかる費用は個人負担なしであったとしても、その責任の重さと、事故あるときの対応は、甚だ不安でもある。ましてや生徒の命を預かっているのだ。
そういう意味で、数年前から一部業者委託も可能になった。
学校側が、運転を許していない教員の場合と、公用車がすべて使われている場合、そしてかなりの遠方で、教員の負担が極めて大きくなる場合、また、大型バスなど、特別な事情に限られる。
だが、一般的には教員が運転することになる。
「先生、そろそろ返りましょう。もう起きましたよね。」
今日は、こんな風に生徒に念押しされた。
昼食前だったのに、急に眠くなった私は、コンビニの駐車上で寝てしまったのだ。
寝ているといっても、うとうとしているといった方が正しいかも知れない。
生徒たちの会話も結構覚えているし、椅子をリクライニングする訳でもない。
明日も雨でなければ合同練習。
さっと出掛けて,さっと戻って来よう。
同じ地区の端から端同士の学校で、こんな距離になってしまうのだ。
私はこれが苦しいので、この学校との合同練習を避けてきたのだが、とりあえず春の大会までは、今日を含めた4日間で終わるので、辛抱しようと思う。
とは言っても、引率は私。
運転して生徒を連れて行くのも私。
それなりに体力と精神力を消耗する。
だが、最近私は、運転中眠くなったら、臆面もなく途中で寝ることにしている。
道路の少し広い所や、コンビニ駐車場で仮眠をする。
時間にして恐らく15分から30分。
運転席で、頭をもたげるだけだから、熟睡とまでもいかないが、その後すっきり眼が覚めることは事実。
同乗している生徒からすれば、いきなり先生が寝てしまい、運転が止まってしまうわけで、内心は「早く学校に戻りたい」だろうとは思う。
だが、居眠り運転をして事故を起こしたら、さらに面倒なことになる。
私は学校の交通安全委員会の委員長でもあるのだ。
本来は、教員が運転して生徒を連れて行くものではない。
多くの学校では、禁止されているか、特別な事情がない限りは許可されない、というのが一般的であろう。
だが、私の学校では、教員が運転して出掛けなければならない事情がある。
それは親元を離れて生活しているためだ。
地元の学校は、出掛けるときは、年数回の大きな大会以外はすべて保護者の送迎。
公共交通機関のほとんどないこの地域では仕方のないことだが、全国的にもこうした方法が一般的なのだろう。
私は、乗用車のみならずマイクロバスも運転する。
学校として、中型免許の取得を勧められる、というシステムすらあるのだ。
たとえ免許取得にかかる費用は個人負担なしであったとしても、その責任の重さと、事故あるときの対応は、甚だ不安でもある。ましてや生徒の命を預かっているのだ。
そういう意味で、数年前から一部業者委託も可能になった。
学校側が、運転を許していない教員の場合と、公用車がすべて使われている場合、そしてかなりの遠方で、教員の負担が極めて大きくなる場合、また、大型バスなど、特別な事情に限られる。
だが、一般的には教員が運転することになる。
「先生、そろそろ返りましょう。もう起きましたよね。」
今日は、こんな風に生徒に念押しされた。
昼食前だったのに、急に眠くなった私は、コンビニの駐車上で寝てしまったのだ。
寝ているといっても、うとうとしているといった方が正しいかも知れない。
生徒たちの会話も結構覚えているし、椅子をリクライニングする訳でもない。
明日も雨でなければ合同練習。
さっと出掛けて,さっと戻って来よう。
2019年04月28日
争いを避ける性格と試合
今日は地元の町と姉妹都市提携をしている町との親善野球大会が行われた。
今年は、是非とも出場して欲しいと、町からの強烈なプッシュがあり、少人数ながら合同チームを組んで参加することになった。
合同チームの責任者は私で、登録上、私が監督となった。
よその学校の生徒たち、特に中1はかわいい。
いや、中2の生徒たちも、みんな良い子に見える。
実際、皆、野球好きで、一生懸命野球をやっているくらいだから、何となく波動がいいのだ。
今日一日限りの特設チームで、私のチームのキャプテンが、一日キャプテン。
彼は、きっちり責任を果たしてくれたし、プレーでも大いに活躍してくれた。
一緒に練習をしたこともない寄せ集めのメンバーが、アップを終えるとすぐに試合が始まったのだが、これがなかなかうまくいった。
伸びしろのある、今後の楽しみなチームになった。
相手チームも純朴。
確かに、我が町と同じく、人口2万人くらいの小さな町だからか、みんな良い感じの生徒だ。
といって、一歩引くでもなく、勝負感も競争心も根性もある。
手抜きのプレーなど一つもない。
昨今の中学生は、かつてのように『荒れている』生徒は珍しく、逆に『草食系』というか、無気力化が進んでいるように見える。
生きるバイタリティが弱いのだ。
一日、部屋に閉じこもり、ゲーム三昧で過ごした世代だ。
友達同士集まって同じ部屋で遊んでいても、それぞれが別のゲームをやっていて、まともな会話すらない。
外でチームプレーの野球をする方が、よほど健全だと私は思う。
そうした子でも、我の強い生徒が少なくなった。
かつてピッチャーは、「わがままで、自己中」が、代名詞だった。
打ち取った球を、誰かが取りこぼしたり、アウトにできなかったら、にらみつけたり、文句を言ったりする。
「ちゃんと捕れよ」、と怒りだしたりもした。
だが、「我が道を行く」性格で、打たれ強く、強いピッチャーではあった。
それを、大人が上手にたしなめ、チームと同化させるが、それでも強気のピッチングは続けられた。
しかし今は、そうした選手は極めて少ない。
小学校時代から、矯正されてしまうのか、争いごとを極端に避ける生徒が増えてきたのか、その理由は分からないが、なかなかそうした生徒を見ることがなくなってきた。
争いを避ける性格は、試合での戦いでもその傾向が現れ、一歩引いてしまうこのだ。
だから、強気の性格の選手、チームには勝てなくなる。
『良い子』がこうした単なる『草食系』ならば、それは本当の「良い子」ではないのだろう。
とにかく、今日は楽しかった。
久しぶりに、『野球』をしたように思える。
「冬場にでも、一緒に合同練習どうですか?」
合同チームを組んだ監督から、そう声を掛けてもらった。
生徒同士の交流という意味でも、本気で考えてみようと思う。
部活動のあり方も、少しずつ変わりつつある昨今、本当に変わってきたのは生徒だったりする。
今年は、是非とも出場して欲しいと、町からの強烈なプッシュがあり、少人数ながら合同チームを組んで参加することになった。
合同チームの責任者は私で、登録上、私が監督となった。
よその学校の生徒たち、特に中1はかわいい。
いや、中2の生徒たちも、みんな良い子に見える。
実際、皆、野球好きで、一生懸命野球をやっているくらいだから、何となく波動がいいのだ。
今日一日限りの特設チームで、私のチームのキャプテンが、一日キャプテン。
彼は、きっちり責任を果たしてくれたし、プレーでも大いに活躍してくれた。
一緒に練習をしたこともない寄せ集めのメンバーが、アップを終えるとすぐに試合が始まったのだが、これがなかなかうまくいった。
伸びしろのある、今後の楽しみなチームになった。
相手チームも純朴。
確かに、我が町と同じく、人口2万人くらいの小さな町だからか、みんな良い感じの生徒だ。
といって、一歩引くでもなく、勝負感も競争心も根性もある。
手抜きのプレーなど一つもない。
昨今の中学生は、かつてのように『荒れている』生徒は珍しく、逆に『草食系』というか、無気力化が進んでいるように見える。
生きるバイタリティが弱いのだ。
一日、部屋に閉じこもり、ゲーム三昧で過ごした世代だ。
友達同士集まって同じ部屋で遊んでいても、それぞれが別のゲームをやっていて、まともな会話すらない。
外でチームプレーの野球をする方が、よほど健全だと私は思う。
そうした子でも、我の強い生徒が少なくなった。
かつてピッチャーは、「わがままで、自己中」が、代名詞だった。
打ち取った球を、誰かが取りこぼしたり、アウトにできなかったら、にらみつけたり、文句を言ったりする。
「ちゃんと捕れよ」、と怒りだしたりもした。
だが、「我が道を行く」性格で、打たれ強く、強いピッチャーではあった。
それを、大人が上手にたしなめ、チームと同化させるが、それでも強気のピッチングは続けられた。
しかし今は、そうした選手は極めて少ない。
小学校時代から、矯正されてしまうのか、争いごとを極端に避ける生徒が増えてきたのか、その理由は分からないが、なかなかそうした生徒を見ることがなくなってきた。
争いを避ける性格は、試合での戦いでもその傾向が現れ、一歩引いてしまうこのだ。
だから、強気の性格の選手、チームには勝てなくなる。
『良い子』がこうした単なる『草食系』ならば、それは本当の「良い子」ではないのだろう。
とにかく、今日は楽しかった。
久しぶりに、『野球』をしたように思える。
「冬場にでも、一緒に合同練習どうですか?」
合同チームを組んだ監督から、そう声を掛けてもらった。
生徒同士の交流という意味でも、本気で考えてみようと思う。
部活動のあり方も、少しずつ変わりつつある昨今、本当に変わってきたのは生徒だったりする。
2019年04月27日
練習試合で
春の大会はなんとか合同チームで出場できそうだ。
今日は、その最初の練習試合だった。
相手校は、今年は部員数が足りているので、私のチームは、まさにお客さん。
合同チームを組みに際しても、
「今年は、単独で出場できる最後の機会なんです。うちの選手がスタメン出場で構わないなら、チームを組みます。」
などと、何とも失礼なお話を受けたのだ。
それでも、春だけは組ませてもらおうと、「ぐっと我慢して」、チームを組んでいる。
以前から組んでいたチームで、選手たちもよく知っているので、気を遣うよりよいだろう。
だから、私の学校の生徒たちには、
「君たちはサポートね。サポートが優秀だと、チーム全体としてのレベルが上がるんだよ。○○中は、これが最後の単独チームで、この先は廃部が待っているようなので、協力してあげなさい。」
と、諭している。
幸いというか、中3がいないので、昨年の大会不参加に引き続き、今年も我がチームが何かしらの貢献をしよう、と思っているわけだ。
そんなお手伝いもよい、と思っている。
事実、今日は途中から守備についた私のチームの選手は、きっちり役割を果たしたし、代打で出た選手もヒットで出塁している。
実際試合にでなくても、さまざまなサポートをしつつ、チームを盛り上げてくれている。
その中で学ぶことも、とても大きいのだ。
もちろん、試合に出て学ぶこともあるが、そうした機会は、また別にやってくるだろうから、今はこのスタイルでよいと思う。
この連休は、明日だけ市町村主催の交流試合で、別のチームと合同を組んで試合をするが、それ以外は、この学校と合同練習やら、試合を行う。
何も役に立っていないのは、私だけのようにも思うが、まぁ勘弁してもらうことにしよう。
2チームのダブルだったので、午後2時頃には学校に戻ってきた。
今日は土曜日なので、4時間きっちり授業をしていた。
何となく、一足早くゴールデンウイークに入ったような、そんな錯覚がする…。
今日は、その最初の練習試合だった。
相手校は、今年は部員数が足りているので、私のチームは、まさにお客さん。
合同チームを組みに際しても、
「今年は、単独で出場できる最後の機会なんです。うちの選手がスタメン出場で構わないなら、チームを組みます。」
などと、何とも失礼なお話を受けたのだ。
それでも、春だけは組ませてもらおうと、「ぐっと我慢して」、チームを組んでいる。
以前から組んでいたチームで、選手たちもよく知っているので、気を遣うよりよいだろう。
だから、私の学校の生徒たちには、
「君たちはサポートね。サポートが優秀だと、チーム全体としてのレベルが上がるんだよ。○○中は、これが最後の単独チームで、この先は廃部が待っているようなので、協力してあげなさい。」
と、諭している。
幸いというか、中3がいないので、昨年の大会不参加に引き続き、今年も我がチームが何かしらの貢献をしよう、と思っているわけだ。
そんなお手伝いもよい、と思っている。
事実、今日は途中から守備についた私のチームの選手は、きっちり役割を果たしたし、代打で出た選手もヒットで出塁している。
実際試合にでなくても、さまざまなサポートをしつつ、チームを盛り上げてくれている。
その中で学ぶことも、とても大きいのだ。
もちろん、試合に出て学ぶこともあるが、そうした機会は、また別にやってくるだろうから、今はこのスタイルでよいと思う。
この連休は、明日だけ市町村主催の交流試合で、別のチームと合同を組んで試合をするが、それ以外は、この学校と合同練習やら、試合を行う。
何も役に立っていないのは、私だけのようにも思うが、まぁ勘弁してもらうことにしよう。
2チームのダブルだったので、午後2時頃には学校に戻ってきた。
今日は土曜日なので、4時間きっちり授業をしていた。
何となく、一足早くゴールデンウイークに入ったような、そんな錯覚がする…。